『仮面ライダーアギト』という番組


 1年間、色々な意味で物議を醸した『仮面ライダーアギト』が終わった。
 1年を通して、これほどまでに評価が二転三転したトクサツ番組もそうはないだろう。
 今回は、習慣鷹羽『仮面ライダーアギトの軒下』で追い続けてきた『アギト』という番組についてまとめてみたいと思う。

 『アギト』の最大の特徴は、“最初から複数のライダーが登場し、しかも互いに正体を知らず、それぞれが違った思惑で敵と戦っている”ことと、“敵が何者で何が目的なのか不明”ということだった。
 どうしてこのような形になったのか、どんな物語を作るつもりだったのか、順を追って考えてみよう。 


1 企画面から見た『アギト』誕生

 『アギト』は、『仮面ライダー』テレビシリーズとしては11作目となるが、それ以上に『仮面ライダークウガ』の後番組という意味合いの方が強い。
 これは当たり前の話で、10年4か月ぶりに再開されたテレビシリーズの次作という性格上、デザイン・設定・マーチャン展開が前作のノウハウを引き継ぐことになるのはむしろ当然のことだ。
 メイン主人公であるアギトの場合、デザイン的に『装着変身』を意識していることは、頭部・上半身・肩・前腕部だけのアーマーなどに表れているし、設定上では、複数の形態への変身やそれに応じて変化するベルト中央部の色、変身と同時に変化するバイクとその第二形態の存在などに表れている。
 これらの特徴は、そのままマーチャンダイジングとリンクしており、『クウガ』の主力商品だった『ソニックウエーブ変身ベルト』と『装着変身』、その装着変身を搭乗させられる『DXポピニカ』を継承するためのものと言える。
 変身ベルトについて言えば、側面部に仕込まれたスピーカーからの変身音、スイッチによって変化する風車部の発光色がそうだ。
 回転スイッチがスピーカー部の外殻そのものになったという変化はあるが、基本的に『クウガ』の変身ベルトの様式をそのまま受け継いでいる。
 ご丁寧に、ベルト正面下部についているパワーアップパーツ装着時用の隠しスイッチまで継承している。
 若干変わったのは、発光部の色を赤・青・黄色の3色に減らし、隠しスイッチによる発光を赤と青の同時発光による紫にしたことだろうか。
 そして、もう1つの継承である『装着変身』だが、グランド・ストーム・フレイムの各フォームを1セットにまとめたことによる“商品の集中”という形で製品化しやすいようにしたようだ。
 “買い集める”よりも“オールインワン”を狙ったのではないだろうか。
 つまり、『クウガ』でのライジングセットのようなものを最初から用意したのだ。
 これによって減った商品数は、ライダーの数を増やすことで対応している。
 つまり、複数ライダー体制だ。
 これまでのシリーズで、最初から複数のライダーを出演させた例はない。
 1号と2号は偶然生まれたアイデアだったし、ライダーマンは『V3』終盤で登場したに過ぎない。
 最初から2人目のライダーの存在を示唆していた『BLACK』にしても、シャドームーンは半年経ってからの登場だったし、そもそもシャドームーンはライダーとしてカウントされていない。
 つまり、『アギト』は、ライダーの数そのものを増やして商品数を増やそうとしたのだ。
 そして、2人目のライダーは、主人公であるアギトと変化を付けるため、より装着変身に相応しい存在である強化服戦士として設定された。
 そして、正統派、メカニックとくれば次は生物的とくるわけで、ギルスが加わっての3人ライダー体制になったのだろう。

 そして、商品展開的に最も『装着変身』に相応しいG3は、同時に最も仮面ライダーらしからぬ背景を背負うことになってしまった。
 警察によって開発された戦闘用強化服という設定は、外部兵装として手持ち武器のオモチャを出しやすく、また、『装着変身』では、人形用の武器を『DXガードチェイサー』に収納可能にすることでオモチャ同士の連携も果たされることになり、非常に扱いやすいネタだったようだ。
 もっとも、聞くところによると『DXガードチェイサー』と『装着変身G3』・『同G3-X』はサイズが少々ズレているため、実際に跨らせるのは不可能に近いのだそうだ。
 ま、それでもガードチェイサーの側に装着変身を立たせて武器を取り出すシーンくらいは再現できるらしい。


2 番組としての『アギト』の特色

 番組形態として『アギト』の特色を見ると“通常のEDがないこと”“サブタイトルがないこと”が挙げられる。
 ED曲としてクレジットされている『BELIEVE YOURSELF』や『DEEP BREATH』などは、普通の番組で言えば戦闘シーン用の挿入歌でしかない。
 これは、EDに掛ける時間をも本編に組み込んで正味の放映時間を延ばしたいという考えなのだろう。
 また、本編ラストからCMを挟んですぐに次回予告という繋がり方は、次回への期待を盛り上げるのに一役買っていた。
 EDがないことの悪影響としては、普通ならEDテロップとして流れるはずの撮影協力やスタッフロールがOPで流れることとなり、OPクレジットの表示時間が通常より短くなっていることくらいだろう。
あのOPクレジットの切り替わりの早さに目が付いていかなかった人も多かったのではなかろうか。

 次に、サブタイトルがないことについてだが、“全体で1つの物語だから敢えてサブタイトルは付けなかった”のだそうだ。
 もっとも、新聞等に表示するためのものが必要だったため、簡単なサブタイトルめいたものが付けられているのだが。
 実際に全体で1つの物語だったかどうかは、評論第2回『昨日は半袖、今日は長袖』で触れているので、ここでは割愛する。


3 全体像をぼかす描写

 物語としての『アギト』最大の特徴は、全てが謎のままストーリーが展開することだ。
 津上翔一がアギトに変身できるのはどうしてか、記憶喪失になった原因は何なのか、そもそも名前は津上翔一でいいのか、と枚挙に暇がない。
 おおよその謎が出揃ったのは8話『赤い炎の剣』の段階だが、この時点で大きく言って
  1 津上翔一は何故アギトになれるのか、アギトとは何か
  2 葦原涼は何故ギルスになってしまったのか、ギルスとは何か
  3 アンノウンは何者で、何故人を襲うのか
  4 オーパーツの情報から生まれた謎の青年は何者か
  5 真魚の父は、誰に、どのように殺されたのか
  6 あかつき号でなにがあったのか

という6つの謎が提示されている。
 物語はこれらの謎を求心力として動いていくわけだが、この時点では翔一・氷川・涼の3人は全く別の観点で動いており、しかも持っている情報も断片的であるため、全体像がまるで見えない。
 これは、以前評論第1回『「仮面ライダーアギト」マルチサイト論的考察』で書いたように、スタッフにすら断片的な情報しか与えないまま制作されていたためと、謎自体を描写のファクターの1つと位置づけ、物語の牽引力としてだけ使おうとの思惑があったものと思われる。

 例えば涼がギルスになったことは、“突然妙な身体になった”レベルの話に過ぎず、それによる涼の苦悩や変身の度の後遺症に苦しむ姿を描くためのエクスキューズに過ぎなかった。
 後述する「謎を全て解き明かすつもりはない」という言葉の真意は、要するにそういうことなのだ。
 また、翔一・涼・氷川それぞれの立場や目的の違いを際立たせながら物語を展開しようとしていたということも大きな比重を持っているだろう。
 つまり、アギトとして察知したアンノウンと戦う翔一・警察官としてアンノウン事件を追う氷川・父の死の真相を追いながら戦いに首を突っ込む涼というそれぞれの方向性から僅かずつ情報を入手していくわけだ。
 3人が持っている情報を統合すると、あかつき号事件に謎を解く鍵があることなどが見えてくるのだが、それでは3人が同じ方向を向いてしまう。
 そのため、アギト・ギルス・G3の3人が一堂に会したのは22話『運命の対決』という非常に遅い時期だった。
 また、このときは亜紀を殺したのがアギトだと涼に勘違いさせ、アギトと敵対する第三勢力として存在させている。


4 錯綜する企画意図

 上記のとおり、『アギト』は、前作『クウガ』の好評を受けての後番組として企画された。
 そのため当初は明確に『クウガ』の続編として企画されている。
 端的なのがG3の存在だ。
 当初の企画では、G3はクウガの戦闘能力やデータを基に警察や民間企業の協力体制で開発されたことになっている。
 G3ユニットの正式名称であるS.A.U.L(サウル:Squad Against Unidentified Lifeforms)は、日本語訳すると「未確認生命体対策班」であり、未確認生命体と戦うための対抗戦力として結成されたことが明確に謳われている。
 だが、ここで『クウガ』スタッフからの横槍が入る。
 『クウガ』に強烈な愛着を持っていた『クウガ』スタッフは、“五代雄介が悲壮な戦いの末に守った平和を壊すな”と続編拒否の意向を『アギト』スタッフに突きつけたのだ。
 だが、スポンサーサイドからの要求は『クウガ』の続編制作であり、既にG3の設定も公開されている。
 板挟みとなった『アギト』スタッフは、“『クウガ』の続編ではないが一見続編に見える世界”を作らざるを得なかったが、これがケチの付き初めとなってしまった。
 中途半端に『クウガ』の影を引きずってしまったため、かなりの数の『クウガ』ファンからの反発を買い、『クウガ』ファン対『アギト』ファンの対立という図式を最初から持ってしまったのだ。
 そのせいばかりではないが、良くも悪くも『アギト』の評価というのは『クウガ』との比較によるものが主体となってしまった。
 悪い言い方をすれば、『アギト』は前作『クウガ』の影響からとうとう抜け出せなかったのだ。


5 断ちがたい『クウガ』の呪縛

 反発する向きもあると思うので、少し説明しよう。
 元々『アギト』に掛けられたトクサツファンの期待は、前作『クウガ』に対する失望から始まっている。
 『クウガ』終盤では、“凄まじき戦士”アルティメットフォームがクリスマス商戦時期になっても登場しなかったことや、番組後半に行くに従って戦闘シーンが短くなっていったことなどから、“ヒーロー番組にあるまじき制作方針”が問題となっていた。
 そんな風潮の中で、新作『アギト』が発表される。
 1つの番組に登場する新ライダーが3人、しかもそのうち1人は強化服を着た警官という設定に驚愕した人や失望した人も多かったが、それでも『アギト』に期待を掛ける人がそれなりにいたのは、『クウガ』に対する不満を『アギト』が払拭してくれるのではないかという期待感だったと言える。
 折しもクリスマス商戦も終わった大晦日、カブトムシ種怪人(ゴ・ガドル・バ)を倒したのは、ノーデータの“黒の金のクウガ”アメイジングマイティフォームだった。
 残るはラスボスたるン・ダグバ・ゼバ(0号)とバラのタトゥの女(ラ・バルバ・デ)だけなのに、まだアルティメットを出さないスタッフに、ファンの苛立ちは募るばかり。
 そして、そんな状態で年を越した『クウガ』は、アルティメットの出番を2分程度に押さえてダグバとの戦いをほとんど生身の殴り合いで済ませ、最終話であるEPISODE49『雄介』を全部エピローグにしてしまったことでかなりの数のトクサツファンから非難を浴びた。
 ある程度古いトクサツファンからは、総スカンを食らったと言ってもいい。
 そのため、『アギト』には、“主題歌をバックにしたかっこいい戦闘シーン”“技の名前を連呼するヒーロー物らしい戦い”などが期待されていた。
 そして、「アギトの必殺技はライダーキック」と発表されるに至り、期待はいや増す。
 『アギト』1話『戦士の覚醒』でのアギトのケレン味溢れる戦闘シーンには多くのファンが感動した。
 当時、赤城山掲示板には、「こういうのを待っていた!」的な意見が多く寄せられている。
 だが、同時にファンにとって無視できない不安要素が多かったのもまた事実なのだ。

 不安要素…その1つは、ばらまかれた多くの謎だった。
 前述のとおり、『アギト』にはいくつもの謎が渦巻いていた。
 そして、そのことがファンの胸に苦い記憶を蘇らせた。
 『クウガ』終盤での「謎は全て解き明かされるのか?」という不安に満ちた展開を思い出さずにいられなかった人が多かったのだ。
 更にスタッフ側の「謎を全て解明する気はない」との発言が余計に不安を煽ることとなった。

 また、『クウガ』では効果的に使われていたフォームチェンジが、『アギト』では何のために行われているのか分からない描写をされていたため、そういう方面からの不満も噴出し始める。
 結果、『クウガ』ファン対『アギト』ファンという対立図式が生まれてしまい、双方からの両作品比較による貶め合いがネット上で横行してしまった。
 そういった視点で見たために素直に『アギト』を楽しめない人が多く存在したことは否めない。
 『クウガ』という特色ある作品の後番組としての波をモロに被ってしまった結果と言えるだろう。
 『アギト』がラストに近付くにつれて、『クウガ』の悪夢を蘇らせた人は多く、それが不安をいや増す結果となったことは間違いない。
 『アギト』は、遂に『クウガ』との比較にさらされ続けたのだ。


6 『アギト』の刹那主義・断片的な描写

 上記のとおり、『アギト』には多くの謎があった。
 そして、登場人物達は何度かその謎に接近しながらも気付かないまま素通りを続ける。
 『アギト』という立体パズル的な構造になっており、その部分部分しか(スタッフにすら)見せないことから来ている。
 それらのピースは、意味のあるすれ違いから全く無意味なものまで数多く存在するが、後者の最たるものが翔一の本名だろう。
 番組開始当初、翔一の失われた記憶にはアギトに変身できるようになった理由やアンノウンと戦う理由が秘められていると思われており、25話『激突再び!』で翔一の記憶が戻ったとき、ファンの多くが「これで謎の大半が明かされる」と期待した。
 だが、翔一は27話『涼、死す…』で再び唐突に記憶を失ってしまい、結局分かったのは
  『津上翔一』が沢木の本名であること
  翔一があかつき号に乗っていたこと
  翔一の姉雪菜もまたアギトであり、その現実に耐えられず自殺したこと

だけだった。
 恐らくここで翔一の記憶を再び失わせた目的は
  翔一の本名が「沢木哲也」だと分かることによる以後の呼称の問題
  あかつき号事件(アギト誕生)の謎を引っ張る

という2点にあったのだろうと思われる。
 「呼称の問題」というのは、この段階で翔一の本名が「沢木哲也」だと分かると発生する“アギトに変身する通称:津上翔一(本名:沢木哲也)と、青年の使徒である通称:沢木哲也(本名:津上翔一)の呼び方をそれぞれどうするか”という問題だ。
 翔一(本名:哲也)は、元々本名不詳がウリだったのだからやむを得ない面がある。
 だが、沢木(本名:津上)が別の名前を名乗っていれば良かったのに、彼は初めて病院に闇の青年を訪ねていったとき、わざわざ雪菜の弟の名前を偽名に選んでしまったため、あらゆる媒体で「沢木哲也」と紹介されてしまったのだ。
 これを27話の段階でひっくり返すと、非常にややこしくなる。
 実際この文章を見ても相当鬱陶しいと思うが、これをOPテロップでやられた場合を想像してほしい。
 『仮面ライダーアギト:津上翔一(沢木哲也):賀集利樹』なんて書かれたら、混乱するだろう。
 また、感情移入などの問題でも、それまで「翔一君」と呼んでいた美杉教授や真魚、「津上さん」と呼んでいた氷川達が以後「哲也君」「沢木さん」と呼ぶのには、色々な意味で抵抗があるはずだ。
 もっと言ってしまえば、各種ムックの記載にも全部注意書きを付けなければならなくなるだろう。
 番組途中で主役級キャラクターの名前が変わると、そういった問題が起きるのだ。

 ところが驚いたことに、42話『あかつき号』で翔一が記憶を取り戻し、本名が分かった後も周囲は全員「津上翔一」の名で呼び続けている。
 あろうことか、記憶喪失以前の知り合いである倉本の店で知り合った岡村可奈にまで「津上さん」と呼ばれている始末だ。
 百歩譲って翔一が店で「哲也」と名前の方で呼ばれていたとして、アパートを保証人の関係で津上翔一名義で借りていたとすれば、可奈が翔一の名前を「津上哲也」だと勘違いしているということで納得はできないこともないが、やはり無理がある。
 まして、翔一が独立して作った店には「翔一スペシャル」という料理が存在するのだ。
 これは、上記の問題をクリアするために、無理矢理「津上翔一」という仮の名で統一してしまったのだろうが、かなりの力技と言わざるを得ない。
 終盤になってそんな力技を使うくらいなら、中盤以降ずっと本名:沢木哲也・通称:津上翔一で通しても構わなかったはずだ。
 となると、記憶を再び消した理由は、単にあかつき号ネタを引っ張りたかっただけということに結論づけられる。

 実際、『アギト』が一番面白かったのはあかつき号の謎が徐々に解き明かされていた時期の水のエルやアナザーアギト編だったという意見は多いし、謎による牽引力がストーリーへの興味を尽きさせなかったという点は評価できる。

 だが、そこまで盛り上げたあかつき号事件についてきちんと決着が付いたかと言えば、翔一がアギトになった理由が判明したものの、その辺の情報はG3ユニット側には全く行き渡らず、結果として闇の青年の存在は宙に浮いたものとなり、ついにはアンノウン全滅論まで飛び出す始末だ。
 制作者側としては“ここまで描けば後は分かってくれるだろう”との思い込みで説明を終わったつもりになっているのだろうが、最後まできちんと描写してくれなければ困る。
 『アギト』にはそういった断片化された描写が実に多い。
 きつい言い方をすれば、中途半端な描写だけで放り出して2度とそのネタに触れず、「後は自分で考えてくれ」と言わんばかりのやり方をするのだ。
 これでは、後先考えずにその場を引っ張っているだけの刹那主義というほかはない。

 真魚の父:風谷伸幸が殺されたときの状況についても、雪菜が暴走するアギトの力を持て余した結果だったらしいという結論に達したが、どのような実験を受けた雪菜が、どのように暴走して風谷教授を殺したのかという部分についてははっきり触れてはいない。
 外傷のない内蔵破壊という殺し方が、榊亜紀が念動力で機動隊員を殺したときの手口(20話『ある目覚め』)と同じことから、“風谷伸幸殺しも念動力者の仕業らしい”という北條の推論(30話『隠された力』)があっただけなのだ。
 45話『父と姉と…』では、北條が真魚に
  恐らく風谷氏はサイコキネシスで殺害された
  アギトになる前に人はとてつもない超能力を発揮する
  その力が風谷氏の命を奪ったのです

と説明している。
 だが、これは描写上はあくまで北條の推理であって、はっきりした裏付けはないにもかかわらず、制作者側としては“これが真相です”と言っているつもりらしく、この件について2度と触れられることはなくなった。
 要するに制作者側としては“説明完了”という扱いなのだ。

 ちなみに、雪菜がアギトになったのがいつの段階だったのかははっきりしていないが、風谷邸にあったビデオテープにアギト化しかけている雪菜が映っていたからには、雪菜はアギトになった後で教授を殺している可能性が高い。
 だが、アギトになってしまった後で念動力その他の超能力を発揮した者はほかにいない。
 雪菜同様テニスボールを裏返せたらしい木野も、アナザーアギトの戦闘能力として念動力を使ったことはなかった。
 画面に登場したアギトの特殊能力は、アンノウン感知と武器発生、バイクの変形だけでしかない。
 そして、アギトの能力は、あくまで物理的な破壊力が基本だ。
 3話『俺の変身』でカメ怪人銀(テストゥード・オケアヌス)に放った紋章なしキックは、オケアヌスを数メートル押しているし、14話『最強キック』でサソリ怪人(レイウルス・アクティア)を撃破したキックは、紋章を使わずスライダーモードで勢いを増したキックだった。
 また、アナザーアギトの紋章キック(アサルトキック)を食らった涼の胸には外傷(大きな痣)ができている。
 やはりアギトの攻撃で普通の人を外傷なしで殺すのは難しそうだから、雪菜は念動力で殺したのだろうか。
 それを説明してくれないと視聴者には分からないのだが、どうして回想シーンでそれを描いてくれないのだろうか。

 本来、物語の語られざる部分を想像で補っていく作業は、とても楽しいものだ。
 そこかしこに散りばめられた演出などから、キャラクターの心情や設定の隙間を埋めていくと、新しい発見があったりする。
 習慣鷹羽に『研究室』などというコーナーがあるのは、そういった作業を楽しみ、誰かと喜びを分かち合いたいからだ。
 だが、これはあくまで隙間を埋めるためのものでなければならない。
 ストーリーの流れを読み取るためだけに、情報のカケラを集めて組み立てていくような作業を強いられるのは、逆に苦痛にすらなる。
 『アギト』のスタッフは、そこに気付かなかったようだ。
 明確な答えを用意できないままに謎をばらまき続けた結果、隙間と呼ぶには大きすぎる穴だらけの物語になってしまったのに、作った当人はちっとも気付いていない。
 『アギト』終盤を迎えての非難囂々は、こういった制作姿勢にも起因している。


7 キャラクターの描写不足

 『アギト』には、実に個性豊かな登場人物が多く登場した。
 記憶喪失のくせにメチャメチャ明るい津上翔一、朴念仁で不器用な氷川誠、姉御肌で口の悪い小沢澄子、悪態人間北條透など、枚挙に暇がない。
 “個性豊かなキャラクター”が『アギト』の人気の理由の1つなのは間違いないだろう。
 実際、赤城山掲示板では、『週間小沢』、『週刊北條』、“尾室最終兵器説”など、特定のキャラに焦点を当てて番組を見るという楽しみ方が提示されている。
 だがそうした一方で、その描写が不十分なためにキャラクターに深みが出ないという問題も生じていた。
 ある程度描写した後、特に結論づけないまま放り出してしまうからなのだが、そのためキャラクターが何を考えているのか、どういう人物なのかが非常に分かりにくい。
 一例として、北條透を挙げれば分かりやすいだろう。
 あるときはG3ユニットに嫌味を言う男であり、G3装着員の座を狙う野心家であり、自信が打ち砕かれるなりG3を脱ぎ捨てて逃げ去る根性なしであり、自分の尊敬する上司の犯罪を暴く正義漢であり、あかつき号事件やアギトの存在を解き明かそうとする切れ者であり、氷川の体調異常に気付いてサポートするいい奴でもある。
 そういった部分部分だけがその都度強調されるため、まるで性格破綻者であるかのようだ。
 実際のところ、北條には、自分の能力を誇示したいという自己顕示欲の強さと、彼なりの強い正義感と、自らの身に危険が伴えば逃げ出す小心さが同居しているのだろうが、とにかく出てくるたびに印象が微妙に違う。
 氷川にしても、当初は真面目すぎるが故のギャグキャラだったのが、ディフォルメが過ぎて大ボケ野郎になってしまった。

 45話『父と姉と…』46話『戦士その絆』では、突然アギトの力を放り出す翔一、雪菜が父を殺したと知った途端に翔一に冷たく当たり、自分がアンノウンに狙われると翔一に「アギトとして戦って!」と呼び掛ける真魚など、深く掘り下げないから変に見えるという描写もあった。
 あのときの真魚の心理の推移としては、本来、“アギトの力が自分の意志と無関係に覚醒することに対する戸惑いを知ったことからアギトに対する理解を示す”という描写にならなければならないのに、木野との決着や北條の活躍などを詰め込みすぎて真魚の描写がおざなりにされたが故の失敗だ。
 『アギト』には、こういった勿体ない部分が非常に多い。

 人間ばかりでなく、アギトや怪人達の個性も希薄だ。
 都合6つの形態を持つアギトは、設定上はともかく画面上では各フォームの違いがほとんど描き分けられておらず、ストームやフレイムは武器の違い程度にしか感じられない。
 また、明らかにグランドより強いバーニングが出た後もしつこくグランドで戦うアギトなど、説得力に欠ける描写が多かった。


8 呼び名のない者達

 ヒーロー物として『アギト』を見た場合、他と一線を画する特徴が2つある。
 その1つは、敵側に呼び名がないことだ。
 これまでも特に組織だっていない敵が登場したことはあった。
 『仮面ライダーZO』のドラス達には集団としての名称はない。
 また、『真・仮面ライダー』では、「財団」という全体像の見えない敵が登場した。
 だが、それでも彼ら1人1人には固有名詞があったのだ。
 『アギト』の敵にはそれすらない。

 そもそも敵の親玉である闇の青年にしてからが正体不明だ。
 番組開始前から水のエルやパンテラス3体を生みだしているわけで、オーパーツから得られた遺伝子モデルからタンパク合成で生み出されたことの意味の説明がないのもさることながら、人間を作り出した造物主であり、死んだ沢木哲也(本名:津上翔一)を生き返らせ、自分の身体からエルなどの怪人達を生み出すことのできる正に「神」と呼ぶべき存在ということしか分からない。
 雪菜の手紙から得られた情報による限り、“力そのもの”であるらしいが、結局OPテロップには「青年」としか表示されていなかった。
 また、描かれずに終わったが、闇の青年についての各キャラクターの見解は、実は結構違っているのだ。
 はっきり言うと、光の青年と闇の青年の区別が付いているのは、沢木ただ1人だ。
 45話『奪われた力』で、翔一の「前に俺をアギトにした人とそっくりでしたけど」という言葉に、沢木が「そう、まったく同じものだ」と返してしまっているため、翔一は両者は同一人物として認識しているようだ。
 木野もまた、両者が同一の存在であると認識しているようで、44話『父と姉と…』で涼に「前に一度会ったことがある」と言っている。
 木野が闇の青年に出会ったのはこのときが初めてだったから、これは当然あかつき号での出来事を指している。
 つまり、翔一も木野も、闇の青年と光の青年の見分けがついていないのだ。
 涼は、8話『赤い炎の剣』で青年が急成長しているのを見ており、青年が人間外の何者かであることを知っているが、逆に光の青年の方を知らない。
 氷川は、10話『銀の点と線』で闇の青年を逮捕したことがあるわけで、人間だと認識しているだろう。
 その後、翔一達が氷川に青年のことを特に話していないならば、氷川が青年のことを人間だと思い続けていて、青年が残っているにもかかわらず「アンノウン全滅」の可能性を信じることに説得力が生まれるが、そうなると逆に人間に向けてGX-05を連射したことになり、筋が通らない。
 結局、氷川が青年を逮捕したことすら忘れている可能性まであるので、この点は不明というほかないのだ。
 いずれにせよ、光の青年と闇の青年が別人であることでさえ、認識しているのは、直接ビジョンを見た真魚と全部知っている沢木だけでしかない。

 更に、公式HPで「超越生命体」と呼ばれ、警視庁によって「アンノウン」と命名された怪人達は、驚くべきことに本編中は特段の呼び名がなく、主である闇の青年からは「人間がアンノウンと呼ぶ私の使者」などと呼ばれる始末だ。
 怪人達が本当に生物なのか、実体化したエネルギー生命体の類なのかも分からない。
 また、警察側は怪人1体1体には固有名詞を付けておらず、同時に何体現れようとも「アンノウン出現」で済ませてしまっている。
 氷川にしても、目の前で名前を呼ばれた「アギト」については認識したのに、各々姿の違う怪人は十把一絡げにして何とも思わないらしい。
 「アンノウン」は所詮「正体不明」でしかなく、「ショッカーの怪人」や「デルザー魔人」のような明確な呼び名を得られなかったが故に個性が希薄になってしまった。
 これは、アンノウンのほとんどが日本語を話さないどころか言葉と思しきものを発しなかったことにも起因している。
 怪人で「アギト」以外の日本語を話したのがクラゲ怪人(ヒドロゾア・イグニオ)と水・風・地のエルだけ、“言葉らしきもの”というレベルに下げてもカブトムシ怪人(スカラベウス・フォルティス)が加わるだけということもあって、怪人達の個性はひどく薄っぺらい。
 下手をすると知性のある存在かどうかすら怪しいほどなのだ。
 また、ラテン語を使うなど非常に凝った怪人達の名前は、OPクレジットと書籍類にしか出てこないため、普通にテレビを見ているだけの人は誰も覚えていないというとんでもない事態になってしまった。
 怪人の写真を見て即座にフルネームと殺し方を言えるようなら、その人はかなりとんでもないレベルの『アギト』通だと言えるだろう。
 しかも、そこまで凝っておきながら、番組終了後に東映の公式HPで発表された『ネーミング解題』を見ると、特に付け方が統一されているとかいうわけでもない。
 だったらどうしてラテン語による命名などという手間の掛かることをしたのか。
 2週に1回、1時間も掛けて名前の意味を調べていた鷹羽の努力がむなしくなってしまう話だ。
 一所懸命名前を考えた人は、あれで満足できたのだろうか。

 もっととんでもないことに、呼び名の欠如は、敵側だけでなくG3ユニット以外のヒーロー側にさえ付いて回っているのだ。
 「アギト」は、やがて人間が覚醒する“限りなく進化する存在”の総称であり、津上翔一(本名:沢木哲也)が変身する戦士を指す言葉ではない。
 こう言うと分かりにくいが、要するに「人間」や「ジャガー」同様、生物としての種そのものを指す言葉に過ぎない。
 だから、木野が変身した姿も本来「アギト」であって、公式HPなどで付けられた「アナザーアギト(そのほかのアギト)」は、雪菜でも翔一でもないアギトを指す言葉として、実に理に適っていると言えよう。

 これは、「アギト」を「新人類」という言葉に置き換えると分かりやすい。
 雪菜は“この世に出現した最初の新人類”であり、木野を称して青年が言った言葉は「知ってますよ、木野薫という第3の新人類が誕生しましたね」となる。
 同様に白河の言葉は、「新人類はアンノウン以上に危険な存在と言える」であり、それに対する小沢の反論は「新人類を否定するなら、人間にも未来はないわ」となるわけだ。
 これがどうして翔一の変身する姿の固有名詞であるかのように扱われるかというと、氷川の勘違いのせいなのだ。
 氷川は、目の前の謎の戦士の同類がいくらでも発生するとは思っていなかったから、パンテラスがつぶやいた「新人類…」という言葉を聞いて、それが固有名詞だと思い込んでしまい、以後戦士を「新人類」と呼ぶようになった…と言えば分かるだろうか。
 もし、パンテラスが彼らの言葉で「お前は…」とか言っていたなら、氷川は、戦士の名が「お前は」だと信じてしまっただろう。
 評論第1回のときに例に出した「カンガルー」のネタは冗談では済まなかったわけだ。
 まぁ、ともかく、「アギト」が固有名詞でないというだけの話なので、「新人類」が気に入らなければ「ミュータント」でも構わない。
 『仮面ライダーアギト』は、『仮面ライダーミュータント』に変えてもちっとも困らない番組だったわけだ。

 もっと可哀想なのがギルスだ。
 元々、涼がどうしてギルスになったのか、ギルスとは何なのかは、本来明かされねばならないはずなのに遂に明かされなかった謎だった。
 結局「ギルス」という名前は、番組中では8話『赤い炎の剣』で青年が言った「アギト…いや、ギルスか。珍しいな…」と1回口にしただけであり、それ以後は30話『隠された力』での「彼もまたアギトの一種なのだ」という沢木の一言で、アギトの同類もしくは亜種程度の扱いになってしまった。
 また、「アギト」の名は多くのキャラが口にするため、涼は自分もアギトだと思っていたフシがある。
 その上、アナザーアギトは翔一アギトともギルスとも似ていない上に、涼はそれ以外のアギトを見たことがないから、自分もアギトだと信じたとしても自然の成り行きだ。
 幸か不幸か青年が再びギルスの前に姿を見せたときには、涼の中には真島のアギトの力が宿っていたため、本当にアギトだったわけだが。

 ヒーロー本体からしてこれなのだから、その乗り物であるマシントルネイダー、ギルスレイダー、ダークホッパーなどの名前が本編で使われないのは、むしろ当然と言えよう。


9 何のために戦うか

 ヒーロー物としての『アギト』のもう1つの特徴、それは“人間を守るための戦いではない”という点だ。
 結局のところ、『アギト』で描かれた戦いは、“人間の中から人間ならざる者が発生するのを未然に防ごうとする者”“それを邪魔する者”の戦いだった。
 これは、言ってみれば“悪役不在の戦い”なのだ。

 ただし、それは42話『あかつき号』で光の青年と闇の青年の戦いの顛末が描かれて初めて分かったことであり、もちろん沢木(本名津上翔一)以外の人間側キャラはそれまで誰も知らなかったことだ。
 番組初期から氷川が提示していた
  アンノウンは超能力者を狙う
という仮説は、小沢の
  アギトになる人は、その前兆として超能力に目覚める
という仮説を経て、北條の入手した情報により
  アンノウンは、アギトに覚醒する人間を狙う
という結論に落ち着いた。
 これが警察内部での最終的見解と言える。
 この考えに従えば、“アンノウンは普通の人間には危害を加えない存在である”という結論が導かれる。
 事実、標的以外の人間で襲われたのは、警官(邪魔をする奴)を除けば、触覚を切られておかしくなったハチ怪人メス(アピス・メリトゥス)の被害者と三雲咲子だけだ。
 つまり、アンノウンは“アギト以外には無害”なのであり、人間の敵にはならないのだ。
 
 終盤は、警視庁がこの考えに従って
  アギトは普通の人間にとって脅威となる
        ↓
  アンノウンはアギトになる人間を見分けて殺す
        ↓
  アンノウンを保護し、アギトの芽を摘もう
という方針を打ち出すことになったわけだ。
 対して氷川は、“アギトが危険な存在のはずがない”という認識からアギトを擁護している。
 翔一というアギトによって救われてきた氷川の認識では、アギトはちょっと特殊な力を持った人間に過ぎないはずだ。
 アギトが全て敵とは思えないから、アギトになる者を殺そうとするアンノウンはやはり許せないのだろう。
 ましてやアンノウンを守るためにアギトを攻撃するなど言語道断な話だ。

 一方、涼は、アンノウンがアギトになる人間を狙うということだけしか知らない。
 だが、自分の存在意義を模索していた涼にとって、アギトになるべき者を襲うアンノウンを倒すということは、善悪を超えて意味のあることだった。

 翔一も、真魚が雪菜の手紙から過去の戦いの映像を見ているとき一緒にいたから、それなりの事情は知っていると見ていいだろう。
 もっとも、翔一は可奈がアギトに覚醒し始めているのを見て驚いているから、実感はあまりなかったはずだが。
 元々翔一の戦いは、誰かの居場所を守るためだった。
 それはある時は自分の存在意義という意味であり、殺されそうな人の生きる権利であったりしたが、自殺しようとした可奈に被って見えた雪菜との対話を通して「アギトになったって、人は人として生きていけるんだ」という結論に達した。
 翔一は、自分が誰かのためにできることがあるから戦うのだ。
 翔一自身あまり意識していなかったようだが、46話『戦士その絆』では、アギトの力を捨てた後にもかかわらず誰とも知れない被害者を助けるためにハヤブサ怪人(ウォルクリス・ファルコ)を追っている。
 結局、翔一は一時的に落ち込むことはあるにせよ、アギトの力を料理や野菜作り同様、自分の特技の1つ程度に認識していたのだろう。

 翔一と対照的に、力に溺れてしまった男もいた。
 アナザーアギト:木野薫だ。
 木野は、冬山で遭難した際、弟雅人を救えなかったトラウマから、“救うべき人を全て救える力”を求めた。
 ある意味強迫観念の域に達していたと言っていい。
 木野が求めるのは、“自分の手で救うこと”だから、ほかに救える力を持つ者の存在を許せなかった。
 だが、エクシードギルスに破れ、涼の口から「アンタの意志は俺が継ぐ」と言われたことで少し落ち着いたらしい。
 木野は、重傷の身で翔一を救う手術を行うことで、“自分自身がギリギリの状態で、救うべき相手を救う”というトラウマを打ち破り、満足した死を迎えた。

 同様に、大切な相手を救えなかったというトラウマを乗り越えたのが沢木哲也(本名:津上翔一)だ。
 沢木は、雪菜の自殺を止められなかった。
 雪菜の絶望の深さを知り、そこから救うことを諦めてしまった悔いが、沢木を後追い自殺に走らせた。
 恐らく闇の青年は、アギトになることの絶望を肌で感じた沢木を、人間側から精神的にアギトを追い詰める者として選んだのだと思う。
 だが沢木は、与えられた新たなる命を“アギトを救う者”として使うことにした。
 沢木にとって、アギトを救うことが、雪菜を見殺しにせざるを得なかった罪滅ぼしなのだ。
 そして、そうやって自分の悔いを晴らすことが、“自分を救うこと”でもあった。
 だから、自分と同じように可奈を掴んだ手を離しかけた翔一に
  離すな! お前の手は人を守るための手だ!
と言ったのだ。
 可奈に向かって言った
  所詮人は自分で自分を救わねばならない
は、自分の心を救えるのは自分だけだという自覚から成り立っている言葉だ。
 こうして可奈を救ったことで、沢木は雪菜を救えなかった自分を許すことができ、また、アギトになった人間も絶望するばかりではないこと、本人さえ心を強く持てれば人間として生きられることを確信して、静かに息を引き取ったのだ。
 最後に「人間がアギトを受け入れるかどうか見届けよう」と言う闇の青年に向かって言った「きっと俺が…勝つさ」という言葉は、人間の心の強さを確信してのものなのだ。

 だから、『アギト』での戦いというのは、悪と善との戦いではなく、自分が自分らしく生きるための戦いであり、自分の存在意義を見出すための戦いだったのだ。


10 演出優先のストーリーテリングによる失敗

 上述のとおり、『アギト』での敵側である闇の青年とその使者達は、“人はただ人であればいい”という信念をもってその意に添わない者を殺していた。
 闇の青年は造物主であり、自分が作ろうとしたものが違う存在になっていくことを嫌う権利はあるだろう。
 しかも、その大元になったのは、光の青年が人間に手を加えてアギト化する因子を組み込んだことにある。
 光の青年と闇の青年が元々何を争っていたのかが分からないだけに、光の青年のやったことは、負けた腹いせにしか見えない。
 これが造物主2人で“人間に更なる進化の可能性を与えるかどうか”という点で対立していたとかいうならともかく、語られていた限りでは、人間を作ったのは闇の青年だけだ。
 光の青年が、他人の作った生物に文句をつけるのは筋違いだろう。
 となると、造物主としては、他人に手を加えられておかしくなりそうな奴を間引いているだけの話でしかなく、確かに間引かれる連中にしてみればいい迷惑だが、結局のところ悪いのは光の青年なのだ。
 敵は悪い奴ではない。
 これが『アギト』が抱える設定上の問題点なのだ。
 翔一達に許されるのは、「アギトにだって生きる権利はあるんだ!」或いは「アギトだって人間だ!」と文句を言うことだけだ。
 何しろ、闇の青年はわざわざ翔一達を殺さずに済むよう、アギトの力だけを分離して吸収するという親切ぶりを発揮したくらいだ。
 結局翔一達を殺さねばならないという結論には達したが、1度は救おうとしたのは確かなのだ。

 ここで1つ問題が生じる。
 確かに46話『戦士その絆』までは、そういう流れで話が進んでいた。
 だが闇の青年は、翔一に殴られたことにより、人間そのものを滅ぼそうと方針転換している。
 続く47話『天空の怪!』48話『星の支配者』では、普通の人間にはドッペルゲンガーを見せて自殺させている。
 唐突に移動した蠍座がどういう意味だったかは分からないが、この時点で、闇の青年は、自らが浮いている聖地を風のエルに守らせているだけで、アギト化しそうな人間は放っておいている。

 そして、このことは人間側の対応についても重大な影響を与える。
 警視庁上層部では、アンノウンがアギト予備軍を狙う存在であると確信して、亜人類であるアギトにどう向き合うかということを問題にしている。
 これは前述のとおり、『アギト』の抱える矛盾であり、結果論から言えば、やはり北條が言うとおり『アギトが守ってきたのは同じアギトでしかない』わけで、だからこそアンノウン保護などという決定がなされたわけだ。

 ところが49話『絶滅の足音』では、青年はなぜか地のエルにアギト化しそうな人間を始末するよう命じている。
 今更アギトが増えたところで、人類抹殺計画に支障を来すとは思えないのに、どうしてアギトの芽を摘む必要があるのか。
 それは、相変わらずアンノウンが存在し、アギト予備軍を不可能犯罪で殺していることを見せるという演出上の要請だった。
 蠍座の人間が無茶な自殺を始めたのは、“アンノウンによる不可能殺人ではない”ということの目撃者を作るためであり、これらが一体となって、G3ユニットがアンノウンを保護するためアギトに銃を向けるという異常事態に説得力を持たせた。
 つまり、地のエルが表立ってアギト予備軍を殺しているため、警察側は闇の青年が水面下で普通の人間をも殺していることに気付かないという構成になっている。
 こう言っては何だが、リサの存在は、「涼はまた不幸になるぞ」という冗長な前振りに過ぎない。
 「蠍座」という単語に拘ったのは、バイクにまで蠍座の絵を描いているリサを出すことで、“リサはもうすぐ死ぬ”ということを視聴者に強く印象づけること以外の理由が見付からない。
 青年が何をしたいのかがさっぱり分からなかったのは、こういう演出上の要請だけでストーリーが進んでいたからだろう。

 ストーリー的に収束させるなら、この後“アンノウン’(闇の青年)は普通の人間も殺す”という事実を突きつけられることで、警察側の見解が変わり、アギトやアンノウンへの関わり方を変えていくという展開になるべきだった。
 そうなれば、晴れて闇の青年は“人間の敵”として最終目標になりえたのだ。
 だが、何を思ったのか、脚本はここで迷走を始める。
 唐突にテーマが「アギトは人間と共存できるはずだ」という方向にシフトしてしまったのだ。
 50話『今、戦う時』では、アギトになりかけている可奈と既にアギトである翔一のやりとりを中心に話が進む。
 そして最終話『AGITΩ』では、闇の青年は「人類は全て自らの手で命を絶つことになるでしょう」と言った舌の根も乾かないうちに「人間はいずれアギトを滅ぼします」などと人間抹殺などすっかり忘れたかのようなセリフを吐いている。
 ついさっきまで人間を全て滅ぼすと言っていたのに、どうしてそれをやめたのか。
 闇の青年は、人間が自分の予想を超えた力を持っていることに驚き、失敗作だったと感じたからこそ「私はもうあなた達を愛することができない」と言って人間を滅ぼそうとしたはずだ。
 ならば、人間がアギトを受け入れるかどうか見届ける云々以前に、人間を滅ぼすのをやめる理由が必要なのだ。
 もはや滅ぼすべき対象はアギトではなく、人類全体だったのだから。

 闇の青年が人類滅亡もアギト抹殺も諦めた理由がさっぱり分からないのは、前段階がすっぽり抜けているせいなのだ。
 こうして『アギト』のストーリーは破綻した。


11 アテにならない設定の公式発表

 なんだかすごいことになってきたところに追い打ちを掛けるようだが、『アギト』にはもう1つとんでもない特徴がある。
 それは“雑誌等の公共媒体で発表された設定であっても信用ならない”ということだ。
 小学館の『仮面ライダーアギト超全集』に載っていた“涼の誕生日は7月”とか、“あかつき号の乗客乗員は全部で9名”などという大嘘は言うに及ばず、なんとテレビ朝日の公式HPでも、G3の解説に“クウガを基に対グロンギ用に開発していた特種強化装甲服”などと書いている。
 東映の公式HPには、“クウガとは関係ない世界”だという意味の白河Pの文章が載っているにもかかわらず、だ。
 これは、途中で激しく設定の変更が行われたことを窺わせる。
 28話『あの夏の日』では、小林靖子脚本による“いきなりストームになってジャンプするアギト”やギルスレイダーの自走シーンが評判を呼んだが、もしかしたら古い設定しか知らなかった小林氏による誤った解釈によるものだった可能性すらある。
 バーニング登場前、翔一がグランド以外の姿に直接変身したのはあの回だけだ。
 つまり、メイン脚本である井上敏樹の頭には、RX同様、基本形態以外の姿にいきなりなることはできないという設定があったかもしれないのだ。
 もちろんその保証はないし、放送された内容が第一だし、燃える展開だったことも事実だから、あれで納得すべきだろう。
 いずれにしても、制作スタッフですら全貌を理解している人間がほとんどいないというのは問題だろう。
 描写の希薄さやチグハグさもそこに起因しているものが多い。
 『アギト』の場合、1年を通してのビジョンがはっきりしないまま勢いでここまで来てしまったのではないかという感が強い。

 ただ、どうしてそうなったのかという経緯を考えると、一概に責めるわけにもいかないのかもしれない。
 劇場版『PROJECT G4』や特番の存在だ。
 劇場版では、涼がギルスに変身した後の後遺症が残っている。
 これは、涼が復活した後に後遺症がなくなったことと矛盾しているが、その設定を作る前に脚本を書いたのだと考えれば納得いく。
 つまり、涼が生き返る32話『ギルス復活』よりも前に劇場版の脚本が作られている可能性が高いということだ。
 この劇場版は9月下旬公開だったため、8月放送分とほぼ同時期に撮影されていたと思われる。
 つまり、翔一の突然の記憶再喪失(27話『涼、死す…』8/5放送)という妙な展開や、涼の生前の話(28話『あの夏の日』8/12放送)、時効間近の泥棒の話(29話『数字の謎』8/19放送)などどうでもいい話(本編に影響しない話)が挿入されたのは、劇場版の上映期間が終わるまで本編が進展しないようにとの配慮ではないかと思うのだ。
 また、特番の方でも、北條がアギトの正体を知って翔一を捕らえようとするなど、本編と関わりのない番外編になってしまっており、ここからも、本編に影響を与えないような配慮がなされているように感じられる。
 しかもこの間、同時進行する撮影のため一部の役者が使えず、本編の方で普段なら登場するべきキャラが不自然に姿を見せない回が多い。
 この辺の事情が、あかつき号の謎解きを遅らせる結果になったのではないかとも思える。
 もちろん、それを言い訳に「だから仕方がないんだ」と言うようなら、プロ失格と言われるだろうが。

 そしてもう1つ、この劇場版は、大きな置き土産を残していった。


12 揺らぐ仮面ライダーの定義

 前作『クウガ』の評論の際に、仮面ライダーの定義について考えたことがある。
 詳しくは評論第2回『寡黙な戦士、クウガ』を見てもらうとして、鷹羽がかろうじて見付けた仮面ライダーの定義は
   そこそこ大きい丸い目が2つあり、口に相当する部分がある
   触覚らしきものが1〜2本生えている
   腹の部分に、思わせぶりな丸い飾りが1〜2個付いている
   普通の人間の身体ではなく、人間の姿から戦闘スタイルに変身する
   バイクを持っている
   『仮面ライダー』というタイトルの作品に登場する

だった。
 同時に3人のライダーが登場することをウリにした『アギト』では、この最低限と思われた仮面ライダーの定義すら大きく揺らいだ。
 言うまでもなくG3が原因だ。
 アギトやギルス、アナザーアギトについては、一応新人類なので、普通の人間ではないと認めれば全ての条件を満たすことができる。
 “普通の人間の身体ではなく”というのは、それ故に変身でき、しかも普通の人間には戻れないという前提条件が言外にあったからだ。
 だが、G3は強化服であり、普通の人間である氷川が装着するものだ。
 しかも、G3は氷川、北條、尾室という3人の人間がなっており、しかも氷川と北條は全く同じものを調整して使っている。
 全く同じ姿が同時に2人存在することはなかったが、少なくとも複数の人間が同じライダーになれるというこれまで存在しない形のライダーだ。
 また、その強化後のG3-Xにしても、翔一や北條が装着している。
 これによって、ライダーの定義は
   普段は人間の姿でいるが、自分の意志で戦闘スタイルになって戦う
と変更せざるを得ない。
 そこに追い打ちを掛けるのがG4だ。
 なんと、変身前変身後を問わずバイクに乗らないし、持っているという描写すらない。
 しかも装着した人間が何人いたかすら定かでないのだ。
 これにより、『仮面ライダー』という言葉はそのアイデンティティを失った。
 これを踏まえて、新たな共通項を挙げてみると
   そこそこ大きい丸い目が2つあり、口に相当する部分がある
   触覚らしきものが1〜2本生えている
   腹の部分に思わせぶりな飾りが付いている
   普段は人間の姿でいるが、自分の意志で戦闘スタイルになって戦う
   『仮面ライダー』というタイトルの作品に登場する

となる。
 もはやタイトルの条件を外したら、変身忍者嵐だって仮面ライダーだ。

 長く続いたシリーズは変貌するものだが、ここまでくると言葉もない。
 龍騎が仮面ライダーなのがよく分かる気がしてきた。


13 では『アギト』はつまらなかったか

 色々文句を並べてきたが、『アギト』がつまらなかったかと言えばそんなことはない。
 少なくとも視聴率的には前作『クウガ』を凌いでいたようだし、文句を言いながら見ている人も多かったし、部分部分としては高い評価を下されてもいる。
 それは何故か。

 評論第2回で書いたとおり、アギトは週刊連載の格闘漫画と非常によく似た作りをしている。
 毎週のように興味を残しつつ引き、翌週また見てもらうことを狙うという作り方だ。
 例えば、往年の人気漫画『キン肉マン』(作:ゆでたまご)は、矛盾に満ちた展開を続けて揚げ足を取られていたが、それでも人気は高かった。
 ひどいときになると、3週間くらい前に自分で言っていたことを自分で否定したりもするが、その時その時のパワーと勢いで強引に持っていってしまう。
 良いか悪いかは別として、『次週への興味』という点において『アギト』のパワーは凄まじかった。
 結局のところ、視聴率の大部分を占めている“トクサツに特に興味のない人達”にとって『アギト』が抱えている謎の細かい部分など覚えていられるものではなく、その場のノリと勢いが全てだったのだろう。
 一般的な1クール物のトレンディドラマでも、構成上の矛盾や忘れられる伏線など掃いて捨てるほどあるわけで、そういうのに特に文句を言わない人達の方が世の中には多いのだ。
 以前、鷹羽が日曜日に出勤した際、8時前から来ていた先輩(子持ち)が『アギト』を見ているところに出くわしたことがある。
 その人は、鷹羽達に
  うちの子供が毎週これ見てんだけどさ、昔のと違って単純じゃないんだよな
  なんか難しくてさ、俺もよく分かんねえんだ

と言いながら楽しそうに見ていた。
 世間の大部分というのは、そういう目で『アギト』を見ていたのではないだろうか。
 『アギト』をテレビで1回見ただけで全ての情報を吸収しきれる人など、そう滅多にいるものではないだろう。
 トクサツファンは、ビデオで更に数回見たり、HPなどで色々調べることで細かいことまで知っているだけだ。
 しかも膨大に垂れ流される情報を全て把握し、覚えていられる人など神の領域に達する。
 朝食を食べながら何となくテレビを見ているお父さんや、子供と一緒に見ているお母さん、役者目当てに見ている女性ファンなどが、それらを網羅しているとは到底思えない。
 先にも書いたが、あの早いOPテロップで怪人の名前を読み取ろうとするだけでそれなりの努力を要するのだ。
 つまらないわけではないし、見ていてそれなりに面白いから取り敢えず毎週見ている…そういう人が多いのだろう。
 そもそも『アギト』は、場面場面では燃える展開やミステリアスな描写、心に残るセリフが展開される。
 全部繋げれば無茶苦茶になるが、一場面ごとなら十分にアピールする内容だ。
 実際、謎解きに重きを置かずに“単純でない活劇”というあまり類を見ない分野の作品として見るのなら、『アギト』は面白い作品だったと言える。
 だが、一方で、純粋な活劇の方に重きを置く子供達(本来の視聴者層)では、ドラマ部分で背を向けてしまうパターンも多かったようだ。
 この場合、下手をするといつの間にかお父さんお母さんの方が主体になって見ているということすら起きる。
 適度にチャチでなく、後に引かない娯楽番組…『アギト』を支えた視聴者層は、実はそういった普通の大人達だったのではないだろうか。


14 アギトの種を持つ者

 さて、アギトの種を持っているのはどういう人間かということについて、本編では特に触れられていない。
 これについては諸説あるが、主に
  1 全人類がアギトの種を保有している
  2 人類の一部がアギトの種を保有している
  3 アギトの種は保有者の死によって肉親に受け継がれる

の3つが中心のようだ。
 最初に光の青年に種を与えられたのが全ての人間なら全人類が持っているだろうし、最初に与えられたのが一部の人間ならその子孫にしか受け継がれないはずだから、その点はどちらとも言い切れないわけだ。
 そして、もしアギトの種が生まれつきのものではなく、保有者の死によってその子もしくは血縁者に受け継がれるとしたら、最初にばらまかれた限られた数の種が代々受け継がれてきたということになる。
 葦原涼がギルスに変身できるようになったのは、父和雄の死によってアギトの種を受け継いだからではないかというのが3説の根拠のようだ。
 また、氷川が水のエルに言われた「アギトになるべき人間でもない」の解釈によっては、1説になるか2説になるか別れることになる。
 このアギトの種がどういったものであるかということは、『アギト』世界の根幹をなす大前提のはずなのに、どういうわけかはっきりした答えが用意されていない。
 これもまた大勢に影響なしとして切り捨てられた部分なのだろう。

 ちなみに鷹羽としては、“人間全てがアギトの種を持っているが、種が覚醒するまでには相当な潜伏期間が必要なため、死ぬまで覚醒しない人間の方が大多数”なのだと解釈している。
 どうしてか説明しよう。
 翔一(本名:哲也)を覚醒させた光は、光の青年が「あなたの中の私の力を覚醒させます」と言っていることから、新たにアギトの種を与えるものではなく、翔一の中に眠るアギトの力を覚醒させるためのものだったことが分かる。
 ということは、その余波を浴びただけでアギトの種を持たない人間が覚醒するはずはないが、水のエルはそこにいた全員に向かって「お前達もまた悪しき光を浴びた。あの男同様、やがて人ではなくなる」と言っている。
 あかつき号に乗っていた人間には、真島のように明らかに親が生きている人間もいるので、この時点でアギトの種が保有者の死によって受け継がれるという可能性はほぼなくなり、基本的にアギトの種は生まれつき持っているかいないかが決まるということになる。

 あかつき号事件の場合
  1 たまたまあそこにいた連中が全員アギトの種を持っていただけ
  2 人類は全てアギトの種を持っている
  3 水のエルは
「お前とお前とお前は…」と説明するのが面倒なので全員に言った
の3パターンが考えられる。
 3だったらちょっとマヌケだが、一応考えてみると、葦原和雄だけはアンノウンに殺されてはいないから、彼がアギトの種を持っていなかった可能性は捨てきれない。
 ただ、ギルスがアギトの種による変身だという保証がないので考慮する余地があるとは言え、息子の涼がアギトの同類らしきギルスになっているとなると、アギトの種を持っていた可能性の方が高いと思える。
 取り敢えず1について、ちょっと確率を見てみよう。
 あかつき号の関係者で、アンノウン側(闇の青年含む)に殺された、つまりアギトの種を持っていたのは、衰弱死した葦原和雄を除くとしても三浦智子、篠原佐恵子、榊亜紀、相良克彦、橘純、高島雅英、関谷真澄の7人で、木野薫、真島浩二、津上翔一(本名:沢木哲也)を含めれば10人になる。
 全人類の半分、つまり2人に1人がアギトの種をもっていたとすると、ランダムに集まった10人全員がアギトの種を宿している確率は2の11乗分の1、つまり2,048分の1ということになる。
 3人に1人ならば177,147分の1,4人に1人なら419万4,304分の1だ。
 パーセントに直すと、それぞれ0.049%、0.0006%、0.00002%という奇跡的な数字になってしまう。
 逆に人類の9割、つまり10人中9人がアギトの種を持っていると考えても、ようやく3分の1弱(31.38%)でしかないし、8割なら10分の1弱(8.59%)まで落ち込んでしまう。
 確かに10分の1なら確率的に十分あり得るレベルだが、結局アギトの種保有者率が非常に高いという結論にならざるを得ないわけで、アギトの種は全ての人間が持っているという蓋然性が高いのだ。
 ちなみに、上記3説の場合、確率2分の1なら11人中10人がアギトの種を持っているということになり、1,024分の1,つまり0.097%ということになり、確率9割なら34.9%となる。
 いずれにしても低い確率だ。

 制作者側がこんな確率計算をしていたかどうかは不明だし、もしかしたら単に何も考えていなかっただけかもしれないが、画面上から得られる情報に従えば、全人類もしくはそれに極めて近い数の人間がアギトの種を持っていると解しないと、あかつき号事件は起こり得ない。
 そこで、鷹羽は“全人類がアギトの種を保有している”という説を強く押しているのだ。

 ただ、誰もがアギトの種を持っていたとしても、やはり覚醒の早さには個体差があるはずで、それぞれの血筋によって覚醒の進み具合が違うのだろう。
 アンノウンが襲うのは、覚醒が進んでいる血筋なのだと思う。
 そうであれば、やはり同じ余波を受けても、すぐに覚醒する者、なかなか覚醒しない者など様々いるだろう。
 例えば、亜紀や相良は、沢木(本名:津上)に時間を進められて超能力が覚醒したが、それでもまだアギトにはなれないまま死んだ。
 一方、木野は時間を進められることなくいち早くテニスボールを裏返せるようになり、自力で(少々形が違うが)アギトになれた。
 木野がアギトに覚醒を始めたのは、相良が木野と連絡を取れなくなったころ(26話『蘇った記憶』)ではないかと思われる。
 また、可奈は念動力に目覚めた直後にアギト化したが、幼少の頃から予知能力に目覚め、時間を進められてより覚醒を深めたはずの真魚など、(涼を復活させるために無理をしたせいもあるが)最後の戦いの時点でもまだアギトになれずにいる。
 このことから“超能力が目覚める=すぐ覚醒”でないことは実証されている。
 これは結局、覚醒の可能性ばかりでなく、覚醒そのものの早さも人それぞれであることを意味している。
 だから、氷川が水のエルに言われた「アギトになるべき人間でもない」という言葉は“氷川は死ぬまでアギトとして覚醒しない”という意味だと考えられるわけだ。
 そして、その覚醒の可能性の高さは遺伝すると考えられる。
 そう考えれば、アンノウンが殺した相手の血族を狙うのは当然と言える。
 ということは、アギトから生まれた子供は、最初からアギトもしくはすぐにアギトになる可能性が高いのだろう。
 光の青年が言った
  いつか、遙か未来、人間達の中で私の力が覚醒する
  そのとき、人はお前のものではなくなるだろう

という言葉は、“いずれ人間は全部アギトになる”という意味だろう。
 とはいえ、それはまだ何百世代先の話になるか分からないほど未来のことだろうが。


15 『アギト』世界の未来

 『アギト』は、翔一の屈託ない笑顔で物語を締めた。
 だが、あの世界では、今後もアギトが覚醒し続けることになる。
 日本に限ったことではなく、世界中で、少しずつ生まれてくる。
 やがて、アギトの数が増えれば、人間との軋轢も生じるだろう。
 アギトは、特殊な能力を持っていることを除けばメンタリティなどは普通の人間と変わらない。
 むしろ、急激な変化に順応できず暴走する者の方が多いだろう。
 そんなとき、アギトの希望になれるのは、アギトでありながら普通の人間であり続けた翔一の存在だ。
 アギトの会を体現する悩めるアギトの集まる場所。
 そして普通の人間も同じように温かく迎えてくれる場所。
 そんな場所を翔一が作ったのなら、1年間の翔一の戦いは、意義深いものになったに違いない。
 最終回ラスト、レストラン「AGITO」で働く翔一の隣に可奈の姿があったなら、そんな希望を残せたのにと思う。


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