仮面ライダーカブトの頭突き 第五回
後藤夕貴
更新日:2006年7月23日

【前書き】

 第三回第四回後半の内容のせいで、閲覧者の皆さんに余計な誤解を与えてしまったようなので、今回は先にフォローを。

 念を押しておきますが、このページは、「仮面ライダーカブト」の“感想”ページではありません
 「仮面ライダーカブト」という番組の目立つポイント・話題を取り上げ、毎回それに的を絞って書いているコラムです。
 番組内に良い点があれば、勿論それを取り上げて行くつもりですが、逆に、今後の展開でさらなる粗や問題点等が目立つ場合も、当然取り上げていく事になります。
 筆者はカブトが好きですが、好きだからこそ、盲目になりたくないのです。
 この辺の感覚をご理解いただけない方も多いと思われますが、筆者はこういう考えでコラムをまとめているという事をご了承の上で、今後読み進めていただけると嬉しく思います。

 くれぐれも、「粗」を取り上げるテーマのコラムと、アンチ的コラムの区別がつかない方、 また、番組を褒め称える感想だけを読みたいという方は、このコラムではご満足いただけないと思いますので、このページを閉じ、しかるべき他のカブト感想サイトをご参照ください。

 てなわけで、懲りずに今回のお題。

●脚本家激突?! 米村正二対井上敏樹

 …と書いたけど、別に何かで争うというわけではない。
 よくあるでしょ、「●●対○○」というタイトルなのに、実際の内容は両者協力体勢って奴。
 あんな感じでとらえていただけると幸いかと。
 「また批判かよ」と構えず、どうか気楽にお付き合いを。

 前作「仮面ライダー響鬼」は、8月一杯放送分で旧体制スタッフの中枢が更迭となり、9月以降からはプロデューサーを白倉伸一郎氏、メイン脚本を井上敏樹氏に入れ替え、継続した。
 しかし、さすがにスタッフが変わったことで作風も大きく変化してしまい、これにより旧体制スタッフ版響鬼(←あえてこう表記させていただく)のファンだった人は大なり小なり違和感を覚え、中には痛烈な批判を唱える人達も居た。
 この大人事異動により、最終的に「仮面ライダー響鬼」という作品が面白くなったのか、つまらなくなったのかは、ここでは問わないし、安易に結論は出せないと思う(出したら出したで別な波紋を呼びそうだし)。

 それより問題だったのは、この件によって「平成ライダーの製作スタッフ」という部分にまでファンが注目するようになったことだ。

 否、正しくは、響鬼以前から脚本担当が変わるたびに、それなりの注目はあった。
 ただ、それはある程度のレベル以上のコアなファンのみの話。
 「一見さん」に近いレベルの…言い換えれば「響鬼で初めてライダーを見た」とか「脚本家なんか気にした事がない」というライトなファンは、そこまでコアな注目はしていなかった。
 でも、後期響鬼の変貌ぶりは、そういった人達にすら気にさせるほどのものがあったのだ。
 当時、筆者の妹(完全な一般人。息子に付き合って子供番組を見る程度。イケメン役者好き傾向あり)から、何の前振りもなく「ひょっとして響鬼って脚本家とか変わった?」と聞かれた事があった。
 やっぱり、普通に眺めててもなお「アレ?」と思わされる部分があったのだろう。

 その後、後期響鬼のメイン脚本・井上氏へのバッシングが炸裂しまくった。
 氏は響鬼の雰囲気を変えた戦犯扱いされたわけだが、とりあえずその件については、ここでは触れない。
 それまでも、井上氏の脚本に難色を示すファンの一部が、氏の登板に難色を示す事はあったが、この時ほど大きく叩くような事はなかったと思う。
 誠に不憫な状況だなと個人的に思うが、これによって、井上氏の存在がある程度ピックアップされた事は間違いないだろう。
 そしてこれは、同時に「井上氏が登板すると、その番組は破綻を来たす」という認識を生み、一部のファンの心理に刷り込まれた。……ような印象がある。

 つか、そもそも井上敏樹氏って、どんな人なんだろう?

 井上敏樹氏は現在46歳、「(昭和)仮面ライダー」等で活躍された伊上勝氏の実子で、主に特撮番組やアニメ作品の脚本を多く手がけている。
 1981年「Dr.スランプ」の24話がデビューで、以降「どきんちょネムリン」「うる星やつら」「未来警察ウラシマン 」「OKAWARI-BOY スターザンS」「ドラゴンボール」「シティハンター」「YAWARA!」「らんま1/2」「勇者特急マイトガイン 」「遊☆戯☆王」「電光超特急ヒカリアン」などをはじめとして、膨大な数の作品に関わり、脚本やシリーズ構成を手がけた。
 最近では「ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU」や「」「ウィッチブレイド」などにも関わっており、そのとてつもない生産力には本当に圧倒・脱帽させられる。
 しかし、ここを訪れる皆様には、やはり「平成仮面ライダー(アギト・555)」や「ギャラクシーエンジェルシリーズ」或いは「鉄甲機ミカヅキ」「鳥人戦隊ジェットマン」「超光戦士シャンゼリオン」を代表作として挙げた方が、馴染みが良いかもしれない。
 さらに、平成ライダー劇場版のほぼすべてを手がけている点も見逃せない。
 もちろん、ここで挙げていない担当タイトルも多数あり、経歴と功績に関しては、もはや何も言う事はない(とてもじゃないが言えない!)。

 製作スタイルとして、「ありがちなヒーロー像に対する疑問」や「キャラクターの内面描写とその強調(悪い・醜い部分も含め)」「様々な形の対立」を用いる傾向があり、あまりストレートなタイプのキャラクターをメインに据えないパターンを用いる。
 これらは氏がメイン或いは構成全体を手がけた時の場合で、ゲスト参加の場合は、結構そこまでの物語の設定やストーリーラインを尊重する。
 しかし、その結果は必ずしもファンに受け入れられているわけではなく、作品によっては「妙に浮いている話」「違和感のある話」を生むケースも多い。
 「ドラゴンボール」でも、氏が手がけた「原作にないエピソード」のいくつかは、当時からあまり良い評判を受けていないらしい(←又聞きなので、正確な事はわからないが)。
 加えて、物語の最後にけじめをつける必要性を強調するパターンも多く使用する事でも知られており、一部自滅や自業自得型も含まれるものの、悪い事をした奴にはそれなりの結末を与えるといった感じの展開を好む傾向もあるようだ。
 これを、「余計な悲劇性」「無駄なキャラ淘汰」と受け取るファンも多いようで、特に近年、氏に対するネガティブな考えを持つ人達からのバッシング対象とされている様子だ。
 だが一方、死そのものを描く場合、劇的で印象に残る名場面に仕上げてしまう事にも注目しない訳にはいかない。

 以前からそういう兆候はあったものの、近年特に「アクの強い内容」が目立ち始めて来た印象が強く、ファンの好き嫌いがはっきりと分かれるようになってきた感がある。
 また、その仕事内容から脚本内容と井上氏自身の人間性を繋げて考えられる事も多いようで、そういう部分からの叩き(主に人格否定)もしょっちゅう行われている。
 「仮面ライダー555」の草加雅人を指して、「井上の歪んだ人間性の象徴」などと書かれている一文を見た事があるが、さすがにこれには驚かされた。
 ってか、それ言い過ぎ。

 こうして述べていると、かなり可哀想な人という印象だが、ご本人はアンチに対して「こういうのもいいんじゃない?」的な豪快発言もされている。
 極心空手の修行経験を持ち、現在もトレーニングを欠かさないというパワフルな人物でもあるそうで、そう簡単にはくじけない頼もしい精神の持ち主のようだ(笑)。

 なお筆者個人は、氏に対して「業績と能力については高評価&尊敬の念を抱くが、さすがに作風には飽きを感じるようになった」という感想を抱いている。
 業績的にすごい人だとは思うのだが、決してすべての仕事を評価しているわけではない。
 ぶっちゃけていうと、テロップに名前を見ると、少々辟易するようになってしまっている。
 ただし、井上氏個人に対して、バッシングを唱える意図はまったくない。
 氏の作品は、物によってかなり難を感じる場合があり、実は「シャンゼリオン」や「アギト」「555」「後期響鬼」は、あまり良い評価をしていない。
 正確には、「氏の手がけたギャグ編」や「特定のスタッフと組んだ時の結果」に、納得できない場合が多いのだ。
 一方、忘れがたい作品・印象深い場面の多くに氏の存在が関わっている事があるので、なんだかんだで気に入ってる部分もあるのだと思う。
 結局のところ、筆者個人は好きな部分も嫌いな部分も半々で、決してアンチではない
 露出が多くなりすぎると、どうしても問題点が目立つ傾向があるので、適度な登板であれば、大変秀れた結果を残せる人物だと考えている。
 あくまで個人的に。

 次に、米村正二氏。

 「仮面ライダーカブト」のメインライターとして登板した米村正二氏は、42歳?の転身系脚本家。
 平成ライダーでは「仮面ライダー響鬼 第38〜39話」担当から名を知られるようになった、比較的新しい人材だ。
 「わんころべえ」「剣風伝奇ベルセルク」「ああっ女神さまっ 小っちゃいって事は便利だねっ」「モンスターファーム」「ポケットモンスター」「フィギュア17」等、また「ルパン三世」のスペシャル版のいくつかを担当し、他にも劇場作品として「それいけ! アンパンマン」「野獣の肖像」「ダブルス」「HINOKIO」などを広く手がけられている。
 最近では「ガラスの艦隊」が有名だが、こちらのサイト的には「Sh15uya」を挙げた方がいいだろうか。
 仮面ライダーカブト劇場版「GOD SPEED LOVE」もの脚本も執筆しており、これは初めての「井上脚本ではない平成ライダー映画」という事で、大きな注目を集めている。

 個人的に、あまり良く知らない脚本家なので多くは語れないが、響鬼やカブトを見る限りだと、井上氏の特性をどこかで意識しつつも、さりげなく独自の味を加えている印象を受ける。
 (以下は多分に私見が混じっているが)強く印象に残らないけれど、ストレートでわかりやすい言動や行動を描く傾向があるようで、たまに唸らされるキャラの動かし方を見せてくれる。
 響鬼では、イブキに対するザンキの怒り(叱咤?)という、これまでのイメージではとても描かれないような演出を加えてハッとさせ、音撃の効かない魔化魍・ヨブコに苦戦する響鬼を助ける明日夢という嬉しい場面を加えた上、初めてヒビキに名前で呼ばせるという感動のシーンを生み出してくれた。
 カブトでも、ワームが擬態した弟の存在に苦悩する加賀美と、それを冷静に見つめつつも自身の判断を促させる天道の好対比を描き、さらには、加賀美ザビー変身という、身もだえするほど燃える展開を行ってくれた。
 また、キャラクターの個性表現も秀逸で、全体構成的には今ひとつ個性を発揮していないキャラにも巧くスポットライトを当てるようにしてくれる。
 こうした「(井上氏脚本にはあまり見られない)素直でわかりやすく、共感を得られやすい内容」を提供してくれる事から、一部では「米村>井上」という認識が生まれているようで、特にアンチ井上派の人の受けは良い。

 しかし、反面「設定無視」「演出優先による(目に余る)ご都合主義的展開」を多用する傾向もあり、決して褒められない部分も持ち合わせている。
 また、「脚本引継ぎを巧くこなしているとは言い難い」という厳しい指摘もあり、まだまだ粗が目立つようだ。
 (もっとも、これらが本当に米村氏自身の抱えている問題点なのかどうかは、安易に判断出来ないわけなのだが…)
 
 さらに、妙に気取った台詞回しを多用する傾向もあり、「ガラスの艦隊」では、それにより会話内容の判断がつきにくくなったりするケースもあるらしい。
 とはいえ、これはあくまで他人から聞いた話なので、具体的にどんなものなのかは知らないのだが…
 なんかすごいらしいね、ガラスの艦隊って。
 尋ねる人みんなが、なぜか必ず顔を引きつらせるんだけど(笑)。

 筆者個人としては、今のところ、荒削りな部分も含めて米村氏の作風は気に入っている。
 これは、上で挙げた台詞回しも含めての意。
 巧く表現できないが、氏の作品からは「静かなる動」というか、「熱い感情を内に秘めた静」のようなものを感じる気がする。
 先の「イブキを殴りつけるザンキ」や、「響鬼を助ける明日夢」の例のように、静で留めていたものを、動に移した瞬間に爆発させるというか、そういう流れを自然に構築する技術に長けている気がするのだ。
 ただし、残念ながら筆者自身は平成ライダーでしか米村氏の仕事を知らない上、まだそんなに多く語れるほど知識が貯まっていないので、これらの感想を、誰かに共感してもらおうとは考えない。
 悪い言い方をしてしまえば、今後もずっとそういう魅力(と筆者が捉えているもの)が維持されるという保証はないのだから。

 さて。
 「仮面ライダーカブト」に関わるこの二大脚本家、一応米村氏をメインに、井上氏がサブという構成になっているようだ。
 その割には、6月末現在井上氏の担当比率が多い気がするが、この辺は製作事情も関わってくるだろうから、あまり深く追求するほどでもないだろう。
 
 で、ファンの反応はどうか…
 以下はあくまでネット上の意見に限られてしまうが、各所で様々な見解が渦巻いていて、とても一言でまとめられない。
 ただ、どうやら「井上邪魔、米村歓迎」という傾向も多々あるように見受けられる。
 これは、先で少し触れた「井上バッシング」の延長のようなものらしく、井上氏の脚本に難色を示す…ぶっちゃけると「アンチ井上」派の人達が、“井上氏ではない”新参の米村氏を持ち上げようとしている感じだ。

 言うまでもないが、すべてのファンがこう考えているということではない。
 ただ、カブト独自の傾向として、こういうパターンが表出しているというだけだ。

 筆者個人としても、一応、その気持ちはわからなくもない。
 井上氏はクウガのゲスト参加から、すべての平成ライダーに関わっているため、さすがにパターンを読まれている。
 そうなると、長年のファンには「井上センサー(笑)」なる感覚が芽生え、たとえオープニングテロップを見逃しても「あ、今回は井上か」と判断がつくようになる。
 すごい人になると、予告編を見ただけで、予備知識なしの状態にも関わらず「次は井上」と判断してしまうらしい。
 そりゃまあ、どんなに優秀な脚本家だろうと、これだけ長く同一シリーズでやっていれば、そりゃ引き出しの数も見定められるでしょ。
 しかし、アンチ井上派の人達からすれば、これは「仕方のないこと」ではない。
 「才能の枯渇」「引き出しの少なさの露見」「ワンパターン」と、ののしる材料になる。

 確かに、井上氏の脚本担当回には、とりとめのない話のものが多い。
 というか、正しくは「あまり厳密に詳細を決めないため、現場スタッフの思惑によって毒にも薬にもなってしまう」ようなのだ。

 あまり良い話ではないが、実は以前、「仮面ライダー響鬼」の脚本内容のいくつかが、ネット上に流出したことがあった。
 しかもそれは、前期脚本担当の大石氏&高寺プロデューサーの手によるものと、後期の井上氏によるものの両方だった。
 その記述内容の圧倒的な違いは、ファンの間にまた大きな話題を生んだのだが、これを見る限りだと、井上氏は「必要最低限の部分しか書かず、肉付けは現場に一任する」スタイルである事がよく解る(事実、氏の製作パターンはそういうものだという情報がある)。
 だから、無言の明日夢の心情変化までいちいち指示してあるような大石&高寺版脚本とは、密度が違い過ぎる。
 実際どちらが良かったのかはまた別問題なのでここでは引っ張らないが、こういう証拠をはっきり目にすると、いわゆる「井上パターン」とされる演出の一部或いはほとんどが、必ずしも井上氏を原因とするものとは限らないという現実が見えてくる。
 もちろん、脚本をチラ見しただけでは、断定は出来ないわけだが。
 脚本そのものはこのようなスタイルでも、実際の製作現場では、井上氏と担当者が連絡を取り合い、何かしらのアドバイスのやりとりをしている可能性もありうるからだ。
 聞く所によると、井上氏は「脚本は作劇のパーツの一部に過ぎない」という考えをお持ちだそうで、現場で改修される事は一向に構わないようだ。
 ただ、改修する場合は連絡をして欲しいという事らしいので、それなりに「文字に記されていない情報のやりとり」はあるようだ。
 だから、井上氏の話が仮に面白くないとしても、すべてが井上氏の責任とは限らないのと同時に、井上氏はまったく無関係という事でもないのだろう。
 少なくとも、キャラクターデザイン、ライダーの造形、メカや武器の使い方、戦闘方法、衣装デザイン、CG製作とその用途、役者のスケジュール管理のすべてを井上氏のせいにするというのは、あんまりだろう(笑)。

 だが不思議なことに、井上氏がそのようなスタイルであるにも関わらず、作品からは明らかな「井上臭」を感じる事がある。
 仮に「井上氏担当回の演出は、すべて現場スタッフによって考案&製作されている」と仮定した場合、作品が変わり、現場製作陣が変われば雰囲気もイメージも変化する筈だ。
 なのに、それでも井上臭を感じたり。
 これはどういう事なのだろう?
 それだけ、井上氏の脚本のアクが濃いということなのだろうか?

 これは、「仮面ライダー龍騎」の頃の、氏の担当回に対する“ある意見”を見ると、なんとなくわかる気がする。
 当時、龍騎内のギャグエピソード(具体的には29話)放送後、「井上はギャラクシーエンジェル(以下GA)と区別が付いてないんじゃないか?」という手厳しい意見をネット上で拝見した。
 要するに、この回の演出は妙にアニメ的で、奇妙な擬音やレギュラーの立ち回りが悪い意味で目立ちすぎたという事なのだが、この辺に「GA的雰囲気の延長」的なものを感じた人がいたのだろう。
 さすがに、脚本で「ここで“びよょょょ〜〜ん”と音が鳴る」とか記されていたわけではないだろうが(笑)、どこかで井上氏の「GAでも多用していた手法」の一部がにじみ出ていて、それが映像からも感じられたのだろう。

 このように、井上氏に「製作陣に関係なく染み出てくる独特のもの」があるとすれば、それが鼻に突く人は当然居るだろう。
 同時に、それがたまらなく好きだという人も居るはずだ。
 実際のところ、この「染み出たナニか」を受け入れられるか否かが、井上氏ファンとアンチを分ける要素なのではないだろうか。

注:なお、以降では「脚本には記されておらず、現場でアドリブ的に作成された場面・演出」または「プロデューサーの指示」である可能性のある部分にも抵触するが、これらの区別は一視聴者には難しいので、あえて「すべて両氏の意向で作り出されたもの、或いは両氏の作風として表面化しやすいもの」という仮定の下に、話を進めさせていただきたい。

 では、カブト内での「染み出てきたナニか」に、どんなものがあったかを、さらりと振り返ってみよう。
  • 風間大介のアルティメット♪メイクアップ
  • 風間大介のキャラ立ち具合と、ゴンとの関係描写
  • 非現実的な、神代剣の描写
  • 「怪盗シャドウ」を巡るドラマ
  • 天道の(そこまでの米村脚本時との)変貌ぶり
 だいたい、大きなものはこんなところではないだろうか。

 一応断っておくが、これらの中には基本設定的な部分も含まれており、必ずしも総てが井上氏の手によるものではないという事はわかっている。
 いわば「井上氏の手にかかってブーストアップした物」も含まれているということだ。
 
 井上氏の作風の一つに、「とてつもないキャラの立たせ方」というのがある。
 ピンと来ない人は、後期響鬼から登場した桐矢を思いだしていただくといい。

 化粧師(笑)風間のアルティメットメイクアップなどは凄まじいもので、メイクすると部屋の窓から閃光が溢れるという、「なんだそりゃ」的な過剰バカ演出を加えることで、風間大介というキャラは「たとえアルツっても忘れる事不可能」というほど強烈な個性を感じさせた。
 実は、アルティメットメイクアップとゴンを巡る描写を一通り外してしまうと、風間というキャラは「女ったらしでライダーとしても弱い」という、実はそんなに取り立てるほどでもないありがちな存在に過ぎない事がわかる。
 だが、先の二大要素と、そこから発展する様々なポイントのおかげで、風間はいくらかのウィークポイントがフォローされ、おいしい存在になれたのだ。
 個人的には、ゴンを巡るエピソード・描写にはあまり意味を感じられず、決して歓迎できるものではないのだが、こうして構成を熟考してみると、アレはアレで必要なものだったのかもしれない、と考え直させられる。

 神代剣も、ヘタすると先に登場している天道と被りそうな要素の塊なのに、実にうまく処理されている(これは米村氏にも言えるが)。
 完全無欠な天道に対し、「姉の悪夢に悩まされる」「見た目以上にじいやの存在に頼り切っている」という弱さ(本来ならマイナスにもなりかねないポイント)を含ませる事で、短期間でキャラ立ちを見事に成功させた。
 風間の登場回が増えたせいで、神代の登場回数が減ってしまったというペナルティがある事も考慮に入れると、これはすごいことだ。
 「なんでもありの超ワガママ野郎」でありながら、樹花の怪我の件で激怒した天道には素直に詫びを入れてしまうという、「なんだ、可愛い面もあるじゃん」という意外性も光っている。
 その上で、実は正体はスコルピオワームだというトンデモない設定があるのだから、それだけで神代は旨味の濃い存在になった。
 これで、「最後に襲った女性はどーしたの?」という疑問回答があれば…って、あ、そりゃ米村氏の担当分になってしまうのか?!

 しかし、天道の変貌ぶりと「怪盗シャドウ」はどうだったか。
 個人的には、スクラッチにやっきになる天道はものすごく好きなシーンなのだが、中にはあれを「天道のキャラをぶち壊した」と評する人も居るので、一応問題点として挙げておこう。
 また、ストーリー的に無理がある上、実はなくてもなんにも困らない「怪盗シャドウ」編は、かなりの違和感を発揮させている。
 今のご時世、しかも現代物に「怪盗〜」って、どんなセンスだよ、と風当たりは強い。
 事実、筆者もこれには強く同意する。
 犯罪者を狙うワームをおびき出すために、警察はおろかZECT上層部にも申告なしで独自活動を展開した田所班は、普通に考えたらただでは済まない筈だ。
 ああいうやり方でなければワームを誘い出せないと、田所達が判断せざるをえない事情があったのかもしれないが、実際のワームは路上ひったくり程度の犯罪者にも反応していたわけで、結局あそこまで大それた事をしでかす必要性はなかった事になる。
 名スリ師「コスプレの岬」とかテキトーに名乗って、「おっとごめんよっ“ドン”」とかやってても、ワームは出てきたかもしれない。
 ……やべ、それはちょっと観たいかも(笑)。

 ひょっとして、ガタックゼクターにボッコボコにされた田所と加賀美は、この件の報いを間接的に受けたという事なのだろうか?!(違)

 また、いくら岬が天道にボディガードを頼んでいたとしても、天道は組織下には属さないという拘りがある筈だし(作戦のために一時的に組織の傘下に入る事はあるが)、まして岬個人に力を貸したと解釈したとしても、その結果「ワームを捕らえるor倒す」という目的を遂行する経過で多大な損失を蒙る可能性もあったわけで、決して自然な展開ではない。
 天道のこの拘りは、一見するとあまり大した意味はなさそうだが、初期の頃はこの姿勢のために何度か窮地に陥っている訳で、決して適当に扱って良いポイントではない。
 もし天道が、ワーム確認の時点でザビー他シャドウ部隊と鉢合わせしてしまったらどうなっていたか、或いは警察に身柄を拘束されてしまったらどうなったか。
 まあ、実際はこの辺は杞憂に終わったわけだが、そのような有り余るデメリットを抱えた上で、天道が岬達の「犯罪行為(注:ワーム探索行為ではない)」に協力する理由が見当たらないわけだ。

 これらは「粗」というよりは「難」に属するものなのだが、いずれにせよ、良かれ悪かれ井上的演出方針の一端であるという感じだ。

 次に、米村氏について見てみよう。
 
 作風の印象については先に触れたが、米村氏は、一話一話にメリハリを付けようとする姿勢があり、ここが一番井上氏と異なっているところだ。
 確かに、平成ライダーのパターンの一つ「肝心なシーンで引き、次回ジャンクション部であっさり解決」をそのまま継承してしまっている部分などもあるが、現状井上氏以上に起承転結の区別が付きやすい。
 また、キャラクター一人ひとりのセリフに「おっ」と思わせる物を含ませるのも得意なようで、感情の微妙な起伏を漂わせる。
 これをやりすぎると、先のような「気取った台詞回し」という事になってしまうのかもしれない。
 また、メインライターであるためか、メインキャラの行動主旨の一貫性も、しっかりしている。
 というか、そう感じさせるのが巧い
 井上氏は、天道を「何故お前がここに居るんだ!」的な使い方をさせ、独特のお約束ギャグを確立させたが、米村氏がこれをやると、「天道…先読みしたな、さすがだ(ニヤリ)」と思わされる結果になる(ような気がする)。
 特に、21話での意識不明の加賀美を狙った擬態ワームを止めたシーンは、なるほどと思わせるものがある。
 米村氏が狙っていたかどうかは知らないが、あのシーンは、それより前の「小型望遠鏡を取ろうとしてワームに手を捕まれる加賀美」のシーンを応用させたもので、今度はワーム(しかし見た目は加賀美)が、天道という「より強い存在」に捕まれるという皮肉が利いている。
 「必殺仕掛人」第一話「仕掛けてし損じなし」にて、作事奉行・伴野河内守が被害者を斬り殺した時の太刀捌きをそっくりそのままコピーして、西村左内がそいつを斬り殺すシーンを連想させた。

 以上、かなり個人的感想も含まれている分析だが、ご容赦いただきたい。
 なにせ、氏の担当作をそんなに見ていないので。
 とにかく、上記で挙げた以外にも、氏の特徴的な作風は多々あり、好意的に受け止めている人も多いのだ。
 しつこい表記になってしまうが、井上氏の作風に飽きを感じ始めた人にとって、素晴らしい清涼剤となっている事は間違いないと思われる。

 が。
 当然ながら、米村氏にも強烈なアンチは居る。

 確かに、井上氏にはない部分を多く持っている個性派ではあるが、よくよく全体を見てみると、同時に良く似た物も多く持っているのだ。
 これが、アンチ井上派の癇に障る場合があるらしい。
 同時に、アンチ井上派とアンチ米村派は、共感する部分も多いようだ。
 一部、カブトの熱狂的なファンの中には、米村氏を崇拝し、井上氏を邪魔者とする傾向があるというが、実は米村氏自身、井上氏にある程度師事している事を匂わせる発言をしている。
 天道の性格は井上氏自身を参考にしたもので、キャラ作りの時点で、本人にそれを申告したというエピソードは一部で有名だ。
 その他、色々と井上氏の作風やスタイルに思う部分があるように見受けられ、参考にしているのではと思わせる要素もちらちらと見え隠れしている。

 が、そこがアンチ派の神経に触れるわけだ。
 第三回でも取り上げた「ZECTのワーム判別スコープ(俗称ゼクトカム)」を持ち出したのが、その一例とされている。
 詳しくは第三回の指摘を読んでいただきたいが、この超ご都合主義的&扱いが困難&物語に破綻を来たすアイテムを勢いで出してしまったため、「米村は、後先考えずにその場の勢い“だけ”を重視する脚本家」という印象を持たれてしまったようだ。
 他にも、天道がカブトエクステンダーをかっぱらってもお咎めがまったくないままだったり、「機械と話が出来る」というひよりの設定を放棄したり(※注)、せっかくあんなに盛り上げた加賀美ザビー変身をとっとと止めてしまったりと、とにかく数多い不満が述べられている。
 特に、加賀美がザビーを辞めた時のファンの落胆振りは凄いものがあった。
 この時落胆した人すべてが米村氏を見限ったとは言わないが、そうなった人も多かったのではなかろうか。
 この辺は個人的な感覚の問題だから、仕方のない事だとは思う。
 むしろ「カブトを除くライダーの中身はしょっちゅう変える予定だった」とする、白倉プロデューサーの方針の問題、というか影響のようにも受け取れるのだが…

※一応、今後出てくるかもしれないし、天道のベルトの唐突な修復の件などもあるので、最低限設定は引っ張られているのでは、という意見もある事も述べておきたい。

 長く出張り続けたため、ファンの確保と同時に飽きられ始めてもいる井上氏。
 新鮮さを売りに注目されているが、やや不安点も覗いている米村氏。
 「仮面ライダーカブト」という番組だけに限って両者を比較した場合、どちらにも、一長一短がある。
 今後、井上氏がさらに出張ってくる事はあるのか、また米村氏が(色々な意味で)劇的な展開を行っていくか…注目していきたい。

 ただ、米村氏の場合は、カブト劇場版の評判によって、その評価を大きく変化させる可能性を秘めている。
 これはプラスマイナス、どちらに働くかは、現状わからない。

 劇場版に期待する声も多い中、すでに判明している「テレビ版とはまったく違う(関連性の一切ない※1)ストーリー」「あまりにも常軌を逸した舞台設定(海が干上がった地球等)」「重力のある宇宙空間で、姿勢制御スラスター等もなしに格闘戦をおっぱじめるライダー達※2」という難点に、大きな疑問を抱いている人も居るのだ。
 実際に作品を見ない限り、これらが本当に問題点となりうるかどうかはわからないわけだから、今の時点ではどうとも言えない。

 出来ることなら、劇場版公開後、「米村もなかなかやるじゃん」と思わされるような流れになる事を祈りたい。
 もっとも、仮に劇場版に難のある箇所があっても、それがすべて米村氏のせいとは限らないわけだが。
 過去の劇場版で散々述べられた問題点の多くが、井上氏とはほとんど関係なかったように……

※1.一部では、ラスト部分が本編とリンクしているらしい、という噂もあるので、現状まだ断定はできないが…。

※2.7/23放送分の予告ムービーを見る限りだと、宇宙ステーション?の隔壁が開かれて宇宙空間に吸い出されてたみたいだから、これは仕方ないかなという気もするけど。

 と、ここまで書いた時点で、ネット上で大きな話題が発生した。

 雑誌掲載予告によるネタバレ(←一応警告ね)によると、近々再び井上氏が復帰し、なんとゴンが再登場する上、ドレイクこと風間大介が犯罪者扱いされたあげくに死んでしまうという超展開になるそうだ(死因そのものは現状不明)。
 もちろん、雑誌の記載範囲でのバレなので、これが本当に風間死亡・完全退場を意味するものなのかはわからない。
 しかしこれが、現状井上氏叩き再開の材料になってしまった感がある。
 せっかく、18話で綺麗に別れ、退場した二人をわざわざ引き戻した上、風間を殺してしまうのか、と。
 それはあまりにも、ぶち壊し過ぎだろうというのが、批判側に立つ人達の主な意見だ。
 もし、本当にそんな展開になってしまったら……間違いなく、賛否両論渦巻くことになるだろう。
 個人的には、これは視聴者のミスリードを狙った展開なのではないかと思っているが、仮にそうであったとしても、公式サイト上でクランクアップを告知していたゴンを再登場させる事については、フォローが効かない。
 18話ラストが、万人の納得する結末であったかどうかは微妙だが、だからといって、ゴン再登場にどれだけの人が納得するのかも、また微妙だ。
 言うまでもなく、これらは実際の映像を見てみないとなんとも言えない部分ではあるが、なんとなく、どう転んでも井上氏批判が益々増長しそうな雰囲気が……ううむ。

 八月中旬以降、これらのエピソードがどのような評価を得ているだろうか。

 ――え、ここまでの流れで、一番重要な人に触れ忘れているんじゃないかって?

 ごめんなさい、今回は意図的に避けました(笑)。
 「彼」については、もう少し先の展開を見据えた上で、あらためて触れたいと思うので。

 いや、ホントは、色々と余計な物議かもしそうなんで、出来れば触れたくないんだけど。
 

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