仮面ライダーカブトの頭突き 第三回
後藤夕貴
更新日:2006年6月5日
 おばあちゃんが言っていた。
 「設定」というのは、その作品に対して製作側が設けたルールである。
 一度提示されたのなら、それは最後まで守らなければならない、と。

 同時に、「設定」は、決して作品製作の上での枷ではない
 思いついたものを何でもぶち込んで良いものでもない。
 約束事として挙げられるものである以上、本来ならばじっくり検討されて然るべきものなのだ。

 もちろん、諸事情によってその約束を完遂出来なくなるケースも多々ありうる。
 また、ついうっかり失念してしまう事もあるだろう。
 だがそういう場合でも、約束は決して放棄してはならない。
 多少ご都合主義的な事になっても、出来るだけ本来の形に戻す必要性が求められる。
 時には、当初の目論見と違う形となっても、「そう悟られない」ように形を整える努力が必要とされる。
 たとえそれが「辻褄合わせ」だったとしても、最終的に約束が守られたような形になれば良い。
 「厳格な約束事」であると同時に「フレキシブルさ」も求められるもの。
 それが、本当の意味での「設定」なのだ。

 特殊な事情が絡んでしまったのだから、設定無視や露骨な変更は仕方ない、などというのは製作側の一方的な言い分であり、視聴者にはまったく関係がない。
 「約束」を約束と認知できなくなった時点で、その「設定」を取り扱っている筈の者は、作劇家として失格なのだ。
 責任を取れない人間に、果たしてどれほどのものが作れるというのだろうか?

 最近、表面化しない設定…いわゆる「裏設定」ばかりに凝って演出がおろそかになったり、また逆に、その場のノリを優先させすぎて設定を無視する作品が目立つ傾向があり、あまつさえそれが認知されようとしている感もある。

 だがそれは、とんでもないことだ。

 例えるなら「相手の都合に合わせて待ち合わせしていたにも関わらず、友達が“ゲームが盛り上がってなかなかセーブが出来なかった”と言いながら数時間も遅れて来たのに、それなら仕方ないと許してしまう」ようなもの。
 言うまでもないが、現実でこんな事をやられて怒らない人など、まずいないだろう。
 ノリを優先させるために設定を度外視するという事は、この例え同様「視聴者に対して自ら提示した約束を破る」事なのだ。
 結果的に面白ければいいじゃん、と軽く流せる問題ではない。
 無視せざるをえないような設定なら、最初から作らなければいいだけの話だし、ほんのちょっとの言い訳でフォローが利く場合だってある。
 作品によっては、逆に設定のしがらみを巧く使い分け、視聴者に意外性やインパクトを与える事に成功しているケースもある。
 「じゃあその具体例を挙げてみろ」と言う人は、是非とも特撮以外の映像作品を、新旧問わず沢山見て欲しい。

 要は、設定の調整とその把握、使い方、組み込み方のノウハウがないと、設定放棄・無視に発展しやすいという事だ。
 そしてこれは、最低の作劇法でもある。
 作り手は、作品の受け手を裏切ってはいけないのだ。

 逆に言えば、裏切らないようにする難しさのクリアが、製作側に求められる「義務」なのだ。

 これは決して、筆者が設定マニアだから言うのではない。
 マニア向け作品でなくても、これら「義務」を立派に果たしている作品はある。
 これらは、本来守られなければならない制作上の「暗黙の掟」なのだから。  

 …などと能書きをたれつつ、今回の御題。

●いいのか?! 目立ちすぎる設定矛盾

 最近、「仮面ライダーカブト」作品内の矛盾点が、だんだん無視できないものになってきた。
 これを書いている5月半ば現在、まだやっと2クール目前半程度しか放送されていないのにも関わらず、あまりにも目立ちすぎる。
 しかもそれは、いずれも「判り易過ぎる矛盾点」ばかりで、決して設定マニアや、重箱の隅突きが趣味のディープなファンまたはアンチ派ばかりが反応するポイントではない。
 さらに、この矛盾をあえて抱えることによって、物語がさらに面白く感じられるわけでもない。
 中には、物語の流れそのものに多大な影響が出かねないほどのものまであり、かなり始末に負えない。
 いったい、なぜこんなに、あからさまな矛盾を抱えてしまったのだろうか?

 カブトについては結構好意的に見ているつもりの筆者だけど、それでもフォローし切れない点がありすぎなんだもんなあ。

 本作の矛盾点は、設定に関するものだけではない。
 脚本上のミスだったり、練り込みが足りないために不自然な展開にしてしまったり、或いは前のエピソードとの整合性が取れていなかったりと、実に様々だ。
 この粗の目立ちっぷりは、シリーズ中でも有数だと思われる。

 2006年5月中旬の時点で、気になるものをいくつか挙げてみよう。

1.なぜ使わない? ZECTのワーム判別スコープ
 7話、擬態したワームを判別するため、加賀美は突然何の前置きもなく、ハンディカム型のスコープ(以下スコープと統一呼称)を取り出し、道行く人々を監視し始めた。
 スコープを覗くと、人間はサーモグラフを通しているかのように、赤色やオレンジの熱源反応の塊として映るのだが、ワームだけは青色に反応する。
 それでワームの擬態を見破った加賀美は、ターゲットの尾行を開始する。

 8話、結婚式場に潜入し、白い服を着た者を襲い続けるワームを探すため、加賀美は矢車の指揮の下、スコープを駆使して会場内の人間を片っ端からチェックしていった。

 このスコープ、随分便利なものである。
 ヘタをしたら、劇中もっとも便利な性能を持ったアイテムかもしれない。
 反面、取扱いが大変難しい物になる筈だ。

 本作では、人間に擬態して正体を隠すワームの存在追求が一つのキーになっているわけで、いわば正体を突き止めるまでの流れが、第一の山場として機能している。
 ところが、誰が見ても一目で判別がついてしまうスコープなんかが出てきてしまうと、せっかくの山場が台無しになりかねない。
 これがあることで、ヘタをしたら「天道のワーム見破り」「ZECTメンバーのワーム追跡・捜査」などが、ほとんどすべてカットできてしまう。
 すでに、スコープ登場前の回でも、「これがあればもっと有利な展開になったのに」と思わされるエピソードがいくつかある。
 ウメコ対草加(違)の回などはまさにそれで、もしこのスコープがあったら、ほぼ一本の話丸ごとショートカットできてしまったわけだ。
 加賀美の弟の話については、加賀美の心情からこれを使いたくなかったという見方も出来るので、まだいいかもしれないが、それにしても岬など別なキャラが使ったら一発露見だ。
 8話の白い服おっかけワームについては、たまたまターゲットを見つけられなかったという(一応の)言い訳があったからまだ良いが、このスコープは、存在だけで話の旨味・骨子をごっそり削り取る事が可能になる、恐るべき設定なのだ。

 ところが、こんなに重要なアイテムなのに、5月現在劇中では、なぜか加賀美しか使用していない。
 しかも、使用するにあたり田所など上司の許可を取る必要などもないようだし、常時携帯も可能っぽい。
 という事は、使用制限がまったくないという事になる。
 ましてこのスコープ、見た目はごく普通にありそうな形状なので、一般人に向けてもさほど怪しまれるようなものではない。
 それでは、このスコープの存在を生かしつつ、物語を巧く構成するには……と思ってその後の回を見ていくと、なんという事か、本編は「なぜか突然スコープを使わなくなる」というトンデモない選択肢を選んできた!

 15話、ワームが有名な外科医・若林に擬態したのではと疑いを抱き、加賀美と岬&風間が、それぞれで尾行を行う。
 はたして、外科医は確かに二人居た(つまりどっちかがワームの擬態)が、なんと仲良く屋台のおでん屋で一杯傾け始める。
 かと思うと、同じ頃、別な場所でワームが犠牲者を襲っていた。

 しかも次のエピソードでは、なんと医師が三人に増えてしまった。

 岬の調査により、彼に双子などの兄弟は居ない事が判明している。
 一方天道は、紆余曲折を経て病院に潜入し、本物の医師を特定。
 その医師は、ワームとの「契約」により、自分の姿を貸し与える事であえて延命させられている立場だった。

 この前後編、スコープを使っていれば、丸々一話分くらいエピソードを削れたのでは? という疑問がつきまとってしまう。
 医師が複数存在する謎についての追及はともかくとして、誰が本物かそうでないかがわかるだけでも、相当な場面を削る事ができる。
 天道が偽名を使ってZECTに入る必要もないし、尾行シーンもおおかた不要になる。
 このエピソードは、「変わった行動をとるワームも居る」事と、「影山に酷い目に遭わされた加賀美が、天道の機転?によってちょっとだけ溜飲を下げる(本当に下がったかはともかく)」というポイントを押さえた功績があるのだが、そのために余計なものを被せすぎた。…という事になってしまう。
 否、このエピソード自体には(奇妙な演出や必要な描写の欠如など、別な難点はあるものの)、実際にはそんなに大きな問題はないのだ
 ただ、以前出てきたスコープの利便性が祟り、おかしな評価をされかねないだけなのだ。

 このように、スコープは「他のエピソードの内容・評価にも影響を与えかねない」ほど大きな問題点となった。
 はっきり言って、これは絶対に出してはいけないアイテムだった。
 仮に出すとしても、1クール前後で出すようなものではない。
 終盤ならともかく、まだ世界観イメージが定着し切れていない状況で、こんなものを出してしまっては意味がない。
 そういう点を深く考えず、安易に画面に出してしまった演出は、大失敗だったと断言できる。
 恐らくこれからも、「あのスコープがあれば」と思わされるエピソードが多発するはずだ。
 しかし、このスコープに対する何かしらのフォローが出てくるとは到底思えないし、ましてどうやって納得のいく説明をつけるのか、という疑問すら抱いてしまう。
 仮に、巧いこじつけを付けられればいいのだが、それは相当難儀な尻拭いになる筈だ。
 「ZECTにたった一個しかないから多用できない」とか「画面に出てこないところで必要な手続きがあるのだ」とか脳内補完するのは簡単だろうが、そんな物で納得するのは土台無理だ。
 利便性の高いアイテムは、時として物語に大きな破綻を与える。
 それを踏まえていなかったという状況については、もはやフォローのしようがない。
 まして、わざわざスコープ一つのために、そんな場面を入れてまで物語をぶった切る必要性も感じられない。

 その他にも、このスコープのために致命的ともいえる問題が発生している場面が多々あるが、それについてはあえて割愛しよう。
 長くなりすぎるし。

2.影山は、カブトの正体を知っている筈なのに…
 9話、ついに仮面ライダーザビーに変身して活躍する場を得た加賀美は、つたないながらもそれなりの成果を上げ、さらにシャドウの隊長に任命され、調子付いていた。
 しかし、カブト討伐の指令に迷いを覚え、ついには、自らザビー資格者を辞退してしまう。
 ライダースティングを右肩に受けつつも、あえて反撃せずに立ち去る天道はかなりかっこ良く、また天道を守るために、シャドウの前に立ち塞がる加賀美ザビーの姿は、とても燃えさせられた

 ……のだが。
 まさかこの場面が、後々多くの問題点を作り出すきっかけになるとは、夢にも思わなかった。

 このシーンでは、シャドウのメンバーの目の前で、カブトとザビーが戦い、それぞれが変身を解いている。
 そして、影山をはじめとするシャドウのメンバーは、独自判断で天道を撃とうとする。
 つまり、彼等はこれ以上ないほどはっきりと、天道の姿を見ているのだ
 そして、カブトの正体もばっちり認知している。
 正しくは、天道は影山達に背を向ける形で立っていたので、顔そのものは直接見てはいない。
 だが、声ははっきり聞いているし、後ろ姿はこれ以上ないというくらい、じっくり見ているのだ。
 マシンガンブレードで撃とうとしたくらいなのだから、見ていないなどという言い訳はもう通用しない。
 まあ、カブト資格者のフルネームまでは知らなかっただろうけど、どちらにしろ、この場面で影山は、カブト資格者である天道についてかなり多くの情報を得ていた筈なのだ。

 ところが。
 驚くべきことに、14話では、影山はカブトの資格者が誰であり、どんな声・姿をしているのか知らない事にされてしまった。
 加賀美を尾行している最中、天道に後ろから羽交い絞めにされた影山は、頭を固定されたために振り返れなかった。
 天道自身は、自分の正体を知られたくなかったようで、顔を見られないようにと、拘束を解いた直後に姿を消している。
 影山は、声と行動から相手がカブトの資格者だと判断できていたようだが、それ以上の事はわからなかったようだ。
 ……随分記憶力がないようで…
 特に影山は、この一連のエピソードで一部のファンから「全然優秀な隊員じゃない」「どこがエリートだよ」と散々嘲笑されるハメに陥った。

 ちなみに、この二つのエピソードは、両方とも米村正二氏によるもの。
 つまり、脚本家が変わったために整合性統一が図られなかった、という言い訳が通用しないのだ。
 
 後に、15話でシャドウの隊長になった天道は、偽名を名乗っていたとはいえ、影山の前に堂々とその姿・声を晒しており、あまつさえ(矢車に正体を見抜かれるきっかけにもなった)「おばあちゃんが言っていた〜」という、いつもの口上までのたまわれている。
 この回は井上敏樹氏が脚本担当した回なので、多少の差異には目を瞑るにしても、これだけ影山を巡る設定がコロコロ変わると、視聴者は混乱する。  

 もう一つ、16話で影山が取った奇妙な作戦がある。
 ザビーに変身して、いきなり風間に襲い掛かりながら「隊長の命令だ」と言い放ち、彼に不信感を植え付けようとした。
 影山は、「邪魔者(隊長と風間)同士、潰しあうがいい」と呟いていたが、後に風間は天道に直接文句を言いに行く。
 それに対して天道は、なんと素直に詫びを入れてしまった。
 さらに、当事者の影山を引っ張ってきて無理矢理謝らせた上、罰として、加賀美の下でサルの皿洗いを命じてしまった。

 …が、この展開も、よく考えるとおかしい。
 影山が隊長=カブトである事を知らないでこの作戦を仕掛けたとすると、とても二人を潰し合わせるつもりがあったか疑わしくなるのだ。
 風間が人間体のまま天道に突っかかったなら、それは単なる人間同士の殴り合い程度にしか発展せず、仮にどちらかが殴られすぎて死んだとしても、「潰し“合い”」にはならない。
 また、そんな事まで期待する方がどうかしているだろう。
 風間にドレイク化させ、天道を襲わせるつもりだとしたら、益々おかしくなる。
 もしこれを前提としていたなら、影山は「風間という男は、ライダーの能力で(装備的に)一般人に襲い掛かるほどのアブナイ奴である」と強い確信を持っていなければならない。
 天道がゼクトルーパーの装備を身につけている時にドレイクに襲われても、死に至る時間がちょっとだけ長くなるだけで、結果は大差ないだろう。
 しかし、風間はそんな事をしそうな人間か? 或いは、そう思われかねないような男か?

 そうやって考えていくと、影山の発想にもし無理がないとしたなら

  1. 隊長=天道=カブトだと知っていて仕掛けた(ライダー同士の潰し合いを期待)
  2. 二人が互いの足の引っ張り合いをするような関係になることを期待
  3. 超長期的見解で、互いに強い敵意を抱かせておく
 …くらいしか条件はないだろう。
 このうち、一番無理がないのは1なのだが、先の通り、これは以前の回で否定されている。
 2は、随分と呑気な方法だし、一歩間違うと風間自体がシャドウの邪魔になりかねない危険もある(作戦行動中の隊長攻撃してきたら、そりゃそうなるわな、と)。
 3は、さらに呑気極まりない方法だし、確実性に欠けまくり。
 しかも2と3は、いずれも影山が「風間と天道(隊長)の関係」を知っていなければ成立しない。
 真面目な分析をすると、これは「仮面ライダー555」で草加がやりそうな「疑心暗鬼を煽る心理作戦」パターンをセルフパロディ化した展開で、そこまでのパターンに慣れた視聴者の居を突く演出だったのではないかと思われる。
 ファンの間で「井上パターン」と呼ばれる、対立関係発生の図式の一案だが、今回もそれを用いるだろうと身構えていた視聴者の期待を裏切り、ニヤリとさせる事が主目的だったとしたなら、この展開も一応理解はできる。
 もちろん筋は全然通らないが。
 実際のところはどうかわからないが、少なくともこれで、影山は「とてもエリート隊員とは思えないほど物覚えが悪く考えが浅はか」であるという印象を強めてしまったわけだ。

 …北條、草加と来て、今度はそういうタイプを持ってきたか(笑)。

 その後、17話にて影山は、ゴンを誘拐して風間を脅迫、無理矢理ZECT入りさせた上でカブト(天道)討伐を指示する。
 単純なやり方だが、こちらの方が遥かに効率が良いし、実際に途中までは成功している。
 残念ながら、これは影山が考えた策ではなく、三島が与えた命令が基本となっているため、影山の汚名返上材料とはならないのだが。

 18話に至っては、ザビーに変身してドレイクと戦っている最中、例の口上を述べながら悠々と現れた天道(カブト)の存在に気づいていながらも、まったくのノーリアクション※。
 せめて「隊長…?」なんて一言囁いたっていいんじゃないかな、とすら思わされた。
 しかもその後、「カブト…」と呟いて殴りかかってるし。
 もはや完全に忘れてますな。

 …やっぱり、ただのバカなのかな…

※後に、ここを指して「あの場面では、ザビーには角度的に天道が見えてないじゃないか、何バカな事を言ってるか」という意味の指摘を受けましたが、そういう事ではなく、声と口調、話す内容は聞こえている筈だから、それで判別付かないのかという意味で記述しています。
天道の声が聞こえてきた時点で、ザビーはそっち向いているので、言い逃れは出来ないのですよ。
 

3.天道の言動不一致「食べ物は粗末にしないんじゃなかったの?」
 これは設定ではなく、演出の問題だが、一時期話題になっていたものなので取り上げてみよう。

 13話で、麺の入った箱を投げつけたワームに向かって、いつものおばあちゃん節を炸裂させる天道。
 食べ物を粗末にする奴は、馬に蹴られて地獄に落ちろ。
 ううむ、実に良い台詞だ(一部捏造)。
 料理に対して人一倍強い関心を持つ天道らしい、立派なこだわりだと素直に感心できる。

 だが同じ回の終わり際、天道は、やってはいけない事をした。

 クロックアップ戦闘中、オリーブオイルの瓶が入った木箱を投げつけてきたワームに、とどめのライダーキックを叩き込むカブト。
 そしてクロックオーバー後、次々に床に叩き付けられて割れる瓶。
 飛び散るオリーブオイル。
 カブトは、手元に落ちてきた一つだけをキャッチし、悠々と構えていた。

 …食べ物を粗末にしてはいけないなら、ゆっくり滞空している状態のオリーブオイルを、出来るだけキャッチすべきだったのでは?
 というか、そもそも「オリーブオイルの箱を投げつける」などという演出にしなければならなかった理由は何?

 この回は、演出のデリカシーのなさに、一部のファンが呆れ返った。
 言った傍から天道自身のモラルに反する行動を取らせてしまい、それに対して疑いすら持たせない奇妙さ。
 これは単に、戦闘を終えたカブトが、余裕で自分の分の瓶を確保するという「カッコヨサ」を表現したかったのだろうが、そのためにやってしまった事は、かなり大きい。
 これは、誰が見てもおかしい演出だろう。
 しかも、劇中では、わざわざ割れた瓶を大写しにしている。
 それともこれは、何かのネタだったのだろうか?
 これなら、11話で「タケノコを持ちながらワームと戦ったカブト」の方が、一見マヌケでも筋が通っているし、そんな不利な姿勢でも充分戦えるという強さのアピールにもなる(もっともこの時は、キャストオフ後になぜかタケノコが消えてしまうのだが)。

 この演出の影響は、次の回にも及んだ。
 14話、サルでいつものようにまかないを食べた天道は、ひよりの作ったロールキャベツを一口食べるなり「まずい」と言い放ち、「もう二度と来ない」と、それまでのツケをまとめて払って出て行った。
 今まで払ってなかったのかよ! というツッコミはこの際置いておくとして(笑)、この場面では、天道の「食べ物を粗末にしない筈の男が、ほとんど残して出て行くとは何事か」と散々指摘された。
 筆者自身は、これはそうではないだろうと思っているけど…言いたくなる気持ちはわかる。
 これは、ひよりが作ったロールキャベツの味に、天道に対する強い猜疑心が浮き出ていた事を、天道が見抜いたという演出(のつもり)だろう。
 だから、天道は「そんな精神状態で美味いものが作れる筈がない」というたしなめの意味を込めて、ほとんど残して出て行ったのではなかろうか。
 だから、後で戻ってきた時(笑)、猜疑心を振り払ったひよりのロールキャベツを、今度は美味そうに食べ始めたわけだ。
 つまり演出上、この場面では、悪いのは「天道ではなくひより」だったわけだ。

 ――が。
 そーいう話を、よりによって主張破綻の回の次に持ってくるのは、またまた別な問題だ。
 多分この話は、麺からオリーブオイルまでの展開がなかったら、結構自然に受け止められていたのではないだろうか。
 もちろん、サルでの天道の態度が全面的に問題なしだ、などとは言わない。
 でも、このエピソードはそんな事を思わせるものがあったのだ。

 この、視聴者の受ける心象を考慮しているとは思えないような、杜撰とも言える演出の流れについては、いずれまた別な機会に触れたい。

4.ドレイクを巡る無数の矛盾点
 風間asドレイクを巡る描かれ方は、ほとんどが矛盾の塊だ。

 どうやってドレイクゼクターに認められたのか、ドレイクになって戦う事を覚えたのか、何の説明もない。
 それだけではなく、どうやら誰かから説明を受けなければ本来判らないはずの「クロックアップシステム」まで、いつの間にか熟知・対応している。
 キャストオフからクロックアップまでの流れは、二話の加賀美の台詞から、予備知識なしでは行えないものである事が証明されている。
 ザビー資格者だった者達は、それぞれ予備知識を身に付けるゆとりがあっただろう事は想像できるが、はぐれ者の風間が、どうしてそこに至ったのか、説明がないのは不自然極まりない。

 ……のだが、まあこれは、もうお約束として流してもいいかもしれない。

 むしろ問題なのは、「お前、それはどこから持ってきた?!」と言いたくなる装備面だ。
 ドレイクは、14話でマシンゼクトロン、15話でゼクトマイザー(ドレイクボマー)をいきなり持ち出して使用している。
 しかもゼクトロン搭乗時は、クロックアップ中のカブトの戦闘に茶々を入れるほどだ(その手前の場面ではどこにも居なかったから、こいつはゼクトロンごとクロックアップして乱入したのか?)。
 また、クロックアップ中に銃を撃つことの無意味さをフォローする設定「ライダーシューティングは光弾を発射する」という物も豪快に無視され、初使用時はそこそこの速度で命中させられたものの、なんと16話では、のた〜りのた〜りと超鈍速
 さらに18話では、クロックアップ中のザビーやカブト主観だと、弾はさらに超々鈍速になる事まで判明してしまった
 どれくらい遅いかって、目の前に光弾が迫っている状態で、カブトがライダーキックの入力を開始して間に合ってしまうくらい。
 あの〜、光弾ってのは、発射された瞬間に相手に命中するものなんですけど(笑)。※1
 いくらクロックアップ中だからって、秒速30万キロ以上の速度まで鈍化して見えたらタダのウソです。
 まして、クロックアップ中の弾が鈍速化していたら、わざわざ撃ち出す必要性がない!
 クロックアップしていようとしていまいと、光弾の速度が(感覚的に)変わらないとならなければおかしい&意味がないんだけどなあ。
 これじゃ、ゼロ距離射撃しか意味がないではないか(笑)
 加えて、カブトに蹴り返される始末。
 本当なら、カブトが蹴り返そうがそのまま受けようが、とにかく当たった瞬間に爆発しないとおかしいんだけどね
 これって、レーザー光線が鏡で反射出来てしまう、という理屈以上におかしいよ(この場合、実際には鏡は割れる)。
 ライダーシューティング発射直後、ザビーに盾にされる事を先読みして、あらかじめクロックアップの動作をしておいた…というのは素晴らしい策だと思うけど※2、カブトははじき返せてしかもダメージ皆無、ザビーだけダメージ有り、ってのは不公平通り越して不自然だろう。
 せっかく面白い演出見せてくれたというのに、こういう大事な部分が適当だと、見ていて大変萎えてしまう(人も多い)。

※1.その後、この指摘に対して「光弾と光線を混同している」というツッコミが入りましたが、これは混同ではありません。
「ただ光るだけの弾」なら確かに光速である必要性はありませんが、ライダーシューティングの弾は「圧縮されたタキオン粒子」という公式設定がちゃんと存在しているのです。
タキオン粒子である以上、絶対に光速以下の速度にはなりえないため、この場合光弾でも秒速30万キロ以上の速度に達する筈、という見解になるわけです。
なぜタキオンだと絶対光速以上になってしまうのか、という点については、第一回本文を参照してください。

※2.よく見るとこのシーン、ドレイクは射出直後に「クロックアップ」と言っています。
 この直後、ザビーがクロックアップ状態に突入しているため、一瞬影山がしゃべったように聞こえるけど、これは恐らく「狙った」のでしょう。
 ザビーに盾にされた後、わざわざもう一度言ったのは、演出をわかりやすくする意図だろうと思われます。

 ゼクトマイザーは…ああ、なんかもう推測するのも馬鹿馬鹿しくなってきた(笑)。

 これらは、いずれも恐らくは、画面の見栄えなどを優先させた結果ではなかろうか。
 バイクに悠々と乗ったまま、射撃で乱入してくるドレイクのかっこ良さ。
 四の五の説明するより、とっととキャストオフ→クロックアップさせて戦闘参加させた方がスムーズだし。
 ゼクトマイザーは、ノルマだから(笑)。
 ライダーシューティングも、最初に部分的に見せておいてから、後でじっくり発動プロセスを見せた方が、より説得力を増す筈。

 ――それはわかるのだが、どうしてそれが、ここまで滑るのか。
 良かれと思って組み込まれたものが、すべて裏目に出ているような気さえする。

 ドレイクは、もっと別な部分で不幸だ。
 なぜ、彼は銃使いなのに、いつも近距離戦を仕掛けるのか。
 まるで、ゼロ距離射撃しか使いたがらないかのようですらある。

 これは単に、一つの画面で二人以上のライダーを収める必然性の犠牲になっているだけだ。
 ドレイクは、雑魚ワーム戦の時はロングで映り、適度な距離をキープして射撃を行うが、これはアクションシーンとして次に続けにくいもので、どうしても細切れにしなくてはならない(長映しで延々と弾を撃ち続ける様子なんか映しても、全然サマにならないのだ)。
 だから、格闘戦のようにある程度の長映しを行う必要性がある場合は、どうしても遠距離攻撃担当に傍に来てもらわなければならない。
 その結果、銃使いは武器を構える隙も与えられず、一方的にボコシバキに遭い易くなる(絶対ではないが)。
 「仮面ライダー剣」でも、ギャレンがこの理屈でかなり難儀させられていた。
 もっとも、ラストバトルでこの制約を逆手に取ったのは見事だったが。

 ドレイクが、得意な戦闘リーチを充分に確保して、有利に戦う様子を描くためには、他のライダーと共に集団戦を繰り広げるか、或いは「奇襲」するしかない。
 或いは、よほどアイデアを凝らした絵作りをしないとならないだろう。

 ただでさえ銃身が長い上、接近戦用の有効な武器を ま る で 持 っ て い な い ドレイク。
 彼の受難は、まだまだ続きそうだ。

 ――などと書いていたら、17話にて、ドレイクはカブト相手に接近戦での銃撃を炸裂させまくっていた。
 おお、この回は、よく見るとカット割が適度に多くて画面の切り替わりが面白く、違和感もない。
 なんだ、結構いいじゃん!
 ライダーフォームのカブトが、近距離からの銃撃を受けまくって平然としている難点はあるものの(笑)、なかなかよさげにまとまっていて好感触。
 良かった、ちょっとだけ不安材料が取り払われた!
 こういう工夫は、また是非やっていただきたい!

●まとめのようなもの
 以前から言われていることだが、文芸担当が存在した「仮面ライダークウガ」以外の平成ライダー作品は、そのほとんどが構成不足による矛盾点や問題点を抱えていた。
 また、謎を提示しても、それに対する推理や憶測がほとんど行われず、ただ答えだけがポンと提示されるため、謎が解明された時のサプライズが極端に薄まってしまう傾向もあった。
 これらは、「謎」や「疑問点」にまつわるヒントを最後まで隠し続けようとする姿勢が原因で起こるもので、最初の頃はともかく、何度も繰り返していると視聴者も飽き始めてくる悪いパターンなのだ。
 そのため、作劇家は「謎」についての推測・憶測・ミスリードなどをわざと行わせ、登場人物の視点・見解を、視聴者と同じ位置まで下げる必要がある。
 これにより、視聴者の「謎に対する興味と推理」が煽られ、より効果的になっていくのだ。
 しかし同時に、視聴者が抱いた疑問点をきちんと消化させるため、物語内にばら撒いた伏線や要点をきっちり把握し、構成し続けなければならない。
 これを怠ったり、間違えたりすると、途端に視聴者からのツッコミの嵐に見舞われる。
 それを避けるため、常に物語の流れと最終的な結末を想定しておかなければならないわけだが、この能力が「構成力」と呼ばれるものなのだ。

 この「構成」が、平成ライダーの場合誰によって行われているのかは、定かではない。
 今までの数多くのインタビューやブログ等の内容から、プロデューサーの白倉氏が全体構成を取り仕切り、細かなエピソード内容を井上氏・米村氏が作り、実際の肉付けを現場の撮影スタッフが行っている…という風にも解釈できそうだが、これは所詮想定の域を出ないものだ。
 ただ、少なくともクウガの時のような「設定や演出の矛盾点をチェックし、整合性を管理する」ような役割をになう立場の人が居るようには思えない。
 否、居るのかもしれないが、その能力が充分であるとは、現状とても感じられない。
 もし、その人の能力が充分なもので、しっかりした結果を出せるのであれば、少なくともここで挙げてきたような問題点はほとんど出てこない筈だ。
 どちらにしろ、一視聴者に過ぎない筆者が、製作側の状況を推測し切る事など出来ないわけだが、とりあえず「内情はわかんないけど構成はダメダメじゃん」という事実は述べられる。

 ただ、世の中には「整合性不一致」をあえて楽しむという見方もある。
 大映テレビの「赤いシリーズ」などでは、しょっちゅう起こる設定矛盾や過剰な演出ミスが逆に味わいとなってしまい、別な意味でコアなファンを生んでしまった。
 不治の病に唯一有効な筈の手術の事が、ある回を機会に突然話題に上らなくなったり(当然患者は死亡)、事故で二度と歩けない体になった筈のヒロインが、すぐにバレエを踊り始めたり。
 また、今までずっと主人公達に高圧的な態度を取り続けていた家の主人が、急に自殺を思い立って行方をくらませ、登場人物一同を困惑させたり。
 計画的殺人犯が、最後に頭下げて終わったというのもあったなあ。
 「薔薇海峡」のように、頼れる夫がすぐ傍にいて親身になってくれているのにも関わらず、突如家を飛び出して自らを危険に晒し、しかもその後もちょくちょく夫にアプローチを仕掛けてくる謎の妻なんてのも居る。
 意味深に登場する謎の人物が、実はそんなに大した秘密を持った存在じゃなかったなんてことは、日常茶飯事。
 この「ひょっとしてわざとやっているのではなかろうか?!」とすら思わされる怪演出は、確かに好事家には面白いものだ。
 こういう視点を持ってすれば、ここまでに述べてきた「カブトの矛盾点」も、微笑ましいものになると思う。
 だが、本当にそういう面白みを見出されてしまった作品には、もう(当初求められていたような)未来はない。
 たとえ傑作と呼ばれても、その頭には「ちょっと変わった」という枕詞が付いてしまうからだ。

 もっとも、ここで述べてきた事以外にも、「仮面ライダーカブト」は内容的に多くの問題点を抱えている。
 いつまでも概要がわからないワームとか、一向に進まない物語とか。
 また、あまりにも隙がありすぎるZECTの描写は、もはや問題外の一歩手前だ。
 一部では、また最終回辺りになると尺が足りなくなるのではないかという予想まで立てられている。
 この後、劇的な展開がないとは言えないので、まだ全体評を述べるのは早すぎるが、すでに「響鬼以下」とまで言われ始めている本作…個人的には、多少の矛盾点を孕んでも、なんとか面白く盛り上がって欲しいものだ。
 加賀美ザビーの回のように、激しく燃えさせる展開だって、作れるのだから。

 …とりあえず、ツッコミは沢山入れる事になったとしても、今年は出来る限り好意的に見守り続ける事にしよう。
 うん、そうしよう。

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