番組内のポイントを絞って批評・分析するコラムの、第四回。
今回のテーマは、珍しく一話だけに絞ってみたい。
大きな話題になった、あの第22話のみに。
先週ので申し訳ないけど。
という事で、今回の御題。
●加賀美変身! 仮面ライダーガタック!!
21話と22話は、実質的にガタック登場編だったと言い切って問題ないだろう。
一応、ストーリーを部分的に振り返ってみよう。
ワームが大量に潜入している工場内で、加賀美が出会った少年・マコト。
彼は、父親をワームに殺され、自力で逃げ延びたのはいいが、工場から脱出するには至れず、今までずっと一人ぼっちで隠れ続けていたのだ。
しかし、ZECTはこの工場内の者は全員ワームであると判断。
工場自体を破壊し、ワームをまとめて殲滅する作戦を計画・遂行する。
だが、ZECTが新開発したライダーシステムの要・ガタックゼクターの力を利用してマコトを救出しようと考えた加賀美は、ガタックゼクターに重傷を負わされてしまっていた。
それでも、不屈の精神で立ち上がり工場に単身突入する加賀美。
シャドウ、サソード、カブトも参加して乱戦状態になる工場内で、マコトを発見、脱出を試みる加賀美。
しかし、これらはすべてワームの仕掛けた罠で、加賀美を利用して工場殲滅作戦決行日を引き伸ばさせようとする計略だった。
この工場は、ワームの卵を沢山保有している「ワームプラント」だったのだ。
マコトに擬態していたワームらの手によって、無残に刺殺される加賀美。
だが、何者かが彼にガタックのベルトを装着させる。
ベルトの力で、突如息を吹き返した加賀美は、マコトと自分に擬態したワームを追いかける。
蘇った加賀美の呼びかけに応え、飛来するガタックゼクターは、彼をガタックへと変身させた。
圧倒的戦力でワームを追い詰めるガタック。
だがマコトに擬態していたワームは、マコトのビジョンと声を使い、心理作戦を試みる。
動揺するガタック……しかし彼は、何を思ったか、突如工場の天井をぶち破った!
(以下展開は、本文内容参照)
このエピソード、一部では感動の一作とか、平成ライダー最高の話などと評されているが、実は同時に多くのツッコミ所に満ちたものでもあり、これだけでかなり多くの問題点が指摘されている。
確かに、見返してみると相当な疑問箇所が発見できる。
この回で深く感動したという人も居る反面、これらの問題点・疑問点が鼻に突いてしまい、まったく感動なんか出来なかったという人も多い。
それどころか、萎えてしまったという人まで居る始末だ。
一体どういう部分が問題だったか、目立つところを一通り振り返ってみよう。
●加賀美の行動の統一性のなさ「ワームは絶対許さないんじゃなかったの?」
22話でガックリ来た人達の多くは、どうやらここで引っかかったようだ。
なぜ、加賀美=ガタックは、マコトに擬態したワームにムーンボウを見せるなどという温情的行為をしたのだろうか?
そもそも、そんな演出は必要なかったのでは? というのが、よく耳にする意見だ。
ワームは、いくら擬態元の人間の記憶を持っているとはいえ、所詮まがい物であり、
本人とイコールではない。
すでに死亡している(またはその場にいない)マコトの“いつわりの記憶再現”に対して、加賀美が情をかける必要性など皆無の筈だ。
まして加賀美は、4話にて実の弟に擬態したワームの件で、ワームに激しい怒りと憎しみを抱いていたのだし、そのいくらかは、「擬態して人を騙す」という行為に対してのものだった筈。
しかも、22話の変身前でも「人と人との信頼をも利用するワーム…俺は絶対に許さない!」と、マコトワーム&加賀美ワームに対して啖呵を切っている。
それなのに、いざマコトのビジョンと声を示されただけで、こんな態度を取ってしまうというのは、明らかにおかしい点だ。
これもまた、引継ぎのために発生したズレではなく、米村脚本間での相違点だったりする。
加賀美が、マコトのビジョンに動揺を覚えたところまでは、特に問題なかったのだろうが、これでは4話でのせっかくの決意が、台無しになりかねない。
●ムーンボウは見えない
このエピソードのキーワードとなっていたムーンボウ(月の光によって発生する虹)も、劇中の扱いはめちゃくちゃだ。
そもそも、ムーンボウは
- 日中は見えない
- 普通の虹同様、事前に雨が降るなどの条件が必要
- 月の「かさ」とはまったくの別物
- 望遠鏡で見ようとすると、かえって見づらくなる
というもので、今回用意されたアイテムやエピソードとは、思い切り合わない素材だったのだ。
まして、あのような状態にあった加賀美が、的確にムーンボウを見られる位置に穴を開けられる筈もない。
加えて、劇中のムーンボウは「月の“かさ”」のような形状だ。
確かに、微妙に虹のようなCGは使用されていたし、円状に見える虹もありうるけど、そもそも「虹の出る必要条件」すら満たされていない工場内では、いくらポイントがわかっていたとしても、見せる事など不可能なのだ。
またムーンボウは、太陽の光が残っている環境では見られない。
シャドウ部隊が工場爆破行動に移る直前のシーンでは、外は明らかに明るかった。
それどころか、ラストのガタックエクステンダーがやって来たシーンでも、空はこれ以上ないほど明るい。
これでムーンボウというのは、いくらなんでもムチャが過ぎる。
まして、あのような時間帯において、あんな位置に月があったりもしない筈なのだが。
これも、ちょっとした知識がある人が激しくヘコむ難あり演出なのだろう。
●ワームの生体が不明のままなのに、いきなり卵なんか見せられても
このコラムでも、いつか題材に取り扱うつもりの「ワーム」。
7月初旬現在、ワームに関しての情報はムラがありすぎる上に統一性が見出せないため(注:これは情報不足の可能性があり、現状粗とは断定できない)、今ひとつ不明瞭な部分が多すぎる。
思考能力、行動理念、習性、目的、基本的な生態、すべてがわからないのだ。
なのに、そんな状態でいきなりプラントを見せられても困る。
確かに、このエピソードで「あんなに沢山いるワームは、どこで発生しているのだろうか?」という疑問にある程度の答えを出してはくれたが、なんとも消化不良だ。
あのようなものを作る習性があるのなら、間違いなく別なところに第二・第三のプラントが存在する筈で、ZECTも、そのような可能性を考慮していく筈だ。
どうもこのエピソードは、「救出困難な場所に居る少年の下へ駆けつける加賀美」という
条件を形作るために用意された、専用の舞台だったのではないかと考えられる。
もちろん、今後別なプラントが劇中に登場すれば、この説は崩れるわけだが、今回のエピソードを見る限り、その可能性は高いと言っても過言ではないだろう。
だとすると、これもまた「話の勢いででっち上げたもの」である可能性が見えてくる。
もう一つ、工場がワームプラントになっていて、これを爆弾で破壊・殲滅という行動を取ってしまったのは、見方を変えるとまた別な大きい問題点発生につながりかねない。
これまでも、多くのワームが潜んでいる施設、占拠されていると考えられる(他に人間の居ない)建造物が出てきたが、そこで戦闘に及んだゼクトルーパーは、大変多くの犠牲を出した。
しかし、今回のように爆弾設置で片がつくのであれば、状況によっては最初からそうすれば良かったというケースも多々あった筈。
せめて、爆弾による殲滅が「ゼクトルーパー部隊にとっての最終手段」的扱いであると強調しておけばよかったが、劇中では、ZECT上層部が工場内の生存者ゼロと認識するまでの方が重要だったようで、爆弾による破壊そのものは、決して熟考された雰囲気ではなかった。
また、爆弾程度で一度にあれだけ多くのワームを仕留められるのであれば、それ以上の破壊力だったと考えられる隕石落下の衝撃に耐え残った個体は、どれだけ凄かったのだろうか。
まあ、活動状態と休眠状態で耐久性が大きく異なる可能性もあるから、ここまで突っ込むと野暮を通り越すが、卵ですら殲滅できるのだから、少しくらいは疑問を差し挟む余地がある。
また、これらを度外視したとしても、今回の爆弾は別な問題も抱えている。
●全然役に立たない、ZECTの爆弾
いざ使用されたZECTの爆弾だが、この破壊力には疑問点があまりにも多い。
まず、通路一杯に迫ってきた爆風が、たった一体のワームによって押しとどめられてしまい、すぐ後ろに居るガタックやカブトに、まったく影響を与えなかったというのはどうか。
また、爆風がガタックの眼前に迫っていた時点で、彼の背後やカブトの周囲は、何の破壊的影響も発生していない。
本当に、ワームという「壁」が、すべてを止めてしまったかのようだ。
しかしそのワームは、特殊な能力を使ってバリヤーみたいなものを作り出したわけではなく、それどころか爆風の熱で溶けて消滅してしまった(かのように見えた)。
かと思うと、場面が切り替わった後、カブトとガタックは炎がくすぶる破壊後の工場跡で会話をしている。
先ほど居た所が無事だったのに、わざわざ二人で被害の酷い所まで歩いて行ったのだろうか?
百歩譲って、各ライダーシステムは爆風に耐えられる性能を持っていたとしても、この描写は明らかにおかしい。
そもそも、敵である筈のワームが、たとえどのような経緯があったにせよ、
ガタックをかばうというのはありえない筈だ。
仮にかばうにしても、せめてガタックを突き飛ばして離すとか、抱きついて衝撃を自分が受け止めて消滅するとかなら納得できただろうが、壁はないだろう壁は。
その直前の、「温情をかけているんだかボコる気満々なのか、よくわからないガタックの行動」も合わさって、このシーン全体は大変奇妙な作りになってしまっていた。
って、良く見ると影山、神代=サソードが脱出した事を未確認で爆弾作動させたのね。
よっぽと誕生会で歌わされた事を根に持っていたのだろうか(笑)。
その他、「前半のギャグと後半のシリアスのバランスが著しく悪い」「神代&サソード&スコルピオワームの場面は不必要」「天道の行動に一貫性が皆無」「どうして加賀美にベルトを着けた者を内緒にする必要があるのか」など、大変多くの指摘が集中している。
確かに、これらはせっかくのガタック登場編の良さを奪いかねないものだし、以前書いたように、そこまで楽しく見ていたノリを大きく阻害されてしまう要素だ。
加賀美変身→ワーム片方撃退→クロックアップ、までは面白く見ていた人も、天井をぶち破ってムーンボウ云々と始めた時点で、「はあ?! 何やってんのこいつ?」と感じてしまい、一気に冷めたという意見も目にした。
さもありなん、たしかにこれでは、感動編として用意されただろうエピソードが台無しになりかねない。
特に、今回主役の加賀美の行動に、統一性がないというのはまずい。
ワームからマコトを助けるという場面を作る気持ちが先走ってしまったのか、ちょっと前のエピソードの見返し(または思い返し)が足りなかったのか。
どちらにしても、かなり残念な作りの話だった事は、疑いようがない。
トドメに、ここに至るまでの21話分の展開がちぐはぐ過ぎるため、いきなりこんなお涙頂戴エピソードを加えられても白けるだけだ、という意見も多かったようだ。
確かに、取って付けたようなお約束的演出ではあった。
「大元がしっかりしていない話で、突然悲劇をやられても困る」という嗜好の人は多い。
感動すべきエピソードが、まったく狙いと正反対の効果を生み出しかねないとなると、確かに大きな疑問を挟まざるを得ない気はする。
そう考えてしまう気持ちは、大変よく理解できる。
こうしてみると、確かに否定のしようもない問題の山積みが気にはなる。
と。
さて、分析と批評、終わり。
コラムとして、取り上げるべきポイントは書いた。
以下は、この回に関する筆者の個人的感想を多く含んだ「駄文」だ。
本来批評でやることではないが、今回だけ例外的に書いてみたい。
ツッコミ所も多いと思うが、所詮駄文と流していただきたい。
●では、これは最悪のエピソードだったのか?!
22話は、確かに作りとしては問題のある話ではあった。
では、「傑作ではなかったのか」といわれたら、それは違うのではないだろうか。
この回には明らかに、細かい理屈をぶっ飛ばす「熱い何か」がある。
それが強かったから、大きな話題を生んだのだ。
筆者はそう思う。
今まで、天道の引き立て役と言われていた加賀美が。
一人だとろくに何も出来ないと言われ、散々バカにされていた加賀美が。
影山に利用され、陰謀の果てに命まで失いかけた加賀美が。
影ながら天道に助けられている事にも気づかず、一人ではしゃいでいるような加賀美が。
熱意と決意だけが突っ走り、それ以外何もないじゃないかと散々叩かれていた鏡が。
「子供を助けたい」「助けに行くという約束を果たすため」
己の身を犠牲にしてガタックゼクターに迫り、傷つき、それでも工場に飛び込んでいく。
誰一人支援する者が居ないにも関わらず、そんな事も気にせずに…
よく考えれば、最初に潜入した時以上に厳しい条件だというのに。
その上で、マコトに裏切られ、挙句に殺される。
陸が述べたように、どん底の絶望感に打ちひしがれ。
それでも立ち上がり、ガタックゼクターを手にしての「変身」……
そこに居るのは、誰か?
加賀美ではない。
ライダーシステムのガタックでもない。
すべてを失い、それでも立ち向か気概に満ちた者が、「ライダーシステム」という、与えられた「力」を行使するその姿。
これはまさしく、昔、我々が憧れた「仮面ライダー」の姿ではなかったか?
確かに、加賀美は改造人間ではない。
一度殺されて、ライダーベルトの謎の力で復活したとはいえ、決して特殊な肉体を得たわけではないだろう(無論、現状断定はできないが)。
だが、失った物の中から新しい希望を見出したという点では、彼もまた、立派な共通項を持っている。
さらにそれは、天道すら持ちえていないものだ。
否、天道だけだろうか?
平成ライダーの中でも、ここまで叩き落されて這い上がった男が、他に居たか?
自らの力の進化に怯える者や、突然与えられた力に戸惑う者、与えられたきっかけはともかく、それを生かして人々の生活や夢を守ろうとした者、己の信念に殉じた者、人生を自戒し、さらに高みに上ろうと修練を積んだ者などは、確かに居た。
だが彼らは、能力を得た後の絶望を知りはしたものの、決して絶望の中から力を勝ち取ったわけではなかった。
それは彼らが、様々な意味で「選ばれし者」だったからだろう。
だが、加賀美は「選ばれなかった者」として描かれていた。
カブトゼクターに無視され、ザビーゼクターに認められはしたものの、その先の重荷に耐えかね、疑問を抱いて資格を捨て、さらには決死の思いで挑んだガタック資格者テストにも失敗した。
特殊な技能があるわけでもなく、言い換えれば「何もない若者」だった加賀美。
だが、何もなかったからこそ、この工場での出来事で、彼は文字通り生まれ変わったのだろう。
理屈や設定はともかく、ガタックゼクターも、そんな部分に反応したのではないかと、筆者は思う。
君の隣 戦う度 生まれ変わる―――
そして、加賀美は「仮面ライダー」になった。
ライダーシステム・ガタックをまとうZECT隊員ではなく、「仮面ライダーガタック」に。
確かに、彼の中にはまだ迷いと弱さが残っている。
それが、マコトのビジョンに惑わされた事であり、攻撃をつい止めてしまう事に繋がるのだろう。
だが同時に、彼は「迷いながらも、自分のすべき事が何であるか」を見失っていない点を忘れてはならない。
だからこそ、彼はカブトの加勢を止め、最後まで戦う事を選んだ。
ザビーの時のように、新しい力に歓喜し、惑わされたりする事もなく。
真偽云々ではなく、「マコトの声」に反応し、彼が「ムーンボウを見て幸せになりたい」と願う気持ちを“信じようとした”姿勢。
恐らくだが、加賀美がワームのマコトにムーンボウを見せようとしたのは、とどめを刺す前の、せめてものたむけだったのではなかったか。
これは、理屈ではない。
加賀美が、マコトという存在に対して抱いた、自分の中の約束のようなものだろう。
ひょっとしたら、マコトにムーンボウを見せるという行為そのものが、これから自分がするべき「酷な行為=撃退」へと踏み切らせるきっかけだったのかもしれない。
或いは、彼なりのけじめのつもりだったのかも。
表情の見えないガタックの態度からは、色々な想像が出来そうだ。
だけど、彼の行為は予想外の結果を生んだ。
この後の、マコトのビジョンの表情の動きを見落としていたりすると、最後のワームの行動の意味は理解できないだろう。
ムーンボウに、思わず微笑みを浮かべ、そして、なぜそれをこんな状況で見せてくれたのかという思い、そして、その真意の理解…
この時のマコトの絶妙な表情変化(の演技)は、それを表しているようにしか、筆者には思えない。
だが、マコトワームは、望遠鏡を振り払ってしまった。
とても、せつない顔をしながら、皮肉まで込めて。
なぜ?
カブトの加勢を止めた時、してやったりとにやけた表情を浮かべていたほどの彼が、どうして?
策にはまった加賀美の甘さを、あざ笑いながら跳ね除ける事も出来た筈なのに、どうしてマコトの表情は、あんなにせつなそうだったのだろう?
涙まで流して…。
筆者は、この表情の変化は、マコトの記憶をトレースしたワームの心自体を動かしたのではないかと考えている。
マコトの記憶の反応ではなく、あくまで、マコトの記憶を内包した一体のワームという意味だ。
ワームは、擬態後はその人間の知識と記憶に基づいて行動するが、その時の彼らは「人間という材料を得た事で、それまでとは少しだけ何かが変わったワーム」である筈だ。
何かの理由で擬態情報を破棄したら、またリセットがかかってしまうのかもしれないが、少なくとも、ムーンボウに微笑んだマコトワームは、マコトでもデフォルトのワームでもない、一つの個性だったと考えられはしないか。
だからこそ、最期の最期に、加賀美をかばったのではないだろうか。
そのように考え、筆者は、最期のワームの突発的行動を、問題点とは判断していない。
ただし、ワームの生態や知能・意識レベルを巡る過去の描写が不明瞭のため、この考えを前面に押し出せないのは、大変残念だ。
今のままでは、これは筆者の「脳内補完」に過ぎないかもしれない。
なので、以降この感想については、二度と触れないようにしたい。
もし、このようなエピソードもないまま、加賀美が別件で命を失い、結果ガタックになっていたとしても、それは「生まれ変わった姿」ではなかっただろう。
きっと、ザビーになった時の延長のようなものに過ぎず、「ライダーシステムの中にある加賀美」のままだったのではないだろうか。
だが、私達はそこまで、どれだけ見てきたことだろう。
「ライダーという外殻に包まれただけの個性」を。
彼らのすべてが、ライダーという名の外殻と一体化していたとは、とても言えない。
敵のキャラクターがライダーに変身した事もあったし、ライダー自体が悪役だったケースもあったからだ。
もちろん、見事な融合を果たしている者達も大勢居た。
でも、彼等全員が「仮面ライダー」だったのだろうか?
今更言うまでもないが、仮面ライダーの定義については、これまで各所でうんざりするほどの議論が交わされてきた。
だが、筆者は形や設定、立ち振る舞いよりも、「何を抱いて戦っているか」が、一番重要なポイントだと強く信じている。
もちろん、これでは仮面ライダーに限らず、他のヒーロー物も含まれる話になってしまうが、その辺は厳密でなくてもいいのではないだろうか。
少なくとも、強い力を得る事の本当の意味と、そのために受け止めなければならない「重い何か」を自覚していない者は、どことなくライダーとして物足りなさを感じてしまう気がする。
そしてそれは、かつて加賀美自身にも言えた。
だが彼は、その下地を踏み越えた果てに、ガタックという力を得た。
これ以上の説得力があるだろうか!
「俺は俺にしかなれない。――でも、これが俺なんだ」
加賀美のすべては、この一言に集約される。
実に彼らしい、素晴らしい言葉だ。
瞳に燃え盛る炎を映し込み、自分がどうあるのかを明確に語り、天道の次の言葉すら封じてしまう迫力と説得力。
彼が、そんな頼もしい姿を見せてくれた事で、良しとしたいものではないか。
筆者は、ここで声を大にして言いたい。
「仮面ライダーに、やっと、また逢えた」
先に述べた通り、これらはあくまで個人的な感想なので、誰にも反論されるいわれはない。
だが、少なくとも筆者自身は、22話を観てそう感じたのだ。
完成度の高い話のすべてに、粗がないわけではない。
また、そんな作品の中の僅かな問題点が気になって、素直に楽しめなくなる事もある。
しかし一方で、粗がほとんど見当たらないにも関わらず、全然面白くない作品だってあるのだ。
つまりは、粗の有無が作品の面白さを分けているとは限らない、という事なのだ。
本当に完成度の高い物語とは、「粗や難点が目立たなくなってしまうほどの面白さを作り出している」ものだ。
確かに粗や問題点はあったし、それは理解できる。
だけど、それを汲み取っても直面白かったし、惹き付けるものがある。
一番重要なのは、そこなのだ。
22話については、他にもお定まりのパターンの踏襲であるとか、先が読めたとか、感情・記憶の断片が最後に…というもらい泣きパターンだとか、散々な指摘を受けている。
だが、パターンで何が悪いのだろうか?
ヘタにパターンを崩して、その上で感動を得ようとしても、玉砕する可能性が高いし、うまく練りこむためには時間が必要だ。
パターンなのが悪いのではなく、パターンを多用しすぎて「飽きさせる」事が問題なのであって、用いる事そのものは悪くはないのだ。
それをわからないで、先のような「理屈にのっとった指摘」を繰り返しているようでは、どんな物語も楽しめないだろう。
パターンというのなら。
なぜ、それがパターンになったのか。
誰かが出したアイデアを誰かがさらに練り込み、進化し続けて今に至っているからこそ多用され、愛されたからだ。
もちろん、何の練り込みもなく、安易に多用された例もあるにはあった。
しかし、その安易な使用をした者に「このパターンは受ける」と確信させた理由は何か?
パターンである事の旨味を、ある程度理解していたからだろう。
後は、その使い方だ。
パターンが悪なのではなく、その使い方とタイミングの見計らい方が、重要なのだ。
パターンなど、作劇の材料の一つにすぎない。
それなのに、それを指摘して悦に入ってはいけない。
もし、22話が過去の平成ライダーで多用されまくったパターンの延長線上にあるものだったなら、筆者も、ここまで高く評価はしない。
否、厳密には、忘れているだけで以前あった何かのパターンの応用だったかもしれない。
だけど、そこに至るまでの加賀美の描き込みがあった。
それがあったからこそ、ガタックが映えたというのは、先に散々触れた。
ならば、これはこれで立派な、独自の魅力になったと認めても、良いのではないだろうか?
ただし、今後の展開にも気をつけてはおきたい。
今回構築したものが、何かの拍子に打ち砕かれ、せっかくの思い入れが破砕してしまう危険だってありうるからだ。
だから、今はあえて、22話だけの話に留めておきたい。
これからの活躍に期待と不安を抱きつつ視聴したいが、今後どんな話について語る事になるか、今は見当もつかないから。
どうか、無意味にカブトと敵対、ってのだけは勘弁して欲しいのだけど…こういう展開の後だと、特にね。
と、ここまで書いてから、今週分の23話を見た。
調子にのりまくる加賀美の姿を見て「ああ、やっぱり加賀美だ♪」と、なんか安心させられたり。
かと思うと、大きな月を背景に、高い所で決めポーズと来たもんだ。
調子に乗りすぎだよ、加賀美!!(笑)
思わず吹いちゃったじゃないかい♪
でも、こういう真正面からのハッタリは、久しぶりに見た気がするなあ。
23話は色々と見所が多いが、こちらでも、ガタックの活躍は存分に楽しめた。
この調子を維持してくれると、本当に嬉しいんだけどなあ。
どうなっちゃうかな。
まあ、細かい事はともかくとして。
ガタックゼクターを買いに行って来ることにしよう。
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