『ウルトラマンレオ』38話で、
ウルトラの星が制御を失って地球に迫ってくるという展開があります。
このとき、地球に激突寸前だったウルトラの星が地球の表面を舐めるように方向転換するというシーンがあり、このシーンは、結構“大げさすぎて笑っちゃうよな〜”という評価をされています。
そりゃあそうでしょう。
地球クラスのサイズ・質量の天体が数百キロ単位まで接近したら、重力干渉で地球が大ピンチです。
この話では、ほかにも、空に真っ黒なウルトラの星が満月の10倍以上の大きさで見えているシーンもあったりします。
要するに、“こんなに近くまで来てるんだぞ”と見せているわけですが、300万光年も離れているウルトラの星がわずか7日で地球近くまで来る(時速1万7000光年!)というのもおかしな話ですから、批判は当然でしょう。
『帰ってきたウルトラマン』での蟹座や北斗七星の消滅・復活や、『仮面ライダーアギト』での蠍座の星の移動が、地球からリアルタイムで観測できたのは結構有名な話ですが、星が超光速でやってくる分、この『レオ』でのウルトラの星大移動はとんでもないレベルだと思います。
同じウルトラシリーズでも、『ウルトラセブン』6話で宇宙都市ペガッサが地球に接近してきたときには、「あと○時間で地球に影響を与える距離に到達する」という台詞でピンチを表現していました。
何がどう大変なのか分かりにくいとも言えますが、見かけより質量が大きくて云々という台詞には、
なんとなく大変そうなニュアンスが感じられます。
これに比べると、『レオ』での描写は、やはりあまりに即物的すぎるでしょう。
こんな無茶なことをしたのは、目に見える形で危機感(=時間がない)を煽るには、やはり視覚的に
もうこんな近くまで来ているのを見せた方がいいだろうという判断と思われます。
ただ、だからといって、これをもって
だからお子さま番組は…と言うのは、必ずしも当たりません。
確かにこのケースは極端ですが、大人向けの作品にだって大げさな演出は多いのです。
もう25年ほど前、タイトルは忘れましたが、噴火する火山から逃げる人々が登場する映画をテレビで見たことがありました。
ラスト近く、足下1メートル手前まで熔岩が迫って来るという緊迫した状況があり、幼なかった鷹羽はドキドキしながら見ていました。
今にして思えば、これってかなり変だったりします。
熔岩というのは数千度あるわけで、無茶苦茶熱いです。
その1メートル手前となれば、溶鉱炉の注ぎ口の脇に立っているようなものですから、既に緊迫しているとかいう次元の話ではありません。
とはいえ、命に別状ない範囲となると、数百メートル或いは数キロ向こうに熔岩が来ている状態になってしまい、あまり緊迫感は感じられなさそうです。
つまり、これは、絵的に緊迫感を醸し出すための嘘なのです。
映像表現としては、よくあることです。
また、刑事ドラマなどで、時効成立ギリギリの逮捕劇というのがありますが、あれも大抵嘘です。
というのは、ああいうドラマでは、本当にギリギリで逮捕することが多いからです。
鷹羽が知る限り、一番酷かった例は、1985年放映の、警察の特殊部門の刑事達を主人公としたドラマ『スーパーポリス』でしょう。
ここでは、
- 犯人を倉庫のようなところに閉じ込めて拷問まがいの尋問をする
- 時効が成立した途端に、ほっとした犯人がベラベラとしゃべり出す
- 実はその部屋の時計は1時間進めてあって、まだ時効が成立していなかった
- 犯人逮捕
という物語が展開します。
逮捕もしていない犯人を閉じ込めているという時点で、既にとんでもない違法捜査ですから、それ以上何か言うのも野暮なんですけど、日本の法律では、犯人逮捕に“自白”は必要ありませんから、そもそも『スーパーポリス』の例は嘘だらけということになります。
自白だけでは有罪にできないと刑事訴訟法に書いてありますから、“証拠がないから逮捕できなかった”のなら、たとえ起訴しても確実に無罪判決が下ります。
通常、時効間際の逮捕劇というのは、“犯人の居場所が分からないために逮捕できなかったが、最近居場所の情報をつかんだ”という作劇でしょう。
刑事ドラマでは、一般的にそういうパターンで作っているようです。
この場合、“時効成立○時間前の逮捕”という制限時間が主眼になります。
以前、
『習慣鷹羽・仮面ライダーアギトの軒下』29話で時効について書きましたが、これもそのパターンでした。
ただし、いずれにしても演出上の嘘はあります。
「時効」には、取得時効、消滅時効など色々な種類があるのですが、刑事ドラマで言う時効は
公訴時効のことで、起訴できるタイムリミット、つまりその日の午後12時(つまり翌日の午前零時)までに起訴しなければもう起訴できなくなるという期限です。
当然のことですが、逮捕は起訴ではないので、その後、検察庁で起訴する手続が必要です。
逮捕された犯人は、身柄を送検される=検察庁に送られるわけですが、大きな事件では、その様子がニュースで報道されますね。
起訴されるのはその後ですから、時効成立1時間前に逮捕などということになると、相当無理があります。
現実に、時効成立間際に犯人逮捕なんてことが起きた場合、恐らくは事前に検察庁と打ち合わせしておいて、逮捕後直ちに起訴できるよう、起訴状などを準備しておくのでしょう。
それでも犯人を移動させる物理的な時間は必要ですから、どう頑張っても1時間では無理だと思います。
ただ、ドラマの盛り上げとしては、やはり漠然と“起訴された”という話よりも、手錠がガチャンと掛けられる逮捕シーンの方が絵になります。
そして、“時効成立まであと10日”では緊迫感に乏しいから、“あと2日”“あと15時間”などと、どんどん詰まっていくのです。
こんなに大げさでなくても、小さな嘘演出は色々あります。
映画『タイタニック』で、主人公のジャックとローズが、船に浸入してくる海水に腰まで浸かりながら上の階に逃げるというシーンがあります。
この作品では、ローズの乗った木材につかまって浮いていたジャックが凍死して沈んでいくというのをクライマックスにしていますが、以前に書いたとおり、流水は溜まっている水よりも体温を奪いやすいので、あんな状況に陥ったら、ラストで氷の海に浮かんでいたときよりも短時間で死んでしまいます。
人間の体は、体温を激しく奪われれば動くことすらできなくなります。
寒いところにいると、まともに喋れなくなることがありますが、腰まで水に浸かってしばらくすれば、同じように足が動かなくなって水に流されて終わりです。
ちなみに、直腸内体温が26度を下回ると、凍死してしまうそうです。
本来なら、一旦は水に浸かるにしてもすぐに脱出し、足下すれすれくらい、または水かさが増える速度より早く上の階に上がり、下の階で増水するのを振り返りながら逃げるのが正しいのでしょうが、それだと段々水から遠のいていくことになって緊迫感に欠けるので、このような演出になったのでしょう。
こういった目に見える緊迫感を出すために大げさな状況を作るのは、作劇として当たり前と言えることですので、上記のウルトラの星の件にしても、批判は当然ですが、子供番組だからどうこうとあげつらってほしくないなぁ〜というのが、トクサツ好きの鷹羽の気持ちだったりします。
だって、一昔前の刑事ドラマなら、日本の警察官がマグナムやらライフルやらぶっ放しているんですから。
弾丸が普通の車のボンネットに当たれば、火花が飛ぶ程度ではなく穴が開いてしまいます。
エンターティメント作品である以上、多少の嘘は仕方がないことです。
何もかもリアルに、などと言い出したら、この世に冒険活劇は存在できなくなるでしょう。
大切なのは、作品世界という“嘘の世界”において、制作者が自ら作ったその世界のルール(枠)に従って描いているかということです。
例えば、普段はドアに弾かれるような銃弾が、あるときに限って貫通して犯人を殺してしまい刑事が落ち込む、なんて話があったとしたら、それはあまりに薄っぺらい物語です。
作品世界のルールに従うとは、そういうことです。
この場合、作品ごとにルールそのものの厳密さが違うわけで、SF作品とトレンディドラマを同列に論じるわけにはいきません。
『タイタニック』の場合、かなりのリアル派指向であり、ところどころに史実に忠実な部分を取り入れたりもしていながら、その一方で、凍死するほどの冷たい海水を極限状態の演出として見せておきながら、その水が流れているところにどっぷり浸かってピンピンしているジャックというルール破りをやっています。
しかし、鷹羽は、あれをもって“ラストでジャックが死ぬのはおかしい”という意見を聞いたことがありません。
また、ジャックの顔が凍り付いていたりもします。
まさか、生きてるうちから体温が零度以下になっているわけでもないでしょうし、生きてる人の顔が凍り付くほど気温が低いなら、濡れた服を着て木片の上にいるローズも凍死しかねません。
濡れた服は、水の中では対流を阻害して体温が奪われるのを防ぎますが、大気の対流は全く防げず、むしろ気化熱を奪って体温を下げる側に回るのですから。
これは大いなる矛盾ですね。
でも、そのことに気付かずジャックの死に感動している人は、大抵冒頭で挙げた『レオ』を見たらバカにするでしょう。
元が荒唐無稽な分だけ、大げさな演出がそのまま大嘘に見えるというのが、トクサツ番組の辛いところです。
いえ、決して一方的に擁護したいわけではありません。
鷹羽だって、『レオ』の例がおかしいことは十分承知していますし、『アギト』の蠍座の件にしても、当時のレビュー連載の中で突っ込んでいます。
ただ、それは1つ1つのシナリオの問題点であって、決してトクサツ番組全体がそうだというわけではありません。
荒唐無稽なりにルールに従っていれば、決して単なる嘘物語ではないのです。
「だから子供番組は…」ではなく、「あれはいくらなんでもひどいよなあ」、「○○の脚本は支離滅裂で困る」或いは「さすがは大映テレビ(笑)!」という目で見てほしいんですよね。
ま、つまるところ「所詮は子供番組」なんて言ってほしくないなぁってことなんですけど。
敢えて嘘をやってる部分にしても、うっかり妙なことをやっちゃってる部分にしても、大人向け子供向けではなく、スタッフの拘りの問題だと思います。
多少の無茶はノリでOKってこともあるわけですし。
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