復活・プレミアについて 3
後藤夕貴
更新日:2006年1月22日
 さて。
 前回は「以前プレミアが付いていた物が、後にゴミ扱いされる事もある」という話をしましたが、今回はこれをさらに掘り下げてみたいと思います。

 なお、またまた念を押しておきますが、ここの話題で例に取り上げているものは、主に玩具系などのアイテムです。
 たまに書籍も扱いますが。
 とにかく、あらゆるプレミア商品を対象にまとめているわけではありませんので、その辺ご理解の上、お付き合いください。

●過去の製品の完成度の否定
 前回は「プレミア価値がなくなったと言っても、その商品の完成度の高さまで否定されたとは限らない」という方向の話をしました。
 ところが、実際には「完成度を否定されたために価値が下がった」というアイテムも存在しているのです。
 言うまでもありませんが、新しい商品の方が、大概において古い商品より高いレベルを誇っているものです。
 中には逆転現象を起こしているものもありますが(笑)、まず、こう言い切っても間違いではないでしょう。

 以前、こんな事がありました。
 とある場所でたまたま耳にした事なのですが、80年代のDX超合金(合体セット物。現在は数万円単位のプレミアが付くレベル)を指して、「どうしてこんなに出来の悪い物に、高い値段付けているんだ?」という会話をしていた人が居たそうです。
 これはどこかのプレミアショップ内でのエピソードだと思うのですが、疑問を唱えていた人は、別に店への文句として述べていたわけではないらしく、本当に価値が理解できていなかっただけのようで、連れの人と一緒に首を傾げていたそうです。

 とはいえ、これは別にその人が悪いという話ではありません。
 普通に考えれば、たかがおもちゃに数万円も払える人の方が異常なのですから。
 疑問を抱くのは当然なのでしょう。
 だけど、その話を筆者にしてくれた人に言わせると、最近そんな話を聞く機会が増えたんだそうです。
 今の商品の方が完成度も高く、プレイバリューもあるというのに、そちらには価値が付かず、大昔のろくにギミックもない商品がもてはやされるのは、納得がいかないという理屈らしいです。
 うーむ、それはそれでわからなくもない気がするのですが…
 まあ、その人が気に入っている物=価値が高いものであってほしい、という感情から来る感覚かもしれませんけどね。

 ここまでの話をまとめると、どうもその「プレミアに納得できなかった人」は、商品そのものの良さが評価される(=プレミアに反映される)べきであると、無意識に考えてしまっているようですね。
 最近の「超合金魂」などをいじりなれた後、昔のDX超合金をいじってみたら、あまりのショボさに驚いた、という経験を持つ人も多いでしょうし。
 筆者も、昔のアイテムを十数年ぶりに手にとった時、「これってこんなにショボかったっけなあ?」と思わされた経験がありますから、気持ちはよくわかります。

 古い商品は「その当時、それぞれのメーカーで出来る限り工夫を凝らして発売された最新アイテム」であったわけで、現在ほどノウハウの蓄積がなかった時代の商品がショボく見えるのは、しょうがない事です。
 たまに、時代を超えてその完成度の高さが評価されるアイテムが出てきますが、それも今後十数年経過したら、やっぱりショボく感じられてくるかもわかりません。
 
 このように、新しいアイテムの良さを基準に古い物を比較して、「ショボイ」「出来が悪い」と安易に切り捨てる姿勢は、本来正しいものとは言えないのですが、プレミア品を扱う中古業界に、確実に影響を及ぼし始めているようです。
 以前なら、十数年から数十年前のレアアイテムを求めるのがプレミア的探求でしたが、最近は「値段に見合った内容」が求められる傾向が見えてきたわけです。
 つまり「ン万円も払ったのだから、それなりに遊べるギミックがなきゃダメだ」とか、そういう方向の見解です。
 あるいは、「納得できる造形美がなきゃダメだ」とか。
 こういう価値基準が増えてくると、ただコロ走行するだけの旧ポピニカとか、丸太棒のような“関節すらない”足がニョキッと生えているだけの超合金などは、「ただ古いだけで全然旨味のないアイテム」とされてしまいます。
 ブルマァクの商品で、全身合金製で、後頭部に息を吹き込むと音が出て、スイッチを押すとメダマが飛び出るという「ガキおやじ」の玩具があったのですが、こんなものを今更血眼で捜し求める若いコレクターさんは、まず居ないでしょう。

 …え、「ガキオヤジ」って何かって?
 「ロボっ子ビートン」…知りませんか?
 OH!! ジェネレーションギャーップ!!

 しかし、たまに例外があったりするから、面白い。
 つまり、古い物なのに現在の物に匹敵するプレイバリューがあるとか、或いは、ギミックのショボさなど忘れてしまうような派手な売りがあるものとか。
 こういう物は、やっぱりいつの時代も、高い評価を受けているようです。
 「世界の超合金」時代のDXセット系が、いつまで経っても価値が下がらないというのも、その一例でしょうか。
 ましてや、その中には過去何度か復刻されたものがあるというのに、です。
 その復刻も含めて価値が高いままというのだから、やはり認められている部分も多いのでしょう。
 たまに、若いマニアで古い作品を辿っていく人達がおりますが、そういう人達にとって、これらはどのように映るのでしょう。
 なんとなく興味がありますね。

●先が読めるようで読めない、プレミア評価
 例えば、今現在あなたの手元に、ものすごく数の少ない限定品で、プレミア価格が何万も、あるいは十何万も付いているアイテムがあったとします。
 でも、発売されてからまだ数年も経っていません。
 こんなものを持っていると、さらに十年、二十年経つと、さらに価値が高まるように思えるものです。

 が。
 必ずしもそうとは限らないというのも、プレミアの面白く、恐ろしいところです。
 以前「プレミアについて」を連載していた時、当時一枚数万円の値段が付いていた「新世紀エヴァンゲリオン劇場版限定テレカ」や「同・プレミアムトレーディングカード」が、最終的に買取不能というほど低い評価を受けてしまった例を挙げました。
 これは、限定テレカやトレカが出回り始めた当時は、ショップに流通している絶対数が少なかったために価値が付いたわけですが、やがてデッドストック保管者がコレクションを手放したり、一度売れたものが再び戻ってきたりするようになったため、限定といえど常に在庫が残り続ける状態となり、評価が下がったわけです。
 だから、限定数500枚という極端な流通数でも、低評価はありうるわけです。
 どんな限定品も、同じような事が起こる可能性が一応あるため、今が高いからと言ってあまり楽観視は出来ません。
 もし、高く売るというのが最終目的なのだとしたら、逆にすぐに手放した方が得する場合もあるのです。

 さて、こんな事態を発生させうる要因として「ストッカー」とも呼ぶべき人達がおります。
 これは造語ですが、要するに、売却目的あるいはコレクション目的として、はなからデッドストック保存を前提として購入する層の事です。
 これはカード類のみならず、「箱から出してナンボ」のアイテムであっても同様で、“実際に売れた数>購入者数”という、昔は考えられなかった図式を成り立たせてしまいました。

 という事は。
 このストッカーさん達が、何かしらの理由でコレクションを手放した場合、突如として流通量が増加する可能性が出てくるわけです。

 ここで、以前筆者が書いた「癒着と硬化」を思い出すか、目を通してみてください。
 最近、長期保存に向かない材質を使った商品が大変増えてきました。
 という事は、大切に保管していた筈のものが、未開封パッケージの中でデロデロゲチョゲチョになっていた、という事態も発生しかねないという事で、こうなってしまった、またはなりそうな傾向が見えてきたアイテムを手放そうとする人達が出てくるかもしれません。
 すでに、海洋堂のバーチャロンのように、発売後わずか数年のうちに、ブリスターの中でパーツが自然崩壊してしまうものも出て来ています。
 そういう問題のある状態のものを、「未開封だから」「新古品だから」という理由で買い取ってしまう業者も居るわけで、最悪の場合、これが進みすぎると、今現在大人気のアイテム群の価値が揃って大暴落(或いは、価格こそ下がらなくても買取が難しくなる)を起こす可能性は否定できません。
 まあ、筆者も断言できるほどではないとは思いますが…懸念はあるわけです。
 今から二十年くらい経った時、本当に希少価値を見出されるのは「ギミックが優れていて」「造形も良く」「未使用は当たり前」「状態が良い」という、経年劣化を感じさせない、ごく一部の物だけになってしまうかもしれませんね。

 結局のところ、どんなに品数が増え、購入者や流通量が増加しても、最終的に評価され、争奪戦の対象となるのは、「ごく限られた物」だけなのでしょう。
 これは玩具に限らず、すべての物に言える事ですが。
 ひょっとしたら、これからの中古流通業界の相場変動は、過去のどれよりも読みが難しい傾向になるやもしれませんね。
 くわばらくわばら。

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