「仮面ライダー響鬼」の大問題 2
後藤夕貴
更新日:2005年8月18日
 さて、前回に引き続き、ここでは「習慣鷹羽・仮面ライダー響鬼のお仕事」とは別ベクトルの話をしていきたい。
 本作「仮面ライダー響鬼」の問題点について語る内容なので、熱烈なファンの方はどうかこの先読み進まれないように警告しておきたい

 なお、以降のコラムはすべて「仮面ライダー響鬼」第1話〜29話までの“高寺プロデューサー版”のみを対象としている。
 30話以降の“白倉プロデューサー&井上氏脚本編”には、まったく触れていないので、予めご了承いただきたい。


 では、第二回目。

●疑わしき描写
 本作では、なぜか「中途半端な描写」や、「どうしてこの場面を挿入する必要があるのか」と、悩まされる怪演出がやたらと多い。
 そのほとんどは、本編の主人公・安達明日夢に関係するものなのだが、これは丸ごと次回に投げるとしよう。
 ただ、例外的に一つだけ、ここで紹介させていただきたい。

 第一話、車の中で明日夢とヒビキが何やら話している場面がある。
 これは、具体的な会話内容がよくわからないようになっているが、その直前に魔化魍絡みのトラブルがあったばかりなので、大概の視聴者は、魔化魍(あるいは先ほどの出来事)についてヒビキに何か聞いているものと思ってしまうだろう。

 ところが。
 なんとあの場面は、明日夢が受験に関する悩みを、ヒビキに相談していた場面なのだそうだ。

 確かに、明日夢達が到着した直後の場面で、明日夢の母親が高校受験が云々という話をしているシーンがある。
 また、翌日の朝、海岸で音撃棒を修復しているヒビキに対して、明日夢が「昨日の話、どう思いますか?」と尋ねるシーンがあり、ヒビキもそれに対して、まるで人生相談をしてやっているかのような返答をしている。
 これらを絡めて見れば、確かに、車の中の会話に高校受験の話題が含まれていただろうと判断する事はできる。
 しかし、それは視聴者側が「車の中の会話がどういうものだったか」という事を、テレビ本編以外のソースで知っていて初めて成立する連想だ。
 
 そもそも何故、あんなとんでもない目に遭った直後に、知り合って間もない男性に対して受験の話などする必要があるのだろうか?
 それどころか、どうしてそんな話をしようという発想が出たのか?
 また、それならそれでどうしてハッキリ画面にその会話を出さないのか?

 ――このような、普通には到底理解の及ばない奇妙な演出が、本作には所々に潜んでいる。
 これは、本作の特徴の一つでもある事を、ここで付け加えておく。


 さて、本題。
 本編描写がいい加減である事は、すでに前回、猛士や鬼にまつわる話で触れた。
 だが、魔化魍側の描写には、もっと大きな問題点がある。

 魔化魍についておかしな点をピックアップしてみよう。
  • 何故、巨大な姿である必要性があるのか
  • 人間を捕食するという設定は、本当に必要なのか
  • 童子と姫は、どうして魔化魍を育てるのか
  • 何故、「清めの音」でしか倒せないのか
  • 何故、巨大な魔化魍に鬼が単身で立ち向かわなければならないのか
  • あれだけ巨大かつ人的被害甚大な存在なのに、一般人が誰も気付かないのはなぜか
    (知らされないのはなぜか)
 魔化魍が巨大な姿である意味がほとんどないという見解は、かなり初期の頃から各所で唱えられていた。
 劇中では、巨大な魔化魍はすべてCGで表現されており、鬼役のスーツアクターは、撮影時には何もない空間に向かって殺陣を行っている。
 そのため、どうしても画面に違和感が生じている。
 その上、肝心の魔化魍が「CG丸出し」「リアリティ皆無」「動きが不自然」「画面と一体化しておらず、浮いている」「異常に軽そうに見えてしまう(重みを感じない)」などと悪い事ばかりで、まったく旨味が感じられない。
 また、これらに音撃を決めるシーンも不自然極まりない。
 戦闘については別項でまた触れるが、とにかく「等身大の敵と戦わせてはいけないのか?」という疑問が付きまとうだけの描写だった。
 等身大の戦いがまったくない訳ではないが、あまりにも弱すぎる童子や姫との戦闘では、あっさり決着がつきすぎて食い足りないのだ。
 どうやら、魔化魍が巨大であるという事から発生する問題は、一部の製作陣には理解されているようで、七月からは等身大の魔化魍も登場する事になった。
 そのまま最後まで等身大で…とはいかないと思うが、とにかく、ここで対巨大戦を一時的にしろ止めたという事は、やはり製作側に何かの考えがあったからなのだろう。
 
 これらはあくまで映像上の表面的な問題だが、では、劇中での表現はどうか?
 本編を良く見ていると、魔化魍は出現直前までは大したスケールを感じさせず、活動を始めてやっと大きく見えてくる。
 魔化魍は、童子と姫の導きがない限りはどこかに身を潜めているので、そのままでは確かに大きさはピンと来ない。
 だが、実際に全身を現してみると、どうしてこんな大きな奴が、今まで誰にも知られる事なく隠れていられたんだ? と思えてくる。
 バケガニなどのように、体高がそんなにない上、普段は海の中や洞窟に潜んでいる奴ならともかく、山中に生息しているヤマアラシや飛行能力を持っているオトロシなどは、かなり遠くからでも見えるくらいの身長があった。
 まして、イッタンモメンやウブメにいたっては、ほとんど空を飛びっ放しなのである。
 これで一般人に気付かれていないというのは、あまりにも無理がありすぎるだろう。
 もっとも、魔化魍は場面が変わるとしょっちゅうサイズが変化するので、あまりこだわって見ても仕方ないのだが(オトロシの単独飛行シーンを見てみると、これがよく解る)。

 筆者は当初、最初は非実体、被害を発生させる時のみ実体化しているのではないかと解釈した(ヤマビコの回で)。
 だが残念ながらそういったことはなく、魔化魍は完全な物理体だった。


 魔化魍が「人を食う」という設定も、かなりまずい。
 これは、残虐描写や倫理観の問題で述べるのではない。
 同じような設定を持つ存在として、「仮面ライダー龍騎」のモンスターが居るが、魔化魍は彼らにはない問題点を抱えている。

 それは「人間を食う事で成長する」という設定だ

 前回も書いた通り、魔化魍が巨大な姿を見せる事そのものが、そのまま大きな人的被害が出た証拠になってしまうのだ。
 これは、鬼達が実際に発見した捕食の痕跡などよりも、遥かに規模が大きくなければおかしい。
 魔化魍の成長度合いと被害者数の関係は特に一定していないという事については、前回細かく触れたのでここでは省略する。
 とにかく、この問題はヘタに扱うと鬼や猛士達の活動のあり方に疑問を投げかける材料になってしまうほどのものなので、もう少し練りこんでいただきたかった部分だ。

 ただ勘違いのないように述べておくと、魔化魍の設定を現在より緻密にし、どれほどの被害を出すとどれくらい大きくなるのかとか、そういう法則性を完璧に決定し、それに基づいて描いてくれ、などと言っているわけでは決してない。
 また、鬼や猛士の活動にも完璧さを求めているわけでもない。
 鬼や猛士が救い切れなかった被害者が居ない方がおかしいし、また被害者が皆無だと、逆に魔化魍の恐ろしさも鬼の活動の重要性も見えてこない。
 前回の繰り返しになるが、ただ、もう少し表現に気を遣って欲しいだけなのだ。
 魔化魍出現に対して何かしらの感情を抱くとか、どこかで犠牲者への弔いの言葉を唱えるとか、あるいは他作品でありがちな「魔化魍に怒りを向ける」などといった事でもいい。
 これなら、被害者達も多少は報われるというものだ。
 中には、この辺の描写がない事を指して「鬼や猛士達の余裕の表れ」と表現している方がおられるが、そんな風にはとても思えないし、余裕を見せつつも被害を憂う事は充分に出来る筈だ
 とんでもない非現実的な存在を相手に、懸命に戦っているという緊迫感があればいいだけなのだ。
 26話で、謎の童子と姫を追跡するイブキのシーンは、緊迫感をあおっているかなりの名シーンだったが、もしここでイブキが、先で言う「余裕と表現されている」態度を取っていたなら、思いっきり台無しになっていたことだろう。

 魔化魍による被害の大きさが極端(にしか見えない)だから問題視するのではなく、「それをまったく本編内で活かしていない」事がまずいのだ。
 一匹の魔化魍が育つのに、一千万人食わなければならなくったっていいではないか。
 最終回までに、数億人の人間が死んでしまったとしても、別にいいではないか。
 だが、現在のように魔化魍という脅威に対する感情表現が皆無のままでは、これらの被害規模はただの台詞上の数値に過ぎず、魔化魍の存在の恐ろしさや、事態の緊迫感を煽る材料にすらならないのだ。


 童子と姫を巡る設定も、よくわからない。
 少しだけ設定を振り返ってみよう。

 彼らは黒服や白服によって最初に生み出され、誕生した瞬間からすでに完全成長体となっているようで、言語能力・戦闘能力・知能・知識なども発達している。
 同じく黒服・白服によって生み出された魔化魍の親となり、これの育成に励む。
 具体的には、童子と姫が餌となるべき人間を捕らえ、または殺し、その死体(肉体)を魔化魍に与えるというプロセスを踏む。
 今のところ、その目的は「里を襲う」事らしく、これは何度も劇中で呼称されている。
 姫と童子はすべて同じ顔と体格だが、衣装や性格が異なり、変身した後はさらにその違いが際立つ。
 変身する事で「怪童子」「妖姫」となり、その際は育てている魔化魍に準じた身体変化が見て取れる(バケガニならはさみを持っていたり、ヤマアラシなら針を吐き出したり)。
 劇中では、童子と姫も含めて全部を魔化魍と呼称しているようだが、彼らは明らかに魔化魍と性質が異なっており、清めの音なしでも倒す事が出来る。
 
 こうしてみると、特に大きな疑問は感じられないような気がするが、奇妙な事に、魔化魍を育成している彼らの存在が猛士にしっかり認知されているという部分に問題がある。

 姫と童子という「明確な知能と意志を持つ存在」によって育成された時点で、魔化魍は野生の存在とは言えない
 もちろん、黒服や白服によって発生させられているのだから野生でない事は今更言うまでもないのだが、そうではなく、その育成に人?為的なものが加わった時点で、それは「養殖」でしかないのだ
 この「人為的」というのは、何かしらの実験を行っている(らしい)黒服・白服の意志を指すものではなく、単純に、童子と姫の二人の「明確な個別意志を持つ存在」の手で“育てられている”という現実を指す。
 「発生」というからには、本来ならば魔化魍が自己の本能で成長しなくてはならない。
 だが、これが「養殖」である場合、育成者によって成長度合いが調整される可能性が生まれるため、まったく意味合いが変わってくる。

 また、これにより猛士側のデータとの食い違いが発生する危険もある。
 あくまで「発生」という前提で採取されたデータは、「養殖」によるイレギュラーな変更が行われた場合、その意味を完全に喪失する。
 事実、8話では過去のデータで魔化魍を特定できない現状を指して、勢地郎が「人の裏を掻こうという悪意があるねえ、最近は」と述べている。
 このように、「悪意」なるもので魔化魍の出現条件がコロコロ変えられてしまうのであれば、すでに温度や天候、湿度などによる発生条件など、まったく意味がない筈ではないか?
 
 繰り返しになるが、本編内の描写を見る限り、魔化魍は野生生物ではなく「養殖」されている存在に過ぎない。
 しかし、猛士側はそれを指して「発生」と表現するのだ。
 その表現の意図するものは劇中でもまだ良くわかっていないが、とにかく、セリフ上の表現と実際の描写が大きく異なっているのは間違いない。
 猛士側が、童子や姫が魔化魍を育てているというシステムを知らない、というのなら、この表現でも問題ない。
 養殖されているという事実を知らなければ、「発生」という表現以外使いようがないからだ。
 だが、猛士は童子と姫が魔化魍を育てている事を知っているし、その上にさらなる存在が控えている事すらも知っており、そいつが何かしらの目的の基に活動を行っているらしき事すら気付いている。
 ――この表現の食い違いは、一体何なのだろう?


 もし、魔化魍が人為的育成によるものであるという事がわかった上でデータを集めており、あえて「発生」という表現を使用しているだけなら問題はないのだろうか。
 その場合、猛士側は、童子と姫(またはその上の存在)がどういう意志の元に活動しているのか、ある程度その見当をつけている事になる。
 逆に、もしそれを知らなかったとしたなら、猛士は「今まで何百年間も、何をしとったんじゃ」という事になりかねない。
 劇中では、猛士の集めたデータはかなり役立っており、古い時代のものでも実用性は充分のようだ。
 という事は、やはり集められたデータはそれなりに完璧なのだ。
 その上26話では、黒服が大型の魔化魍を発生させ、夏の間は白服が小型の魔化魍を発生させているという、それまで視聴者しか知らなかったんじゃないかと思われていた情報まで、猛士側は把握している事が判明した。
 またそれ以前にも、勢地郎が黒服を指して「吉野の予測は…だろうという事だ」と、一部をボカした発言をしている。
 このあからさまなボカし方についてはかなりの非難があったが、それはともかく、猛士側は黒服の正体に対し、かなりの予想を立てている事がわかる。
 という事は、猛士は魔化魍側の裏事情も、だいたいおおまかに把握しているという事になるのではないか?
 だとしたら、益々今のデータのあり方はまずくなる。

 ちなみに猛士は、現代に至って「都心部の情報収集網を確立していなかった」という致命的な問題があった事が、劇中ではっきり提示されている(19話)。
 つまり、都心部には魔化魍は出ないものだという想定があり、長年それを頭から信じ込んでいた事になる
 もし、都心部にオオナマズが出現しなかったら、都会での魔化魍対応はほとんど何も出来なかったと言い切ったようなもので、これは致命的な問題だ。
 このように、一見完璧に見える猛士の情報は、所々歯抜けしているという不完全極まりないものなのだ。
 一月ごとに魔化魍データをまとめているクセに、その検索に多くの時間と人的労力を費やす必要があるというのも、まずい部分なのだが…
 昭和40年5月なんてごく最近の時期の資料くらい、とっととデータ化しなさいよ、と。


 と、ここまで書いた時点で、さらなる展開があった。
 27話では、イブキやザンキの発言などから黒服・白服らが「傀儡(クグツ)」と呼称されていた事実が判明した。
 ご存じの通り、傀儡とは「操られしもの」という意味だ。
 ザンキがこう呼称し、他の鬼達にも意味が通じているという事は、猛士は傀儡という名称だけでなく、そう呼ばれる所以も知っていなければおかしい事になる
 黒服・白服だけを見ただけで、彼らに傀儡などという名称を付けるのは、どう考えたっておかしい。
 現に視聴者も、裏設定を知らなければ、あの二人からそんな名称を連想する事はなかっただろう。

 だとすると、猛士は「傀儡と呼称する理由」すなわち「操っている者が居るだろうと考える理由」を持っていることになる。

 28話予告で、イブキが後を追いながらも見逃してしまった“謎の二人連れ”が、洋館で何か実験のような事をしているシーンがあった。
 その中には、童子や姫、また魔化魍を発生させる時に用いているガラスシリンダーのような物や、ビーカーの中で緑色の液体に浸かっているイガイガ球も写っている。
 もし、彼らが黒服・白服をはじめとする魔化魍セット一式を生産しているのだとしたら、猛士はその事について何か知っているのだろうか?
 少なくとも、27話終了の時点でイブキは、彼らの正体が「童子と姫」でも「傀儡」でもなかったとはっきり述べている。
 彼らの正体について何か知っているらしきセリフはなかったが、態度から見ると正体を測りかねている様子だった。
 今後、彼ら二人を指して何を言い始めるものか、注目する価値はあるだろう。
 個人的には、後付けで突然すごい情報を持っていた事にされるのではないかと、邪推している。

●疑惑の音撃
 猛士は、鬼が魔化魍退治に使用する音撃武器を自主開発・研究・生産しているという側面も持っており、これは劇中でもしっかり描写されていた。
 という事は、猛士は「魔化魍に致命的なダメージを与える条件」を熟知している事になる。
 そして、それをわざわざ特殊能力を持つ「個人(鬼)」に手渡し、その者に使用させて一体ずつ撃破するという、大変まどろっこしい方法を取っている。
 これほど効率の悪い戦法はない

 普通、巨大なバケモノが現れたとしたら、そのために多くの訓練された人間と武装・兵器が動員され、地域住民や周辺環境、また自分達への被害を最小限に留め、なおかつ確実に相手を殲滅させる作戦行動を取るだろう。
 というよりも、こう考えない方がどうかしている。
 猛士と鬼の活動は、こういった「常識的な思考」に思い切り反発したものなのだ。

 猛士が、魔化魍の弱点である「清めの音」なるものを確実に作り出すシステムを所有しているのなら、それを用い、(威吹鬼の烈風などとはまた違った)遠距離から魔化魍を攻撃できる兵器を開発・使用すればいい。
 わざわざ鬼が、危険を冒してまで魔化魍に接近戦闘を仕掛ける必要などない。
 神出鬼没な魔化魍を倒すために、どうしても小回りの効く者が必要だというのなら、鬼とは違った戦闘訓練を積んだ者達を集め、それらに複数の“効果的な”音撃武器を装備させ、ゲリラ的に活動させる方法もある。
 もちろん、楽器形状ではなく、音響爆弾のようなものを使用するのでもいいだろう。
 また、超遠距離からの狙撃による音撃が不可能であるというなら、携帯可能な射出型音撃武器を複数の者に与え、距離を縮めて一度に放射すればいい。
 複数同時掃射ならば、たとえ防御力が高い者でも、そう長時間耐えられるものではない。
 オトロシのように、烈風の攻撃が部分的にしか効かない相手でも、複数同時掃射ならそれなりに意味はあるかもしれないし、別なもので装甲の一部を破壊してからそこを集中的に叩いてもいい(響鬼も、その理屈でオトロシを倒していたのだし)。
 もっと単純に、銛付きのワイヤーケーブルのようなものを射出して、それを伝って音撃を流すという手段だってある。
 夏の魔化魍のように分裂する者には、マップ兵器みたいに広範囲攻撃が可能なものを用意して、一網打尽にすればいい(マップ兵器は便宜上の表現なので注意)
 何も、バカ正直に一体の魔化魍毎に一人の鬼を派遣させる必要など、まったくない。
 絶対安全圏から攻撃できる可能性、または戦闘行動を最小限に留める可能性が見出せるなら、そもそも鬼なんか使う必要はない。
 わざわざ肉体を極限まで鍛え、その間の私生活まで制約を与え、本名まで奪い、生活を不便にさせてまで行うようなものではない筈だ。
 戦闘要員を育てるにしても、軍人レベルの訓練で充分な筈だし、その方が「成り手不足」に悩まされる事はないだろう。
 しかも、基本が「魔化魍との一対一」という図式になるという事は、致命的な負傷や死亡に至る可能性がそれだけ高まるわけで、人命軽視にもほどがあり、あまりにもリスクが高すぎる。
 事実、何人かの鬼は深刻なダメージを受けているのだし。
 「鬼のなり手が少なくなった」と嘆く場面が劇中にあったが、それなら秘密主義を取りやめ、私設軍隊のような組織を構成し、魔化魍専用特殊攻撃部隊を複数派遣した方が現実的。
 複数の人間による圧倒的火力による一斉攻撃の方が、たった一人の鬼の音撃よりも有効なのは、火を見るより明らかである。
 今のスタイルのままでは、まったくもって、わざわざ鬼になってまで戦うメリットが見出せないのだ。

 ――が。
 もちろん、こんなことを言い始めてしまうと「仮面ライダー響鬼」という番組そのものが成り立たなくなってしまうというのは、筆者もよくわかっているつもりだ。
 安全圏からこっそり攻撃するような者を、特撮ヒーローとは呼びたくない。
 だから、上記に述べたようなアイデアを盛り込まなければ絶対におかしい! などと戯言を唱える気はない。
 それこそ、番組自体を否定するナンセンスな意見になってしまうからだ。

 要するに、一番まずいのは「そういった突っ込みが入るほどの隙がある」という、現在の作劇のあり方なのだ。

 猛士が鬼を派遣しなければならない理由、魔化魍と戦う者が鬼にならなければならない理由、鬼が音撃武器で接近戦を試みなければならない理由、どうしても後手にまわらざるをえない理由、鬼しか音撃武器を使えない理由と理屈。
 これらがきっちり示されていれば、現在よりもさらに説得力のある舞台背景が作り出され、一見理解不能な猛士の活動方針にしても「何か考えがあるな」と想像するゆとりと楽しみが生まれる。
 仮に、上記の理由がすべて理不尽なものであったとしても、「長年そうやって続けてきた“儀式的”な側面を持っている」とか、「この世界観ではそういう事なんだな」と理解させてくれるならいい。
 特撮番組の中の、すべての粗を取り除く必要などないのだから。

 また、人を救うという概念について、鬼個人と猛士全体、あるいは本部と支部とで認識が違うなど、「統一感がないために生まれる差異の面白さ」を描く事も可能だろうし、何かしら説得力を生み出せるかもしれない。
 ただ、今の時点ではそういった期待をする事は出来ず、まるで「時代に乗り遅れているにも関わらず、頑なに古い運営方針を変えない場末の老舗店舗」のようにしか見えない

 恐らく「清めの音」も、本来ならば、鬼でなければ作り出せないという性質としたい所なのだろう。
 その理念が明確化するだけで、鬼達が、あれだけハイリスクな戦闘を強いられるのも、ある程度納得できる。

 だが、残念ながら「清めの音」は、鬼が発生させているわけではないという事が、劇中ではっきり証明されている

 13話にて、対乱れ童子戦用武器として、音撃鼓・爆裂火炎鼓を開発してヒビキの元に持ってきたみどりは、「音撃棒の出す清めの音を、最大限に増幅出来るようにチューンアップした新型なの」と説明している。
 これは、音撃武器開発担当者による発言だから、最も信憑性のあるセリフとして判断して良いだろうし、8月現在、「清めの音」の発生源について説明されたセリフは、これ一つしか存在しない。

 この爆裂火炎鼓開発にはヒビキは関わっておらず、物を渡されたヒビキ自身、少し驚いたような表情をしている上、みどりからさらなる説明を受けている。
 みどりは、先のセリフの直後「叩く回数が少なくても大丈夫なようにしてあるんだけど。まだ完璧なテストをしていないから、どうなるかよくわかんないんだけどね」と述べている。
 このセリフから、「ある程度のテストは行っている事」「叩く回数が少なくても済むという基本性能については、一応保障できる」という意味が汲み取れる。
 という事は、「(鬼に実際に使ってもらう)完全なテストはまだだけど、(万全の保障は出来ないものの)実戦には使えるかもしれない」と解釈できるだろうし、ヒビキもそれを理解したのか、「まあその辺はね、おまかせあれ!」と返している。

 ここまでの情報を検討すると、
  • みどりは、実験的にでも「清めの音」を発生させるシステムを持っており、
    これを用いて音撃鼓のチューンアップを行った
  • チューン後の簡易テストでも、そこそこ確実性のある結果が出せた
    (さもなければ、ヒビキの元に持っていったりはしないだろう)
  • みどりは「清めの音」がどれほどの域に達すれば魔化魍に通用するか把握しており、
    それをテスト上で再現させる事ができる
 という事が見て取れる。
 特に三つ目は、「叩く回数が少なくても大丈夫なようにしてあるんだけど」というセリフを裏付ける重要なものだ。
 もし、みどりが実験的にでも「清めの音」を再現できないとしたら、このようなセリフは絶対に出てこない。
 せいぜい「叩く回数が少なくても大丈夫な筈なんだけど、実際に使ってみないと、どうなるかよくわかんないんだけどね」といった感じの、大変あやふやなセリフになってしまう筈だ。

 これを踏まえた上で、なおも「鬼でなければ清めの音は生み出せない」とすると、かなりの無理が生じる。
 仮に、みどりが響鬼についての精密なデータを取っており、これを利用して「仮想清めの音」を作り出せたとしよう。
 それを用いて調整・実験したのなら、確かにヒビキが居なくても効果が保障できる音撃鼓が作れるわけだが、そうすると「響鬼の精密データによる仮想清めの音」自体が、「清めの音人工発生源」になってしまう。
 つまり、先に挙げた「鬼がいなくても問題ない」という仮説が成立してしまう要因になる。
 もっとも、みどりがそのようなデータを持っていないという事は、別な回で証明されている。
 17話では、音撃棒から火炎剣を発生させる実験を行っているが、この時、みどりは響鬼に実際に使わせている。
 響鬼は、気合を乗せる事で火炎剣を発生させているようで、「剣が出やすくなった」とも発言しているため、これについては、鬼の力がなければ作り出せないものだと断言していいだろう。
 だが、もしみどりが響鬼の精密データなるものを持っていた場合、わざわざ響鬼に協力してもらう必要はない。
 データ上の仮想響鬼を利用して、火炎剣発生のための鬼石精錬を行えばいいだけだ。
 しかし、それが出来なかったという事は、やはりそんな都合のいいデータは存在しなかったという事なのだろう。
 というより、わざわざそんな仮想データを採集する意味もないし、あったとしてもどうやって物理的効果を再現するのか、無茶が過ぎるというもの。
 これは、仮に火炎剣発生の気合いと「清めの音」の発生理念が別々だったとしても、意味は大して変わらない筈だ。
 わざわざそんなものを作らなくても、すべての実験に本人を立ち会わせた方が簡単だし確実なのだから

 爆裂火炎鼓については、響鬼ではない太鼓の鬼(弾鬼など)に手伝ってもらったという理由も成り立つかもしれないが、わざわざそんな裏づけをでっち上げるよりも、素直に「鬼でなくても清めの音は作り出せる」とした方が自然な筈だし、それ自体に何の無理も生じない。
 この「鬼が清めの音を生み出す」という理屈は、どうもファンが勝手に想像しただけの要素らしく、別にオフィシャルの設定ではないのだ。

 だが、威吹鬼の攻撃は「弾丸として射出した鬼石に向かって清めの音を放ち、これを増幅して魔化魍を破壊する」というスタイルで、これを見ていると、威吹鬼は自分の身体で清めの音を発生させているように“一見”思える。
 だが、よく見ると威吹鬼の烈風のシリンダー部分にも、鬼石が三個仕込まれているのがわかる。
 シリンダーは、トランペットの音を司る重要な部分で、ここに鬼石が設置されている事は無意味ではないだろう。
 つまり、烈風内の鬼石で発生させた「清めの音」を、あらかじめ撃ち込んでおいた別な鬼石で増幅させる事でダメージを与える、という図式が成立するのだ。
 
 轟鬼の烈雷も、魔化魍初討伐時の画面を見ていると、末端部に付いている鬼石が激しく発光し、そこから音撃が広がっているのがわかる。
 この上、みどりの発言「音撃棒から出る清めの音」という発言が加われば、もはや「清めの音」の発生源は鬼自身ではない事が証明されたようなものだ。

 23話・24話における夏の太鼓祭編にて、夏は威吹鬼や轟鬼までも音撃鼓を使用しなければならないという設定が付加された。
 そして、ヒビキも以前管や弦の修行をした事があるという。
 という事は、鬼はどんな音撃武器を使っても「清めの音」を発生させられるという事になる。
 もし、鬼が「清めの音」を生み出すとしたなら、様々な形式の音撃武器から「清めの音」を発するために、それ専門の訓練が必要になると考えるのが普通だろう。
 さもないと、鬼はどんなものを使っても、「清めの音」を垂れ流せる事になる。
 という事は、無理に音撃武器を使う意味すらなくなるだろう
 もっと攻撃性能の高い武器に、まるでどこぞの波紋使いのように「清めの音」をコオォォォォッッと込めて叩き付ければいいだけなのだから。
 それぞれの音撃武器を用いて実戦や訓練を繰り返して、その果てに魔化魍に音撃をぶちかませるようになると考えるのが自然だろうし、そうであれば、太鼓や管、弦などのような鬼のカテゴリ分けの意味が生まれてくる。

 本編を見る限り、「清めの音」は訓練の果てに出せるようになるものとは到底考えられない。

 23話と24話を見る限り、トドロキは「太鼓を叩く」姿勢と心構えさえしっかり出来るようになれば、ヒビキに“太鼓使いの鬼として”認められたようだ。
 という事は、それらはあくまで「フォームと気合の入れ方」のレクチャーに過ぎず、「清めの音」を太鼓で作り出すための訓練ではない
 もし、鬼自身がその肉体から「清めの音」が生み出せるのであれば、先の通りそれだけで魔化魍との戦局は大幅に変わる筈だが、鬼達は、想像以上に音撃武器に依存して戦っている。
 やはり、「清めの音」を生み出す音撃武器があってこその、魔化魍退治なのだ。

 この説をさらに裏付けるのが、響鬼の新フォーム「響鬼紅」の戦闘スタイルだ。
 響鬼紅は、音撃鼓を使わず音撃棒だけで魔化魍を直接攻撃し、一気に粉砕できる。
 音撃鼓により、「清めの音」を増幅させる必要性がないのだ。
 これを普通に見ていると、響鬼紅は「自分の身体から清めの音を直接出して、魔化魍を倒している」かのようにも見えるが、実はそうではない。
 前述の通り「清めの音」を魔化魍の体内に流すのは、音撃鼓ではなくて「音撃棒」だという事を忘れてはならない。
 発生源のことは度外視したとしても、音撃棒の先端に付いている「鬼石」というパーツが、「清めの音」を流し込む要なのは確かなのだ。
 第一話で音撃棒の片方を失ったヒビキは、軸部分こそ屋久島の霊木からいただいてきたが、先端部の鬼石は破損前のものを流用していた。
 みどりの火炎剣実験も、その要は鬼石の精錬にあった
 音撃鼓の役割は「音撃棒の鬼石が発生させた“清めの音”を広く行き渡らせる」ためのものだが、響鬼紅は身体能力をアップさせた事で、音撃のブーストアップを自力で行えるようになったと解釈するべきだろう。
 事実、響鬼紅の攻撃を受けたドロタボウの身体には、巨大な火炎鼓の映像が浮かんでいた。
 あれは強化版火炎鼓初始動の際、乱れ童子に対して発生させたものと同じものだ。
 爆裂火炎鼓のブーストアップ機能を自力で発生させるようになったと考えれば、音撃棒自体がノーマルのままでも、あの破壊力は納得できるし、充分パワーアップの意味がある。


 閑話休題。
 随分長く書いてしまったが、もはや鬼自身が「清めの音」を生んでいると考えるのには、相当な無理が出てくる事がおわかりだろう。
 やはり「清めの音」は音撃武器によって生み出されるものであり、鬼の音撃攻撃は、「清めの音」を的確に魔化魍にぶち込むための動作に過ぎない。
 猛士は、「清めの音」の発生方法を完全に熟知した上で、各音撃武器を生産していると判断して、間違いない。

 「清めの音」のシステムが、劇中で明確にされていないという事が、こういった誤解を招く最大の要因となっているのだが、猛士側で「清めの音」を作り出せるとしか考えられない以上、現在の鬼達の活動状況は非効率極まりなく、大変疑問点の多いものであるという事ははっきりしている。
 どうして、これらについての最低限の言い訳すら、表現してくれなかったのだろうか。
 この姿勢自体が、大きな問題点だろう。



●醜悪なる戦闘
 本作の戦闘シーンは、大変に評判が悪い。
 というのも、音撃による戦闘シーンに、まったくカタルシスがないからだ。

 そもそも。
 楽器を戦闘に用いるというシチュエーション自体が、元々どこかしらギャグっぽい雰囲気を持っているわけで、とてもかっこいい戦闘シーンの材料になりうるものとは考えられないのだ。

 番組開始前、「仮面ライダー響鬼は太鼓と撥を武器に使う」という情報が流れ、多くのファンが困惑した。
 そんな武器で、果たしてかっこいい戦闘ができるのだろうか? と
 もちろん、一方では「これはきっと、予想外のすごい映像を用意しているに違いない」という期待を持っている人も居た(筆者もその一人)。
 だが実際に映像化した太鼓戦闘は、“魔化魍にまたがって腹や背中をドンドコ叩くだけ”という、これ以上マヌケなものはないというみっともない内容だった。
 ファンのほとんどが、「いくらなんでもこういう風にはならないだろう」と予想した、最悪の場面がそのまま展開されたわけだ。
 まして、この戦闘は玩具のギミックをまるで度外視した内容で、販売促進効果を発揮するようなものでもなかった。
 さらに、ノーマル時の怪童子と妖姫が異常に弱すぎるため、出てきても瞬殺されるだけで、戦闘をしているという雰囲気すら発揮できなかった。
 二人目の鬼・威吹鬼が登場した時は、烈風・武器モードのガンアクションがそこそこ面白そうに見えたが、いざ音撃モードに入った途端、「ぱぷ〜〜〜〜〜〜〜〜♪」という気の抜けまくったラッパ音を鳴らすだけという、視聴者が予想だに出来なかったトンデモ展開をして見せた。
 あげくには、18話の対オオナマズ戦では、水中でもこれをやる始末。
 その直前に「烈風があれば(水中に居る魔化魍に対しても)戦い方はあるんですよ」などと言っておきながら、結果はこれだ。
 あまりにもひねりがなさすぎて、逆に意外だったわけだが、どう見てもこれはカッコイイとは言えない。
 それでも威吹鬼は、等身大戦ではなかなかの動きとアクションを見せてくれるので、そんなに悪くはない。
 出てきてもほとんど見せ場を発揮できない響鬼よりは、何倍もマシなのだ。
 たとえ「ぱぷ〜♪」でも。

 対して轟鬼は、そこまでの戦闘シーンの見直しが行われた後に登場したせいか、それなりに見られるアクションを展開してくれた。
 必殺技の「音撃斬・雷電激震」は、その豪快な画面構成で有無を言わさぬ迫力を出しており、音撃シーンそのものはかなり良い線行っていた。
 だが、音撃を魔化魍に食らわせる過程に問題があり、「どうしてわざわざこんな事をして音撃を流さなければならんのよ?」という気にすらさせられる。
 なにせ、魔化魍の懐に飛び込んで烈雷の末端部を突き刺し、それからベルトのバックル・雷轟をセットして、それから演奏を始めるのだ。
 魔化魍の懐の中で背中を向けるという危険な状況で行うわけだが、これが致命的に非効率なのは、前任の斬鬼が身体をもって証明している。
 以前どこかで、ギターのコードを魔化魍に突き刺し、これをアンプに見立てて離れた位置から音撃を食らわせると思った…という意見があったが、確かにその方が効率がよさそうだし、音撃斬の演出効果も問題なく行える。
 つまりは、いくら必殺技のシーンが良くても、そこまでの過程に無理がありすぎると、素直に喜べない…そんな風に思えるわけだ。
 実際、「音撃斬・雷電激震」初公開のシーンでは、ノリノリ演奏状態の場面時、烈雷の末端部は魔化魍に刺さっているようにはとても見えず、宙に浮きまくっているのだ(笑)。

 各鬼の細かな戦闘のあり方については、この辺までとしよう。
 さらに問題なのは、劇中での音撃に対する「こだわりのなさ」だ。

 本作では、「音にこだわる」という基本方針が打ち立てられていた筈なのだが、現実にはその方針に反し、(戦闘シーンに限らず)あまりにも音に対する配慮がなさ過ぎる
 正確に言うと、BGMしかり、音響効果しかり、それ単体だとなかなか面白いものを使用しているとは思う。
 だが、その使い方と効果が、まるでダメ。
 最高級のキャビアやフォアグラを使って、猫まんまを作ったかのようなお粗末さといえばいいだろうか。
 とにかく、見ていて&聴いていて、あまりの使い方の無茶苦茶さに開いた口が塞がらない。

 音については色々な部分に突っ込み所があるが、戦闘シーンに限定すると、響鬼をはじめとする鬼は「音さえ鳴らせればそれでいい」と考えているかのようだ。
 魔化魍に清めの音を叩き込む場面では、時折ぎょっとさせられるほどマヌケなシーンが展開する。
 音の強弱の差もほとんどなく、本当にただ「叩いている効果音として」鳴っているだけの太鼓の音。
 有名な演奏者を引っ張って来たのはいいが、ただひたすら「ぱぷ〜♪」と鳴らし続けるだけのトランペット。
 画面効果とカット割りに救われているため、比較的まともに見えるが、よく聞くとただ同じ音階を繰り返しているだけと気付いてしまうギター。
 あげくの果てに、これらを同時に鳴らし、一切調和させようとしないまま、単なる「雑音」に仕上げてしまった合体技(VS合体魔化魍“ナナシ”戦)。
 これでは、別に楽器を使う必要性すらないではないか。
 武器であるとはいえ、楽器という「音楽を奏でるための道具」をモチーフにしたものなのだから、演奏を組み込まなくてどうするというのか。
 楽器という形式で画面に登場する以上、たいがいの人は何かの曲を演奏するものだろうと想像する筈。
 ところが、本編を見ている限り、とてもそういった方向の検討がされたように感じられない。
 これならまだ、ディスクXで音響攻撃をたたき付ける某十三代目の方が、遥かに説得力がある、だ、ぜっ。
 楽器を使う場面は、本来なら戦闘シーンでもっとも盛り上がる“必殺技のキメ”の筈だ。
 それなのに、このあまりにもみっともない演出は何なのか。
 中には、この音撃シーンを納得しておられる方も居るようだが、果たしてこんな程度の使い方で、本来の目的である「玩具販売促進効果」は出るのだろうか?
 普通に見ていて「なんだこりゃ?」と思ってしまうような場面に使われるものなどに、誰もお金など落としはしないのだ。
 その証拠に、音撃鼓の売り上げは低迷を続け、ついにはテコ入れとして「夏に出現する魔化魍には太鼓しか効かない」などという後付設定を持ち出し、響鬼以外にも音撃鼓を使わせるなどという苦肉の策を取る破目に陥った。
 そして、またそこに大きな矛盾が生じてくるわけなのだが…。


 本作のプロデューサー・高寺成紀氏は、「仮面ライダークウガ」時にわざと戦闘シーンを格好悪く見えるようにしていたという。
 実際の戦闘はかっこいい筈などないから、という事なのだが、当時はこの姿勢にバッシングが集中した。
 ヒーロー番組としてのカタルシスが感じられず、見ていて何にも面白くないからだ。

 タイタンフォーム登場のシーン、当初はバックに主題歌を流してメ・ギイガ・ギに挑んでいく場面だったのだが、高寺氏はこれに強く反対し、主題歌をカットさせたというエピソードはあまりにも有名だ。
 また、特撮ヒーロー物ならあって当たり前のハッタリを廃し、あげくには戦闘シーンにまったく別な場面を散りばめ、見ている者をいらつかせるという暴挙に出た事もある。
 あげくに、最終回では最終形態のクウガにただ殴りあいをさせるだけという、まるで「戦闘シーンが売りの筈の番組において、戦闘シーンの存在そのものを否定するかの如き」トンデモな演出を盛り込んでしまった。
 もしかしたら、そんなクウガ当時の「戦闘シーンに対する(ちょっとズレた)こだわり」みたいなものが盛り込まれており、現在のような歯切れの悪すぎる場面を作っているのだろうか?
 ぶち切られる戦闘シーン、ゆとりのあるような姿勢がただの油断にしか見えない雰囲気、あまりにもあっさり片が付きすぎる等身大戦闘…
 クウガ的負の要素は、確実に引き継がれているものと思われる。

 どちらにしても、響鬼や威吹鬼達を特撮ヒーローとしてかっこよく描く気持ちというものが、かなり欠乏しているのは事実のようだ。
 もちろん、今までとはまったく違う描き方で、あらたな魅力をかもし出すような事が出来れば、それでも良かったのだ。
 だが、残念ながらそこまでの結果を生み出す事は不可能だった。
 途中から、響鬼達の戦闘シーンの描き方が少しずつ変わり、場面の分断は初期の頃ほど気にならなくなり、それなりに派手なアクションも増えてきた。
 それはそれで、改善点として素直に褒めたい。…ところなのだが、そこからさらに大きな、しかも致命的な問題が発生してしまったのも、また事実なのだ。
 この「致命的な問題」については、次回『破綻する設定』で述べよう。


●頼りなき大人達
 「仮面ライダー響鬼」で、もう一つ指摘されているのが“登場人物の薄さ”だ。
 あまりにも薄すぎて、思い入れが持てないという。
 主人公・安達明日夢は、恐らく最も多くの問題を見出されている存在だが、それ以外にもヒビキやイブキ、勢地郎や香須実、日菜佳、持田やあきら、明日夢の母、トドロキ……つまりは、ほとんどすべてのキャラクターが問題視されている。

 明日夢については、あまりにも問題が大きすぎるので次回にまわすとして、どうしてこんなにキャラクターに対する不満が唱えられているのかを、考えてみたい。

 猛士側の主人公とも言えるヒビキは、どうやら劇中では「プロフェッショナルの鬼で、迷いや憂いに惑わされる事のない、完璧な大人」として描きたいようで、本当の主人公・明日夢の憧れの対象としたい意向のようだ。
 そのため、あらゆる場面で完璧さが求められ、なおかつ適度な柔らかさを加えられている。
 だから、完璧すぎてとっつきにくいという印象はなく、親しみやすいキャラクターになったのは確かだ。
 個人的には、こういう性質のキャラクターが中心に立つ事そのものは、全面的に賛同したい。

 だが、最近になってこのヒビキのメッキが剥がれて来た。
 実は、元々ヒビキはそんな完璧な存在としては描かれておらず、むしろ逆に「何についても中途半端極まりない、だらしない存在」になってしまっているという。


 戦闘中の軽口は緊張感のなさを示し、決してゆとりを感じさせる事はない。
 9話の対オオアリ戦の時のように、殺害現場で遺留品を発見しても、まるでゴミを見つけたかのような態度しか取らない。
 仕事(戦闘)中の仲間の元に、遊びに行く。
 自分の意にそぐわない相手には、必要以上の嫌味をたたき付ける。
 その上、必要な事はまったく相手に伝えず、無言で相手を圧迫する。
 かっこわるい姿を同僚に見せたくないがために、突然単独行動を取る。
 人の相談に乗っているように見えて、実は何にも参考になる意見を吐かない。

 この他、「重病人が苦しんでいるのに救急車を呼ばず、担当医を探して自らの足で駆け回り、医者をおぶって戻ってくる」という、非常識極まりない行動を取った事もある。
 一刻を争うかもしれない事態なのに、所在のはっきりしない担当医を探しに走るより、救急車を呼ぶ方が現実的なのは言うまでもない。
 だが、このシーンではヒビキの行動力と体力の凄さを見せ付けたかったのか、まったく必要ない行動を取らせてしまった。
 結局、担当医も見つかり、病人も(治療的行為を何もする事なく)落ち着きを取り戻したので良かったが、ヘタしたら死なせていたかもしれない状況だったのだ。
 この場面では、明日夢が布団を敷いて病人を横にするという行動を取るまで、ぐずぐずしている様子が叩かれたが、それでも一応的確な行動ではあったわけだし、そんなに責めるほどのものではないだろう(帯も解かずに横にさせたらもっと苦しいだろうというツッコミはおいといて)。
 ただ、それと比較されてヒビキの奇行は、かなり鼻につくものとなった。


 このように、製作側が描こうとしているスタイルが、これ以上ないほど裏目に出て、結果的にヒビキの評価が落ちるというケースが、本当に多い。
 夏の太鼓祭編にしても、恐らくトドロキへの特訓関連のシーンは、もっと別な思惑が込められていたのではないかと考えられる。
 だが、世間的には「ヒビキは嫌味な奴」という印象を与えたに過ぎない。
 こういったものをはじめとして、ヒビキ(響鬼)は、現在何をやってもダメな奴というイメージが降りかかるようになってしまっている。
 このイメージに囚われないようにするためには、もはやヒビキという存在を神聖視し、その行動に何の疑いも抱かないように自己暗示をかけるしかないだろう。


 ヒビキだけではない。
 本編中、猛士側の中心的人物として描かれている立花勢地郎も、多くの批判を受けているキャラクターだ。
 どんなに大変な事が起こっても感情の起伏がなく、むしろなさすぎるために、落ち着いているというイメージを通り越して「何も考えていないだけでは?」という雰囲気すら漂わせている。
 魔化魍関連の事件が起こっても、やる事といえばローテーションの話をしたり、現地情報を聞いたり、資料の検索結果を報告したりするだけで、まるでただの事務員レベルの事しかしていない。
 肩書きは支部長(王)なのだが、これならそこらのおっさんでも出来そうなレベルの仕事でしかない。
 また、必要な情報を(視聴者に隠蔽する目的で)はっきり言わなかったり、また不必要にボカして話したりするため、シャッキリ感がなく、だらしないジジイという印象を常に付きまとわせているのもいただけない。
 かと思うと、明日夢の高校受験を巡る話をしている時も、結局彼にアドバイスもできず、ただ適当に相槌を打っているだけ。
 いつまで経っても回りくどい話しかせず、本題に入れない年寄りでしかない。
 彼が猛士全体ではどれくらいの位置付けに居る存在なのかはわからないが、本編情報から見る限りでは、とても“支部長”という器に相応しい人物であるとは言えない。
 恐らく、居なくても全然問題なく話が進んでしまうことだろう。
 設定上は、現在猛士のトップに位置する“威吹鬼の父”が現役の鬼だった頃、コンビを組んでいたという事になっているが、だからといって組織内の地位が高いとは限らない。
 また、その頃の経験を活かした発言が皆無だというのも痛い。
 単なる通信員程度の働きしかしていないのであれば、日菜佳や香須実が居れば充分だし、猛士側の裏設定説明役なら、みどりが居れば事足りる。
 逆に、これらの役割を勢地郎がきっちりやってくれていれば、今度はこの三人がほとんど不要になってしまう。
 「仮面ライダー響鬼」という作品は、登場人物が無駄に多いと、放映当初から囁かれてきたが、その最右翼が勢地郎なのだ。
 一部では、「下條アトム氏にやらせたのが間違いなのではないか」という、厳しい意見もある。
 実は、筆者もそれに賛成する。
 下條氏は、個人的に昔からあまり好きになれない(年齢に比例した演技力があるとは到底思えない)役者だったのだが、そういうのを抜きにしても、今回はミスキャストだったと思う。
 あまりにも毒や個性がなさ過ぎて、下條氏でなければならないというエッセンスが足りなさ過ぎる。
 あるいは、氏の中でのキャラクター作りが不完全なのかもしれない。
 恐らく、まったく別な役者が演じても何の問題もなかった事だろう。
 

 その存在に批判を受けているキャラクターは、他にもまだまだ居る。
 長くなりすぎたのでこれ以上細かくは触れないが、「仮面ライダー響鬼」の登場人物の中で、ストレートに万人に受け入れられたと言えそうなキャラクターは、一人もいない。
 一見無難そうな持田ひとみ天美あきらにしても、「単なるギャルゲー的ヒロインのレベルでしかない」という、痛烈な批判を受けている。
 特に、初登場時のツッケンドンな態度が消滅した後のあきらは個性がまったく発揮できず、まるで空気のような扱いになっているし、持田も、現在ではただの“明日夢ストーカー”になりつつある。
 さらに、個性のなさが叩かれているイブキ、極端なガサツさが問題視されているトドロキ、当初から不要説に晒されている立花姉妹、明日夢の母親、(今のところ)つかみ所のない務…
 どれも酷い言われ方だが、それぞれに対する言い分に耳を傾けてみると、そう評されても仕方ない意見が実に多い。

 そして、その批判対象の最有力が、本編主人公「安達明日夢」なのだ。
 彼についての問題点は、次回の項で細かく触れるとしよう。



 ――あ。
 斬鬼さんこと“財津原蔵王丸”だけは……例外か?!(笑)
 彼だけは、ほとんど批判を受けず、かなり好意的に迎えられたキャラクターだったなあ。
 筆者も大好きだし。

 しかし、その斬鬼も、噂ではこの後…
 はてさて、おかしな変化を見せなければいいけれど。




→「気分屋な記聞」トップページへ