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更新日:2004年3月11日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
突然だが、「ゾンビ」。 そう、あの、一度死んだ人間が突如として起き上がり、生きている人間に向かって「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜」と迫ってくる、アレ。 もっともメジャーなアンデッドモンスターである。 あ、そこの人。 アンデッドと言っても「某ブレイド」のアレじゃないからね(笑)。 「ゾンビ」と聞くと、心ときめく人は必ず居ると思う。 事実、私がそんな一人だから。 大昔の格言に「一人いたら他にも五十人はいると思え」というものがあるが、恐らくここを読まれている方の何割かは「なぬっ、ゾンビ?! 萌え〜♪」という心境に陥っているに違い有るまい。 今回は、ゾンビについて色々無駄な話をしてみたいと思う。 なお、ブードゥーの呪術による実在のゾンビやその製法云々とか、そういった方向の話にするつもりではない。 また、映画の中で登場したゾンビの歴史を追うとか、そんなしちめんどくさい話でもない。 あえて言うなら「世界のゾンビ☆大集合」とでも題するべきだろうか。 という訳で、ゾンビ愛好家の方々、是非お付き合いを。 …ね、ネクロフィリア(死体愛好癖)とは違うぞー。 1.ゾンビって、どうして怖いの? ゾンビが受ける理由は、幽霊やモンスター等と違った怖さがあり、それが真似できない魅力になっているからだと、筆者は思う。 そもそも、ゾンビって何なのか? 以前からゾンビと似たような描写を以って描かれた作品はあったが、主にジョージAロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」をはじめとする「(通称)ゾンビシリーズ」の設定事情をフォーマットにしたものが基本になっているっぽいように感じる。 よくある設定パターンが…
…というものだ。 このうち1、2、4が、ゾンビの怖さのポイントの中枢であり、最も嫌悪感を感じるところである。 もっとも、各作品内ではこの嫌悪感が程好い味わいになるのだが。 現実にこんな存在が出てきてしまったら、そりゃもう、楽しむどころの騒ぎじゃすまないだろう。 どんなファンでも、それは自覚している筈。 本当にゾンビに逢ってみたいという人がいたら、是非お話を伺いたいものではあるが(笑)。 ただ、このパターンに当てはまらなかったり、或いは部分的に設定の異なるゾンビも多々あり、定義が曖昧な場合が多い。 便宜上、上記のパターンを基本とするゾンビを、以降は「ジョージタイプ」と呼称する。 これに対し、ルチオ・フルチによるイタリア系ゾンビ作品に登場する「ルチオタイプ」をご紹介しよう。
はっきり言って、ルチオタイプの方が、ジョージタイプよりも始末が悪い。 ルチオタイプゾンビは主に被り物を用いた撮影のようで、他にも特殊加工を施したマスクを着けて撮影しているケースも多いらしく、本来の人間よりやや頭や顔が大きめになってしまっているようだ。 そういう事情から、顔が腐り落ちている筈なのに元の人間より顔が大きいとか、決して思っちゃいけないのだ(笑)。 「ゾンビ3(ビデオ邦題)」に登場したものは、窓から顔を覗かせた犠牲者の髪を引っ張り、頭を逆さにさせた状態で鎌を使い首を切り落とすという事をやったり、集団で丸太状の道具を抱えてどんつきを行い、屋敷の門を破ったりしている。 その他、外観の違いとして、ジョージタイプは“外観損壊型”があまりおらず、逆にルチオタイプには“外観大損壊型”が多い傾向がある。 つまり「鮮度」に大きな違いがあるという事だ。 もちろんそれぞれに例外はあるが、“ついこの前まで普通の人間であった者”が襲いかかってくるという心理的な恐怖を持つジョージタイプ、“異形と化した存在”による表面的な恐怖を武器にするルチオタイプという風に区別が出来ると思われる。 作品演出的に見ると、ジョージ作品は「世界的な“災厄”を巡るパニック物」という背景を持っており、その舞台背景や環境描写も、恐怖感を味わうためのエッセンスとなっている。 対してルチオ作品は、どちらかというと「直接的な恐怖」が主題であり、グロテスクな描写をどばっと展開する事に重点が置かれているようだ。 わかりやすく言うなら、ジョージは「食事をしながらでも観られる」が、ルチオ作品は「絶対そんな事したくない」という雰囲気なのだ。 …あ、そこの人。 興味本意で実践しないように。 ジョージ作品でも、「死霊のえじき(DAY OF THE DEAD)」みたいな強烈な例外があるから。 なお、当然であるが上記以外の設定パターンを持っている奴らもいる。 これらについては、別項にて触れてみたい。 2.ゾンビはどうやってできるの? ゾンビ発生のパターンも、なかなかに興味深くバリエーションに溢れている。 どうも普通の人に聞いてみると、原因については広く共通で認識されているものはないように思える。 結構意外な話だが、すなわち「ゾンビ発生の源」は、定番化はしていないという解釈ができるのだ。 とりあえず、私が思いつく限りのものを挙げてみよう。 足りないものがあった場合は、どうかご容赦あれ。
…う〜む、まだまだある筈。 これだけ多岐に渡ると、定番パターンを見出すのも苦労してしまうのは道理。 ゾンビ映画は、結構「発生理由」について言及する内容のものがあったり、自然に原因に辿り着いてしまうというものが多いのだが、とにかく数が多くて全貌が掴めない。 こんだけ原因があるとすると、いつ何時本当のゾンビが生まれてしまうか、わかったものじゃない。 上には挙げなかったが、中には「ずっと眠っていたんだけど、外気に触れて活動開始」という、ゾンビに分類していいのか悪いのか悩むものもいる。 さらには「実はゾンビだったんだよ〜ん。ベローン」とばかりに、さっきまでごく普通の人間だった奴が自分の顔の皮(笑)を剥くなんてのもあった。 しかもこいつ、ゾンビ化(?!)した後もバイクで主人公を追跡していた。 まあ、夢オチだったからいいんだけどさ。 頭の皮剥いた筈なのに、剥き出しの頭蓋骨はどう見ても人間の頭よりデカかったけどさ。 「ゾンビに噛まれて〜」というのは、よく描写されるポイントだ。 まともに対話していた存在が、時間を置く事で徐々にゾンビになっていくという描写は、ジョージ作品にはよく登場する。 「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」ではゾンビに襲われて負傷した少女がゾンビ化し、両親を襲うという展開があり、「ゾンビ(DAWN OF THE DEAD)」では、仲間のスワット隊員がじわりじわりと変化していく過程が描かれる。 「死霊のえじき(DAY OF THE DEAD)」では反則技として、噛まれた腕を丸ごと切断し、感染を逃れるという展開がある。 元々宇宙線により復活した「死体」である筈のゾンビに、どうしてウイルス感染のようなものがあるのか…筆者は昔からこれが納得できない。 薬物による感染でゾンビ化したというなら、そのゾンビ自体が毒物の移動プラント化しているわけなので納得もできるが、このジョージ作品などに代表される感染描写には、裏付けがなくて拍子抜けしてしまう。 もちろん、呪いや魔術的な要因によるものであればまた話は変わってくるが。 場面的には確かに盛り上がる要素ではあるが、唯一「テキトーすぎる」設定といわざるをえないだろう。 ただし、例外もある。 それは、ゲーム「バイオハザード」のゾンビ達だ。 その理由は、後に述べよう。 3.とっても変わったゾンビ達 単にゾンビと言っても、その存在がかなり異質だったりする場合もある。 例えば、完全に不死身と化している「バタリアン」のゾンビ達などは、分断された肉塊が単独で蠢いていたり、顔と喉部分だけになっても元気だったりと、始末に負えない。 さらに「全力疾走する」「集団行動を取る」「陽動作戦を使う」「インタビューに答える」「切り落とされた手だけで“ふぁっきん”する」と好き勝手し放題(笑)。 元々、そういう方向を狙った作品なのでヤボな突っ込みは無粋だが、とにかく一番出会いたくないゾンビだと言えるのではないだろうか。 「死霊のえじき」に登場した“バブ”も、変わった存在と言えるだろう。 元々は、そこらを徘徊している連中と変わらなかったはずなのに、マッドな科学者から訓練を受け、その結果ある程度の知育成果を発揮したという、ある意味恐ろしい奴だ。 自分を教育していた科学者を殺した男を追い詰め、いわゆるゾンビ的行動ではなく“拳銃で撃った”というのが凄い。 その後もかぶりつく事はなく、他のゾンビに細切れにされている光景に向かって「あばよ」のフィンガーサインを投げて立ち去るというものすごさ。 演出とはいえ、育て方次第でゾンビのレベルも上がる事が判明した瞬間だった。 なるほど。 どうりで、腐った死体のスミス君もレベルが上がる筈ですよ、お母さん。 ちょっとゾンビから離れるが、変わった蘇生ものとして、こんなのがある。 若くして死んだ妻の遺体を収めていた洞窟の中から、涌き水が滴り落ち、彼女の棺桶に落ちていた。 ある日、すでに年老いてしまった夫が棺桶を確認すると、なんと妻の遺体は、何十年も経過しているにも関わらず生前と変わらぬ美しさを維持しており、ついには蘇生してしまう。 その涌き水には若返りと蘇生の効果があるらしく、やがてそれを得た夫も若い姿に戻り、二人は失った時間を再び取り戻した。 だが、それを見ていた隣のいじわるじいさんは、この若々しい妻に横恋慕。 やがて涌き水の秘密を知り、妻と一緒にこいつもいただいてしまえとばかりに夫を殺害する。 だが実は、この涌き水はずっと摂取し続けていなければならないもので、夫の死体は以前よりもはるかに年老いた姿になってしまい、妻は途中で水の供給が切れてしまったため、いじわるじいさんとの結婚式の直前、ウェディングドレス姿のまま骨となり、崩れ落ちた。 上記の映画は、私が幼少の頃に見たものでタイトルや出典は一切不明なのだが、当時この凄惨な内容に恐れおののいたものだ。 蘇生後も、生前となんら変わらぬ姿と心、記憶を持っていたという意味では、ちょっと変わったゾンビタイプと言えるだろう。 もう一つ、面白い例として挙げられるのが、「仮面ライダー555(ファイズ)」に登場する敵“オルフェノク”だろう。 ゾンビと言い切るには無理がある存在だが、ごく普通の人間が死亡直後突如として復活、その後は極端な身体的能力と超人的な耐久性を持ち、さらには異形のバケモノに変化する性質まで身に着けてしまう。 さらには、他の人間を殺し仲間を増やしていく事も出来るが、これは犠牲者の特性によって結果が左右されるようで、オルフェノク化に失敗すると灰になって崩れてしまう。 一部例外はいるものの、ごく平凡な人間がオルフェノクの力に溺れる事で、徐々に人間らしさを失っていくという描写は、大変な説得力があって面白い。 中には人間らしさを維持しようとする者達もいて、「殺戮に生きる」道を選んだオルフェノクと対峙するという図式も登場する。 何より、本編の主人公自身がそのオルフェノクだという事実が後から暴露されるというのも、なかなかの衝撃を与えてくれた。 途中設定があやふやになりはじめ、「死んだ人間がオルフェノクになる」という表現そのものが曖昧になってしまった感もあるが、これもまた、ゾンビ的設定の延長としてある意味の究極に達した存在だと言えるだろう。 ゲームからの引用になるが、最近の作品「SIREN(サイレン)」にも“屍人”という変わったゾンビが登場する。 彼らは、羽生蛇村という小さな山村の住人で、内陸の山の中であるにも関わらず突然出現した「赤い海」の水の影響を受けて、不死の存在になってしまった。 しかしこいつら、どうも人間時の知能をかなりの割合で維持しているようで、なんと村ぐるみでよそ者を排除しようと計画的集団行動を取ってきたりする。 屍人は、基本的に生前の生活パターンをトレースする習性があるらしく、特定の場所で特定の作業を繰り返していたり、特定地点でずっと監視を続けていたり、追跡・会話・道具や武器の使用なども可能だったりする。 さらには、殺されても一定時間で完全復活してしまう。 認知能力そのものは生前よりかなり劣ってしまっているようだが、ライフルを使用した狙撃などはほぼ100%に近い命中率を誇り、さらに加えて狂暴性が高い。 また、特定の者がブレインとなり、多数の屍人を遠隔操作するなどの芸当も可能。 果ては「四足移動が可能」な者や「背中に羽根が生えていて飛行が可能」な者までいる始末。 ゾンビとしてはかなり亜種な存在だが、こういう者もいるという事で。 エロゲーにも面白い例があるので、挙げておこう。 テリオスの「ELYSION〜永遠のサンクチュアリ」という、一見ただのメイド萌えゲームに見えて、実はかなりハードなサスペンス物という特性のあるこのタイトルには、「真菌」と呼ばれる特殊な菌類の影響による“ゾンビもどき”が登場する。 この真菌は、ゲームの舞台であるサンタマリア島の中でのみ育成可能というものだ。 ところが、これが人間の身体に取り憑く事によりその者の身体を冒し、元の人間と寸分変わらぬ形状のプラントに成長する。 結果的に、100%真菌の塊であるにも関わらず見た目は人間そのもの、しかし意思はなく、ただ鈍重に徘徊を繰り返すだけという異質な存在が誕生する。 こいつらは「もっとも完全な不死」の存在であり、銃で撃たれてもまったく死なない…どころか、どうもびくともしないようだ。 そりゃそうでしょ。 菌の塊なんだから、頭撃たれても致命傷にすらならないし。 サンタマリア島の中でしか存在できないという弱点があるが、とにかく襲われたら「逃げるしか手がない」という、とんでもない奴らだ。 まあ、捕食とかはしないようだし、外部からの刺激がなければ特定の場所でひたすらじっとしているだけらしいから、そんなに害はないのかもしれないけれど…。 ゲームでは、この中で唯一例外的に人間としての意思を残した存在「フローリィ」を巡った泥沼の展開が発生していた。 フローリィは、奇跡的に脳と中枢神経だけが冒されずに残存・共存しているため、理想的な不死の存在になっており、ゲーム内の黒幕がこれに目を付けたという展開になっている(若干ニュアンスは違うんだけどね)。 これはなかなかに悲しい物語で、フローリィシナリオは、バッドエンドなのに号泣できるという素晴らしいエンディングが特徴だった。 このタイトルは筆者が別コーナーでレビューしているので、もし興味をお持ちなら是非こちらへ。 ちなみにドリームキャスト版では全年齢版になっており、無駄なエロ要素がなくなった分大変な秀作になっている。 4.意外な設定のゾンビ ゾンビはだいたいにおいて、肉体的には死亡しているが、不条理な理屈で一部の生体活動だけが復活している状態にある肉体…という事になっているようだが、中には例外もある。 カブコンの人気コンシューマータイトル「バイオハザード」に登場するゾンビ達は、かなり異質な設定を持っている事で有名だ。 そもそもこのゲームの根源には「巨大企業アンブレラ社が極秘開発した“Tウィルス”の流出事故」というものがあるのだが、つまりはこのTウィルスの感染者がゾンビ化したという事になっている。 感染者…ゾンビは、正確に表現すると「生物学的には死んではおらず、生きている」状態だ。 身体が腐乱していてもある程度以上崩壊しないのは、最低限度の自己回復機能を残しているかららしい。 つまり、新陳代謝のほとんどは止まっているのだが微妙に生きていて、しかもその存在維持にものすごいカロリーを消費するため、強烈な飢餓感に突き動かされているという事らしいのだ。 だから、ある程度以上エネルギーを摂取できなかったゾンビは本当の死体となってしまい、逆に摂取に成功し続けたゾンビは「リッカー」と呼ばれる(アンブレラ社自体予測していなかった)異形のモンスターに進化するのだ。 なるほど、確かにこの作品に登場するリッカーは、人間的特徴を多く残したモンスターであった。 こういう設定があったというなら、「ゾンビがゾンビを食っている」などを含めた、他のゾンビ作品にない行動パターンを取っているのも頷ける。 現在筆者が知る限りでは、もっとも緻密な設定を背負ったゾンビ共である。 テーブルトークRPGでも、ゾンビの扱いはちょっと変わっている。 TRPGは色々なシステムがあるため、一概に統一見解は提示できないが、代表として「D&D」なんかを。 これに登場するゾンビは、主に魔法を使う存在によって操られている「人形」であり、人を襲う脅威というよりは、「特定の場所への侵入を阻むためのガーディアン」的に扱われる場合が多い。 例えば、洞窟に侵入した戦士が死亡し、これに術が施されて誕生したゾンビは、生前戦士として使用していた武器を使って攻撃してくる。 もっとも、生前のような剣術を使うほどではないだろうから、実際は「たまたま手に持っていたものを振っている」程度に過ぎないとするべきだろう。 生前のままで戦うアンデッドなんかだったら、それはそれでまったく別なモンスターにすべきだ。 また、ファンタジーRPGの世界にはゾンビ以外にも「食屍鬼(グール)」という存在がいるため、明確な住み分けが必要でもある。 ただ困った事に、これらアンデッド・モンスターは基本的に魔法や呪いの力によって動かされている存在とされているため、僧侶の特殊技能「ターンアンデッド」によって、一撃のもとに破壊してしまう事が出来る。 つまり「邪悪な力を破砕し、解放する」という事なのだが、これによりゾンビは普通の死体に戻る…どころか、ぶっ壊されてしまう。 (本当は反対方向を向かせる技なのだが、レベルが上昇するとゾンビくらいなら爆砕可能になる) 超有名コンピューターRPG「WIZARDRY」でも、クレリックが「ディスペル」という“呪いを解く力”を持っているが、その元はこれだ。 もし、ゾンビ映画の舞台にこれが適応できる環境があったなら、かなり展開は変わったかもしれない。 面白くなくなるかもしれないけど(笑)。 ゲーム中での実際の使われ方は、それぞれのゲームのDM(ダンジョンマスター。ゲーム進行役の意)によって変わってくるが、基本的なものはこんな感じだ。 なお筆者はDM時「特定魔法有効区域内でしか活動できないゾンビ(魔法が遮断されると崩れる)」とか「魔法とは別な理由で復活したゾンビ(ターン不可。人を食う)」など色々なバリエーションのものを登場させたが、イマイチ、プレイヤー各位の受けはよくなかったようだ(そりゃそうだ)。 5.ゾンビのいる「絶望的な」世界 絶望的な状況といえば…いかにそれが表現されているかというのも、「ゾンビ作品」の重要注目点だ。 シリーズを追うごとにゾンビ率が増え、人間が完全に追い詰められている状況になっていくジョージ作品は、やはりスタンダードな面白さがある。 一見無人のゴーストタウンだったのに、声を出したらそれにつられてぞろっとゾンビが顔を出すという状況も恐ろしかった。 また、2作目の舞台に「郊外の大型デパート」が選ばれ、ここで活劇が繰り広げられた展開は、現在でも大変に評価が高い。 ヘリで侵入し、中のゾンビ達を一掃して完全隔離状態を作り出し、豊富な物資の中で悠々自適な生活を始める主人公達という図式は、とても面白かった。 別な人間によってそれが崩壊してしまった後の悲劇も、なかなかのものだったが…。 「仮面ライダーファイズ・パラダイスロスト(劇場版)」も、主旨は違うかもしれないがオルフェノクの数が人間を圧倒しており、社会はオルフェノク中心に動いているらしいという舞台を用意した事で、この絶望感を巧く表現していた。 主人公がどんなに大活躍をして勝利を収めても、この世界規模の状況が一気に好転するわけではない…という結末に、なんとなく似たような雰囲気を感じたのは筆者だけだろうか。 逆に、根源的原因がうまく視聴側に伝わらない上、突然ラストに「ゾンビが大量徘徊するアメリカの都市」みたいなのを押し出され、いかにも取って付けたような「絶望感」を押し着せるルチオタイプ作品もある。 「ゾンビに襲われる人間模様」だけを描けばいいのか、それを取り巻く「世界観規模の絶望」を描くべきか…。 どちらが面白いか、観てみればすぐにわかる筈だ。 かつてゾンビと言うとだいたいがホラー映画だったわけだが、現在はここにゲームというジャンルが入るケースも増えてきて、なかなかに面白くなってきた。 もちろん、ゲームといってもそのタイトルは限られるわけだが、ゾンビ映画にもハズレは多数あるので、アタリを引く確率については意外にどっこいどっこいなのではないだろうか。 「バイオハザード」などは代表的な“ゾンビ萌えゲー”だが、このシリーズは後半に近付くほどゾンビがあまり関係なくなってしまうという難点がある。 とはいえ、前半部の絶望的な状況の表現はなかなかのものなので、もしゾンビ好きな方がおられたら、一度は手に取っていただきたいものである。 ゾンビ物ビデオ映画も多々あるが…とりあえず、評判を確認できなければ「手当たり次第」で良作を発見するしかない。 パッケージを見て程好いゾンビ加減の映像を確認し、いざ見てみたらガッカリだったなんて事は、しょっちゅうある事。 筆者も、一度に8本ゾンビ物を借りて、そのすべてがぷーだったという苦過ぎる経験がある。 しかし、それでもまたムラムラとゾンビ物を漁りたくなってしまう…この危険なミリキが、ゾンビ映画漁りの醍醐味でもあるのだ。 最近、またゾンビ度が薄くなってきた感のある筆者は、近いうちにまたゾンビ度補充を試みたいと思っていたりする。 なお、こちらのページ掲載後、掲示板にて「キョンシーはゾンビの類に入らないのか」というご指摘をいただいた。 なるほど、言われてみれば確かにあちらも“死者が動いている”存在ではありますな。 ただ、キョンシーは「術法によって人間に操られている」「どちらかというとアクション・ギャグ的要素が強い」「世界観が閉鎖的なので、広く伝わる恐怖感というものがない」等、ゾンビ物との大きな違いがあるため、ここではあえて扱わない事とさせていただいた。 もちろん、筆者がキョンシーの事を完っ全に忘れていたという訳ではない。 ホントだってば。 ああっ、掲示板を確認しに行かないで〜!!(懇願) → NEXT COLUM |
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