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更新日:2004年12月16日 | ||
以前鷹羽氏が書いていた「ガッチャマンは、実は大鷲の健個人のコードネーム」という話…お恥ずかしながら、筆者はそれをまったく知らなかったタイプだ。
原稿の打ち合わせの時、ふとその話題を振られ、あまりに信じられなくてネットで裏取りをした。 その結果、どうやら間違いない話らしいとわかり、悔しさに枕を涙で濡らしたものだった。 「II」以降から本格的に観始めた事もあってか、認識がズレていたのかもしれない。 ともあれ、この件は、筆者にある事を考えさせるきっかけにもなった。 「意外と、世間の認知と現実の差異がデカイものがあるよな」 意外な話や雑学というと、すぐに「トリビアの泉」が思い起こされるが、そこに投稿するほどでもなく、また採用されるとも思えない程度のネタでも、驚かされる話が結構存在する。 「プルタブ集めて車椅子」の話が、元々は都市伝説だったという話もそんな一環だが、最近こんなのを知ってめちゃくちゃ驚かされた。 「バイオリズムは存在しない」
説明する必要はないかもしれないが、バイオリズムとは、1890年代に発見されたもので、現在知られているのは1930年代に補足されたもの。 人間の好調・不調の波を表すグラフで、「肉体」「感情」「知識」の変動を示す三本のグラフを参照し、「調子の良い時期」「危険日」など色々な結果を導き出すというものだ。 とりあえず、ここで専門的な話をしても仕方ないだろう。 ともかく、24時間単位で区切り、23または28日単位で変化する生体リズムの記録、と漠然と考えていて良いかと考える。 だが、ここで疑問が生じる。 バイオリズムは、一生変化しないものなのだという。 一度測定されたものは、その人が幼少時であっても晩年であっても、大病を患っている時ですら変わらず適応されるという。 しかも、生命体にはすべて概日周期というものがあり、人間の場合は24時間と4時間前後(個体差・条件による差異有り)という、微妙にずれた間隔となっている。 なお、これは占術や迷信などではなく、きちんと実験を繰り返し、科学的にも認められているものだ。 それなのに、バイオリズム基準だと無理矢理24時間でピッタリ割り切って考えてしまう。 24時間より多い(または少ない)部分の蓄積は、何年何十年もすればかなりの違いになる筈。 そう考えると、バイオリズム理論は現実の人間の生態を無視した、おかしな理論としか思えなくなる。 聞く所によると、バイオリズムの発見者は数秘学的(ヌメロロジー。「この世のものはすべて数字で表わすことが出来、数字の真の意味を理解する事で隠された真実を知ることができる」という理論)な意味合いから「23と28」という数字に無意味なこだわりを持っていたらしく、何の根拠もなく先のような数字設定を行ったらしい。 また、バイオリズム測定の検証結果も惨憺たるものだったようで、科学的根拠は皆無、あるいは測定ミスによる結果の産物だった事が証明されている。 1930年の発見者はともかく、1890年の発見者は、いわゆる「かなりヤバイ方向に思考が向いてしまっている」人だったとも言われている。 すでに常識として広く広まっている「バイオリズム」が、70年代後期にはすでに科学的根拠なしというレッテルを貼られていたという事実はあまり知られておらず、筆者にとっても驚きのものだった。 だが、科学的に証明された無意味さだというのなら、これは受け入れるしかないだろう。 科学的には無意味でも、占術的・超常的な意味はあるだろう? と言われる方もおられるだろうが、元々バイオリズムは人間の生態の科学的検証という温床から生まれた概念なのだから、その理屈は通用しないだろう。 血液型による性格差というものも、科学的にはまったく無根拠のものなのだが、こちらもすでに世間的常識となってしまっているものだから、万人を納得させる否定的説明をするのは困難を極める。 とにかく、そんな訳で筆者はもう「バイオリズム」なるものは信用しない事にした。 ううむ…中学時代、バイオリズムについての本を結構読んで納得してたんだけどなあ。 もっとも、いくつか納得できない部分もあったんだけど。 こういうのは、他にもある。 「生物の生態と、月の周期はまったく関連がない」
これもびっくりした。 牡蠣の口開けや、海亀の出産なども含め、実はまったく関連がないのだという。 つまり、真実は「ただの偶然」。 月の周期と人間や他の動物の行動パターンの測定比較、あるいは「満月になると人間は興奮しやすくなって犯罪が急増する」という法則の検証も、信用に足るものではなかった。 すでに30年以上も昔に、完全な否定的結果が導き出されているのだそうだ。 この件に限らず、ある実験を行う人間が、実験結果に強い自信や期待を持っていたりする場合、測定結果の中から「自分の理想に都合の良い数値だけを抜き出す」傾向がある。 もちろん、すべての実験者に当てはまるわけではないが、現実にそんな事をやってしまい、他者による追試実験によって、結果を全面訂正されてしまうケースも多い。 また、「単なる偶然」を理想的な結果と取り違えてしまう事も多々あるようで、月にまつわる検証実験以外にも、このようなパターンに陥る科学者・研究者は多かった。 ある場所で15年間にわたって、犯罪と月齢の比較を続けた人がこれらの関連を裏付ける結果を発表した。 だが、その後同じ場所でさらに10年間同様の記録をつけた人が出した結果は、先の発表内容とまったくかみ合わないものだった。 月齢と人間の行動に関連があるならば、どの時期にどれくらいの期間測定したとしても、結果は似たようなものにならなければおかしい訳だから、これは致命的だろう。 だけど、現実に満月のタイミングを感覚だけで察知できる人はいるし、月の周期に合わせて体調の変化を訴える人もいる。 こうなってくると、月と生物の関係というものはオカルト的な部分に繋がってしまうのだろうか? ただいずれにせよ、上記以外の部分でも関連性の否定検証は行われているそうなので、「月の周期云々」という話に対する否定をしても、間違いではないのだ。 とはいえ、これも深く浸透している知識だし、産婦人科病院でも、妊婦への説明に月齢云々の話をしたりしているようだから、無闇に否定して心理的嫌悪感を与えるのはどうかとも思う。 人とこの手の話題を話す場合は、最初にある程度の断りを入れておくべきなのだろう。 最近出てきた「水は言葉を理解する」というのも、大嘘だそうな。
これは、「ありがとう」などの良い言葉を書いた紙を貼った容器で水を凍らせると、綺麗な結晶を作るのだが、「バカ」「アホ」などの悪い言葉で同様の事をすると、結晶が乱れるというものだ。 そこから、水は人間の言葉を理解し、様々な影響を与える…という説が唱えられた。 人間の身体もほとんどが水分だから、言葉による影響を強く受けるのだという話に発展していくのだが、当然の如く、水にそんな性質はない。 そもそも、この実験を行った人は、 「いくつかのサンプルを用意して凍らせるが、凍らせ方やスポイトによる水の落とし方によって、結晶の形が変わる場合がある。だから、凍らせたサンプルの中から相応しいものを選択して、提示している」 …などと、とんでもない事を述べている。 これはつまり、「悪い言葉」で凍ったサンプルの中から崩れた結晶を、「良い言葉」の中から綺麗な結晶を意図的に選んで発表しているという事だ。 しかも、本人達はそれに対してまったく悪気がない。 素でやっちゃってるのね…これ、実験者ご自身の著書の中に記述されている事なので避けようのない事実なんだそうだ。 実は、筆者はこの本を現在探している最中で、上記の内容はネット上で拾った話の寄せ集めに過ぎないのだが、部分抜粋だけでもとんでもない話だ。 だが、水が言葉を理解して…という内容は、どことなく心地よい意外性を感じさせるものだ。 あっさり信じ込んでしまう人が多いというのも、なんとなく理解できる気がする。 「バイオリズム」や「月齢」の話も、だいたいそんな感じで信じられてしまった事なのだろうなあ。 最後に、またちょっとだけガッチャマンの話に戻ろう。 筆者は昔から、ガッチャマンのOP(最初のシリーズね、念のため)のラストで出てくる「科学忍法火の鳥」の画面に、違和感を覚えていた。 ゴッドフェニックスの機首があるべき“火の鳥の首部分”が、異常に細いのだ。 よく観ていると、ゴッドフェニックスの機首よりかなり細くなってしまっている。 これでは、ゴッドフェニックスは火の鳥の中で潰れているんじゃないか、と思っていたのだが、実はこれ、きちんと理由が設定されていたのだ。 ファンの方には常識かもしれないが、「科学忍法火の鳥」とは、炎に包まれたゴッドフェニックスで特攻する技…ではない。 ゴッドフェニックスの内部に収納されたG1〜G4号の配置を機軸として、十字型の「磁場」を形成し、これに炎をまとわせ、ゴッドフェニックス自体は磁場だけ残して異空間に移動しているというのだ。 つまり、火の鳥の中には物理的存在が何もない! という事になる。 そうかあ、ゴッドフェニックス内部で苦しがっている科学忍者隊の諸君は、熱にあおられてあんな風になっていたわけではないのねん。 ちなみに、この磁場形成後に各Gマシンが分離し、「科学忍法火の鳥・影分身」を敢行した事もあるそうな。 このエピソード、筆者は未見なんだけど、設定マニアにはたまらないものがある演出だと思う。 うーむ、さすがタツノコ…昔からSF考証にこだわっていただけの事はあるなあ。 → NEXT COLUM |
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