◆読者からのレス PART-2

TITLE:「総括・水戸黄門第29部」役者編・『おるい』(加賀まり子)
投稿者/ シュウ(行動隊長) -(2001/10/13(Sat) 17:22:43)



 本部長、柏木参謀長、元締。
 鋭くも面白い文章を拝見し、感嘆しております。
 私の出番はいらないだろうとは思いましたが、久々なので、名乗りぐらいは良かろうかと、参上仕りました。


●「黄門ファミリー」
 1969年8月4日に登場した「水戸黄門」は黄門さまと助・格はそれまでのように主従関係ではなく、黄門さまが祖父で、助・格がいきのいい孫、各地の大名・家老たちがチョット困った息子…というホームドラマの構図を狙って製作されました。
 その構図に新たに加わったのが、第29部より登場の加賀まり子様演じる『おるい』です。
 製作発表の時に加賀まり子様は、
「おるいという人は、格どん贔屓ではあるけど、実は水戸藩全体の母、というような存在です。お母さんとし、格どんだけでなく、助さんや全ての水戸藩の人間を温かく見つめる役柄です」
とコメントされていました。

 演技面、ドラマ内のサポート役として的確な配役でした。




TITLE: 私も混ぜてーーー!
投稿者/ 元締…えーと、階級は?! -(2001/10/13(Sat) 01:52:51)



 初めて水戸黄門ツリーに参加する、元締でございます…
 実は柏木と一緒に、これまでのものもだいたい観ていたんですよね(^^;
 自分としては、かつてこれほど水戸黄門を見続けた事はなかった訳で。
 で、今回ふと「佐野黄門」編を再放送で観る機会があったので、ちょっと参加してみたいと思いました。

 えーと、先に言っておきますと、実は私…旧作と新作を比較する事はあまり好きじゃないんです。
 「必殺」にしろ「スーパー戦隊」にしろ、はたまた最近では「仮面ライダー」にしろ、旧作にはどうしても時代的な難点がつきまとい、新作には新たな挑戦ゆえのズレやセオリー無視による好みの差が生じますから。
 そういうのがわかっているので、いままではあまりそういう比較をしないようにしてきたつもりでした。

 しかし…こと「水戸黄門」に限っては…まさかこんな近年の作品同士だったというのに、ここまで違いが見えてくるものとは思いませんでした。
 否、それを自覚したといえば正しいでしょうか。

 佐野編で気になったのは、「物語(または演出)の進行がジェットコースター」だという事。
 とにかく、見せるべきポイントをあらかじめ区切っているのはいいんですが、そこに辿り着かせるための溜めや引きが全然活きておらず、ちょっと気を抜くと一気に場面が進行してしまっています。
 これは、お定まりのパターン以前の問題です。
 主人公側・その回の中心キャラ達を巡る描写の“時間的”バランスと、そのつなぎ方についてはさすがと思わせるものがあるんですが、一つひとつの場面に深みがなく、ひたすら“安全圏内で繰り広げられる演技”という感から脱出出来ません。
 これは人それぞれによって感じ方が違うでしょうかりら決めつけは危険ですが、たとえ人情話だったとしても、一筋縄ではいかない展開…つまり、いい意味で視聴者を裏切る展開が1%も混入されていないといった感覚です。
 石坂黄門編は、この辺「これでもか」というくらい盛り込んでくれて、別な意味で目が離せません。
 ワンパターン…というあまりありがたくないレッテルを貼られてしまった水戸黄門は、意外と(ワンパターンの原因ともなるシーンに至る以前に)こういう雰囲気が蔓延しまくっていた事が、問題だったのではないか、と今は考えております。


 これはまったく私個人の見解ですが、「時代劇」の楽しみというのは、チャンバラや最後に胸のスカッとする明朗な結末ではなく、“視聴者の意表を突く”要素の内包の大小だと思っています
 仮にチャンバラ…剣劇や殺陣だとしても、たとえば「必殺始末人T」で田原俊彦(!)が見せた“すれ違いざまに相手の首で刃を止め(歩きながら!)、そのまま切り抜ける”とか、「必殺仕掛人」の西村左内がやったように“以前見せた相手の動きをまるっきりトレースして斬り捨てる”など、特に説明がなくても観ただけで唸らされるものが必要です。
 また、人物関係や物語の伏線・起承転結のつなぎ方と流し方、はたまたそれまでのエピソード内で語られてきた伏線のうまい効かせ方なども混じり合い、さらに脚本家の個性と監督の総合把握力・演出力などがすべて力を発揮しきって、ようやく新鮮な「驚き」が生まれるのだと思います。
 そして、その「驚き」がなくなってしまった時代劇の、いかに退屈なものか…
 15年くらい前、そういったものが忘れられたとおぼしき作品が多数世に出ましたが、いずれも名を覚えられる事なく消えていきました。最近のものは結構骨太のものも多く、なかなか見逃せないですけど(^^)
 時代劇イコール安心してみられる作品…というイメージやコンセプトが、製作陣の間に存在した時代というのは確実にありました。
 これまでの水戸黄門は、そういう長い時代を反映してしまった代表格なのではないかとも考えるのです。

 なにせ、とあるご老人による「黄門様が心配でたまりません…」という投書のために、その後前後編が一切制作されなくなってしまったほどなんですから(本当)。


 また、「キャラクターが使いこなせなくなっている」というのも気になります。
 はっきり言って、佐野編では主人公側ほぼすべてのキャラクターに、存在価値が見いだせません。
 せいぜいお銀とあの男性キャラ(名前失念)のコンビくらいでしょうか。
 あおい助三郎も、伊吹格之進も、かろうじて役者の演技力と存在感に支えられているものの、よく見たら「ワンパターンの場面」でしかめざましい活躍をしていません。
 問題に直面した時でも、毒にも薬にもならない言葉を放つだけ…うっかり八兵衛については、そのしゃべるタイミング自体がパターン踏襲に組み込まれており、それ以外ではろくにしゃべるチャンスも与えられないままという始末…今更ですが、結構扱い方に困っていたのではないでしょうか?
 そんな気持ちにすらさせられてしまいました。 


 で、これだけ目に付いた問題点がほぼすべて石坂編で解決しているというのに、注目してみたいと思うのです。
 ここに挙げなかった、これまでのシリーズ(これはパターン化した近年のものという意味)に数々見られた難点の原因を、一つずつ潰したりまたは心機一転させたりして、新鮮さの強調だけでなく、「唸らせる」だけの旨味に昇華させています。
 クールだが侍の生き方という枠から逸脱できず、どこか冷たい印象を与えてしまう助三郎に、あまり体躯も大きくなく“頼りない”言動と判断力が目立つ人情家の格乃進、そして短気で喧嘩っ早く、反面芸術家としての能力をふんだんに発揮する黄門…設定それだけだと難を感じるものの、これがきちんと計算されて物語上で生きているというのは、すごい事です。
 ちゃんと、それぞれが招くもめ事・笑い事・人情事も押さえているから文句が出ません。
 それらを踏まえつつ、サスペンスや緊張感のある所も見せ、そして“印籠”を出した時の爽快感をも演出する妙は、これまで偏見ガチガチだった私を再び時代劇に引きずり戻しただけのパワーを持っていたんです。


 もうすでに見慣れてしまっていた筈の“お定まりの”場面が、なぜか新鮮に見えてしまう事の素晴らしさ。
 それが、石坂黄門があらたに導き出せた『新時代のスタイル』なんだとかつてに解釈しています。
 あとは視聴者の好きか嫌いかなんですが…安定したパターンにはそれなりの良さを感じるのも事実ですからね。
 それに甘んじるのもいいんですが…
 私は、もっと危険で不確定な時代劇を求めたいし、それをこれからの水戸黄門にも求めたいと思ってやみませんね。



TITLE:気合入れてレスしましょか
投稿者/ 本部長 -(2001/10/14(Sun) 23:54:36)



 どうもどうも。 
 この土日はスケジュールが大幅に狂ってしまい、重労働を課せられて半死半生の本部長です。
 まだ「アギト」も観てないんですけど…。
 とりあえずせっかく書き込みしてくださった方々にレスおば。

 まずはお待たせ登場!の元締から。
 遅ればせながら、BBSの負担になるであろう私の身勝手な(偽)コラムの掲載の許可を頂いた事、本当に感謝しております。


> 佐野編で気になったのは、「物語(または演出)の進行がジェットコースター」だという事。
>  とにかく、見せるべきポイントをあらかじめ区切っているのはいいんですが、そこに辿り着かせるための溜めや引きが全然活きておらず、ちょっと気を抜くと一気に場面が進行してしまっています。
>  これは、お定まりのパターン以前の問題です。
>  (後略)


 いってみれば「ご都合主義だけで出来ている作品」といったところでしょうか。
 ただ、一時期はこのご都合主義な展開だけを求めた視聴者によって番組が支えられていたのも事実なのでしょう

>  石坂黄門編は、この辺「これでもか」というくらい盛り込んでくれて、別な意味で目が離せません。
> ワンパターン…というあまりありがたくないレッテルを貼られてしまった水戸黄門は、意外と(ワンパターンの原因ともなるシーンに至る以前に)こういう雰囲気が蔓延しまくっていた事が、問題だったのではないか、と今は考えております。


 石坂黄門についてはまた(偽)コラムにて触れてみたいと思っているのですが、佐野黄門についてはお決まりのストーリー展開の中でキャラの役割が完全に決まっていて、それをかたくなに守りつづける事に美徳を感じていた、という気がしないでもないです。
 一定の設定でお馴染みのキャラがお決まりの事をやっていれば良い…
 ん? 佐野黄門って、もしかして「キャラ萌え」番組だったのかも>おい


>  これはまったく私個人の見解ですが、「時代劇」の楽しみというのは、チャンバラや最後に胸のスカッとする明朗な結末ではなく、“視聴者の意表を突く”要素の内包の大小だと思っています。

 う〜む…この要素を集団チャンバラ劇である黄門に求めるのはちと難しいでしょうね。
  とりあえず、キャラの得意技を区別させる事だけで精一杯でしょう。
 もっとも中期の黄門では、悪役と一騎打ちする助さんのシーンで刃を合わせるたびに火花を飛び散らせる、というあまり他の時代劇でも見受けられない納得な演出もままありました。


>  時代劇イコール安心してみられる作品…というイメージやコンセプトが、製作陣の間に存在した時代というのは確実にありました。
>  これまでの水戸黄門は、そういう長い時代を反映してしまった代表格なのではないかとも考えるのです。


 ある時期から盛りだくさんの内容の時代劇が氾濫したときにも、ひたすら「ワンパターン」を続けてきた水戸黄門が逆に目立つ存在に思えるときもありましたからね。
 周りに流されずに、自分のポジションをきちんと把握している作品であった時期の水戸黄門はワンパターンこそ最高の魅力でした。
 しかし、時代劇自体ががくんと減ってきた現在、もうこれは魅力になり得ない物となってしまったと私は考えています。


> なにせ、とあるご老人による「黄門様が心配でたまりません…」という投書のために、その後前後編が一切制作されなくなってしまったほどなんですから(本当)。

 え〜ッと…確か
「前後編で黄門様がピンチになると次の回で黄門様の無事を確認する前に自分にお迎えがくるかもしれない。心残りなく毎週見れるようにしてくれ」
といった内容でしたっけ…?


> また、「キャラクターが使いこなせなくなっている」というのも気になります。
> はっきり言って、佐野編では主人公側ほぼすべてのキャラクターに、存在価値が見いだせません。
> せいぜいお銀とあの男性キャラ(名前失念)のコンビくらいでしょうか。


 「飛猿」ですね。
  ちなみにこれで「またへい」と読みます(大嘘)。


> あおい助三郎も、伊吹格之進も、かろうじて役者の演技力と存在感に支えられているものの、よく見たら「ワンパターンの場面」でしかめざましい活躍をしていません。
> 問題に直面した時でも、毒にも薬にもならない言葉を放つだけ…うっかり八兵衛については、そのしゃべるタイミング自体がパターン踏襲に組み込まれており、それ以外ではろくにしゃべるチャンスも与えられないままという始末…今更ですが、結構扱い方に困っていたのではないでしょうか?


 実は私、元締と反対に現在初期の「東野黄門」を鑑賞してるんですが、一番驚いたのが八兵衛のうっかりぶりがものすんごくポジティブなんです!
 …ってなんか言ってる意味わからんような気がしますが、とにかく高橋さんの演技がアドリブじゃないかと見まがうほど目立ちまくってて。
 晩年の八兵衛に魅力がなくなったのは、やはり高橋さんが「八兵衛を演じ尽くした」にもかかわらずお約束キャラとしていつまでも存在させなければならなかった当然の代償だったのでしょう。


> 私は、もっと危険で不確定な時代劇を求めたいし、それをこれからの水戸黄門にも求めたいと思ってやみませんね。

 これは今後の「水戸黄門」に絶対必要な要素でしょうね。
 ただ…い、いやこれは今後改めて述べさせてもらいます。


 ところで役職ですが
 「サンドラ・ジュリアン萌え〜元締」

…ではやっぱダメですよね>おいおい

  やっぱり「島帰りの元締」ですかね、はい。


 さて、久しぶり「初期ライブマン状態」で3人が揃ったところで、シュウ行動隊長。

> 本部長、柏木参謀長、元締。
> 鋭くも面白い文章を拝見し、感嘆しております。
> 私の出番はいらないだろうとは思いましたが、久々なので、名乗りぐらいは良かろうか
> と、参上仕りました。


 とんでもございません! 
 今回のコラムのは
「素人が調子に乗って作品評価なんてやるとこォ〜んなにあざ笑われる文章になちゃうよォ〜」ということを晒すためにやってるようなもので…。
 ともあれ、緊急参加感謝いたします!


> ●「黄門ファミリー」
> (中略)
> その構図に新たに加わったのが、第29部より登場の加賀まり子様演じる『おるい』です。
> 製作発表の時に加賀まり子様は、
> 「おるいという人は、格どん贔屓ではあるけど、実は水戸藩全体の母、というような存在です。お母さんとし、格どんだけでなく、助さんや全ての水戸藩の人間を温かく見つめる役柄です」とコメントされていました。


 あららん? そうだったんですかぁ?!
 わたしゃてっきり、「加賀まり子様個人の好みで格どんひいきしている」と信じて疑わなかったのですが>まて

 実際の作中では「水戸藩全体の母」というより、ファミリーのムードメーカーといった印象を受けました。
 次回、炸裂するか母性愛!?(誰に?)



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