総括『水戸黄門・第31部』 弐
 第二章 31部の布陣

 では、31部の内容に触れる前に主要キャストを羅列してみよう。

水戸光圀(里見浩太朗)
佐々木助三郎(岸本祐二)
渥見格之進 (山田純大)
お娟(由美かおる)
八重(岩崎加根子)
鬼若(照英)
アキ(斎藤昌)

 他、セミレギュラーに

山野兵庫(丹波哲郎)
柳沢吉保(橋爪淳)
徳川綱吉(堤大二郎)

 結果として、主要キャストは殆ど入れ替わらなかった。
 特に助格コンビについては、前作までに培われたキャラクターがそれなりに浸透した事や役者個人の人気の上昇もあって、何とか首が繋がったようである。
 その反面、いくらでも使いようがあったはずなのにもてあまされたとしか言いようが無い次郎坊くの一軍団、前回で既にセミレギュラー化していたおるいは退場となり、途中で別れた源吾も再登場しなかった。
 その穴を、新レギュラー3人が埋める事になるわけだ。
(八重=おるい、鬼若=次郎坊、アキ=源吾。くの一組については後述) 

 これらのキャストで始まる、水戸黄門・第31部。
 そして満を持して放送された第一話、その内容は…  


 第一話は、水戸で平穏な日々を過ごす黄門様一行が助けを求めにきた“弱者”のために一肌脱ぐことになる…というか、それを口実に再び好奇心を満たすための旅に出る、というものである。

 注目の里見黄門は当然のように白い髭を生やし、石坂黄門以前の黄色と紫の着物を纏って登場した。
 白い髷と髭、そして下ろしたての衣装が光沢をもっているようで、それが恰幅のいい里見黄門の姿を引き立てるのに一役買っていたのがとても印象的であった。
 その反面、初登場時は百姓姿で野良仕事をこなしている姿を披露する事で、親しみやすさを感じさせた。
 
 石坂を除くこれまでの歴代黄門は、全て「庶民と視聴者の身近な存在である」事を常に心掛けてきた。

 本部長的な解釈は
東野黄門= 一昔前にはどこにでもいたおじいちゃん
西村黄門= 理想のおじいちゃん
佐野黄門= 一般的に連想しやすいおじいちゃん

 …何となくでも、ニュアンスの違いに気付いてもらえるだろうか。

 「色気の黄門」を謳った西村黄門は、気品こそ感じさせるものの近寄りがたさは無かったが、どこか浮世離れした感のある石坂黄門は、やはり身近な存在にはなりえなかったようだ。
 里見黄門はこの部分をクリアして、なおかつ「歴代中一番ガタイが良い(ように見える)」わけだからホントにそばにいて欲しい、というか「守って頂戴♪」といいたくなるような無敵の黄門様像を早くも確立させてしまった。
 
 …この後すぐに、ホントに無敵であることが判明するのだが。 

 視聴者の予想…というかその期待通り、圧倒的な強さを見せつけた里見黄門。
 そのあまりの活躍っぷりにすっかり「強すぎる黄門」というイメージに染まってしまった感もあるが、この“新・黄門”が視聴者に受け入れられたのは、必ずしもこの部分によるものだけではない。
 
 まあ実際、「強い黄門」というのは“里見浩太朗に求められた”ものであって水戸光圀に求められたわけではないし、言ってみれば強さの部分はそれを視聴者が求めたから、ちょっと強調してみたのだろうと思う。
 時としてちょっと“おいおい”なシーンもあったものの、実際にその時間だけで言えば里見黄門の殺陣のシーンってのは東野、西村の時とそれほど長さは変らなかったりするし。
 
 …あれ?
 そういや石坂浩二が黄門就任したときに

「殺陣もお見せしますよ」

なんて事言ってたけど、そんなシーン全然記憶にない…。

 里見黄門の魅力は、強さと同時にある種の「無邪気さ」を同胞した部分にあると思う。
 とにかく行動がアクティブというか、好奇心旺盛でどんな事にも首を突っ込みたがる。
 頼まれてもいないのに一肌脱いだりとかは当たり前。
 時には侍従を疎ましく思い単独行動をとったり、食いすぎでおなかを壊したりと、なんだか本当に道中羽目を外しまくりで、ホント、毎回ワクワクしながら旅を続けてるような感じが伝わってくる。
 同時に、これらの行動が普段は水戸で隠居生活を強いられている抑圧から出ている事を感じさせる事で、視聴者の共感を呼ぶ事になる。
 
 そしてまた、これらの要素は初代の当の黄門のキャラを何となく彷彿させる。

 東野黄門は、一行が理由あって二手に分かれて旅を続ける際、必ずと言っていいほど八兵衛と行動を共にするが、それはお堅い助格と一緒にいるよりも、絶えず揉め事を持ってきてくれる八兵衛といた方が退屈しないですむからだ。
 そして案の定、何かトラブルに巻き込まれたときも慌てふためく八を尻目に、その状況を楽しんでいるかのようなそぶりさえ見せる。
 時として自身が杖を片手に悪人どもを蹴散らすシーンを記憶している人も多いと思うが、実際自分の身を守れる程度の護身術も身に付けており、このことからも元々黄門様が少なくとも「非力な年寄り」では決してない事が分かる。
 
 里見黄門は、これら初代の持っていた要素に独自のアレンジを加えて自分のものにしたのではないだろうか?
 いってみれば「原点回帰」とは少し違うが、原点を見直した上で長期化することによって薄れていった黄門様本来のキャラを、再び浮き彫りにした…
 里見氏の「本当の黄門」発言の真意は、ここに現れていたように思えてならない。
 
 里見黄門は視聴者に喜んで迎え入れられ、またその期待も裏切らなかった。
 その功績は、高く評価すべきだと思う。
 しかし一方で、「新黄門のキャラクター」に重きを置き過ぎた所為か、他のレギュラーキャストにそのひずみがいくこととなる。  


 前回から続投となった助、格、お娟(お銀)は、歴代の同じ人物とは全く違うキャラクターを演じてきたのだが「石坂黄門用」として作られた彼らのそれをそのまま里見黄門で流用するのは、やはり具合が悪かったのだろう…
 結果として彼らは、「ちょっと見は今まで通り、実はなんか違うような」キャラクターとなってしまった。

 学問、剣術に長け自分にも他人にも厳しい性分であり、時としては弱者の涙さえ簡単に信用しない、一種エリート意識さえ感じさせた助さん。
 反対に剣術、学問共に今ひとつでおっちょこちょい、女性に眼が無くそのくせ頼まれたら断れないお人よしな格さん…
 この二人のは兄弟のようというか主従関係にも似た物であったのだが、助さんが単なる堅物となりそのキャラをやたらからかわれる存在となり、格さんが小器用なお調子者っぽくなってしまった事で、いつの間にかこの二人は「凸凹コンビ」となってしまった。

 そしてお娟は初期設定にあった影の部分がすっかりなくなり、完全に「お銀」になってしまう。
 元々お娟というのは、演じる由美かおるの年齢を考慮して“今後も長く演じつづけられるキャラ”として生み出された節がある。
 これまでと違い自分が最前線に立つのでなく、配下の者(くの一組)を使ってその頭領となって指揮をとる、いわば「動く側」から「使う側」へとシフトアップしたわけだ。

 ところが、由美かおるの陰りを帯びた演技とアクションの少なさは、はからずも彼女の実年齢を露呈させる事となり、ファンの不満をさらに増幅させる事となった。
 30部では忍び装束をお銀時代のものに戻し、これまでと変らぬアクション(彼女の場合殺陣、というよりこう表現した方ががピンとくる)を披露、再び自分が最前線で活躍する事となってしまい、本来彼女の「動」の部分を担うはずだったくの一組は、そのアイデンティティーを奪われ文字通り「影の存在」と化したあげく、31部での続投叶わぬ事となった。
 もっともお娟としては、おかげで探索に護衛に潜入にと存分に使われたわけだから、これはこれでよかったと思う。

 もっとも不遇だったのは、柳沢吉保だろう。
 庶民派黄門と政治的な策略を弄する彼は、どうにも絡ませようがなく光圀の政敵というよりは単に目の上のたんこぶとして疎ましがっている程度の存在に摩り替えられ、結局第一話のみの出番で終わってしまった。

 …え? 徳川綱吉?
 あ、あの人はこれまでも「出てりゃいい」って扱いだったから。

 では彼らに対して新登場となった三人、八重、鬼若、アキはどうだっただろう。 



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