総括『水戸黄門・第31部』 参
う〜ん、さすがにちょっと間隔空けすぎたですね。
先週は殆ど家にいなかったりしたんで、なかなか書き込みできなかったんだよね〜。
参謀長がスレ上げてくれなければ、もはや過去ログ扱いでした(笑)。
…え〜っと、どこまでいったっけ…(忘れるなよ)
新レギュラー中、最も収穫だったと言えるのが八重であろう。
ポジション的にはおるいと同じにも関わらず、武家の女房(正確には未亡人)でありながら市井の暮らしに順応しているらしく、気持ち的には庶民派でおるいよりも(ムダに)行動力があり、また物好きおばさんらしく些細な事でも大げさに表現したり、下世話な勘ぐりなんかも得意とするキャラだ。
…実は全編通してたいした活躍はしていないのだが、どんな事件でもこの「役に立たないおばさん」が色々勘ぐったりいぶかしがる事で(実際、この人の意見というのは殆ど役に立った事はない)、お八重は視聴者と同じ「客観的な第三者」の立場の人物として劇中に存在する事が出来たといえる。
演じる岩崎加根子の“でしゃばりなのにそれが鼻につかない”押さえを心得た演技もあって、まさにポスト八兵衛とも言うべき人物に仕上がった。
このキャラ、里見黄門最大の収穫だったのではと思う。
次回作では、是非ともメインエピソードを作って欲しいものだ。
そして、付かず離れずのスタイルで絡む鬼若(照英)とアキ(斎藤昌)。
鬼若は次郎坊の穴埋めキャラと言ってよく、色々つけた設定を上手く使いこなせずかえって印象が弱くなった前任者の反省点を踏まえ、無口で無骨な男といたってシンプルなキャラ付けをされ、見せ場として殺陣のシーンでは怪力&自慢の肉体美を披露。
これがなかなか好評だったらしい。
ただあまりに無口すぎたせいか一行と上手く絡むことが出来ず、なし崩し的にお娟と共闘、というか最後のほうはいいように使われていたような印象だったのは否めない。
お娟だって「風呂にはいるだけの存在」ではないのだから(それを期待していると言うのとそれさえやってりゃいい、てのは違うでしょ?)、やっぱりただの「肉体披露キャラ」に甘んじるのはまずいと思う。
次回作では、更なるステップアップに期待したい。
アキは、前回の愛らしさにも欠け、さりとて悪ガキと言う程毒気もないある意味等身大の子供として描かれた源吾とは正反対に、もうドラマの中の人物として思いっきりデフォルメされたキャラとなった。
忍一族の棟梁格の血を引き、自身も読唇術や軽い予知能力等の特殊能力を身に付けており、一応鬼若がボディーガードなのだが、実際に「そんなモン必要あるんかい?」と思わせるくらいの護身術を身に付けている。
この際、相手が勝手に倒れているように見えるとか言う突っ込みはナシ♪
反面、幼くして両親と生き別れになった(母親とは後に再会)淋しさからか、ご老公様に肉親の温かみを感じているらしく、普段は鬼若に負けず劣らずの無口っぷりなのだが、なれなれしいと言えるくらいなついている。
まあこのなつきっぷりが、可愛いっちゃあそうなんだが。
えてしてこういう番組では子役と言うのはマスコット的な存在であり、アキはその勤めは存分に果たしたと言っていいだろう。
…まあ時としてコスプレしたり入浴シーンに挑戦したりと、「その歳でもうそこまでやるか!」と、思わずちょっと人生急ぎすぎでないの? と心配したくなるようなシーンもあったりして、まあそれが楽しみな方もいらっしゃるようなので…
う〜む、フォローに困ってしまった…。
第31部は視聴率的にも好評の内に終了し、士気を大いに上げたまま次回作に突入する。
そう、確かに里見黄門は数字的にも結果は残したし、何より新黄門として独特の個性を生み出し、それが受け入れられたという功績は素直に称えたい。
自分も実際に観ていて「つまらない」と思うことは少なかったし、日曜の朝と同じように月曜の夜8時を毎週心待ちにしていたものである。
しかし…それでもひとつだけ、不安を感じる部分がある。
その不安要素がごく小さいもので長所に比べたら取るに足らない物ではあるが、こういった場をお借りして、好き勝手言わせてもらうついで、腹の底を全てさらけ出して総括を終えさせて頂きたい。
その不安は、水戸光圀演じる里見浩太朗が元々時代劇の大御所俳優であり、これまで数々の作品で主役(善玉)を演じてきた事に起因している。
過去の黄門役者は、石坂浩二を除けば過去に悪役を演じる機会が多かった方々ばかりである。
実際に黄門役が決定した時点で、「なんでお前なんかが黄門様やれるんだ?」とのバッシングを喰らう事も多かったらしく(特に二代目、西村晃の時は凄かったらしい)、彼らは全員黄門を演じるにあたってそれまでの自分のイメージを抹消させ、自分に相応しい黄門像をゼロから立ち上げていたのである。
対して里見浩太朗の場合、既に善玉役者として認知されてしまっているので、同じ善玉の黄門を演じるにあたってこれまでの自分のイメージを持ってくることが出来た。
ここが問題で、極端に言ってしまえば現時点で、視聴者の中には「水戸光圀を里見浩太朗としてしか見ていない」方も多かったのではないかという事だ。
早い話、水戸光圀というキャラクターが役者・里見浩太朗本人が持つイメージに負けちゃってるという事である。
だから、里見氏が何をしても比較的好意的に受け入れられる反面、妙に里見キャラらしい部分がクローズアップされる事になってしまった。
一番言われる「強すぎる黄門」という部分にしてもそうで、実際には里見氏自身の殺陣のシーンはそれほどなく、その存在感で圧倒していた部分も多いのに、さも「里見黄門が悪をバッタバッタとなぎ倒す」みたいなイメージがついてしまったのもこれが原因であろう。
石坂浩二は、自分の持つキャラクターを黄門像に投影しようとして結果失敗に終わったわけだが、里見氏の場合(それを本人が望んだかどうかはともかく)、観てる方で勝手に里見キャラを連想してしまったのである。
この問題が今後どう昇華されていくか…。
数年後に水戸黄門が「過去に里見浩太郎が演じた一キャラ」としてのみ見認知されるか、それとも「大御所・里見浩太郎も演じた事のある時代劇の頂点に立つキャラ」として認識されるか、答えは里見氏の発言
「本物の水戸黄門を見せる自信がある」
に隠されている。
このまま「里見浩太朗ショー」に甘んじた作品になってしまうのか、本当の意味で里見浩太朗が表現したかった水戸黄門が見られるのか―。
「本当の黄門」がどのようなものであるか期待して、これからも「水戸黄門」を見続けようと思う。
(終わり)