12.最終回の意味
さて、『龍騎』の最終2話で、北岡は病死し浅倉は射殺され、真司はレイドラグーンに受けた傷が元で死んでしまい、残ったナイトとオーディンによる最後の戦いが行われた。
そして、優衣が新しい命を与えられることを拒絶したことに士郎が絶叫すると共に、オーディンの試合放棄とも取れるような敗北によってナイトは最後のライダーとなったが、蓮自身は、手に入れた新しい命で恵里を救った後、オーディンとの戦いのダメージで死亡した。
これにより、不幸にして蓮は死んでしまったが、恵里を救うという目的は無事果たすことができた…はずだった。
しかし。
どういうわけか、番組のラストを締めくくったのは2003年1月19日の世界で、OREジャーナルの新人記者として駆け回る真司と、彼にぶつかり、すれ違っていく“ライダーだった者”達の姿だった。
あれは一体どういうことだったのだろう。
少し話を分けて整理してみよう。
まず、士郎と優衣の
士郎「お前はきっと拒む、拒み続ける
また駄目なのか、優衣! また!」
優衣「また繰り返すの? 最初から?
もう終わりにしよう
あたしはここにいる。お兄ちゃんの傍にいる
新しい命なんてなくても、絵を描いてた時みたいにただ願えば」
という会話について考えてみよう。
士郎の言葉からは、士郎が以前にも、優衣が20歳以降も生きられるよう計画して失敗していることが分かる。
しかも、「拒み続ける」というのだから、1度や2度ではないだろう。
今回と同じようにライダーバトルを繰り返していたのかもしれないし、そうでないこともあったのかもしれないし、もしかしたら毎回違う方法を試しているのかもしれない。
ここで問題になるのが、優衣の言う「最初から」がいつなのかだ。
これについては、どういう理屈でやり直しているにせよ、優衣が死なないように改変することはできないようだから、鏡の向こうの優衣がこちら側に来た後ということは間違いないだろう。
なにしろ、優衣が死ぬ前に戻せるのならば、そもそもこんな苦労を繰り返す必要はないのだから。
どうしてライダー同士が戦うと新しい命ができるのか分からないが、最終的にモンスターのエネルギーを利用しているのではないかと思われる。
モンスターのエネルギーを合成して、優衣に与えられるだけの生命力を得ようとしたのではないだろうか。
ミラーワールドの発生経緯を考えてみると、どうやら士郎と優衣が2人の力で具現化した世界のようだ。
つまり、金色の羽の士郎と、黒い羽の優衣が協力しないと支配できない世界ということだ。
また、もし士郎の力だけで新しい命を生み出せるならば、蓮が恵里にしたように、優衣が望むと望まざるとにかかわらず新しい命を無理矢理与えてしまうことができたはずだ。
だが、どうやら優衣が拒めば新しい命を与えることはできないらしい。
片割れである優衣がいなくなればミラーワールドの維持すら不可能になると考えれば、香川の「優衣さえ死ねばミラーワールドは閉じる」説とも符合する。
ミラーワールドの半分しか支配できない士郎が独力で大きな変化を起こすために、ライダーという存在を必要としたのではないか。
逆に考えれば、優衣が真実を知って士郎と共に延命を望めば、新たな大人の優衣を生み出してその命を優衣に与えることさえできるのではないだろうか。
かといって優衣に「お前はもう死んでいる。だから、俺と一緒に新しい命を作ろう」などと言うわけにもいくまい。
だから士郎は、優衣にその死を知らせることなく自分だけの力で新たな命を作り出すことを画策したと思われる。
そこで考えたのが、ミラーワールドが持つ何らかの性質を利用して新しい生命を作るという延命策だったのではないだろうか。
そうやって、士郎は何度かライダーバトルを企て、その度に優衣に拒否されてやり直していたのではないかと思うのだ。
だが、それならどうして今回に限り、優衣と士郎は新たな2人の世界を生みだしたのだろうか。
まず、ライダーの人選から考えてみよう。
ライダーは毎回同じメンバーだったのだろうか?
元々士郎がライダーに選んでいたのは、ライダーバトルを繰り広げてでも果たしたい目的がある者、戦いそのものを楽しむ者が中心だ。
そんな変わり者は確かにそうやたらにはいないだろうが、前回失敗したときと全く同じメンバーを集めたのでは無意味だ。
となれば、数人は入れ替わっていると見るべきだろう。
蓮や北岡のようにはっきりとした目的を持っている人間ならば毎回参戦している可能性もあるが、手塚のように斉藤雄一の代わりに参戦した人間が毎回いたとは考えにくい。
雄一が拒否することが分かっていて、しかも手塚がライダーバトルを嫌っているという現状からして、二度とスカウトしたいとは思うまい。
もちろん、前回と今回で性格が多少違うという可能性もあるわけだが、そんなところに労力を使うくらいならば違う人間をスカウトした方がマシだろう。
ということで、ライダーは毎回多少は違うメンバーを集めているはずだ。
また、香川の参戦も恐らく今回が初めてだったろう。
香川に資料を見られたばかりに危うく優衣を殺されそうになったわけだから、あらかじめそうなると知っていれば、香川がオルタナティブのデッキを作る前に殺している、或いはそもそも資料を見られるようなミスを犯さないはずだ。
士郎は、本気で戦いを終わらせようとするような危険人物を放ってはおくまい。
では、真司は毎回入っているのだろうか。
今回、真司は榊原耕一の遺したデッキを手に入れたことでライダーになった。
榊原がどうしてライダーにならなかったのかは分からないが、少なくともそんな人間を何度も選ぶものだろうか?
前述の雄一同様、もう二度と選ばないのではないかと思う。
どうせ次に真司に受け継がれるのであれば、榊原を飛ばしていきなり真司をスカウトすればいい。
真司がライダーバトルを嫌がるというのであれば、そもそもライダーにする意味などありはしない。
そういうわけで、鷹羽は、真司がライダーになったのは今回が初めてだと考えている。
そして、そう考えると、今回優衣が「新たな2人の世界」を生み出すことを提案した理由が説明できるのだ。
つまり、そこに真司の影響があると考えるわけだ。
真司は、記者という職業のせいもあって謎の行方不明事件の実情をある程度知っており、しかもその底抜けの人の良さから、戦いを止めようと各ライダーに働きかけている。
先にも書いたとおり、それ自体は徒労に終わっているのだが、真司という“戦いに入れ込まず、ほかのライダーに積極的に関わりたがるライダー”の存在は、確かにライダー同士の関係を変質させていった。
さらに、真司が貧乏で花鶏に転がり込むというハプニングのために、2人のライダーが同居するという異常事態に発展した。
このことが真司、蓮、優衣の結びつきの強さを生んだわけだし、それがまた手塚ら他のライダーに波及していったわけで、その影響は計り知れない。
そういった中、蓮なら黙っているだろうことでも喋ってしまう真司というキャラクターのせいで、本来なら優衣が知らずに済むはずのライダーの死が逐一知れるところとなり、優衣は心を痛めていく。
その裏には、「戦いを止めたい」と言い続ける真司の影響もあったのではないだろうか。
ライダーが全部須藤のような人間ならば、優衣もあまり心を痛めずに済んだだろう。
このように、真司と手塚というイレギュラーは、正しく予測外の事態を引き起こして、ライダーバトルの進行を阻害してしまっただけでなく、優衣に色々考えさせる原因を作ったのだ。
その結果、優衣は新しい命を与えられるより前に“他人を犠牲にしてまで助かりたくない”という自分なりの答えを出してしまった。
そして、優衣が自分の死を自覚し、士郎と共に絵を描き続ける世界に住むことを望んだことで、士郎さえ望めば2人が一緒に居続けられる世界を構築することが可能になった。
先程の鷹羽の仮説が正しければ、優衣と士郎の2人が望めばミラーワールドはどんな世界にでもなれるわけで、最後に2人が幼い頃の自分達と共に住むことになった閉ざされた世界は、誰にも迷惑を掛けることなく自分達が幸せを感じることのできる最大公約数的な世界だったのだと思う。
それを踏まえて、最後に出てきた真司達が生きている謎の世界について考えてみよう。
あの世界で北岡が持っていた新聞は、7話『新種誕生?』で北岡が真司に見せた記事とほぼ同じ内容ながら、日付が2003年1月19日になっている。
さらに、令子が取材に行った坂浦商事という悪徳金融会社の裁判も、7話の時点で北岡が「この前無罪にした」という言い方をしていたものだ。
一方、真司が取材に出掛けることになった「金色の蟹」は、同じく7話で扱われた「金色のザリガニ」と酷似しているし、30話(8月25日放送)で初登場したはずの浅野めぐみが真司と同期入社くらいの扱いで登場しているし、本来拘置所にいるはずの浅倉ものうのうと街を歩いている。
『龍騎』の場合、番組内時間は放送日に準拠している(日数計算が合わないのは『アギト』と同様)から、7話の放送日である2002年3月17日よりも前の出来事と、その日に起きたこと、5か月後の出来事などがごっちゃになった状態ということになる。
どういう世界なのだろうか。
もしかしたら、ファンサービスということでレギュラーキャラを総登場させ、ライダー代表として手塚、東條を顔見せ的に出しただけなのかもしれないが、それではあまりに芸がないので、きちんと意味のある世界という前提で考えてみる。
士郎が「お前はきっと拒む、拒み続ける。また駄目なのか、優衣! また!」と言っているとき、世界が砕けていくかのようなイメージシーンが流れていた。
これが、失敗した歴史を壊してもう一度やり直すということならば、蓮が勝利した世界は壊れ始めていたことになる。
そして、優衣の「あたしはここにいる。お兄ちゃんの傍にいる。新しい命なんてなくても、絵を描いてた時みたいにただ願えば」という言葉を聞いた士郎は、今の優衣と共に、優衣が死んだあの日に戻り、閉じられた幸せな世界に生きることを選んだ。
その後、放り出された世界は、優衣や士郎があの事件で死んでしまった世界(花鶏のカウンターには、幼い頃の2人の写真しかなかった)として、士郎が暗躍しない状態のまま時間を積み重ね、本来の歴史と微妙にずれた世界として存在しているのではないだろうか。
そうならば、浅倉がまだ傷害事件を起こす前の状態で、北岡の病気も若干進行が遅く、真司とめぐみが同期入社している世界であってもおかしくない。
鷹羽は、そういう世界だと思う。
士郎が罪滅ぼしに、みんなに都合のいい世界にしたという可能性も捨て切れない。
ライダーに選んだばかりに色々迷惑を掛けた真司達への罪滅ぼしに、北岡が病気でなく、浅倉が逮捕されていない世界を作ってやったのかもしれない。
だが、鷹羽としては、たとえ士郎にその力があったとしても、そこまでの精神的余裕はなかっただろうと思っている。
なお、この「お前はきっと拒む、拒み続ける。また駄目なのか、優衣! また!」から、劇場版やテレビスペシャルがテレビ本編の前に繰り返された世界だと考えている人は結構多いらしい。
もしかしたら、制作側でもそういうつもりで書いたセリフなのかもしれない。
しかし、あくまで個人的な見解ではあるが、鷹羽はその意見には同意できない。
なぜかというと、あまりにも根本的な部分で設定が違うからだ。
劇場版では、優衣が消える理由を“ミラーワールドで遊んでいるうちに時間が経ちすぎて現実世界に帰れなくなり、鏡の中の優衣の命を貰うことで帰ってきた”からとされている。
だが、優衣がミラーワールドで遊んだのは、沙奈子に引き取られた後の話ということになっており、既に鏡の向こうの優衣が乗り移っているはずだ。
この上更にミラーワールドの優衣から命を貰うことなどできるとは思えない。
『番組途中の3つの終幕』の項で「劇場版と同じ設定であるかどうかはともかく」と書いたのは、そういう意味だ。
また、劇場版では、ミラーワールドのモンスターについても“鏡の中の優衣が命をくれることと引き替えに欲しがった絵”ということになっており、その絵も沙奈子に引き取られた後に書いたことになっている。
つまり、劇場版は士郎が優衣の死を知らない世界ということになる。
超常能力を持って士郎が優衣の死を知ったという可能性を否定はしないが、少なくとも士郎が優衣と引き離される前は優衣は生きていた。
ここで、ちょっと思い出してほしい。
先程書いたとおり、“士郎が優衣を救うために画策しているのは、沙奈子に引き取られる前に死んだ優衣を助けるため”だ。
したがって、劇場版とテレビ本編とは、全く設定の違う世界ということになる。
また、リュウガは“ミラーワールドの真司”という、テレビ本編の設定“モンスターと士郎と優衣しかいない世界”では存在し得ない生物だから、そのままの設定ではテレビ本編には絶対に登場できないのだ。
次にスペシャルだが、ここでは“ミラーワールドの中にあるコアミラーを破壊すればミラーワールドは閉じる”という設定が語られ、実際にコアミラーの前にモンスターの絵が落ちてくるとモンスターが誕生する。
幼い頃の士郎と優衣の会話の中に、そんなものがあっただろうか?
そもそも、ミラーワールドを生みだしたのは優衣と士郎なのに、コアミラーが必要なのか?
これもおかしな話だ。
ともかく、どういうシステムかは知らないが、士郎には時間を戻す力があるらしい。
だったら13年前まで戻して優衣の死を食い止めればいいものを、それはできないらしい。
だからこそ、一旦死んだ優衣が、20歳で再び死ぬのを防ぐためにあれこれ画策する羽目になっているわけだ。
また、士郎が想像の世界だったはずの鏡の中の世界が本当にできていることを知ったのは、鏡の中の優衣が出現したことによるものと考えられる。
或いは、そのとき本当にミラーワールドが誕生したのかもしれない。
ここから考えるに、士郎の時間を戻す力もミラーワールドの能力に依存しており、その力が顕現したあの日以前には戻れないのだろう。
そういうわけで、鷹羽には、劇場版もスペシャルも単なるアナザーストーリーであって、かつて失敗してやり直した世界とはどうしても思えない。
とにかく、蓮が命を懸けてまで恵里を助けたことは無意味になってしまったわけだが、制作者側としてその努力をフイにしたことはどう考えているのか、聞いてみたい気がする。
まさか、“みんな助かった世界が生まれたんだからいいでしょ”などと言うつもりではあるまいな。