7.死ねないライダー達


 私利私欲のための戦いの是非については後で考えるとして、ここではそれを肯定した上で、その戦い方について論じたいと思う。

 ライダーの戦いは、新しい命すら得られるハイリターンな戦いだけに、当然ハイリスクを伴う。
 言うまでもなく、ライダーの戦いに負ければ待っているのは己の死だ。
 蓮のように恋人の命を背負って戦っている場合、その恋人の命も失われることになる。

 普通なら、血で血を洗う戦いになるはずなのだが、不思議なことにライダーの戦いには他人の足を引っ張るために画策する者が少ない。
 王蛇のように、戦いという経過そのものを楽しむために戦っているライダーはいいとしても、普通だったら、自分が生き残るために最大限の努力を惜しまないだろう。
 ほかのライダーの正体を知ることは、不意打ちをかけたり機先を制したりするために重要なことだし、だからこそ蓮は、5話『骨董屋の怪人』で「奴の正体を知っている分、俺達が有利だ。いいか、迂闊なことはするなよ。死にたくなければな」と言っているのだ。
 実際、シザースは、正体の分かった真司や蓮を謀殺するべく策を弄している。
 これは、シザースが悪のライダーであるということを強調するための演出だったのかもしれないが、一方で、制作者側の“血で血を洗う戦い”というイメージでもあったように思う。
 当初、ライダー同士を必要以上に親しくさせないことで、そういう緊張感を持たせようとしていたのではないだろうか。

 北岡にしても、真司を留置場に入れっ放しにして契約違反させ、ドラグレッダーに襲われるよう仕向けたり、ゾルダ(吾郎)を殺したと思い込ませて自滅させようとしたりと、結構えげつない手を使っていた。
 そういう部分は、ある程度後の方まで残っていて、王蛇を自滅させるため、ベノスネーカー達が3体のバズスティンガーのエネルギーを吸収するのをゾルダとナイトが2人掛かりで邪魔するといったこともあった。
 だが、実はこのときは、王蛇がバズスティンガーを倒せないように邪魔をするのが正解だった。
 倒せないうちはエネルギーの吸収もできない。
 そして、バズスティンガーが3体いる限り、王蛇の4つのファイナルベントといえどもそう簡単には倒せないだろうことは、既にベノクラッシュが1回跳ね返されているという現実から明らかだ。
 ライダー同士の戦いに持ち込まれては困るが、彼らが一緒になってバズスティンガーを倒してやる必然性などありはしない。
 そのくらいのこと、駆け引きでは海千山千の北岡が思いつかないはずがない。
 こういったことからも、彼らが本気で戦っているようにはどうも感じられないのだ。

 この傾向は、ライダー同士がどんどん顔見知りになっていくに従って強くなっていく。
 特に、番組の中心となる龍騎、ナイト、ゾルダは、その必然から早くに顔見知りになっており、それだけにいつの間にか北岡が平気な顔をして真司や蓮の前に姿を見せるようになったことには、“あれだけひどい目に遭わされて、どうして仲良くできるかなぁ”という疑問を禁じ得ない。
 いくら王蛇という(契約モンスターを3体も持つ)強大な敵が現れたことを強調しても、それが北岡と手を結ぶということとイコールにはならないし、ましてや真司達は北岡と手を結んだわけでもないのだ。
 これが生き残るために取りあえず徒党を組んでおこうとしたならば、それはそれで評価できる。
 ライバルを減らすためにチームを組み、自分達だけになってから雌雄を決するというのも勝ち抜くための1つの手段だからだ。
 自分だけでは倒せない強い敵でも数人掛かりでなら倒せることが多いし、手札や戦闘時間に限界のあるライダーの場合、それはかなり有効な戦い方と言える。
 そういったチームの中で、時に内ゲバが起きるのならばそれもまた許せるのだが、なあなあで寄り合っている3人が、ある時は戦い、ある時は共闘するというのは、どうも真剣味が足りないように思えてならない。

 そもそも、先に述べたとおり、自分の住所氏名が敵に知られるということは、闇討ちされる恐れがあるということなのだ。
 また、自分の情報が敵に知られれば、それだけ有効な対策を立てられてしまう危険が伴うから、自分の能力を見た相手はその時に殺しておかないと後が危ない。
 だから、本来、ライダー同士が出会ったなら、その場で白黒つけねばならないのだ。
 これは、闇討ちのような手段のことばかりではなく、正面きって戦うとしても、やはり不利になる。

 なぜか。
 それは、自分の持つカードの内訳を知られるということが、そのカードの泣き所を突かれるという危険を伴うからだ。

 例えば、タイガのフリーズベントを考えると分かりやすい。
 これは相手の契約モンスターを完全に停止させてしまうカードで、これを使われた相手は、ファイナルベントなどモンスターの行動を必要とするカードは全て封じられてしまう。
 また、この後武器を召還したライダーもいないことからすると、下手をしたらそれすら封じられてしまうのかもしれない。
 正に切り札と言えるカードだ。
 ということは、タイガを前にしてモンスターを召還することは自殺行為と言えるが、逆にこのことを知っているライダーは、迂闊にモンスターを召還することはないだろう。
 ちまちまと武器を召還しているうちは、タイガは切り札を使えないのだ。
 龍騎のように、ほとんど全ての武器でモンスターが姿を見せるライダーは相変わらず辛いが、ゾルダのように武器自体が強力なライダーや、王蛇のように複数のモンスターと契約しているライダーは、それさえ知っていればいくらでも戦い方がある。
 事実、両者は初戦において不意打ちのフリーズベントで痛い目に遭った後、それをかいくぐる方法を考えて戦っている。

 では、どうしてライダー同士はきっちり白黒つけないのか。
 確かに、ミラーワールドの滞在時間には限界があるから、ミラーワールドで決着がつかないということもあるだろう。
 だが、それまで死闘を演じてきたはずの2人が、現実世界に帰った途端に「じゃ、さよなら」とばかりに別れていくのはおかしい。
 命が懸かっている以上、たとえヘロヘロだったとしても、ナイフやそこらの棒きれで襲い掛かるかもしれないのだから、警戒し合ったままで去って行かねばならないだろうに、お互い無防備に去っていってしまう。
 22話『ライアの復讐』での浅倉のように、現実世界に戻った後も鉄パイプを持って襲い掛かるくらいのことはしてほしい(まぁ、あれは戦い足りないだけだったが)。
 相手が意識を失うところまで痛めつけた後で、契約モンスターに頼んでミラーワールドに連れ去り、餌にするなり蒸散させるなりすれば、死体は残らないんだし。

 決着をつけないこと、と言うより、そもそもミラーワールドに滞在限界を設定したこと自体が、ヒーロー番組としての『龍騎』の限界なのだ。
 番組中に登場するアイテムやライダーの人形等を売る以上、戦うときは基本的に変身していてもらわねば困る。
 また、13人登場する予定のライダー全員に、それなりの個性を持たせて描写するためには、最低でも数回にわたる登場が必要だ。
 顔を合わせたら決着がつくまで殺し合うのでは、登場したライダーはその話のうちに死んでしまうことになる。
 それを防ぐため、勝った負けた以外に“時間切れ引き分け”という選択肢が絶対に必要だったのだ。
 こうして、迂闊にライダーを殺せない素地ができてしまった。
 また、一方で、ライダー=人間という明確な設定があるため、“主人公に人殺しをさせるわけにはいかない”という枷も付いてしまった。
 真司はもちろん、蓮や北岡といったサブ主人公達も、その立場上ライダーを殺すわけにはいかなくなってしまったのだ。

 一方で、シザース、ガイ、ライアのように死ぬことを前提に登場したライダーもいる。
 シザースはライダーにも悪い奴がいることを真司に見せ、同時にライダーの死というものを真司や蓮、視聴者に見せるために登場したのだろう。
 そして、真司にも蓮にも殺させないため、“苦し紛れのナイトの一撃でデッキが壊れ、契約モンスターであるボルキャンサーに食われた”という形で死ぬことになった。
 これなら、少なくとも蓮が直接殺したことにはならない。

 次に、ガイとライアは、当初からその契約モンスターを王蛇が使う予定で登場した。
 耳の早い視聴者は、最初から彼らが退場することを知っていたのだ。

 そして、ここに王蛇の最大の存在意義がある。
 つまり王蛇は、悪役(憎まれ役)として登場しているから、人を殺しても構わないのだ。

 試しにライダーの死因を見てみると
龍騎 レイドラグーンに受けた傷が元で死亡
ナイト オーディンの攻撃が元で死亡
シザース デッキが壊れ、ボルキャンサーに食われて死亡
ゾルダ 病死
ガイ 王蛇のファイナルベント“ベノクラッシュ”で殺された
ライア 王蛇のファイナルベント“ベノクラッシュ”で殺された
王蛇 凶悪犯として射殺された
タイガ 交通事故死
インペラー 王蛇のファイナルベント“ベノクラッシュ”でデッキを破壊され死亡
オーディン 最初から生きていない

となり、ほかに番外として、

オルタナティブ タイガのファイナルベント“クリスタルブレイク”で殺された
オルタナティブ・ゼロ タイガのファイナルベント“クリスタルブレイク”で殺された
吾郎ゾルダ 王蛇のファイナルベント“ドゥームズデイ”のあおりを食らって死亡
がいる。

 これを見てもらえば分かるとおり、テレビ本編において、ライダーを殺したライダーは厳密には王蛇しかいない。
 ライダーを減らすという観点で見たとき、王蛇がいかに重要なキャラクターかが分かろうというものだ。
 自らの楽しみのためだけに他人を殺して平気でいられるという浅倉の精神構造は、この作品にとって、なくてはならないものだった。
 ちなみに、ライダー以外に範囲を広げて人間(オルタナティブ含む)を殺したという風にすると、シザース(一般人を何人も殺害)とタイガ(オルタナティブ2人殺害)が加わるが、いずれも悪役扱い(憎まれ役)のライダーだ。
 人間を殺すというインモラルの極致のような行動を、説得力を持って見せられるキャラ造形をすることの難しさが伝わってくる。


 ここで、映画での
王蛇 リュウガとファムに殺された
ファム リュウガの攻撃による傷が元で死亡
リュウガ 龍騎のファイナルベント“ドラゴンライダーキック”で殺された

や、スペシャルでの

ライア ベルデのファイナルベント“デスパニッシュ”で殺された
シザース 王蛇のファイナルベント“ベノクラッシュ”で殺された
ガイ ディスパイダーに食われた
ベルデ ナイトのファイナルベント“飛翔斬”で殺された
ナイト ベルデのファイナルベント“デスパニッシュ”で殺された
を見て、「龍騎やナイトだってライダーを殺してるじゃないか」と思う人もいるかもしれない。
 だが、リュウガはそもそも人間ではなく、真司の悪しき分身として描かれているから、真司は自分の分身を消したに過ぎない。
 そして、ナイトは確かにベルデを殺しはしたが、ベルデの攻撃の方が早かったし、それが元で蓮は死んでいるわけだから、純粋に殺したとは言えないだろう。
 必死の反撃で相手も倒しただけとも言える。
 こういう、明確に「殺した」という描写にならないように作られているのは、やはり正面切って主人公達に“殺人”をさせることが難しいということだったのだろう。
 このため、ライダーを倒したファイナルベントはほとんどなく、ライダー同士でファイナルベントを使ったときはほとんど不発に終わってしまう。
 特にゾルダのエンドオブワールドの不発率はもの凄く、あれだけ派手で破壊力もあるくせに、ライダーに限らず敵を倒したことがほとんどない。

 また、最終回では、オーディンがファイナルベント“エターナルカオス”を放ったのに、その炸裂シーンはカットされ、かわされたのか、命中したのにナイトが死ななかったのかさえ分からない。
 本来必殺技として期待されて当然のファイナルベントが敵を殺せないというのは、ひどい話だ。
 そして、このライダー達が死なないということが、番組の基本設定を崩す元凶になっていくのだ。

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