6.何のために戦うのか(正義なき戦い)


 “ライダー同士が戦う”という特異な物語となった『龍騎』だが、そのインモラル性を最も色濃く示すのが、“戦いに勝ち残った者は望みが叶う”という最終目的だ。
 彼らは自分の望みを叶えるために戦うのだ。
 この「望み」には、“自分の命”“恋人の命”から“金持ちになりたい”まで、それこそピンからキリまであるが、いずれにせよ私利私欲のために命を懸けて戦っていることに変わりはない。
 私利私欲のためではないと言えるのは、せいぜい真司と手塚くらいだ。
 これは、実のところ、番組としての大きな問題点でもある。

 『仮面ライダー』ブランドに拘らないにせよ、一応『正義のヒーロー物』という範疇に属する番組でありながら、正義を守っていると思しきライダーはほとんどいない。
 デザインで『龍騎』を許せた人も、この点で許せないという意見はそれなりに多かったようだ。
 ただし、これは狙ってやっていたらしい。
 制作者側からの発表によれば、“正義の戦いなどではない戦いを描きたかった”ということらしく、その意味では、この救いのない戦いはある程度成功したものだったと言っていい。

 そんな中で、恋人:恵里の命を救うべく奮闘しながらもライダー=人間を殺せない蓮の苦悩は、そのインモラル性の象徴とも言うべきだったろう。
 シザース=須藤の最期を見て後味の悪さを思い知り、手塚に「本当に誰かを殺せるつもりか!?」と問われて動揺し、芝浦に「殺せないんなら、ライダーなんかやめちゃえば?」と言われて返す言葉もない蓮は、「戦えないなら、俺に生きている意味などない」と言いながら、遂に1人も殺せなかった。
 北岡が真司を潰すべく策を弄した際も、本来なら労せずしてライバルを減らせる喜ぶべき状況だったのに、真司を助け、「俺やお前(北岡)よりはマシな人間かもな」と言っている。
 また、ミラーワールドを閉じるという目的のために妻子を見殺しにしようとした香川を責めるなど、ライダーとして戦いに積極的に参加しつつ人を殺せない蓮の甘さは、どこまでも彼を異質なライダーにしていた。
 真司は、蓮の“殺せない”ことを賞賛していたが、蓮にとってその賞賛の言葉は逆に針のむしろだっただろうし、また、真司以外のライダーで蓮を賞賛した者はいなかった。

 そして、一際異彩を放っていたのが、主役である真司だ。
 真司は、当初、ライダーを“人間を守るためにモンスターと戦う存在”だと思い込んでライダーになった。
 この時点で、真司は文句なく正義の味方だった。
 その一方で、この後、親友の遺志を継いでインモラルな戦いを止めようとする手塚や、自らの正義感によって私利私欲のための戦いを止めようとする香川が登場したが、真司の態度はそのどれとも違うものだった。
 真司がライダーになろうと決意したきっかけは、母をモンスターに食われて泣いている少女を見たことだった。
 真司は、モンスターを倒すにはライダーになるしかないと知って自ら戦う道を選んだ。

 ただし、真司が覚悟したのはモンスターとの戦いであって、ライダー=人間との戦いではない。
 そのため、真司の感覚は常にほかのライダーのそれとズレたものになっている。
 真司は、性善説とでもいうか、「話せば分かる」的なことを信じ、浅倉を、北岡を説得しようとし続ける。
 ライダーの戦いが何なのか、神崎士郎が何を求めて戦いを仕組んだのかが分からず、しかも蓮の願いの内容を知らなかったころには、「人間を殺したくない、殺させたくない」という真司の目的は、とても真っ当で素晴らしいものだった。
 だが、真司は、蓮の目的が恋人の復活という“人の命”であることを知った後、自分の立場をはっきりさせることができなかった。
 確かに、その後も真司は、何度も蓮の戦いを止めようとしているのだが、そのために「恵里を見捨てろ」とは言えなかったし、言うつもりもなかったようだ。

 ここに真司の限界がある。

 元々真司が人を守るために戦うことを選んだのは、人の死とそれにまつわる悲しみを感じたくないからだったようだ。
 つまり、“自分が後味の悪い思いをしたくない”ために戦うのだ。
 それは一種の自己満足ではあるが、それ自体非難されるようなことではないし、何よりそのために賭けているのが自分の命だという点で、基本的には賞賛されるべき行為だ。

 しかし、真司には、他のライダーが持つ“命を懸けてでも叶えたい願い”というものの本質を考えようとしてはいなかったという根本的な問題がある。
 須藤のような人殺しを何とも思わないライダーや、芝浦や浅倉といった“己の楽しみのために戦う”ライダーを立て続けに見てしまったせいで、ライダーの望み=悪といったような先入観が生まれてしまったのだろう。
 真司は、蓮が女絡みの望みを持っていることは4話『学校の怪談2』でペンダントヘッドの指輪を見て知っていたはずだったが、それが具体的にどういうものなのか考えようとはしなかった。
 蓮としては、非常にプライベートなことだし、下手に情報が漏れれば恵里を人質にされかねないわけだから、黙っているのはむしろ当然なのだが、真司としては蓮が話してくれないから、手塚に指摘されるまで深く追求しないままでいたのだ。
 そして蓮の望みが恋人の命と知った段階で、真司の前には“戦いを止めないと、ライダーは1人を除いて全員死ぬ”“戦いを止めれば恵里は死ぬ”という二律背反が突きつけられることになった。
 その後も、真司は相変わらず戦いを止めようとしていたが、このとき真司は、“恵里を見殺しにしてでも戦わないべきだ”ということは考えていない。
 真司は、結論を出すことを放棄し、とりあえず目の前に押し迫った死だけを取り除こうとしていたのだ。
 北岡の願いが自分の延命であることを真司が知ったのは最終回間際だったが、少なくとも蓮の目的を知った段階で、他にもそういう望みを持つライダーがいる可能性を考えるべきだし、その場合八方丸く収めるなど絶対不可能であることも気付いていなければならなかったのだ。
 それに気付かなかったために、真司は自分の理想である「人を殺さない、殺させない」というお題目を振りかざしているだけで、最低限の犠牲を容認することもできず、かといって全員を救うこともできないという口だけ男になってしまったのだ。

 この点、手塚の目的は、“たとえ自分のピアニスト生命の復活のためだとしても他人を犠牲にすることは許されない”という雄一の遺志を継ぐことだったため、蓮の望みが恵里の命だと知った後でも恵里を諦めるよう説得するなど、戦いをなくすことで失われずに済む命を救うことに徹している。
 手塚が真司に言った「一度でも死ぬほど迷ったことがあるのか!?」という言葉は、雄一が“自分の夢と他人の命を天秤に掛けて他人を選んだ”ことが正しいと信じているからこそだ。

 そして、35話『タイガ登場』で恵里の命があと僅かだと知った真司は、それまでに最後の1人になろうと必死に戦う蓮を止めることを決意する。
 ただ、これもまた恵里の命が尽きるまでに戦いが終わる可能性はほぼゼロという状態でのことなので、恵里と蓮を天秤に掛けたわけではない。
 どうせ片方助からないのなら、せめてもう片方は助けようというレベルだろう。
 この時点では、まだ真司には差し迫った危機意識はないし、自分が気付かないままにモンスターの餌食になっている人が多いということも意識してはいない。
 ところが、香川グループの登場と共に、状況は一変する。


 香川が真司に言った「例えば、10人の命と1人の命、どちらかだけを救えるとすれば、どちらを選びますか?」という質問は、これまで真司が考えずに済ませてきたことを突きつけることとなった。
 香川一派がもたらしたミラーワールドの真実…優衣さえ死ねば、ミラーワールドはモンスターごと消滅し、自動的にライダーの戦いもなくなるという情報は、それまで真司がずっと欲しがっていた“戦いを止める方法”だったのだ。
 ここで初めて、真司は明確な選択を求められることになる。
 優衣1人の犠牲で、多くの人が確実に助かる…これは、非情の選択ではあるが、野良モンスターの被害者が出なくなるのだから、最も多くの人間が助かる道でもある。
 実際、香川は、番組中唯一“正義”を求めた人間だったと言えるだろう。
 彼は、多くの人を救おうと心に決め、そのためには人質にされた最愛の家族を犠牲にすることも厭わないという信念の人だった。
 真司は、香川と出会い、正しいと思しき道を示されることで、ようやく「死ぬほど迷」うことになるのだ。
 そして、優衣が20歳の誕生日に消滅すること、士郎がライダーの戦いを仕組んだ理由が“優衣を消さないため”だったことを知った真司は、“ライダーの頂点に立って、優衣の生存を望む”という、これまで自分が否定してきたことを始める。
 これは番組中でも血迷った行動として描写され、すぐに元に戻ったのだが、結局真司は「でも、さっき思った。やっぱりミラーワールドなんか閉じたい、戦いを止めたいって 。それは正しいかどうかじゃなくて、俺のライダーの1人としての願いがそれなんだ」と言って、モンスター:レイドラグーンに襲われそうな少女を庇って死んだ。
 それと前後して、北岡は病死、代わりにゾルダとして王蛇と戦った吾郎は敗死、浅倉は射殺され、蓮はオーディンを倒して恵里を救ったものの、その戦いでの傷が元で息絶えた。
 真司は最期までライダーの戦いを止めたいと言い続けておきながら、そのために有効な手を何1つ打たないまま、結局、ライダーを誰1人救えなかった。
 これが制作者側の言う“正義なき戦い”ならば、その意図は見事に実現したと言えるだろう。

 最終回での大久保のナレーション「この戦いに正義はない。そこにあるのは、純粋な願いだけである」は、言い方を変えると「この戦いは、個人の勝手な欲望のぶつかり合いでしかない」ともなる。
 ライダーの戦いは、そもそも士郎が優衣に20歳以降の命を与えるために仕組んだものであり、理論は不明だが、ともかくライダーの戦いに生き残った者は新しい命を手に入れられる。
 当然、その戦いに参加する人間など、リスクに見合うだけの見返りを求めている人間ばかりなのは必定で、最初からエゴとエゴのぶつかり合いになることは分かり切っている。
 真司のやってきた八方美人的平和主義も、何のことはない、「自分が嫌な思いをしたくない」というエゴの一形態でしかないのだ。
 その証拠に、真司はナイトを追い詰めながらもトドメを刺す踏ん切りが付かなかった。

 ただし、この真司というキャラクターなしでは、『龍騎』の物語は成り立たなかった。
 その理由は後に述べよう。

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