『仮面ライダー龍騎』
劇場版 EPISODE FINAL
2002/8/17 公開


(傾向と対策)

 なかなか楽しめた。
 井上脚本の本領と言うべきか、次々と起こる戦い、徐々に紐解かれていく伏線、役者のハイテンションな演技と、素晴らしいエンターティメントだった。
 放送中のテレビ番組の劇場版ということで、去年の『アギト・PROJECT G4』同様、テレビ本編を見ていないと全く分からない内容だが、それを前提として考えれば十分に面白い。
 ライダーだけでも最大5人が1フレームに収まっているのに、さらにモンスターがうじゃうじゃいる。
 そして、大乱戦の中で絡み合うファム、王蛇、ゾルダの因縁と、黒い龍騎:リュウガの存在。
 特に、2人の真司役を演じ分けた須賀貴匡氏、霧島美穂(仮名)役の加藤夏希氏の演技は特筆モノで、これがあるからこそ、この劇場版は面白かったのだと言える。
 加藤氏は、なんとなく映画『人造人間ハカイダー』での宝生舞氏を彷彿とさせる声としゃべり方なのだが、演技力は断然上で、場面場面でコロコロと変わる美穂の表情を非常に巧く演じていたし、須賀氏は、美穂に翻弄される3枚目の部分と、裏真司(リュウガ)の酷薄で冷徹、かつ自分という存在の確立を渇望する貪欲さを見事に演じ分けていた。
 コスチュームの点でも、鏡像であることをさりげなくアピールしており、真司の左上腕の「76」の文字が、裏真司(リュウガ)は右上腕に裏返しの文字になっているなど、ちゃんと左右逆版になっていて芸も細かい。
 このためにわざわざ逆版の刺繍を作っているわけだ。 
 また、優衣役の杉山彩乃氏も今回は大変頑張っており、最大の見せ場である死を待ちながら士郎と対峙する場面を瓦解させなかった。
 浅倉の最後の哄笑といい、辛さを噛みしめながら真司に決戦を求める蓮といい、本当にテンションが高くていい演技だったと思う。

 美穂は、霧島家の娘ではないから本名は別にあるはずなのだが、遂にそれが出なかったため、女性ライダーとしてだけでなく、フルネーム不明の仮面ライダーとしても初めてということになるが、映画前半は、この美穂と各キャラとの関わりがドラマのムーブメントとなっており、美穂が表の、優衣が裏のヒロインとしてシナリオを動かしている。
 北岡と浅倉は美穂と、蓮と士郎は優衣と絡んでおり、それぞれが前半と後半に別れて前面に出てくる。
 そして、唯一両方と絡む真司が、主人公として全編通して前面にいるのだ。
 
 まず、美穂を中心とした物語を見ていこう。
 美穂は、かつて浅倉に殺された女性の妹という役どころで登場している。
 姉の死体は冷凍保存してあり、最後まで勝ち残って蘇らせるのが目的だ。
 彼女が最初から王蛇=浅倉であることを知っていたのかどうかは不明だが、浅倉がライダーであることを知った後は、浅倉を倒すということも目的になっていったようだ。
 だが、「モンスターを倒すためだけに戦えばいい」という真司の言葉に、すかさず「そんなんじゃ、ライダーになった意味がないじゃないの」と言い返しているのは、姉を蘇らせるのが第一目的であることを雄弁に語っている。
 一応説明しておくが、冒頭の戦闘シーンは、中盤での乱闘を先映ししていたものだから、この劇場版中での2人の初対面は、教会での集合の際となっている。
 また、北岡のことは、浅倉の裁判の最中に見知っていたようで、美穂の意識の中では、北岡は“姉の敵を庇う男”という位置づけになっていることが窺われる。
 そして、このことから、姉が『かつて殺された』というのが、浅倉が懲役10年の実刑判決を受けた事件のことであることが分かる。
 手塚の親友:斉藤雄一の傷害事件もその裁判で扱われているらしいので、浅倉はいくつも罪を重ねて捕まり、総合で懲役10年という判決を受けたのだと考えられる。
 こういう背景事情を分かった上で見ると、美穂が龍騎(本当はリュウガ)に助けられたときは素直に感謝してお好み焼きを奢っているのに、ゾルダに対しては「余計な手出しをするな!」と斬りかかっている理由が分かる。
 美穂にとって、ゾルダ=北岡も憎むべき相手なのだ。
 第三者を利用、もしくはその好意に甘えるのはいいが、敵に助けられたくはないということなのだろう。
 敵の仲間割れと考えれば、それを利用しない手はないのだが、それができないところに美穂の潔癖さが垣間見える。
 そこまではスレていない、ということか。

 作中での美穂の描かれ方を見ていると、どうも天涯孤独なようだ。
 結婚詐欺師を相手に結婚詐欺を仕掛けるという大胆さを見ても、生きるため、目的を果たすために手段は選ばないという彼女の信念が見える。
 一方で、姉に対しての思い入れの深さといい、真司と写った写真を見ているときの表情といい、甘えられる相手が欲しいという寂しさが見える。
 その上、その真司にしなだれかかりながら、龍騎のカードデッキを狙うなど、寂しさやその場の気分に流されない芯の強さも持っている。
 龍騎のカードデッキを奪おうとしたのは、ファムでは王蛇に勝てないため、ほかのライダーの力を使おうとしたのだと思う。
 美穂が連絡先を知っているのは名刺を見た真司と、事務所が電話帳に載っているであろう北岡だけだが、北岡にすり寄りたくはないだろうし、与し易そうな真司を選んだのではないかというわけだ。
 彼女が真司に好意を持っていたのは確実だろうが、たとえそうであっても、最後の1人を決めるとなれば、多少躊躇いはするにしても結局は龍騎を攻撃できると思う。
 先に述べた潔癖さが、自分の恋を優先して当初の目的を忘れることを許さないだろうからだ。
 この強さがあったればこそ、お好み焼き屋を出た後の真司に対する素直な親愛の情や、最期に真司を帰してしまうまで苦しいのを隠すという意地の張り方が際立つのだ。
 最期に真司に微笑めたのは、自分がもうすぐ死ぬ=戦いからドロップアウトすることが確実だからこそだったと思う。
 鷹羽が美穂を表のヒロインと言い切る所以だ。

 
 次に浅倉だが、タイムリミットが切られようが、自分が殺した女の妹が出てこようが、マイペースで戦っている。
 ジェノサイダーがやられてブランク体に戻っても、デッキが破壊されて変身が解けても、気迫でファムを圧倒しながら首を絞めつつ分解していく…ある意味非常に浅倉らしい最期だったろう。
 
 一方北岡は、仕事とはいえ浅倉の弁護のために、“厳しく処罰してほしい”という美穂の願いを踏みにじったことに負い目を感じている、もしくは美穂に同情していることを浅倉に見抜かれて動揺しているようだ。
 18話『脱獄ライダー』で、浅倉に「ここまで減刑させるのだって、相当強引な手使ったんだよ」と言っていることからも、遺族の神経を逆撫でするような弁護をしたことは想像に難くない。
 一般的には、北岡にあまり良心を期待されても困るのだが、あれで結構人情派な部分も持っているので、美穂に同情してしまったのだと思う。
 それでつい、ファムを庇って王蛇を攻撃するようなことを繰り返してしまったわけだが、当の美穂にしてみれば、敵側からの同情など受けるに値しないわけでヒステリックな攻撃を受けることになってしまった。
 22話『ライアの復讐』で、北岡は蓮に対して
  俺がライダーとして戦うのは自分のためだけなんでね
  その一線を踏み外すと、お前達みたいに弱くなるんだよ

と言っている。
 今回、ファムを助ける行動を取った自分に、その一線を踏み外してしまった、つまり弱くなったことを自覚させられたのだろう。
 恐らくそのために、勝ち残る可能性が低いことに気付かされてしまった北岡は、永遠の命を諦め、最期の思い出に令子との食事を望んだのだろう。
 「38回目よ」と言う令子に、4回足して「42回目」と答えた北岡の言葉には、『もうすぐ死ぬから頼むよ』という意味が隠されていたのではないだろうか。
 令子が数えていた数字が間違っていたとは思いにくい。
 そして、北岡が数えていないとも思えない。
 ならば、数をずらして答えたことが、裏のメッセージだったのだと考えるべきだ。
 「」足して「42」という言い方が、死を暗示させたのではないか。
 これは完全に憶測になるが、北岡が余命幾ばくもないことを令子は知っていて、そのメッセージを感じて態度が軟化したような気がする。
 「42回目ですよ」という言葉を聞いた令子の表情、そして「そうね。ま、気が向いたらね」という返事に、鷹羽はそう感じずにはいられない。
 

 次に、優衣を中心とする流れを見てみよう。
 優衣は、ここまでのテレビシリーズでも再三悩んできたように、兄が自分のためにライダー同士の戦いを始めたと責任を感じている。
 そして、自分の命が20才の誕生日までであること、士郎が何らかの方法で新たな命を自分に与えようとしていることを知って、それが最後に残ったライダーの“一番強い命”なのではないかと考えついた。
 しかも、真司達が契約しているモンスターが、幼いころの自分が書いた絵であることを知ってしまった。
 自分の生みだしたものが人間を襲っていること、そしてライダーもそのモンスターによって生み出されていることなどを知った優衣は、自分が全ての元凶であることを改めて思い知ることになった。
 そこで、最後のライダーが決まる前に決着を付けるべく、手首を切って自分の死を確実にしつつ士郎に会いに行ったのだ。
 士郎の前で死んで見せて、無駄な戦いを一刻も早く終わらせようということだったのだろう。
 大好きな兄が、自分のために他人を犠牲にするのを見たくない。
 それは、優衣なりの兄への想いの発露だ。
 ケーキのろうそくを吹き消してくずおれた優衣の姿は、叙情的ですらあった。
 
 そして、その衝撃に耐えられなかったのか、士郎は消滅してしまった。
 彼が何者で、どうやってミラーワールドを利用していたのか、本当に最後のライダーの命を優衣に与えるつもりだったのか、それは分からない。
 だが、優衣の死に一番衝撃を受けたのは、間違いなく士郎だった。
 存在意義を見失い、爆発のような震撼と共に消え去った士郎は、やはり誰よりも優衣のことだけを思って動いていたのだ。
 
 そして、その優衣の死を受け止めた真司に共鳴し、真司を「唯一の友」と評した蓮は、恋人のために友と戦うことを自分に課した。
 士郎が消滅した後に研究室に到着した蓮は、その重大な場面を見ていない。
 だから、士郎の死と共にライダーの戦いが終わったという可能性は考えずに、ただ“最後のライダーに与えられる力が本当か”という疑問にだけ答えれば良かったのだ。
 恵里を救う唯一の方法は、龍騎を倒すこと。それによって本当に恵里が助かるかどうかは分からないが、それに賭ける道を選んでこれまで戦ってきた蓮には、ほかに選択肢はなかった。
 だからこそ、真司と戦うために、ハイドラグーンの群に身を投じたのだ。
 この意味は後述しよう。

 
 主人公である真司は、美穂と優衣の両方に深く関わってくる。
 遊園地の件でデッキを奪われそうになったくせに、お好み焼き屋に誘われたときも、さして警戒せずにホイホイ出掛けていく姿は、彼の「話せば分かる」的なお人好しさが透けて見えて微笑ましい。
 真司が美穂に接する態度は、“兄の仇討ち”云々という部分からではなく、戦いを止めたいから、ライダーに接する機会は逃したくない、とにかく会って話せばそのうち気が変わってくれるんじゃないかという目的意識によるため、希望的観測が常につきまとう。
 ファムとリュウガの戦いに駆け付けたのも、店の前で待っているはずの美穂を探し回った結果、ドラグブラッカーの気配を感じたのだろうし、その後、美穂が大丈夫そうだと思えるまで一緒にいたのも、美穂が心配だったからだ。 
 真司は、他人が自分をどう見るかよりも、自分が他人に何をできるかという観点で動くことが多い。
 それが裏目に出ることも多いが、善意だけで命を張れるという部分では、評価すべきだろう。
 また、逆説的になるが、リュウガがファムと戦っている姿を見た蓮が、真司が積極的に戦うようになったと勘違いして失望し、敵意をむき出しにしたのは、それまでの真司の行動が、是非はともかくひたむきに戦いを止めようとしていたことの表れでもある。
 真司は、この時点でリュウガの存在を知らないから、単純に周囲を説得すればいいと思っているのだ。
 そして、優衣の照る照る坊主を見た真司は、そもそもの原因が優衣との約束をすっぽかした自分にあると思いこんでしまう。
 ミラーワールドのモンスターが人を襲うようになったのも、士郎がライダー同士の戦いを仕組んだのも、これまでライダー達が死んでいったのも、全て幼いころの自分の行動のせいだと知らされてしまった真司は、これまでの行動基盤の根底を揺さぶられてしまう。
 そして、真司(リュウガ)の言葉から、自分が最後の1人になれば、自分の命を失ってでも優衣だけは救うことができると思って融合に同意することになった。
 だが、優衣の亡骸を見たことで、真司もまた答えを出した。
 優衣は、他人の命を奪ってまで生きることを望んでいない。
 だから、真司は、モンスターに過ぎないリュウガを倒した後、本来の目的“人を襲うモンスターを倒すため”戦う決意をする。
 戦ってほしいという蓮にかけた「俺の望みを叶えてくれたら考えてやるよ。死ぬなよ、蓮」という言葉は、モンスターの群を全て倒して、2人とも生き残れたら戦ってもいいと言っているのだ。
 真司の望みは、“モンスターの一掃”だ。
 蓮の解説部分の続きになるが、「死ぬなよ」という言葉から真司の望みを感じ取った蓮は、「お前もな」と返しているわけだ。
 本当なら、モンスターとの戦いで龍騎が死んでくれれば、自動的に蓮が最後の1人ということになるのだが、それでは蓮は不満なのだろう。
 21話『優衣の過去』で、真司は蓮に「お前がどうしても戦わなきゃいけないんなら、俺が全力で戦う。お前の戦いの重さを受け止めるには、今はそれしか思いつかない」と言っている。
 この言葉を念頭に置いて考えると、蓮が真司との決着に拘るのは、自分の覚悟の大きさを確認するためではないかと思えてくる。
 蓮は、“自分が認めた友”と雌雄を決してこそ、そしてその真司よりも恵里を優先したい自分がいてこそ、他人の犠牲の上に恋人を救うということができると思っているのではないだろうか。
 
 そして裏真司(リュウガ)は、確立した自分を欲している。
 自らを『鏡の中の幻』と称しているように、虚像に過ぎない自分が、現実世界に生きられないことを承知した上で、そこに生きたいと願っている。
 そのために必要なのは、真司という現実世界の器との融合であり、それには両者の意志がある程度同調していなければならないようだ。
 そのため、ファムとの戦いのときも、龍騎とはことを構えようとはせず、素直に引いている。
 だから、一旦融合した真司と袂を分かってしまったということは、その時点で彼の終わりを意味していたのだ。
 だが、彼が最後に生き残った場合、何か叶えたい望みはあったのだろうか。

  
 アクションシーンも見応えがあった。
 ウジャウジャと現れ、倒されても倒されても脱皮して強くなっていくシアゴーストというモンスターも『倒してもきりがない』という状況を非常にうまく表現していたと思う。
 また、大乱戦の中でのライダーの戦いは言うに及ばず、ライダー同士での戦いなどもそれぞれ見応えのあるものになっている。
 特にカードの使い方は、テレビでのそれと比べて自然な見せ場にしている。
 顕著なのが、ファム対王蛇の2回目の決戦で、ファムのガードベント“ウイングシールド”の幻惑作用に手を焼いた王蛇は、いつでもカードを装填できるよう準備をしたままファムがトドメを刺そうと動きを止めるのを待っていて、ベノスネイカーを召還してシールドを溶かしたのだ。
 そして、ファムが驚愕しているうちにユナイトベントを使い、ファイナルベント“ドゥームズデイ”を放った。
 ケンカ慣れした戦い方と言える。
 リュウガは、ファム対リュウガの戦いにおいて、ドラグブラッカーのカードをバイザーに挿入した状態でファムを打ちのめし、背を向けた状態でファムを挑発していた。
 そして、ファムが背後から飛びかかってくるタイミングに合わせて装填し、ドラグブラッカーを召還して襲い掛からせたのだ。
 これは、ジャンプして無防備なファムの虚を突く形になり、結果としてファムに死をもたらす攻撃となった。
 その後、もうまともに立つこともできないファムにわざとらしくバイザーを返してやったり、ファムがヨロヨロと立ち上がる瞬間を狙ってストライクベント“昇竜突破”を放ったりと、獲物をいたぶるための戦い方に徹している。
 また、ストーリーの方では敢えて省略したが、ナイト対ハイドラグーンでは、ハイドラグーンに組み付かれたナイトが、一旦ダークウイングを分離させて攻撃させ、落下途中にファイナルベント“飛翔斬”を放つことで、落下を防ぐとともにハイドラグーンを倒している。
 このように、使い方、使うタイミングまでよく考えられているのだ。
 
 ただし非常に残念な事に、部分部分はいいのだが全体像を見るとかなり破綻を来しているのもまた事実だ。
 こっちは、悪い意味で井上脚本の特性が出ている。
 何よりも大きいのは、根本的な問題である“消えていったライダーの数がまるで把握できていない”ということだ。
 「『仮面ライダー王蛇、死亡。残るライダーは5人』というテロップまで出ているのに何を!?」と思った人もいるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。
 肝腎の参加者であるライダー達に、誰がそれを教えてやるというのか?

 観客は、確かにテロップを見れば分かる。
 だが、ファムが倒した王蛇はともかく、ファムの死を誰も知らないし、ゾルダの脱落も同様だ。
 ラストシーン、真司と蓮が感動的に決意表明している時点で、死亡を確認されていないライダーが2人いるということを忘れていないだろうか?
 真司と蓮が、ハイドラグーンを全滅させて生還したとして、最初にやらなければならないのは、自分達が最後の2人であることの確認だ。
 そうしないままに彼らが決着を付けたとして、自分が最後のライダーになったと思えるのだろうか?
 と言うより、いつが最後の1人を決める戦いなのかということが彼らに分かっていないのだ。
 これは、演出上の重大な見落としだ。
 横山光輝の『マーズ』というマンガがある。
 ここに登場する地球を破壊するための爆弾を内蔵したロボット:ガイアーは、同じ宇宙人の作ったメカ:神体が破壊されるたびに顎のランプが灯るようになっている。
 そして、6つのランプ全てが灯ったとき、自爆装置が強制発動する。
 ライダーの戦いにも、このような“誰が見ても残数が分かる”システムが必要だった。
 要するに、視聴者に対して字幕で見せるのではなく、何らかの形でライダー達が残り人数を把握していくという描写がなければ、彼らの覚悟といったものに説得力が湧かないのだ。
 
 また、「仮面ライダーゾルダ、脱落。」などというテロップでその気にさせられそうだが、少なくともゾルダはまだ生きている。
 いくら命が残り僅かといっても、3日以内に動けなくなるほど悪化するというものでもあるまい。
 彼は、デッキを机の上に置いた(持ち歩かなくなった)だけであり、いつでもライダーに変身できるのだ。
 「戦わない」と言っただけでリタイア扱いされるなら、14話『復活の日』で戦意喪失した真司は、その時点で脱落扱いになってもおかしくないし、デッキを手元に置いていなければ脱落なら、9話『真司が逮捕!?』で真司がデッキを取り上げられたときに脱落ということになる。
 また、その時の例から考えて、マグナギガが契約違反を理由に襲い掛かってくるのは、やはり数日後だと思う。
 もし、その前にマグナギガが襲ってくるなら、北岡が食われた段階で「仮面ライダーゾルダ、死亡。」とやればいい。
 「最後に生き残った者が勝者」なら、やはり、ライダーは死なないと脱落にはならないと見るべきだ。

 あれ? それじゃ、もし真司と蓮がハイドラグーンの大群との戦いで死んだら、北岡が繰り上げ当選!? やった、残り物に福があったよ!
 って、もちろん士郎が死んだから、特典は消えちゃったんだろうけどね。

 
 そう、もう1つの問題は、士郎の死だ。
 あれが死んだという描写だったのかは少々疑問だが、そうだとすれば、蓮が信じた僅かな可能性自体が、前提を失ってしまったことになる。
 それなのに、劇中で士郎の分解を見ていた者はいない。
 つまり、事態の推移を理解している人間は全くいないのだ。
 士郎がライダー同士の戦いの末に何を求め、生き残ったライダーにどう対処するつもりだったのかは明かされなかった。
 “最後のライダーの命を優衣に与える”というのは優衣の推測に過ぎず、もしかしたら、士郎は、ライダーが1人になることによって生じる何らかの力を利用して、優衣に命を与えるとともに、そのおこぼれをもって約束どおりライダーの望みを叶えるつもりだったのかもしれない。
 その辺りの種明かしがないままだから、士郎の死による影響が想像も付かないのだ。
 これで最終回とは笑わせてくれる。
 今から、『ラストは、説明不足で放り出します』と宣言したようなものだ。
 
 そして、ミラーワールドというものがどういうものだったかという疑問も残っている。
 士郎の死と共に現実世界に出現したハイドラグーンの群は何だったのか。
 聞いた話では、士郎の死によって、ミラーワールドと現実世界の境界線が消えてしまったのだという。
 なんでも、この情報は、前売券に付属していたパンフレットか何かに書かれていたものらしい。
 ということは、公式に劇場版の情報として流されたものということだ。
 画面では、士郎の消滅に伴う爆発(らしきもの)の余波で割れたガラスからハイドラグーンが湧いて出たように見えた。
 割れたガラスからモンスターがでてくるというのは、確かに何らかの異変の描写だろうが、それがどういう意味であるかが映画の中で描かれているとは言い難い。
 もしかしたら、鷹羽の洞察力が足りないだけで、あれで分かる人もいるのかもしれないが、テレビをこれまで見た知識と劇場版の画面情報だけで、あの意味が判る人は恐らく極少数だろう。
 現実世界にはほとんど数秒しかいたことのないモンスター達が、数分間にわたって暴れていることから考えると、『ミラーワールドと現実世界の境界線が消え』たことによる効果は、ミラーワールドと現実世界が同質のものとして繋がり、それぞれがどちらの世界でも制限なく存在できるようになったと考えるべきなのだろうと思われる。
 だったら、リュウガは、真司なしでも幻というべき存在ではなくなっているはずだが、まぁ、彼はそれを知らなかっただろうから文句を言うまい。
 文句を言うべきは、現実世界に流れ出てきたのがハイドラグーンだけだということだ。
 ミラーワールドのモンスターは、シアゴースト一族を除いて全滅してしまったのだろうか。
 とりあえず餌を取ろうと思わないから来ないだけなのだろうか。
 そもそも、同種のモンスターが一気にあれほど大量に出現した理由が説明されていない。
 少なくとも、テレビでこれまで流してきた情報と劇場版の画面からの情報である程度分かるように説明されていなければ、1つの作品としては落第だと思うのだが、どうだろうか?
 
 ところで、今回は、ライダー達の戦いが徐々に現実世界にシフトしてきている。
 王蛇が死ぬまでは、確かにミラーワールドだったし、ファムとリュウガの戦いは、はっきりした証拠がないが、状況から考えると多分ミラーワールドだと思う。
 もう1人の真司がミラーワールドに逃げ込んだのを美穂が見ていた以上、ファムがそれを追っていくという形になる方が自然だからだ。
 だが、リュウガ対ナイトの戦いは、確実に現実世界で行われている。
 戦っている背景に普通の文字が写っているから、これは間違いない。
 リュウガは、真司を取り込んだことで現実世界で存在できるようになったから、こういうことができるんだろう。
 こういった流れの延長として、つい見過ごしてしまいそうになるが、ラストでの真司・蓮の変身は、どう考えてもおかしい。
 いきなりサバイブモードに変身してしまうというのも、システムを考えれば妙だが、何よりも、彼らは壁の穴に向かってデッキを向けて変身しているのだ。
 彼らの認識の中で、ミラーワールドとの境界が云々というものはないはずだ。
 だから、彼らは鏡に向かって変身しなければならない。
 ノリと勢いに任せきって設定を軽んじるのは、やはり鷹羽の嫌うところではある。
 

 さて、ではミラーワールドとは一体何だったのだろう。
 誤解している人もいると思うので書いておくが、ミラーワールド自体は、士郎の画策とは別に存在するものだ。
 この劇場版だけを見ると、優衣がミラーワールドの存在を知ったのが、士郎と引き離された後のことで、ミラーワールドのモンスターが出現したのは優衣が鏡の中の優衣に渡した絵のせいだと思えてしまう。
 だが、テレビでの展開を考えれば、そんなことがあり得ないことが分かる。
 ミラーワールドは優衣が士郎と暮らしていたころからあり、その頃から、モンスターはミラーワールドに住んでいたのだ。
 どうしてそう言えるかは、説明すると長くなるので、特設研究室で検討することにしよう。
 ともかく、モンスターの発生が、鏡の中の優衣にモンスターの絵を渡したせいでない以上、真司も、モンスターが人を襲うようになったのが自分のせいだと思い悩む必然性はない。
 彼が責任を感じるべきは、優衣のことだけだ。
 約束を破ったせいで、優衣を悲しませたのは確かなのだから。


 さて、ちょっと話題になった『アギト』出演者の特別出演だけど
  翔一 …遊園地のレストラン店員
  真魚 …遊園地の従業員
  警察組…お好み焼き屋の客・店員
  涼  …浅倉にボコボコにされる不幸な通行人

という役柄だった。
 ここまでして出さなくてもって気もするが、変に見せ場を作ろうとしなかっただけ、去年よりマシとも思う。

 
 さて、長くなったのでそろそろ締めよう。

 この劇場版は、『EPISODE FINAL』というタイトルが示すように、最終回先行映画化というのをウリにしていた。
 ただし、テレビでは自ら「13人目」と名乗っているオーディンが登場せず、最後に登場するライダーとして、龍騎の影たるリュウガが登場している。
 あれだけ麗々しく「私と戦うのは、最後の1人だ」とか言っていたオーディンが、ライダーが6人も残っているうちに敗れ去るという大笑いな最期を迎えたというのだろうか?

 ここで1つ注目しておきたいことがある。
 この劇場版ではっきり宣言されているのは、『残ったライダーは6人』ということだけなのだ。
 「そんなバカな、パンフレットにはちゃんと『最後の仮面ライダー・リュウガ』って書いてあるぞ!」と思ったあなた、あのパンフレットを鵜呑みにするのは危ない
 美穂の解説で『龍騎とナイトを仲間に誘ったり』と書いてあったり、ミラーワールドの説明に『優衣がミラーワールドを見られるようになったのは、兄と離れた13年前からであった』などと書いてあったりという具合で、うっかり信じたら(中略)ダメダメよ♪な情報が結構混じっているのだ。
 そんなわけで、リュウガが13人のライダーにカウントされない可能性が生じる。
 そこで、まず13人目のライダーとは誰かを考えてみよう。
 
 士郎は、教会に真司達5人の生き残り組を集めたとき、蓮の「あとの1人はどこにいる?」という質問に「いずれ現れる。お前達の前にな」という言い方をした。
 この言い方は、聞きようによっては、『最後の1人はここにいないが、やがて姿を見せる』、つまり“最後の1人と戦う”オーディンを指していてもおかしくない。
 だが、蓮はオーディンに会ったことがあるし、あの中で顔見知りでないライダーは美穂だけだから、オーディンがいないのは最初から分かり切っている。
 なのに蓮は、「生き残ったライダーはあと6人」と聞いた後で、初めて「あとの1人はどこにいる?」と聞いている。
 蓮がライダーの残り人数を把握しているなら、もっと早く1人足りないと言い出すだろうから、もう1人は蓮の知らないライダーを指すと考える方が自然だ。
 もちろん、あそこに集められたのが生き残った全ライダーという説明はなかったわけだし、蓮の頭の中では、生き残ったライダーが7人くらいいるはずだったのかもしれない。
 だがそれなら、あと1人はオーディンしか考えられないはずで、リュウガを見たときに、蓮が「バカな、ライダーは13人のはずだ」というリアクションをしなければおかしい。

 つまり、13人目は、やはりオーディンではなく、蓮の知らないライダーだったと考える方が自然だ。

 だが、だからといってそいつがリュウガである保証はない。
 士郎がリュウガをライダーとして認識しているシーンはないからだ。
 もしかしたら、ハイドラグーンの群を蹴散らして生き残った龍騎とナイトが決着を付けた後、真の13人目が登場するのかもしれない。
 もっとも、そうなると“劇場版ですら、まだ登場していない”というとんでもない話になってしまうのだが。
 ただ、リュウガ自身は「ミラーワールドから来たライダー」と名乗ったが、彼が龍騎の影に過ぎない可能性は否定しきれない。
 何より、ミラーワールドの住人のくせにカードデッキを持っているということがよく分からない。
 かといって、違うと言えるだけの根拠もない。
 ギガゼールなどのようにそっくりなモンスターがウジャウジャいるミラーワールドでは、ドラグレッダーの色違いみたいなそっくりさんモンスターがいてもちっとも不思議ではないからだ。

 とりあえず、劇場版から断言できることは、“13人目のライダーはオーディンではなく、それが誰かは不明”というところまでだ。
 リュウガが13人目である可能性が一番高いのは確かだが。

 
 ところで、この劇場版は、本当にテレビの龍騎の最終回なのだろうか?
 これが最終回だと仮定すると、その位置付けは
1 テレビの最終回の後に続く本当の最終回
2 テレビの最終回を含む数話分の編集
3 テレビの最終回直前数話分の編集(つまり、劇場版の続きがテレビの最終回)
4 テレビの最終回と同じキャラクターによるパラレルワールド
5 テレビとは登場するライダーすら違う完全なパラレルワールド

のどれかということになる。

 では、どのパターンが一番しっくりくるか、検討してみよう。  
 1は、打ち切られた番組によくあるパターンだから、ちょっと考えにくい。
 なにより、ライダーが13人登場しないままにテレビ放送が終わるというのは、無事1年続いて最終回を迎える番組としては、許されないだろう。
 そして、2・3は劇場版=最終回と見る考え方で、3・4は劇場版≠最終回という考え方だ。
 それでは、まず劇場版=最終回の場合について考えてみよう。
 
 これまでにテレビで登場したライダーは、オーディンを含めて8人。
 劇場版に登場したファムとリュウガを入れても10人で、3人足りない。
 もちろん、シザースやガイ、ライアのように、本編途中で現れ敗れ去っていった者達もいるわけだから、残った3人がこれから現れて、花火のように4人が散っていくのは構わないが、1つどうにも妙なことがある。
 それは、上で述べたオーディンの不在だ。

 スペック的なことは置いておくとしても、士郎の意志を受けて動いていると思われるオーディンがあっさりと死ぬのだろうか。
 27話『13号ライダー』では、オーディンのデッキを士郎が持っていることが分かる。
 その後誰かに渡したにせよ、オーディンは士郎(の意志により優衣)のためにタイムベントを発動したことが明らかだ。
 もし士郎がオーディンなら、オーディンの敗死という事態はありえないわけだが、オーディンの正体が士郎でないならば、逆にあのタイムベントでの一件を説明できるだけの裏事情が必要になる。
 例えば、オーディンにデッキを渡すに当たり、最初にタイムベントを使うことを条件にしていて、以後はオーディンが勝手に動くという場合などだ。
 この場合、「私と戦うのは、最後の1人だ」という言葉も、オーディンが楽をしたいから勝手に言っただけ、ということになるかもしれない。
 かなり間抜けな話だが、それ自体はあり得ないことではない。
 
 だが、ミラーワールドの設定についてはどうだろうか。
 特設研究室で解説したとおり、この劇場版では、テレビでのモンスターと異なる出自のモンスターが数体存在することが説明されている。
 士郎と離れた後に優衣が描いた絵のモンスターだ。
 ミラーワールドが何なのか、モンスターはなぜ人を襲うのか、士郎は何をどうするつもりでデッキを作り、ライダー同士の戦いを画策したのか、そういったことについて、劇場版では解明されていないし、そもそも解明しようという意志がないと感じられる。
 また、人間が存在しないはずのミラーワールドに、士郎・優衣はともかく真司までいるというのはどう解釈すればいいのか。
 重ねて言うが、劇場版での説明は、テレビ本編と齟齬するので、そのままでは受け入れられない。
 テレビと繋げるなら、そこを無理なく説明できるだけの理由を用意してもらわねばなるまい。
 また、士郎が、本当に優衣に新たな命を与えるつもりだったとして、どうするつもりだったのか、きっちり明かされなければ、最終回としての体裁をなさない。
 そもそも、劇場版のアレが本当に最終回のラストシーンだったら、普通は

   本当のラストは映画でね♪

というオチになるものなのだが、その映画がこのラストなんだもんな〜。
 鷹羽は、あのラストシーンを見て、『氷河戦士ガイスラッガー』最終回のインベムへの突撃とか、『蒼き流星SPTレイズナー』第1部最終回の「行くぞ、レイ! 地球を守る僕の戦いは、今始まるんだ!」「ready!」を思い出してしまった。
 たとえこの後に龍騎とナイトの決着が付くとしても、既にカタルシスとは無縁のエンディングが待っていることは想像に難くない。
 カタストロフなら溢れていそうだが。
 『アギト』の最終回近辺を見ると、放り出されたままの謎の数々が異臭を放っているが、『龍騎』もそうなるということだろうか。

 
 では、劇場版≠最終回ならどうだろう。
 劇場版の内容全てを忘れて全く新しいものにするパターンから、リュウガをオーディンに入れ替えて必要最小限だけ変えるパターンまで幅がとれるため、これまでの伏線が解消できる可能性がその分高くなる。
 何より、テレビでの設定と抵触しやすい劇場版の設定の数々をまるっきり無視できるのは、番組を綺麗に終わらせる意味では大きい要素だろう。
 特設研究室を見てもらえば分かるとおり、ミラーワールドに関する重要な情報は、全て小林脚本の時にしか登場していないわけだから、劇場版での謎解きは、井上氏による独自見解でしかないのかもしれず、小林氏が自分なりの決定版に仕切直す可能性が高いと思えるのだ。
 ただ、去年の『PROJECT G4』で、青年の発した光線がアギトの腹部に命中するシーン(劇場版ラストでの真魚の予知シーン)が、テレビ本編にも少々形を変えて存在したことを考えると、劇場版でのシチュエーションのいくつかは、微妙に意味合いを変えて受け継がれることもあり得る。

 ただ劇場版≠最終回の場合、リュウガとファムの立場が微妙になる。
 場合によっては、劇場版オリジナルライダーとして、正規の13人から除外されてしまうことにもなりかねないからだ。 
 実際のところ、13人のライダーが勢揃いするのがウリの特番(9/19放映予定)の番宣(9/1から放送)では、リュウガとファムが並んでいるわけだが、これについての解釈は3つある。

 1つは、劇場版上映期間中から流す番宣で、劇場版登場のライダー2人を外すわけにはいかないという事情から取り敢えず入っているだけで、実際本編には登場しないというもの。
 2つ目は、役柄自体は微妙に変わるが、2人ともテレビ本編にも登場するというもの。
 3つ目は、リュウガとファムの姿では登場するが、変身する役者が変わるというものだ。

 美穂役を演じる加藤氏が劇場版関連のインタビューに答えているのをいくつか見たが、テレビの方でもラストに出るという感触をまるで得られない(本人が全く考えに入れずに喋っている)ことからすると、本当に加藤氏演じる美穂はテレビには登場しないのかもしれない。
 上述のとおり、テレビ本編で13人が揃わなければ、番組として格好が付かないが、別の役者が演じるということなら、あり得ないとは言い切れないわけだ。
 リュウガにしても、テレビでは真司のそっくりさんが変身しないということがあり得る。
 アギトに変身する男の名が「津上翔一」でも「沢木哲也」でも構わないように、ファムに変身するのが「美穂」でさえあれば、役者が変わっていても気にしない人も多いかもしれないのだ。
 『マグマ大使』では、ガム役の役者がいつの間にか変わっていても、特に文句を言った人はいなかったらしい。
 『激走戦隊カーレンジャー』に登場するラジエッタは、2回目の登場から役者が変わったが、気付かない人も多かった。
 客演ライダーの声が違っていても、みんなもう諦めている。
 世の中、そんなものだ。
 下手をすると、終わってみたら、本当にファムとリュウガの代わりに別のライダーが2人出ていた、ということにさえなっていてもおかしくない。
 要するに、テレビという枠の中で“ライダーが13人揃えばいい”のだから、誰が何に変身しようと構わないという暴論も成り立つのだ、悲しいことに。
 
 どのパターンが一番いいか、ということについては、人それぞれ好みがあるだろう。
 だが、この劇場版の、ミラーワールドの秘密も明かされず、ライダーの戦いの結末も描かず、ヒロインである優衣は死んで、真司と蓮の生死もはっきりとしないなどという結末は最終回たり得ない。
 というより、そんなものが最終回であっては困ることは分かってもらえただろうか。
 既に鷹羽は、劇場版はパラレルワールド的最終回であり、テレビの終盤は劇場版とは全く繋がらない話になるだろうと決めこんでいる。
 当然、観客はそんなことは百も承知で見ているはず、と思ったら、本気で最終回(或いはその直前)かもしれないと思っている人もいるようだ。
 まぁ、去年の『アギト』の最終回みたいになってもいいということならば、劇場版のような最終回であっても問題ないのだが。
 
 テレビから繋がる最終回とは思いがたいが、鷹羽がこの映画を面白いと思ったのは本当だ。
 内容的には突っ込みどころ満載だが、次々と物語が進展していくテンポは、実に小気味好い。
 井上脚本の、断片的な描写を積み上げてキャラクターの心情を紡いでいくという長所と、その断片同士がうまく繋がらず、テンションを高めるために本来の設定をないがしろにしてしまう短所の両方が突出した映画になっていると思う。
 間違っても100点はやれないが、決して落第でもない、そんな映画だと思う。
 今のところ鷹羽は、どうせディレクターズカット版のDVDが出るんだろうから、そっちの購入を考えようかと思っている。

 
 こうまでして、劇場版を「最終回」名目で作り上げた理由は、ひとえに“13人の仮面ライダー”という基本設定があるからだ。
 どんなに強力なモンスターを登場させても、『龍騎』世界においては所詮噛ませ犬でしかないから、『ハリケンジャー』のように劇場版オンリーの敵を登場させることができない。
 かといってオリジナルライダーを出したら、「13人じゃなかったのか!?」と突っ込まれてしまう。
 既に登場している龍騎、ナイト、ゾルダ、王蛇の4人で物語を作れば、テレビの焼き直し程度のものになってしまうし、適当な新ライダーを並べるだけでは物語的に華がない。
 こうなると八方塞がりで、派手なラストを演出してやろうという気にもなろうというものだ。
 だが、残り半年弱を掛けてゆっくりと紐解いていくであろう謎がまだ残っている状態で、説明済みの扱いで話を進めるわけにはいかないのだ。
 結果、謎を物語に絡めつつ解き明かそうとした苦肉の策が今回の劇場版のストーリーテリングだったのだと思う。
 劇場版として独立した作品に仕上げるためには、これまで説明してきた設定に抵触しようとも、1つの話として筋を通すだけの“真相”めいたものが必要だった、というところだろうか。
 確かに、劇場版だけ見れば、優衣とミラーワールドの話には決着が付いたし、筋も通った。
 だから、鷹羽はこの劇場版をあまり悪し様に言いたくはない。
 ただ、テレビの最終回がこれだったら、鷹羽は全力で文句を言わねばならない。
 この劇場版は、そういった微妙なスタンスの上に成り立っているのだ。

   
 さて、この劇場版の見所は“よってたかって他人の家に勝手に上がり込んでいる令子達”だろう。
 上でも書いたが、霧島というのは美穂の姓ではない。
 当然、霧島家に美穂が入り込めるのは、こっそり合い鍵を作っていたからだろうが、そうとは知らないまま水岡、真司、令子の3人までも勝手に上がり込んでいる。
 OREジャーナルのデータでは、美穂が霧島家の娘ということになっていたわけだが、それって美穂があらゆるところに偽情報を流していたってことだよね。
 恐ろしい娘だ…。

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