はみ出しゲームレビュー
『真説 猟奇の檻 第2章 Vengeful Ghost on Fantasien』

鷹羽飛鳥

更新日:2011年2月19日

 『猟奇の檻 第2章』ってゲームを知っていますか?

 Windws95が発売された約1年後、1996年末に発売されたNEC PC98シリーズMS-DOS対応の18禁ゲームです。
 今では信じられないかもしれませんが、Windowsが普及するまでは、NEC製パソコン用のOSでしか動かない18禁ゲーム、通称「DOSゲー」が主流でした。
 このサイトの前身である同人誌「九拾八式」シリーズで取り上げていたゲームは、ほとんどがDOSゲーです。
 『猟奇の檻 第2章』は、徐々にWindows用のゲームソフトが主流になりつつある中での発売であり、同時期発売の『この世の果てで恋を歌う少女YU-NO』と並んでDOSゲー末期を飾った傑作でした。
 もっとも、すぐにWindows移植版も発売されたので、そちらでプレイした人は、Windows用ゲームだと思っているかもしれません。
 移植版は、キャラクターに声が入っている以外、内容的にはDOSゲー版(以下「オリジナル」)と同じでした。
 鷹羽は、今でもWindows版を持っています。
 今回紹介する『真説 猟奇の檻 第2章 Vengeful Ghost on Fantasien』(以下「真説」)は、そのリメイク版であり、システムやシナリオの一部がオリジナルとは異なっていますが、攻略方法はほぼオリジナルと同じです。
 オリジナルの内容や当時の鷹羽の感想などは、こちら「猟奇の檻 第2章 THE VENGEFUL DAYS」を見てください。

 実のところ、鷹羽は、真説の方は完クリしていません。
 とてもそんな時間も体力もないため、一部のキャラについてだけつまみ食いした程度です。
 なので、ゲームレビューとしてではなく、気分屋での比較論という形にしました。
 そのため、当然というかネタバレのオンパレードですし、オリジナルを知らない人からすると、「比較対象知らないし」状態だと思います。
 今時オリジナルをプレイした記憶が残っている人って少ないかも…。
 それでは、本論に入りましょう。
 あ、本論では、ゲームレビュー形式の言葉遣いでいきますんで、そこんとこよろしく。

 真説のオリジナルからの変更点は、大きく分けて3つ。
 1つ目は、各キャラクターに一部描写が追加されたこと。
 2つ目は、Hシーンが増やされたこと。
 3つ目は、ラストの流れが大きく変わったこと。

 まず1つ目だが、各キャラクターの背景について、若干の補足・変更が加えられている。
 最も大きなものとして、草加部総一郎の人となりについての描写が大幅に増えていることが挙げられる。
 由佳里がネットで見付けた動画という形で、草加部が過去に出演した番組(『プロジェクトX』がモデル)を出し、草加部がいかにファンタージェンに情熱を傾けていたかが語られる。
 また、オリジナルでは京のセリフと追想画像による説明だけだった草加部殺害場面に、草加部や井上らのセリフが追加された。
 これにより、草加部が手抜き工事の危険性について心配していたことや、和子が草加部の意見に同調していった過程が具体的に示された。
 この説得力は大きい。
 そのほかにも、お嬢様学校出身の志津子がなぜ遊園地に就職したかという説明も追加された。
 やはり志津子はお嬢様で、卒業後、親の決めた外資系企業に就職したものの、就職先は自分で決めたいとの想いから退職し、幼なじみのモエミの勧めでファンタージェンに就職したのだという。
 もっとも、こちらについてはちっとも説得力は増しておらず、生粋のお嬢様にしては感覚が庶民的だったりモエミと幼なじみだったりすることの違和感は拭い切れていない。
 しかも、退職・再就職したことの都合からか、年齢設定がオリジナルの20才から19才に引き下げられてしまったため、ますますお嬢様っぽくなくなってしまった。
 高校卒業後すぐに就職って、お嬢様のイメージからはほど遠いんじゃなかろうか。
 せめて短大卒にして21才でも良かったのでは?
 ほかにも、序盤に、ひかるや志津子が自宅に押し掛けてくるイベントも増えたが、あまりキャラ描写が深まったという感はなく、むしろ唐突感が否めなかった。

 2つ目は、Hシーンの増加だ。
 オリジナルでは、ハッピーエンドルートを辿った場合、エンディング前にHシーンのあるキャラが少ない。
 本編途中にHシーンがあったのは、和子や由佳里などごく僅かだ。
 元々が謎解きに重点を置いたゲームで、周囲の人々を守るのが目的なのだから、当然と言えば当然だったのだが、それでは今時受けないということなのか、本作では物語途中にHシーンがいくつか増やされている。
 具体的には、次で説明するラストの展開の変更にも絡むが、終盤の日程が変わったのだ。
 オリジナルでは、11日目夕方にドアに挟まれた京を助けて草加部の死の真相を聞いた後、井上がドラクル城に逃げ込む展開になり、そのまま事件が収束していく。
 詳しくは後で述べるが、本作では、11日目に井上がドラクル城ではなくファンタージェンの外に逃走し、13日目夜にドラクル城に戻ってくるという展開に変わった。
 12日目はファンタージェンが臨時休業となり、ドラクル城に埋められているはずの草加部の死体捜索に当てられている。
 主人公:剛史は、刑事の裕子から井上が来るかもしれないからと言われ、12日目はアパートの自室で待機することになる。
 ここに、例えば志津子ルートだと志津子がやってくる。
 試してはいないが、恐らくひかるルートではひかるが訪ねてくるのだろう。
 志津子の場合、事件の状況を全く知らないため、臨時休業で暇になったという理由で剛史のところに遊びに来るのだ。
 序盤で突然押し掛けてきていたのは、剛史の住所を知っておかないとこのタイミングで訪ねてこられないからだろう。
 だが、志津子の場合には、ストーリーに深みも何も加わらず、単にHシーンが増えただけといった印象だ。
 オリジナルでのエピローグと同じような絵を本編内に持ってきて、エピローグではまだ客のいる時間帯のドラクル城内で、制服のままHするというとんでもない展開になっているせいで、シナリオのデキ自体が悪くなったように感じてしまう。

 逆に、裕子は、Hシーンが増えたことで面白くなった。
 裕子ルートでは、12日目に、張り込みと称して裕子が剛史の部屋にやってくる。
 部屋に上がり込んだ裕子は徹夜続きの疲れから眠ってしまい、剛史は悪戯心で裕子にキスしようとする。
 すると、寝ているはずの裕子が「それ以上近付くと公務執行妨害で逮捕しますよ」と牽制する。
 ここから、「これ以上(公務執行妨害を)続けると無期懲役になります」といったちょっと変わった告白シーンが始まるのだ。
 地の文で、公務執行妨害は最長で3年の懲役までしかないとか、懲役は刑務所での作業があって禁錮は監禁されるだけだとかいった刑法の解説を加えながら、会話が続く。
 結局、「収監先は裕子さんでいいのかな? 脱獄は無理そうだね」「絶対に逃がしませんよ」「環境は?」「公務優先につき劣悪かもしれません」「それでも罪を犯す価値はありそうだな。罪状は?」「私を窃盗ではどうでしょうか?」「仮釈放はナシの方向で」「では斉藤剛史、アナタを逮捕します」という流れで、2人は付き合うことになる。(ていうか、そのままH突入。張り込みはぁ?)
 この条件は、つまり、死ぬまで離さない、絶対別れない、という意味だ。
 元々裕子は、物語中盤から登場するキャラであり、接点が少ないこともあって描写が薄い。
 オリジナルでの裕子シナリオでは、事件解決までに発生するイベントは草加部の生家に行った後に飲みに行っただけであり、エピローグで付き合っている姿に至る経緯の描写がない。
 そこで、少々無理矢理っぽいのだが、事件捜査中に坂道を転がり落ちてしまうことにしたようだ。
 今回のエピローグでは、オリジナルと同様の展開の中に「無期懲役、仮釈放なしの誓いを守っている」といった意味の文章が加えられていて、途中のHイベントを単なる付け足しではなく深みを増す要素に仕立て上げている。
 個人的には、今回の事件をきっかけに、じっくりと付き合っていってほしかったんだけど、これはこれで非常に微笑ましかった。

 そして3つ目、これが一番大きいのだが、ラストの流れが大きく変わり、牧子の鬼レベルが数段跳ね上がってしまった。
 そして、それは主に作品にとって悪い方に影響している。
 ただし、スタッフの意図としては、オリジナルで消化不良だった部分、やり過ぎだった部分を是正しようとしたものと思われる。

 前述のとおり、井上は11日目に逃走し、13日目にドラクル城に現れる。
 警察に追われているくせにいつもの金色の鎧を着込んでいるため、目撃情報が入り、剛史が追うという展開になっている。
 ここで、ヒロインの好感度が低いと、剛史より先に井上を見付けたヒロインが城内までのこのこ追って行って捕まって陵辱を受けるという展開になる。
 好感度が高かった場合は、ヒロインはここで登場せず、剛史と井上だけで決着を着けることになる。
 そして、主立ったエンディングでは、牧子或いは陵辱されたヒロインによって井上が殺され、牧子もまた自殺するという展開になる。
 また、オリジナルでは、ラストで剛史が身に付けている通信機は城内では電波が届かず、通信機を使用しない部署勤務の牧子がそのことを知っていたことについて、剛史が「MAOSも通じないんだ?」と切り込むという展開になる。
 だが、本作中では、MAOSはファンタージェン内ならどこでも使用可能で、普段使っている通信機も同様という扱いになっている。
 本作のラストでも剛史が連絡不能で孤立する展開になるが、それは犯人に乗っ取られてしまったMAOSの影響を受けないよう、普通のトランシーバーを使っているためだ。
 この展開の変更理由は、恐らくオリジナルが発売された頃とは、社会事情が少々異なるというものだろう。
 オリジナル発売当時は、まだ携帯電話が普及しておらず、無線通信といえばトランシーバーが当たり前だった。
 トランシーバーは閉鎖空間に弱いから、当時としては、終盤の展開がすんなり理解できた。
 実際、携帯電話も初期の頃は建物内で着信できないことが多く、そのためにポケベルを併用する人もいたくらいだ。
 現在、携帯電話がほとんどどこでも使えるのは、電話会社がアンテナをあちこちに立てまくってくれたお陰なのだ。
 その甲斐あって、今では“建物内部でも通信できて当たり前”という感覚が一般的だ。
 そういった感覚の変化を受け、真説では、剛史達職員が使う通信機は、MAOSの通信網を利用したものという設定で、園内どこででも使えるようになったため、終盤においてMAOSは猛威を振るう。
 監視カメラで監視しつつ、遠隔操作で井上を追い詰める。
 或いは壁を移動させて転落させ、或いは篝火のギミックを利用して火攻めにするなど、“姿を見せることなくどこからでも攻撃できる”MAOSの恐ろしさをまざまざと見せつけてくれる。

 これだけの変化でも相当なのだが、決定的なのは、草加部の死体はずっと牧子が保管していたという設定変更だ。
 オリジナルでは、井上と揉み合いの末死亡した草加部の死体はドラクル城の壁に塗り込められていた。
 だが、真説では、草加部はドラクル城の基礎工事中の地面に埋められたものの息を吹き返し、自力で地面から這い出した
 そして、建設中のドラクル城を見せてもらう約束をしていた牧子がドラクル城にやってきたことによって発見され、その胸の中で再び息絶えるのだ。
 目の前で恋人を失った牧子は、草加部を埋めた犯人を捜し出して復讐することを誓う。

 ちょっと待て。
 オリジナルでは、死体が行方不明になっているため、草加部は生きていることになっている。
 実際、中盤までは最有力容疑者は草加部であり、だからこそ警察も剛史も草加部の周辺を調べているのだ。
 公的には、草加部はファンタージェンから手を引いて海外に行ったという扱いであり、警察を頼ることのできない牧子が自らの手で真相を暴く必要があった。
 ラストで腐乱死体に頬ずりしながら「やっと会えた」と涙を流す牧子には、愛しい人を追い求め続けた悲しい女の安堵が感じられたものだ。
 しかし、真説では違う。
 目の前に、たった今死んだばかりの草加部の死体がある。
 もしかしたら、すぐに救急車を呼べば蘇生したかもしれない。
 また、蘇生できたかどうか、殺人に当たるかどうかはともかく(傷害致死と殺人は違う)、傷を負って埋められた人間がその後死亡したという事実は、まぎれもなく犯罪として警察が捜査する対象だ。
 この場合、牧子の立場は“何者かに恋人を殺された第一発見者”であり、素直に刑事に「犯人を捕まえてください!」と叫べばいいだけのはずだ。
 それなのに、死体を玉座に座らせて隠し死亡の事実を隠し、自力で犯人を捜して復讐しようと考えるなど、どこかぶっ飛んだ発想になってしまっている。
 むしろ彼女が死体遺棄の罪に問われるのではないかと心配になるくらいだ。
 どうやって運んだの? ドラクル城内部に隠したのに見付からなかったの? 異臭を出さない保存のコツは? などなど訊きたいことが山ほどある。

 恐らくは、牧子の「復讐」というテーマを明確に打ち出すために、“誰かに殺された”ことを牧子に知らせたかったのだろう。
 オリジナルでは、牧子は“草加部が自分に内緒でいなくなるはずがない”という、いわば勘で草加部の死を認識している。
 草加部の死が確実なものとなるのは、11日目、京の口から語られてからのことであり、それまで牧子は誰が草加部を殺したかはおろか、草加部の死すらはっきりとは知らない。
 もちろん、井上、京、梶原、和子の4人が怪しいと考えたのは、3年掛けてそれなりに調べた結果だったのだろうが、それでも、客観的には確信があるとは言い難い。
 だが、牧子は躊躇なく梶原を殺し、ほとんどのシナリオでは和子をも殺した。
 下手をすると京も殺されるわけで、そうなると、悪く言えば牧子は思い込みで殺し続けていたかのようにすら見える。
 その点、真説では、息を吹き返したにしろ、一旦埋められたという事実が、牧子に明確に“事故死ではなく殺人”という認識を与える。
 スタッフは、こうなってこそ犯人に対する「復讐」の説得力が増すと考えたのではないだろうか。
 そして、残念ながら、それはマイナスにしかならなかった。

 端的に言えば、オリジナルが良すぎた。
 もちろんオリジナルが満点の作品だったというわけではなく、事実、鷹羽自身もレビューで難点を指摘している。
 オリジナルの非常にストレスの溜まるマップ移動方式を、行きたい場所をクリックすると移動できるようにしたのは、真説最高の改良点だった。
 また、そこに誰がいるかをマップ上に表示したことで、難易度が下がった。
 このゲームは、“何日の何時から何時の間にどこで誰とどんな話をしたか”といったことを積み重ねていくのがポイントとなる。
 鷹羽はオリジナルをプレイした時には、そういったことをメモしながらやっていた。
 そうでないと、はっきり言って解くのは不可能に近いゲームだったのだ。
 しかもタチの悪いことに、マップ画面でうっかり目的外のところに移動してしまうとゲーム内時間で15分経つため、下手をするとそれだけでクリア不可能になってしまう。
 それが、真説では、少なくとも“いつどこに行くと誰がいる”か分かるし、確実にそこに辿り着けるようになった。
 この差は大きい。
 正直言って、鷹羽は、攻略に必要な会話等の大体の順番は覚えていたが、誰がいつどこにいるかといった細かい部分まで完全に覚えていたわけではなかったので、マップ上で誰がいるかが分かるというのはとても助かった。
 これがなければ、記憶だけで解くなどということはできなかっただろう。
 この2つの点は、手放しで褒めたい。
 だが、ほかの部分は…。

 オリジナルは、推理ものとしてのストーリーに重きを置いているため、Hシーンが少なかった。
 その辺に批判があったのも確かだ。
 今回のリメイクでは、そこを何とかしたかったのだろう。
 それは分かる。
 しかし、なまじよく練られたシナリオだけに、下手にHシーンを増やすとストーリー展開に影響を及ぼしてしまうのだ。
 オリジナルは、Hシーンをないがしろにしていたのではなく、ストーリー展開上、入れられなかっただけなのだ。
 実際、今回Hシーンを入れたために、井上が逃走してから1日置いてドラクル城で対決と、間延びして緊迫感を損ねることになっている。
 オリジナルでは、殺され掛けた京の口から3年前の真実が語られ、追われる身となった井上が、目を付けていた女(そのプレイ時のヒロイン)を攫ってドラクル城に逃げ込む。
 ドラクル城には未使用エリアがあるため、そこから逃げるつもりで、最後の生贄を連れ去るのだ。
 一刻も早く追わなければ、ヒロインの命が危ない。
 だからこそ剛史は、たった1人で井上を追って行くのだし、緊張感が持続する。
 それが、真説では、井上は一旦外に逃走し、翌日は施設の点検名目での臨時休園となる。
 そして、剛史は、もしかしたら井上が来るかもしれないからと、1日中自室で待っているのだ。
 井上は来ず、代わりにヒロインが訪ねてきて、デートもどきのイベントになるわけだ。
 その挙げ句、翌日はいつもの金色の鎧でファンタージェンの中を歩き回るという異様な展開になっている。
 一旦逃げた井上がわざわざ戻ってくるためのエクスキューズとして、3年前草加部に渡すはずだった金をドラクル城に隠していたという理由が加えられているのだが、変装するでもなくいつもの鎧で歩き回るという信じがたい行動を取り、そのせいで見付かって剛史がドラクル城内に追っていくという展開になる。
 しかも、ファンタージェンの職員で井上の草加部殺しを知らされているのは極一部であるため、「井上がいた」ではなく「井上の様子がおかしい」という形で通報される。
 何が違うかといえば、これがためにヒロインがのこのこ付いていって捕まるのだ。
 殺人犯(正確には違うが)だと知れ渡っていれば誰も付いていかないわけで、この点もファンタージェン側のミスだ。
 恐らく、オリジナルどおりヒロインが井上に陵辱される展開に持っていくためにこのような不自然な流れにしてしまったのだろう。
 ファンタージェンの中でしかMAOSは使えないのだし、最終決戦のために井上がドラクル城内にいなければならないのだから当然の流れではあるのだが、どうにも流れが不自然すぎる。
 これらは、結局、よくできていた流れを変にいじったことでバランスが乱れたということだったのだろう。
 それだけオリジナルのデキが良かったということなので、最初からのファンとしては喜ばしいところなのだが…。
 Hシーンを増やそうなどとスケベ心を出したのが最大の失敗といったところだろうか。
 MAOSを使っての追い詰めなどは、結構良かったのだけど。

 ゲームに限らず、一般に名作と呼ばれる作品は、骨子がしっかりしているとか脚本や役者が巧いとかいった様々な要素の集合体としての総合レベルが高いものだ。
 モノクロで画面が荒いだとか音声がモノラルだとかいう技術的に現在より劣っている部分があるとしても、それすらプラスに働かせてしまうこともある。
 過去の名作を現在の技術でリメイクしたような作品がオリジナルを超えることが少ないのは、そういうことだ。
 映像技術や撮影機材の能力を前面に押し出しすぎて失敗することもある。
 低い限界の目一杯まで使って工夫を凝らす方が良い効果を生むことだって多い。
 そして、新機軸を加えるとバランスを崩す危険が爆発的に増えるのも、リメイクの常だ。
 『猟奇の檻第2章』も当時のパソコンの色数や画面サイズ、音数などの制限の中で作られた名作だった。
 現在のパソコン環境で色数や画面サイズも数倍化し、グラフィックは数段レベルアップしたが、シナリオや構成は、技術力との関連は薄い。
 かといって、まるまるそのままでは手抜きのそしりは免れないだろうし、真説は、リメイクの難しさがモロに出てしまったのだろう。
 ケータイの普及による感覚の変化への対応など、手を付けざるを得ない部分もあるわけだし、構成の変更などを責めるのは酷だ。
 Hシーンを増やすにも、新キャラを出して本編に絡ませるのは難しいから、既存のキャラのHシーンを増やすしかない。
 鷹羽としては、ここで“Hシーンは増やさない”という英断が欲しかったところだが、オリジナルで世間的に不評だった部分でもあるから、リメイクするとなれば、改善せざるを得ないだろう。
 ただ、オリジナルが好きだという鷹羽の個人的事情を差し引いても、Hシーンの入れ方に首を捻るところはあったと思う。
 真説で初めて『猟奇の檻第2章』をプレイした人の目に、果たしてどう映ったのだろう。
 懐かしさと共に、リメイクの難しさをひしひしと感じさせてくれた作品だった。

→ NEXT COLUM