仮面ライダーディケイドあばれ旅 13 |
後藤夕貴 |
更新日:2009年9月12日
太陽の王子、そして、黒い太陽!
本編初の、変身前後が本物のライダーが、いきなり二人も登場(二役だけど)。
昭和と平成の狭間、“黒い騎士”の闘いに魅せられた人達の想い、期待が炸裂する!
というわけで、今回は「BLACK RX編」について語ってみよう。
●BLACK×BLACK RX
オリジナル版との比較。尚、以下では「仮面ライダーBLACK」「仮面ライダーBLACK RX」をまとめてオリジナル版として扱っているので、注意のこと。
【オリジナル準拠】
- 変身前後の各種効果音がオリジナルと同じ
- 変身エフェクト各種がオリジナル版と同じ
- ライダーパンチ、ライダーキック、RXキック時に手足が赤く光っている
- キングストーンフラッシュによる状況打開がある
- クライシス皇帝が存在する(アポロガイストの発言より)
- RXの殺陣が、かなり当時を意識した動きとなっている(スーツアクターは当時と異なる)
【相違点】(メインキャラの違いを除く)
- RXの体色が若干異なっている
- BLACKの南光太郎とRXの南光太郎が別人扱いになっている
- BLACKの変身ポーズが、初期版と後期版の混合のようなオリジナルのものになっている※1
- RXがサイ怪人を知らない(かのような態度を取っている)
- RXの「変身!」の掛け声のタイミングが場面によって違う
- RXの名乗りの動作が若干異なっている
- 変身直後、マルチアイが光る
- BLACKの変身後、関節からの余剰エネルギー噴出効果がない
- リボルケインが光らない
- リボルケインを引き抜く位置が違う
- バトルホッパー、ロードセクター、ライドロンなどの各マシンが登場しない
- RX南光太郎がアクロバッターに乗っている(オリジナル版では変身後しか乗らない)※2
【オリジナルを踏まえたと思われる注目点】
- 「クライシス最強の戦士!」他発言
- BLACK光太郎初登場シーンが、BLACKのOP冒頭かED、またはRXのEDを彷彿とさせる歩み寄りになっている
- BLACK南光太郎が、(霞のジョー乱入まで)孤軍奮闘していた
- BLACK変身時、一瞬だけ「バッタ男」の姿になる
- バイオライダーの液状化攻撃がアニメーション合成からCGに変わっている
- RX光太郎との初会話時、ヘリコプターが空を横切る※3
- RXがリボルクラッシュを行う(正しくは未遂)
- RXの地面ぶっ叩きモーション
【次点・オリジナルを踏まえたと思われる注目点】
- ディケイドの変身した龍騎が、人質に取られた少女のせいでピンチに陥る※4
※1:意外に知られていないが、BLACKの変身ポーズは大きく分けて二種類存在している。
前期は、いきなり肘を曲げた右腕に左拳を向けてギリギリギリと力むが、後期は最初に右手を左→右へと大きく振るい、腕と上体全体を右方向に流すようにしながらギリギリギリへと移行する。
今回のものは、上体の右流しをやらない代わりに左腕を一瞬左方向へ伸ばしてから右側に回し込み、ギリギリギリへと移るモーションへと変化している(厳密には、オリジナル版にもこれと似た動作があったが、若干動きが異なっている)。
※2:もっとも、これはファンサービスのためと思われるので、あくまで参考程度ということで。
※3:「仮面ライダーBLACK RX」での南光太郎の職業は、ヘリコプターのパイロットである。
※4:これのみ「仮面ライダー龍騎」からの出典だが、恐らくレイドラグーン戦にて致命傷を負った城戸真司as龍騎に引っかけたものではないかと推測される。
今回は、平成ライダーにしてはあまりにも珍しい場面が連発した。
変身前から敵の前に立ち塞がり、真正面から闘いを挑む。
手持ちの道具などを一切使わず、複数のカット割りと顔のズームを絡めた変身ポーズを取る。
仮面ライダーが「トゥッ!」と叫んでジャンプし、敵に向かって堂々と名乗りを切る。
必殺技の名を叫び、敵を粉砕する。
いずれも、「仮面ライダークウガ」以降忘れられて久しいヒーローテイストだが、よりによってこれが、当時の演者によって平成ライダー作品中でお目にかかれる日が来ると、いったいどれだけのファンが想像しえただろうか?
今回の「BLACK RX編」は、基本設定こそ「ディケイド」のものだが、内容は明らかに“昭和ライダーと平成ライダーの融合”となっていた。
しかも、昭和成分の割合が明らかに大きく、その結果大変新鮮な雰囲気を漂わせる快(怪?)作となった。
また同時に、メインライダーとしては「ディケイド」初のオリジナル役者の変身前・変身後演技が楽しめるエピソード※1でもあり、基本的にオリジナルと異なる役者によるリ・イマジネイションライダーしか登場しない本編において、絶大なインパクトを残すことに成功した。
今回は、単に南光太郎が登場したというだけでなく、それに伴い実に多くの語るべきポイントが出現した。
一つひとつ注目してみよう。
※1:オリジナルと同じ役者が変身前後のライダーを演じたという意味では、倉田てつを氏は「ディケイド」初ではない。
「DCD響鬼編」のDCD威吹鬼、DCD斬鬼、DCD轟鬼、DCD天鬼(もっともオリジナルでは天鬼の名はなく、またほんの一瞬の出番だった)、「ネガ世界編」のダークキバなどがある。
第一話の紅渡はオリジナルと同じだったが、変身後の活躍がなかったため、ここではあえて除外している(最終話で変身したけど)。
●WakeUp, The Hero!! 目を覚ませ!
今回最大の注目点は、なんといっても20年ぶりに倉田てつを氏が南光太郎を演じた事だろう。聞くところによると、今回のエピソードは当初予定になく、劇場版「仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」撮影中にスタッフ間で出た話題が発端だという。
また、倉田てつを氏自身がBLACKの続編製作を希望していたこともあり(この件はニュースとしても報道されたことがある)、これらの話が一つにまとまった結果生まれたのだろう。
「ディケイド」初の、当時の演者がそのままメインライダーを担当し、当時のままの演技を行うという試みは、これまでのリ・イマジネイション世界に慣れてきた視聴者にはかなり異色に思えたようで、「仮面ライダーBLACK」及び「同・RX」本放送当時からのファンには懐かしさを、そして当時を知らないファンには古風な雰囲気を感じさせた。
ただし、評価は世代によりかなりハッキリと分かれてしまったようで、これについては後述する。
どちらにしろ、「本物の役者が演じるライダー」が実際に客演するというインパクトが絶大だったことに疑う余地はない。
倉田てつを氏のインタビューによれば、今回はあくまで士(ディケイド)のサポート役に徹する役回りで、オリジナル版当時のように前面出まくりとはならなかった。
そのせいか、「許さ゛ん!」「渡さ゛ん!!」といったてつを流決め台詞はなく、むしろ以前よりずっと大人びた雰囲気を漂わせる、成熟したライダーを実感させるようになった。
昭和ライダーの集大成とも云えるRXが平成ライダーの作品に当時のままで客演するということは、これまでの平成ライダーシリーズが切り捨ててきたものをあえてそのまま盛り込むということでもあり、一種無謀な試みであったと考えられる。
しかし、実際の本編では微妙な調整が加えられており、昭和テイストをじっくり堪能させつつもきっちり平成ライダーとしての描写を行っていた。
まあ実際は、昭和テイストを漂わせていたのは後述するアポロガイストの方なのだが。
無駄に溢れかえる熱気・熱血・正義感を適度にセーブし、どちらかというと冷めた雰囲気の平成ライダーに溶け込ませ、それでいて所々で熱さを披露する。
勿論主役をないがしろにしたり、没個性にしてしまうことはなく、あくまで客演としての立ち位置を維持する。
こう考えると、本当に見事な調整ぶりだと感心させられる。
だが今回の見所は、過去にないほど客演ライダーの活躍シーンを重要視していることだ。
なにせディケイドとディエンドを最終バトルから早々に撤退させ、締めの闘いを客演ライダーズに丸ごと一任しているのだ。
残念ながらアポロガイストを倒すには至らなかったものの、勝敗は明確に着いており、それだけでも扱いが別格なのがよくわかる。
これまでの客演ライダーは、すべてディケイドが最終決着まで立ち会っており、或いはディケイドやディエンドが敵の親玉格やそれに準ずる者を片づけてきた。
ディケイドと同時攻撃で倒したDCDキバやDCDカブト、DCDクウガのFFRとの併用で打倒した電王ソードフォームのような例もあるにはあるがこれらも結局は共闘の域を出ておらず、それ以外もほとんどはFFR/FAR攻撃による決着ばかりだ。
唯一例外に近いDCD響鬼にしても、牛鬼の後に更にバケガニが登場し、そちらでは最大級の共闘を行っている(しかも本人は音撃鼓にFFR中で攻撃自体は他のライダー達がやっている)。
「ネガ世界編」「ディエンド世界編」「シンケンジャー編」は言うに及ばずで、後の「アマゾン編」でも共闘だったことを考えると、BLACKとRXの扱いを特別に考慮していることは疑いようがないだろう。
また、今回はドラマこそあれ、戦闘を巡るシーンの割合がかなり多い点も留意したい。
その代償としていくつか薄ぼけてしまった点もあるにはあったが、客演という位置づけをキープしつつもこれほどふんだんに懐かしい活躍の姿を見せてくれたことについては、手放しで褒め称えたいところだ。
その上、見せ方にも気合いが入りまくっていて実に良い。
というより、BLACK世代のツボをいい感じに突きまくっているのはポイントが高い。
変身時にきちんと紋章が描かれていく行程を映したり、ベルトのエフェクトを極力オリジナルに近づけようとしていたり、またBLACKの変身時には一瞬ちゃんと下地のバッタ男ヘッドを映しているなど、本当に芸が細かい。
残念ながら関節の煙ブシューがなかったり、微妙に名乗りポーズが決まっていなかったりとガックリな場面もあるにはあったが、それでもそういう「平成ライダーならなんとなく省かれそうなところ」まできっちり再現してくれたのだから、文句を言う方が罰当たりだろう。
ここまでやっておいて、更にジャンプ音や細かい動作時の音まで同じなのだから、本当に弱ってしまう。
筆者は都合このエピソードを20回近く繰り返し見たが、あまりの感動にいまだに飽きることがないほどだ。
これらについては、とにかくぐだぐだと余計な説明などいらないのだ。
そういえば、今回「リボルケインが光っていない」「RXの名乗りの手の形が違う」といった指摘がWEB上で散見されたが、前者はともかく後者は間違いではない。
実はRXの名乗り時、「〜ブラ゛っっ!!」の時の右手の形は一種類ではなく、中指と薬指を曲げた「サバラ」型の時もある。
またリボルケインも、「仮面ライダーBLACK RX」劇中ずっと光りっ放しという印象が強いが、実は光が消えている場合もある。
これらはどちらも「仮面ライダー世界に駆ける」で確認出来るものなので、視聴可能な人は是非確認していただきたい。
ただし、この時のリボルケイン消灯は戦闘終了後徐々に光が弱まって消えるという表現のため、「消えていたこともある」という程度で、決して「消えていても正解」とは言い難いものだったりする。
●時を越えろ、空を駆けろ、この世界(ほし)のため!
今回は、大変面白い解釈として「BLACKとRXが別人&別世界の住人」とされており、ファンを大変驚かせた。ご存知の通り、RXはクライシス帝国の手によりBLACKへの変身機能を破壊された南光太郎(の体内のキングストーン)が、太陽の光の影響で進化変身したもので、本来は全くの同一人物の筈だ。
89年4月、北海道夕張で開催された「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」において、「仮面ライダー世界に駆ける」というBLACKとRX(とロボライダーとバイオライダー)が共演する短編映画が公開されたが、この作品内でも両者の時間軸と世界観は同一であった。
これまで「世界に駆ける」以外でBLACKとRXの共演は成立しないものとして考えられて来たが、劇場版「〜大ショッカー」で両方の揃い踏みが行われる都合か、「ディケイド」本編内で理由を説明する必要性があったようだ。
一見ものすごい超解釈による展開のように思えるが、これについては以下のような考え方もある。
オリジナル版「仮面ライダーBLACK RX」では、前作「仮面ライダーBLACK」と同じ設定を継承しつつも多くの変更が行われており、特に目立ったのが“南光太郎の性格の明朗化”だった。
独特の暗い雰囲気があった前作に対し、作品内の空気を入れ替えようという試みだったのではないかと考えられるが、実は当時撮影スタッフの間でもこの路線変更に対する反対意見が多かったようだ。
南光太郎がBLACKとして闘った辛い過去やトラウマを忘れたかのような変化に懸念を覚えた小笠原猛監督(前作から参加)が、倉田氏に対して現状を憂うような発言をしたという例もあるほどだ。
その後、RXは前作の「暗さ」もある程度引き継ぐ描写が増え、雰囲気のバランスも良くなったという感想もあったようだが、この時の「スタッフの懸念」を考慮に入れた上で、「BLACK世界とRX世界の区別化」を見ると、大変に興味深い。
視聴者側の感覚からすればBLACKとRXは同一だが、製作現場やそれに近い所では、実質的に別物という感覚が活きており、今回は後者のものを発展させたアイデアだったとしたらどうだろうか?
いずれにせよ、この(視聴者側にとって)奇抜としか言いようのないアイデアのおかげで、「二人の南光太郎が別々の変身ポーズを経て変身する」という、普通では考えられないような燃えるシーンが誕生したのだ。
●Long Long ago, 20th Century.
さて南光太郎を演じた倉田てつを氏だが、さすがに年齢を重ねられただけあって当時とかなり雰囲気が異なっている。当時の南光太郎というと、若々しさ、過剰なほどのヒーローテイスト(故・石ノ森章太郎氏が生前「今後君ほどのヒーロー役者は出てこないだろう(意訳)」と発言したこともあるほど)が絶妙のバランスで混ざり合ったイメージがあり、「倉田てつをという役者が演じている」というよりは本当にこんな人がどこかにいそうな(ありえないんだがそう錯覚してしまいそうな)ほどの強烈なインパクトがあった。
20年後の南光太郎はさすがにそういったものはなく、かなり落ち着いた雰囲気が漂っており、ともすれば“こんなの光太郎じゃない”とすら思えてしまうほどだった。
更に言えば、声の感じが変わったのか当時の発声の仕方を忘れたのか、吹き替えにも違和感があり、前半冒頭の対シュバリアン戦の名乗りでは、結構な違和感が生じた。
25話の次回予告の後も、あまりの声の変わりように「本当に本人なのか?」という疑問が多数上がっていたようだ。
また、一部ではこれも仕方ないことだと諦め、とにかく映像として本物が出るだけで良しとしようという意見すらあったほどだ。
だが。
南光太郎は、そんな生易しい男ではなかった!
シュバリアン戦の途中から、徐々に当時を思わせる声に戻り始め、驚くほど違和感が減少。
しかも、リボルケインやボルティックシューター装備時やバイオライダー変身時の掛け声など、20年の月日って何だったの? と思わせるほどになっていた。
まるで、つい最近までライダーの吹き替えをやり続けていたかのような!
更には、戦闘中の「ぬ゛っ!」「ふん゛っ!」といった短い掛け声まで。
普通、20年と云えば相当な年月の筈で、それだけの間を置いて観れば普通は懐かしさや、経年の変化による違和感をごちゃまぜに感じるものだ。
だが、RXが変身を解いて士達と向かい合うシーンでは、まるでつい先週も「仮面ライダーBLACK RX」を見ていたかのような、非・懐古感が漂っていた。
これは、とんでもないことだ。
また、まったく衰えを知らないどころか、当時そのまんまと言っても過言ではない変身ポーズ各種にも驚かされる。
若干「変身!」の掛け声のタイミングが異なっていたものの、細かな指先の形から腕の動きの変化、微妙な顔の角度の調整など、見事としか言いようがない。
本撮終了後、ほんの数ヶ月で変身ポーズを忘れてしまうようなヒーロー役者が多い中、これはあまりにも嬉しすぎるだろう。
しかも、ただ当時の型をたどっただけではなく、予備動作(型の前後に入るゆとりや、意図的に作るブレ)まできっちり再現されている。
この辺がしっかりしているからこそ、「南光太郎は、あの後もずっと闘い続けて来たんだなあ」と感じさせるのだ。
それだけではない。
前半冒頭辺りでは「さすがに、年相応に老けたな〜」という顔つきだった筈なのだが、後編に至ってはなんとなく若返っているような気すらしてくるのだ。
事実、終盤に士と語り合うシーンの笑顔や仕草は、まさに我々の良く知る南光太郎そのものだ。
役者というのは、演技によってその年齢すら変えてみせることができるというが、あらためてそれを思い知らされる。
●アポロガイスト
今回から、大ショッカーの幹部・アポロガイストが登場しディケイド達を苦しめるようになった。「明確に敵組織の幹部であることを示した上で、主人公達の前に立ち塞がる」というスタイルは平成ライダーシリーズ初で、逆に言えば大変昭和テイスト溢れるシチュエーションといえる。
これまで「仮面ライダー555」のスマートブレインまたはラッキークローバー、「仮面ライダー電王」のカイ、「仮面ライダーキバ」の各キングなど、それぞれ敵側の頂点に立つまたは幹部格であることを示した存在はいたにはいたが、これらは明確な敵組織ではなく“異種族の集団”の範疇を出ておらず、敵組織とは表現し辛いものばかりだった。
また、人によって解釈が変わってしまう微妙な点があった事も踏まえれば、そういったブレがない大ショッカーを初と判断するのは、間違いではない筈だ。
アポロガイストは、ご存知の通り「仮面ライダーX」に登場したキャラクターで、変身前も含めDCD版とほぼ同じスタイル、立ち回り方をしている。
白のスーツに黒の手袋で渋く決め、ライダーと戦う時は真紅の仮面と盾を携え襲い掛かる。
アポロガイストというと、見た目の印象からか騎士道精神に溢れる悪役と誤解されている向きがあるようだが、実際はそんな事はなく結構汚いことを平気でしてくる。
そしてDCD版でも、そういうところはしっかり押さえている点が実に良い。
オリジナル版では、“仮面ライダーXの唇を奪おうと迫ったり、無理心中を図ろうとする※1”など予想外の行動をよく取っていたこともあり、ダンディーになりきれていないダンディーさも、また大きな魅力の一つだった。
さてDCD版では、「相棒」などでおなじみの川原和久氏が人間態と吹き替えを演じており、オリジナル版を知っている人にとってはいささか微妙な印象を与えるものの、見ているうちにすぐに慣れ親しむことが出来る。
というか、この人本当に生まれついてのアポロガイストなんじゃないかと錯覚させられるくらいハマり過ぎている。
特徴的な「なのだ」喋りや、古い時代の悪役テイスト丸出しのセリフ回しからWEB上では早くからネタキャラとして親しまれていたが(主観としては鎌田以上に思える?!)、ただそれだけのキャラに落ち着いていないところはさすがと言わざるを得ない。
確固たる自信に溢れ、堂々とディケイドの前に立ち塞がり、イマジンやファンガイアをけしかける。
それだけだと一見ただの卑怯者だが、よく見ると二体を前面に立ち塞がらせて相手の攻撃を封じ、隙間から一方的に攻撃を加えるフォーメーションを行っていたりする。
また飛び道具を使うディエンドに対してはガイストカッター(盾)で光弾を瞬時に弾きながらもマグナムショットでほぼ同時に撃ち返すという高い反応性能を見せつける。
驚いたことに、アポロガイストは後編Bパートに至るまでほとんど攻撃らしい攻撃を受けていない。
すべて超反応で攻撃を防いだり、或いはガイストカッターで弾いている。
唯一、BLACK世界で変身前の時にディケイド龍騎の不意打ちを食らっているが、後編最後の乱戦以外はほぼ無敵の風格を誇っていた。
平成には珍しい正統派の悪役で、かつきちんと実力を示した上で強さを実感させているのだから、アポロガイストの描写は本当に大した物だ。
また後編の戦闘についても、左右をディケイド・コンプリートフォームとディエンドという「接近戦と遠距離戦をそれぞれ得意とする相手」に挟まれつつも一番確実性の高いだろう対応を行っている。
残念ながらディケイドとディエンドはそれを上回る対応をしたため攻撃を食らった上にパーフェクターまで奪われてしまうが、先に動いたディケイドにガイストカッターを投げ、即座にアポロショットでディエンドを撃ち(しかもディエンドより一動作多いのに着弾は両者ほぼ同時)、更にはガイストカッターを飛び越えたディケイドと向かい合えるくらいにまで身体を旋回させている(この時ディエンドはまだ倒れたまま)。
このシーン、一見アポロガイストが一方的にピンチに陥っているように思えるが、このようにスペックとしては二人を明らかに上回っており、僅かに及ばず戦況に屈したのだという事がよく理解できる。
またこの場面は、ディケイドのいつものスパニッシュ風テーマが上手いタイミングで流れ、更には見事なカメラワークで一瞬の隙を窺う三人の緊張感が良く伝わってくる。
この時のアポロガイストの目配せの様子からも、なかなかにデキる奴というイメージが色濃く伝わってきて、本当においしい。
その後、RXにやや翻弄され気味になるものの、これ以上ないほど熱い戦いを魅せてくれたと言い切って良いだろう。
ちなみに、パーフェクターを奪われてからディエンド逃走、ユウスケ登場、RXとBLACK帰還とやたら忙しい展開があり、その間なぜかアポロガイストが全然出てこない。
最初はなんというご都合主義……と思っていたが、見返してみてようやく気付いた。
アポロガイストは、パーフェクターを奪われた後、放り投げたガイストカッターを律儀に拾いに行ってたのだ!
ディケイド退場&RXとBLACK揃い踏みのシーンでは、よろよろしながらもしっかりガイストカッターを構え直しているので、恐らく本当にそうなのだろう。
どこかマヌケ感の漂う一場面だが、逆にそれこそがいかにも「アポロガイスト臭さ」を感じさせる一面に思えて、実に嬉しい。
やはり、どこかにヌケたところがないと、アポロガイストではないのだ。
それにしても、RXとBLACKのダブルキックでも死ななかったのは凄過ぎた。
あまりに凄くて、まさか最終回まで出続ける存在になるなどとは予測も付かなかったほどだ。
けど、やっぱりあそこで倒しておいた方がさっぱりしてて良かったような気もするなあ。
アマゾン編以降の蛇足っぷりを考えると……彼の本格的な見せ場はここまでだったようなのだ。
※1:正しくは“仮面ライダーXに敗北後、彼に握手を求め、アーム爆弾による共に自爆を計るが失敗”“改造後、寿命を延ばすためにXのパーフェクターを狙う”という実際の展開を混合させたネタ。
一部鷹羽飛鳥氏によるネタだが、確かに間違ったことは言ってない。
●問題点
大変見所溢れる本編ではあったが、やはりというか見逃せない疑問点・問題点も多く存在している。これらについても触れてみよう。
・霞のジョー
今回の物語の主軸は、霞のジョーだ。霞のジョーとは、「仮面ライダーBLACK RX」に登場したキャラクターで、クライシス帝国によって改造された強化人間(ただし外観は普通)。
RXを、というより南光太郎を支える役割を持っており、途中不自然に登場しなくなる時期がありはしたものの、一応レギュラーキャラとしてかなりの活躍を行った。
一応戦闘能力も(一般人よりは)かなり高いという設定で、サイを用いた戦闘が得意だが、どちらかというとバイプレイヤー的な意味合いで重要性が高かった。
さてこの霞のジョーだが、今回はその名前と存在の大切さこそ語られてはいるものの、とうとう本人は登場せずじまいだった。
どうやらこれは、当時霞のジョーを演じた小山力也氏がオファーを断ったためのようで、この影響からか本作では「別な場所にはいるみたいだけど、士達の前には出てこない」という、大変不自然な扱われ方をしていた。
何かの理由でRXの世界からBLACKの世界に移動させられてしまい、戻れなくなったためBLACK光太郎と共闘することを誓う、という設定自体は悪くないものの、このような経緯の為「いない人間について延々と語り合う」といったなんとも不思議なシーンが連発してしまい、いささか奇妙な印象となってしまった。
とりあえず、小山氏出演の可否については別として、RX世界に霞のジョーがおらず士が彼のコスプレをさせられている点については良いだろう。
だが、BLACK世界でもまったく登場しないというのは、やはり何かが変だ。
その理由は、“霞のジョーとしての発言”が、劇中に登場しているにも関わらずそれが伝言としてしか機能していない点に尽きる。
RXの世界に戻れなくなってしまったが、BLACKの世界の光太郎と組んでこれからも闘い続ける、だから心配しないでくれ…といった意味の言葉は、どう考えても霞のジョー自身が士に伝えなければならない言葉だ。
別な言い方をすれば、今回のテーマである「仲間の重要性の再認識」は、“仲間と離れていても繋がりを忘れない”霞のジョーが述べて初めて説得力が生まれる。
しかし本編では、不自然に霞のジョーを省いてしまったため、彼の大事な言葉はジョー→BLACK光太郎→士→RX光太郎というように三段階もの伝言になってしまった。
これはさすがにマヌケすぎるだろう。
霞のジョーが直接述べた言葉に感銘を受け、それで初めて、アポロガイストらとの対峙の時のセリフが映えるわけだが、このような奇妙な流れとなってしまったため、せっかくの重い言葉が幾分軽くなってしまったのは大変もったいないことだ。
もっとも、霞のジョーが言うべきことを両・光太郎のセリフとして分散させ、一応最低限の役割だけは確保させている点は見事と評価出来る。
しかしそんな事をするくらいなら、いっそこの回だけ井上氏に二役を演じてもらって「士と瓜二つな霞のジョー」としても良かったのではなかろうか。
そうすれば、冒頭でクライシスとRXが士を霞のジョーと誤認した言い訳も成立するし。
というか、あのままだとクライシスもRXも「昆虫並の判断力」しかないってことになってしまうわけで。
――それも、ある意味原典に忠実ではあるけどさ。
以下は筆者の予想だが、当初の脚本では霞のジョーの登場頻度がそこそこあり、かなり大事なことを言うシーンがあったのではないだろうか?
だが、途中で霞のジョーを登場させないことになってしまい、急遽セリフの割り振りを変更したのではないか。
何回か見直していると、両・南光太郎の述べる霞のジョーにちなんだセリフに若干「取って付けた感」が漂っている事に気付く。
その代表例が、シュバリアンの襲撃を受ける直前のBLACK光太郎との会話だ。
ここでの霞のジョーについての話はすべてBLACK光太郎による「回想」であり、士がそれに疑問を差し挟んでようやく意味が通じるという作りになっている。
仮に、ここに霞のジョー自身が登場していれば、この辺りはかなりスムーズかつ違和感なくやりとりが行われたのではないだろうか。
仮にそうだとして、BLACK光太郎が劇中で述べていた「霞のジョーが言っていたという」セリフをそのまま割り振っても、何の支障もなさそうに思える。
蛇足だが、小山力也氏はこの三週間後、「フレッシュ!プリキュア」29話「謎だらけの男!カオルちゃんの正体!?」にてメクルメック国王役として声の出演をしていた。
・BLACKの扱われ方
今回は二つの世界を行き来する構成ではあったが、基本はRXの世界がベースだった。そのため、どうしてもBLACK関連情報はオマケ程度に留まってしまい、ファンとしてはいささか残念な結果となった。
勿論、それでも見せ場は多数あり、また細かなアクションや構えが当時を彷彿とさせるもので(特にファムとの戦闘時の構えや動きは、かなり忠実に再現されていた)、細かく見れば観るほど味わい深い仕上がりだった。
だが、尺が足りなかったせいもあるのだろうが、残念ながらBLACKは別な意味でも割を食わされている。
士の活動時間が短かった上、そのほとんどが大ショッカーとの戦闘シーンに割かれてしまったせいか、BLACK世界の状況が全く見えて来ない。
更に、あれだけ活躍しているにも関わらず「BLACKが(この世界で)ゴルゴムと闘っているように感じられない」という難点も生じてしまった。
これは、画面情報としてのゴルゴムが、アポロガイスト召還によるサイ怪人のみだったというのも関係しているだろうが、RX世界であった「クライシス帝国が大ショッカーの勧誘を受ける場面」のような明確なビジョンが何も存在していないために発生した印象といえる。
BLACKの世界では、既にゴルゴムと大ショッカーは手を組んでいることになっているので、大ショッカーが出ればそのままゴルゴム登場の代用ということになってしまうのは確かだが、だからといってBLACKとの関連がまったくない刺客の方が多いという事情も、それに拍車をかけている。
それだけなら良いのだが、せっかくの共闘にも関わらずRXに手出し無用と遮られてしまい、更に見せ場が激減しているのも痛い。
BLACKは、RX世界でわざわざカードを使用して召還したのだから、それなりの意味を持たせなければもったいなさ過ぎるのに、実際に(目に見える)活躍は「オルフェノクを突き落とした」「サイ怪人をライダーパンチで仕留めた」「RXとダブルキック」程度で、実はほとんど目立った活躍がない。
しかも、オルフェノクは最終的にディエンドがFARでまとめて倒してしまい、ダブルキックではアポロガイストを仕留められなかった。
その上、召還後はほとんど会話もなく(いつものカメンライドとは違いちゃんと喋れるというのに)、更には後編冒頭の対ファム戦でほとんど手出し出来ず一方的にボコられ放題、対イマジン&ファンガイア戦ではアクセルフォームの助けが入るまでピンチ状態と、本当に良いことがない。
いくらなんでも、これは酷いだろう。
RXやRX光太郎と同等の描写をしろとは言わないにせよ、あまりにもアンバランス過ぎて泣けてくる。
本編ではわざわざ「全く別の存在」と言い切っているくらいなんだから、こちらはこちらでそれなりの扱いをするべきではなかっただろうか。
・「仲間」というものに対する士の考え方
今回、士の言動がいささか奇妙だった点に触れよう。前編Aパートでは、RX光太郎を含めた仲間達との会話で「仲間」という単語に過敏反応を示し、後の夏海との会話では「よせよ!それ(仲間)は俺の最も嫌いな言葉だ」とまで言い放っている。
その後、RX光太郎との共闘や後編Aパート終盤の発言などから、この考えを撤回したらしいことが見て取れるが、過去の士の言動を考慮すると少しおかしなことになる。
DCD龍騎編では辰巳シンジと羽黒レンの人間関係修復、DCDアギト編では芦河ショウイチの心境に変化を与え八代淘子と改めて向き合えるよう場を繕い、DCDカブト編では家族の大切さを強調した。
また、DCD響鬼編ではイブキとザンキを諭し、音撃道の未来を弟子達に託させ、結果的に流派の対立を止め統一化するきっかけを生んでいるし、DCD555編でも「夢を守る」事の大切さを説くことで、尾上タクミと友田由里の関係を修復した。
これらは、確かに「仲間」という言葉や意味とは若干違うものだが、それでも人間関係の大切さを士自身が理解していなければ出来なかったことで、明らかに今回の発言・態度とは矛盾したものだ。
まあ、確かに士はややひねくれ者&天邪鬼な態度を取るような印象もあり、またこの時はいつまで経っても自分の本当の世界に辿り着けない(補足するなら、一度大きな肩透かしまで食らっている)という苛立ちも表現されていたので、咄嗟にこんな言葉を吐いてしまったという見方も出来なくはない。
この時の士とまったく同じ発言を、後に後編Aパートでディエンドが行っており、更には海東が「夏海の危機に動揺する士達を嘲る」という行為に出ている。
これらを掛け合わせると、恐らくは「士は最初の暴言を“両・光太郎達の発言”や“海東の態度”を見ることで悔い改める」という流れにするつもりだったのではないか、とも思えてくる。
だが、仮にそうだとしてもやや情報が不足気味だ。
士を演じている井上氏自身は、話が進むごとに「仲間」を巡る会話時の表情がだんだん真剣になっていくというかなりの演技を見せている(そして夏海救出のシーンで昇華する)が、若干演出との噛み合いが悪くなっていて残念ではあった。
ちなみに今回は、士と海東のセリフが同じだったり、RXとBLACKの関係と対になっていたりと大変に面白い描かれ方をされていた点にも注目したい。
「行くよ、士」
「俺に命令すんな!」
という掛け合いの後に、RXとBLACKは
「行くぞBLACK!」
「うむ!」
と、息の合うやりとりを見せている。
こういうのはなかなか工夫されていて、見所があると思う。
・「ちゃんと僕を見ていてくれないか?」
元々どこか奇妙な印象のある海東だが、今回からそれが更に際立ってきた。今まではどちらかというと士達の干渉を避けるような態度だった筈なのに、今回からはいきなり距離を詰めてきた。
しかも、どこか間違ったツンデレ風味全開でだ。
病院の屋上で述べた「僕を見ていてくれないか?」という発言は、どのような意味を含めているのか理解に苦しむ。
この後、海東は「アマゾン編」「ライダー大戦編」を経てどんどん距離を詰め、あげくには“嫌いな言葉だった筈の”「仲間」を連呼し、士達に協力し始めるようになる。
この唐突な態度の変化は、違和感の塊。
というか、ぶっちゃけ気色悪いレベルだ。
海東asディエンドについては、ラストのアレなど奇怪な行動がどんどん出てくるため、それらについては後日改めて語りたいが、ひとまずこの時点では「なんだかおかしくなってきた」という一言でまとめておきたい。
それにしても、同じ回に二回もディケイドからアイテムを奪い取る技術はさすが泥棒と褒めるべきか、それともディケイドのマヌケっぷりに頭を抱えるか、微妙なところだ。
・フォームライドで変身&超加速中に動くスコーピオンイマジンとマンティスファンガイア
今回ちょっとした無茶な描写があったので、それについて触れておこう。BLACK世界に現れた“大ショッカー最強の戦士”にジョブチェンジしたシュバリアンは、同志としてスコーピオンイマジンとマンティスファンガイアを召還し、BLACK光太郎と士に闘いを挑む。
イマジンとファンガイアに捕らわれピンチに陥ったBLACKに対し、ディケイドは「フォームライド・アクセル」を使用しファイズ・アクセルフォームに変身し……って、これはいくらなんでもないだろう。
ご存知の通り、ディケイドは他ライダーのフォームチェンジを行う際、必ず初期状態のフォームを経由しなければならない。
DCD響鬼編ではいきなりフォームライドで龍騎から電王アックスフォームになっているが、オリジナルでも電王は直接ソードフォーム以外の姿になれる。
同様に、クウガやアギトもいきなりペガサスやストームへの変身が可能だが、これらは別アイテムを使用・経由しない変身であり、二段変身時にアイテムが必要となるものにそのアイテムなしでいきなりチェンジは出来ない(オリジナル版キバでいきなりエンペラーフォームというのがあったが、その際はキバットIII世と同時にタツロットも駆けつけている)。
またオリジナル版ファイズでも、基本フォームをすっ飛ばしたアクセルへの変身は一度も行っていない。
ディケイドが過去変身した「アイテムを使用する中間形態」の他ライダーはアクセルフォームのみだが、DCDカブト編の際はきちんとノーマルフォームに変身してから段階を踏んでいる。
以前に一度同じ事をやっているのだから、いくら緊急を要する事態だからといって、必要な手順を要約してしまうというのはあんまりだろう。
また、超加速状態の攻撃が単なる回し蹴りだけというのも味気ないが、それより“本来ならほぼ静止していなければならない筈のイマジンとファンガイアが平気で動いている”というのも酷い。
あまつさえリアルタイム(タイムアウト前)に叫び声まで上げている始末だ。
異様に活動時間が短い&シュバリアンにはなぜか手出ししない、という違和感もあるにはあるが、それについては譲歩したとしても、これらのような「この時だけ違っている」描写というのは興ざめと言わざるを得ないだろう。
それはそうと、あんな至近距離で二体の怪人の爆発に巻き込まれた筈のBLACKは、よく無事だったなあ。
さすがは次期創世王候補!
リプラスフォームの強度は伊達じゃない!
・シャドームーン
【警告!!】この項目部分は、劇場版「オールライダー対大ショッカー」及びTV版最終エピソード「ライダー大戦編」の内容に深く抵触しています。
もしまだこれらを観ていないという場合は、充分注意の上読み進めるか、或いはこの項目を丸ごと読み飛ばしてください。
ネタバレによって視聴の楽しみを阻害されたとしても、当方は一切の責任を負えません。
【警告終わり】
先にお断りしておくと、厳密にはこれは「RX世界編」だけの問題とは言い難い。
劇場版「〜大ショッカー」に登場した重要な敵キャラクター・シャドームーンが今回シルエットのみで出演しているが、皮肉なことにこれはTV版ではまったく意味のないものになってしまった。
それどころか、「ライダー大戦編」以降と「〜大ショッカー」の物語的なつながりも希薄となってしまった以上、思わせぶりもいいところだ。
仮に、12月の劇場版にもシャドームーンが登場し、それで辻褄が合うならまだいいのかもしれないが、そうすると(全くつながりがなかったとしても)「出てこいやーキック」で壮絶に散った者をいけしゃあしゃあと再登場させるのは難しいだろう。
まあ、今回シャドームーンのシルエットが出てきたシーンは、見方によっては鳴滝の勝手な想像とも取れ、(放送当時)まもなく公開される劇場版への関心を煽るための素材だと割り切れば、特に大きな問題にはならない。
所謂ハッタリ効果として割り切るという意味だが、これを容認したとしても、問題はまだ終わらない。
「あばれ旅EX」でも触れているが、実は今回のエピソードの中には劇場版「〜大ショッカー」と繋がる要素が、シャドームーン以外にもかなり多く含まれている。
- 栄次郎が取り出した黒マントと「仮面舞踏会」発言
- BLACK光太郎の「世界を渡る橋」発言
- ラストで栄次郎が壁にかけようとしたポートレイト
しかしポートレイトだけはそうはいかず、よく観れば27話の時点で既に士の姿がはっきり写っている。
このポートレイトの存在理由については完全に劇場版の内容に絡んでしまうため、関連を避けて考えるのはいささか無理がある。
TV版の構成上、またはその内容の絡みで「〜大ショッカー」の物語はどこにも割り込ませられないので、劇場版が「RXの世界」〜「ライダー大戦の世界」の合間にあることはありえない。
だとすると、あのポートレイトについては「どうせそんな細かい所までいちいち誰も観てないよ」として、豪快になかった事にするしかない。
それはそれで決して間違った見解ではないだろうが、何かずるい気はする。
ともあれ、あまり感心できる作りでは“なくなってしまった”事は否めないだろう。
もう一つ、劇場版では「BLACKとRXの共存に対する疑問提示がない」という問題もある。
言うまでもなく、これはTV版の内容を踏まえていて初めて納得できるポイントであり、事実公開前にも「映画で二人が共存する理由はTVでやる」という発言が、テレビ朝日側プロデューサー梶淳氏によって行われている。
27話放送の6日後に劇場版公開だったこともあり、確かに本編を観ていれば納得のいくポイントではあったが、TV版と劇場版の関連がなくなったことでこれらは本来の意味を成さなくなった。
劇場版世界もTV版同様、BLACKとRXが別個に存在しているんだと匂わせる意図とも解釈可能だが、もしそうだとしてもそれなら劇場版で改めて理由を説明しなければならない。
そもそも、劇場版はTV版(というより「ディケイド」自体)を全く観ていない人も観る可能性があった作品で、その中にはなぜ二人が共存するのか(TV版を観ていないために)理解が及ばないという人も居た筈だ。
これらをまとめて正確に表現するなら「せっかく用意した言い訳が機能しなくなってしまったので、余計に手間が必要になったがそれをオミットされた」とでも言うべきか。
まあ全部通して観ている人にとっては些細な部分だが、どちらにしろ、劇場版が外部要因によってがさつな作りになってしまった事は否定し難い事実だろう。
●夏海
今回の夏海の描写は、実はRX達と並ぶほど見所が多い。前回「シンケンジャー編」から、次第に士に対する想いを固め始めた夏海は、ついには瀕死の状態でも士の姿を追い求めるほどになった。
これは、第一話から見続けてきた者にとっては、とても感慨深いものがある。
当初、士を単なる厄介者・迷惑な居候として考えていた事を振り返ると、(途中多少のブレはあったものの)本作では比較的珍しい、統一感のある変化を見せている。
前回で鳴滝によって世界から拒絶されまくっている事を改めて強調され、丈瑠らに拒絶こそされなかったものの、士はそれなりに傷ついていたようだ。
今回の冒頭のやさぐれ具合からもそれが窺えるが、そんな彼を必死で救おうと手を差し伸べたのは夏海だけだった。
それどころか、闘う気満々のRXの前に立ち塞がるという、ものすごい無謀なことすら平気でやってしまうほどだ。
視聴者視点では、RXなら夏海が前に出た時点で確実に手を止めることが理解出来るが、劇中基準ではRXはまだ“未知の怪人物”であり、性格も凶暴性も不明なのだ。
ともすればイマジンやファンガイアの前に飛び出すにも等しい行為なわけで、それほどのことをしてしまえるようになったというのを示す描写としては、大変に説得力がある。
また、この絡みで後に士をかばって生命の炎を奪われてしまうわけだが、この辺もきっちり統一されている。
実は、本作での夏海を巡る描写は、途中若干のブレこそあるものの比較的まとまりがあり、かなり比重を置いて考慮されているらしいことが窺える。
というか、実際は途中から夏海の心理描写を強調するようになった、と判断した方が良さそうにも思える。
その理由は、今回の士への想いの強調が、そのまま「〜大ショッカー」での光写真館のシーンへと繋がるためだ。
あの場面は、劇中でもかなり大きな意味があるシーンなので、特に力を入れたと考えて良いだろう。
考えてみれば、本作のストーリーは夏海の見た夢(言い換えれば、ディケイドという存在に対する夏海の疑念)から端を発している。
そう考えれば、このような流れが生まれるのはむしろ必然とも云えるだろう。
ただ、これまでの平成ライダーヒロインはいずれもあまりしっかりとした描写が成され難い傾向があったため、それを踏まえているとどうしても警戒して観てしまいやすくなるという問題もある。
今回はスパンが短い作品ということもあり、ヒロイン描写が濃厚化した可能性もあるが、どちらにしろなかなか厚みのある描かれ方だと筆者は考える。
尚、今回のラストで南光太郎達の写真を見て夏海が呟いている「自分の世界を見つけたら、士君もこういう表情になるんでしょうか?」というセリフは、直後に「どうだかな。だが、自分の世界を見つけない限り、何も始まらないような気がしてきた」と軽くかわされているものの、後に「〜大ショッカー」のラストで見事に的中している点にも注目しておきたい。
その後の「たとえ士君の世界がどんな世界でも、私はここで待ってますから」というセリフが少し悲しくなってしまうが、その後の士の照れくさそうな態度なども含め、覚えておきたい「いいシーン」である。
それはそれとして、今回の夏海の「士を追いかける夢」のシーンは、別な意味で圧巻だった。
――もう、バインバイン揺れる揺れる!
まさか、あそこまでとは思わなかった!
森カンナ氏、恐るべきスペックの持ち主だと言わざるを得ない……っっ!!
●鳴滝の謎の言動
さて、最終回を経てもまだその正体が不明なままの鳴滝だが、ここに来てその言動が微妙な変化を遂げた点にも注目しておこう。夏海の病室に突如現れた鳴滝の言葉は、それまでと違いディケイドと士の存在を区別したような言い方だった。
まるで“ディケイド”という要因が士をはじめとする様々な存在に絡んでしまったため、(鳴滝の言う)消滅が進むかのような表現だ。
これは、単に(士も含めた意味で)ディケイドをそれだけの害悪的存在だと強調したかっただけなのか、それとも士とディケイドを分けて考える必要性が鳴滝自身にはあるのか、どうとも判断可能でなんとも微妙なところだ。
最終回後に流された12月の劇場版の予告では、ディケイドの背後から組み付くという鳴滝らしからぬ大胆な行動が見て取れるが、その際のセリフ「正体を明かす時が来たな!」というのも含め、これから何か意味が示されていくのだろうか?
【個人的感想】
基本的に昭和ライダー世代の筆者だが、「仮面ライダーBLACK」が特撮離れ状態にあった自分をこちら側に引き戻した代表作品だったため、思い入れはかなり強く、そのため今回の客演情報を知った時は心の底から歓喜した。しかも、BLACKとRXが両方登場するというのだから、これでテンションを上げるなというのは無理な話だ。
前編は自宅で時間前から正座待ち、後編は旅行先でなんとか視聴に成功したが、どちらも思わず手に汗を握ってしまった。
「ウルトラマンメビウス」の客演エピソードの時も、かなり前からテンションを上げつつ放送当日を待つといったことをしていたが、今回はそれとは若干感覚が異なっていた。
なにせ、BLACK達は「ディケイド」世界に合わせたアレンジが施されるのだ。
当然、当時の完全再現を期待するわけには行かないので、微妙な不安も入り混じる。
結果として、加えられたアレンジは期待を損なうようなものではなく、むしろ「よくやってくれた!」と大喜びしたいほどのものだったので安心したが、同時に、筆者の中で固まっていた考えが大きく揺らいだ。
「もし、今までの平成ライダーも、このようにオリジナルの役者が演じていたら……」
これは、今までコラムを書くにあたって、出来る限り封印してきた考えだった。
過去の「ディケイドあばれ旅」では、オリジナルキャストを使用しない事について批判的な事は書かなかったが、もし叶うのであればオリジナルで……という気持ちは、筆者も変わらない。
ただそれは、「ディケイド」の事前情報でキャストが変わるという情報を知っていたからこそ構築された考えで、もし何のネタバレもなく本編を観ていたとしたら、「やっぱり」と思うことはあっても何かしらの反発はしたのではないかと思う。
また同時に、オリジナルキャストによる平成ライダー勢揃いを熱望していたファンの気持ちが、ようやく腹の底から理解出来た気がした。
やはり、当時の演者が出演すれば、それだけで受けるインパクトは変わるのだ。
仮に、やっている事はリ・イマジネイションであったとしても、それだけで何かが大きく変わる。
その片鱗は、DCD電王編やDCD響鬼編でも感じられたわけで、「あばれ旅」でも述べたように、オリジナルキャストのDCD轟鬼による音撃時の掛け声や、DCDモモタロス達の掛け合いなどのかもし出す「独特の味わい」は、それ以外の者ではどんなにがんばっても再現出来ないのだ。
今回の「BLACK RX編」でも、当然全てにおいて当時の完全再現が成されたわけではなく、細かな違和感は付きまとったわけだが、それですら難色を示すファンは居た。
そういう人達は、「求めても得られないと解っていながら」違和感を唱えていたのだろう。
その気持ちは大変良くわかる。
それくらい、オリジナル版とDCD版エピソードは厳しく比較され続けてきたのだ。
今更ではあるが、今回はそれを再認識させられる本当に良い機会になったと思う。
それはそれとして、今回心底感激したのが、倉田てつを氏の演技の変化だ。
これは、「BLACK RX編」内に限定した話だ。
倉田氏は、20年ぶりの演技にも関わらず変身ポーズなど完璧にこなしており、当時と変わらぬ迫力を見せてくれてはいたが、やはり年齢を重ねられたこともあり、当時とはかなり違うイメージが漂っていた。
また、ライダー時の吹き替えも当時とは若干感じが違い、声質も変わり渋く(当時より更に)重い発声になっていた。
筈なのだが。
若返る! 若返ってるよ!
話が進むたびに、ライダーの声も、それどころか南光太郎の表情も顔つきも、どんどん若返ってる!
そんな風に感じさせるほど、倉田氏は当時の南光太郎に戻っている。
25話予告時の「コレジャナイ」名乗り声と、27話クライマックス時の声は、もはや別物である。
また、士に写真を撮られる前後のあの明るい笑顔は、当時我々が各話のエピローグでいつも見ていたものとまったく同じだ。
まさに、奇跡を起こす男!
本当に、時を超えやがった!!
ひょっとしたら本当にキングストーンが埋まっているんじゃないかと思わせるほど、「その時、奇跡」を連発させまくった男、それが倉田てつを氏。
単なる客演だけでなく、ここまで予想外の喜びを与えてくれるなんて、この感動をどう表現すれば良いのだろうか?
それにしても、南光太郎に正式に仲間と認めてもらえた門矢士……なんという幸せ者だっっっ!!