仮面ライダーディケイドあばれ旅 12

後藤夕貴

更新日:2009年8月8日

 「ディエンドの世界」の後にたどり着いたのは、恐らく誰も想像出来なかった「侍戦隊シンケンジャーの世界」。
 これまでは過去の(放送終了した)平成ライダーシリーズと、それに基いたオリジナル世界を巡って来たこともあり、放送中の別番組世界への訪問は大変に奇異で、それでいてとても興味深いものとなった。
 また、オリジナルの「侍戦隊シンケンジャー」の放送とも内容が一部リンクしているという徹底振り。
 何の前情報も持っていなかった人は、「シンケンジャー」番組内で烏賊折神を奪う海東の出現に、どれだけ驚いたことだろうか?

 というわけで、今回は24・25話「シンケンジャー世界編」について語ってみよう。

 尚、今回は「侍戦隊シンケンジャー」の内容を理解されている方が読まれているという前提でコラムをまとめているため、同番組を視聴していない方には、いささかわかり辛い内容になっているが、こちらについてはご容赦いただきたい。
 また、これまではオリジナル版との内容比較は行わなかったが、今回はDCD版という区切りがなく同一作品&同時進行内容なので、「シンケンジャー」側のストーリーにもかなり踏み込んだ考察を行っている。
 以下、本文内で「」に覆われているものは固有名詞ではなく「番組名」としての表記なので、こちらについてもご了承を(以前からそうなんだけど、念のためもう一度)。

●見参侍戦隊:

 今回は、「侍戦隊シンケンジャー」とのコラボ企画ということもあり、細かな映像描写や演出などを除けば、オリジナル・DCD版といった違いはまったくない。
 そのため、両作の比較はあえてオミットさせていただく。

 今回は、  という構成になっていた。
 具体的には、「シンケンジャー」自体はいつものノリで普通に話を展開し、その途中ところどころで「ディケイド」の出演者が登場するという構成だった。
 例えば夏海がテンクウシンケンオーの戦闘を遠目に見て驚いたり、黒子に扮した士が他の黒子に引っ張っていかれたり、また日下部彦馬が接骨院に行ったつもりで光写真館に行ってしまったり(二つの建物が融合したため?)とか、細かな面白さが散りばめられており、特に彦馬の件はそのまま同じ週の「ディケイド」の内容と連続でつながっているという凝り様だ。
 これらの演出のため、「ディケイド」だけを観ていると、なぜか彦馬が光写真館の中に居るという一見脈絡のない展開に驚くという仕掛けになっているが、これは問題点ではなく狙った演出なわけだ。

 対して「ディケイド」は、いつものように「シンケンジャーの世界で起きた出来事を巡る話」といった内容で、同時期に「シンケンジャー」でやっていたエピソードとは基本的に関係のない展開だった。
 つまり、このコラボ期間のシンケンジャーは、同一時期に二つのエピソードを同時進行させていたことになり、対チノマナコ戦(asディケイド24・25話)と対ササマタゲ戦(シンケンジャー第二十一幕)がこれにあたる。
 また、シンケンジャーがお休みだった7月12日の「仮面ライダーディケイド」放送回は、まるでシンケンジャーが番組を乗っ取ったかのような侵食ぶりで、感覚的には一週休みという感じがまったくしなかったほどだ。

 どちらか主体のエピソードに、もう一方がゲスト的に加わるという内容ではなく(※「侍戦隊シンケンジャー」側ではそうだったが)、きちんと双方の物語の融合として描かれていた点が大変面白く新鮮で、また良く練りこまれていた。
 脚本を担当したのは、両方とも小林靖子氏で、物語の構成を重視する氏らしい個性が大変良く現れていたと云えるだろう。

 これまでのコラボ企画というと、「爆竜戦隊アバレンジャー」でやった「釣りバカ日誌」との共演、「仮面ライダー電王」と「クレヨンしんちゃん」の共演等、アニメと特撮によるものが思い出される。
 これらは、今回のものと違いどちらか一方の作品に負荷が集中するということがなく、どちらか一方の作品が「完全な番外編である」としてエピソードを隔離出来る強みがあった。
 なぜなら、両作品は(「ディケイド」の概念とは違う意味で)完全な異世界だという理解が伝わりやすく、また時間軸的な連動を行う必要性がなくなるためだ。
 また、コラボとは言い難いが「秘密戦隊ゴレンジャー対ジャッカー電撃隊」や「スーパー戦隊VSシリーズ」のように、片方の番組が完結していればどちらかの物語上の時間軸は無視出来る上、コラボ相手側をゲストとして扱えるので、現行番組主体のエピソードとして調整しやすくなる。
 こうして考えると、同時期放映でしかも内容的にも進行中の同ジャンル二大作品がコラボを行うというのは、大変に難しいことだと理解出来る。
 見た目の印象以上に高度な構成力が求められるだろうし、内容のバランス調整についても細心の注意が払われて然りだろう。

 部分的な難はあれど、「シンケンジャー世界編」を巡る両作品の構成がとても練り込まれたものだと判断出来るのは、こういった理由が見えるからだ。

●巧みな演出効果

 「シンケンジャー世界編」の面白さは、単なる二作品融合ではなく、“シンケンジャーを知らない「ディケイド」側キャラ”の視点で侍戦隊を見た時の表現と、同じく“仮面ライダーを知らない「シンケンジャー」側キャラ”の視点でディケイドを見た時の反応が、好対照になっていた点だ。
 これはコラボ作品ならではの特徴的な面白さだが、今回はこれがふんだんに発揮されていた。
 黒子が準備した場に袴姿で現れ、ショドウフォンで変身する五人の様子は、「シンケンジャー」を観慣れた人ならなんてことのない普通の場面だが、ことこれが「ディケイド」内で行われていると、その様子を眺めている夏海・ユウスケとの意識の共感が生じ、違和感がない筈なのに違和感を覚えるという奇妙な感覚にとらわれる。
 残念ながら、士は「シンケンジャー」内でディケイドに変身しなかったため、これと反対の例は生じなかったが、こういった素朴な楽しみ方が出来るのは本当に嬉しい。
 加えて、今回ユウスケもDCDクウガに変身して戦っているのも見逃せないポイントだ。
 皮肉なことに、その変身頻度の低下により「ディケイド」内でもレア化し始めた感のあるDCDクウガだが、これがシンケンジャーとの共同戦線で登場となると、良い意味での違和感が引き立つ。
 まして、鳴滝の言葉を真に受けるなら、彼もこの世界では不要な仮面ライダーなのだ。
 今回はこの表現があったため、「その世界の守護者」と「存在を望まれない者」との共闘が引き立つという実に素晴らしい演出が生まれた。
 更に更に、ここに本来の主役であり、もっとも望まれない存在である士asディケイドが参戦する。
 「おいおい、主役の登場を盛り上げ過ぎだろ」という士の言葉は、まさに的を射た表現だ。

 他にも、細かい所に小技が利いていて感心させられることが多いのも、「シンケンジャー世界編」の大きな特徴だ。
 「シンケンジャー」の設定に沿って、ディエンド化したチノマナコの隙間から次々にナナシが現れるシーンや、コンプリートフォーム&電王ライナーフォームの電車斬りで敷かれる光のレールを一瞥し、斬撃の軌道を先読みして縦方向に避けるチノマナコ(ちゃんと一瞬足元を視認している)、また電王ソードフォームへのカメンライドを利用し、周囲を旋回する装甲でチノマナコの目玉弾を弾きながら変身を敢行したりと、大変説得力の高い(同時にニヤリとさせられる)演出が多い。
 ライドブッカーで銃撃を行いチノマナコの目玉弾を弾き、変身中の無防備状態をフォローするという“変身前から武器が出現している”というディケイドの特徴を上手く活かした戦法も上手い。
 「シンケンジャー」劇中でもあった“肩に刀を担ぐことで腕の疲労を緩和する実戦時の対応”のように、戦況を想定した上で描かれている場面であり、こういったものはキャラクターの能力の高さを知らしめる最良の方法の一つだ。
 今回だけとは言わず、こういうイカス演出は是非積極的にやって欲しい。

 その他、こういったエピソードだといかにも率先して何かやらかしそうな血祭ドウコクが、第十九幕以降しばらく登場しなくなっている点も興味深い。
 偶然かもしれないが、もしこれも計算の上で行われた演出であるなら、なかなか大したものである。

●それでも目立つ問題点

 娯楽に徹した感の強い「シンケンジャー世界編」だが、ツッコミ所がやたらと多かったのも特徴だ
 一応、目に付いたおかしな点にもきっちり触れていこう。

・すべての要因は海東? だが、本当に悪いのは……

 前回メインだった反動なのか、今回の海東は過去にないほどマヌケな扱いだったが、それにより引き起こされた影響は色々な意味で大きかった。
 海東の行動が発端になり、アヤカシがライダー化する(その影響で被害が拡大する)という物語的な意味での失態については構わないだろう。
 確かに、「イカちゃん返せ」騒動を引っ張り過ぎたため、源太が単なる騒がしいだけのギャグキャラにしか見えないとか、流ノ介含むメインの四人のキャラが相対的に薄くなるといった悪影響もあったが、それでも海東の失態や問題はまだ「演出上組み込まれた物」の範疇を逸脱してはいない。

 本当に問題だったのは、海東ではなく、むしろ源太の方だ
 今回の彼の行動のせいで、「シンケンジャー」側に不自然な点が発生してしまっているのは無視し難い。
 
 今回の物語は、シンケンジャー側の負担が大きくなる(言い換えれば、構成上無理のかかる)内容だ。
 なにせ、水涸れを起こさなくなったアヤカシ・チノマナコが現世をうろついているだけでとんでもない状況なのに、そこに加えて大勢の人間を凶暴化させる能力を持つササマタゲが活動し、しかもこれの影響でファミレス立て篭もり事件を起こす者まで現れ、千明と茉子が大きな行動制約を受けるという展開に発展したのだ。
 二つのアヤカシが同時に現世で暗躍している上、その一方が水涸れなしで更にパワーアップまでしているという、今後の「シンケンジャー」でもどれだけありうるだろうかというくらい危機的な状況と云える。
 仮に、丈瑠以下メインの四人がこれに同時に対応した場合、それだけで相当濃い内容になってしまい、ディケイド側メンバーを絡めたドラマなど、恐らくやっているゆとりはなくなってしまうだろう。
 これを避けるために、今回は「シンケンジャー側がチノマナコの出現に途中まで気付かない」という荒業を行った。
 「シンケンジャー」第二十一幕を中心に今回のコラボ企画回を見てみると、丈瑠・流ノ介・ことはの三人は、途中寄り道して事件に巻き込まれた千明からの連絡でササマタゲの出現を知りこれに対応出来た(隙間センサーが反応した可能性はあるが画面上にその描写はない)が、チノマナコの存在には「ディケイド」25話の最初辺りまで気付いていない。
 それまでチノマナコに対応したのは主にディケイド組で、当初の時点では士と丈瑠の接点がほとんどなかった事もあり、士からチノマナコの情報がシンケンジャー側に伝わらなかった事については不自然な点はない。
 見方を変えれば、シンケンジャー側をあえていつもより鈍感にすることで、第二十一幕と24話での立ち回りをスムーズにさせようとしたわけだ。
 その間、野放しのチノマナコにはディケイドが対応しているわけで、結果論としては特に問題ないように思える作りだった。

 しかし、ここにチノマナコがディエンドライバーを奪う現場に立ち会った源太が加わることで、話がややこしくなる。
 今回の源太は、海東に烏賊折神を奪われたため大きく冷静さを欠いてしまい、なんと「アヤカシが出現した」ことを丈瑠達に報告しないという大失態をやらかしている。
 それどころか、対ササマタゲ(二の目)戦では戦闘をとっとと終わらせ、自ら提唱した一本締めすら省略して烏賊折神奪回に戻ろうとするなど相当な慌てぶりで、完全に周りが見えていない。
 展開の都合上、あの時点で丈瑠達にもう一体のアヤカシの存在を伝える訳にはいかないという事情は察することが出来るが、それにしてはあまりにも不自然過ぎる。
 源太は、チノマナコの乱入により海東からの折神奪回を邪魔された経験があるため、むしろ丈瑠達に報告を入れておいた方が本人にとってもメリットが大きい筈だ。
 まして、チノマナコは時間制限なく無差別に人間を襲えるわけで(実際に25話Aパートで襲っている)、源太もそれを知っているからこそシンケンゴールドに変身して対応したわけだが、だとすると、仮に彼がチノマナコを倒した場合、二の目発動による巨大化も容易に想像出来たわけで、益々丈瑠達に知らせない理由がない。
 それどころか、むしろ知らせておかなければ周囲的にも自分的にもデメリットしか生じない筈だ。
 果たして、源太はそこまでアホンダラな性格だっただろうか?
 「大切なものを奪われたので頭に血が上ってました」というのを言い訳にするには、今回の源太の行動はあまりにも不自然過ぎた。
 あえて言うなら、二大アヤカシ襲来にシンケンジャー側が翻弄されないようにする言い訳の帳尻合わせのツケが、源太だけに回ってきたといったところか。
 
 チノマナコとの決着はディケイド&DCDクウガとシンケンジャー全員による共同戦闘で着けているので、確かに結果としては最良の終わり方ではあったかもしれないが、「シンケンジャー」と「ディケイド」の合間で相当な被害が出ている可能性があるという描写もしっかりあったため大変困ったことになるわけで、しかもその要因にシンケンジャーのメンバーが関わっているとなったら、これはもう無視出来ないほど大きな粗だ。
 これは、あまりにもお粗末過ぎたと言わざるを得ないだろう。
 まあそれでも、チノマナコの存在が皆に認知された後のシーンでは、源太は丈瑠にちゃんと出動要請を行っているため、ぎりぎり面目躍如を果たしたと云えるかもしれない。

 そのチノマナコもチノマナコで性質が不自然に変化してしまったが、これについては別な問題が発生しているため、詳しくは後述する。

 それはともかく、今回の鳴滝の「ディケイドが介入したせいで、ライダーのいない世界に初のライダーが生まれてしまった」という言葉は、さすがに難癖以外の何物でもない。
 これについて、一切擁護の余地がないほど海東がすべての原因であり、士asディケイドはなーんにもしていないし、わざわざ白フチで隔離されるいわれは全くなかった。
 せめて、海東が士達より遅れてこの世界に来ていればまだこじつけも可能だっただろうが、それすらなかったためどうしようもない。
 世間では「実は重度のプリキュアマニア」「本当はプリキュア世界の住人」とまで言われ始めた鳴滝。※1
 この次の世界でも、大ショッカーの出現(活動開始)の責任を士に押し付けるという、奇怪な言動が迸っていた。
 これからは、どんどんおかしくなっていく彼の言動を楽しんでいくのが正しい姿勢なのだろうか。

※1:「仮面ライダーディケイド」の公式サイト上で、鳴滝が「フレッシュプリキュア」のイベント情報を紹介している記事があり、その中でプリキュアにかなりご執心と思われる記述が含まれていたため、一部のファンが意図的にこじつけたネタ的な見解である。

・チノマナコは何故水涸れしなくなったのか

 これは一見些細な粗のように見えるので、本来なら無視しても良いところなのだが、気になる部分も見えるのであえて踏み込んで考察してみよう。

 一見すると、この件はチノマナコがディエンドライバー(変身能力)を手に入れた影響で水涸れがなくなったとも捉えられそうだが、実際には初変身をする前の時点で、骨のシタリによるツッコミが入れられている。
 つまり、チノマナコの水涸れ遅延についてはディエンドライバーの機能はまったく関係なく、劇中での説明(または推測される理由提示)が存在していないことになる。
 「シンケンジャー」では、三途の川からやってくるアヤカシは体内に川の水を含んでいないと現世で活動出来ず、滞在時間が長くなると“水が干上がり”身体を維持出来なくなってしまう(そのため高頻度で三途の川に戻らなければならない)という設定を持っており、これにより戦闘シーンが細切れになってもさほど問題がない作りになっている。
 更に、このアヤカシ側の不具合を解消するため「人間に苦しみや悲しみを与えて三途の川の水位を上げ、溢れさせる(現世を支配する)」という最終目的を引き立たせている。
 これについては、第二十三幕の劇中で現世に水が溢れるシーンを出すことで、決して気の長い作戦ではない事を知らしめていた。
 加えて、戦闘の合間にキャラクター同士の関わりや心情表現の場面が設けられるようになっており、大変良く考えられている。
 逆に言えば、水涸れがなくなったアヤカシというのは、「シンケンジャー」世界にとってはそれだけでかなりの脅威ということになる。
 ましてチノマナコはディエンド変身態となって強化されている上、恐らく耐久力も高まり、更には「カイジンライド」「カメンライド」をも使いこなし一方的な戦力増強が可能となった。
 更には、顔や胸の隙間からナナシまで大量召還するわけで、従来のアヤカシとは比較にならないほど危険な存在だ。
 これだけの者が無差別に暴れ回っていながら、先述の通りもう一体別なアヤカシが登場し、あまつさえ多数の人間を凶暴化させるといった作戦を展開しているのだ。

 これだけの大変化を遂げた理由が不明瞭のままというのも奇妙な話だが、一番の問題は「隙間センサーにすら反応しなくなった」という点だろう。
 実は、チノマナコはディエンドライバー強奪前から隙間センサーに反応していないという、おかしな描写がある。
 しかも、出現した時には丈瑠と彦馬が屋敷内の広間(隙間センサーのある所)でケンカをしている真っ最中だったので、センサーに気付けなかった筈はない。
 「シンケンジャー」では、必ずしもアヤカシ出現とセンサー反応が同一ではなく、第二十一幕でもササマタゲ出現時の反応描写がなかったりするが、同じ回のラストではディエンド化したチノマナコからナナシが出現したのとほぼ同時にセンサーが反応しており、この回だけ特別だったという言い訳は通用しない。
 その後、この反応がナナシ出現のみだと判断したシンケンジャーが、一旦撤収を考慮しつつもシンケンレッドの命令で周辺再調査を行い、結果ササマタゲ出現の展開に繋がる流れは見事だが、どちらにしろ、チノマナコだけがやたらとシンケンジャーのマークから外れてしまう展開が、あまりにも強引過ぎるのだ。
 「シンケンジャー」では、アヤカシが出現すると屋敷内に設置された“神社の鈴の緒とおみくじを模した「隙間センサー」”というものが反応する。
 具体的には、鈴が勝手に鳴り、おみくじの箱から自然に「アヤカシの出現場所」を記したメモのようなものが出てくるという、異様に怪しいシステムだ。
 隙間センサーはシンケンジャーにとっては重要なもので、これなしではアヤカシ出現の場所にたどり着く事すら難しい。
 第十九幕にて、現世に出現した骨のシタリが結界を張り隙間センサーが反応しなかったことがあったが、それ以外は問題なく機能している。

 恐らくは、チノマナコはディエンドライバーを手にしたことでアヤカシではなく(この世界初の)仮面ライダー“という異質な存在”になったため、隙間センサーも無反応になり水涸れもなくなったという事にしたかったのだろう。
 また、その説明のために鳴滝による言葉や、骨のシタリの水涸れに対するツッコミが必要となったのだと思われる。
 ついでに言えば、「ディケイド」内で長々と水涸れの理屈を説明するのもアレだと解釈されたのかもわからない。
 しかし、いくら鳴滝やシタリが説明したつもりでも、彼らの発言が劇中でどれだけの説得力を成すかを計算していなかったのは誤算だ。
 鳴滝の発言は、もはや士を無意味に貶めるだけの言いがかりレベルであり、その言葉に意味を求められてはいないだろう。
 またシタリについても、「何故水涸れしないんだろう?」という疑問を唱えただけで、チノマナコに起きた変化を納得させるのは難しい。
 せめて、シタリのツッコミがチノマナコ変身後であれば話も違ってきたのだが。
 それを別にしても、ビジュアル的に説得力が薄いという問題もある。
 ディエンド変身態は、チノマナコ時にも、海東変身時にも存在しない口と歯が出現し、全体的に禍々しい突起やうねりが生じており、どう贔屓目に見ても「ディエンドライバーの性能を取り込んだアヤカシ」にしか見えない。
 これでは、鳴滝が言う「この世界初の仮面ライダー」というのは、“アヤカシが仮面ライダーっぽくなった”事を指すのか、それとも“本質的に別物になってしまった”事を意味するのか、全くわからない。
 脚本的には後者なのだろうが、それにしては説得力が薄すぎる。
 せっかく着ぐるみを新造? してまで演出したのに、それがかえって説得力を薄くしてしまうというのは皮肉でしかないが、これらによりチノマナコを巡る状況が意味不明っぽくなってしまった点は、無視し難い。

 とはいえ、ここまでは企画進行と従来の物語構成との兼ね合いで必然的に生じる粗であり、極端に問題視するのはいささか野暮と言わざるを得ないだろう。
 今回は「ディケイド」と「シンケンジャー」の世界融合を魅せる、というのがお題目だから、多少のズレや不自然な点は許容するのが正しい視聴姿勢ではないだろうか。
 元々、「ディケイド」自体平成ライダー10周年のお祭りみたいな作品なのだし、今回の企画は「シンケンジャー」がお祭り要素の影響を受けて若干変質したと考えるのが自然なのだろう。
 まして、「ディケイド」側で観た場合はさほど大きな問題点は発生しておらず、きちんと「現役の戦隊をゲストに迎えた」エピソードとして完成されているのだ。
 7月19日放送分の「スーパーヒーロータイム」を一括りにして観れば、充分面白いものだったと言い切っても過言ではないだろう。

 むしろ説明を要する部分はこの後にあるのだが、それについては後の項で触れる。

・士に対する丈瑠の判断は正しいのか?

 シンケンレッド・志葉丈瑠は、スーパー戦隊シリーズでもかなり珍しい「無口で冷静沈着な実力派」であり、年齢の割には高い洞察力と判断力を持ち、「シンケンジャー」本編中でも大変頼り甲斐のあるリーダーとして描かれている。
 また、口ばかりではなくその実力を裏付けるだけの努力や経験の積み重ねもしっかり描写されているため、所謂「設定に振り回されているキャラ」に堕していない。
 ただ、この設定のために表情の変化や態度だけで感情表現をしなければならないという条件もあり、場面によってはいささか伝わりが悪く感じられることもあった。

 だが今回は、これがかなり大きく出てしまった。

 丈瑠は、「ディケイド」内でも珍しい“鳴滝からディケイドの警告を受けるシーンがきっちり描かれた”キャラだ。
 その際、鳴滝に対するいぶかしげな態度を見て取ることは出来たが、その後のディケイドas士に対する考え方・態度は、かなり伝わりが悪かった。
 否、正確に表現するなら、「鳴滝と士に対する考え方は態度からなんとなくわかるが、それが彼の中でどのように変化したのかが伝わりづらい」。
 劇中では、丈瑠と士の会話のほとんどはガンの付け合いであり、また士も無駄に挑発めいた口調で語る事も加わり、実際に丈瑠が彼をどのように捉えているのかがイマイチ不明瞭なのだ。
 というか、今回に限っては無口過ぎた。
 そのため、戦闘シーンで「士、俺はお前を破壊者だとは思ってない」とか「(ディケイドの「根拠は?!」に対して)ない。――強いて言えば侍の勘だ」とか言われても、なぜそうなのかがストレートに繋がらない。
 まあ、シンケンジャーとディケイドが協力体制を敷いてチノマナコに挑まなければそもそも話にならないため、多少の補正がかかるのは結構なのだが、今回はシンケンジャー側キャラ間のやりとりが(「ディケイド」内で)妙に少ないことも関係し、彼らにとっての“仮面ライダー評”がよくわからないまま話が進んでしまっている点を留意したい。
 もし、丈瑠が他メンバーと「仮面ライダー(または士asディケイド)について」考察を語るシーンなどがあれば、この辺はフォロー出来るだろうし、丈瑠の心情変化もより伝わりやすくなる。
 或いは、丈瑠が最初から士を疑っていなかったという場合でも、これを裏付けるものになっただろう。
 もし、夏海の激怒シーンが丈瑠の心情変化を促す場面として用意されたのだとしても、それだけでは少し足りていない。
 何故なら、この時点で丈瑠はシンケンレッドであり、マスクのせいで肝心の表情の変化すら見て取れないからだ。
 今回は、ヘタに鳴滝との接触を描いてしまったため、これまでのエピソードでは要約が許された「鳴滝の言葉を聞いたキャラがそれをどう消化するか」という表現がオミット出来なくなってしまったのだが、その影響を計算に入れていなかったのは失敗だった。

 第一、いかにも胡散臭そうなおっさんがボソボソと意味不明なことを呟いているだけでも不気味なのに、そいつが怪しい次元移動で姿を消すのだ。
 普通なら外道衆との関連を疑うか、その範疇の何かだろうと考えるのが自然だろう。
 「シンケンジャー」本編内であれば、鳴滝に対する推察も行われたかもしれないが、最近単なる意味不明親父となってしまった鳴滝は、「ディケイド」においては「いつもの台詞が終わったら後はスルーしてもいい」みたいな空気的存在になってしまっている。
 その感覚を今回も継承してしまったせいか、それに接触した丈瑠自体もおかしく感じられてしまうという悪影響が出たわけだ。

 尚、丈瑠以外にも心情がよくわからないメンバーがいたりするのだが、それについては後述しよう。

・DCDクウガの登場に何故誰も驚かない?

 今回、DCD響鬼編以来の変身を見せてくれたユウスケ。
 しかも、きっちり戦闘に参加して、シンケンブルー&イエローと共にイーグルアンデッドを倒している。
 また、マイティキックをロングで映すという、過去あまりなかった構図もあり、(いささかマヌケにも見えたが)面白い試みが行われていた。
 シンケンジャーの面々に混じってチノマナコ達に挑んでいく姿は妙に溶け込んでいて、違和感がほとんどなかったのも意外だ。
 更には、ユウスケの協調性の高い性格が幸いしてか、あっさりと連携攻撃をこなせていた点も高評価したい。

 だが、その見せ場に入る前、とてもおかしな場面がある。
 ユウスケがDCDクウガに変身して参戦した際のやりとり。

ク「手伝いに来た! いらないかもしれないけど……
水「いや、助かる!

 シンケンブルーをはじめ他のメンバーは、どうして突然出現した「初出の仮面ライダー」を全く警戒しないのだろうか?
 確かに、流ノ介達は一度ユウスケと面識を持っているし、彼が士asディケイドに理解を示す立場だということはわかっているだろうが、その本人も仮面ライダーであることは知らない筈だ。
 また、今回の「シンケンジャー世界」では、ディケイドだけが脅威とされているわけではなく、「仮面ライダー」そのものが異分子として扱われている点を忘れてはいけない。
 というか、あの世界では(今回のエピソードに限定すれば)戦隊メンバーとアヤカシ以外で「変身して戦う能力を持つ」存在自体が本来存在しないものとなっていた筈だ。
 だからこそ、チノマナコがディエンドライバーで変身した際に「それまで(のシンケンジャー世界で)はありえなかった脅威」として扱われたのだ。
 そういう見解では、ユウスケasDCDクウガも同類だ。
 難しい理屈は抜きにしても、いきなり見たこともない異形の存在が参戦してきたら、それがたとえ知人でも警戒はされるだろう。
 せめて、シンケンジャー側の誰かに「君もライダーだったのか?!」と突っ込ませるくらいはやるべきだっただろう。
 それだけでも、シンケンジャー側の心象が変化した様子がなんとなく伝わる。
 戦闘シーンを目前として、あまり悠長に尺を取れないという事情はわかるし、あの状況で長々とライダーについての問答をやられてもさすがに困るが、もう少し「三番目のライダーが存在している」点に触れるだけでも、より深みは出ただろう。

 このように、シンケンジャー側は丈瑠や彦馬、源太以外のキャラの描写が妙に希薄で、キャラクター性が不明確になっている点がまずかった。
 光写真館の中のドタバタシーンでは、各シンケンメンバーがそれぞれ個性的な動きや発言を行ってはいたが(丈瑠を身を挺して守ろうとすることは等)、これらは「シンケンジャー」を見ていて初めて繋がる情報要素に過ぎず、「シンケンジャー」を知らない人には何にも伝わるものがない。
 丈瑠・彦馬・源太を引き立たせるために、それ以外の四人をあえて没個性化させ、細かな発言と態度でキャラクター性を感じさせようとした可能性も充分考えられるが、その場合それぞれの思いや考えが上手く伝わるとは言い切れない。
 事実、先で挙げたようにDCDクウガに何の疑問も抱かないなどの違和感が生じるのだ。
 あれだけ個性的な面々が集まっているシンケンジャーなのだから、せめてもう少し個性を強調させ、「場の雰囲気に流されているだけ」ではないということをきっちり示すべきではなかっただろうか。

・烈火大斬刀のカードの存在意義は何か?

 今回かなり意味不明だったのが、この突然湧いて出た「烈火大斬刀のカード」の存在意義だ。
 いつものライダーカードのように、当初は使用不可能の状態で出て来て、なし崩し的に利用可能となるという、よくわからないものだった。
 しかも、ブレイドブレードと併せて二大巨大武器による決着という、それだけ聞くと凄く燃えそうなシチュエーションにも関わらず、実際に使ってみたらかなりションボリな映像だった。
 その手前でやった、本来前座である筈のコンプリートフォーム&ブレイド・キングフォームによるFARの方がまだ迫力があるという、かなり惜しい締めになってしまった。
 今までのライダーカードも有耶無耶のうちに使えるようになったりするケースが多かったので、その点について烈火大斬刀だけ責めるわけにはいかないが、実質的にはシンケンレッドとの武器交換アタックに用いただけというもので、異常なほど必要性に乏しい。
 これはいったい、何だったのだろうか?

 分析すれば、一応このカードを使いたかった理由はすぐわかる。
 「ディケイド」では、訪れた世界のメインライダー(今回はシンケンレッドがこれにあたる)との絆を構築することで、半ブランク状態となったカードにライダーの意匠が蘇り、フォームライドやアタックライド、ファイナルフォームライドの能力が手に入る(戻る)。
 だが相手が現在放送中の番組のキャラクターの場合、これらと同じように扱うことは難しい。
 今までの世界を振り返ると、FFRで変形した物はそのDCDライダーが属する世界には存在しないものというのが前提らしく、或いは同型のものがあっても完全な別物として扱われるようだ(DCDカブトやDCD響鬼の例)。
 この条件を今回の世界に当てはめてしまうと、シンケンレッドを烈火大斬刀に変形させた場合「シンケンジャーの世界には烈火大斬刀が存在していない」事にされてしまう危険もある。
 まあ、これはやや極端な見解だが、どっちみちシンケンレッドをFFRさせるとか“迂闊に関連商品が増えてしまいそうなこと”はやれないのだろう。
 そういう条件化でシンケンレッドとの絆を証明するとなると、シンケンレッドの代表的な武器などをそのまま使用させた方が簡単だろうし、支障は少ない。
 また、シンケンレッドにディケイドの武器を渡せば「お互いの武器を交換して戦う」という、「助け人走る」でも有名な燃えポイントをも稼げるわけで、メリットも大きくなる。
 そんな考えはあったのではないかと想像出来る。

 ただ、それぞれの武器を交換する理由が皆無だったのは致命的にまずかった。
 今回は、使用不能になった烈火大斬刀を取り戻すなどの展開があるわけではなく、シンケンレッドは普通にシンケンマルから変形させようとした。
 そしてディケイドは、何の説明も理由もなく、それを横から強奪した。
 しかも、「烈火大斬刀のカード」は強奪後に能力が覚醒している
 チノマナコからの攻撃も止み、しかも距離がかなり空いた状態で悠々と武器を準備するゆとりがあったにも関わらず、そんな無意味なことをしてしまう。
 あまつさえ、チノマナコが召還した仮面ライダーブレイドをFFRで変形させ、それをシンケンレッドに押し付ける。
 当のシンケンレッドも、それについて異議を唱えるわけでもなく、ただ成り行きに任せているだけだ。
 その後、二大巨剣で一緒にバッサリ、という味も素っ気もないトドメを刺すわけだから、盛り上がろうにも盛り上がれない。
 それによく観ると、ディケイドはブレイドブレードのFARすら発動させていない
 敵の召還ライダーをFFRで変形させ、敵戦力削減と武装の追加を同時にこなすというアイデアはかなり秀逸だったが、せめてその手前でシンケンレッドが烈火大斬刀を取り落とすとか、或いは(シチュ的に無理があるのは承知だが)ブレイドに烈火大斬刀を奪わせる→取り返すという流れにするとか、弄り方はもっとあったと思う。
 こういう、あとちょっとの味付けで大きく化けるかもしれなかった残念な場面がちらほら見えてしまうのが、「シンケンジャー世界編」でとても残念だったポイントだ。

 が。
 実はここにも、もう一つ重要なポイントがある。
 アヤカシは、倒されると巨大化するという前提が豪快に無視されたことだ。
 「シンケンジャー」では、アヤカシは一の目・二の目という二つの命を持っており、一の目(等身大)の命が尽きると自動的に二の目(巨大化)が発動し、巨大ロボ戦へと突入する。
 当然、チノマナコもこの条件に当てはまる筈で、しかも一の目が尽きた時にディエンドライバーを手放した(というか身体が吹き飛んでこれだけ残された)ため、本来の姿で二の目が発動する筈である。
 これを何の説明もナシにオミットするのは、さすがにどうかと思われる。
 これが、過去の戦隊シリーズのように第三者による巨大化指令の影響であるというなら、多少の無理はあっても割り切りは難しくないだろう。
 だがアヤカシの巨大化は自動的に発生するもので、現状制御の方法はない。
 先にも触れた通り、チノマナコはなぜか水涸れしなくなったり、隙間センサーに反応しなくなったが、まさかそれが「戦闘後も巨大化しない理由(外道衆にもわからない何か奇妙な変異が発生している)」にまでこじつけているとしたら、いくらなんでも強引過ぎるし、片手落ちも甚だしい。

 誤解のないように述べておくと、決して「ディケイド」でも戦隊シリーズのような巨大化戦をやるべきだと唱えたい訳ではない。
 ただ、オートで作動する巨大化システムを備えている敵と、それを数多く倒してきた戦隊がいるのだから、何かしらの解りやすいエクスキューズが必要だと言いたいのだ。
 まあ一番無難なのは、ディエンドライバーによる変身によってチノマナコがアヤカシとはまったく異質な存在になってしまった事をより深く示しておくなどの対策を講じておくことだろうが、これもヘタに扱えば「では海東はどうして平気(人間のままでいられる)なのか?」というツッコミを招きかねず、さじ加減が難しい。
 どっちにしろ、「シンケンジャー」では戦闘第二幕開始のきっかけとなる“等身大撃破”について、何のフォローもなしという構成は一考すべき余地があったのではないか。

・果たして今回は必要なエピソードだったのか?

 今回最大の問題点は、これだ。
 シンケンジャーと共闘するという時点で、このエピソードは他にない特殊なものであるということを匂わせてはいたものの、それで全ての視聴者が「じゃあ今回は特別編ということでノーカンだな」と納得出来たわけではない。
 同時放送中の他番組とのコラボをやれば、メインストーリーの進展が停止して良いというわけではない。
 このように、今回の「シンケンジャー世界編」を厳しく批評する視点もある。

 全31話の「ディケイド」における24・25話は、これ以上ないほどの終盤であり、この時点でまだほとんどの解決を見ていない本作にとって、とても貴重な尺だった筈である。
 ましてや、この前の4話では説明されて然るべき情報がまったく公開されないまま無駄に流されてしまったという、かなり手痛いマイナスも生じている。
 事実、WEB上でも「こんなのやってるゆとりがあるのか?」という意見はかなり散見出来た。

 確かに、別作品同士のコラボレーションというのは魅力的だし、何より「ディケイド」が目指しているお祭り感に沿うものなので、やる意義は大きかったと思う。
 それに、完全に無駄なエピソードだったと切り捨てるには、あまりにももったいなさ過ぎる。
 しかし、それならば尚更「シンケンジャー編」内の構成を熟考しなければならなかった筈でもある。
 単に「シンケンジャーと共演するよ!」というのを売りにするだけでなく、そこに加えてプラスアルファを持ち込むべきだったのでは?
 せっかく鳴滝の描写を増やしたり、変身と攻撃を同時に行ったりと興味深いことを沢山盛り込んでいるのだから、この辺りにも気を配って欲しかったものだ。
 この後の6話に重要要素を集中させるという手段があるといえばあるわけだが、こうやってヘタにゆとりを見ていると結局寸足らずで結末を迎えてしまうというのも、平成ライダーシリーズの悪い癖だ。
 過去シリーズを多く観ていればいるほど、この期に及んでのこの展開に「ちゃんとオチるのか?」と不安を掻き立てられるという人は間違いなくいるだろう。

 とはいえ、これらは観る側が気にしなければそれっきりという点でもあるため、決定的な難点というわけではない。
 あくまで、そのような別角度による評価もあるということで、例に挙げた次第。

●夏みかん

 今回、シンケンジャー側とは別に注目したいのが、光夏海の言動や行動だ。
 夏海は、これまでかなりブレの大きな動きをしていたため、エピソードによって印象がチグハグになりがちだったが、今回と、続く「BLACK RX編」では比較的統一感の取れた描写がなされていた。
 よく忘れられがちだが、実は夏海は劇中唯一“士のことを心配している”ことが明確に表現されているキャラクターで、「BLACK RX編」でユウスケが「母は強し!」と茶化すのも頷ける。
 計12もの世界を巡り、「破壊者」といういわれなきレッテルを貼られながら(異論はあろうが)それぞれの世界を救済してきた士に対し、夏海なりに想うことがあったのだろう。
 これまでも、鳴滝に反発したり士の素性を考察したりという描写はあったため、ついに堪忍袋の緒が切れた的な怒り方には説得力があった。
 今回のラスト、栄次郎と彦馬のやりとりを見た夏海が「帰りを待つ者」になる重要さと、士にとって帰るべき場になろうと決意した場面はとても微笑ましく、同時に心温まるものがあった。
 士は相変わらずの態度だったが、その後の動きを見る限り、やはり大きく心が動いたのだろう。
 この辺がしっかり描かれていたおかげで、次の「BLACK RX編」でのパーフェクター争奪戦が映えてくる。
 このように、それまで小出しだった要素を一気に凝縮させ、キャラの個性を確立化させるのと同時に次へと引き継いでいくという構成は、素直に素晴らしい。
 こうなってくると、惜しむらくは「ネガ世界編」「ディエンド世界編」での大きなブレだが、これについては今更どうでもいいだろう。

 とにかく、ここに至ってようやく夏海というキャラクターが活きてきた感が強い。
 このまま上手くキャラを引き立て続け、堂々たる「ディケイドのヒロイン」に昇華して欲しいと筆者は真剣に思う。

 色々課題は残ったものの、「シンケンジャー世界編」は今までにない面白い企画であり、大変見所が多く、かつ「シンケンジャー」「ディケイド」の両方に注目させようという目論見が上手く活かされていた。
 これについては、掛け値なしで評価してもいいと思われる。
 残念ながら、まったくの他作品要素が割り込むことを良しとしない人や、戦隊好きでライダーが嫌いな人、またはその逆の人にはあまり良い評価は得られなかったようで、それは残念というしかないだろう。

 どちらにしろ、今回のような手法は異世界を巡る設定を持つ「ディケイド」だからこそ出来たものであり、恒例行事にするのは難しいと考えられる。
 仮に、来年以降も戦隊とライダーのコラボを行うのであれば、まずそれを可能とするための大前提から準備しなければならない。
 戦隊のVSシリーズのように、何の脈絡もなく共通世界化するのも可能ではあるだろうが、それだと逆に力技っぽ過ぎて違和感が出るかもしれない。

 ともあれ、二作品お互いの魅力と面白さを拡張し合うということで、一度だけの特別編と割り切って観る分には、今回はとても理想的な内容だったのではないだろうか。
 「ディケイド」は平成ライダー10周年のお祭り番組的な意味合いがあるが、その中で更なるお祭りがあった。
 異論もあるだろうが、そういう割り切りが許容された中でこそ存在しえた「シンケンジャー世界編」だったのではないかと、筆者は思っている。

【個人的感想】

 初めてこの情報を聞いた時は、妙な納得感と同時に大きな期待感も覚えた。
 そして、実際にそれだけの手応えはあったと思う。
 確かに、先までの問題点や尺の点は気になりはしたが、難しい事は抜きにして単純にビジュアル的な面白みを堪能出来た。
 単なる映像としてのコラボなら、これまでもカブト&ボウケンジャーを代表する「スーパーヒーロータイム」のコーヒーブレイク的なものもあったので、特段新鮮味は感じなかったが、エピソードとしてもしっかり絡んでいる上で長い戦闘シーンが描かれているという点は、やはり純粋に興味深いし面白い。
 また、比較的安心して観ていられる内容だったことも、評価出来るポイントだと考えている。
 細かい理屈や設定はおいといて、とにかくエンターテイメント的な楽しさを優先させ、それでいて士や丈瑠を中心にサブキャラにもちゃんとスポットを当てているので、うわべだけの面白さになっていないわけだ。
 「シンケンジャー」と併せて観ると、昔懐かしいマルチサイト視点のストーリー構成を楽しめるのも嬉しい。
 さすがに毎年乱発されると飽きそうではあるが、たまにこういったお遊び的企画が行われるのは、個人的に大歓迎したい。
 それにしても、可愛いよ、ことは可愛いよ。

 今回は、次の「BLACK RX世界編」に至るまでの前祝い的な感覚があった。
 これは、決して「BLACK RX世界編の前座」と考えているという意味ではなく、個人的に思いいれの強い「仮面ライダーBLACK RX」出演で燃える手前に、軽くバーニングしておきたいという意向があったという意味だ。
 どちらも質の違う燃え要素や楽しみ方があるわけだが、そのどちらも違和感なく内包出来る「ディケイド」という番組の幅広さに、改めて驚かされたような気分だった。

 さて、いよいよ次回は「BLACK RX世界編」。
 倉田てつを氏がゲスト出演、本物の南光太郎が登場!

 しかも、その内容はファンの期待の遥か上を行ってしまった!!

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