仮面ライダーディケイトあばれ旅 4

後藤夕貴

更新日:2009年3月28日

 第6・7話は、「仮面ライダー龍騎」編。
 ライダー裁判という、いったい何を食べたらそんな発想が出てくるのかという、良くも悪くもトンデモな新規設定を盛り込んだDCD龍騎世界。
 今回は、どうやら相当ツッコミ所が多そうな気配だが…?

●龍騎ワールド

 ディケイドが三番目に辿り付いたのは「龍騎の世界」だったが、今回は以前のDCDクウガ・キバ世界をも凌駕するほどのアレンジが加えられていた。
 既に命を失くしている妹に本当の生を与えるため、神崎士郎が行なう“儀式”だったオリジナル版と大きく異なり、DCD版は「事件関係者や検事・判事がライダーに扮してミラーワールドで闘い、最後まで生き残った者が判決を下せる」という、なんとも恐ろしい世界観とされた。
 とりあえず、オリジナル龍騎と比較してみよう。

【オリジナル準拠】

【相違点】(メインキャラの違いを除く)

【オリジナルを踏まえたと思われる注目点】

 こうして羅列してみると、「変更点が多い事」と「ライダーバトル以外の変更点がほとんどない(述べるだけの材料がない)」ことに驚かされる。
 というより、ライダーバトルに重点を絞った変更が行なわれたと解釈した方が理解が早そうだ。
 士郎や優衣、恵里や沙奈子などが一切登場しないのもそういった理由ではないだろうか。
 仮にだが、もし物語導入部の内容が「殺人事件」でなかったとしたら、桃井自体登場しなかったかもわからない。
 それくらい、何もかも削ぎ落としたということだろう。
 これは、DCDクウガ編やDCDキバ編よりも徹底している。
 オリジナル龍騎は、ライダーバトルを横糸とした場合、縦糸として“神崎兄妹”の存在を巡る事情があり、これが物語の核として機能していた。
 士郎の目的や個人情報にまつわる謎は、ライダーバトルというものに独特の風味付けを行なっており、「不条理な闘い」という印象を効果的に高める役割を果たしていた。
 DCD版でそれを取り去ったということは、(たった2話で龍騎の物語を描写し切れる筈がない、という当たり前の意見はともかく)それだけ「やるべきと見定めた事」が変わったのだろう。
 詳しくは後述するが、こういった変更要素をどこまで許容出来るかが、DCD龍騎編自体の評価に繋がるのではないかと思われるが、どうもネット上の反応を窺う限りだと、あまり好意的には受け容れられていないように感じられる。
 それも、オリジナル版の比較云々だけでなく、DCD龍騎編単独で見た場合でも無視し難い難点が多発しているかららしい。
 そして筆者も、後者の意見に強く同意せざるを得ない。

●DCD龍騎編の見所

 基本的な問題に触れる前に、DCD龍騎編の見所について触れてみよう。

 先の通り、DCD龍騎編は様々な要素を削ぎ落として大胆なアレンジを行なったが、戦闘シーンの比率を増やしたせいか見応えのある場面も多く、またオリジナルよりも引き立った要素が散見された。
 その一つに、「どこの誰ともわからない者達がライダーに変身して戦っている」というものがある。
 「仮面ライダー龍騎」を良く知らない人にはピンと来ないことかもしれないが、これは当初、オリジナル龍騎が目指していた(というか掲げていた)売り文句の一つだった。
 オリジナル版では結局果たせなかったこのポイントが、皮肉にも簡略アレンジ版であるDCD龍騎編にて果たされたというのは大変興味深い。 

 「仮面ライダー龍騎」の面白さの一つとして、どんな者が、どんな理屈でバトルに参加するかというものがあった。
 それぞれ異なる正義感や目的を持った者同士がエゴをぶつけ合うのがライダーバトルの本質であり、同作に独特の“歪み”を加えていた。
 人間の持つドロドロした暗黒面を、上手く面白さに昇華出来たと言うべきだろうか。
 これにより、新しく登場するライダーだけでなく、それに変身するキャラクターのバックボーンにも関心が向きやすかった。
 本来であれば、13人(劇場版やSP出演ライダー含む)もライダーがいれば没個性な者が何人か居てもおかしくなさそうなものだが、上記のような旨味を持っていたため、こういった問題は上手く回避されていた。
 ところが、本編中盤辺りから商業的な理由で「ライダーが殺せない(退場させられない)」という事情が発生してしまったため、結局各ライダーは存在が固定化し、“どんな者が、どんな理屈でバトルに参加するか”というポイントは薄ぼけてしまった。
 いつもと同じメンツが、いつもと同じライダーに変身して、決着のつかないバトルをルーチンワーク的にこなすというノリが続いてしまい、あげくには士郎に「進行が遅すぎる!」と苦言を呈されてしまった。
 ライダーの登場・敗北による退場という「仮面ライダー龍騎」の注目点は、このような事情のせいで初期と終盤のみに集中する形となってしまった。

 DCD龍騎編は、先の様に大幅な削り落としを行いライダーバトルを中心に見せる内容となっていたが、(ディケイド乱入による影響は別として)結果的に、当初“龍騎”という作品が目指していたスタイルに近づいていた。
 オリジナル版OPで、目線を入れられた中年男性・女性・子供がアドベントカードをかざしているという意味深な映像があったが(本編内容とは完全に無関係)、あれは本来同作が「色々な立場の人間がライダーになる可能性がある」というイメージを与える目的で組み込まれたものだという。
 DCD龍騎編では、どこの誰とも知れないベルデやライア、タイガやシザース、ゾルダがミラーワールドでまさに乱戦を展開していたが、あれこそが本来“龍騎”で描かれるべき形だったのかもしれない。

 物語に直接絡まないライダーは、登場時間こそ短かったものの、クリアーベント、シュートベント、ストライクベントなどそれぞれ特徴的な能力を使っており、オリジナル龍騎を見ていた人には懐かしさを、そして見ていなかった人にも「アドベントシステムの奇異性」を上手く印象付けた。
 あらためて考えてみると、アドベントカードを用いたライダーの能力は、見たものがすぐに効果を把握できるものばかりだったんだなと実感できる。
 複数の性能を組み合わせて発動させても、エフェクトが違ったり技のスタイルが変わるだけで、具体的にどう違うのかが今ひとつ伝わらなかったラウズカードシステム※(仮面ライダー剣)よりはかなりシンプルだ。
 また、ディケイドの「アタックライド」によるライドブッカーの使い分けよりも、形状変化や効果・影響が伝わりやすい。
 そういう性質があったからこそ、DCD龍騎編はたった2話限りという短い尺の中で、あれだけ沢山のベントインが行なえたのだろう。
 更に、物語を終結させるきっかけとなった「タイムベント」への理解を促す役割も果たしている。
 もし、アドベントシステムがオリジナル版を長く見続けていた人や、よほど詳しく設定を調べた人以外咄嗟に理解し難い造りだった場合、タイムベントが出てきたとしてもすぐには納得に至れなかっただろう。
 そこまでの計算が行なわれた上での演出だったのかどうかはわからないが、こうして視点を変えてみると、DCD龍騎編はなかなか上手い構成になっているといえるだろう。

※単独で属性や独自性能を持つカードを複数枚組み合わせて新しい効果を生み出すラウズカードシステムの複雑さは、当時の製作スタッフ内でも全貌を理解している人はほとんどおらず、そのため作中では設定的にかなり無理のある描写も散見された。
同作中盤から今井詔二氏にかわり参入した會川昇氏が、数少ないシステム把握を果たしたスタッフで、氏の携わったエピソード以降からようやく安定化が計られた。

 各世界に登場するオリジナルエネミーの三番目は、新ミラーモンスターではなく、まさかの新規ライダー「アビス」だった。
 オリジナル版終了から六年を経て登場した“14番目のライダー”は、番組開始以前からネット上で情報が流出していたが、当時はかなりの驚きを以って迎えられた。
 しかも、オリジナル版で実際に登場していた“雑魚”ミラーモンスターと契約しているという、思わずニヤリとさせられるような設定が小憎らしい。
 デザインは、龍騎登場ライダーズとは少々かけ離れた感があるものの、複数のスリットにより構成される眼孔や複雑な面構成によるマスク形状、押さえるべき部分はしっかり押さえた「形状共通部位」の存在など、実に手堅い。
 しかして、ド派手なブレストプレート部の形状や、今までありそうでなかった「明るい青」というベースカラー、凶暴なトゲトゲデザイン、噛み合わせた牙をイメージさせるクラッシャー部など、きっちり個性を主張している。
 「アビスラ兄弟(?!)みたいな雑魚ミラモンの力なんか、役に立つのか」と高をくくっていたら、実はとんでもなく派手で破壊力抜群だったアドベント装備にも、驚かされる。
 ソードベント、ストライクベント、シュートベントと攻撃性能も豊富で、しかもこの三種のカードを最初から併せ持つ初のライダーでもある。
 ファイナルベントは、アビスハンマー・スラッシャーが合体した巨大鮫型モンスターで攻撃する「アビスダイブ」。
 オリジナル版と違い、モンスターとの合体技ではなくなっているが、突然デッカイ魚が飛び出して暴れる様は、なかなかの迫力だった。
 さらにさらに、このアビスに変身するのが若手のキャラではなくモロおっさん系の人物・鎌田というのも新鮮だ。
 鎌田自身については別途語るべき部分があるが、とにかくDCDキバ編のビートルファンガイアやDCDクウガ編のン・ガミオ・ゼダとは比較にならないほどの存在感があった。
 たった二話限りで消えてしまうのは惜しいほどで、またその能力も大変見所があり、個人的には是非とも(装着変身で)商品化して欲しいオリジナルライダーとなった。

 やや脱線するが、二話限りの出演といえば「シザース」である。
 オリジナル版では最初のゲストライダーで、その性質や活動内容に反してなぜか異様なほどの人気を博した存在だったが、DCD龍騎編では明らかにその辺を狙ったかのような演出が施され、ここぞとばかりにはっちゃけまくっていたのが楽しかった。
「卑怯もラッキョウも大好物だぜぇ!!」という、某メフィラス星人二代目を彷彿とさせるお決まりのセリフも冴え渡り、しかもオリジナル版同様ナイトとの戦いで爆散した。
 あまつさえ雑誌のインタビューを受けているほどの有名人らしく、記事の見出しや声などから判別するに、どうやら裁判バトルには高頻度で参戦しているらしい描写もある。
 それにしても、勝率6.8%というのは凄い。
 何が凄いって、少なくとも勝ったことがあるのだから!
 最期はやはりボルキャンサーにモグモグゴックンされてキメて欲しかったものだが、彼の活躍とテンションの高さ、そして妙な目立ちっぷりについては触れておく価値があるだろう。

●龍騎編である必然性

 では次に、DCD龍騎編の問題に触れていこう。
 以下ではオリジナル版との比較は極力抜きにして、可能な限りDCD龍騎編のみに的を絞っていきたい。

 DCD龍騎編は「裁判バトル」というルールの中にライダーバトルが組み込まれているという独自設定が存在し、このためオリジナル版以上にライダーとその人間体の繋がりが薄い。
 龍騎もナイトも、恐らくその他のライダーも定番の存在ではなく、ライダーバトルスタートの告知と共にその時限りの人物が扮して闘っているものと考えられる。
 もっとも、シザースやファムの雑誌記事内容、またゾルダやシザースの様子から、一部は同じカードデッキで高頻度参加している者もいるようだが、先に触れたように「誰がライダーになるか」更にわからなくなっている。
 先では、“ライダーバトル”を描写する上ではオリジナル版以上の利点と述べたこのポイントだが、実は見方を変えると大変致命的な問題になっている事にも気付く。
 それは、どういう意味か?

 そもそも、今回士達が訪れたのは“龍騎の”世界なのだ。
 だが実際には、“龍騎”という存在はいつ誰の手に渡るかわからない、いわばライダーバトル参加証の一つに過ぎなくなっている。
 それなのに、なぜ「龍騎の世界」なのか?
 ディケイドは、どうしてそんな“参加証”の能力を持つ必要があったのか?

 今回たまたま辰巳シンジが手にしただけで、5話ラストにちらりと登場した龍騎が誰だったのかは、まったくわからない(ついでに言えば第1話のも)。
 それ以前に、“龍騎”は劇中で特別な何かをした存在というわけではない。
 たまたま士と意気投合し、鎌田asアビスと闘ったシンジが変身しただけで、“龍騎たるべき存在”となるような者が居たわけではないのだ。
 こういう意味では、ワタルやユウスケ、そして次のDCD剣編に登場する剣立カズマとはまったく存在意義が違っている。
 DCD龍騎編内での“龍騎”の描写を見ると、別に他のライダーがメインであっても全然問題ないことになってしまう。
 これはつまり、ディケイドにとって“龍騎”が特別である(自身の能力バリエーションの一つとして選択される)べき理由が、実益としてもイメージとしてもまったく結びついていないのだ。
 これなら「ナイトワールド」でもいいし、「シザースワールド」でも、「インペラーワールド」でもさほど変わらない。
 さすがに「アビスワールド」だけは無理だろうが、それだけ“龍騎”という存在は希薄すぎたのだ。
 まあ実際には、色々な理由で龍騎以外のライダーをメインに据えるのは無理なわけだが、DCD龍騎編内で“龍騎”が果たしたことは限りなく無に等しい。
 それだけ「龍騎の世界」と定義する理由が薄いというのは、難点と言わざるをえないだろう。
 
 また辰巳シンジにしても、決してDCD龍騎世界の何かに貢献していた存在ではない。
 士が来るまでたった一人でグロンギと闘い続けていたユウスケや、世界の支配者「KING」になるため葛藤するワタルとはあまりにも差がありすぎた。
 シンジがやったことは、昔の同僚を疑ったことと、もはや存在しなくなった事件の真犯人にきつい一発をお見舞いしただけだ(しかもディケイドの補助として)。
 いわば、ものすごく個人的な範囲でしか動いておらず、とてもこの世界での主役と呼べるようなレベルではない。
 これなら、むしろタイムベントを奪取し過去の秘密に迫ろうとしたレンの方が活躍していたといえるだろう。
 たった2話、しかも戦闘シーンに大半の尺を割かれたエピソード内において、様々な制約が発生する事情は推察できるが、あまりにも様々なものが足りなさ過ぎる。
 まあDCD龍騎編は、何を指して崩壊と云い、何が修正にあたるのか今ひとつ良くわからないという根源的問題も抱えているわけだが、とにかく、この時点までの世界で一番頭が痛い内容だった事は否めないだろう。

 上記を踏まえた視点で改めてライダーバトルに目を向けてみると、これもこれでまた多くの疑問点が含まれているのがわかる。
 まず、ライダーバトルシステムの要の一つであるべき“ミラーモンスター”の存在意義が、恐ろしく希薄になっている点。
 オリジナル版のように人間を捕食するわけではなく、かといって他に迷惑をかけているわけではなく、単に参加ライダーに能力を付加するだけの存在と化している。
 つまり、本編を見る限りだとミラーモンスターは一般的にはまったく無害であり、これにより人間が負傷する可能性は、裁判に関わらなければまずありえないことになる。
 随分と面白い設定変更だが、これはこれで何かがおかしい。

 ミラーモンスターが人畜無害ということは、この世界にはそもそも何のトラブルも発生していないのだ。
 何か問題が起きたとしたら、それは現実の世界同様“人間の手によるもの”のみであり、何の変哲もないものなのだ。
 はじめから何かが狂っている世界では、狂っている要因そのものはトラブルとは言わない。
 ライダー裁判という狂った要素とは別に、この世界独自のトラブルが必要な筈なのだ。
 グロンギが闊歩するDCDクウガ世界や、いつ人間を襲うかわからない不穏分子が存在するDCDキバ世界よりも間違いなく安全なわけだから、本来ならわざわざ士が何かをする必要すらない。

 オリジナル版では、ライダーバトルには複数の意味があり、単にライダー同士で殺し合うだけではなく、一般人を襲うミラーモンスターを討伐し続けていかなければならない事情が存在した。
 契約モンスターは、ライダーによって倒された他のミラーモンスターの「魂」を得るが、それが契約上唯一かつ重要なメリット(契約理由)だった。
 そのため、契約履行中でも「魂」の供給が途切れればライダーをせっつき、最悪の場合本人を捕食してしまうこともある。
 この関連が実に上手く機能していたため、各ライダーは他のライダーがいない場でも変身してミラーワールドに飛び込み雑魚ミラモンと闘う必要があり、また本来とても人助けなどしそうにない浅倉as王蛇すらも、結果的に誰かを守るかのような行動を取らざるを得なかった(そしてその戦闘場面は、各ライダーの戦闘能力アピールにも役立つという、実に完成された流れだった)。
 しかしてDCD龍騎編では、この旨味すらも削り落としてしまった。
 これは、物語の破綻とかそういう側面を抜きにしても、かなり痛い。
 「ライダーバトルで裁判」という時事ネタを組み込ませようとしたがために、削る必要のないものまで削ってしまった結果といえる。
 その結果、DCD龍騎世界の災厄として最も活用出来る筈だったミラーモンスターは、オリジナル版以上に存在感が希薄化してしまった。
 世界のヤバさが伝わらない舞台で、いくら崩壊がどうのと言われても困る。
 このように、DCD龍騎編は「アレンジしなくてもいい部分までアレンジしてしまったがため」に、ものすごく薄味な造りになってしまったポイントが実に多い。
 設定改悪については、実はこれよりも「タイムベント」の方が顕著だが、これについては後で触れていく。

●ライダー裁判は本当に必要だったのか?

 事件の関係者や検事・判事などがライダーとなりミラーワールドで戦い、最後まで勝ち残った者が判決を下せる。
 ――これが、DCD龍騎世界の「ライダー裁判」。
 この世界では、こんな奇怪な司法ルールがまかり通っているという前提にある。
 なので、ここでは裁判の存在そのものについては追求しない。
 とりあえず、「そういうものがあるんだから仕方ない」という目線で、本編内での扱われ方を見てみよう。

 「ライダー裁判」は、2009年夏より現実に施行される「裁判員制度」をパロもしくは皮肉ったもののようだ。
 「裁判員制度」とは、てっとり早く説明すると「刑事事件裁判が行なわれる場合、一般人の中から無造作に“裁判員”が選出され、裁判官とともに審理に参加させられる」というもの。
 これは軽いレベルの犯罪などには適用されず、所謂ニュース報道されるレベルの重大事件のみ対象となる。
 勿論あらゆる重大事件全てに適応されるわけではなく、一部例外も生じるが、とにかく国民が法律の知識などナシに、一般人の感覚を以って犯罪者を裁くことが出来るようになるわけだ。
 ちなみに、裁判員に選ばれた人は 強 制 参 加 。
 一応参加出来ないきちんとした理由がありそれが認められればパス可能ではあるが、その理由が虚偽だったり、或いは無断欠席だった場合は10万以下〜50万円以下の罰金やら過料が課されるという、恐るべき決まりになっている。
 当然、会社なんか休まなきゃならない。
 ついでにいうと、参加した人は生涯の守秘義務が自動的に課せられ、破るとまた50万円ほど持って行かれてしまう。
 選ばれる可能性は約5000人に1人の確率らしいが、これも重大事件が頻発すれば相対的に高確率化することになる。
 一応報酬や必要経費も出るには出るが、現状発表されている内訳を見る限り相当少ない金額で、人によっては明らかに日当に届かない程度だ。
 各所で様々な問題が指摘されているこの「裁判員制度」は、施行を目前とした現在、時事ネタとしては最良のものに思えるかもしれない。
 物語全体に絡まる独特の不条理感が売りである「仮面ライダー龍騎」に、これを適用したのは面白い着眼点だなと個人的には思うが、それはそれとしてDCD龍騎編本編内では有効な描写であったとはお世辞にも言えず、多くのファンが頭を抱えるハメになったようだ。

・桃井編集長殺人事件容疑者として夏海が捕らえられたほぼ直後に、もうライダーバトルが始まっている

 本来であれば、殺人事件が起きた場合、どう見ても犯人としか思えない者がその場に居残っていたとしても、即殺人犯確定! とはならない。
 現場検証やら取り調べの結果、予想も出来なかった理屈で容疑者が現場入りしていた可能性もあるし、冤罪の可能性を恐れて別な見解を模索する必要が生じるためだ。
 ところが本編では、のっけから夏海を証言台に引っ張り出し、「もうお前は犯人であると確定している」といわんがばかりの態度で裁判制度の説明が行なわれている。
 被害者の血すら付いていない、とても殺傷能力があるようには思えない小型フォーク、人間関係・殺害動機の追及、現場状況、(確実に居たであろう)編集長と夏海が出会う経緯で様子を見ていただろう人達への事情聴取などなど、これらすべて無視である。

 こいつら、早くライダーバトルおっ始めたかっただけなんちゃうかと。

 というか、士以外にも夏海を死刑にする気マンマンの奴らが参加して戦っている様子なのも色々とヤバい(どう見てもゾルダなんぞはキリングマニア)。
 まるで、事件は殺し合いゲームを始める方便とばかりにものすごく適当に扱われているようにも思えてしまう。
 一応、戦闘シーンを早いタイミングから挿入するための大義名分的演出なのは想像出来るが、それにしてもなかなかに豪快過ぎる。
 夏海ではないが、「こんな裁判イヤです!」。

・ライダーバトル自体の審判はいないのか?

 ここで少しオリジナル版を持ち出すが、ライダーバトルは“一般の目の届かないところで行なわれる”闘いであり、いわば壮大な私闘のようなものだ。
 ルールはほとんどあって無きが如しで、どうやらミラーワールド外での奇襲はおろか、ライダーバトルがまだ開始されてもいない時点での襲撃も許容されるらしい。
 要するに、神崎士郎にとっては「誰か一人になるまで殺し合えば良いだけ」なんだろうが、いわばそれがオリジナル版ライダーバトルの唯一かつ絶対のルールだった。
 脱落者がほとんど出なくなった中盤頃、「進行が遅すぎる」と士郎自らわざわざ文句を言いに来たが、それ以外では特に「こうでなくてはいかん」的な事は言わなかった。
 この観点から、オリジナル版は少ないルール項目が神崎士郎というジャッジによって管理されていたと考えてほぼ間違いないだろう。
 まあ発案者兼システム開発者、そしてスターターなんだから当然なんだが。

 対してDCD龍騎編では、ライダーバトルはどうも国家単位で管理されているもののようで、戦況がモニターで報告されるほどシステマイズされている。
 まるで“キャプターに倒されて消えていく風魔忍群の忍びロウソク”のノリだが、なんだか最後まで残った者はズームアップ表示された上にファンファーレまで鳴りそうな雰囲気で、すごく嫌だ。
 ともあれ、(なんで鏡の世界なのか、という根本的な謎は置いておくとして)相当高等な通信連絡システムが完備されていない限り、こんなスタイルは構築出来ないだろう。
 
 ただ不思議なのは、そんなライダーバトルに「爆発リタイア」が存在することだ。
 本編中ではインペラーとシザースがミラーワールドでこの状態になっていたが、7話の鎌田のセリフをそのまま受け止める限り、あれはイコール参加者の死ではないらしい。
 6話では、カードデッキを破壊されたベルデやらミラーワールドから弾き出されたタイガといった描写もあったが、これは「要は決着さえ着ければ良い」というアバウト極まりないものなのだろうか。
 爆散したようにしか見えないバトル参加者が、どうやって脱出・生存し続けているのか大変興味があるが、「異音を感じたらいつでもどこでも即バトル開始」というランダム性が高いDCD版ライダーバトルでもそのような敗者救済措置が行なわれるのだとしたら、ジャッジシステムは相当高度なオートマ化を果たしているのだろう。

 一見凄く合理的のようだが、これらが司法の延長で行なわれているものと考えた場合、色々と倫理的問題が生じそうだ。
 本来厳密な判断と考慮、研究、追及、調査、法律との照らし合わせが幾重にも行なわれるのが裁判だが、ライダーバトルはそれらをすべて統合・超越するもののようだ。
 にも関わらず、ライダーバトルを直接確認して“参加者間でルール逸脱が行なわれていないか”等をチェックする者・機構が存在しないのは、相当やばい。
 極端な話をすれば、今回のエピソードのように身内ばかりが参加すれば、同じ意志の下協力体制を張ってライダーバトルを勝ち抜くなど、ヘタすれば組織的に容疑者を擁護する行動も可能になってしまう。
 或いは逆に、特定の容疑者に極刑を与えるため、参加ライダー同士が協力してイカサマ戦闘を行い、代表者を残らせて意図した判決を下すことも出来てしまう。
 政治犯やテロリスト相手にこんなことをやってしまったら、大変なことになる。
 ディケイドという、明らかにライダーバトルシステムから逸脱した存在が割り込んでも支障なく進行してしまう状況を見る限り、このような管理体制だと「裁判員制度」とはまた違ったとんでもない問題がいくつも浮上しそうだ。

 というか。
 ルールとか常識感とか抜きにして考えても、これでは明らかに違和感しか生じない設定・構成だろう。
 レンの執筆したものと思われる記事の中には、このライダー裁判を批判する内容も記されていたのに、結局本編中では誰も問題提起せず、また改善を促すような動きも起こさずに終了した。
 結局は「この世界にも不条理に感じている者は居る」という記号を示す、ただそれだけの役にしか立たなかったのが実に残念だ。

・士はルール違反になるのでは?

 とりあえず、そんな無茶苦茶なライダー裁判の存在を、百歩譲って容認したとしよう。
 先にも触れたが、本来であれば夏海の弁護士である士にもカードデッキが配布される筈である。
 にも関わらず、本編中ではそのような描写はなく、またあえてそれを使わずディケイドになって参戦したといった表現もない。
 事件は結局なかった事にされたから良いようなものの、もしこれで士が最後まで残った場合はどうなったのだろう?
 ミラーワールドにそのまま突入など、いつの間にかその世界のルールや定義に適応することが出来る士asディケイドとはいえ、これは法律にあたるわけだから他とは少し違うものだろう。
 仮に、士が最後まで残ってしまったとして、システムが他のライダーと違うからといって仕切り直しになったら爆笑だが、よくよく考えたら「ラストバトルがドローゲーム(勝者が残らない)になる場合」も一応ありうるわけだから、それはそれでなんとかなるのかも?
 そう考えると「ライダーバトル敗者は別に死ぬわけじゃない」というのも、なんとなく整合性が感じられる気もする。

 閑話休題。
 士の参戦に関しては、厳密には配布されたカードデッキを利用してミラーワールドに突入、その後ディケイドに変身し直すなどの段取りが必要な筈だが、演出や尺の都合上いちいちそんなことをしていられないという理由があったのだろう。
 それならそれで、ライダーバトル管理側が「なんだかしらんが、とにかくよし!」的な発言をしておけば一応の言い訳になったかも? などとふと思った。
 どちらにしろ、もし士がディケイドで勝ち残っても無効、というオチになっていたとしたら、夏海はいつまでも解放されず、ヘタしたらいずれ死刑派のライダーが残ってしまった可能性もあったかもしれない。
 ――なんだ、そう考えれば士の願ったり叶ったりではないか(笑)。
 まあ実際は、その辺かなり有耶無耶にされており、ディケイドに倒されたインペラーも普通に脱落扱いされていた所を見ると、「ミラーワールドに入れるんなら誰でもいいぜ」的な性格があったのかもしれない。
 いつしかシステムを解析した共犯者等が入り込んでしまいそうで、なかなかに恐ろしい話ではあるが。

 こうして全体を眺めてみると、ライダーバトル裁判は大変に難儀な、言い換えればたった二話限りで充分な理解が得られるシステムとは、とても思えないものだったことがわかる。
 というか、比較してみるとオリジナル版の方がこれより遥かに簡素なルールであり、わかりやすい。
 「とにかくルール無用で最後の一人になるまで私闘やれ」と「事件が起こる度にライダーが選出され云々」では、どう見ても前者の方が説得力が大きいし浸透も早い。
 しかし、オリジナル版はそんな簡単なルールであるにも関わらず、一年間の放送期間で充分な描写が行なえていたとは云い切れず、やや消化不良な面も目立っていた。
 それでは、より複雑かつ奇怪なルールのDCD龍騎編はどうなってしまうか?
 見た人のほとんどが困惑するのは、簡単に予想できたようにしか感じられない。
 それをたった2話の、しかもあの短い尺で表現するわけだ。
 無謀にも程があるだろう。

 この裁判ネタは、“時事ネタを取り扱った”という以外ほとんどメリットがなかったのではないだろうか。
 或いは、裁判ルール自体は多少破綻を来たしていても、或いは不十分な描写だとしても、その存在を否定するとかぶち壊す可能性を匂わすような流れであればまだ説得力があっただろうし、DCDキバ編のような「世界の何かが変化した」実感を与えられただろう。
 だが、実際は消化不良極まりない結果に終わってしまった。
 しかも、よりによってタイムベントを用いてリセットオチという「本当にそれで良いのか?」という結末。

 実は、そのタイムベントにも大きな問題が付きまとっているのだが。

●タイムベント

 「タイムベント」とは仮面ライダーオーディンが持つ、時間に干渉する能力を発揮するカードだ。
 「仮面ライダー龍騎」では、“タイムベントによりいくつもの世界や展開が発生した”ことにされており、現在は同作のパラレル展開の関連付けとして用いられている。
 もっとも、オリジナル版劇中ではタイムベントはたった一回しか使用されておらず、またパラレル展開発生について言及は一切されていないため、公式な設定ではない

 オリジナル版タイムベントでは、そのような流れは生まれないという検証を以前行なっているので、興味のある方はこちらを参照していただきたい。
 DCD版タイムベントは、恐らくこの「タイムベントがパラレルを生む」といった性能に着目した上で設定されたのではないかと推察出来る部分があるが、ひとまずオリジナル版に対する疑問点は置いておこう。

 DCD龍騎編では、過去に飛んだシンジの行動で桃井編集長の命が救われ、またその絡みで夏海の容疑も晴れ、また鎌田の正体が判明するという大きな変化が発生した。
 しかも、なぜか未来(タイムベントを使った時点)の士と鎌田まで現れ、最終バトルに流れるという展開となった。
 これにより、容疑者・夏海の顛末や「過去を見てくる」と言って旅立ったシンジを待っているレン、ユウスケ達がどうなったのかはわからなくなった。
 ドラゴンボールやゲーム「YU-NO」にあった「過去が改変されると未来がどんどん増えていく」理論だと、収集がつかないどころの騒ぎじゃなくなるが、ひとまずそれについては無視しよう。
 何故なら、このタイムパラドックス理論は作品によって解釈が違うためで、一概にこうでなければおかしいとは云い切れないためだ。

 それより問題なのは、これによって

 といった無視し難い難点が生じてしまったことだ。

 過去の世界で戦わせるために、何の説明もなくタイムワープする士と鎌田(鎌田に至っては、龍騎がタイムベントを使用したのとほぼ同時に、ミラーワールドから姿を消すという場面までしっかりある)に、疑問を抱いたファンはかなり多かったように見受けられる。
 いくらディケイドが万能だからといって、何の説明もなく過去移動までしてしまっては、他にも多大な影響が及ぶだろう。
 またダブル鎌田の場面でのやりとりのせいで、彼は元々時間移動能力など持っていないとも解釈出来る。
 まあ、(後述するが)タイムベントで一緒に過去に飛んだという部分そのものは良いとしても、それを見せるための演出が致命的に悪かった。
 そのため、ディケイド&DCD龍騎VSアビス戦への件は、無茶も甚だしい印象が強まり、更には“まだ何も起きていない筈なのに”鳴滝は「この世界は破壊されてしまった」などと意味不明な発言をしてしまう。
 とにかく、何もかもが強引過ぎて、観ている側が置いてけぼり極まりないのだ。
 ここが、恐らくDCD龍騎編で最も大きな問題箇所だったのではないかと、筆者は分析する。

●オリジナル版とDCD版タイムベントの違い

 ここで、オリジナル版タイムベントの性能をもう一度確認してみよう。
 参考にしているのは、オリジナル龍騎第28話「タイムベント」のみであり、その後の“本編に出ていない情報”はあえて無視している。
  1. カード使用者の意向に従い、希望する場面まで時間が“逆行”する
    (実際に使用したオーディンではなく、神崎士郎)
  2. カード使用者以外も、全員影響を受ける
  3. 使用者以外の者達は、カード使用時までの記憶を一応保ってはいる
    但し普通は忘れてしまう(その気になれば覚えていることは可能)
  4. 使用者の周囲は不明だが、影響を受けた者の周辺事情は基本的に変化がない
  5. 使用者以外の者達の周辺の歴史は、(たとえ本人が顛末を覚えていても)変えられない
 ここで重要なのは、2以降の項目だ。
 オリジナル版では、タイムベントは時間移動ではなくあくまで「逆行」だった。
 ビデオを逆再生して指定の所まで戻ったら、もう一度再生を始めるようなもので、巻き添えを食った者は全員“これから経験する事をすでに知っている”状態にある。
 かなり強力な忘却補正が加えられるとはいえ、カード使用時に現場に居合わせた者達は、その気になれば「未来の記憶」を維持していられる。
 まずは、この特徴をご記憶願いたい。

 続けて、DCD版タイムベントの性能を見てみる。

  1. カード使用者が過去の世界に直接移動する(シンジは棚のガラス面から飛び出してきた)
  2. 過去の歴史を大きく変えることができる
  3. 過去の人物は「未来の記憶」を持っておらず、未来から来た人物とは別に存在している
  4. 使用者と一緒に過去に飛ぶ事が出来る場合もある(士と鎌田)
 7話を見る限りで判明している能力は、こんなところだ。
 3の項目については、対象者が鎌田という「本来タイムベントの影響を受けている筈がない者」が乱入したため判明したという、ややイレギュラーなものだが、これにより「過去の自分」と「未来の自分」はそれぞれ別々に存在していると考えても、さほど大きな問題はないだろう。
 また、カード使用者であるシンジが「望む形に歴史を変えた」結果、編集長が助かり夏海が逮捕される展開がなくなったのも、まぁひとまずは良いとしよう。

 オリジナル版とDCD版でもっとも大きく違う点は、「逆行かタイムワープか」だ。
 前者の場合は、見方を変えれば“本当に時間が戻ったわけではない”とも考えられ、いわば(その後の別世界発生化論を生むような)擬似世界生産に近い能力とも解釈可能だ。
 だが後者は、使用者は明らかに過去の時代そのものに「移動」している。
 ということは、ドラえもんやのび太がタイムマシンから降りた世界とほぼ同じ位置付けにあたるわけで、オリジナル版とは似て非なるものになってしまった。

 さて、ここで話を演出上の問題へと戻そう。
 DCD龍騎編のタイムベント使用による顛末で、問題点として指摘されているのは「士と鎌田の不自然な過去移動」「過去シンジと未来シンジの融合の是非」「ライダーバトルの不自然な発生」「鳴滝の言葉が意味不明になる」というものだが、実はこれのほとんどがタイムベントの性能をアレンジしたために発生したものだったりする。
 逆に言えば、オリジナル版タイムベントとまったく同じ性能にしていれば、このような違和感は生まれなかった可能性は高い。

 例えば、士と鎌田はわざわざ未来の世界から追いかけて来なくてもそのまま参戦可能だし(本人達が未来の記憶を維持していたとすれば問題はない)、シンジの融合問題も解決する。
 また、夏海やユウスケは本当の意味で解放されるわけで、未来の世界に取り残された彼等がどうなったのかを心配する必要性はない。
 このように良い事ずくめの筈なのだが、タイムベントの性能はなぜかアレンジされてしまった。

 オリジナル版の設定が忘れられていたため?
 それとも、脚本と撮影現場で意志の統一が図られていなかったため?

 実際のところどちらなのかはわからないが、あえて考察すると、DCD龍騎編ではタイムベントをアレンジしなければならない理由があったのではないかという考え方も可能だ。
 何故なら、オリジナル版の性能のままだと、過去の世界で鎌田はライダーに変身できないからだ。
 彼がアビスに選ばれたのは、本人の弁を信じる限りだと事件の後なのだし。

 少しだけ話が逸れるが、DCD龍騎編では桃井編集長殺人事件をキーとして、シンジとレンの疑惑と関係修復をメインに取り扱うエピソードと定めていたようで、いわばライダーバトルの類はそこに付随するオマケ的な要素でしかなかったように思われる(尺の割合の話ではなく、あくまでストーリーベースの意)。
 だから、殺人事件の追及も適当に流していたし、ライダー裁判自体の問題点もさほど重要視されていない。
 レンが外から容易に入り込めるような事件現場を指して、鎌田が「密室だよ」などと表現してしまうほど、この辺りは重要視されていなかったようだ。
 つまりは、DCD龍騎編という物語で定められていた完結目標は「シンジの誤解の氷解」であり、事件そのものの解決ではない。
 だからこそ、誤解の要因となった“もはや真犯人ですらなくなった筈の”鎌田との決着を着けなければならなかったし、シンジだけが事件に隠されていた裏事情を知る必要があった。
 これらの条件を満たすためには、オリジナル版タイムベントのような“逆行”では都合が悪かったのだろう。
 タイムベントを使用したDCD龍騎asシンジが、過去の世界でもライダーシステムを保持している可能性はあるとしても、事件発生前までライダーではなかった鎌田がアビスになれないのは都合が悪い。
 かといって、いきなりパラドキサアンデッドになってしまっては意味がない。
 だからこそ、カードデッキを持たない過去鎌田と、カードデッキを持つ未来鎌田の融合という、一見訳のわからないことをやらなければならなかった。
 融合直後、呼び出してもいない筈のVバックルが鎌田の腰に装着されているのも、それがあるからだろう。
 アビスとの対決は絶対条件である以上、鎌田を「タイムワープ」させる条件はどうしても省けないため、代わりにいくつかの要素を犠牲にせざるをえなかった。
 そう考えると、DCD版タイムベントの少し奇妙な性能変化は、一応理解はできるのだ。
 タイムベントを使って、過去の事実を突き止めるというのが物語の決着条件として必須と定められていたとしたなら、この方法もありだったとは思う。
 納得出来るかどうかは、また別な問題だが。

 では、DCD龍騎編の結末はあれで正解だったのかと言われると、決してそうではない。
 先のように、違和感を覚えた人が居た以上、やはり難点は存在するのだ。
 よくよく考えれば、これは根本的に話の作りがまずかったとも言い切れる。
 何故殺人事件から導入なのか、何故ライダー裁判なのか、何故事件の謎解きとシンジ&レンの関係修復という流れを両立させなければならなかったのか。
 そして、なんでタイムベントで決着を着けなければならなかったのか。
 そもそも、ここからしておかしい。
 というか、収拾がつかなくなったからタイムベントで無理矢理押し流して終わらせた以外の何物でもない。

 この構成のためにおかしなことになったのは、何も終盤だけではない。
 結局ろくな戦闘がなかった上、ついに一度もアドベントすらしなかったDCD龍騎は、どのような形であれライダーバトルにも物語に対しても積極性が欠け、先に述べたように「どうしてこの世界を代表するライダーである必要があるのか」という疑問点を生み出してしまった。
 また、士とシンジの人間的繋がりも希薄となり、かといって、DCDキバ編のようにユウスケが不足分を補うことすら出来なかった。
 これがディケイドとDCD龍騎の共闘に説得力を大きく欠いてしまった点は否定し難い。

 そもそもタイムベントなどというものが存在してしまう事自体、ライダー裁判に破綻を来たしてしまっている。
 事件が起こっても、特定のライダーにカードを使用させて未然阻止を図らせるか、或いは事態を確認させれば良いわけで、そもそも裁判自体やる意味がない。
 ライダー裁判が実施されているということは、そうしなければならない理由がどこかにあるという理由付けが必要だっただろう。
 例えば、オリジナル版同様ミラーモンスター抑制の目的も一応あり、ライダーは常に存在し続けていなければならないため、その理由付けとして後から裁判を関連付けた、等でも良いだろう。
 この場合、たとえライダー裁判のシステム自体はガタガタでも、甘んじてそれを利用しなければならない背景が生まれるので、別な説得力も出る。
 DCD龍騎編は、奇異な舞台設定があるにも関わらず理解を促すことをオミットしてしまい、ライダーバトルの場面に重点を置きすぎたために尺のバランスまで狂い、結局「何も壊しようのない世界」になってしまった。
 鳴滝のセリフがおかしく感じられるという理由は、ここにもある。
 シンジとレンの関係が戻っただけで、「世界が破壊された」といわれてもピンと来ないのだ。

 これらが、先でDCD龍騎編は根本的に話の作りがまずかったと表現した理由だ。
 ディケイドを語る上でオリジナル版との比較をするのは本来このページの趣旨に反するが、これならオリジナル版の世界設定をそのままシフト・要約した方がまだスッキリしたのではないだろうか。
 というか、そう言わざるをえないほど、今回のアレンジは失敗していた。

 なお蛇足だが、過去世界で鎌田が鏡も何もないのに変身した点については、実はまったく問題がなかったりする。
 オリジナルでも、劇場版「仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL」ラスト間際で、城戸真司と秋山蓮が鏡を使わずにサバイブに変身したシーンがある(しかもサバイヴカードもなしに)。
 つまりは、そんなに拘られていないということだろう。

●今週の鳴滝

 めげずに鳴滝の意図を読み取ってみよう。
 今回の彼は今まで以上に動きがあったわけだが、どうやら何か「実験」を行なっているらしい。
 彼が行なってきた行動をこの時点まででまとめてみると、  鳴滝の言う「世界が破壊された」云々という概念は、DCD龍騎編に限らず今ひとつ意味不明だが、仮に「彼にとって(何か)都合の良い条件が満たされなかった」という意味だと解釈すると、なんとなく理屈が通ってくる気もする。
 ここまでの展開を見ている限りだと、鳴滝の行動は士以上にその世界を引っかき乱すものばかりだ。
 そもそもDCD龍騎編の殺人事件は、彼がパラドキサアンデッドを持ち込んだせいで起こっている。
 またユウスケやワタルも、ディケイドを無駄に警戒したせいで余計な戦いを行なってしまった(演出的には、これで戦闘シーンが増えるわけだから正解なのだが)。
 この上で、夏海にまで入れ知恵しようとしているのだから、なんだか物凄く始末が悪い。

 だが気になるのは、「どうして彼の召還したライダーは、すぐに消えてしまうのか」ということだ。
 見ている限りだと、彼等は別にディケイドを抹殺する命令を受理して行動している様子ではない。
 どうも、目の前にライダーがいるからとりあえず襲い掛かったという程度のようだ。
 だからこそ、徹底抗戦する必要性は薄そうだし、そこそこ闘ったら異次元に消えてしまう。
 そして、呼ばれるのは必ず「その世界にはいないライダー」だ。
 DCD龍騎編では、龍騎ライダーが多かったせいなのか召還ライダーはいなかった。
 DCD剣世界で登場した轟鬼は、ディエンドが生み出した者なので対象外として、まるで鳴滝自身が「全世界を融合させようとしている」かのようにも見える。
 特に鎌田=パラドキサアンデッドが2つの世界にまたがって登場した点に顕著で、彼の素性がDCD龍騎世界の住人に知られる事が重大なNG(だから桃井を殺害しようとした)だった事を踏まえると、鳴滝はどうやら「DCD龍騎世界で鎌田を長期間滞在させたい」と考えていたフシがある。
 それがどういう結果を招くことになるのかは、まだわからないが。
 だがその目論見は妨げられ、さらにタイムベントによってリセットまでされてしまった。
 これなら、鳴滝が「この世界もお前によって〜」などと難癖を付けたくなる理屈もわかる。
 ライダーや別世界の敵キャラを召還することが、イコール世界の融合と結びつく材料はまだ乏しいが(それにこれはあくまで予想だし)、現時点で考えうる選択肢の一つに、そういうものがあってもおかしくはないだろう。

 元々ディケイドは、異なる9つの世界が一つになろうとすることで崩壊が始まり、それを食い止めるために旅をするというコンセプトだ。
 これはオリジナル渡から告げられたもので、士自身が定めた目的でない以上、(劇中における)客観的な解釈と云えるだろう。
 だがもし、鳴滝の目的が世界の融合なのだとしたら、それはディケイドの目的とはまったく正反対であるわけで、そう解釈すると鳴滝の憤りも意味が通じる。

 果たして、彼は何がしたくて、あのような行動をしているのか?
 それ以前に、どうしてあのような奇異な能力を持っているのか?

 見た目はただのオヤジの癖に、なかなかあなどれない変態である。

【個人的感想】

 実は、筆者は平成ライダーの中でも「仮面ライダー龍騎」は上位ランクで好きな方で、そのため今回は初の「好きなライダーのアレンジ」に触れる形になった。
 ただ、事前情報でライダー裁判や鎌田のオチは知っていたため、特に大きな衝撃を受けることはなく、その分最初からかなり冷静に視聴することが叶った。
 幸いにも、DCDクウガ時にネット上で多数発生した「こんなの○○じゃない」的感情にとらわれることはなく、これはこれでアリだろうとは思ったが、これ単体で見ても難儀な点が多かったのは先までで記した通り。
 というわけで、今回は批評と感想がかなりイコールに近い形で(自分の中で)まとまってしまった。

 ただ一つ大きく気になったのは、今回やけにやっつけ感が強かったなという印象が強かったこと。
 これはあくまで筆者個人が抱いた感想であり、あまり根拠らしいものはないのだが、一つひとつの要素(裁判にしろ殺人事件にしろ)がぞんざいで、それぞれがまとまりきっていない。
 ただ事象を順番に並べて、一見ストーリーが進んでいるだけのように感じられた。
 なんといえばいいのか、あえて好き勝手な表現をさせてもらえるなら、「三つのお題で書かされた上に、さらに戦闘シーンの大量導入を強要され、その結果三つのお題をまとめあげるどころか破綻を来たしまくっただけで終わった」小説のようだ。
 また、前半には殺人事件の謎を視聴者に推測させるトリック(例:夏海がフォークを握っている場面で、やたらと鏡面を多く映している等)とか、最低限の時系列は描くなど、それなりにきちんと作ろうとした痕跡が窺えるにも関わらず、後半はそういったものを一切排除して勢い任せな流れにしてしまったようにも思えてならない。
 まあ勿論、実際の思惑や撮影の流れなど知る由もないわけだが、なんとなく、そんなチグハグ感を覚えたわけだ。
 特にそれが強かったのは、鎌田による桃井編集長殺害方法。
 いくらなんでも、ありゃないでしょ。
 ガラスは割れるわ、ソファは切れるわ、桃井編集長以外の者も充分異常に反応出来るわで、冒頭部の殺害方法との矛盾も甚だしい。
 まあ確かに、過去鎌田が事務室の変化に気付いて行動を変化させた可能性もある(その気になれば冒頭部のような殺し方も出来たという意味)が、それにしたってあのような描き方はないだろう。
 まるでミラーモンスターを使役して殺害させたかのように思わせといて、実際には「人間業とは思えない」鎌田カッターというのは、意外性を通り越してなんだこりゃ状態だ。
 例えるなら、人を殺した現場に後から小屋を建築し、「完全な密室殺人だ」と言い張るほどずるい手法とも云える(実際にこういうトリックの推理作品が存在するらしい…)。
 しかし、理屈を考えるとまだライダーになっていない鎌田がアビスハンマーやアビスラッシャーを使役するのもおかしな話だから、変なところで筋が通っていたりもする。
 パラドキサアンデッドの証明となったベルトのバックルが、あれだけの攻撃を受けたにも関わらず開かなかったのは、単なるど忘れなのかそれとも意図的なのかわからないが、少々残念。
 鳴滝が割り込むなら、(どうせあの場で封印はされないんだし)いっそ開いても良かった気がする。

 このように、きちんと考えられている部分とそうでない大雑把な部分が変なバランスで混在しているのが、DCD龍騎編だったように筆者は思う。

 最初の方で見所に挙げた肝心のライダーバトルだけど、今回個人的に良いと思えたのはアビスの能力とFFRだけ。
 予想以上に豪快さんだったアビスの性能は、なかなか面白い感じで是非立体物で欲しいところ。
 だけど、R&Mにしても装着変身にしても(S.H.フィギュアーツは論外)ミラモンが大変なことになりそうな悪寒。
 単に武器用にパーツ取りするだけじゃなくて、二体を合体させないといけないからね。
 しかして、14人目の龍騎ライダーというのは本当に良いアイデアだと思ったし、注目度も抜群だったと思う。
 中身がオッサンというのも、実にポイントが高い。

 対してイマイチだったのが、過去の龍騎ライダーズ全般。
 オリジナル当時から思ってはいたことだけど、基本デザインがほぼ共通の龍騎ライダーズは混戦状態になるとそれぞれの個性を殺してしまうんだなと実感。
 せいぜい二対一くらいが関の山なのかな。
 また、不意打ち専門のゾルダはいったい何がしたかったのかとか、わざわざやられるためだけに出てきたオーディンはRPGのレアアイテム運搬モンスターか何かなのかと、突っ込み所満載。
 リュウガや王蛇みたいな個性の強い悪役を出せなかった事情はわかるが、それにしても少し残念。
 DCD版ならではのはっちゃけぶりに期待したかったが、応じてくれたのがシザースだけというのもなんかアレ。
 その煽りなのか、肝心の龍騎もほとんど何もしないというのはどうかなと。
 だってドラグシールドやドラグセイバーにしても、結局FFRの副産物に過ぎなかったし。
 
 6年の時を経て新たに作り起こされたドラグレッダーのCGは、予想外の収穫。
 以前から思っていた「尻尾のドラグセイバーで斬りつければいいのに」というのを本当にやってくれただけでも、大感激。
 やっぱり、同じこと考えた人がいたのかな。

 変形した途端無闇に巨大化して、元に戻ると急激にしぼむDCD龍騎にも萌え。
 これではしゃいだり小首傾げたり、尻をポリポリ掻いたりしてくれたら大絶賛だったんだけど、辰巳シンジの性格を考えるとそれは無理かなと。
 オリジナル龍騎は、「ライダーらしからぬ可愛らしさ」が個人的ツボだったが、DCD版龍騎のどこか影を背負った姿も、意外に悪くないと思わされたのは収穫か。
 もし、真司がこんな性格だったら、さぞや重苦しい作品になっただろうなあと想像。

 面白かったり注目すべき点はかなりあったが、疑問点や粗雑な造りに思えるポイントがありすぎたため、結果的に評価が難しい内容にっなたというのが、筆者の感想のまとめ。
 ただ、こういうアレンジ自体は(試みとしては)あってもいいんじゃないかなと思ったのも事実。

 さて続くDCD剣編は……
 また苦言を述べることになりそうな雰囲気。

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