仮面ライダーディケイドあばれ旅 5 |
後藤夕貴 |
更新日:2009年4月28日
大会社BOARDの社員がライダーとなってアンデッドと戦うという、一見あまりアレンジされていないような設定でありながら、中身はものごっそ変化していたという、ある意味で大変興味深い変更が成されたエピソード。
今回は、このDCD剣編について触れてみよう。
●ブレイド食堂いらっしゃいませ
DCD剣編では、士は“対アンデッド”専門の大会社BOARDの社員食堂に勤務する調理師となり、同社の社員である剣立カズマをはじめとするライダーメンバーに接触するという内容だった。【オリジナル準拠】
- BOARDのロゴ
- アンデッドサーチャーが存在する
- サクヤとカズマの関係
- カリスがメインライダーとは違う立ち位置にある
- 基本的にはチーム制で事に当たっている
【相違点】(メインキャラの違いを除く)
- 栞・虎太郎に相当するキャラクターがいない
- BOARDが会社になっている(元々は研究機関)
- 上同・国から支援を受けて運営している
- 全ライダーがBOARDの社員(一応カリスも含まれる)
- カテゴリ・スート分けがアンデッドではなく、BOARD社員に対して施されている
(正しくはアンデッドにも施されているが、DCD剣編劇中ではほとんど触れられていない) - 変身(ライダーシステムの利用)・アンデッドへの対処・現場判断などがすべて会社側で管理されている
- 各ライダーの変身ポーズが異なる(簡略化されている)
- 変身直後の巨大カード型エフェクトの表現が異なる
- ブレイドの顔面赤色化の条件が異なる
- バトルファイトが行なわれていない
- アンデッドの存在理由が単なる「人類の脅威」に留まっている
- アンデッドが爆死する(封印なしで倒せてしまう)
- カリスラウザーが一つのアイテムになっている
- カリスに変身するのがジョーカーではなく人間
- 上同・マンティスアンデッドとも関係がないらしい
- カリスがアンデッドと協力体制を敷き、実質的な敵となっている
- ジョーカーが元々存在していなかった
- ジョーカーが「装備」できるユニットと化している
【オリジナルを踏まえたと思われる注目点】
- 社員ライダーの給与についてピックアップされている
- BOARDとアンデッドの繋がり
- 鎌田と○○の秘密研究施設の雰囲気
- ジョーカーの発生方法(トライアルシリーズを彷彿とさせる)
- どうでもいいことですぐに内輪もめ(ライダー同士の闘い)が発生する
上記は、あくまで筆者が気付いた点を参考例として挙げたものなので、見落としがあった場合はご容赦いただきたい。
DCD龍騎編では、ライダーバトルに関係する部分を中心に大幅な設定変更が施されていたが、今回はライダーとアンデッドの周辺設定が大きな変化を見せている。
ただ、DCD龍騎の変更箇所が「ライダーバトルを魅せるため」に特化していたのに対し、DCD剣編は変更理由というか目的が定まっていない感が強い。
詳しくは後述するが、上記で挙げられた変更点は、どうも「シナリオの都合で結果的に変化させざるをえなかったもの」と捉えることも出来そうだ。
DCD剣編の特徴は、骨子にあたる設定こそオリジナル準拠だが、肉付けが異なるというもの。
BOARDがアンデッドに対抗するという図式自体はそのままだが、人類基盤史追求目的の基にアンデッドと向かい合うオリジナル版BOARDと違い、DCD版BOARDは単なる始末屋になっている点などは、その代表的な例だろう。
最終到達点がイマイチ不明瞭だったオリジナル版BOARDの活動に対し、DCD版は「会社の存続」という、単純かつ明確な目的意識を持っていたというのも、なかなか面白い対比となっていた。
もしDCD剣世界のアンデッドも全53体しか存在しなかったとしたら、確かに“再利用”でもしなければ存続は難しいだろう。
「一回の出動毎にほぼ必ずアンデッドに対処していけるなら、たった53体程度のためにわざわざ専業会社組織にする必要性などないのでは?」という野暮なツッコミはさておき、「アンデッドによる被害者を救済する」という目的を掲げ続けていれば、確かに会社の存在意義は確立させやすい。
現実にも、某ウイルス対策ソフトメーカーが自身でウイルスを蔓延させているのでは…などというトンデモな噂話があったが、それを彷彿とさせるものがあって個人的には妙に説得力が感じられた。
ともあれ、アンデッド出現→BOARDのライダーが駆けつけて対処→アンデッド封印、という流れそのものは変えず、BOARDの性格やライダーシステムの扱われ方、現場での考え方が全く別物になっているというのは、アレンジの手法としては決して悪いものではない。
それが気に入るかどうかはまた別問題だが、方法論の一つとしてはアリということだ。
また、基本的にBOARD外部に主人公達の視点が向けられていたオリジナル版に対し、BOARD内面に向いているDCD版も、これはこれで興味深い素材となっていた。
向いた先が社員食堂コメディというのはいささか難があるが、ライダーの闘いをあくまで業務として冷徹に判断する社長と、現場担当者の意思の食い違いは捨て難い材料だった。
このように、DCD剣編はなかなか面白い骨格構造を構築していたといえる。
次に、見所について語ってみよう。
賛否あるかと思われるが、「仮面ライダー剣」本編内に漂っていた“なんとも表現し難い人間関係”の雰囲気は、結構良く再現出来ていた気がする。
これは決して悪い意味ではない。
それぞれ複雑な思惑に支配されているため些細なことから諍いや意見の対立が頻発したオリジナル版の各キャラクター達は、各関係が確固たるものになる終盤まで、なんともいえない歯痒さが感じられた。
言い換えれば、あまりにも不器用な者達によるアンバランスな人間関係だったわけだが、(当初から計算されていたものとは到底云い難いものの)結果的にはこれが功を奏し、「あれだけ仲が悪かった者達が、今、志を一つにして共闘している」という、ちょっとした感動演出を盛り立てた。
以前にも書いたことだが、“撃墜されかけた戦闘機をウルトラマンが手で押さえて救う”というありふれた演出も、「ウルトラマンネクサス」では(相対的に)感動的な場面になった。
これと似たような感じで、オリジナル版ライダーズの関係は、それなりに効果の高いエッセンスだった。
DCD版では、このアンバランスな人間関係という部分を抽出し、オリジナル版初期に漂っていたギスギスした空気の再現に努めたようだ。
ややデフォルメしすぎな感はあるものの、ムツキやサクヤの神経に触る態度は、それを引き立てる良い要素になっていた。
結果、ムツキが最後まで単なるイヤなイヤな嫌な奴になってしまったのは残念だが、「仮面ライダー剣」独特の緊張感再現としては、評価出来るのではないだろうか。
ただ、たったの2話ではさすがにギスギス感の改善までは描き切れなかったようだ。
そのため、DCD剣編は大変後味の悪い結末となったが、個人的には、過去の3世界とは違う前向きなアプローチが感じられて、それなりに評価したいと思っている。
――この点についてだけは、と付くが。
もう一つ、カズマの描写もさりげに趣き深かった。
実は、ここまでのDCD版ライダー編の主人公(メインライダー変身者)は、ユウスケを除きいずれも感情表現が今ひとつ希薄だった。
ネガティブな思考に捕らわれて絶望感に打ちひしがれているワタルや、人間不信に加え殺人事件による動揺を隠せなかったシンジなど、喜怒哀楽のうちどれか一つだけを強調されたような表現が目立った。
勿論、実際はそれだけではなかったが、とにかくあまり感情豊かには思われない。
またユウスケにしても、DCDクウガ編では怒ったり疑ったりするばかりで、八代に対して笑顔で接する場面こそあったものの、DCDキバ編以降に見せる優しさや明るさ、社交性は感じられない。
というより、他ライダーより出演回数が多いため、感情描写の機会が多く与えられた結果マシに思えるだけで、もしユウスケがDCDクウガ編のみのキャラだったとしたら、ワタルやシンジとさほど変わらない没個性的な印象が付きまとった可能性もある。
では、カズマはどうだったか?
面白いことに、たった2話の出演にも関わらず、喜怒哀楽の表現が色濃く描かれていた。
高給取りでウハウハだった状態、降格処分に対する反発、解雇命令への怒り、社員食堂でのやさぐれ感、そして士との共闘後に見せた笑顔――
会社の歯車に徹したサクヤや、イヤな(略)ムツキと比べれば、扱いが完全な別格になっているのも面白い。
オリジナル版の一真も、不器用ながらも感情を押し隠すことはせず、ライダーとして闘うことに明確な使命感を覚えていた。
カズマにもそれはしっかり踏襲されており、(最初は確かに収入のためだったかもしれないが)ライダーを続けることに彼なりの意味を見出していた。
ただ残念なことに、カズマの口から明確な意思表明がなかったため、イジワルな見方をすれば「高額な報酬を失うのがイヤだし納得できないからブレイバックルを返却しない」ようにも解釈出来てしまう。
この辺は、カズマの迷いとやさぐれが混濁してしまった結果の印象かもしれない。
どちらにしろ、サクヤとムツキがあの態度で統一されていたおかげで、相対的にカズマのライダー意識が引き立ち、ディケイドと共に闘いに挑むスタイルが確立出来た事は評価したい。
この辺は、前回挙げた「DCD龍騎編が“龍騎”である必然性」問題とは対照的だ。
私利私欲とは無関係なところに目的を抱き、自身を省みず戦いに赴く姿は、まさに「仮面ライダー」だ。
剣崎一真も、「俺は仮面ライダーですから!」というセリフで、それを具体的に示していたのだから、こういった部分に強い共通点が見出せるのは本当に嬉しいものだ。
それ以外の注目点としては、「トライチェイサーと併走するブルースペイダー」という場面がある。
なんのことはない1シーンに過ぎないが、ここに「本来ありえない筈のライダー同士の共演」が引き出す魅力が含まれている。
DCDキバ編でも、キャッスルドラン内でファンガイア達と対峙するDCDクウガという、良い意味で違和感タップリな場面があったが、今回もこういったさりげないシーンでそのタイプの旨味が垣間見える。
DCD剣編では、レッドランバスやグリンクローバー、ダークチェイサーが登場しないこともあり、ライダー同士の併走はそれだけで見所になっているが、かたや“本当はそこにない筈の”トライチェイサーなのだ。
両方とも大まかな形や大きさが似ているせいか、併走シーンが実に映える。
この場面が見られただけでも、筆者はかなり満足出来た。
ちなみに上記で変身ポーズが簡略化されていると記したが、ライダーボーズを細かく分析したことのない人(所謂重度なアレに至ってない人)は「はぁ?」と思われるかもしれない。
だが、実際には以下のような違いがある。
【オリジナル版】
- 全体的に、最初の構えから次の動作に移るまでに長い溜めがある(各バックルの待機音ギミックを表現させるためと思われる)
- カリスを除く三人ライダーの変身は、両手を同時に、それぞれ別々な動きを行なう
- 上同・変身ポーズ行程に両腕(手)が交差または一部が重なる瞬間がある
- ブレイドを除き、最初の溜めがほとんどない(ブレイド自体も溜めが若干短い)
- 片腕の動きが連動しておらず、また動きも単純化されている(特にギャレンはほとんど別物)
- 全体行程が短い
対してカリスは、水がバシャッとかけられたような独特の変身エフェクトを忠実に再現していた。
●剣を知る人、知らぬ人?
次に問題点に触れてみる。DCD剣編は、過去二世界以上に“視聴者の知識依存”が強い内容となっていた。
というか、これはDCDキバ編以降回を重ねるごとにどんどん強まっている傾向だ。
「仮面ライダー剣」という番組は、人間とアンデッドの関係が中心にあり、アンデッド間の事情やそれを巡る人間の思惑が(良くも悪くも)複雑に絡み合った内容で、どちらの要素が欠落しても成立しなかった。
最終的には、人間とアンデッドの境界線を越えるか、或いはなくすかという選択肢を巡る展開へと変化したが、基本的にはまず両者ありきだった。
アンデッドの能力を模して、更にアンデッドの能力を付加させてアンデッドを封印するために戦うという(意図された)矛盾を内包したライダーシステムは、「敵と同じ力で敵と闘う」という仮面ライダーシリーズの原典に通じる設定を持っていたが、逆に言えばアンデッドがいなければ存在すら維持出来ず、いわば「もっともアンデッドを必要とした存在」として描かれていた。
また変身の要でありパワーアップアイテムも兼ねているアンデッドも、死んだり消滅してしまっては「劇中の事情として」困るわけで、上手く関係を構築していたと云えるだろう。
結果的に、この千日戦争的バランスを微妙に突き崩すため様々な付加要素が加わりバトルファイトは変化していくわけだが、とにかく「お互いを必要としあう敵対関係」というのは、「仮面ライダー剣」を観る・語る上で外しようのないものだった。
個人的には、もしDCD剣編で大幅なアレンジを加えるとしたら、まずこの関係から打ち壊さなければならないと考えていたのだが、なんと実際にはほぼそのまま踏襲していた。
これでは、よほど丁寧な説明がなければ、この世界の基本的なルールがわかり難い。
一例だが、DCD版アンデッドがオリジナルの「殺せない存在」という設定を継承しているなら、まずそれを表現しておかなければならない。
それは、DCD龍騎編で鎌田がFARで生き残った、という描写だけでは全然足りてない。
それどころか、むしろその理由をDCD剣編で説明する必要があった。
これについては他にも触れるべき部分があるからまとめて後述するとして、とにかく色々と不親切な造りだったことは否めないだろう。
次に、BOARDの描写についての問題点。
DCD剣編では、ライダーを社員として抱えて対アンデッド活動を行い、政府から支援を受けているという大会社となっているが、ひとまずこのアレンジについては良しとしよう。
問題は、どういう運営形態・方針なのかが全然わからないという点だろう。
特に戦闘訓練を受けたらしき描写のない者を昇格させライダーシステムの使用許可を与えたり(もしムツキが訓練経験持ちならアンデッドに襲われた時に自力脱出くらいは出来たのでは?)。
ライダー変身・アンデッド封印が認可制で、しかも現地の情報が届いているとは思い難い上層部が、わざわざ経理→総務→社長の順を経て承認を行なう謎のスタイル(現場担当者が負傷または死亡する可能性を考慮してないのか?)。
スタッフ仲間を助けるため一時的に目標アンデッドから外れ、すぐに戦闘復帰したカズマを指して「会社に損害を与えた」と判断する社長の判断能力(アレはサクヤがよほど歪んだ報告でもしてない限りありえないレベルだろう)。
また、最前線で大活躍していた人間の能力や実績を考慮せずクビ宣告をする体制(仮にクビにするにしても引継ぎくらいはさせるのでは?)。
あげくに、あの超絶階級制の社員食堂。
DCD版BOARDは、一から十までギャグとして描かれていたのだろうか? と疑いたくなるくらい、訳がわからない。
謎めいた雰囲気という意味ではなく、不条理過ぎるという意味で。
しかも、今回はこのBOARDがメインの舞台だったため、益々訳がわからなくなった。
どうでもいいが、依願退職者をわざわざ社内放送で知らせるのって酷すぎるよなあ。
士じゃないが、ホント「最低の会社」だと思う。
BOARD最大の疑問点は、やはり「社員食堂」に集中するだろう。
まあ社員食堂が舞台に選ばれた点については百歩譲るとしても、それが物語にまったく貢献していない点はまずいだろう。
確かにカズマが送り込まれた先という意味では重要だったかもしれないが、そもそもカズマは最終的にBOARDをクビになるわけで、それなら別に社員食堂でなくても構わない筈だ。
社員食堂を舞台にしたため、非常に無駄な尺を取られてしまっているのは明白で(士への設備・メニュー説明場面やカズマのドジシーンなどは無くても問題ないだろう)、ほとんどギャグをやらせたいために作られた程度の効果しかない。
ちなみにあの立ち入り禁止は、現在多くの会社で導入されている社内セキュリティ(機密保持)の概念の応用だと思われる。
大きな会社になると、一部の社員のみが立ち入れるエリア、一般社員が立ち入れるエリア、外来客などを迎えられるエリア等が明確に分かれており、自由な行き来は出来ないようになっている。
しかも、エリア区分は床に色付きテープを直張りして示している。
もしこのエリア区分がないと、悪意ある外来者が自由に社内機密を外部に持ち出せてしまうので、どうしても必要になるのだが、さすがに不法侵入時にブザーまでは鳴らない。
BOARDの社員食堂のエリア区分を見る限り、どうもこれを応用またはパロディにしたようにも見受けられ個人的には面白いと思ったが、その社員食堂で働いている人間が階級の問題で立ち入れないとなると、どうやって給仕をすればいいのか疑問だ。
その他も色々言いたいことはあるのだが、あえて「社員食堂を選択した理由」に歩み寄って分析をしてみよう。
DCD剣編では、どうやら士とカズマの上下関係を表現した上で両ライダーの絆を構築する構想があったように思える。
そのため、BOARDとは違う“上下関係が表現できる設定”が求められたと考えても良いだろう。
しかし、それは便宜上BOARDに近い位置になければならない。
とすると、社屋内にある別業種がベストだろう。
この条件を満たすものの中でポピュラーなものは、確かに社員食堂だ。
普通、社員食堂は業務契約を結んだ他の会社により運営されている。
他にも清掃業者や警備、ビル設備管理など様々な他業種が存在するが、「会社の中に別な会社の人間が入り込んでいる」という大手企業ではよくある内情構成を理解していないと、これらはなかなかピンと来ないだろう(中小企業勤務だと、こういう関係はピンと来ない場合もありうるし)。
そう考えると、「大きな会社ならまず間違いなく存在する」社員食堂が選ばれた理屈もなんとなくわかる。
社員食堂なら、他業者が云々などとわからなくても、なんとなく納得出来そうだから。
また近年、派遣社員の扱いに関する諸問題がよく報道されるが、その中に「社員と派遣社員で食堂利用に制限が発生する」というケースも報じられ、話題になった。
こういう要素(というか時事ネタ)を取り込む事まで考えられたとしたら、まさに社員食堂はうってつけの選択肢となるのだろう。
なんだか根本的なところから間違っているような気もするが、とにかく社員食堂を中心にしたかった理由(というか可能性)は、そんな辺りに関わっているのではないかと筆者は勝手に考えている。
だが、仮にこのような理屈まんまだったとしても、それによって得られる本編で重要となる情報はあまりにも極少だった。
士とカズマの関係構築なら別な舞台(部署)でも充分可能だろうし、それによく考えたら無理に上下関係を作る必要もない。
加えて、7話での社員食堂の使われ方は、士のボーナス獲得作戦と、メインキャラ達の些細なブリーフィング、そして海東の唐突な出現程度にしか活用されておらず、大きく尺を割いた割にはほとんど意味を成していない。
それならもっとメインストーリーに食い込める舞台を選んでも良かったのではないだろうか。
それこそ、経理とか総務とか、実態が良くわからん部署の名前も出ているし。
どうせあの社員食堂の職員達も、ランクが与えられている以上BOARDの社員なんだから、同じような物だろう。
もっとも、士が赤字打破のため開発したランチメニューがハンバーグだったのは大爆笑。
実はアレ、材料費を誤魔化し易い&味の劣化がバレにくいので、材料費のコストダウンとしては良く用いられるアイデアだったりする。
そういえば、6話でも士がソースの味見をして「ケチャップと醤油」の追加を指示しているが、あれもデミグラスソースに対してのものなら実はそんなに的外れではない(デミグラスソースには他にもウスターソースやリンゴのすりおろし、洋酒や生クリーム等様々なものをぶち込んで味を調えるケースが本当にあるのだ。……主に缶詰に対して、だが)。
こういうところだけ妙にしっかりしているのも、なんだかなあ。
ちなみに、カズマがどん底までランクを落とした決め手は給仕のミス等だが、本来であれば食堂でのミスとその罰則に関しては現場上司の裁量となる筈だ。
相手のランクがAだとしても、(普通なら)それは変わらない。
何故なら、カズマの失態はそのまま上司の管理責任になるからだ。
にも関わらず、士は何も言われず、カズマは一気に降格させられてしまった。
……どう考えても、あれは士が「あいつはもうダメだ、使い物にならん」と社長に報告しない限り起こらない事態のような気がするんだが……
もしそうでないとしたら、BOARD社長、下々の者達に対して無駄に注意を向けすぎな気がする。
ぶっちゃけ、あまり経営者に向いてないよね。
●ジョーカーと鎌田、そしてアンデッド
DCD剣編ではアンデッドの存在理由が実に不明瞭で、ほとんどオリジナル剣で言うところのダークローチと大差ないものに成り下がっていた。本編を見る限りでは、ただ理由なく人間に危害を加えて駆除されるだけの存在のようで、ライダーに倒されるのはいいのだが「アンデッドは殺せない」「封印しなければならない理由がある」という点にはとうとう触れず仕舞いだった。
このため、「仮面ライダー剣」の知識がない人は「ディケイドはアンデッドを“殺せる”のに、なぜDCDブレイドやDCDギャレンはカードで封印するのか?」という疑問を抱いてしまいかねない。
いやそれどころか、アンデッド封印の理屈すらわからないかもしれない。
そもそもアンデッドの「絶対に殺せない」という設定は、特撮ヒーロー作品の敵役に施されるものとしてはかなり珍しい。
つまりそれは、既存の作品の予備知識を適応させ辛いことを意味する。
「倒せない者を倒す」という矛盾を強行するためには、それなりの理由を示さなければならないためだ。
だとしたら、最初にこの部分をしっかり提示しておかなければ、ブレイド達の活動の具体性が薄れてしまう。
「仮面ライダーディケイド」内において、オリジナル版アンデッドの基本設定を打ち崩してしまえばその限りではないし、それはそれでアリだったとも思う(倒す・封印するの二択があるが、ライダー達は社の命令で後者を選択している等)けど、DCD龍騎編ではディケイド&DCDドラグレッダーのFARを食らって尚死ななかった鎌田asパラドキサアンデッドを出してしまった以上、それでは最低限の整合性すら失われてしまうことになる。
整合性無視は平成ライダーのセオリーとはいえ、こういうのはまずいだろう。
なんせたった一つ前の回なんだし。
さて、アンデッドの特徴といえば不死性の他にも「カテゴリ分別」と「スート区分」があるが、今回これはBOARD社員の階級差として設定されており、劇中ではアンデッドに対して用いられているものではないように感じられた。
……が、実はDCD龍騎編にて、鳴滝が鎌田を指して「ハートのキング、パラドキサアンデッド」と紹介している。
ご存知の通り、パラドキサアンデッドはオリジナル剣においてカリスをワイルドカリス化させる重要なカードとして登場してはいるものの、開放状態の実体はとうとう出てこなかった。
つまり、DCDクウガ編のン・ガミオ・ゼダやDCDキバ編のビートルファンガイア、DCD龍騎編の仮面ライダーアビスのような“DCD版オリジナルエネミー”に限りなく近い存在なのだ。
オリジナル剣を観ていた人達の中で、ハートのキングと聞かされて驚いた人は多かったのではないかと予想するが(筆者もその一人)、せっかくのこのカテゴリ、DCD龍騎編ラスト間際でかましたハッタリ程度の役割しか成さなかった。
それはともかく、「仮面ライダーディケイド」という物語の流れとしては、アンデッドにはやはりカテゴリ・スート区分が存在するのだろう。
にも関わらず、肝心のDCD剣編でそれに触れられることなくアレンジされていたのは、どういうことだろうか?
この辺りは、平成ライダーでよくありがちな脚本担当者間の連携不行き届きだったのではないかとも想定可能だ。
なぜかWEB上のごく一部で異常な人気キャラとなってしまった鎌田だが、せっかくDCD龍騎世界からの連続登場だったのにその特異性を活かすこともできないまま退場となったのは、本当に残念でならない。
DCD龍騎編では、どうやら今後引っ張りそうな存在に思えるほど良い描き方をされていたのでかなりの注目株だったが、DCD剣編では「別に鎌田でなくても問題なかった」描かれ方に留まってしまった。
というか、そもそも鳴滝が絡んでこその“DCD龍騎世界にも登場した”鎌田というキャラが成立するような気がするのだが、なぜか今回は鳴滝が登場していない。
結果、なんだかとても思わせぶりな存在に甘んじてしまったのが、本当に残念だ。
また、DCD剣世界で彼が四条(BOARD社長)と組んでジョーカーを生み出そうとしていた理由もよくわからない。
なんかとってつけたようにバトルファイトの名前が用いられていたが、そもそもこの世界でのアンデッドの定義がよくわからないため、「最強のアンデッド」とか言われても何がなんだか。
この人、ただ単に二つの世界を適当に引っかき回したかっただけなのでは? などと思わず勘ぐりたくなってしまう。
そもそも、アンデッドの脅威とそれに対抗して得られる安心感のバランスを独占調整するという目的意識を持っていた四条はともかくとして、それに協力する鎌田の目的は何なのか。
オリジナル版と違い、DCD版カリスは同カテゴリのアンデッドとの関連性が今ひとつよくわからないこともあり、彼らが手を組む理由すら納得に至らない。
また、せっかく生み出したジョーカーのカードが「チェンジ」とほとんど同じ性質しか持っておらず、しかも「特にピンチに陥った描写があるわけでもなかった」カリスから変身したためか、今いちジョーカーの強さ・ヤバさが伝わらなかったのも疑問だ。
なんだか「仮面ライダーカリス=ジョーカー」というお約束を、 形 だ け なぞってさらっと流しただけのような感が強い。
こんなものを作り出すために、わざわざ人間である四条と組んで、更にエース社員格を実質三人も犠牲にしてジョーカー一枚作る必要なんかあったのだろうか?
まして「人間とアンデッドの融合」とか言いながら、実際はアレである。
命を散らしたサクヤとムツキが本当に浮かばれないだろう。
――勝手に殺すなって? まあまあ。
また、ジョーカーを生産してこれを人類のあらたな脅威として配置する目的だったとして、そのために「対アンデッド兵器」であるライダーのバックルを全部使用したのでは、バランスを取るどころではないんじゃないか。
しかもその虎の子ジョーカーも、そして鎌田自身も、ブレイドブレードの一撃でまとめてあっさりポテチンである。
DCD龍騎の世界でしぶとく生き残った上、バックルすら割らなかった脅威の耐久性はなんだったのか。
本当、何がしたくて出てきたのか、まったく理解が及ばない……。
まあこれらも、別な見方をすればいかにも平成ライダーらしい描写だなという気もするが。
ここからは完全に憶測となることを先にお断りしておくが、筆者は、当初鎌田にもっと色々な活躍をさせる予定(というか構想)があったのではないかと考えている。
DCD龍騎編まで脚本を連続で担当した會川昇氏は、元々物語の構成を考案しそれに沿ったストーリーを描く事で知られており、また伏線張りとその回収についても丁寧で、平成ライダー脚本経験者としては比較的高い構成能力を持っている人である。
また、氏自身「仮面ライダー剣」の後半脚本を担当しており、唯一ブレイド関連の複雑な設定を把握していた(一説によると、劇中で使用するラウズカードの種類まで場面ごとに指定していた)という事もあり、これに関連するアンデッドの設定を意識していない筈はなかっただろう。
まして、パラドキサアンデッドは先述の通り「仮面ライダー剣」の作中では実質的に登場しなかった存在でもあり、その分特別視していた可能性も高かったのではなかろうか。
さもなければ、(直後のDCD剣編ではまったく用いられなかった)アンデッドのスート・カテゴリまでわざわざ鳴滝に語らせ、彼の正体のフルネームを明かさせた上、ご丁寧に緑色の血まで流させたりはしないだろう。
まあ、思い入れがあっただろう、というのは完全に筆者の予想に過ぎないが、だかあそこまで次の世界に関わる設定をちらつかせていながら、DCD剣編にそれがまったく継承されなかったという点には、別の意味で注目する点があるのではないか。
先にも触れた「脚本家間のディスカッションの不徹底(の可能性)」の断片が、ここにも見て取れる。
少なくとも、打ち合わせで綿密なやりとりが行なわれており、DCD剣編でのアンデッドの扱われ方などが會川氏にも伝わっていたなら、あのような(DCD龍騎編での)鎌田の描き方はする必要性がなかったことになる。
または、DCD剣編をまたいで(別な言い方をすれば、鎌田が絶対殺せないという基本設定を米村氏らが継承してくれることを信じて)、更に次のDCD555編以降に活かす構想があった可能性もある。
しかし現実には、ディケイドとDCD龍騎の合体必殺技を食らって生き残った鎌田が、DCD剣編では前の登場時とは何の関連もない謎行動をした挙句、ディケイドとDCDブレイドの合体技で今度は爆死するのである。
これで充分納得が出来ると言う人は、果たしてどれくらい居るのだろう?
「仮面ライダーディケイド」冒頭編の掴みを見事を描き切り、作品への注目度を高めることに貢献した(と言っても過言ではないだろう)會川氏は、その後「オトナアニメ」誌上のインタビューで本作を1クールで降板した事を表明した。
DCDアギト編で、氏の脚本担当はラストになる。
インタビュー中では「とても悲しいことが起きて(降板した)」という意味深な表現をしているが、ひょっとしたらかなり早い時期に降板の話は確定していた恐れもある。
その時期の前後に、もしDCD龍騎編とDCD剣編の製作が被っていたと仮定すれば、双方の噛み合わなさ具合もなんとなく納得がいきそうな気がする。
何せ、降板する會川氏がどんな伏線を張っていたとしても、続く脚本担当はそれを無理に継承する義務は負わないのだから(※本来はそんなことはないのだが、平成ライダーだし、ねえ…)。
以上の件、何の根拠もない単なる断片情報から筆者が勝手に想像したものに過ぎないが、この時期の話題についての備忘録的な意味で、あえて記述し残しておきたいと考える。
●ディエンド登場
こちらについては、今回よりむしろ次回のDCD555編で触れようと思う。それにしても、既に営業を終え従業員のミーティングが始まっているにも関わらずランチを並べた上難癖を付ける海東君。
ただの食い逃げでは済まされないような気がするのは、気のせいだろうか?
【個人的感想】
今回も、DCD龍騎編と同じく厳しい評価。(話の粗を無視すれば)見るべきポイントに溢れていたDCD龍騎編に比べると、ビジュアルインパクト面もかなり弱く感じられた。
ブレイドブレードを振り回すディケイドはなかなか迫力があったけど、せいぜいそれくらい。
後は、「何故今こんな話を?」という印象が最後まで抜け切れず。
ましてライダー同士の諍いなど、どうでも良い部分ばかり忠実に再現。
なんとなく、今までの平成ライダーの中だるみ部分を抽出して見せられたような印象が付きまとってしまった。
ぶっちゃけると、この時点まででは最低評価。
自分が大の「仮面ライダー剣」好きだという要素を除いて考えても、これはちょっときつい。
まあ、脚本がディケイド初担当の米村氏だということもあるから、これまでの平成ライダーでやってきた感覚をそのまま持ち込んでしまい、消化不良を起こしたのかもしれないが…
個人的には、カブト中盤以降の酷さでこの人には幻滅させられたこともあり(この辺については「仮面ライダーカブトの頭突き」を参照)、そういう観点からも素直に受け容れられなくなっているのかもしれない。
ただそういう偏見を抜きにしても、氏がカブト途中から身に着けた(導入し始めた)「クドさ」がやたらと鼻に突いたのは事実。
これは、例の「仮面ライダーG」でもやたら気になった。
また、所々に井上脚本的なテイスト(特に悪い部分として指摘されているもの)が感じられたのも、頭が痛いところだった。
まあ、井上氏との関係などを考えると、影響を受けるのもわかる気はするのだが。
というわけで、実は今回のコラムは文章をひねり出すのに相当な苦労を強いられた。
それでも、きちんと押さえるべき部分は押さえようとしているし、(客観的に評価した場合)見所も多数あったし「これこれ、これがないとブレイドじゃないよね!」というポイントも沢山あったので、何もかもが悪かったと言い切るつもりはない。
ただ、ディケイドの場合は各世界を巡るにあたって「その世界を(オリジナル版の知識とは無関係に)描く必要性がある」という条件があるわけで、それは少なくとも全ライダー世界を巡るまではつきまとうものだ。
それが今までの平成ライダーと大きく異なるポイントなわけで、米村氏がそこをどれだけ理解した上で担当していたのかが、最後まで気になってしょうがなかった。
とりあえず、現時点では「次に期待」というところか。
劇場版も期待してるからね。
今回個人的にツボったのは、ムツキの悪辣すぎる性格。
普通なら問題点として指摘されそうな部分だが、筆者にとっては逆だった。
まるでスパイダーアンデッド憑依当時の悪ムツキと某草加を足して煮詰めて二倍にしたような「嫌ないやなイヤな奴」状態で、オリジナル版終盤の描写を思い返すと血涙が止まらないが、これはこれでもう黒過ぎて最高。
命を救った相手に感謝の言葉を述べるどころかこれ以上ないほど嘲り、罵り、しかも先輩のサクヤ(DCDギャレン)を盾にしてカリスの攻撃を防ぎ、その上DCDギャレンに気を取られたDCDカリスを背後から狙い打とうと隙を窺う(そして失敗する)、あげくに降格したサクヤをこき使い仕舞いにはミッションに失敗してコテンパンにされる。
あの睦月をどう弄ったらここまで醜悪化(※この場合は褒め言葉)させられるのか不思議でならないが、とにかく素晴らしいほどの小悪党振りを堪能させていただいた。
睦月自体は、筆者も好き(キングフォーム化の意外な展開には思わず手に汗握ったほど)なのだが、ここまで原型をぶち壊してもらえるならおかしな比較をする必要もなく、かえってオリジナルキャラクターとして受け止められるのでありがたい。
筆者のポリシーとして、オリジナルとの比較をしながら観たりはしないというのがあるので、本来このような感想はおかしいのだが、とにかくこう書かずにはいられないほどお気に入りになってしまった。
そう、思わず出会い頭にライトニングブラストを食らわせたくなるくらい大好きである。
次はDCD555編。
予告のウ○コ座りするファイズに期待したのに…したのに……
でもこの話、実質的にはDCDファイズよりもディエンド主役編だったよね。