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更新日:2006年1月8日 | ||
平成17年12月22日、新潟県下越地方で、60万戸以上が停電するという事故がありました。 最も復旧が遅れたところでは復旧まで31時間掛かるというとんでもない事態になり、全国ニュースにもなっていたので、皆さんご存じのことと思います。 どうやら台風並みの強風と、海水の塩分を含んだ湿った雪によるショートが原因ではないかという話でしたが、原因が何であれ、その渦中にいた人達には、とんでもない経験でした。 2000年問題の時に騒がれた事態が、今更突然襲ってきたわけで、現代社会がいかに電気に依存しているかということをまざまざと見せつけられてしまいました。 …え? 「2000年問題」って何かって? 一昔前のコンピュータプログラムは、西暦を下二桁(95年とか)で管理していたので、2000年になって下二桁が「99」から「00」と減ってしまうためにエラーを起こすという話があったんです。 それをクリアするためにプログラムを修正したりしたんですけど、修正プログラムに不備があった場合は、電力会社やガス会社や水道局の制御コンピュータが止まったりして、電気・ガス・水道の供給もストップする可能性があるということで、カセットコンロや灯油の買い置き、ミネラルウォーターの確保など、えらい騒ぎになったものでした。 もちろん、特に問題なく過ぎてしまったから現在があるんですけど。 で、今回の大雪では、そのうちの電気が止まった場合が、何の前触れもなくいきなり襲ってきたわけです。 オール電化の家がえらい目に遭ったのは言うに及ばず、ごく普通の家庭でも、かなりとんでもないことになったものでした。 その日、鷹羽はバスで通勤していましたが、ひどい雪と風に見舞われて傘がお亡くなりになったものの、特にいつもと変わったところはありませんでした。 ところが、職場に着くと、なぜか点いている蛍光灯がいつもの3分の1程度。 全館暖房も止まっていたので、鷹羽は補助用のダルマストーブをつけました。 既に出勤していた同僚らに聞くと、なんでも停電していて、今は緊急用の自家発電で明かりが点いている状態なのだとのこと。 雷でブレーカーでも落ちたのだろうと思った鷹羽は、風邪気味で休んでいた相方に、冗談めかして、「やっと着いたら停電だよ〜」とケータイメールを送ってみると、なんと、アパートも停電していると返事がきました。 まさかそんな広範囲で停電しているとは…。 それでも、そのとき鷹羽が思ったのは、「寒くて風邪ひどくならなきゃいいけど」程度であり、相方に「布団に入って大人しくしてた方がいいんじゃない?」というメールを送りました。 アパートは、火災防止や湿気防止のため、灯油を使用した暖房器具が使用禁止になっているので、鷹羽の家にはエアコンしか暖房器具がないのです。 もちろん、テレビはつかないので、情報は入ってこず、この時点では、まさかあんなとんでもない事態になっていると気付きませんでした。 午前8時45分ころ、職場の電気が回復したので、鷹羽は仕事で使っているパソコンを立ち上げました。 ところが、数分後には再び停電、自家発電に切り替わりました。 パソコンの方は、無停電電源装置が生きているうちに終了させたので問題ありませんでしたが、この後、怖くて立ち上げられない状態になりました。 さらに、電車通勤の人から、「電車が○○駅で止まっていて到着できない」という連絡が続々と入っていることも分かりました。 いえ、雪の季節に電車が遅れたり止まったりすること自体は、新潟では珍しくありませんが、それが“停電による不通”というのは滅多にないのです。 その後も数分ごとに回復、再停電を繰り返し、そのうち、付近一帯が停電中で、信号機も使えなくなって、警官が手旗信号で交通整理しているなどという話も聞こえてきました。 さすがに周囲にも“これはもしかするとかなり大規模な停電なのでは…”という空気が漂い始めました。 なにより、電話こそ使えるものの、コピー機もファックスもコンピュータ機器も使えず、仕事にかかれないでいる同僚達は、関係者と連絡を取るたびに情報交換するくらいしかできることがないという状態だったのです。 外回りに出る人も、何しろ信号もまともに動いていない状態ですから、目的地にいつ着けるのかまるで読めない状況となり、来る予定だった人からのキャンセルの連絡も相次ぎました。 ラジオで情報収集する人なども出てきて、一部営業しているホームセンターなどでは石油ストーブやホカロンが瞬く間に売り切れたとか、スーパーなども、レジが使えず照明が点かず、エレベーター、エスカレーターも動かないため、臨時休業するところが出てきたというニュースが入ってきました。 そして昼。 お客の都合で仕事が押して、午後1時ころ、吹雪の中、必死に近くの食堂に行くと、そこはなんとか営業していました。 その店は、明かりは点かないものの、一面に並んだ大きめの窓から、吹雪とはいえ薄暗い程度の光は差し込んでいるので、ものを見るのに苦はなく、また、調理そのものはガスで行っているので、換気扇が使えない分、匂いがこもる程度でした。 しかし、ビル内のテナント食堂などでは、窓がないため、明かりが点かない=何も見えないという状況で、営業中止になっているところも多かったようです。 昼休みの間、ケータイにラジオやテレビの受信機能がある人は、ケータイで情報収集していました。 やがて、鷹羽に相方から「水も出ないので、停電してない実家に帰って、今夜はそこに泊まることにする」というメールが来ました。 そう、鷹羽はすっかり忘れていましたが、アパートなどの建物の水道設備は、一番上の階に一旦水を運んでから流しおろすシステムを取っているのです。 職場の水道は、屋上に一旦水を揚げて貯める高架水槽式で、水槽が空になるまで水が出るのですが、アパートの方は横置き式の水槽なので、ポンプが止まった時点で直ちに水が出なくなってしまうのです。 鷹羽の家はガスコンロを使っているので、電気ポットがなくてもお湯を沸かすことは可能ですが、肝心の水がなければ沸かしようがありません。 風邪引きなので、吹雪の中、歩いてコンビニに買いに出るわけにもいきません。 午前中は、ポットの中のお湯をコンロで沸かし直していたそうですが、それもなくなったとのことでした。 相方が、実家のある胎内市(普段なら車で1時間程度)に帰ることになったので、容態を心配していた鷹羽は、ひとまず胸をなで下ろしました。 この辺、“どうして鷹羽が帰ってから移動するという選択肢がないのか”と不思議に思うかもしれませんが、渦中にいると、こういう考えはさほど変でもないのです。 前提として、通電がいつ回復するか分からないという不安があるからです。 相方は風邪を引いているとはいえ、熱があるだけで具合はさほど悪くありませんので、通常ならば自分でお粥でもうどんでも作って食べられますが、何しろ水が出ないので、煮炊きができません。 昼食はありもので済ませたそうですが、夕食までに回復しなければ、食べるものもないわけです。 また、昼は窓明かりでものが見えますが、夜になったら室内も懐中電灯なしには何も見えなくなるのは明らかです。 さらに、トイレも水が流れないわけですから、鷹羽が帰るまでの数時間をアパートで1人過ごすのは辛いものがあります。 そう考えると、多少無理してでも、暖かいところに行った方が心身共に安全なのです。 信号機が止まっているといっても、新潟市からの道のりの半分は、元々信号がない(ほとんど高速道路のような)新新バイパスですから関係ありませんし、バイパスの降り口である新発田から先は、鷹羽の実家(新発田)に確認したところ、今は停電していないとのことでしたから、多少渋滞しているにせよ、混乱はしていないでしょう。 また、暖房もない室内にいるより、車内でエアコンを効かせていた方が遙かに暖かいので、風邪が悪化する危険も低いです。 さすがに、近場のコンビニに行く程度では、車を使うにしても、車内を温めたりするだけで10分近く掛かりますし、車を降りたら却って寒い思いをする羽目になりますが、行き先が暖房の効いた実家なら問題ありません。 吹雪も少しおさまって視界は回復しましたし、眠くなるような風邪薬も飲んでいませんし、通り慣れた道ですから、まあ、運転も大丈夫でしょう。 さすがに路面凍結しているようだとやばいですが、それほどには気温が低くないようです。 というか、中途半端に気温が高い(3〜4度?)から、湿った雪が降ってこんなことになったわけで。 こうして、午後2時ころ、鷹羽は、安心して午後の仕事を始めました。 といっても、文明の利器はのきなみ使えなくなっているので、書類を作るにも古い手書き用紙を引っ張り出す羽目になり、仕事の進み具合は普段の半分の早さも出ませんでした。 この日は、たまたま来客予定が多かったのですが、それでも半分以上が予定どおり来てくれたので、鷹羽の仕事は、まだ順調といえる状態でした。 お客にお茶も出せないのが、少々後ろめたくもありましたが、この際仕方ありません。 お客も状況を分かっていますので、薄暗い中、普通にしてくれていました。 長時間の停電に、メインサーバもダウンしてしまっており、社内LANは全滅、会計関係などサーバ内のデータを使わなければ仕事にならない部署の人は、データの打ち込み読み出しがまるでできず、後で打ち込むことにしてとりあえず書類を流していくしかない状況だったそうです。 さて、午後3時ころになり、なんとか蛍光灯を灯し続けていた自家発電の燃料が尽きかけているという話が出てきました。 燃料に何を使っているのかは知りませんが、給油もままならないとのことでした。 後に知り合いから聞いたのですが、当時、ガソリンを給油する機械なども止まっていて、スタンドも開店休業状態だったそうです。 自家発電の燃料が尽きるのが午後5時過ぎころの見込み(要するに8〜9時間分の備蓄しかない)ということで、5時を過ぎたら仕事の関係で帰れない者を除いて帰宅するようにとのお達しがお偉いさんから下り、さらに、万一の場合を考えて、各部屋にローソクが配られました。 そうこうするうちに、午後4時半ころ、通電が回復しました。 まぁ、朝の例もありますから、いつまた停電するか分からないし、結局は全員早めに帰るという方針は変わらず、鷹羽もさっさと職場を後にし、途中道路状況が不安だったのでタクシーを拾って、午後6時半ころにはアパートに帰り着きました。 タクシーの中で状況を確認すると、鷹羽のアパート周辺は、午後3時半ころには回復したらしいとのことで、確かに電気は通っていました。 早速電気ポットに水を補給して湧かし直し、その日1杯目となるコーヒーを飲みました。 あ〜、大変な1日だった。
…大変はまだ続いていました。 |
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