仮面ライダー響鬼のお仕事 第7回 
スタッフが、替わったぁ
鷹羽飛鳥
更新日:2005年10月1日
 29話『輝く少年』をもって、とうとう高寺プロデューサーが更迭され、30話『鍛える予感』から白倉プロデューサー・井上脚本が導入されました。

 この背景には、かねてから囁かれていた売上低迷ではなく、異常なまでのテレビ局への納期遅延と、度重なる遠方ロケによる制作費の消費過多という事情があるそうです。
 最も信憑性が高そうな説は、それにより、東映側が高寺氏には任せられないと決断して更迭したというものでした。
 各所で様々な情報が錯綜していますが、関係者でもない身には、裏を取ることも不可能に近いわけで、どれほど信憑性のある情報であっても、あくまで参考にしかなりません。

 番組を見る限り、1話から屋久島にロケに行ったり、その後も山の中などに行ったりしているようですし、マイナーチェンジが多いとはいえ、CGによる魔化魍をほぼ毎回のように出せば制作費が嵩むのは間違いありませんし、童子と姫の怪人体や、ちょい役の鬼達まで着ぐるみを作っていることからすると、制作費がかなり欠乏しているという説はかなり信じられそうです。
 高寺氏の場合、『クウガ』の時にも、2話の教会炎上のシーンにお金を掛けすぎて台所事情が厳しくなったという前科がありますし。
 まぁ、納期の遅れにしても、ワザとだという噂もありますが、故意であるにしろないにしろ、スケジュール管理を重要な仕事とするプロデューサーとしては、能力不足と言われてもやむを得ないでしょう。
 もし、そこに制作費の管理もできないという要素が加われば、更迭は当然と言えるかもしれません。
 “より良い作品にするために経費が掛かる”という言い訳もあるかもしれませんし、職人気質ということで、誉められる場合もあるかもしれません。
 かつて円谷プロは、『ウルトラセブン』を制作するに当たって、より良質な作品にするためにと、TBS側から与えられた予算を大きく上回る制作費を注ぎ込んでいました。
 これは、会社の方針として“円谷の名に恥じない作品を”との意気込みからで、予算枠を超える金額については社の持ち出しという形で、自らの貯金を食いつぶしながら制作していました。
 そのため、会社が傾く事態となり、TBS側から放映延長を求められたにもかかわらず「これ以上は無理」という判断から終了したそうです。
 これもまた職人気質ですし、実際、会社の方針として会社が金を出していたわけですから、外野がとやかくいうことではないでしょう。
 でも、自分がお金を出すわけではない高寺プロデューサーの場合、“良い作品を作るにはお金が掛かる”というのは制作費で赤字を出した言い訳にはなりません。
 プロでありサラリーマンである以上、「与えられた予算枠内で一定の成果を出すのが当然」と言われれば、返す言葉はないのです。
 その意味では、鷹羽としては、この噂が本当ならばという但し書き付きではありますが、今回の降板劇はやむを得ないと思っています。
 そして、恐らく噂は本当だろうとも思っています。
 後任の白倉プロデューサーが自身のブログなどで愚痴をこぼしていたという話については、外部に向けて愚痴をこぼすのは、プロとしてどうかと思いますが、それでも多少同情的です。


 ともあれ、前回、「後は、『ジバン』のように大々的かつ急激に変えすぎて、整合性がまるで取れなくならないよう注意してくれればいいと思います。」なんて書きましたが、既に「『響鬼』が『響鬼』でなくなった!」という悲鳴が一部で上がっています。
 そういった人の一部は、番組の公式サイトに文句を送っても黙殺されるからと、ちょうど公開されていた劇場版公式サイトのブログに殺到し、高寺派と白倉・井上派(反高寺派)の罵り合いとなって、とうとう彼らを隔離するために「謎の空エントリ」なるものが用意される事態となりました。
 まぁ、プロデューサーの首のすげ替えなんて、そう滅多にあることではないでしょうから、それにより発生する不安は分かりますし、高寺氏から白倉・井上コンビに替わるというのは、設定がかなりきっちりしていた『クウガ』から、かなりいい加減だった『アギト』になった時の変化を思い起こさせるものだったりするので、“悪夢再び”なんて思っている人も多いのではないかと思います。
 『クウガ』→『アギト』が「悪夢」かどうかは、その人その人の感覚だと思いますし、逆に『アギト』の方が良かったと言っていた人も相当数いるわけで、一概に善し悪しを論じることはできません。
 ちなみに、ネットもやらず、子供に付き合ってテレビを見ている程度という鷹羽の友人(一般人)は、そのような裏事情は全く知らず、30話からプロデューサーや脚本家が交代したことも気付かずに見ていました。
 せいぜい桐矢について、「変なキャラが出てきたなあ」という感想を漏らしていた程度です。
 子供(2歳)の方も、特に気にせず見ているそうです。
 これが普通の人の反応なのかもしれません。
 まぁ、鷹羽の相方は、布施明氏の役柄を見て「なんでこんな変な役やってんの?」と絶句していましたが。


 冷静に考えれば、1つの作品に脚本家が複数いるのはむしろ当たり前ですし、途中で脚本家が新規参入することも、その人がメインライターにシフトすることも、そう珍しいことではないでしょう。
 各脚本家によって、キャラクターの描写が微妙に違うことも当然ありますし、その辺は多少の波があってもやむを得ないところです。
 もちろん、波幅が小さいに越したことはありませんが。


 また、今回の更迭にはバンダイの圧力は直接関係ないにしろ、商品の売上が低迷しているのも事実です。
 主力商品であるDX音撃棒セットはもとより、一見順調に見えるディスクアニマルにしても、実は印象ほど売上は芳しくなく、既に品余りになり始めているなど、かなり厳しい状況です。
 以前にも書きましたが、同時期に放送されていた『超新星フラッシュマン』と『時空戦士スピルバン』、『機動戦士ガンダムΖΖ』では、いずれも生き別れの両親や姉、妹を追い求めるという物語が描かれており、3作品全てのメインスポンサーだったバンダイの“ヒーローが自分の肉親探しを戦う目的にするのは良くない”という意向から、『フラッシュマン』以外では大きく路線変更がなされました。
 具体的には、『スピルバン』では、敵方の戦士ヘルバイラに改造されていた姉:ヘレンを人間に戻してスピルバンの仲間にさせ、『ΖΖ』では妹:リィナを主人公ジュドーの目前で死亡(実は生きていたというオチが付きましたが)させたわけです。
 こんな、“企画書段階で気づきなさいよ!”と言いたくなるようなネタの重複でも、スポンサー様の発言力はまかり通ってしまうわけです。
 ましてや『響鬼』は、いくつも重大な問題を秘めていたわけですから、たとえプロデューサーやメインライターが交代しなくても、いずれ大規模な路線変更を余儀なくされていたことでしょう。
 例年どおり、新アイテムによる強化変身は、どの道避けられないのですし。

 そういうわけで、以前のスタッフでも間違いなく路線変更されたはずですから、今更スタッフ変更の是非を問うても仕方ありません。
 そして、アームドセイバーが1本しかない以上、強化対象となるのは響鬼だけですから、どうしたって複数の鬼が平均的に強く見える演出なんかできっこありません。
 『ブルースワット』のハイパーショウや『ビーファイター』のブルービート・メタルフォーゼのように、それまでほぼ同等の能力だった3戦士のうち1人だけが大幅にパワーアップすれば、自動的にほかの2人の戦闘能力が見劣りすることになってしまうからです。
 また、強化された以上は、その力を軸に戦わなければ、ほとんど活躍しなかった『555』のブラスターフォームのようにちっとも強く感じない羽目に陥ります。
 つまり、魔化魍側がアームド響鬼でないと倒せないくらい強くならないと、アームド響鬼の存在意義そのものが揺らぎ、ますます商品が売れなくなる、と。
 ということは、響鬼以外の鬼達はその魔化魍には勝てないわけで、主な仕事は、敵の強さを示すためのやられ役か戦闘補助、時間稼ぎということになってしまいます。
 当然、その矢面に立たされるのは、レギュラー鬼である威吹鬼と轟鬼です。
 現在のところ、威吹鬼の弱体化が取り沙汰されていますが、スタッフが変わろうと変わるまいと、これはどうしようもないことだったりするのです。


 とはいえ、それまでのスタッフで路線変更するのと、新体制で路線変更するのとでは鉈の振り加減が違うでしょうから、世間の心配もごもっとも。
 一応、鷹羽も、あまり構えずに見るようにしていますが、心配はしています。
 今後、どのような展開になるのか。
 そして、それが作品としての全体評にどれくらい影響してくるのかは、最終回が終わってみなければ分かりません。
 ただし、鷹羽は、プロデューサーが替わって路線変更したからといって、『響鬼』の作品評が途中で切り替えられるべきとは思いません。
 もちろん、評価するのは人それぞれですし、他人の評価の基準についてまでとやかく言う気は毛頭ありませんが、もし、鷹羽が『響鬼』の総括評論を書くとしたら、全部繋がって1つの作品というスタンスで書くでしょう。
 『アクマイザー3』や『宇宙鉄人キョーダイン』、『大鉄人17』などのように、前半と後半で雰囲気が大きく変わる例はありますが、それでも一般には、あくまで1つの作品として評価されています。


 アニメでも、『勇者ライディーン』のように、途中で監督が交替した作品もあります。

 一般にはあまり知られていないようですが、この作品の監督は、当初『機動戦士ガンダム』の富野監督でした。
 この作品は、古代ムー帝国の科学で作られた巨大ロボ:ライディーンと、妖魔帝国との戦いを描いた作品で、
  • 主人公の洸が乗り込むまで、手も顔も隠れていて、金色の像のような状態のライディーン
  • 乗降口などはなく、ライディーンの額の部分の装甲に吸い込まれていくように乗り込む(フェードイン)
  • 生物の体内を思わせるコクピットまでのライディーンの内部
  • レバーやスイッチをあまり使わない操縦
  • 石像になって敵に捕らわれている父が満月の光を浴びて一時的に復活すると、それに対応した部分が金色になって動かなくなるライディーン
など、神秘性を前面に押し出した描写が特徴の作品でした。

 ところが、ロボットアニメにおいて、ロボットがロボットらしくないというのはかなり問題だったようで、ライディーンのコクピット内部のレイアウトは若干変更され、メカであることを強調するために敵が透視光線でライディーンの内部を調べる展開になって、画面に映し出された透視図を見ながら、敵幹部が「これがロケットエンジン、これがコクピット」などと説明してくれたりしました。

 ちなみに、番組当初、フェードインの際は、洸が乗っているバイク:スパーカーをジャンプさせ、そこから更に洸が飛び出してライディーンにフェードインしていましたが、洸がジャンプした後、無人のスパーカーがどうやって壊れずに着地しているのかは謎とされていました。
 それが、メカニック描写の変化の一環として、フェードインのシーンに“スパーカーは洸が飛び出した後、ライディーンの腰部分が開いてそこに着地して収納される”というのが加わりました。
 これは、前述の透視図の際にも映し出されており、「オートバイか」とコメントされています。
 それでも足りなかったのか、26話で富野監督は更迭され、後に『超電磁ロボ コン・バトラーV』などを手がける長浜監督が後を継ぐことになりました。
 この影響で、敵組織が再編成されることになり、実は洸の兄であるという設定だった敵首領プリンス・シャーキンは、そういった裏設定を全く語られることなく倒され、真の敵である妖魔大帝バラオが出現してしまいました。
 これに伴い、味方側でも一部レギュラーキャラの整理が行われました。
 
 この辺の裏事情は、当時は一視聴者には知る術はありませんでしたし、物語中盤で敵組織が再編成されるのは、その後の『コン・バトラーV』でもやっていて、作風が変わったことを感じ取った視聴者はそう多くはなかったのではないかと思います。
 『コン・バトラーV』の次の『超電磁マシーン ボルテスV』でも、再編成こそなかったものの、中盤には新幹部の登場と敵ロボットの強化があったりして、“途中で敵組織が強くなるのは当たり前”でしたから。
 もちろん、先に挙げたシャーキンのように、この監督変更に伴って消滅した伏線はいくつもありますし、言われてみれば、確かに相当雰囲気が変わっているのですが、当時、製作指揮者が変わったことによる変化だと気付けた人は、相当少数派だったのではないかと思います。
 この当時、そこまで考えて見ている人はあまりいなかったでしょう。
 当時リアルタイムで見ていた幼き日の鷹羽も、“いつの間にかスパーカー収納のシーンが映るようになった”とは思いましたが、それがどういう理由だったかまでは想像しませんでした。
 スーパーロボット大戦シリーズでしか『ライディーン』を知らない人は、その辺の細かいことは知らないと思いますし、何も知らずにアニメを全話見ても、監督変更までは気付かない人の方が多いのではないでしょうか。


 そういうわけで、鷹羽は今しばらくは温かい目で『響鬼』を見守りたいと思います。
 来月のこのコーナーで何を書くことになるのか、鷹羽自身、まだ分かりません。
 どうか文句たらたらじゃありませんように…。




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