実写版『エースをねらえ!』見終わりました
鷹羽飛鳥
更新日:2004年9月5日
 以前に1回書いた実写版『エースをねらえ!』が、今度DVDになるそうです。

 思えば、『マリンエクスプレス』そこのけのジェットコースター的展開で、たった9話できっちり宗方は死んでしまいました。

 そりゃあもう、展開が早い早い。

 前回「ダブルス優勝くらいで終わるのかな?」などと書いたら、原稿がアップされた日(4話)にはもう優勝しているし、5話くらいには全国選抜選手の話になっているし、宝力冴子なんか、登場したと思ったら翌々週には退場してしまうしで、原作知らない人が付いていけるのか心配になるくらいです。
 たしか、原作ではオーストラリアに遠征に行ったときにレイノルズコーチ(実写版では最終回に登場)に会っていたはずなんだけどな〜。

 まるで1年続いたテレビシリーズのダイジェスト版を見ているようで、かなり展開が変えられていて、イベントやキャラクターも随分オミットされました。
 そうかと思うと、音羽さんという原作ではちょい役で消えていったキャラが最終回まで登場し、自分を踏み越えた責任を取って強くなれとひろみを励ましたり、近所の子供達にテニスを教えるようになっていたりと、せっかく登場したキャラを巧く生かそうという演出をしていたようです。

 ちなみに、アニメ版の『エースをねらえ!』では、音羽は“手に故障があってもうじきテニスができなくなる”という事情を持ち、最後に大会に出場すべく頑張っているというオリジナル設定を与えられていたそうです。


 そういえば、前回は「あまり演技が下手な人はいない」とか書きましたが、緑川蘭子と宝力冴子役のお二方はちょっと…でしたね。
 演技だけでなく、ベッキー氏演じるところの宝力冴子の怪しい外国人ぶりもさることながら、原作では“背の高さがコンプレックスだったがテニスをしたことで救われた”という重要な背景を持っている蘭子が、お蝶夫人とどっこいの身長しかなかったのはかなり痛いものがありました。
 また、原作では藤堂よりも落ち着いて大人っぽかった感のある尾崎が、やんちゃなお調子者になっていたのは、短い放送回数でキャラクターの区別を付けやすくするのと、藤堂を“いい人”に見せるための方便だったのでしょうが、きっと原作の尾崎のファンは怒って見てるだろうな〜とか思ってました。
 ちょっとトクサツネタを振っておくと、ひろみに意地悪をするテニス部の先輩:島真理子役の平岩紙(ひらいわ・かみ)氏は、『仮面ライダーアギト』にあかつき号乗客:関谷真澄役で出演してます。
 不安に駆られてあちこち行くたびに訪ねた仲間が死んでしまうという眼鏡のお姉ちゃんで、実は仲間を殺していたのは真澄に取り憑いていたアンノウン:水のエルだったという不幸の配達員です。
 ちょっと自分勝手で物言いのきつい役どころが真澄とよく似ていて、笑っちゃいました。

 まぁ、なんだかんだ言って、原作の感動的な台詞はかなり網羅されていたようですね。
 鷹羽は諸般の事情で1回半見損ねてしまったので、その間にどういう台詞があったのかまでは分からないんですけれど、原作にある相当数の台詞が使用されていたようです。
 特に「この一球は絶対無二の一球なり」という言葉は、最終回でのお蝶夫人との決戦でひろみの支えになるなど、なかなか巧い使い方をされていました。
 欲を言えば、もっとシチュエーションで深みを増してほしかった言葉などもありますが、十分及第点を取れる番組になっていたと思います。
 
 展開の最大の変更点としては、早々に西高テニス部の話を切り上げてジュニア強化選手選抜→アメリカ遠征選手選抜の話に持っていったことが挙げられます。
 原作では、新入生から憧れの先輩として見られるようになったことなど、西高での生活を中心に、選抜選手としてのスケジュールをこなしていくことになるのですが、その辺りは豪快にすっ飛ばして、いきなり選抜選手として試合の嵐になっていったようですね。
 また、原作では尾崎やお蝶夫人らも参加していたアメリカ遠征を、男女各1名の参加枠に絞ることで、ひろみとお蝶夫人の決着やひろみと藤堂の精神的な繋がりをラストへのうねりにしていました。

 そして、原作では、宗方が死んだときは、ひろみが日本の第一線のジュニアプレイヤーの1人として巣立っていこうとするところでした。
 ですから、ひろみがお蝶夫人を超えるのは、宗方の死後大分経ってからなんですけど、テレビドラマとしてみれば、やっぱりひろみが独り立ちしてくれないと終わり方として弱いですから、やはりお蝶夫人に勝った上で旅立つという形にせざるを得なかったのでしょう。

 あと、もう1つ大きな変更点は、宗方が藤堂に「岡を愛している」と告白したことでしょうか。
 この辺は、たしか最初のアニメ版だったと思いますが、「岡が母に似ているから選んだ」みたいな台詞があったことと関係しているのかもしれませんね。
 どこかの番組で、そういうネタが流れていたようですし。
 宗方がひろみを見出した理由というのは、端から見ていると理解しがたい部分ですから、分かりやすい理由を与える必要はあったのかもしれませんけれど、たまたま選んだ人間が凄い素質の持ち主だったというのは、ちょっと…。
 むしろ、宗方の目に適った素材を育てるうちに、どんどんはまりこんでしまっただけだと思うので。
 ただ、今回の実写版での改変部分は、それ自体は特段問題のあるものとは思いませんでした。

 記憶によれば、原作で宗方は確かにひろみを愛していましたが、死ぬまでそれを表に出すことはありませんでした。
 自分の死後ひろみを託すことにしていた桂大悟への手紙には、男としての愛情を抱いていると感じさせる文章が綴られていたはずですが、藤堂やひろみ本人に対しては、宗方はあくまで“生き方の見本”とでも言うべき接し方をしていました。
 なにしろ、実写版ではオミットされましたが、原作では藤堂とひろみに「2人のことは今後それぞれの自覚に任す」という意味のことを言って、事実上交際を許可していますし、藤堂個人に対しても「愛はある、育てる以上。だが、育てて育てて、最後にはよその男にやってしまう父親の愛に何の打算がある?」と、自分の愛が「父としての見守る愛」だと強調していました。
 いずれ、任せられる男が現れれば任せるという覚悟はしていた愛であるということを消化している以上、今回の実写版には文句を言う気にならないわけです。

 まぁ、個人的には宗方がひろみを見る目にはあまり生臭い部分はないと思ってるんですけど、一方で、宗方が死を前にしていない人間だったとしたら、やはりあそこまでストイックに指導することはできなかったでしょうから、その意味でも“俺にしか育てられない”という宗方の言葉は的を射ているのかもしれません。


 でもねぇ…。
 ラストシーン、宗方の遺品の日記をひろみが持ち続けていて、涙で「岡、エースをねらえ」という文字が滲んでいたのはいいんですけど、 控え室のひろみの周りに誰もいないってのは、どういうことでしょう?

 要するに

 あれから数年、世界の第一線で活躍を続けるひろみは、試合前に宗方の日記を見て気合いを入れていた

ってシーンなんだろうけど、普通、世界的なプレイヤーの控室なら、コーチとか傍にいるもんじゃないの?
 レイノルズコーチは? 藤堂は? もしかして、ひろみって世界に羽ばたいたのと引き替えに天狗になって友達なくしちゃった?


 このドラマ、かなり好評だったようで、秋には続編を特番でやるそうです。
 今度は桂大悟も登場するそうですが、そうすると、ますますあのラストに繋がらないような…。
 果たして、どうやって繋げるのでしょう? お手並み拝見といきましょう。


 → NEXT COLUM
→「気分屋な記聞」トップページへ