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更新日:2004年1月23日 | ||
もうかなり前の話になるが、CSのアニマックスで放送していた「海底超特急マリン・エクスプレス」を観た。 これは、79年度「日本テレビ・24時間テレビ」の中で放映されたアニメ作品で、手塚治虫作品に登場する名キャラクターが総出演(完全じゃないが)するというすごい物で、当時はかなりの高評価を得た作品だった。 映像的なものだけでなく内容も演出も大変凝っており、その時点での手塚プロ・アニメ作品の集大成的な物に仕上がっていた。 キャラクターもすごい。 「7つの力を持たない」以外、ほとんどアトムそのもののアダムというロボット(声は清水マリ!)、お茶の水博士と同じ声でしゃべるそっくりさん(笑)、ヒゲオヤジはもちろんの事、なんとブラックジャックまでその役で登場している(声は野沢那智)。 さらにサファイヤ、写楽、レオ、アセチレンランプ、ハムエッグ、ブーンなどお馴染みのキャラまで出た上に、ドン・ドラキュラまで!(笑) 手塚作品を多く読んでいる人にはたまらないキャスティングで、さらに物語自体は完璧なオリジナル。 しかも、そこまでの手塚的作品感とはまったく違うコンセプト…"海底を走る夢の超特急の中で発生する事件と陰謀"というものだから、ファンにはこたえられないものだ。 この翌年に「(新)鉄腕アトム」のテレビアニメが同局でスタートしたのだが、その前夜祭的な役割を果たしたという意味でも存在意義の高い、素晴らしい作品だったのだ。 で、筆者はこれを本放送当時以来久しぶりに観た。 当時小学生だったとはいえ、内容はおろか場面一つひとつもほぼ完璧に記憶している自信があった。 というのも、うちには結構古くからビデオデッキがあったので、録画して何回か観ていたのだ。 もっとも、すぐに上書きして消してしまったのだが…今みたいに保存しておくという概念がなかったからね。 内容や細かな場面はほとんど記憶通りで、ほとんど違いもなかった筈なのだが……けど、何かが違う。 そう、あの当時みていたものとまったく同じ物だという事は(当たり前だけど)理解しているというのに、あの当時にはまったく感じなかった強烈な違和感があったのだ。 そう、違和感… 「これって、こんなに展開スピーディだった…かな?」 第一の感想はこれだった。 場面や演出、物語内で発生するトラブル・ハプニングやその展開はたしかにそのままだというのに、どうもそれぞれの尺が短か過ぎる。 てっとり早く言えば「ジェットコースター的展開」の連続で、ほとんどゆとりがない。 とにかく、あまりにせかせかしく進行する物語に、呆気に取られてしまったものだ。 …いや、まあ、それでも面白かったし、何より懐かしかったからいいんだけど。 で、以前これと似たような感覚を覚えた事があったのを思い出した。 同じく79年に劇場公開され、一時は社会現象にまで発展してしまった「銀河鉄道999」だ。 テレビアニメが順調に進行している最中、テレビ版とはまったく違った美麗な画面構成とショッキングな演出、そしてなによりも「原作やTVよりも先に終着駅に辿り着いてしまう」という展開が当時のファンの興味を刺激し、一大ブームを築いてしまったのだ。 これは近年の「仮面ライダー龍騎・EPISODE FINAL」にも通じるものがあるが、はっきり言って当時の世間的な反響はあんなレベルではなかった。 いい年こいた一般人のおっちゃんが、今でも何気なくゴダイゴの「The Galaxy-Express 999」を唄ってしまうように、その人気はアニメに興味のなかった人達にまで浸透してしまったのだ。 そういう事もあって、いざ公開された劇場版はとんでもない大人気を博し、またその内容も大絶賛された。 第一話でいきなり倒されてしまう機械伯爵を中ボス的存在にしたり、リューズをまったく違うスタンスで登場させるなど、小粋なアレンジも魅力だった。 また、千年女王ことプロメシューム弥生さん(笑)も、ラスボスに相応しい風格を持っていた…と、当時の誰もが感じただろう。 言うまでもなく、この作品は「名作中の名作」としてファンの心に刻まれた訳だ。 …が、そんな「999」を十数年後に観返してみたが、ずえんぜん面白くないのだ! 「そんな馬鹿な!」と思われる方もいるとは思うが、よくよく考えてみていただきたい。 面白くないのも当然の話で、たった2時間弱という制約の中で、地球旅立ちのイベントから冥王星などのポイントを経由し、さらに途中でトチローの死というイベントまではさみ、なおかつ、まだその時点では原作すら辿り着いていない「惑星メーテル」まで行って帰ってくるのだ。 どう考えても、尺が足りるわけがない。 そのため、本編はすさまじいスピード展開…いや、もっと悪い言い方をしてしまえば、「原作やTVで内容を理解していなければまったくわからない」という展開でカッ飛んでいく。 途中停車する惑星でのやりとりは、それに相当する原作ないしはアニメ版の内容を、観ている側が記憶している必要性があり、中途半端な描写・演出も脳内で補完していかなければならないのだ。 当時はすさまじいブームだったので、ほとんどの人がその内容を頭の中に入れていた事だろう。 無意識に足りない部分を補え、悪い印象を抱けなかったのではないだろうか。 ものすごく楽しみにしていたにも関わらず、観終わったときに出た感想がこれだ。 当時熱狂的なファンだった筆者が、悪意なしにそう感じてしまうほどなのだ。 まあ…作品に対して盲目になっていたという事だろう。 いかに、当時ブームに浮かされていたかを再認識させられてしまった。 で、この事実を認めたくない筆者は、「999」視聴後立て続けに「千年女王」「我が青春のアルカディア」などの松本零士劇場作品を観たが、やはり同様の感覚を覚えた。 「アルカディア」は、まだ比較的面白かったが、ハーロックについては描かれるべき部分が多すぎるせいか、やはり一つきりの映画の中では収まりが効かなかったようにも感じられ、ところどころちぐはぐな印象すらある。 故・石原裕次郎に数分間だけ声優をやらせ、それだけでギャラ1000万円なんてとんでもない情報が流れていた本作だが、なんとなくもったいないかなと思わされたものだ。 意外と、こういう事って多いのかもしれない。 昔大好きで、面白いと思ったものを観直してみたら、意外につまらないという印象が強まってノスタルジーすら感じられない…などというケース。 また、「どうしてこんな作品が当時大受けしたのだろう?」と、価値観が変わってしまったために感じる違和感。 良くも悪くも評価眼が麻痺していた頃に楽しんでいた作品の再評価…これって、意外と怖い再発見があるのではなかろうか? などと思ったりする私。 「銀河鉄道999」人気は、ある意味時期限定のお祭りみたいなものだったのかなと、あらためて思った。 ……のだが、はてさて、「さよなら銀河鉄道999〜アンドロメダ終着駅〜」はどうだっただろうか? この作品は、銀河鉄道999ブームにややかげりが見え始めた(と思われる)頃に製作された、完全オリジナルの999エピソードだ。 地球に戻った鉄郎は、機械化人に対するレジスタンスとして活動していたのだが、メーテルからのメッセージを受けとって、再び(単身)999に乗り込んで行く…というもので、前作劇場版の続編となっている。 公開当時、私は「こんないい加減なオリジナルエピソード勝手に捏造すんな!」と怒り狂い、まったく観ようとはしていなかったのだが、頭が冷めてから観てみると、実は前作よりも非常に面白い内容構成である事を思い知らされた。 具体的な感想はともかくとして、この作品は前作が抱えていたノルマ…つまり「地球を出て、何箇所か惑星を巡った上にエピソードを描き、終着駅まで行ってメーテルの正体を明かし、地球に戻ってくる」といったしがらみをまったく持っていない。 その分、自由自在に物語を描く事が出来たんじゃないかと思う。 あらためて観てみると、本当にのびのびとした作りでどこにも無理が感じられず、それどころか結構感動する。 もちろん、ジェットコースター的展開もまるで感じられなかった。 まあ、この作品の良し悪しの感覚は人によって変わるだろうから断言はしないが、とにかく“前作よりは良い作りだった”とは言い切れるのではないだろうか。 松本零士原作の映像化作品は、原作を無視して暴走した方が面白くなる…というジンクスめいた事を、相当昔に聞いた事があるが、ようやく納得したような気がする。 ま、こういう例もあるって事で。 いや、あの、そこで「惑星ロボ ダンガードA」のコミックスを出されても困ってしまいます(笑)。 → NEXT COLUM |
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