またまた怖い話 後藤夕貴
更新日:2004年6月24日
  筆者は、いわゆる「幽霊が見える人」ではない。
 というか、それらしき物をまともに見た記憶はまったくなく、なんとなく「嫌〜な感じがするなあ」と思っていると、霊感の強い人に「あそこにいたよ」みたいな事を後から言われて、「どひーっ」となってしまうタイプだ。

 “見えない”というだけで、「自宅で寝ている最中に道を聞かれた」「自室で金縛りに遭っている最中に“どうしました?”と(どなたかに)心配していただいた」「枕元から生えていた“手”に自分の手を捕まえられ、格闘戦になった(つもり)」という経験はある。
 ただ見えていなかったというだけで、どうやらかなり際どい経験はしてしまっていたようだ。
 いやはや、困ったものである。
 今回は、そんな「後から気付いたとんでもないお話」なんぞを語ってみたいと思う。


 あ、そこの「幽霊なんかいるわけないだろ? 馬鹿馬鹿しい」というお方。
 今回は「ちょっと変わった経験談」という程度の話に過ぎないので、どうか矛を収めてやってください。
 いる・いないの論争になってしまうと話が進みませんからな。


 筆者は以前、西新宿近辺のとあるアパートに、約9年住んでいた。
 上京してきてから現在の住居に落ち着くまだの間だったのだが、結構長い間居付いてしまっていた。
 もちろん、現在のスタッフのほとんどすべてが来訪した事がある。
 築年数は推定約30年だが大変綺麗な和室で、部屋は六畳間とキッチン三畳、スライド式の木の扉で仕切られていた。
 トイレはあるけど風呂はないので銭湯、一階は大家の家…というごくありふれた物件だったが、日当たりもいいし窓の配置から風通しも良いので、大変住みやすかった。
 ブレイカーのアンペア数が化石級に低いので大変不便な部分もあったが、慣れればなんて事はない。
 交通の便もわりかし良かったので、そこそこ満足していた。


 …が、どうも「そのテの物を感じる人」にとっては、ここはそんなに良い所ではなかったらしい。


 ここに、かつて赤城山のスタッフだったという人物を紹介する。
 彼は、実家の後ろ(自室の窓を開けたすぐ下)が墓場というグレイツな環境に住んでおり、そのためかしょっちゅう「人魂」やらなんやら見ていたらしい。
 自分が遊びに行った時も、突然窓際を見て硬直し、「なんだ?」と聞くと「今、カーテンの隙間の向こうを何か横切った」と返答するなんて事もしばしば。
 ただ、そいつの話し方には独特のクセがあり嘘っぽく聞こえるためか、自分は「ふふ、脅かすのがヘタだな貴様」などと思っていた。
 もっとも、そんなにしょっちゅうそういう事を言っていた訳ではないのだけど。

 筆者がこのアパートに住みついた最初の年の暮れ、Kは私の家で、突然例の態度を取り始めた。

 「キッチンから、男がこっち(六畳間の方)を覗いてた!」

 てめー、いきなり人ん家で何ぬかしやがる…と思ったものだが、とにかく先の通りの言い方なので、そんな事信用するに至らない。
 幽霊などはそこそこ信じるものの、それが見えると自称する者の意見はあまり信じないタチの筆者としては、住み始めたばかりの自室に難癖つけられるのが嫌で、とにかくKの言う事には耳を貸さなかった。
 だがKは結構真剣にビビっていたようで、その後うちに泊まる事はほとんどなく、近所に住む同スタッフの部屋に退避していたようだ。
 ともあれ、この時点で肝心の家主は、まったく違和感を抱いてはいなかったのだ。


 ところが、それから1〜2年も経過する頃、いくつかおかしな現象が起き始めた。
 まず、実家に住んでいた頃にはまったく経験した事のなかった「金縛り」に襲われるようになった。
 また、夜ふと目覚めると、天井一杯に日本画風の妖怪図画みたいなあやしい模様が浮かんでいたり(おや、これが夢でなければ一応見た事にはなるのかな?)。
 さらには、六畳間とキッチンを仕切る扉の隙間から視線を感じるような気がして、妙に薄ら寒い気持ちになったりもした。
 まあ、最後のはKの言葉からの刷り込みから来る思い込みだったのではないかと今でも思うのだが…。

 ともあれ、筆者は休日になると室内の窓を開けて無理矢理風通しを良くし、換気を徹底したりお札を調達したりと色々な事をやり、新居を決めるまで無事に乗り切った。
 その9年間の間に相当な数の知人が遊びに来たが、おかしな事を唱えた人間は結局Kのみ(しかも一度きり)だった。
 そういう事もあり、私の中では益々Kの発言の信憑性が薄れていった。
 もっとも、その頃にはKもスタッフを抜けて相当な時間が経っており、ふと思い出した時に「まったく、あいつは」と考える程度に過ぎなかったが。


 そして、そのアパートから引っ越して約5ヶ月後。
 筆者は自身の結婚披露宴のため、新潟の実家に戻った。
 この時にも、まったく別な経緯でおかしな経験をしてしまったのだが(2003年10月「関西オフレポートその2」参照)、家族で話をしている最中、筆者のアパートの話題になった時、ふと妹がおかしな事を呟いた。


「そういえば、お兄ちゃんの前のアパートのキッチンに、男の人がいたんだよね」



 …おお? おお?! おお?? おおっ?!
 まいしすたー。

 今、なんと言った?

 なんで、その話を知っている?!


 Kが例の発言をしてから、妹がこの発言をするまでに、実に約9年もの開きがある。
 Kはもちろん実家に遊びに来たことが何度かあるが、正直うちの家族からは嫌われ者であり、妹と話などした事もない。
 ましてや、Kがスタッフを抜けたのは例の件から数ヶ月の後であり、その後の音信は不通である。
 無論、筆者上京後に実家に来たことはない。
 兄のアパートの話題など、交わす筈もないのだ。
 だから、この発言の重なり方は、妙なリアリティがある。


 ここで、筆者のについても説明せねばなるまい。
 そう、妹は兄と違って「見える」人だったのだ
 さらには「会話」もできるらしく、以前父方の実家に行った際も、そこの台所で“以前すでになくなった親族”の方と出会い話し、現在の家族構成の確認をしあったそうな(先のリンク先の話に登場する叔母達の事も知っており、叔母達自身も、その親族の特徴をよく覚えていたそうだ)。
 かなりそのテの経験が豊富らしいのだが、筆者は、妹が「見える人」だったという事をこの時初めて知った。
 で、彼女は以前に一度筆者のアパートに遊びに来た時、すでに気付いていたそうな。

 無論、筆者が「なんでそれをもっと早く言わないんだ―――っ!!」と絶叫したのは言うまでもない。

 
 これとは別な話になるが、「九拾八式」の初のCD-ROM版を製作していた頃、鷹羽氏のアパートに泊まり込みでお邪魔した時があった。
 無論ザコ寝状態になった訳だが、自分が寝ている場所に、なんか妙な違和感があった。
 翌朝それをふと唱えた筆者に対し、鷹羽氏はこうのたまった。


「あ、そこ、前に出た場所」


 鷹羽氏。
 なかなかナイスな事を言ってくれる。

 そういう事は、先に言え先に(笑)。

 
 射影機って、なんかいいよな。
 そんな事をふと考えてしまうような、うすら寒い過去の出来事であった。


 …もっともその頃は、まだPS2も「零〜zero」も出てなかったんだけどさ(笑)。


 
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