バリアフリーのススメ 鷹羽飛鳥
更新日:2004年6月20日
 バリアフリーといっても、ここでは段差のない床という趣旨じゃなく、障壁除去という意味です。
 ちょっとした意識の壁を外してみると新しい世界が見えてくることがありますが、今回はそんな話です。
 
 去年、宮崎駿氏が『千と千尋の神隠し』で各種賞を取ったことについてインタビューを受けた際に、「近い将来、日本のアニメは駄目になる。若いクリエイターがアニメしか見ていないからだ」という趣旨のコメントをしていました。
 ちょうどその話を聞く数日前、鷹羽はある雑誌で、漫画家の赤塚不二夫氏の「今の漫画は絵は綺麗だけど面白くない。漫画を見て漫画の勉強をするから同じようなものばかりになるんだ。我々の師匠である手塚治虫は、映画や芝居を見て勉強するよういつも言っていた」というようなコメントを読みました。
 
 いささか頭ごなしに過ぎる言い方なのでカチンとくる方もいるでしょうが、同じジャンルしか見ていなければ、発展性がなくなる危険性が高いのは事実です。

 少しばかり乱暴なことを言えば、ここ十数年テレビ放送されるようなアニメでも、プロらしからぬ作りのものが多くなったように感じます。
 端的に言うと同人誌の二次創作といった感じの、既存の作品のパロディみたいな作品が堂々とまかりとおっているような…。
 こういった傾向は、『赤い光弾ジリオン』のドラマCD『お洒落倶楽部』辺りから始まったような気がします。
 一応説明しておきますと、『ジリオン』は1987年から放送していたアニメで、地球からの移民星に突如来襲してきた宇宙人ノーザとそれを迎え撃つ特務部隊ホワイトナッツとの戦いを描いた作品です。
 この『お洒落倶楽部』は、番組中のキャラクターを使って描いた架空の日常を、本当に『ジリオン』に出演している声優陣が演じてしまうというかなり無茶苦茶なものでした。
 なにしろ、本編ではシリアスな強敵:バロン・リックスが関西弁を喋ったりするんだから、もうわやくちゃです。
 いや、面白いし笑えるんですよ、確かに。
 なんてったって、演じているのが本物ですから。
 
 この後、こういったドラマCDが多くの番組から出されるようになっており、中には『魔神英雄伝ワタル』と『獣神ライガー』の声優陣が集まってオリジナルドラマの企画物CDを出す流れや、『NG騎士ラムネ&40』のように、オリジナルドラマCDを経てオリジナルビデオ化やノベライズなどのマルチメディア展開に持っていく流れなどに分化していったようです。
 番組にかこつけて声優を売り出す流れもどうかとは思いますが、ここで鷹羽が問題にしているのは、どちらかというと『ラムネ』型のキャラクターをそのまま利用した二次創作的作品とでもいうべき流れの方です。
 特に、『ラムネ』は、『NG騎士ラムネ&40EX』『NG騎士ラムネ&40DX』というオリジナルビデオシリーズを出した後、1996年には『VS騎士ラムネ&40炎』という続編をテレビ放映しています。
 これらのOVAや『炎』は、『ラムネ』テレビ本編のスタッフの1人だったあかほりさとる氏がメインになって作成したものですが、作品が進むに従ってテレビでの設定を打ち消すような新設定を打ち出しまくるようになっていきました。
 鷹羽は、テレビ番組『NG騎士ラムネ&40』最終回が好きだったので、その感動を台無しにするようなその後の作品があまり好きではありません。
 これは、“客が取れる限り続編”という商業主義的色合いも強いのですが、何より『ラムネ』の強烈な個性を持ったキャラクターがいじりやすかったという側面も否定できません。
 
 かなり以前から、アニパロ(アニメのパロディ)というジャンルは市民権を得ていましたが、それはあくまで“作る側も見る側も二次創作だと認識した上でのお遊び”と言えます。
 ところが、制作者側が正規のキャストで作ってしまったら、それは二次創作ではなく、番外編や続編ということになってしまいます。
 一歩間違えば、自分で自分の作品をパロディ化しているようなもので、プロの仕事としてはかなり困った状況ではないでしょうか。
 
 この困った傾向は少しずつ形を変えながら生き続け、企画そのものが何らかの作品のパロディのような作品も出てきているように感じます。
 悪い言い方をすれば、企画そのもののパロディとでも言いましょうか。
 『機動戦艦ナデシコ』辺りは、番組内で“熱血ヒーローロボット物”というジャンルそのものをネタにしているわけですし、とりわけ番組内番組であるゲキガンガーなど、ネタ的に『ゲッターロボ』を意識していることは一目瞭然です。
 聞くところによると、“ゲキガンガーを作りたくて『ナデシコ』を作ったようなもの”といった意味のコメントがスタッフから出たとかなんとか…。
 
 こういうのはパロディ系のご多分に漏れず、元ネタを知らない人(この場合はリアルロボット系しか知らない人)にはアピールしません。
 つまり、最初からかなり客を選ぶ作りと言えます。
 こういった傾向は徐々に先鋭化していくのが常で、やがて“大多数の人には何が面白いのかさっぱり分からない”独自の世界に突入していきます。
 商業的な消費土壌があってやっている以上、それらが直ちに悪いと断ずるわけにもいきませんが、少なくとも閉塞的な環境を生んでいるのは間違いないでしょう。
 
 たとえば、30年前のマンガの技法しか知らない人が今の少年マンガを見ると、コマ運びなど時代に伴って変化した部分に付いていけないということになります。
 具体的に言うと、“歯がキラッと光る”ことは『めぞん一刻』以降往々にして“白々しいほどに爽やかな外見”という意味合いの記号として使われているようですが、そんなことは『サイボーグ009』時代の読者には分かりません。
 このこと自体は新しい技法の開発というプラス面もあるので、変化が悪いと言う気はありません。
 中年以上の人にビデオデッキの予約録画ができない人がいるからといって、ビデオが悪いなどと言ってみても始まりませんから。
 
 ただ、表現技法が極端に変化すれば、やはり“誰が見ても分かるわけではない”というマイナス面が発生することは否めません。
 「萌え系」という、数年前から一大ジャンルとなっている分野があります。
 現代用語の基礎知識で「萌える」という言葉を引いてみると、“なんだかよく分からないがいい”もので、“性的欲求に結びつく”ものを意味すると書いてありますが、細かいニュアンスの違いみたいなものもかなりあるようで、一概には言えなさそうです。
 少なくとも“週刊少年ジャンプを読んでいるが特段アニメなどは見ていない”程度の一般人のお兄さんに聞いてみても通じないところを見ると、それを求める消費者もごく一部の人でしかないということになりそうですが、これがジャンルとしてビジネスが成立しているのもまた事実です。
 これは、消費指向が多様化している中で、当たる確実性が高いものという意味で成功しやすいからジャンルとして成立しているだけで、必ずしもそういう指向が一般人に顕在化しているとは言えなさそうです。
 最近よく言われる“ミリオンセラーなのに知らない人が多いヒット曲”のようなものですね。
 買っている人がそのジャンルの支持者のほぼ全人口なわけです。
 これって、今の日本社会が抱えている消費問題全般にかかりそうな話ですが、特に、マンガ・アニメのような大衆文化の中にあって、“約束事を理解している”ことが当然の如く要求されるということは、新規参入者は、まずその約束事を覚える気があるかどうかでふるいに掛けられるわけですから、消費者人口は減っていく一方です。
 これでは、お世辞にも前途明るいジャンルとは言えません。
 その上、制作者側がそういうのを見てその世界に踏み込んだとなると、更に自分の好きなジャンルに先鋭化していかざるを得ないでしょう。
 ジャンルという壁が興味や作品の幅を狭めているのかもしれません。
 
 なんでも『勇者エクスカイザー』に始まるタカラの勇者シリーズでは、制作のトップが「トクサツはアニメの技術を盗んで(吸収して)使っているんだから、こっちもトクサツを見て、その演出技術などを学べ」というようなことを言っても、現場のスタッフは一向にトクサツを見ないでアニメばかり見て勉強していると嘆いていたそうです。

 ここでいう「アニメの技術」とは、例えばロボットの変形シーンでの

  収納されていた拳が出てきた後、力強く開く
  変形が完了するとき、目に光がともる
  決めポーズの際、あおりの構図で巨大感を強調する

などのことですが、たしかに戦隊ロボの変形シーンには、『鳥人戦隊ジェットマン』のジェットイカロスの合体シーンのように、5機のメカがフォーメーションを組んで合体体勢に入るとか、収納されていた拳が出てきた直後に開くとか、グレートイカロスが合体後にバストショットでポーズを取るなどのアニメロボっぽい演出があります。
 必殺技などでも、『激走戦隊カーレンジャー』のRVロボ激走斬りなどは、それこそグレートカイザーソード(『エクスカイザー』)やガンバーファイナルクラッシュ(『元気爆発ガンバルガー』)並のパースがついていたりしますね。
 これは、トクサツがアニメの演出技法を吸収して進歩したと言えます。
 逆に、アニメ側はトクサツを見ようとしなかったために、トクサツの演出技法などを吸収して新鮮な演出を生み出すことができなかった、というわけです。
 実際にテレビアニメの制作側からこういう話が出ているということは、宮崎氏のコメントは杞憂とは言えないと思います。
 
 
 以前、このコーナーの『評論はつらいよ!?』でも書きましたが、世間的には“好きなジャンルしか見ない”ために、それ以外のジャンルは全く知らない人も多いのだそうです。
 見る側も、自分の得意分野以外には口を出さない人が多くなってきているのだそうで、例えば『機動戦士ガンダムSEED』には、穴だらけの設定が多いのに、それに対して突っ込む人はごく少数なんだそうです。
 一例を挙げると、Nジャマーという設定があります。
 これは、『機動戦士ガンダム』でのミノフスキー粒子に相当するような、『SEED』世界で核兵器が存在せず、モビルスーツがバッテリーで動く理由だったりするんですが、どういう理屈なのか、全く触れられないまま終わりました。
 何しろ、放射線を完全に防ぐ隔壁の中での核融合反応から、一旦始まってしまえばもうどうにも止まらないミサイルの核分裂までぴたりと止めてしまうのですから、並の技術じゃありません。
 しかも、それだけなら“謎の技術”くらいで済むんですけど、困ったことに新型のフリーダムガンダムなどがNジャマーキャンセラーを登載して核融合エンジンを積むようになったりしたものだから、さあ大変。
 終盤には、このNジャマーキャンセラーによって核ミサイルが登場したりと、物語の鍵の1つとなりました。
 Nジャマーキャンセラーが搭載されたミサイルは、途中で撃ち落とされてもきっちり最後まで核爆発し、Nジャマーキャンセラーが壊れた時点でぴたりと核分裂が止まるなどということはありません。
こんな不可思議な装置、どういうシステムか突っ込む人が続出してもおかしくないはずなんですけど、意外とそういう部分に対するメカおたくの突っ込みはほとんどなかったのだそうで。
 初代『ガンダム』の頃なら間違いなく突っ込みの対象になっていたはずのことなので、逆に言えば、メカおたくさえそこまで突っ込まなくなってしまっているとも言えます。
 興味が持てなければ、突っ込みの対象にすらしないほどに、視野狭窄は進んでいるのかもしれません。
 
 ということはつまり、ある程度の数の人が“好きなジャンル”の作品を作れば、大当たりも見込みにくい代わりに大外れにもなりにくいわけで、そこそこの成功がほぼ約束されているということでもあるわけですね。
 よく言えば堅実な商売、悪く言えば売らんかな主義、まぁどっちにしても単なる一消費者にすぎない鷹羽がどうこう言えることではないんですけど、例えば、一昔前は、新潟で放送してくれない新番組とかで“なんで新潟では『絶対無敵ライジンオー』やってくんないのよ、ギャース!!!”と悔しがったりしたんですけど、最近そういうこと少ないんですよね。
 これって、それだけ魅力を感じなくなっているということでもあるわけで。
 かつて、『タイムボカン』の企画が立ち上がったとき、“大当たりか大外れ”という評価で、制作にゴーサインが出るまで随分かかったそうです。
 25年以上前の、まだアニメが玩具展開中心に企画されていなかった時代にさえこれですから、現実問題として斬新なものが企画を通るかという部分もあるのですが、それでも、色々なものを見て、それなりの幅広い視野を養っていくことは必要だと思います。
 
 かつて、『スター・ウォーズ』のライトセーバーに触発されて、『ガンダム』はビームサーベルという抜くと同時に光の刃が生成される剣を持ち、『宇宙刑事ギャバン』はレーザーブレードというここぞというときに刀身にエネルギーを迸らせて輝く剣を持ちました。
 よその発想をちょっと引っ張ってきて、ちょっとオリジナリティを加えるだけで、かなり違った印象を持つ設定や演出を持たせることは可能なんです。
 
 
 アニメなどに限った話ではありませんが、殻に閉じこもっていないで貪欲に視野を広げなければ、先は本当に暗いのかもしれません。
 かの『ゴジラ』は、今年制作分を最後に当分制作しないそうです。
 理由は明言されませんでしたが、恐らく興行収入的な低迷やネタ切れの問題はかなりあったのではないでしょうか。
 実際、1984年の復活以来20年にわたってほぼ毎年作られ続けてきたのに、純粋な新怪獣って、ビオランテが最後だったはず。
 後は、キングギドラやメカゴジラ、モスラやモゲラなどの過去の怪獣のリメイクや、バトルモスラ(バトラ)、メガヌロン(メガギラス)、デストロイア(オキシジェンデストロイヤー)など過去に存在したものの知名度を利用した怪獣ばかりです。
 
 それでも、かつて『ゴジラ』を見て育った人が中心になって制作した平成『ガメラ』はかなり好評を博しましたから、ファンが怪獣映画に興味をなくしたわけではなさそうです。
 平成『ガメラ』は、テイスト的に決して昔の怪獣映画を踏襲しているわけではありません。
 平成版1作目『ガメラ〜大怪獣空中戦〜』の評価などで、よく“画面構成などに電信柱を入れた見上げる視線を入れて巨大感を出していた点が初代『ゴジラ』的だった”とか言われますが、そんなのは枝葉末節でしかありません。
 何より重要だったのは、“そこに巨大な怪物が出現したことによる社会全体の反応”を描いたことだったと思います。
 これって、それまでのトクサツを見ているだけでは出てこない発想だったはず。
 これは、脚本の伊藤氏が『機動警察パトレイバー』という“周辺の社会描写を主体としたロボットアニメ”の企画に加わっていたことと無関係ではないでしょう。
 
 いきなり歌番組の演出を盗めなどとは言いませんが、アニメとトクサツ、マンガなどの間だけでも、垣根を取っ払えば違う方法論で作品が作れると思います。
 もうちょっと、バリアフリー、してみませんか?

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