鷹羽的キャラクター考 第3回
 天馬博士(ASTRO-BOY鉄腕アトム)
鷹羽飛鳥
更新日:2004年6月13日
 今回は、予告どおり天馬博士についてです。

 お気づきの方も多いでしょうが、この人は、原作や1980年放送のカラーアニメ版、そして2003年放送の『ASTRO-BOY鉄腕アトム』で、それぞれ違うキャラクターになっています。
 アトムを作った理由については、いずれも交通事故で死んだ息子トビオの代わりとなっていますが、アトムと離れた理由についてが違ってきています。
 原作では、アトムがちっとも大きくならないことから、“しょせんはロボット”と絶望し、サーカスに売り飛ばしてしまいました。
 '80年版では、些細なことからアトムに「うちの子じゃない!」と言ってしまったため、絶望したアトムがサーカスの入団契約書にサインしてしまい、エネルギーがなくなったところをそのままカバン詰めでさらわれていったという形で別れています。
 行方不明になったアトムを家出したものと思って、「トビオ〜、お父さんが悪かった、帰ってきてくれ〜」と探し回る姿には、結構哀愁が漂っています。

 『ASTRO-BOY鉄腕アトム』では、自分に反抗したアトムに驚愕して、システムダウンさせたまま家に放置して立ち去りました。
 このように、作品ごとにアトムと別れた背景事情やその後の行動が異なっています。
 また、これまでの天馬博士は、アトムと別れた後ほとんど登場しません。
 アトムがあれだけ世間の注目を浴びる存在である以上、姿を見せないのにはそれなりの理由があるのでしょうが、その説明はありませんでした。
 そのせいか、これまでは人間性がいまひとつ窺えないキャラだったのですが、『ASTRO-BOY鉄腕アトム』の天馬博士は、後述するとおり実に頻繁に登場し、最終回では最後の対決の相手として登場しました。

 ここでは、キャラクター性の統一及びデータが豊富という理由から、『ASTRO-BOY鉄腕アトム』に登場する天馬博士に限定して語ることにします。
 
 
 『ASTRO-BOY鉄腕アトム』では、オリジナル路線として、アトムをロボットの王として君臨させるべく様々な試練を与える天馬博士が描かれています。
 アトラスは天馬博士がアトムに試練を与えるために作ったものですし、プルートゥ、青騎士は、天馬博士の記憶と人格をコピーしたロボット:シャドーが作ったものです。
 天馬博士は、このほかにもアトムが事件に巻き込まれそうになると、裏で色々動いて試練を与えたり、アトムのピンチをこっそり救ったりしています。
 天馬博士とシャドーのどちらかが絡んでいる話は、全50話中約4割に及び、いかにスタッフが力を注いでいるかが分かります。
 
 
 『ASTRO-BOY』の総評の際にも書きましたが、この作品で描かれている天馬博士は、プライドに生きるマッドサイエンティストとして、統一された描写をされています。
 天馬博士は、確かに息子トビオもロボットのトビオ(アトム)も愛していました。
 ただ、全てにおいて自分のプライドが最優先されるため、愛情表現がいびつになってしまっているのです。
 天馬博士は、幼いころから友達がおらず、感情を読みとって自分に都合の良い言葉を掛けて慰めてくれるベアちゃんというロボットを作りました。
 このとき既に、自らが完璧で周囲に賞賛される対象でなければ気が済まないという欲求が発現しています。
 彼の思考には自分は完璧であるという無意識下の前提があり、その才能に対する自信を背景として行動しているのです。
 これは彼の性格の歪みとは言えますが、大なり小なり誰でも持っているもので、彼の場合、なまじ本当に天才だったためにそれが極端なのでしょう。
 そして、確かに彼は孤高の人でしたが、一応、彼なりに周囲の人間を愛してもいました。
 それは例えば一人息子のトビオであり、もしかしたら妻もそうだったかもしれません。
 作中、天馬博士の妻がどういう人で、どうして今いないのかについては語られていません。
 もしかしたら離婚したのかもしれないし、死に別れたのかもしれませんが、いずれにせよ天馬博士が妻について語ることはありませんでした。
 作中では、もっぱらトビオとアトムについての愛だけが描かれています。
 
 ただし、その愛し方は、やはり普通ではないのです。
 天馬博士にとって、相手を愛するということは、“自分が相手に対してよかれと思うことをする”ということと同義です。
 当たり前だと思うかもしれませんが、これは裏を返せば“自分がしてあげたいことをする”だけであり、それによって相手がどう思うかは考慮していません。

 これはトップダウン式の思考で、自分がやることに間違いはないから、それで喜ばないのは相手が悪いという発想に繋がります。

 作中の話で例を出すと、彼はトビオに「今使っているホームヘルパーロボは旧型だから、新型を買ってあげよう」と言っています。
 天馬博士にしてみれば、より高性能のヘルパーロボの方がいいだろうという善意のつもりですが、トビオがその旧型のヘルパーロボに愛着を持っているという事実は全く考慮していません。
 意識的に無視しているのではなく、“自分が新型の方がいいと思うのだから、トビオもそう思うはずだ”=“トビオは喜ぶだろう”という思考であり、相手の気持ちを慮るという部分が欠けているのです。
 ですから、トビオが「新型なんていらない」と言えば、自分の好意を踏みにじられたと感じます。
 「どうして自分の好意が理解できないのだ」という怒り方なわけです。
 もし、天馬博士が離婚していたのだとしたら、きっとそういった彼の性格に奥さんがついていけなかったということでしょう。

 こういった性癖は、周囲にイエスマンしかいない人間が陥りやすいのですが、天馬博士の場合、その才能故に若くして科学省のトップに上り詰めた人間ですから、イエスマンしかいなかったからではなく、単純に周囲が意見することすらできないほど傑出した能力の持ち主だったからでしょう。
 37話『アトラス逆襲』に登場する科学者パブロスは、ロボットのトビオ製造に反対し、会議で天馬博士を非難した男であり、天馬博士に強い憎しみを抱いていましたが、当の天馬博士は彼の存在を全く記憶していませんでした。
 これは、天馬博士が寛大なためではなく、完璧な自分の意見に異を唱える愚者など歯牙にも掛けていないだけです。

 ただ、相手が自分の愛する者となると、若干事情が変わってきます。
 単純に愚者として切り捨てるわけにもいかないからです。
 トビオは、科学省地下の廃棄場でロボットの融解風景を見せられ、愛着ある旧型ヘルパーロボもそうなると知らされ、父のやり方に怒って飛び出してそのまま事故死しました。
 止める間も説明する間もなかったため、天馬博士はトビオに対する気持ちの整理がつかず、その愛情を注ぐ対象を求めてトビオの記憶・人格を移植したロボットのトビオ(アトム)を作りました。
 そして、同様に廃棄場を見せられたアトムは、人間のトビオ同様、天馬博士を非難したため、怒り狂った天馬博士はアトムをシステムダウンさせて屋敷に放置したまま姿を消しました。
 アトムを破壊しなかったのは、やはりなにがしかの思い入れがあったために忍びなかったからでしょう。
 
 この番組は、放置されていたアトムを発見したお茶の水博士が、修復・再起動するところから始まっているわけですが、それを知った天馬博士は、内心苦い思いをしながら様子を見ていました。
 ところが、そのうちアトムが通常のロボットと比較にならない成長力を持っていることに気付いた天馬博士は、アトムをそのまま成長させて人間を支配するほどに育て上げようと決意して様々な試練を与え始めます。
 実はこのとき天馬博士は、アトムをロボットの王にして人間を支配させ、さらにその上に自分が神として君臨することを考えていました。
 結局、アトムがそれほど成長しても、自分が上に立てると思っているわけです。
 それも、ごく当然のこととして。
 その後、天馬博士は、アトムに試練を与える役をシャドーに割り当てますが、完全な傍観者にはならず、自分でもちょくちょく試練を与えるべく事態をかき回していました。
 そして、青騎士の登場によって、ロボットの王国設立が現実味を帯びてきた後は、アトムを青騎士にぶつけて意識改革させようとしていました。
 ところがアトムは一向に気持ちを変えません。
 そして、ついに青騎士とシャドーがロボタニアを建国したため、天馬博士はとりあえずロボタニアにシャドーを訪ね、自分をロボットの神としてロボットに改造するよう命じます。
 これは、自分のコピーロボットならば自分を改造するだけの能力があるという裏返しの自信です。
 ところが、ロボットの神の座は、既に自分そっくりに自己改造したシャドーによって占められていたのです。
 天馬博士にとって、3度目の挫折でした。

 既に、トビオ、ロボットのトビオと、自身が生み育んだ者に離反されてきた天馬博士は、今また自分のコピーにまで離反されました。
 このことで深くショックを受けた彼は、ミサイルで破壊されたアトムを修理し記憶を消去して、もう一度ロボットのトビオとの生活を営むことを求めました。
 これは、市井の親子としての生活を送ろうという試みで、彼にしてはかなりの決断だったと思われます。
 ただ、それでも彼の性格自体が変わったわけではないので、それなりの軋轢が生まれてしまいました。
 49話『アトム復活』で、天馬博士は、立体映像を利用した疑似体験システムを使ってアトムと一緒に魚釣りを楽しんでいます。
 ところが、針に掛かった魚に逃げられた天馬博士は、すかさずシステムを切ってしまいました。
 これは、“魚を釣り逃した完璧でない自分”を認めたくない、あるいはアトムに見せたくなかったからです。
 そして、記憶を失っているはずのアトムは、かつてお茶の水博士と共に本物の池か湖で魚釣りをしたことを思い出します。
 お茶の水博士は、魚に逃げられた拍子に水の中に落ちてしまい、アトムと一緒に笑っていました。
 この辺に、天馬博士とお茶の水博士の個性の差が出ています。
 おおらかなお茶の水博士は、本当に魚釣りに出掛けて、釣り逃してずぶ濡れになっても、そうした行為全体を楽しんでいます。
 これは、お茶の水博士が、釣りは魚を釣り上げるだけが目的ではなく、待っている間の会話や静寂、釣り上げる過程、逃げられた悔しさなど全てを味わう遊びだと考えているからです。
 対して天馬博士は、自分で設定した世界の中で予定どおりの成果を求め、自分のプライドが満たされなければ直ちに世界を閉じてしまいました。
 これは、天馬博士にとってアトムと釣りを楽しむということが、アトムの前で完璧な父を演出するという手段の1つになっていたからです。
 釣り逃した時点で、完璧な父を演じきれなくなるわけですから、続ける意味はもうなくなってしまいます。
 
 そして、ランプの襲撃によってアトムは記憶を取り戻してしまいました。
 再びふりだしに戻ってしまった天馬博士は、この再々起動アトムもまた自分の愛を受け入れない存在であることを確認した上で死のうと考えます。
 よくある“自分を受け入れない世界からの逃避”という感情です。
 こういった逃避科学者は、一般に、宇宙からの侵略者と手を結ぶか自分で悪のロボット帝国を結成してしまいます。
 天馬博士の場合、既に自分のロボットに離反された後ですから、もはやそんな元気はありませんでした。
 科学省を占拠し、地下の処分場でアトムと対決した天馬博士は、自分の独善的な愛情をわざとアトムに否定させ、アトムから距離を取って処分場を爆破し、自分だけが死ぬように仕組みました。
 こうして死ねば、自分の予測に従って死んだことになり、完璧な人生の幕引きになったことでしょう。

 しかし、アトムはまたしても天馬博士の予測を裏切る行動に出ました。
 危険をかいくぐって天馬博士を救出してしまったのです。

 自分の予測が間違っているのではなく、自分の予測能力を上回るほどの何かが世の中に存在することを改めて見せつけられた天馬博士は、ようやく自分が完璧ではないことを悟りました。
 これは、彼にとっては世界に対する歩み寄りの第一歩だったと言えるでしょう。
 
 結果的に、天馬博士は身柄を拘束されることとなりましたが、意外にその顔は晴れやかでした。
 彼は、科学省での破壊工作などいくつかの罪に問われるでしょうが、その刑を受け終えたとき、科学者として一皮むけた姿をどこかの研究施設で見せてくれるものと思います。
 
 『ASTRO-BOY鉄腕アトム』は、ロボットと人間の関わり方についての描写については、かなり偏面的で中途半端な作品でした。
 ただ、1人の孤独な科学者が自分を見つめ直す契機を描いたという視点から見たとき、この作品は成功したと言えるのではないでしょうか。
 アトムを中心に描いてきたこれまでの『鉄腕アトム』では、天馬博士はアトムを作った天才科学者としてだけ必要なキャラでした。

 今作での天馬博士は、その枠を超えて、アトムに乗り越えられた父として、そしてアトムに人生の意味を教えられた男として、これまでにない大きな背景を背負ったキャラクターとして登場したのです。

 “歪んだ天才が人間の情に目覚める物語”として見るならば、『ASTRO-BOY鉄腕アトム』はそれなりの成果を上げた作品だったのではないかと思います。


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