「零〜紅い蝶」 REVIEW
後藤夕貴
更新日:2004年2月5日
 2003年11月27日にテクモより発売された、プレイステーション2用ソフト。
 前作「零〜zero」と一見ほとんど同じシステムのホラーゲームだが、実際はさりげにかなりのスタイル変更が行われている。
 存在しない村に閉じ込められた双子の少女・澪と繭は、無事に脱出する事が出来るのだろうか?!

  1. メーカー名:テクモ
  2. ジャンル:3Dホラーアクションアドベンチャー
  3. ストーリー完成度:D
  4. H度(まだあるのかこの項目):あきらかに狙っている部分もあるので、一応C(笑)。
  5. オススメ度:前作未経験者にはC。前作経験者には激A。
  6. 攻略難易度:D。
     ただしミッションALLクリア&ゴーストリストフルコンプ等をすべて狙うと激A。
  7. その他:双子の少女、カメラ所持、両方ミニスカート、たくさんある階段…
     そりゃあんた、いくらなんでもあからさますぎるでしょう(笑)。

(ストーリー)

 主人公・澪(妹)と繭は、双子の少女。
 姉の繭は、幼い時に脚に怪我をしてしまいうまく走れない身体になってしまったが、すぐそばにいながら助けられなかった澪は、その事をずっと気にかけていた。

 二人は夏休みに、幼い頃の数年間を暮らした場所を訪れていた。
 夏休みが終わる頃、その辺りはダムの底に沈んでしまうためである。
 昔の思い出の残る沢で休んでいた時、突然繭が、無言のままフラフラと森の奥へと誘われていった。
 突如出現した「真っ赤な蝶」に導かれて…。

 繭を追い掛ける澪は、やがて“かつて消滅した村”皆神村へと辿りついてしまった。
 つい今しがたまで明るかった空は闇夜に包まれ、そして来た道は消滅している。
 人の気配のまるでない、暗い村の中へ進むしか選択肢のなくなった二人は、村のあちこちで「そこにいない筈の人々」の姿を見かけるようになる。

 そう、その村には、生者はいない。
 かつて村で行われた「紅贄祭」という儀式の失敗から、すべてが闇に呑まれてしまったのだ。
 では、澪と繭が見かけた人々は…?
 そして、なぜ自分達が導かれたのか?!

 村からの脱出方法を求める二人の前に提示される、恐るべき儀式の正体。
 双子の姉が妹を殺す事により、黄泉の封印を行う“忌まわしき祭”…
 二人は、あらたな生贄として彼らに選ばれてしまったのだ!

 前作「零〜zero」から約2年、満を持して発売された正当な続編。
 ただし続編と言っても物語が直接続いている訳ではなく、今回は氷室邸のような恐るべき儀式を行っていた村全体が舞台で、またそこに絡む(かつての)人間関係なども複雑化。
 さらに奥行きが深まったかのような印象を受ける。
 ちなみに本作は、前作との内容的なつながりはないものの意外な所で繋がっており、前作のキーキャラクターがこちらでも二人ほど登場している。 前作経験者は、特定のキャラクター名に聞き覚えさえあれば、すぐに繋がりを把握できる事だろう。

 前作「零〜zero」レビューはこちら

 本作は、シリーズ2作目でありながら前作に負けず劣らずのパワーのある内容とシステムで、所謂「続編に良作なし」というジンクスを打ち破っているのではないかと思われる。
 このシリーズの売りである怖さが大幅に減少し、また戦闘システムも妙な複雑化を遂げたとはいえ、それらはいずれも前作とは違う魅力の確立に繋がっている。
 前作経験者がその経験を活かせる部分は、せいぜい「戦闘」「浮遊霊の出現察知」「謎解きのパターン把握」程度ではなかろうか?
 つまりそれ以外の部分は、また新鮮な感覚を味わう事が出来る筈だ。

 まずは、前作との違いについてまとめてみよう。

  • 全体:
    主人公が二人となった(ただしプレイヤーは澪だけを使用し、繭は時折演出の都合で姿を消す)。
    キャラクター描写を含めた画面全体が美麗化し、前作のような「いかにもポリゴン・テクスチャ」といった雰囲気が薄れた。
    特に、背景や霊のグラフィックの生々しさは圧巻。というかまるで別物。
  • 基本システム:
    前作とほぼ同様。
    ただしオプションによるコントローラー設定のバリエーションが相変わらず少なく、さらにデフォルトのボタン配置がとても使いにくい事もあり、バイオハザードタイプの移動操作をする人には大変やりづらい。
    また、移動が遅い上にターン(振り返り)も動きが鈍く、演出によっては画面切り替わり直後に突然キャラの向きが変更されていて、うっかり敵に向かって突進してしまったりという現象も起こる。
    さらに、ファインダーモードの解除・持続の操作方法も前作とは概念がまったく異なるので、注意が必要である。

    蛇足だが、進行方向上に繭がいた場合、まるで突き飛ばすような動作を見せるのはどうかと思う。
    よく聞くと、突き飛ばされた時に短い悲鳴上げてるし…
  • 画面構成:
    前作とさほど変わらないレイアウトだが、フィラメントの配置などが変わっている。
    相変わらず画面は暗いが、元々それも演出の一つなので我慢するべきだろう。
    どうしても辛いという場合は明度調整をすると良い(筆者はデフォルトで充分明るいと思った)。
  • 戦闘システム:
    おおまかに似ているが、チャージの概念がなくなり、至近距離でのわずか一瞬を狙うというスタイルではなくなってしまった。
    また「フェイタルフレーム」という特定シャッターチャンス時から「最大3回連続撮影」する事によるコンボ(連続攻撃)が可能になった。
    さらに、戦闘のスピードが著しく鈍化している上、前作の僧侶のような特殊移動を武器とする敵がほとんどいない。
    相対的にはかなりラクチンになっている。
  • 射影機:
    設定上はほぼ同じだが、その性能や性格は完全な別物になっている。
    ファインダーモード持続によるチャージ排除、フィルム再装填のタイムラグ、念珠が消費アイテムではなくパーツの一部になった…など、かなりの変更が施されている。
    ただし、ある程度は前作と同じ感覚で扱えるような微妙な調整も行われている。
  • 特殊機能:
    使用条件が変わり、念珠消費による特殊効果は「霊力」という撮影毎に貯まるパワーを消費するスタイルになった。
    また強化機能は「強化レンズ」というパーツ扱いになり、同時に最大3種類のレンズを切り替えられるようになった。
  • ゴーストリスト:
    さらにパターン多様化&悪質化(笑)。
    かなりの気合いがないとコンプリートは不可能。
    ファインダーが反応しない霊や、異常に撮影が困難な霊もいる上、霊じゃないのに霊扱いされているものまでいる。
    また、今回も1周目では絶対にフルコンプできないようになっており、難易度限定出現の霊もいる。
  • ミッションモード:
    前作は「バトルモード」と呼ばれ、ただ登場する霊に勝てばいいだけのものであったが、今回は“特定の条件を満たしつつ相手を倒さなければならない”というスタイルに変更され、さらには所持アイテム数もミッションごとに調整されるため、大変難易度が高くなっている。
    ミッション数は、全部で25。
    MISSION11、16、21、25は、数多くのプレイヤーが悲鳴を上げた難関である。
  • 隠し要素:
    能力強化主体だった前作に対して、今回は「コスチュームバリエーション」が主体となった。
    これには賛否両論だが、残念ながら8種類もあるコスチュームはいずれも地味&はっちゃけ度が足りず、死ぬほど苦労した後に手に入れるものとしては不満が残るものばかり。
    ただし能力強化については、かなり使える物がいただける。
  • 難易度:
    イージー/ノーマル/ハード/ナイトメアがある。
    一番明確な難易度の違いは「敵の耐久力」「敵の攻撃力」「アイテムの回復率」の3種類。
    今回は、難易度による具体的な違いがほとんど感じられない。
  • 恐怖演出度:
    前作よりはかなりソフトな印象で、雰囲気に関してはほとんど怖さらしい怖さはない。
    しかし、ドキッとさせられる演出については、こちらの方が上かもしれない。
    驚かされるのに弱い人は、特に四ノ刻以降に注意の事。
  • ユーティリティ:
    ファイル、メモ、アイテム等のユーティリティウインドウはほぼそのまま継承されている。

 「零〜紅い蝶」は、一言で言えば「やりこむ事に特化した内容」のゲームと言える。
 容赦のない恐怖体験と、本当の意味でのアドベンチャー感覚を強調した前作に対し、本作は「何度も繰り返して技術向上や達成率を上げる」事を目標とさせているような印象を受ける。
 メイン展開は大変簡単になり、パズルやイベントアイテム回収などの恒例パターンはあるものの、いずれもものすごくあっさり解決してしまうものばかりで、「ひょっとしてまだ何か仕掛けがあるんじゃないか?」と疑ってしまいたくなるほどである。
 はっきり言って、前作経験者ならメインストーリークリアには攻略法参照の必要はまったくないと言っていい。
 展開に詰まれば、ものすごくわかりやすいところに次のステップへのガイドとなる演出が起こり、仮にそれを見落としていても、ゲーム中の情報に目を通せばすぐに展開の見当がつくようになっている。

 さらに、今回は全9章構成(一ノ刻〜終ノ刻と表記)になっており、ハードレベル以上でクリアした場合のみ、終ノ刻の後さらに「零ノ刻」という追加イベントが発生する。
 前作が序章を含めても全5章までしかなかった事から考えると大変長く感じられるが、実際はそんな事もなく、ある程度プレイになれた人間がやれば、なんと30分強程度のプレイ時間で四ノ刻まで進めてしまったりする。
 切り詰めれば2時間前半台のクリアもかなり容易に行う事ができるため、とにかく進行難易度についてはまったく恐れる必要がない。

 …のだが、最初の頃はどうしても展開が遅くなってしまうのではなかろうか?
 これは「零」シリーズが持っている独特の「怖い雰囲気」が原因だろう。
 実際、本作も最初の頃は長時間のプレイがなかなかに辛い。
 どうしても断続的になり、ある程度慣れが生じない限りは、せいぜい十数分から数十分が限度だろう。
 特に怖さを実感・意識していない人でも、舞台背景のイメージに圧倒されてしまいやすいようだ。
 そう、本作もやはり「異様な怖さを内包した舞台演出」は完璧なのだ。

 難易度は4種類あるが、最初はイージーとノーマルしか選択できず、ノーマルをクリアする事でハードとナイトメアモードが展開する。
 また、クリア特典もイージーはカメラの追加機能「感」が一つ増えるだけで、後はまったく何もない。
 ましてや「感」はあってもなくてもさほど大きな差のない機能なので、結局その後ノーマルに挑戦せざるをえなくなる。
 だから、最初にイージーをやるメリットはまったくと言っていいほどない。…というか、むしろ選んではいけない
 第一印象でビビってしまい、思わずイージーを選択してしまったら、その後一度は思い切り後悔させられる事だろう。
 イージーは、ゴーストリスト漏れの写真を撮影し直す時くらいにしか、選択しない方が無難だ。
 だから先の「進行が楽」という話は、難易度に関係なく適応される条件であるとも言える。
 なおナイトメアモードだが、前作のような「一撃死」「フィラメント消滅」「敵が見えない」といった過酷な条件はなくなり、ただ敵の体力が極端に増加し、逆にこちらのアイテム回復率が低下するだけだ。
 戦闘に時間がかかるだけで、難易度そのものはまーったくといっていいほど変わった気がしない。
 難し過ぎるというのも問題だとは思うが、「どこがナイトメア?」という内容もちょっと首を傾げてしまう。

 ノーマルをクリアするとハード&ナイトメアモードが展開した上、「ミッションモード」が追加される。
 ミッションモードは前作の「バトルモード」とは異なり、特定条件を高成績でクリアしていくというものだが、今回はただクリアするだけでなく、すべてSランク以上(ランクはSS〜Cの全5段階)を獲得しなければ入手できない特典がある。
 もちろん難易度の差などは存在しないため、この一見無理としか思えない条件に立ち向かう事が、本編クリア後の最大の目標となっていく。
 そして、ここで突然掌を返したように難易度は急上昇するのだ。
 ミッションの一例を紹介しよう。

  • プレイ時間たったの6秒! 特定地点をほんの一瞬通過する霊を撮影。
  • 体力は死ぬ間際の最低状態、フィルムは一枚きり、一切の補助アイテム無しで計3体の敵を倒しなおかつ1000ポイント以上獲得する(もちろん敵は全滅させなくてはならない)。
  • 常に攻撃し続ける4体の敵を、4分以内に全滅(カメラを構える隙すら与えてくれない)。
  • たった25枚きりのフィルムで、計8体も連続出現する敵を7分以内に全滅させる(敵のスピードが遅い!)

…など、中には「正気か?!」と思わせるような物がかなり含まれている。
 だが、いずれも工夫すれば必ずクリアできるようになっており、大変よく練り込まれている事がわかる。
 つまりプレイヤーは、最初から「何度もやり直すつもり」で挑戦する必要がある。
 本編をさっさとクリアさせて、こちらをメインにやってほしいと思っているのでは…? などと勘ぐってしまいたくなるほどである(笑)。
 なおSランク以上を狙う場合は、提示される条件よりもさらに良い成績を修めなければならない。
 総合8,000ポイント獲得だったら40,000以上獲得しなきゃならなかったり、先に挙げた「4分以内」のミッションは、1分以上かかったらアウトだ。
 かと思うと、そのミッションに成功すればほぼ確実にSが取れるというものもある。
 先の「3体同時」ミッションも、撮影に成功すれば自動的に1000ポイント以上取れてしまい、そこそこの成績になったりする。
 いずれにせよ、大変やりがいのあるものに仕上がっているのだ。
 どうしても難しくて対処できないという人は、とりあえずMISSION25で紗重と真壁(楔)の両方が同時にファインダーに収まるように調整して、撮影しておこう
 うまくいくと、真壁の動きがミッション中ずっと遅くなって、大変やりやすくなる。

 ゲーム中にふらりと登場する「浮遊霊」や「地縛霊」を撮影する事で完成させていく「ゴーストリスト」も、コンプリートにはかなりの根気と技術が必要になっている。
 今回は、前作のリストコンプが児戯に均しいとも思わせるほどに難易度が上昇し、「出るとわかっているのになかなか撮れない」「どこかにいるのはわかってるけど見つからない」「障害物のためにうまく撮影できない」などといった問題にぶち当たる。
 さらに今回は「イージー&ノーマル(またはハード&ナイトメア)でしか撮影できない者」「片方が出現すると、もう片方は絶対出現しない者」「一瞬で複数の存在を撮影しなければならない」「同時にすべて撮影しきれない者」「一見リスト対象に思えないのに対象となっている者」などのパターンがあり、どうしても最低2〜3周はプレイしなければならないようになっている。
 特に二ノ刻冒頭で出現する「誘われる繭」は、前作も含めた上で最高の撮影難易度を誇る霊として扱われており、一発で撮影できた者は恐らく皆無だったんではないかと思われるほどだ。
 筆者は自力で30回以上リロードして、ようやく成功した。
 ある意味では、ミッションオールSクリアと同じくらいの気合いがなければ、リストコンプは不可能なのかもしれない。

 付録:元締流「誘われる繭」手取り足取り撮影手順

 以上の事から、本編難易度の易しさに対して大変ハードルが高くなっているように思われるだろう。
 だが先に述べた通り、いずれも「じっくり腰を落ち着けてプレイすれば、必ず光明が見えてくる」作りになっている。
 ミッションがクリアできない場合は、敵に勝てないとか条件が満たせないという問題を見直すよりも、自分のプレイスタイルを疑った方が、簡単に解決に近付けたりもする。
 一部、正しい作業行程の検索にしか思えないミッションもあるが、これはこれでなかなか趣き深い。
 どうもこのミッションモードなどは、最初の感触だけで放り投げてしまっている人も多いと聞くが、やり込めばやり込むほど腕の上達が自覚でき、そしてそれが本編プレイに反映していける事に気付く。
 諦めないで、是非挑戦していただきたい所だ。

 戦闘システムの様変わりについて触れてみよう。
 先にも述べたように、本作は前作に比べて敵全体のスピードが遅くなり、特に前作プレイ直後の人などは「スローすぎてあくびが出るぜえ」と言いたくなるほどである。
 特に、霊をファインダーで捉えてからシャッターチャンスの射程まで接近してくるまでの時間は、数倍に伸びている。
 思い切り接近させ、わずか一瞬のチャンスを狙う前作とは、ここが決定的に違う。
 ではどうするのかというと、今回は霊の「特定のモーションを撮影する事で大ダメージを与える」というものに変化している。
 各霊にはいずれも「ファインダーが強く反応するモーション」というものが設定されており、それを正しく捉える事が出来るか否かが勝負の分かれ目となる。
 そのため、超ドアップで撮影するよりも、ちょっと離れた位置から撮った一枚の方が大ダメージになるという場合もありうるのだ。
 また、ファインダーが反応していない限りは、超密接距離でも一切ダメージを与えられない場合もある。
 ただ始末の悪い奴もいて、攻撃をかわし、再攻撃までの体勢を整えている最中にシャッターチャンス(フェイタルフレーム)が反応するというケースもあり、中には「落下する女」のように、天井から落下してくるほんの一瞬だけがフェイタルフレームだというツワモノもいる。

 このフェイタルフレームは、どうやらX-BOX版「零〜zero」から導入された概念らしく、本作では「連続攻撃(コンボ)の始動技」として設定されている感がある。
 このフェイタルフレームを巧く捉えると、吹き飛ばされた霊に対しもう一度フェイタル反応が発生、この時はファインダーモード持続のまま即座に再撮影が可能となり、これを計3回まで行う事が出来る。
 これにより敵を遠く退け、かつ撮影毎に貯まる霊力を稼ぎ、特殊機能を使えるようにするのだ。
 実は、接近撮影の方が遠距離撮影よりダメージがデカイという概念そのものは生きているので、普通に(前作と同じ概念の)ゼロコンボを狙っていた方が早く決着は着く。
 だが、今回は前作以上に「特殊機能」に頼らざるをえない状況になりやすいので、霊力蓄積のため、コンボは覚えておく必要がある。

 今回の射影機は、前作と違って「レンズを換装する事で能力を変化させる」という概念になっており、前作にもあった「遅」「痺」「追」「零」などをはじめ、「刻」「滅」「連」「封」などの新機能が追加される。
 これは、射影機使用前にどのレンズをスタンバイしておくかを決定し、戦闘中に特定数の霊力を消費する事によって、レンズ毎に違う特殊効果を発動させるというものだ。
 初登場の「封」は、再度攻撃をするまで敵の動きを完全に止め、「刻」はフェイタル時に使用すると大ダメージを与えた上ヒットバックの能力を発揮、「滅」はさらに膨大なダメージを与え、「連」はファインダー反応時であれば、フェイタル以外の時でも高いダメージを連発させられる(消費霊力が1しかない上にフィルムチャージ時間がゼロになるので、連射撮影が可能になる)。
 従来のものは基本的にそのままの性能だが、前作で事実上最強の能力を誇った「追」は、本作ではまったく役に立たなくなったので注意が必要だ(一戦闘時の特定時間内だけ自動追尾というものになり、持続時間も異常に短い)。
 個人的な感触では、「遅」「刻」「零」「滅」「連」だけあれば充分だと思っている。
 もっとも、「滅」はハードモードクリア後、「連」はゴーストリストフルコンプ後でなければ手に入らない。
 ましてや、ナイトメアだと「滅」や「連」を巧く使っても、なかなか死なない敵が大量に出現する。
 プレイヤーが「連」を手に入る頃には、ほぼオールクリアに近い状態となっている事だろう。

 さて、肝心のストーリーはどうか。
 まずここに触れる前に、以下はネタバレ全開である事を予告しておきたい。
 というのも、エンディングについて大きな疑問符があるので、触れざるをえないのだ。
 なので、未クリア又はプレイ予定のある人は充分に注意していただきたい。

 実は、今回の物語展開には大変問題が多い。
 前作と比較するまでもなく、「どこかがわずかにズレている」感が否めない。

 この物語は、皆神村へと導かれた姉妹がそこから脱出するまでの話だが、イージー&ノーマルで辿り付く「エンディング1」では、なぜか繭を巫女、澪を鬼隻として儀式を遂行してしまい、ぶっちゃけ繭は助からない。
 かと思うと、ハード&ナイトメアで辿りつく「エンディング2」は、「(うつろ)」の穴へ落下しかかった繭を助けようとした澪は穴の中を見てしまい、その影響で両目を失明してしまうというもの。
 いずれもハッピーエンドではなくむしろバッドエンド的な演出だが、ここに至る経緯がイマイチ伝わりにくいため、エンディングの内容がどうこういう以前に「なんでこうなる?」という疑問符が付きまとってしまう。

 物語ほぼ全体を通して、霊媒体質である繭は“皆神村の悪霊の総大将的存在”の紗重に憑依されている。
 そのため、いつしか繭は「責任を取って自分が贄になり、儀式を遂行しなくてはならない」という想いに囚われてしまう。
 澪は、それを必死に止めようとする……というつもりのようだが、物語的にはどうもそういう意図ではないらしい。
 というのも、最初の頃は「紗重が取り憑いたからおかしくなった」繭だった筈が、いつのまにか「まるで紗重が転生した」繭であるかのような言動に切り替わり、澪も徐々にその影響を受け始めるのだ。
 そのため、この物語は「ただ手近に双子の姉妹がいたから、これ幸いと儀式に用いられた」ものなのか、「かつて儀式の生贄となる筈だったのに逃げ出そうとした姉妹が共に転生し、あらためて儀式を行うための贄として導かれた」のか、まったく区別がつかなくなってしまう。

 はっきり言って、前者ならともかく後者なら大きな問題が発生するのだ。

 まず展開を振り返ってみよう。
 かつて皆神村では、桐生茜と薊の姉妹、立花睦月と観月の兄弟の順で儀式が行われたが、睦月と観月の時の儀式はうまく行かず、「虚」の鳴動を押さえきれなかった。
 またこの鳴動も過去の記録にないほど大規模なもので、さらなる儀式の必要性が問われはじめた。
 そして次に「陰祭」として、たまたま調査のために村を訪れていた民俗学者・真壁清十郎を贄とした代行儀式が行われる事になる。
 その次には、祭主である黒澤の実娘である黒澤紗重と八重による儀式が行われる事になっていたのだが、儀式の存在そのものに疑問を持っていた観月、そして真壁の弟子・宗方の手引によって、二人は村から逃がされる事になる。
 しかし、紗重は逃亡中に崖から滑り落ちてしまい、八重と離れ離れに。
 逃亡はしたものの、基本的に儀式賛同派であった紗重は、最後まで八重が戻ってくる事を祈っていたもののそれは叶わず、黒澤祭主の判断によって「異例の“巫女一人だけの儀式”」が施行されてしまう。
 だがそれは当然失敗してしまい、「大償(オオツグナイ。前作の禍刻に相当する)」が発生。
 「虚」からは、真壁が凶悪な悪霊となって復活。
 さらに、紗重自身も狂ったように笑い続ける悪霊と化してしまった。
 そして皆神村は暗黒の夜に包み込まれ、地図からは消滅。
 村の中に、一切の生者はいなくなってしまった…

 この時の、紗重と八重の逃亡劇の場面とよく似た過去を経験した繭と澪が、皆神村に招かれたのだ。
 
 この物語では意外な事に、野蛮な儀式である「紅贄祭」に反対している人物が、ものすごく限定されている。
 明確な否定意見を持っている者は、多く見積もっても茜と桐生家当主、睦月と観月、その妹の千歳だけだ。
 それ以外は、なんと主人公達も含めて誰もいないように映る。
 もっとも、本編中で意思表示をしていないためにはっきりしないという存在もいるのだが、もっと厳密に言えば、睦月や千歳、茜なども「本当に儀式そのものの施行に反対なのかは疑わしい」といわざるをえない。
 誰かを殺してしまう事や、大切な人が死んでしまう事への悲しみは抱いていても、それがそのままイコール儀式反対となるとは限らないからだ。
 という訳で、敵味方含めて「儀式を行うのはおかしくないか?」という疑問符が、驚くほど表面化して来ない。
 すなわちこれは、なぜか「儀式を遂行する」という事がすべてにとっての最終達成目的であるかのように話が進んでしまう事を意味する。
 …そう、決して「儀式を止める」という展開にならないのだ。

 そんなストーリーベースに乗っかっているため、主人公達を含めたあらゆる要素に疑問が生じてくる。

 ここで前作をちょっと振り返ってみる。
 前作の主人公・深紅は、元々兄を救出する目的だった訳だが、結果的にそれは叶わず、代わりに“氷室家の呪縛に囚われていた無数の霊を解放する”という快挙に至った。
 そのため、兄の死や霧絵の永久の責め苦という後味の悪さはあったものの、物語そのものは明確な結末を迎えているので、一筋の爽快感があったのだ(もう一つのエンディングでは兄も助かるのだが)。
 それは、主人公の目的が「脱出」「解決」という方向に常に向き続けていたからでもある。
 もし、途中で深紅が何度も目的を見失ってしまっていたとしたら、こんなすっきり感はなかったのではないか。

 しかし本作は、澪自身には強い「脱出」の意思があるものの、繭には(最終的には)その気がなく、自らの死を望み始め、また根源たる儀式への真実探求はあっても解決に至ろうという気負いがまったく感じられない
 結構決意溢れる行動を取っているにも関わらず、そんな印象が残らないのだ。
 そのため、「これは解決と言えるのか?」という強い残留感が残り、さらに後味の良くないエンディングが被さるのである。
 これでは、プレイヤーは納得できまい。
 ましてや、村人の霊に捕われてしまった繭を置いて村を脱出しようとすると、専用のムービーが流れて強制ゲームオーバーになるのだ。
 すなわち、澪が己の目的を遂行する事は、最後まで認めてもらえない。
 なんとなく、ベクトルが変な方向に向いている気がする。

 事実、多くのプレイヤーが初めてエンディングを見た時、バッドエンドのフラグを立ててしまったと思い込み、再度挑戦しまくったらしい。
 また、はっきりと「エンディングは2つ」と定義されてなお、ハッピーエンドを求めた人達もいたという。
 個人的には、「零」シリーズにハッピーエンドは似合わないと思っているのでエンディングの方向性そのものは良いと思うのだが、任務達成感を感じさせてくれないというのは辛過ぎる。
 「エンディング1」で、「虚」に辿りついた澪を取り囲む宮司や忌人の群れを見た瞬間、「あれだけ倒しまくったのに、まだこんなにいるのかよ!」と、ものすごく無駄な事をさせられていたかのような印象を受けた。
 正直、その後の繭殺害の展開よりも、そちらの方がショックだったくらいだ。

 「エンディング2」は、澪失明という酷い展開ではあるものの、「虚」を見てはいけないという情報が何度も提示されていたために特に違和感は感じられず、むしろ「こりゃ仕方ないべ」という内容にまとまっている。
 無論、これに納得できなかった人も多かったようだが、澪と繭だけを見た場合は比較的良質なエンディングだったと言える。
 しかし、やはり達成感に乏しく拍子抜けさせられる結末だった事は否めない。
 まして「どうやって逃げたか覚えていない」というあやふやな言葉で、あれほど脱出が困難な皆神村からいけしゃあしゃあと脱出してしまったりもしている。
 …何の妨害もないまま、足の悪い繭が澪と共に脱出し切れるなんて筈がないでしょーが。

 結果的に、澪や繭は「何も解決させられず、一つの霊も救ってやる事が出来なかった」という、壮絶な絶望感に見まわれてしまうのだ。
 決してハッピーエンドは追加して欲しくはないが、もしX-BOX版が発売されるようなら、是非とも「もう少し達成感のあるエンディング」を加えていただきたいものだ。

 根本的な物語展開はダメダメなのだが、その代わりサブストーリーは大変重厚で面白い。
 相変わらず、過去に犠牲になった人々の想いの表現は素晴らしく、今回も唸らされた。

 村に調査に来たために囚われてしまい、最愛の恋人をその手にかけてしまった槙村真澄の悲劇や、躯(むくろ)と化した薊の人形に操られてしまった茜と、それに対する桐生家当主の悲痛な想い、また自ら「楔(くさび。詳細は後述)」にされる事を知りつつ、見てはいけないとされる「虚」を見れる喜びに酔い、学者としての好奇心が死の恐怖を乗り越えてしまった真壁の心情、そして大切な兄を失ってしまった千歳の描写、根本的に歪んではいるものの、儀式を遂行するために懸命になる人々の表現など、とてもわかりやすく伝わってきた。
 儀式を行い、地鎮する事にすべてを費やす事を義務付けられてしまった悲しい村の物語として見た場合、本作は突然面白みを増してくる。
 前作以上に色濃く残った生活の跡、悲劇の跡が物悲しさを引き立たせ、そして儀式の存在とその残虐性を物語る。
 定期的に行わなければならない儀式は、村だけでなく周囲の別の村の人々にも期待されていたようで、祭主をはじめとする関係者達のプレッシャーや辛さも相当な物だったのではないか…などと想像させる。
 特に、儀式の最高責任者であり実質的な黒幕的位置付けにいた黒澤家当主は、かつて自らも鬼隻(双子の巫女または御子の生き残り)であった事があり、さらに紗重と八重は実の娘である。
 戦闘時に「お前は贄として生まれたのだ!」と唱えつつ迫ってくるが、彼の手記には必死で個人的感情を押し殺しているかのような雰囲気が漂っていて、とても良い味わいとなっている。

 ここで「皆神村でも氷室邸のような儀式を行っていた」というベーシックな部分に注目したい。
 前作の「氷室家の儀式」を巡る諸設定があまりに高い完成度を誇っていたためか、本作はあまり大きな冒険も出来ず、また生贄を用いた儀式による黄泉の穴の封印ネタに甘んじてしまったのではないか…という意地悪な見方も出来なくはないが、筆者は「同じ時代、同じような考え方で封印の儀を行っていた」別の一族の姿を描写したものとして、それなりに評価している。
 つまり、前作で描ききれなかった「氷室家の外側」を固めるような位置づけにあるものという解釈をしているという事だ。
 確かに両者ともに「厳格な儀式の末、誰かを生贄にして何かを封じる」という共通点はあるものの、その性格は微妙に異なっている。
 なにせ皆神村では、儀式を行わない筈の年でも「虚」が鳴動した場合は「楔」を用意していたわけで、本儀式以外でもかなりの数の犠牲が出ていたのだ。
 充分な時間をかけてたった一人の縄の巫女を育てる都合上、儀式の間が相当開いている氷室家のケースとは、根元的に異なっている。
 皆神村の儀式の場合、双子の巫女または御子が必要であるにも関わらず儀式そのものが失敗したら、その埋め合わせとして村以外の人間に「身削」と呼ばれる過酷な拷問を加え、さんざん苦しめた上で「楔」と呼ばれる代役にされる(苦しめば苦しむほど良いらしいが、途中で耐えきれず死ぬ者もいるとか)。
 それに加え、皆神村以外の者達からの要請もあり、何があっても儀式は遂行しなくてはならない。
 これらも、氷室家の時にはなかった恐るべき点だ。
 さらには、皆神村の方が氷室家のものよりも入念な下準備が行われ、また儀式のためだけに行われる特別な作業も多く存在する様な印象を与える。
 本当の意味で、儀式を行う事だけに特化した村だったのだな…という気にさせられてしまい、なんとなく複雑なイメージが生まれてくる。
 他になんの選択肢もないのだから、本当に悲惨極まりない儀式と、それに伴う日常だったのだろう。

 前作では「黄泉の門」という明確な“異質な存在”が登場したが、本作の最終到達地点である「虚」は、はたからみているとただの“死体置き場”以外の何物でもないように見えてしまい、逆にそれが恐ろしさを増している。

 どういう事か?
 つまり、「この穴に生贄を投げ込みさえすれば、大地の揺れは治まり作物の収穫も回復するだろう」という盲目的な信仰によって、実際は只の穴に過ぎない「虚」へひたすら犠牲者の死体を積み上げ続けていたのでは…という推察だ。

 事実、大昔ではそういう過程を経て犠牲者の死体を闇雲に積み上げてきた洞穴や谷間などが多く存在していたらしく、その痕跡と思われる跡も近年になって発見されていたりするらしいのだ。
 本編中でも観月が述べていたが、もっと確実で最良の効果を引き出す方法があったのかもしれない。
 しかしそれにたどり着く事も出来ず、かと行って「村を捨ててどこかへ移住する」という考えすら生まれて来ない程に、村人達の心は「虚への歪んだ信仰」に支配されていたのではあるまいか。
 だからこそ、家族や知人の死を悲しみつつも「儀式そのものは否定しない」人々が多かったという結果に繋がるのだろう。
 「虚」の暴走である“大償”も、その根源が“黄泉からもたらされた忌むべき力”であるとも限らない。
 「虚」の中には無数の死体で満たされた光景が広がっており、決して無限の闇…底無しの異空間が展開している訳ではなかった。
 ここでわざと歪んだ見方をするなら、「長い間かけて虚に落とされ続けて来た者達の怨念が作用し、儀式を行う根元となる“忌まわしい出来事”が発生していたのではないか」とも考えられてしまう。
 犠牲者達がさらなる犠牲者を呼ぶきっかけを作っていた…すなわち、「村人達は、自分達の手で儀式を行う要因を作り出していたのではないか」という事だ。
 自分達が望むだけの贄がなければ、「大償」を発生させてしまう事も可能になるほどに。
 犠牲者達は、いずれも生前「大償」の事を知っていただろうから、死後にそれを起こす事は可能だったのかもしれない。
 「虚」には、「巫女(御子)でも楔でもない者達」も何人か飛びこんでいる。
 黒澤の妻も双子を産んでしまった衝撃で身投げをしていたり、「虚」の管理のために、目を縫われて地下生活を強制されている「忌人(いみびと)」も、「虚」の鳴動の影響で多数犠牲になったらしい。
 つまり「虚」には、それだけ多くの人々の怨念が凝縮されている場である可能性が高いのだ。

 もちろんこれらは筆者の勝手な想像に過ぎないが、こういう考えがあってもいいのではないだろうか。
 ハード&ナイトメアのエンディングで、澪が見た「虚」の光景から、ふとそんな事を考えてしまった。
 もし、本当にそういう部分に狙いを定めていたというなら、これはかなり練り込まれたストーリーだと感嘆したい。
 “明確な形のない恐怖”“提示されていなかった真実故の恐怖”などを想像させてしまうような背景を、しっかりと構築していた事にもなる訳で、こういうのは本当に嬉しく思えてしまう。
 まさに、理想的な考えオチへのけん引。
 ホラーとは、かくあるべきという感じである。 

 …根本的な疑問「よくあれだけ双子のストックがあるものだなあ」という事については、見事なまでにスルーしてたけど(笑)。

 本作には、「隠しイベント」というものが設定されていて興味深い。
 澪達より先に皆神村に入り込んでしまった、槙村真澄と須藤美也子の二人を巡る展開だが、これは二ノ刻または五ノ刻の逢坂家・奥の間で入手できる「村の調査記録」から派生する。
 村中に点在するこの記録を集めて完全なものにすると、槙村真澄と須藤美也子との同時戦闘に発展するというものだが、このイベントをたどる事によって彼らがどういう陰惨な最期を遂げたかが明確になり、より悲惨さが高まってくるようになっている。
 隠しイベントなので、ひょっとしたらまったく見た事もないまま何周回もしてしまった人もいるかもしれないが、確かに槙村真澄と須藤美也子を巡る展開は、村の儀式の事情を追求しているメインルートからは浮いている内容であるので、隔離したのは正解かもしれない。
 ただし、やや発見し辛い上に最終決着が単なる戦闘(しかも妙に難しい)だけというのは、なんか味気ない。
 せめてその経緯で、攻略に便利なアイテムの一つでも頂戴したかったものである。
 …彼らに何を期待するんだって話もあるけど(笑)。

 総じて、前作同様主人公側の心理描写がイマイチ希薄であるという性格を引き継いでいるものの、興味深い要素は散りばめられているため、探求心旺盛な人には大変面白く感じられるだろう。
 だが、主人公達への感情移入度が高くなる傾向のある本作では、これだけでは物足りなかったのではないかとも思う。

 なお蛇足だが、本作「零〜紅い蝶」は、主人公主観なら恐らく前作よりも後の時代が舞台となっているように思われるが、皆神村主観で見た場合、前作よりも前の時代になるようだ。
 その理由は、本編に登場する黒澤八重が、前作で登場した宗方八重と同一人物だからである。
 厳密には、本作で宗方との逃亡に成功した八重は、後に宗方と結ばれて氷室邸へとやってきて、そこで美琴を産むが氷室家の例の現象に巻き込まれてしまい、本人は氷室家の呪縛に囚われてしまうのだ。
 せっかく皆神村の呪縛から逃れられたというのに、結果的に悲惨な死を迎えてしまい、さらには曾孫にあたる深紅に襲いかかるようになってしまうのだ。
 結局、救われた者は誰もいなかったという顛末になる。

 蛇足ついでに、本作はいつ頃の時代がベースになっているのかを、ちょっとだけ調べてみた。
 まず、八ノ刻にて朽木の中から発見される真壁の書記によると、皆神村で真壁が楔にされる前の頃は明治4年頃ではないかと考えられる。
 ここで太政官布告という単語が出ているが、その文章内で触れられているような戸籍に関するものは、この時期に発令されている。
 多少前後しているとは思われるが、文章の内容から判断するに、そこからそんなに大きく時期は離れていないと見るのが自然だろう。
 大きく見積もっても、せいぜい明治6〜8年くらいなのではなかろうか。
 そこから計算していくと、前作の(氷室家主観の)舞台も、だいたい明治20年前後辺りになるのではないかと考えられる。

 ところが。
 実はどう贔屓目に見積もっても、本作の舞台は明治20年代以降じゃなければ辻褄が合わない。
 なんでそんな事が言えるのかというと、実は逢坂家や桐生家をはじめとした各所に電球が灯っているからだ。
 主に(誰が灯したのかわからない)ろうそくによって明かりが確保されている皆神村の各邸宅だが、いくつかの場所には、言い逃れができないほどにはっきりしっかり「電球」が下がっている。
 また、場所によっては「どう見てもこれはろうそくじゃないだろ」というような“電灯状の照明器具”が天井から下がっている。
 ご家庭によくある、紐を引っ張ったり、近くの壁にあるスイッチで点灯・消灯するアレだ。

 で、無粋と知りつつこの辺について調べてみた。
 電球って、いつ頃発売されたんだろう?

 ――国内で初めて白熱電球が灯ったのが1884年(明治17年)で、東芝が国内初の炭素電球を開発したのが1890年(明治23年)
 アメリカの話になるが、世界でもっとも早く白熱灯を商品化したのはエジソン(世界で初めて灯した人物は別の人)で、1890年の事。
 つまり、皆神村に電球が到来するのは、どう歩み寄っても明治23年以降という事になってしまう筈。
 …と書いてはいるが、果たして明治時代初期では最新のテクノロジーであった筈の電球を、あんなヘナピ〜な村が大量に、かつリアルタイムで入手できたものかという疑問も残る。
 情報伝達なども、現代とは比較にならないわけだから、電球そのものの存在を知らなかったとしても不思議ではない筈。
 だって、先の太政官布告にて「先に産まれた方が姉(兄)、後の方が妹(弟)と定める」とされた事を知らなかったようだし(皆神村では、この概念が逆転している)。
 仮に、何かしらの事情で電球の存在を知り、都会の人々と同じくらいのスピードで導入してしまったのだとしたら、皆神村の人々は随分とモダンでハイカラだったんだなあ。
 あら不思議不思議。

 でも、ある方面の文献によれば、明治時代には空飛ぶ軍艦があったり、太正時代には蒸気の力で映像通信機などを発明していたそうだから、これくらいなんて事ないのかもしれない。
 うーむ、明治の乙女の気概あれ。

 …えっ。
 その前に「なんで電気が通っていたのか」って事の方に突っ込めって?
 嫌だなあ、それならいくらでも説明がつきますよ。
 先にあの村に入りこんだ美也子達が、換えの電球と発電機を持ち込んで、村のどこかに設置したんですよきっとそうにちがいない!
 後から来る澪達のために、充分な量の燃料も持ち込んだのでしょう。
 ああ、だから力尽きてしまって、あの二人はあんな結果に…ううむ、名推理!

 そんな理屈通ってしまったら、随分準備の良い遭難者だったって事になっちまうなあ(笑)。
 もっとも、おかしな編集者が紛れ込んだり、某んばばな女性漫画家が訪れていたり、橋の上に何人乗れるか挑戦して溺れたアホな奴とかが、本当にいたりするからなあ、本作は。<ゴーストリスト参照

 …映写機の事を忘れてないかって?
 え〜と、桐生家と立花家にあった映写機の事ね…って、映写機の発明って1895年(明治28年)じゃんか!!
 うわっ、訳わからなくなってきたよママン!

 意外に、これら全部が「オーパーツ」だったりして(笑)。

(総評)

 とにかく、これ以上ないくらいに楽しめる作品であると言い切ってもいいだろう。
 もちろん、いくつか無視出来ない問題はあるし、またこういうジャンル自体に馴染みのない人もいるだろうから万人向けとは言い切れないが、前作をプレイしていない人なら、新しい感覚を味わうために手に取ってみるだけの価値はある。
 ミッションモードやナイトメアなどは、いつか気が向けいたら挑戦するという程度に割り切ってさえおけば、難易度の低い部分だけをさらって旨味を堪能する事も可能だ。
 事実、売りである「恐怖」を堪能するのが主目的なのであれば、無理に難易度やミッションを意識する必要性はない。
 また、ある程度腰を落ち着けてじっくりプレイするスタイルの人なら、かなり楽しめる事請け合いだ。

 ちなみに、本作が発売されるよりもちょっと前にはSCEから「SIREN〜サイレン〜」が発売され、さらに翌月にはカプコンから「バイオハザード・アウトブレイク」が発売された。
 そんなこんなで、2003年末は三大3Dアクションアドベンチャーが出そろった訳だが、残念ながら本作以外はいずれも極端な難易度の高さが特徴で、特に「SIREN」の方は、購入直後に手放す人達がやたらと多かった程らしい(筆者も激しく中断中)。
 また、オンラインプレイを前提とした「アウトブレイク」は、オフラインではほとんどゲームにならず、大変な困難がつきまとうと噂に聞く。
 そうやって比較してみると「零〜紅い蝶」は、そんな状況の中で唯一ユーザーフレンドリーな内容構成だったのかもしれない、などとふと思った。
 残念ながら、放送自粛CMのせいで凄まじい話題になった「SIREN」や、過去のシリーズの圧倒的ネームバリューに支えられた「アウトブレイク」と肩を並べられるだけの人気は確保できなかったようだが、それでも根強いファンは確実に生まれ、次回作への期待も高まっている。
 大変個人的な主観で恐縮だが、そういう見解から、筆者は実質的には「零〜紅い蝶」に軍配が上がっていたのではないか、などと想像する。

 本作は、当初「霊感のない妹がカメラ担当で、姉の繭が手を握っている時にだけ霊が見えるようになる」という設定だった。
 これを初めて知った時、戦闘や物語進行にかなり支障が出そうだなあと思っていたものだが、実際にはフラフラ行方不明になる姉の追跡劇になってしまっていた。
 ま、これはこれで正解だったでしょう。
 なんか別な記事では、「霊に憑依された繭が、突然奇行に走り出す」という展開も予定されていたらしいが…そ、それはちょっと見てみたかったかも(笑)。

 最後に、このゲームのもう一つの売りについても触れておきたい。
 
 店頭にてデモDVD映像を見た方も多いと思われるが、本作の宣伝告知ムービーは、やたらと「耽美」な場面が多い。
 主人公の澪と繭は、まるで近親愛・同性愛者であるかのような面妖な構図の抱擁を繰り返し、非常に微妙な“妖しさ”を醸し出している。
 中には、キスシーンに発展してしまうのでは?! などと焦ってしまうような場面もある。
 残念ながら本編中では、こういったドキッとさせられる場面はない(というか、デモの映像は100%使用されていない)。
 しかし、確実に「何かを狙っている」感はある。
 澪や繭は、所謂「萌え」を想定して作成されたキャラクターなのだろうが、まさかデモでこういう味付けを持ってこられるとは思わなかった。
 個人的にはこういう「露骨過ぎない、わずかな妖しさが漂う演出」が大好きなので、出来れば本編でも各所にちりばめて頂きたかったものだ(笑)。

 なお、このムービーは本作内にも収録されており、オープニングタイトル表示後しばらくすると再生される上、ゴーストリストコンプリートによって展開する「ギャラリー」の中にも収録されている。
 個人的には、主題歌「(BY:天野月子)」をバックに流れるデモムービーが一番好きだったりする。

 筆者は、隠し要素全開までに都合4周(そのうち一周は凡ミスで無駄周回)し、このレビューのために再度プレイ、都合5周するハメになったが、世の中には7周8周当たり前というツワモノも大勢いらっしゃるらしい。
 それだけやればさすがに飽きてしまいそうだが、本作はそれでも何か挑戦したくなるような何かがあったりする。

 さて、次はシナリオクリアランクSSを目指すか。
 …やっても何もないんだけど。

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