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更新日:2004年11月11日 | |||
「コーヒー」とは、神がこの世にもたらした、至高の逸品である。 複雑な香りと口当たり、そしてカフェインがもたらす様々な効用。 飲む事で深い落ち着きと覚醒効果、さらには集中力をも高めてくれる。 しかも、砂糖やミルクに頼らなければ、カロリーはゼロ。 ブラックコーヒーに、苦味よりも甘味を感じるようになれば、一人前だ。 こんな素晴らしい飲み物・コーヒー…だがしかし、飲めば飲むほどいいというわけじゃない。 世の中には、限度っちゅうもんがある。 今回は、一日最低マグカップ5杯、その気になれば2リットル近く飲む後藤夕貴の、コーヒーにまつわるバカ話。 さあそこの貴方、今日はブラックコーヒー淹れてお付き合いしてください(笑)。 ふと思う。 人は、どうやってコーヒーと出会い、ブラックコーヒーに至るのか? 砂糖とミルクの入ったコーヒーなら、小さい時、家族が淹れてくれた物を飲み、おいしさに目覚めてハマるという事もあるだろう。 確か、筆者もそのパターンだったと思う。 よく、焼いた食パンをミルクやスープなどにちょっとひたして食べるというのがあるが、甘みの強いコーヒーやミルクティーでやっても、なかなかおいしいものだ。 実は、基本的にブラックコーヒーしか飲めない筆者も、いまだにこの食べ方は好きだったりする。 しかし、問題はここから先。 甘いコーヒーが大好きな人にとって、ブラックコーヒーというものは、はっきりいって「敵」みたいに見える事がある。 「苦い」「甘くない」「真っ黒」とか、あまりよろしくないイメージが先行するからだ。 ウインナーコーヒーのように、ミルクを落としたとしても、完全に混ぜるまでは上記のイメージも覆せまい。 果たして人は、どうやって、この巨大な壁を乗り越えていくのだろうか。 全然関係ないが、筆者は大昔「ウインナーのコーヒー漬け」という、日露戦争時代のギャグみたいな物を本当に出された事がある。 ところが、これが意外に旨かった。 「え?!」と思うなかれ。 実はこれ、手製の腸詰を調理する過程で本物のコーヒーを香り付けに使用した実験料理の試食をしたというオチなのだ。 コーヒーの香りは思ったより強くなかったけど、普段食べているソーセージとは違った旨味がはっきりわかって、大変おいしくいただけたのを記憶している。 閑話休題。 筆者がブラックコーヒーを飲めるようになったのは、こんな経緯がある。 小学生高学年の頃、仲間内でラジオが流行った。 作る方ではなく、普通に聴く方だ。 それで、友人の持ち寄る情報を頼りに色々聴いてみたかったのだが、残念ながら筆者の家は鉄筋構造の上に隣接する建物のせいで電波状況が最悪で、文化放送やニッポン放送などのめぼしい番組はまったく届かず、泣く泣く友人に頼んでテープに録ってもらっていた。 はっきり入ってくるのは、地元のローカル局「BSNラジオ」と、NHKとFMのみ。 いつのまにか筆者は、そのBSNラジオで(自分にとって)唯一しっかり聴けるバラエティ番組「オールナイトニッポン」にハマっていった。 さて、「オールナイトニッポン」は、午前一時から五時までという、長時間放送だ。 これを楽しむためには、なんとしても半徹夜を敢行せねばならない。 ついこの前まで、午前0時を過ぎたら「すっげえ真夜中」感覚だった小学生にとって、これは凄まじい挑戦であった。 普段着でヒマラヤ登頂に挑むような心境で、「オールナイトニッポン」に立ち向かうため、筆者が最初に選んだ行動が「コーヒーを飲む」だった。 そして、これは大変うまく行った。 日付が変わる前に一杯飲めば、だいたい大丈夫だったのだ。 ところが、「オールナイトニッポン」を聴き始めて一年ほど経った頃、ある変化が訪れた。 コーヒーを飲んでも、眠くなってしまう! 事実、気がついたら朝になっていた、というのを数回繰り返してしまい、大変に落ち込んだ事もあった。 打開策を色々考え、辿り着いた結論が…「コーヒーにミルクが入っていたのが悪かったんだ」というものだった。 はいそこ、突っ込みはまだよ。 つまり当時のスカポン筆者は、「コーヒーに不純物(失礼!)が混じると、カフェイン摂取量が減ってしまうのではないか」と考えた訳だ。 という事は、ブラックコーヒーという“純度の高いカフェイン飲料”を飲めば、この状況は打破できる筈だ。 ならば、ブラックコーヒーを飲めばいいだけの話! …という事で、ここで筆者は、初めてブラックコーヒーを飲む事にした。 はっきり言って、最初は「薬を飲む感覚」だった。 こんなののどこが旨いんだよ! という強烈な思いに駆られた記憶が、今でも残っている。 しかし、背に腹は代えられない。 今思うと、結局ミルク入りコーヒーよりも少ししか飲んでいなかった筈なのだが、なぜか目論みはうまく行ってしまった。 結果オーライ。 ブラックコーヒーが徹夜可能のきっかけになったなら、それでいい。 「胃薬も 信じて飲めば 風邪薬」という、古い言葉もある。 てな訳で、無事徹夜を敢行した筆者は、以降「ブラックコーヒーないとダメじゃん」人間へと変化していくのである。 ところが、事態はそう甘くなかった。 ある日突然、「自宅でない場所でオールナイトニッポン」を聴かなければならない事態に陥った。 いや、そこで「別に無理して聴かなくてもいいじゃん」とか言いっこなしね。 とにかく、当時は今みたいに深夜営業のコンビニなんて便利なものはないので、なんとかしてコーヒーを確保しなければならなかった。 結果、筆者が選んだ行動は「自販機で、缶コーヒー大量買い」だった。 四本もの缶コーヒーを買い込み、寝床の脇に置いて、れいでぃおすいっちょん! そして、なんとか午前五時まで耐え抜く事が出来た。 ところが。 ここで思わぬ誤算があった。 ずっとブラックコーヒー漬けだった筆者は、いつのまにかそれしか飲めなくなっていたのだ。 さらに加え、当時はまだ缶コーヒーにブラックなどはなく、ほぼすべて例外なく「ミルクと砂糖たっぷり」状態。 大人の味を気取っている商品も、結局はその混入割合が少ないってだけ。 しかも、当時のは今のに比べて、全体的に甘めだった。 さらに、今までホットばっかりでまったく飲みなれていなかったアイスしかない。 季節は夏…ある程度の時間が経過し、常温保存のため暖かくもなく冷たくもない状態になってしまった「好きじゃない飲物」は、口にする時には涙さえ伴うようになった。 不気味に甘ったるく変化してしまったそれを四本も飲んだため…徹夜に成功はしたものの、以降、筆者の身体には強烈な「アンチ缶コーヒー」「アンチアイスコーヒー」属性が生まれてしまったのだった。 え、何かおかしくないかって? いやまあ、疑問はごもっとも。 でもまあ、世の中そんなつまらない事の積み重ねで変わるんだから(笑)。 その後、「水出しコーヒー」などを飲む機会があり、かなりアンチアイスコーヒー属性はなりを潜めるようになったものの、いまだに抵抗がある。 相変わらず、缶コーヒーはダメ。もうあれから20年経つというのにである。 それから、オールナイトニッポンを聴きながら同人誌の原稿や、趣味のイラストなどを描くようになり、そちらへの集中力で眠気を散らす技術も取得したが(笑)、今度は逆に、集中するためにコーヒーを必要とするハメになってしまった。 そして今でも、大掛かりな仕事をこなす際に、コーヒーは欠かせない。 ネスカフェ最大の大瓶を、一人で三週間にて空にした時は、仕事場の人達に化け物呼ばわりされた。 そして今も、仕事をしながら、サイトを更新しながら、原稿を書きながら、CGを描きながら、部屋の大掃除をしながら、ヤフオクを物色しながら、食事をしながら、屍人にイライラさせられながら、モリガンで62HITコンボを叩き込みながら、地獄極楽落としを入力しながら、お出かけの準備をしながら、コーヒーを飲むわけである。 筆者の人生から、もはや切り離す事が不可能になった「コーヒー」。 もし、これが壊滅してしまったとしたら、筆者もそう長くは持たないだろう(笑)。 ちなみに、先の「ブラックコーヒー」を飲み始めたばかりの頃、「さらにお湯で薄めているのが良くない! そのまま飲めばもっとイケるんじゃないか?!」というあさはかな発想を思い立ち、インスタントコーヒーを粉薬の要領で飲み込み、激しくのた打ち回らされた事がある、という事は、ここを読む貴方と私だけの秘密でお願いしたい…☆ → NEXT COLUM |
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