我が青春の「鶴光のオールナイトニッポン」 後藤夕貴
更新日:2004年5月9日
 「びば〜や〜んぐ、ぱや〜ぱや〜」

 「お待〜ちしと〜りまっせ〜」

 「いやぁ〜、品性下劣!」

 「この歌は、こんな風に聞こえる!」

 「ちょっと“あー”って言ってみてください」
 「あー」
 「え〜かぁ、え〜のんかぁ、最高かぁ〜」


 さあ、上記のフレーズに記憶回路が刺激されたという方!
 今日は、とっくりお付き合いしていただきましょう(笑)。


 日本放送(ラジオ)の看板番組「オールナイトニッポン」
 ラジオ番組全体の中でも屈指の長寿番組であり、1967年のスタートから、すでに37年もの歴史を誇っている。
 様々な芸能人がパーソナリティとして迎えられたが、歌手や声優、落語家や漫才師など、とてもラジオ放送なんかしそうに思えないような人達も大変多く、時にはテレビで見ているのとはまったく違った魅力を感じさせてくれる事も多かった。 
 だが、その全盛期は70年代から80年代中期であったとする意見は大変多い。
 世代の差による見解の相違もあるだろうが、それらを差し引いても「これを越える人気番組があっただろうか?」というものが、この時期に存在していた。


 それが、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン サンデースペシャル」だ。


 放送開始は1974年1月、放送終了は1985年10月。
 なんと11年9ヶ月も続いたオバケ番組で、途中いくつかの時間変更はあったものの、基本的には土曜深夜午前1時から午前5時(正確には、午前4時50分くらい)までの約4時間、午前3時を区切りに二部構成で放送されていた。
 地方によっては第一部のみの放送という事もあったらしい。

 さあ、今回は、28歳以下の方は思いっきり置いてけ堀(笑)。
 つか、28歳や29歳で着いて来れるという人も、なかなかに恐ろしいが…(終了当時9〜10歳くらいだものね)


 筆者がこの番組に出会ったのは小学6年生頃だったと記憶しているが、その時点で、すでに放送終了3年とちょい前くらいだったようだ。
 中学生活は丸々この番組にひたっていた訳で、当時の筆者にとってはかけがえのないものだった。
 無理矢理夜更かしするためにブラックコーヒーを飲み始めたのもこの頃からだったなあ。
 よく同人誌の原稿を描きながら聴いていた(遠い目)。
 旅行先でもラジオは必ず携帯し、缶コーヒーを山ほど買い込んでなんとか朝まで起きて聴いていた。
 その結果、大の缶コーヒー嫌いになってしまったのだが、それはまた別なお話(笑)。

 この「オールナイトニッポン・サンデースペシャル(以下、サンスペと表記)」は、深夜放送だというのに当時は絶大な人気を誇っており、あらゆる世代の人達が聴き、翌日または月曜日の話題にしていたものだ。
 ラジオ番組なんだから、色々な世代のリスナーがいるのは当然なのだが、この番組に限ってはちょっとニュアンスが違う。
 「“どの世代からも”絶大な人気を誇っていた」となると、並び立つものはそうはない。
 筆者の中学時代、この番組を聞いていない者は異端視され、話題についていけない者は流行遅れもはなはだしかった。
 この番組を通じて、なんと生徒と教師間で共通の話題を持つ事だって出来た(本当)。
 こんな影響力を及ぼせるラジオ番組、この20年間で他に耳にした事がない。
 土曜日深夜の放送で、翌日が休みという事もあるから多少無理が利くという背景もあってか、学生リスナーはかなり多かったという。
 とにかく、今では考えられないくらいの大人気番組だった事は間違いない。


 現在はかなりスタイルが変わってしまったようだが、「サンスペ」は、だいたいこんな構成内容だった。

 当時のオールナイトニッポンは、午前1時〜3時までが「第一部」、それから午前5時までが「第二部」となっていた(現在では午後10時からの全3部構成らしいけど、筆者は聴いてないです)。
 午前1時の時報と共に、笑福亭鶴光(以下、師匠と表記)によるちょっとした小噺風ギャグが炸裂し、定番のオールナイトニッポンのテーマソング「ビタースイートサンバ」が流れる。
 そして提供朗読後に「本日の一曲目(だいたい一般邦楽)」がかかり、これを見事的中させたリスナーがいた場合、そのEPレコードをプレゼントするという企画があった。
 そう、CD普及は、この放送終了後さらに数年を待たなければならなかった。
 で、「当てる気のないハガキ」というものもあり、実際には存在しないタイトルや、タイトル改変一発ネタで笑いを狙う投稿なども紹介していた。

 また、比較的早い時間に行っていた長寿コーナーとして、「その時君は」というものがあった。
 これは、毎回師匠が提示するお題(「○○が××に△△した」といった形式)に従い、投稿者がネタを一本仕上て投稿する。
 そして、その文章のところどころが、レコードからピックアップした「歌詞」によって綴られるというもの。
 今で言うならMADテープのようなものだ。
 複数の曲の歌詞を無理矢理編集し、一つの文章にしてしまうため、投稿者も大変な知識とセンスが必要だった。
 なにせ、色々な曲の歌詞を頭の中でストックしておき、お題に合せて引用するのだから。
 このコーナー、聞くところによると黎明期からずっと続いていたそうで、なかなか恐ろしい。

 それからいくつかのコーナーを経て、「第一部」途中からアシスタント担当の特定アイドルが参入。
 師匠の下ネタ全開トークに翻弄されながら、時折やってくるゲストアイドルを交え、すっごく馬鹿馬鹿しいドラマをやってみたり(金玉ニ小助探偵シリーズ)、そのアイドルの噂の相手との関係を追及したりと色々盛り上げ、「第二部」は、冒頭の「イントロあてクイズ(リスナー電話参加)」を皮切りに、さらに濃厚なエロネタ全開の特定コーナーを連発したり、第一部では出来なかったような濃い話を連発したりしていた。

 筆者の記憶では、第一部が割とライトで、第二部がディープなネタが多かったように思う。
 第一部の定番コーナーで、そんなに慣れ親しんでいないリスナーでも楽しめるような小ネタを披露し、興味を持った人を第二部へと引っ張り、そこで「属性が合う人」を捉えて次回以降に期待を持たせる…そんなバランスだったのではないかと想像している。
 無論、これは筆者が知る「1983年以降」のサンスペの話であり、それ以前の約9年間はもっと違うスタイルだったのかもしれない。


 で、この番組…先に記した通り、かなり「下品」だった。
 今聴いてもその卑猥さは相当なもので、過激なエロはないものの相当えげつなく、ねちっこいネタが山盛りだ。
 いわゆる「小学生や中学生が一番喜ぶような」青臭い妄想が詰めこまれたエロネタ全開で、これが重要な原動力の一つであった事は否めない。
 無論そればかりではなかったわけだが、「鶴光のサンスペ」といえば「大阪三文字」「東京四文字」「九州ニ文字」と自動連想する人も多いだろう。
 この番組で性知識をつけたという友人も周囲にいたが、良くも悪くも、青少年に多大な影響を与えまくったわけだ。

 え、三文字とか四文字とか、何の事かって?
 これの意味がわからないという方は、まず間違いなくこの番組を聴いていなかった筈なんで、どうか追求などせず、そのまま流してくだちゃい。
 ここではさすがに説明できないっすよ(笑)。

 ――だからって。
 そこでググるなってば!!(滝汗)


 ともあれ、この番組構成は、当時の小中学生の興味をダイレクトに引いていたのは事実だ。
 あ、もちろん、それ以上の年齢の方もだけど。

 で、このサンスペは、結構色々な話題を作り出した事でも有名だ。
 例えば、番組末期のアシスタントアイドル三人組「がけっぷちトリオ」の中に、現在では声優界の大御所である日高のり子がいた事(必殺参加以前のひかる一平との関係を追及されまくってたっけ…)や、現在ではバラエティ番組・ドラマで大活躍中の女優・松本明子が、がけっぷちトリオに続く「やけっぱちトリオ(後に“トリオ・ザ・ゴミ”に変更)」の一人として参加していた事など。
 この二つはかなり有名な話で、しかも当時、松本明子がもっとも「将来が不安」と思われていたアシスタントで、現在の姿などまったく想像出来なかったものだ。

 他にも、ゲストの中森明菜が「金玉ニ小助探偵シリーズ」の台本を破り捨てたとか(生放送で!)、一度「オールナイトフジ(TV)」と連携して行った特別番組にて、師匠と片岡鶴太郎(ANFの司会)に煽られて、松本明子が東京四文字をテレビ画面上ではっきり発言してしまい、約三ヶ月間謹慎を食らったり、はたまた、とある売りだし中アイドルの性経験(あるいは…性感帯とか)を暴露させてしまったり…実に色々な事があった。
 特に「オールナイトフジ」については、当時聴いていたリスナーはほぼ全員はっきり覚えているというくらいの出来事で、恐らくテレビ史に残るくらいの大事件だったんじゃないかと思われる。
 何かの会話中にぼろっと…ではなく、思いっきり放送禁止用語だけを絶叫したんだものねえ…。
 今思えば、三ヶ月の謹慎もまだ軽い処罰だったのかもしれない。

 さらに、有名な「空耳アワー」の元ネタコーナーがあったのも重要だ。
 “ある曲のフレーズが、本来の歌詞通りではなくおかしな風に聞こえる”という報告を投稿してもらい、その部分を実際に再生、投稿内容を比較して「ホントに聞こえる」「ちょっとツライ」「わけわからん(笑)」などと評価するという内容で、タイトルもズバリ「この歌はこんな風に聞こえる!」だった。
 その内容の品性下劣さのため、残念ながら一例も挙げる事が出来ないが(笑)、とにかく、当時このコーナーを聴いていた人は何年経過しても、その対象となった曲を聴く度に吹き出してしまうというほどの影響がある。
 事実、筆者はこれのせいで、いまだに「カルチャークラブ」がまともに聴けない(笑)。

 個人的には、投稿内容よりも投稿者各位の師匠への呼び掛けが好きだった。
 「鶴やん、聞いてくれ〜…“鶴やん”言うな!(笑)」とか「○○で、○○しとった鶴ぅ、元気か……ほっとかんかい(笑)」とか。
 師匠が笑い混じりで突っ込むノリが大変ツボだった。
 なおこのコーナー、発足当初は第二部のコーナーだったそうな。


 この番組でハガキが採用されると、対象コーナーによって色々な特典が付くというのも面白かった。
 先のレコードプレゼントや「この歌は〜」の賞金などを別にすると、「銭の素」「災いの素」「ラブレターの素」「品性下劣ステッカー」など、名前を聞いただけでは全然なんだかわからないオリジナルグッズがあり、それを求めて投稿者はやっきになったものだ。

 で、その中の一つ…「品性下劣ステッカー」についてのみ、どんなものだったかご説明しよう(笑)。

 これは番組末期に登場したグッズで、主に第二部のコーナーで採用された投稿者に向けて送られていたステッカーだ(もちろん第一部でも対象となるコーナーはあった)。
 直径約12センチほど(多分)の円形のもので、中央部分にデフォルメされた師匠の全裸イラストが描かれており、股間部分を隠すようにロゴ(多分)が配置されていた。
 その師匠を取り囲むように、ニッポン放送のロゴや周波数の表記、番組タイトルなどが描かれていた。
 たしか、ステッカーの縁取りは濃いピンク色で、師匠のイラストは現在のお姿と違い髪が長かった筈。
 ひょっとしたらピンクではなく赤だったかもしれないが…その辺についてはご容赦。
 なにせ、中学時代の記憶しか手がかりがないので〜。

 え、「なんでそんなもの知ってるのか」って?
 そりゃまあ、投稿が読まれたからなんですけど(笑)
 ちょっと自慢になるが、何回かボツを繰り返し、ある時期からやたらと高確率で採用されるようになり、少なくとも十数回は間違いなく採用された筈。
 なので、そのたびに「品性下劣ステッカー」が送られてきたものだ。


 …と言いたいところだが、実はこれ、少しウソが混じってる。


 常連とは決して呼べないが、採用回数がそこそこ多かった筈の筆者は、結局全部で4枚くらいしかステッカーをいただいていない。
 採用数のだいたい1/5程度だったという所かな?
 とにかく、採用されると品性下劣ステッカーがもらえるという事になっているコーナーで採用されても、その数とぴったり同じ枚数ステッカー(またはグッズ)が来るとは限らないようだ。
 ひょっとしたら郵便事故などもあったかもしれないが、とにかく抽選と銘打たれていたわけでもないのに、もらえる率は案外低かったようだ。
 それともこれは、筆者だけの話なのだろうか…?

 ちなみに、番組中の日高のり子の言葉によると、「銭の素はすごくお金がかかっている」アイテムだったらしい。
 どんなものだったのか?! その形状すら推測できないもののため、なんとか知りたい。
 番組中で説明していたかもしれないけれど、それ聴いてないのよね…。
 噂では、「ラブレターの素」はただのボールペンだったという事だが…。


 実は、つい最近になって「サンスペ」の当時の放送を録音したテープを聴く機会に恵まれた。
 それで、実に19年ぶりに聴いてみたのだが…止まっていた刻が再び動き出したかのような感覚に、思わず熱いものがこみ上げた。
 自分の中で当時の空気が甦り、以前とまったく同じように楽しみ、笑う事が出来た。
 笑いがこみ上げる、たまらない懐かしさ。
 今聴くとあまりにもチープで寒いネタもあり、またエロネタにしても「ガキっぽさ」が強く感じられるが、それもまた独特の味わいでたまらない。
 そして何より、聴き直してみてあらためて気付いた部分がいくつか見つかった。

 当時は「とにかく下品さを前面に押し出し、それだけしかない」ように見えていた師匠のトークも、よくよく聴いて見るとある一定線以上踏み込まないという領域がある事がわかる。
 つまり、エロネタにしても「せいぜい中学生が興味を抱く範囲」以上のものは出さず、いわゆる「大人になって初めて理解できる淫靡な雰囲気」のものや「過激性愛・異常性愛」に類する話題には、驚くほどノータッチなのだ。
 筆者が聴いていた当時の師匠の年齢は、だいたい38歳くらいだった筈。
 となると、当然「それなりに予備知識を必要とする」エロティシズム系の話題やネタが出てしかりなのに、全然そんな雰囲気がない。
 また、アシスタント以外のゲストに対してのトークは、絶対「ネタの言い放ち」になっていない事もすごい。
 どういう事かというと、下品なネタを振っても、それはその場で笑ってしまえば終わる程度のもので、さらに長く突っ込んだネタ振りでも、途中できちんと空気を入れ替え、場の雰囲気にリセットをかけて話題を終息させているという事だ。
 ある程度以上、同一のネタを引っ張らないのもさすがといえる。
 番組内で「いじられる事が前提」になっているアシスタントは例外だが、聴き慣れていくうちに「そんなにベタベタなエロオヤジではない」というイメージが生まれてくるのだ。
 この辺は、さすがプロとあらためて唸らされる。
 師匠が、単なるエロオヤジ的なイメージだけしか持たないパーソナリティだったなら、そもそもこんなに長い間絶大な人気を誇る事は出来なかっただろう。
 もちろん、師匠が終始暴走を押さえ、実は理知的に裁いていたのかというとはなはだ疑問ではあるが、我々が考えている以上にトークの方向性を制御していた事は間違いないのではないかと考えられるのだ。
 事実、第一部と第二部とでは、話の移り変わり方などが大きく違う。
 深夜なので、ご本人が疲れてきているというのもあるかもしれないが、そうでなくても、明らかにリスナー層の移り変わりを意識しているらしい態度が感じられる…気がするのだ。
 第二部になると、もう聴かないで眠ってしまう人や放送局がフォローしてくれていない場所も多く、リスナーの数も減る筈だからね。
 歴代ディレクター各氏や、その他スタッフの手腕によるところも大きいとは思うが、とにかく、「プロの仕事」をあらためて実感させられた。

 …なんていいつつも、結構番組中で問題起こしている人でもあるんだけどね、師匠って(笑)。
 LP一枚かけっ放しにして、番組中に飲みに行っちゃったとか、当時のニッポン放送の局長をひたすらこきおろしてしまったりとか。
 そもそも、番組終了のきっかけが「ついに局長の逆鱗に触れた」らしいという話もあったくらいだし。
 どうなんでしょうね、亀淵さん?!
 

 さて、このサンスペについて語り出すといくらでも話題が出て来てしまうのでそろそろ締めたいが、他にも「品性下劣のコーナー」「寒イボ話」「なるほど・わかるかのコーナー」「ミッドナイトストーリー」、師匠の弟子・笑福亭学光氏による「学光のドッキリマイク只今参上」など、もう語りたい(けれど語れない)コーナーが沢山ある。
 また古いコーナーでは「なんちゃっておじさんのコーナー」とか(笑)。
 「新しいコーナーを考えよう」とかいう、そのものズバリのコーナーもありましたな。

 今となってはオヤジ達の想い出話にしかならないのかもしれないけれど、この「鶴光のオールナイトニッポン・サンデースペシャル」は、特定世代にとってはかけがえのない大事な番組として、今後も語り継がれていく事を望みたい。
 筆者が、中学時代邦楽コレクションにハマったきっかけなども、この番組があったからだし。
 良かれ悪かれ、色々な影響を与えてくれた素敵な番組だった。

 ああ、もっと早くこの番組に触れていれば…そして、奇跡の復活をしてくれたなら…
 復活してくれるってんなら、あたしゃそれだけのためにラジオを新品で調達してしまいますよ。


 そういえば、最近になって面白い食玩が発売された。

タカラ「青春のオールナイトニッポン」パッケージ
 「青春のオールナイトニッポン」というタカラの商品で、400円のブラインドボックス。
 シークレットを含めて全7種類のラインナップで、中身は昔のラジオのリアルモデル。
 ボタン電池が内蔵されており、それぞれ特定のスイッチを押すと、数秒間「オールナイトニッポン」のフレーズが流れるというものだ。
 この中には「鶴光のサンスペ」のものがあり、ほんの少しだけ懐かしさを体験出来る。 
 物的にも価格的にも、ダブると厳しいものがあるけれど(笑)。


 さらに、6月にブルボンから「懐かしのオールナイトニッポンキャンデー」という、全7種+シークレット1種のブラインド8センチCD物が発売される。
 こちらは、きちんと放送音源などを持ってきており、「ビタースイートサンバ」もきちんと入っているとか。
(青春の〜にも入っているが、こちらは尻切れ)
 一個350円。
 こちらもなかなか面白そうな企画である。
 是非中島みゆきも入れてほしい(笑)。


 と、ここまで書いていて、一つ面白い話を知る事が出来た。

 実は91年秋に、一度だけ鶴光のオールナイトニッポンが復活していたのだ!

 これはニッポン放送25周年を記念して、10月14日(月)〜10月19日(土)までの1週間、過去に人気の高かったオールナイトニッポンを日替わりで復活させるという企画の一環だった。
 この時復活したのは、中島みゆき・とんねるず・タモリ・ビートたけし・ウッチャンナンチャン・笑福亭鶴光の6組のパーソナリティ
 残念ながら具体的な放送スケジュールはわからなかったのだが、どうやら師匠はそのトリを勤めたようだ。

 第一部の二時間のみだったが、丸6年ぶりに復活したこの番組は、イントロからノリノリ状態で進行した。
 この時点で、すでに専務にまで昇格していた亀淵氏がコメントを寄せていて、なんとなく笑ってしまったものだ(氏自身、大昔にオールナイトニッポンのパーソナリティを勤めていたという事を、これで初めて知った!)。
 放送内容は、基本的に過去のコーナーを復活・羅列していくというもので、本放送中でもスペシャルの時によくやっていた「傑作選」的な内容だった。
 特に「この歌はこんな風に聞こえる」はこれがはっきりしており、過去の放送を押さえていた人のほとんどが、かつて一度聞いた事のあるものだと気付くネタばかりだった。
 「驚き桃の木ビックリ話」「同・ピンク話」も似たような感じで、コーナーの存在を忘れているだろう人達に向けての呼びかけがちょっとしつこく感じられる内容だった。
 その他、イントロ当てクイズなども行い(最初の回答者と、エロ話で盛り上がりすぎて随分間延びしてしまっていたが)、他にも細かなコーナーの復刻があって大変懐かしい思いに浸らせていただいたものだが、驚かされたのは、ちゃんと「一曲目当てクイズ」に葉書を出しているリスナー達がいた事だった!
 当然「当てる気のないハガキ」まで寄せられていた訳で、よくチェックしていたなあと感心させられた。
 「その時君は」でも、きちんと新作が発表されていたから、どこかで明確な事前呼びかけがあったのだと思われるが…すばらしきかな、サンスペファン♪
 
 その他、色々語るべき所があるのだが、長くなるので断腸の思いで割愛させていただく。
 この放送自体すでに12年半くらい前のものなのだが、大変新鮮な感覚を感じられたように思う。
 こういう企画、またいつかやってくれないかなぁ。
 ニッポン放送40周年記念だったら、2006年10月に出来……ないよね、やっぱり(笑)。



 …という事で、最後に懐かしいフレーズやサンプリングネタを適当に羅列。
 もう少しの間、二十年前にタイムスリップしてください。

「およそこの世に生まれ来て、名もなく地位なく望みなく。
 生きて生き恥晒すのも、死んで花実を咲かすのも、おもろないない、おもろない〜♪」

「ある時は、ナウ〜い大学生、ある時は、ツッパリ高校生。
 そしてある時は、“ピッカピカの一年生”
 しかしてその実態は…学光でおま〜〜!」

「いやぁ〜、品性、下劣っ!!」
「ええちちしとりまんなあ」
「りめんばばあ」
「石坂まっつぁお」
「亀淵です。色々すみません」
田舎モン!」(声・武田鉄也)

「お姉ちゃんのうそつき! お兄ちゃんのうそつき! 大人なんて嫌いだぁ!!」

「何言うてんねんあんたぁ」
「アホらしぃ事言うわぁ」

「あ〜なたに片思〜い〜♪」
「物の言い方一つで、命落とす事もあんのや」


「郵便番号100、東京都千代田区有楽町ニッポン放送“オールナイトニッポンサンスペ ○○の係”まで。
 お待〜ちしとぉ〜りまっせぇ〜」




 嗚呼、「鶴光のサンスペ」よ、永遠に!

「青春のオールナイトニッポン」本体です。良く出来てるんだこれが。


Sharararararara
   MidnightStation.
      All Night Nippon....
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