それは本当に「オカルト」なのか?
後藤夕貴
更新日:2004年11月7日
 世の中、オカルトめいた話というのは色々あり、中には「ホントかよ!」というとんでもない内容のものもある。

 現代に至り、その存在が完全に否定された事で有名なネッシーも、目撃談が出始めた1930年代当時は、凄まじい衝撃を人々に与えた事だろう。
 また、1950年代に入ってUFOの目撃例やら、宇宙人とのコンタクトの話とかが出回り始めた頃も、相当なショックが世に伝わったに違いない。
 その昔、オーソン・ウェルズがラジオで放送した「火星人襲来」の嘘ニュースは、あまりのリアリティに一般大衆が本当の情報だと信じ込み、かなりのパニックに発展したという。

 UMAやUFOだけでなく、世の中には霊や神隠し現象(いわゆる異次元転送?)やタイムスリップなど、不可思議すぎる事が沢山報じられている。

 そして、それと同じ数だけ…否、それ以上に存在するのが、「それを疑う意見」というもの。

 筆者は、不可思議な話の本などを沢山読むが、こういう「否定意見」のものも結構読む。
 いやはや、これが読み比べると面白いんだけどね。

 で、今回はこちら寄りのお話です。



 例えば、こんな話がある。
 「逆バミューダ現象」という、ある意味とても有名な話だ。
 消えた筈の物が再出現した、という事が、この名称の元になっているらしい。
 内容はこんな感じだ。


 1989年10月12日、ブラジル・ポルトアレグレ空港の上空に、突然古い旅客機が出現し、滑走路に着陸してしまった。
 ところが、着陸はしたものの機内からは何の反応もない。
 不思議に思った空港のスタッフが機内を調べてみると、なんと、乗客及びパイロットなどの全92人は、一人残らず白骨化していた。
 もちろん、生者は一人もいない。
 にもかかわらず、旅客機は無事に空港に着陸したのだ。
 一体だれが旅客機を操縦してたのか?
 そして何よりも、この多数の白骨死体はどこから?!

 その後の調査により、旅客機はなんと35年も前に、ドイツのサンチアゴ空港から飛び立ったまま突如として行方不明となっていた事が判明したのだ。
 時間を飛び越え、その反動で乗員を白骨化させてなお、35年後の目的地に辿りついたというのか?



 ――まことに不思議極まりない話だが、実はこの話には、かなり強烈なオチがある。
 それは「この話は真っ赤な嘘」だったというもの。

 89年当時にそんな事は発生していないし、また53年当時にヨーロッパからブラジルまでをまたいでいた旅客機があったとは考えられない。
 ましてや、“事の発端となった”「35年前に行方不明になった旅客機」のニュースが全く無いにも関わらず、「白骨を乗せて着陸した」事件だけが“一人歩きして”有名になっている。
 事実報道もないのに事件だけが有名になっているなんて、どう考えてもおかしい。
 この「逆バミューダ」という単語で検索を掛けてみると、このエピソードしか引っかかってこないのも変な話だ

 そう言われると、不思議な話も「実はネタでした」と一言で片付けられれば一番納得できるというもの。
 夢もロマンも何もないけど(笑)。


 とある本によれば、「バミューダ・トライアングル」で発生したといわれる飛行機や船舶の行方不明事件も、ほとんどが誤情報だったり、全然別な所で発生した事件だったりする事があるそうな。
 よく聞く「その日は晴天だったのに〜」というくだりは、実際には“事故って当然”というくらいに荒れ模様の天気だったなど。
 事故はホントにあったけど、別に不可思議な原因でもないし、痕跡も見つかっているケースの方が多いようだ。
 という事は、バミューダトライアングルが抱えている本当の謎は、ウナギの生態とマリネラだけという事になるのだろうか(笑)。


 人間消失事件については、もっとひどい話が囁かれていたりする。
 
 1880年9月、アメリカ・テネシー州メンフィスのとある牧場で、牧場主デビンド・ラングが家族等の目の前で姿を消してしまうという事件が起こった。
 家の前には妻と子ども二人が遊んでおり、また親しい人間が馬車でやって来ていたため、ラングは彼らに手を振った。

 だが次の瞬間、ラングの姿は煙のようにかすれ、皆の見ている前で消えてしまったのだ。

 もちろん、現場には人が落ちるような穴などもまったく無く、ラングがどうして消えてしまったのかまったく理由がつかめない。
 結局、そのままラングは二度と還る事はなかった。

 それから7ヶ月後の1881年4月の夕方、子供達が「お父さんの助けを呼ぶ声がする」と言い、現場付近を指し示した。
 そこは直径6mくらい範囲で草が枯れており、黄ばんだ草が輪を形作っていた。
 妻には聞こえなかったが、ラングの声はその下から響いてきていたという。
 この事に恐怖した妻は、牧場を売却して引っ越してしまった。



 これも、本当は夫人による夫殺害の犯行隠蔽として計画された狂言なのではないかという説がある。
 この事件が起きてしばらくして、夫の声が聞こえてきたという事を気味悪がり、牧場を売り払って引っ越したというのが、その説に説得力を持たせている。
 普通だったら、ダメ元でもその場を掘り返してみたりするんじゃないかって。
 事実、(その話の中では)子供はなんとか助けたいと思っていたらしいし。
 また、被害者もデビンド・ラングだったり「ジョー・グランデ」なる人物だったりと、ニュースソースによって記述が違う。
 事件発生時期も場所も同一なのに…どういう事かしらん?

 なお一説には、「この事件の話は、丸ごと大嘘(作り話)である」とも言われているそうな。


 こうして見てみると、オカルトめいた事を否定する人達が、どこに着目して事実(と推測されるもの)を見出し、現実的な方向性に導いて否定意見を導き出すかがよくわかる。

 最近、個人的に興味の高かった「アイリーン・モア灯台守行方不明事件」にも、なかなか説得力のある「全然オカルトじゃねーじゃん」的見解が示され、なるほどと思いつつもなんとなくガッカリしてしまった(笑)。

 スコットランド西に位置するフラナン諸島、その中のアイリーン・モア島にて、1900年12月に発生した事件。
 生者を寄せつけない悪霊の島として有名だったアイリーン・モア島に灯台が設置され、灯台守として三人の男性が住み込み勤務したのだが、15日の晩、近郊を通過した船が、灯台の灯が消えているのに気づいた。

 その翌日は大嵐で海が荒れてしまったため、嵐の去った26日になってから灯台の調査が開始されたが、灯台守の三人の姿は跡形もなく消えていた。

 生活・業務に必要なものは、そのまま灯台の中に残されたままだった。
 残されていた業務日誌を確認してみると、灯台守の三人は12日から15日の間、現実には存在しなかった大嵐を経験していたようで、晴天だった筈のこの時期に“灯台の頂上まで届く波”が起こるほどの暴風雨に怯えていた。

 その他、意味不明の記述が多数発見されたが、日誌の途切れている15日が行方不明になった時期と推測され、失踪の原因究明が行われたもののまったく手がかりは発見されず、ついに迷宮入りしてしまったという。


 この事件、どうも今では「一時的に精神錯乱を起こした(嵐に遭ったと表現している)日誌担当者が、仲間の一人を殺してしまい、正常に戻ってからもう一人と協力して水葬にしようとしたものの、高波にさらわれてしまったのではないか」という説が有力だそうな。
 元々、このニュースを報道した新聞社もあまり記事内容に信頼が置けるところではなかったという話で、いくつか不可思議性を高めるためのでっち上げも含まれていたらしい。
 そのため、単なる水難事故が、いかにもミステリアスな事件へと変貌してしまったという可能性も示唆されているのだ。

 まあ確かに、いわく付きの所で事故が発生したら、因縁に絡めたくなるのが人間ですからなあ。

 以前「火焔聖母」のレビューで紹介した「聖骸布」も、今ではほぼ100%ニセモノという事で認知されてしまっているそうな。


 有名な「フィラデルフィア実験の惨劇」も、まったくの作り話だった。
 ただ米海軍が戦艦を利用した実験を行っていたのは事実のようで、どうもそれを元ネタとして、誰かが金儲けのためにでっち上げた話だったというオチがついたらしい。
 そりゃあまあ、たとえどんなに安全かつ問題なく終了したものでも、軍隊の秘密実験とあればその内容は外部には漏れない。
 という事は、その実験を指して「あれは恐ろしい事故を巻き起こしたんだ。俺は見た!」と勝手な事をほざきはじめても、軍隊はそれを否定する材料は提示できず、ただ沈黙を決めこむしかない。
 そうなってしまえば、“ありえない”筈の秘密を握っている人間は好き勝手な事を言える訳で、それをタネに金儲けができる。
 たとえ軍隊がそれを否定したとしても、それは逆に信憑性を煽る材料になってしまい、オカルトマニア達を益々活気付かせる事になってしまう。
 まったく、よく考えたものである。
 
 ちなみに海軍のやっていた実験は、電磁波によって魚雷のターゲットロックを回避するためのものだったらしい。
 全然大した事ないじゃんか、オカルト的には!(笑)


 うーむ、やっぱり本当に不思議な事件やオカルトな現象って、ごく限られた数しか起きてないんでしょうね。
 広く発表されている事件報道のほとんどが、こんな風に解説出来てしまったりして。
 夢はないけど、ロマンなんてそんなものなのかもしれない(笑)。


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