3.
もうすぐで、約1年半ぶりとなるところだった。
「もう一度ここに帰ってこなければならないだろう」
予感ではなく、現実的な予測として小沢澄子はそう思っていた。
彼女が、その全精力と情熱を結集して作り上げた、G3からG5と名付けられた装甲強化服。
それを置き去りにして彼女がここを去り、ロンドンでロボット工学の教授としての職に付いたのは、彼女に研究の場を与えてくれる警視庁の上層部の無能振りに耐えられなくなった事、そして、彼女のもっとも信頼する、愚直なまでの正義感と、その信念を貫く行動力を持った、決して逃げる事をしない若い刑事に辞職の道を選択させない為。
彼女達はあの時、重大な命令違反を犯している。
その時起きていた、異常な状況。
自分の身体が、未知の物へと変化して行く恐怖と戦わねばならない人々。
未知の現象に恐怖する「普通」の人間達。
アギトを過剰に危険視する彼らによる、アギト因子の持ち主の生命を排除しようとする動き。
そして、当時出現していた、アンノウンと呼称された異生物に指事を出していたと見られる謎の存在の動向。
これらのことに立ち向かう為には、彼女らの命令違反などは小さな事であったが、組織論としてみれば、無論許されるべき事ではない。
その事すら理解している彼女は、全ての責任を自らに負わせて、警察官を辞職した。
しかし、前述のような問題の対応策を、ほんのわずかでもいい、光を灯しておく必要があった。
その為に、当時あったG3システムを改良した、G5システムを置き土産とした。
そして、この置き土産が実戦に使われる時。
きっと自分はここに帰ってこなければならないだろうと、分かっていた。
…辛い戦いをするために。
「仲間を助けるんだ!」
この思いを胸にとにかく駆け出した凪ではあったが、ここに来て、彼はその肝心の仲間がどこに捕らえられているのか分からない事に気が付いた。
涼から逃げ出す為に、梢を道具として使ってしまった。
あれは不味かったかも知れない。
八人のメンバーの中で、同じ高校に通っていた、唯一の本名を知っている人間だったのに。
彼はひとりぼっちだった。
しかし考えてみれば、仲間と一緒にいた時もひとりぼっちと大差はなかった。
だから、彼は展開をリセットする事にした。
前のメンバーはあきらめて、改めて仲間を集める事にした。
身体が変わる恐怖を抱えて、とにかく仲間が欲しい連中なら、沢山いるはずだ。
前のサイトは八人で打ち切ったけど、そのあと何通もメールが来ていた事は知っているんだ。
「それで、みんなであいつをぶっとばしてやるんだ」
「名前も…知らない?」
今、密かに理屈の合わない復讐を誓われた事など、思いもよらない芦原涼は、梢から八人の関係を聞いて自らの耳を疑った。
「うん…。凪は…たまたま学校で一年生の時、同じクラスだったから。
…でも、その時は話した事もなくて。あの子、見た目恐いし…。学校の中では、自分から喋る方じゃないし…。
だから、ケータイのサイトで知り合ったみんなで合おうって事になった時、あの子がいて、ビックリして…。
でも、同じ変身する悩みを持った仲間だから…すぐ仲良く成れて…」
「そして、投げ飛ばされたか…」
呆れたように涼は呟いた。
涼が行おうとしていた、アギト化する不安を持つ人間の助け合い。
形としては凪達がやっている事は似ているが、その本質は全く異質な物だ。
涼はケータイ嫌いで通していた。
また、パソコンも大学のレポート製作の為のワープロにしか必要性を感じていなかった。
それが裏目に出たと思った。
もっと早く、そんなサイトが出来ている事に気付いていれば…。
こいつらは、傷をなめ合いたがっていただけだ。
知り合い以上の関係を築こうともしないで、仲間面をして…。
梢が、縋るように涼のシャツを掴む。
「芦原さん…。あたしを・・・見捨てないで…。あたし、ひとりぼっちになっちゃったら、どうしたらいいかわかんないよお…」
「…仕方ない…。ガキは、嫌いなんだがな…」
諦めに近い心境で涼はそう言った。
物凄く厄介な物に関わってしまったようだ。
全国にニュース速報が流れる。
「警視庁より、渋谷の少年乱闘致死事件についての記者会見が、本日午後、行われます」
前回の記者会見でひんしゅくをかった警視庁は、この記者会見に面子をかけていた。
幹部達は小沢に記者会見の全文を任すにあたって、条件をつけた。
「アギトが人間である事は隠す」
「できればアギトの存在そのものも隠す」
この2点である。
もっとも、その場で話す事になった小沢澄子には、関係のない話だった。
小沢の指定した会見会場。
テレビカメラは入れる事を禁じられ、また、この部屋は窓もなく、携帯電話の電波も届かないようになっている。
3幹部と並んで記者会見席に座った小沢は、まず、自分が何者なのか、かつて、警視庁に所属していた事、対異生物対策班を指揮していた事、その為の装備を開発していた事を告げた。
そして、その事に関連して、今まで正式に発表されていなかった対未確認生命体装備、G5システムの存在を公表した。
「G5システム。緊急出動」
小沢の声に合わせて、記者達の前にそで口から出てくるG5。
一瞬、その場の記者達が何の為にここに集まったのか忘れる程の衝撃が走った。
3幹部も、これは聞いていなかった。目を白黒させている。
G5が後ろに退場し、会見は核心に触れてくる。
「かねてからの噂にありましたように、連続不可能犯罪にも、未知の生物が関与しておりました。
それらは、前年の事件の『未確認生命体』と呼ばれた物とは、また系統の違う生命体で、それを区別する為に『アンノウン』と我々は呼んでおりました。
そして、やはり噂にありましたように、この事件に於いても、かつての「4号」のごとく我々に協力をしてもらえる不思議な存在がありました。
それが『アギト』です。また『アギト』は一人ではなく、複数名存在した事が分かっております」
会場がざわめく。
幹部が、大きくせき払いをする。
記者の一人が、話のつながりが見えないと質問をする。
「御静粛に。質問は全ての説明が終わってからでお願いいたします。…やがて、我々はそのアギトの正体を知る事となりました。彼らは…人間だったのです」
また会場がざわめく。
3幹部が一斉に立ち上がる。
「彼らは人間ゆえに、悩み、傷付き、そしてその天から与えられた超人的な力を使って、我々に全面的な協力をしてくれました。
私と実際に友人となった者もおります。アギトは人類の進化の新しい形と言えましょう。
確かに、全てはうまく行くわけではありません。問題点もありました。
それは、アギトが人間であり、誰でもがアギトになる可能性があるということです。当然、人間なのですから道を間違う者もおります。先日の渋谷のように…」
話が繋がり、記者達が弾け飛ぶように立ち上がる。
その浮き足立った空気を切り裂く、凛とした大声が響く。
「静かになさいっ! 話は最後まで聞きなさいっ!」
一瞬にして、静まり返る会場。
それでも数名の記者が速報記事を物にする為に、会見会場を立ち去ろうとする。
だが、彼らは、いつの間にか会場の出入り口を固めていたG5ユニットのメンバーによって、その足を止められた。
「御覧ください、G5ユニットを。
我々警察は、既に犯罪に走るアギトに対しての対抗装備も持っております。
皆さん。 アギトを恐れないようにとの報道をお願いいたします。
彼らは人間なのです。我々と同じ弱い心持った…。
また先日逮捕した六名に付いても、必ず更正させ、社会に溶け込む事ができるように指導すると、警察が保証いたします。
どうか、アギトであると言う事は、普通の事であるとの報道を宜しくお願いいたします」
記者の一人が手を挙げた。
「こ、荒唐無稽な話ではありますが…。確かに先日の事件の真相はそうなのでしょう。
ですが、理想論はあなたがおっしゃった通りとして、現実に渋谷では死者が出ました。
また、例えば私の隣にいる見知らぬ彼が、コンクリートも打ち砕く怪力を有する怪物に突然なって暴れたら、という恐怖に対してどうしろとおっしゃるのです?」
小沢は即答した。
「その為にあなた方の力をお借りしたくてここにお集りいただきました。
先ほどの理想論に、ぜひとも全面的に賛同していただきたい。
第一、突然暴れるような人間は変身しようがしまいが、警察としては取り押さえねばなりません。
何度もいいますが、アギト普通の人間です。急に暴れたりはしません」
更に続けようとする記者。
「…しかし…」
小沢はその言を遮った。
「これはお願いではありません。一切のアギトに不利となる記事、コメントの表現を流す事を禁止します。
これが国としての指針でもあります。御承諾いただけないと、帰すわけにもいきません」
とんでもないブラフだった。
「言論を制限するというのかっ」
「それではファシズムだっ」
「これが民主警察のすることかっ」
再び小沢の一喝が飛ぶ。
「だまりなさいっ! 今がどう言う時期かも分からないの?
アギトは人間が存在する限りなくならないのよ。
ここで、アギトという能力と、うまくつき合う事ができなければ、未来には…二分化された人間の戦いしかないのよ!
人間はそんなに馬鹿ではないわ。隠さずに、変な先入観を排除して、本当の姿を見せる事ができれば…きっと、きっとみんな分かるはずよ。
その時がくるまでは、私達こそが現実に対処もしながらも、まず、理想を語らなければならないのよ」
小沢は、立ち上がって深く、深く頭を下げた。
「宜しくお願いします。あなた方に、…あなた方にかかっているんです…」
G5ユニットのメンバーも揃って頭を下げた。
呆然として立っている3幹部、数秒後、あわてて頭を下げる。
会場内は静寂に包まれた。
事態は、そう理想通り進む物ではない。
『アギト』の存在の大々的な発表は、それらがどれも好意的な物とは言え、小さいとは言えないパニックによる暴動や、社会不安が起きた。
だかしかし、それらは「世の中がひっくり返るような」レベルには届かなかった。
「それで十分。この後は、あなたの出番よ。不良アギトにはお仕置きしてあげなさい」
小沢澄子は満足げに尾室に語った。
こうして、世間に『アギト』なる言葉が認知される事となった。
数週間が経った。
九月となり、仕事先のバイク屋で新聞を見て、涼はぼやくように言った。
「新聞を見ても、テレビを見ても、雑誌を見てもアギト、アギトか…」
涼は、八月の終わり辺から突然、公に発表されたアギトの存在に戸惑っていた。
しかし、この出来事は涼の活動にも追い風にはなっていた。
「なんだ涼。どうかしたか?」
店を切り盛りしているおやじが声を掛ける。
「いや、なんでも…。…なあ、おやっさん」
「ん?」
「もし、俺がアギトだったらどうする?」
「お前はお前…なんだろ?まさかお前、アギトの力でも出てきたのか?」
「はは、まさか…」
かといって、いまだ自分がアギトの力を持つ者だと胸を張れるわけではなかった。
仕事が終わり、マンションに帰る。
部屋の前では、学校の制服のままで、梢が待っていた。
涼の姿を認めて、梢は微笑む。
涼は、対照的に渋い表情をする。
「制服のまま、来るなと言ったろう。俺にも世間体はある」
「ごめんなさい。今日は報告する事があって…」
「どうした?」
「ケータイの、アギトサイトを色々見てたんだけど…」
涼は梢に、携帯電話を使ってのアギトネットワークを作るように指示していた。
それによって、数名の自殺志願者や、家族や周りの人間とうまく行っていないアギトを保護できた。
「何があった」
「凪のサイトを見つけたの…」
「!」
「仲間を集めていたみたい…。もう、閉め切られているけど…」
「あいつ…何を考えている…」
涼の表情が堅くなる。
梢の話では、凪は、夏休みが終わっても学校には出て来ていない。それどころか、家にも帰っていないようだ。
「刑務所の襲撃なんてバカな事はさすがにやめたようだが…、だが、あんな奴が集団になると、実際何をはじめるか予想が付かない…。もし、またこの間のように、変身して暴れるような事があったら…」
そう呟く涼の、険しい顔を見ると、梢は不安になった。
「芦原さん…。あの…。お願い…。凪を、殺さないで…」
「…そんなつもりはない。だが、あいつは放ってはおけない」
強く言い切る涼だった。
次回予告。
「ここに氷川って男がいると思うんだが…」
「こんなことが出来るかよぉ…」
「あれになられると…やっかいだ」
「俺はつえええっ」
咆哮せよっ、目覚めし魂!