『仮面ライダーブレイド』 劇場版 MISSING ACE
2004年9月11日 公開

→ ストーリー解説 

A ミッシング・エース
 結論から言うと、粗は多いがなかなか楽しめた。
 これは、何よりもまず、最初に4年後と銘打ってあったことが大きい。

 “テレビ本編のどこに挿入されるべき物語なのか考えずにいられなかったアギト”“最終回と銘打ったが故にテレビ本編との齟齬が目立ちまくった龍騎”“アナザーストーリーのためテレビ本編と舞台背景やキャラクター設定が微妙に違う555”に対して、後日談と割り切って見られること、劇場公開時期にテレビで進行中だったジョーカー、カテゴリーKなどの情報をそのまま流用できる上に、物語が一旦リセットされているお陰で今後のテレビの展開を気にせず見られるためだ。
 
 そして、剣崎の視点から見た場合、粗のほとんどが隠れてしまうため、剣崎の変身できないもどかしさ、天音を苦しませている原因が始の封印にあることの葛藤などがストレートに伝わってくる。
 友人でもある始を封印しなければならなかったという悲しみ、そのせいで心を閉ざしてしまった天音に事情を説明することもできない辛さ、そうまでして封印したアンデッド達があっさり復活していることへの驚愕と怒り、変身して戦うこともできないもどかしさ、自分を過去の遺物扱いする新ライダー達への腹立たしさなど、剣崎の置かれた状況は実に分かりやすくまとまっている。
 そして、それらのモヤモヤは、再びブレイドになれたときに結実していく。
 身代わりに我が身を差し出してでも天音を救おうとする心根や、それを試していたかのように代わりの人柱になった始への想い、テレビに先立って登場のキングフォーム、怒りを全てぶつけるかのような14へのロイヤルストレートフラッシュは、かなりのカタルシスを与えてくれた。
 
 
 一方で、剣崎以外の視点から見た場合、あまりにも粗が多すぎる。
 虎太郎達のその後についてのギャグタッチの描写については言わずもがなだ。
 もっとも、パンフレットで監督がわざとそういう軽いシーンを入れているのだと言っているから、もうどうしようもない。
 虎太郎の成金ぶりや、虎太郎の屋敷から金目の物を盗もうとしている剣崎・睦月など、真面目な雰囲気を壊すシーンさえ、子供を飽きさせないために必要なシーンなのだそうだ。
 
 まぁ、その辺には目を瞑るとしても、53枚のカードに含まれていない(以前の戦いの際には封印されていなかった)アルビノ・ジョーカーの唐突な登場といい、「ヒューマンアンデッド」のカードも含めて全部封印してしまったことといい、最後に封印されたのがジョーカーであるという、現在のテレビの進行状況を否定するかのような展開といい、問題点は多い。
 アルビノ・ジョーカーの存在については、テレビでは言及されていないはずだし、もし存在が知られているなら、そいつを封印しないうちにベルトを返還するというのは妙だ。

 また、映画公開当時のテレビ展開では、最後にジョーカーが残ると全ての生物は滅ぶというのがキーワードの1つになっており、映画の冒頭で「ジョーカー、君が最後だ!」などと大々的に言われてしまうと、違和感を感じてしまう。
 まぁ、ここで長々と説明があっても困るので、必要悪と言えなくもないが、マイナスポイントであることに変わりはない。
 
 演出面の問題と言えば、始=ジョーカーの復活などもそうだ。
 アンデッドの封印を解除するレンゲルのリモートのカードを利用したジョーカー復活は、見せ方としてはとても上手いのだが、設定面では問題がある。
 封印を解かれたのはジョーカーのカードなのに、なぜかカリスの姿で復活し、しかもダメージを受けると始の姿になっているからだ。
 画面上、53枚のカードが並べられたシーンがあるのだから、ジョーカーがカードを持ったまま封印されていたということはあり得ない。
 また、レンゲルやブレイドにしても、橘が予め2つのベルトにそれぞれのカードを(Kを除いて)戻して渡したと考えることができるのだが、ジョーカーについてはその場の思いつきなのだから、事前準備などあるはずがないのだ。
 もっとも、始としてだけ見るなら、剣崎との友情、天音に対する愛情、2人のために犠牲になることを自ら選ぶなど、出番は少ない(その分テレビで主役張っていた)ながら、非常に濃い描写になっていて、まだ納得できるレベルだった。
 
 
10 アルビノ・ジョーカー
 映画単体として見ても、無意味なアルビノ・ジョーカーの正体隠しなど、妙な演出がある。

 この劇場版では、橘が今ひとつ胡散臭い人物として描かれており、アンデッドに狙われている天音に、どうして狙われるのかを語っている際など、まるで橘自身が天音を狙っている張本人であるかのように見えたくらいだ。
 ちょうど慎や三輪が殺された後の展開であり、観客に橘がアルビノ・ジョーカーではないのか?と思わせようとしていたことは明らかだ。
 その割には、純一が呼びに来ればすぐに行ってしまったり、その直後に純一だけ戻ってきたりと、その後の展開が見え見えだったりするので、どうせならもっと上手くやればいいのにと思ってしまう。

 また、それを隠蔽するために、当初は純一を珍しいくらい人のいい男として描いているが、街角で募金を求められるなり一緒に募金活動を始め、その場を去るときには財布を丸ごと置いていくなど、白々しいほどのいい人ぶりだ。
 逆にいい人過ぎて怪しいため、隠蔽の役に立っておらず、そのくせ隠したいという意図が見えるため、ちぐはぐな印象を与える。
 分かりやすく言うと、プロレスで凶器攻撃をしたレスラーが、凶器をタイツに隠し、レフェリーに対して両手を見せながら「ノー、ノー(何も持ってない)」とアピールしているのを見ている気分といったところだ。
 これではどんでん返しにもならない。
 また、三輪達がダイイングメッセージとして使うのが「スペードの4」「クラブのJ」だったりするため、先に挙げた復活後のレンゲルやブレイドがどんなカードを持っているのかという本来無用な疑問を持たざるを得ない。
 結局、「4むらJun-ichi(志村純一)」という語呂合わせでしかないという非常につまらないネタなので、別にハートで両方統一したってよかっただろうし、カードを持たせる必要すらなかったのではないかとさえ思える。
 まして、側に虎太郎が直接聞きに来ていたのだから一言伝えるだけでよかったのに、このつまらないダイイングメッセージの内容を伝えるためだけに、栞が結婚式場から飛び出していくというのもナンセンスだった。
 
 
 ほかにも、最後の決戦からいくらも経たないうちにカードが解放されてしまったのに、どうして4年後なのかということについてはまるで説明がない。
 ネットでの話題も途絶えていたようだし、4年間にわたっておとなしかったアンデッドが急に活性化したのは、少々唐突だった。
 もちろん、以前(テレビ本編の時期)がそうだったように、あまり話題に上らないまま水面下で進行していたという可能性はある。
 また、14の石板が発見されたのが最近であるため、それまで表だって動いていなかったのだと考えることもできる。
 だが、そうなると逆に、53枚の約半数、約26体も解放されたアンデッドが、4年にわたってどのように活動していたのかという疑問が湧いてくる。
 そのうちの17体が劇場版に登場するのだから、それまでの4年間に封印し直したアンデッドはたったの10体前後ということになるのだ。
 テレビのペースと比較しても少ない数字だ。
 新ライダー達の戦いがいつからだったのか、解放されたアンデッド達がアルビノ・ジョーカーに従うようになったのがいつ頃なのかなど、もうちょっと説明が必要だったのではないだろうか。
 ターゲットである天音にしても、確かにアルビノ・ジョーカーに狙われていたが、最終的に人柱には人間ですらないジョーカーがなっているわけで、なぜ彼女が狙われなければならないのかという点について説得力がない。
 封印を解いたのが天音の父だったとして、その血を引いているというだけで人柱の資格が生じるものだろうか。
 しかも、最初だけは封印を解いた者(その血縁)でなくてはならないが、その後は誰でも構わないなどという都合のいい人柱も相当妙だ。
 
 
J ニュー・ジェネレーション
 そして、最大のガンが新ライダーの存在だ。
 映画の中では全く説明がないが、パンフレット記載の設定によれば、彼らはレンゲルのシステムを基に橘が開発した新しいシステムを利用しており、ラウズカードに依存せず、変身に使うケルベロスのAカードと、ラウザーに力を与えるマイティのカードしか使用しないらしい。
 だが、ちょっと考えてみれば、彼らの存在自体が妙であることに気付くはずだ。
 橘は、どうして新たに3人のライダーをスカウトしたのだろう?
 スペードとクラブのAがなくてはブレイドやレンゲルにはなれないにしても、ハートのAが残っていれば、それを利用したベルトを作って剣崎に渡すなどしてもいいはずだ。
 まぁ、システム上アンデッドとの相性が問題になるし、ハートのAも解放されていた可能性もあるが、そうだとしても、新ライダーのベルトを剣崎に渡さなかった理由がない。
 新規の戦士を鍛えるよりも、歴戦の勇士に再出馬願う方が理に適っているはずだ。
 新ライダーが無料奉仕にせよ給料を貰っているにせよ、気心の知れた剣崎を選ばず、わざわざ新人をスカウトした理由は何だろうか。
 もし、スペードやクラブのAが入手できた時点で剣崎達を呼ぶつもりだったのなら、4年も音信不通でいるよりも、予め事情を話しておくべきではないのだろうか。
 それとも、剣崎達の生活を壊さないために、それまでは内緒にしておくつもりだったのだろうか。
 これなら一応筋が通るが、それにしたって、新人をスカウトする理由としては少し弱い。
 剣崎の生活を壊すのはまずいが、三輪達の生活を壊すのは構わないとでも言うのか?
 まさか、失業直後だったから、命を懸けて戦う仕事に勧誘したなどということではあるまい。
 
 これが、例えば新ライダーは登場せず、橘が孤軍奮闘していたというなら話は分かる。
 カテゴリーAを封印するたびにブレイドやレンゲルを仲間に加えるつもりならば、前述のとおり、それまでは普通の生活を送らせてやりたいと考えても不思議はない。
 何しろ、一番最後まで暴れているのがカテゴリーAの2枚というパターンもあり得るからだ。
 この場合、状況を知らせても何にもならない。
 
 
 ここに、新ライダーを登場させる必然性に乏しいという、この映画の弱点が集約されている。
 3人のライダーがどういうシステムで、使用しているカードがどうやって作られたものなのかは、一切触れられていない。
 もしかしたら、どこかで裏設定が公表されているかもしれないが、少なくとも映画本編、パンフレット、テレビでの予告を見る限りは説明がない。
 そして、彼らがどういう経緯でライダーになったかについても、テレビでの次週予告の後の予告編『ニュージェネレーション』の中で軽く触れられているだけに過ぎない。
 あれで、新ライダー誕生の事情を納得できた人は、相当心の広い人だと思う。
 『ニュージェネレーション』では、純一が三輪達のことを「カードの意思によって選ばれた仮面ライダー」と言っているが、そもそもアンデッドが封印されているわけでもない新しいAのカードに、装着者を選ぶような知性があるのか疑問だ。
 人工的に作ったアンデッドを封印したカードなら、最初から、用意した候補者にシンクロするように作ればいいのだ。
 また、様々な葛藤を乗り越えて戦ってきた剣崎、橘、睦月に比べて、新ライダー3人は、戦う理由やその背景が全く語られていないためにキャラクターが妙に薄っぺらい。
 だから、三輪や慎は、身の程をわきまえずに剣崎に絡むだけの嫌な奴に見える。
 ましてや、三輪がやった“強くなるために仲間からKのカードを盗む”やり方には、人選が間違っていたとしか思えない。
 彼女らはK4枚が生み出す新カードを守るためにライダーに選ばれたはずなのだ。
 加えて、その新ライダーのリーダーたる純一が敵:アルビノ・ジョーカーだというのだから恐れ入る。
 橘によほど人を見る目がないのか、本末転倒も甚だしい。
 
 なんでも、純一が橘を洗脳したりして操っているという説もあるそうだが、少なくとも画面からはそういう部分は感じられない。
 クラブのAを封印するとすぐ睦月にベルトを渡していることからも、橘の自由意思があることが窺えるし、何より、天音を前にした純一は、橘を誘いだして闇討ちしようとしている。
 このことから、純一は橘の精神状態に影響を与えたりはしていないと考えられる。
 つまり、純一がどの時点で橘の近くに潜り込んだにせよ、橘は自分自身の意志で純一をグレイブに抜擢したはずだ。
 つくづく何をやっても裏目に出る男である。
 
 
 ともあれ、こうして考えてみると、新ライダーの存在意義というのは、一番簡単な宣材とも言えるこれら劇場版限定のライダーを出したかっただけのように思える。
 平成劇場版ライダーには、G4、ファム&リュウガ、サイガ&オウガと、いずれもテレビ本編には登場しない特別版ライダーがいた。
 ライダー史上初の映画にのみ登場し、テレビ本編には登場しないライダー:G4、初の女性ライダー:ファムと主人公龍騎の裏:リュウガ、初の外国人ライダー:サイガ、公開まで正体不明だったオウガと、それなりに事前の話題となっている。
 今回は、テレビ登場の4ライダーとはシステムを異にする新型ライダーという話題性を与えられているが、単にそういった話題性だけが求められているようにも感じられるのだ。
 
 また、デザインの上でも画竜点睛を欠いている。
 新ライダーのデザインには賛否あるだろうが、少なくとも鷹羽は、徹底的に「A」の文字をモチーフに貫いたデザインラインについては評価している。
 手足の装甲部がブレイドやギャレンと似通った形だったり、ベルトがレンゲルと同タイプだったりと、アンデッドに依存せず、同時に従来のライダーシステムの発展型であるという命題を体現した巧いデザインだと思う。
 アンデッドが封印されたラウズカードを使わないくせに、同じようにカードによって力を得るという設定も、従来のシステムを継承していると考えれば納得できるものだ。
 ところが、グレイブの武器:グレイブラウザーだけが浮いてしまっている。
 このグレイブラウザー、商品発売のためだけに設定されているとしか思えないのだ。
 
 元々劇場版限定ライダーには、僅かな型の変更などで限定版アイテムを販売できるという旨味がある。
 『龍騎』ではリュウガのブラックドラグバイザーが発売されているし、『555』ではオウガやサイガの変身ベルト:オウガドライバー・サイガドライバーがトイザらス限定商品として発売された。
 そして、グレイブの武器:グレイブラウザーは、ブレイドのブレイラウザーのマイナーチェンジ版であり、トイザらス限定で商品化されている。
 …のだが、システム上、あのデザインはおかしい。
 ブレイド、ギャレンのラウザーには、ラウズカードをストックしているパーツがある。
 『龍騎』の使用するカードを自分で選んでいく感覚に乏しいという欠点を、扇形に開いたカードを見ながら自分で選ぶという分かりやすい方法にしたためだ。
 これにより、一覧性が高くなった反面、カードストッカーの厚みによって商品が大型化するというマイナスポイントもあった。
 特にブレイラウザーは、剣のグリップ部の前に分厚いストッカーが付いているため、かなり不格好で重ったるくなっている。
 商品的にも、その分構造が複雑化して高額になるため、カリスラウザーやレンゲルラウザーではそういうパーツは省略され、ベルトのラウズボックスから抜いたカードをそのまま使うシステムにされている。
 これは、作中では、ライダーシステム1号・2号であるギャレンとブレイドと、改良を加えて作られたレンゲルの差異と見ることができる。
 もちろん、商品展開上は、メインとなる2人のライダーの武器と、悪役兼のレンゲルの扱いの違いだ。
 そして、レンゲルのベルトを基にしたとされる新ライダー中、ラルクとランスのラウザーにはカードをストックするパーツはない。
 なのに、グレイブだけは、ラウザーにストックされたカードを引き抜いて使うのだ。
 スマートなラルク達2人のラウザーに対して、グレイブラウザーは重ったるいこと甚だしく、ここだけが調和を欠いている。
 「デザインだってグレイブだけちょっと豪華だし、肩のデザインもブレイドみたいじゃないか。リーダーだし、ブレイドと対峙したとき絵になるようにしたんだろう」と反論する向きもあろうが、考えてみてほしい。
 それなら、ベルトの形状だってブレイドみたいにすればいいのに、そんなことはない。
 グレイブだけブレイドのシステムを継承したというわけでもないのだ。
 しかも彼らは、戦闘時にはMIGHTYのカードしか使わないときている。
 扇形にずらりと並んだカードが全部MIGHTYだとしたら、それってもの凄くシュールではなかろうか?
 これは、限定版のDX商品を出すためのデザインと考えるのが自然だろう。
 
 実際、グレイブラウザーの商品は、ブレイラウザー同様ラウズカードによる発声機能があるのだが、実は商品の箱には、「本商品に同梱のラウズカードではコンボ技はできません」と明記してある。
 商品に同梱されているカードは、一般のラウズカードではなく、ヒーローカードなどが多く、テレビで使用されているカードは入っていないのでコンボはできないのだ。
 もちろんMIGHTYは入っているだろうが、1種類のカードでコンボができるわけもない。
 だったら、本体に電子機器を入れず、形だけの商品にして安くすることもできそうなものだが、敢えてDX商品にしているわけだ。
 スポンサーサイドとのすり合わせ不足だったのか、そんなことどうでもよくて商品を出したかっただけなのかは知らないが、少なくとも商品発売が前提のデザインだったのは間違いなかろう。
 
 
Q バニティ・カード
 設定面では、最後の敵:14の存在が不明瞭に過ぎる。

 前述の人柱のこともそうだが、過去のバトルロワイヤルのとき使われたのか使われなかったのか、使われたとしたらどういう風に使われたのか、或いはどうして使われなかったのかが全く言及されない。
 これは、『鎧伝サムライトルーパー』OVA『輝煌帝伝説』に登場する黒い輝煌帝や、『カードキャプターさくら』劇場版『さくらと封印されたカード』に登場するクロウカード52枚合わせたのと同じだけの魔力を持つ裏のクロウカードのような、後日談中で突然語られる途方もない裏事情という反則技だ。
 よほど上手く処理しない限り、“今頃そんなこと言わないでよ”と文句を付けたくなるような存在なのに、14はいきなり出てきて暴れまくり、倒されてしまった。
 そして、始はなぜかその弱点を知っている上に、14自身は弱点を放置したまま、戦闘中に姿を消したブレイドとカリスを無視してギャレンとレンゲルをなぶっている。
 この14との決戦時、ブレイドとギャレンはジャックフォームになっているのに、レンゲルだけフロートのカードで飛んでいることについて笑っている人も多いらしいが、鷹羽的には、さっさと2人でしけ込んでしまうブレイドとカリス、訳も分からず残されて14の力に圧倒されまくるギャレンとレンゲルという図の方が遥かに笑えると思う。
 それにしても、呼び出すのは面倒な割にあんな単純な弱点がある最後の敵というのも悲しいものがある。
 まぁ、本来最後に残ったアンデッドのための力なんだろうから、他者の邪魔なんて考えなくてもいいのかもしれないが、それなら逆に、なんであんな強大な力が用意されていたものやら。
 ついでに言うと、最後に勝ち残ったのがカテゴリーKだったら、せっかくの力を使えないような気もする。
 
 もう少し細かいことを言えば、ランスが単独で封印したのはクラブのK、つまりテレビでは人間に友好的な嶋さんだったことに無茶苦茶違和感があった。
 まさか、封印を解除されると人格まで変わるってことはなかろう。
 それだと、ジョーカーだって別人になってしまう。
 アルビノ・ジョーカーのアンデッドを操る力が強くて抵抗できなかったと考えることもできるが、説明不足になることを併せて考えれば、出さない方が得策だ。
 これは、着ぐるみの流用による弊害で、恐らくスペードのKはテレビの撮影で使用中だったのだろうが、せめてダイヤのKをここに持ってきて、ほかの3体は既に封印済の扱いにすべきだったのではないだろうか。
 
 
 
 ほかに、設定上の問題などではないのだが、個人的にはもう1つ問題点があった。
 ヒロイン(一応)の栗原天音だ。
 これは、脚本上わざとやっているのが分かるだけに欠点とは言えないのだが、とにかく天音に感情移入しづらすぎる。
 冷静に考えれば、憧れの始が突然姿を消して音信不通になったのだから、多感な少女としてはスネたりしても仕方ないのだろうが、あんな大規模な万引きをして、捕まったら親に逆ギレしたりと、少々エキセントリックすぎて見ていて腹が立つのだ。
 鷹羽など、剣崎と始が人柱の交代云々と話しているシーンで「交代しなくていいから、天音を犠牲にしようよ」と思ってしまった。

 また、天音の14才の誕生日がラストに来ているのは、万引きの時点で彼女が13才、つまり刑事未成年で罪に問われないことを強調するためだろう。
 万引きしても経歴に傷が付かないというエクスキューズだ。
 それって、つい最近起きた「今ならお前達は捕まらないから」とそそのかされて強盗していた中学生連中を正当化してるようなもんじゃないの!?
 
 
 
K アフター・デイズ
 『ブレイド』のライダー達は、何らかの条件を満たす素養は必要であるにせよ、普通の人間だ。
 改造人間だった昭和ライダー、結果的に人間の体でなくなったクウガ、新人類であるアギト、亜人類である555といった具合に、過去のライダー達の体は普通の人間とは違うし、もう普通には戻れない。
 その点、『ブレイド』のライダー達は、ベルトを手放せば普通の人間に戻れるのだ。
 過去唯一普通の人間だった『龍騎』のライダー達は、契約の証であるベルトを捨てると契約モンスターに食われてしまうため、平穏な生活に戻ることは不可能だ。
 その点、『剣』のベルトにはそういうデメリットはない。
 若干1名、捨てるのに苦労しそうな奴もいるが、どうやら使いこなせるところまで本人がレベルアップしたらしい。
 
 戦いが終わった4年後の後日談というこの映画は、こういったこれまでのライダーにはなかった特質を上手く利用しており、大変いいところに目を付けたと思う。
 普通の人に戻った戦士というのは、スーパー戦隊の最終回にはよく見られる光景だが、実際にその後彼らがどのようにして生きているかについて描写されることはほとんどない。
 あてのない旅に出るとか、以前の生活に戻るとか、漠然としたことが語られるものの、私生活が描写されることはないからだ。
 通常、彼らのその後が描かれるのは、次の番組や特番に出演するなど戦士としての彼らが必要とされる場合に限られている。
 その意味で、清掃員という地味な仕事に再就職した剣崎の日常が描かれたことは意味があると思う。
 特に剣崎の場合、始を犠牲にして得た平和なだけに、ライダーであったことをウリにして生きようという意図が全く見えなかったのは非常に好感が持てる。
 
 ただ、それだけに、剣崎が天音のその後を知らなかったかのような描写だったのは、少々手抜かりだった。
 今回の映画で天音を人柱云々という話にしたのは、恐らく剣崎の葛藤を前面に出しつつ、始が戦う理由付けと中盤以降の求心力を天音に求めたからだろう。
 天音の年齢(14才)とトランプにない数字(14)を引っかけたというのもあるかもしれないが、あくまで剣崎や始との関わりがあるからこそ、ヒロインに据えたのだろう。
 例えば、アルビノを倒すとジョーカーも対応して消えてしまうという設定にでもすれば、天音なんか出さなくても、物語は作れるだろう。
 そうしなかったのは、最終的に始は封印されて姿を消さざるを得ないというテレビを見ていれば自明のことについて、後のフォローを入れないと嘘臭くなるためだ。
 フォローというのは、始がいなくなっ た後の天音の動向であり、剣崎がそのことをどう見ているのかだ。
 解放されたカードという重大な話を天音が警察に捕まったなどという理由で中断しているのも、剣崎の中では両者が同じくらい重要なものだからだ。
 だからこそ、この4年間、剣崎には天音の面倒を見ていてほしかった。
 テレビの最終決戦で犠牲になるのは、始だけではなく、始を慕っていた天音の心もなのだから。
 剣崎の性格上、そこに気付かないはずはない。
 だから、14才の誕生祝いなどという取って付けたような理由ではなく、天音に償おうとし続けた剣崎の描写を貫いて、天音がたまたま巻き込まれたという形にしてほしかった。
 それだけでも、天音の行動に深みが増し、もうちょっと感情移入しやすくなったのではないかと思われる。
 そっちにエネルギーを費やしてくれれば、新ライダーの描写が薄くても我慢できたのではないかと思うと、残念でならない。
 そして、ラストでは、天音は何も知らないままでいいから、剣崎の誠意を感じ取り、そこから始へのわだかまりを乗り越えてくれれば、綺麗に終われたのではないだろうか。
 そうすれば、4年後という時代設定にも、天音が自分の思いを整理できるだけの時間として意味があると思うのだが。
 
 
ロイヤル・ストレート・フラッシュ
 そろそろまとめに入ろう。

 余計なシーンが多々あって、そのくせ大事な説明がおざなりになっている感はあるが、総じて勢いのあるノリのいい映画だったと思う。
 いささか片面的ではあるが、それなりに中身のあるシナリオだったと思うし、主人公である剣崎についてはちゃんと描いて見せているのだから、まあまあの出来と言えるだろう。

 かなりけなしてはいるが、個人的には、平成ライダー映画の中では『PROJECT G4』に次いで好きだ。
 と言っても、『龍騎』も『555』も鷹羽としてはノリきれなかったのだから、比較対象としては弱いのだが。

 散々文句を書いた新ライダーについても、アクションに関する限りは特に文句はないし、実のところ、この映画で『ブレイド』の戦闘シーンを見直したという面もあったりする。
 また、テレビでは内輪もめが多い印象があるが、劇場版では、少なくともブレイド・ギャレン・レンゲルの3人は結束しているので、見ていて不安を感じない。
 その意味では、揉め事を担当した新ライダーの効能と言えるかもしれない。


 来年、またライダーの劇場版が制作されるのかは分からないが、多分また見に行ってはああだこうだ言うのだろうと思うと、ちょっと楽しみだ。


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