『仮面ライダー龍騎』
第50話 新しい命
2003/1/19 放映
(Story)
話は19日朝に遡る。
北岡は、
吾郎ちゃん、俺、やっぱり浅倉とはちゃんと決着つけてやんないといけないと思うのよ
奴がライダーになったことには多少なりとも責任があるわけだし
このままじゃ俺、何か1つ染みでも残して逝くようで嫌なんだよね
と、吾郎の反対を押し切って浅倉との決着をつけようとしていた。
そして、浅倉がねぐらにしている廃墟にゾルダが姿を見せ、浅倉は嬉々として戦い始める。
ファイナルベント“エンドオブワールド”のカードを装填したゾルダは、ジェノサイダーに吹き飛ばされ、体制を整えられないうちにファイナルベント“ドゥームズデイ”でマグナギガを吹き飛ばされてしまう。
その衝撃で地面に叩き付けられたゾルダは、ぐったりと動かなくなる。
手応えのなさに不審がる王蛇の前で、ゾルダは吾郎の姿に変わった。
北岡は既に事務所で絶命しており、吾郎がその遺志を継いで戦いにきたのだ。
吾郎は、「先生、また美味い物を買って帰ります」と呟いて事切れた。
そして、北岡が姿を見せない事情を知らない浅倉は、戦い足りない欲求不満を持て余し、鉄パイプを手に廃墟を包囲している警官隊に向かって駆け出し、その銃弾の前に斃れた。
ランチの約束の時間、レストランでは令子が待ちぼうけしている。
そして、バースデーケーキとプレゼントを用意していた沙奈子は、12年前に優衣と引き離されるときの士郎の
俺がいないと優衣は20回目の誕生日で消えちゃうんだ!
という言葉と、なぜかその言葉を信じられたことを思い出し、優衣が帰ってこないことを悟っていた。
午後1時。
真司の最期を看取った蓮は、士郎から「オーディンと決着をつけさせてやる。最後の仮面ライダーとして」と言われ、
俺にも信じるものはある
ライダーの1人として
と決意を秘めて旧神崎邸へと向かった。
神崎邸ではオーディンと士郎が待ち受けており、ナイトサバイブとオーディンによる最終決戦の幕が上がる。
オーディンは、ナイトサバイブの攻撃を全てかわしながら一方的に責め続け、遂にファイナルベント“エターナルカオス”を食らったナイトサバイブはサバイブ化が解けてフラフラになってしまった。
その様子を眺めながら、士郎は
もうすぐだ、もうすぐお前に新しい命を与えることができる
と呟く。
その周囲を黒い羽が舞い、優衣の士郎を呼ぶ声がかすかに聞こえた。
その声を聞いた士郎は、優衣の「あたしはいらない!」という言葉を思い出し、
お前はきっと拒む、拒み続ける
また駄目なのか、優衣! また!
と絶叫する。
その瞬間、神崎邸のガラスというガラスが砕け散り、オーディンはナイトに
最後のライダーはお前だ
と言い残して蒸散してしまった。
その直後、ナイトの眼前に眩い光が集結する。
ナイトは「これが…新しい命か」とその光を掴み、傷ついた身体を圧して恵里の眠る病室へと向かう。
そして、指にペアリングをはめられた恵里が目覚めたとき、蓮は静かに息絶えていた。
神崎邸のあの部屋で頭を抱える士郎に、鏡の破片に映る優衣が
また繰り返すの? 最初から?
もう終わりにしよう
あたしはここにいる。お兄ちゃんの傍にいる
新しい命なんてなくても、絵を描いてた時みたいにただ願えば
と語りかけた。
そして、楽しい絵に囲まれた小さな部屋の中で絵を描き続ける幼い頃の優衣と士郎の脇に、成長した優衣と士郎が並んで絵を描き始めた。
こうして1つの世界が閉じられていった。
そしてもう1つの世界。
OREジャーナルの記者:桃井令子は、坂浦商事の詐欺事件の弁護人:北岡を取材に行く。
そして新人記者:城戸真司は、“金色の蟹”を取材すべく駆けずり回る。
真司は、途中、自転車に乗った大学院生:東條悟とぶつかって転び、占い師:手塚海之に「今日の運勢は最悪だ」と言われ、占ってもらっている間にチンピラ:浅倉威にバイクを蹴り倒される。
そして、バイクを引っ張って歩くことに疲れた真司は、たまたま見かけた喫茶店:花鶏に入ろうとして見知らぬ男:秋山蓮とぶつかる。
店内には、幼い兄弟の写真が飾られていた。
(傾向と対策)
最初に言っちゃいます。
上では『もう1つの世界』と書いたけど、実は自信がない。
パラレルワールドであることは間違いないのだけど、単純に“もう1つの世界”なのか、何らかの力で時間が逆行した上で違う歴史を築いている世界なのか、決め手が見付からない。
取り敢えず今回の士郎や優衣のセリフから言えることは、“士郎は既に何回もライダーバトルを繰り返してきている”らしいということだけ。
士郎は「また駄目なのか」と言っているし、優衣も「また繰り返すの? 最初から?」と言っている。
これは、士郎がライダーバトルで優衣を復活させようとするたびに優衣に拒絶されて失敗に終わり、何度も(多分2001年4月15日から)やり直していることを意味している。
それこそオーディンのタイムベントのような力を発揮して過去に戻り、少しずつ流れを修正しつつ優衣の復活を目論むということを繰り返してきたのだろう。
そこで問題になるのが、今回のパラレルワールドがどういうものであるかだが、これについては長くなりそうだから後にしよう。
というわけで、先に本編の方を見てみよう。
ゾルダ対王蛇、ナイト対オーディンの戦いはまるで同時間帯に行われているようだが、ストーリーにも書いたとおり全く別の時間帯に行われているものだ。
太陽光線の角度を見てもらえば分かるとおり、ゾルダ対王蛇や、沙奈子の独白は朝のうちになされている。
つまり、令子と北岡の食事の約束は、やはりランチだったというわけだ。
そして前回書いたとおり、龍騎&ナイト対レイドラグーンは、午後1時ころから始まっている。
これは、ミラーワールドに入った直後の時計の表示がそうだったから間違いない。
つまり、士郎が蓮に戦いを挑んだときには、ゾルダ・王蛇は既に死んでおり、龍騎の死によって文字どおりナイトが最後の1人になっていたのだ。
だから、本来ならば前回のうちに北岡・吾郎・浅倉が死んで、今回Aパートで真司が死ぬというのが時間的に正しい流れだ。
恐らく、最終回前に主人公が死ぬというセンセーショナルな展開をしたいがために、こんなややこしいことをしたのだろう。
そんなわけで、最終回で初めて決まったドゥームズデイだが、マグナギガが犠牲者になるとは思ってもみなかった。
35話『友情のバトル』での相討ちの際には、既にエンドオブワールドが発動しかけており、マグナギガの腕が持ち上がっていたため、その腕で王蛇を叩き落としている。
対して今回は、発動前にゾルダ自身がジェノサイダーの攻撃で吹き飛ばされており、マグナギガは棒立ちしていたからモロに食らってしまったのだろう。
この辺にジェノサイダーのことをよく知らない(北岡が詳しく話していたとは思えない)吾郎の弱みが出ていると言えよう。
そして、浅倉は北岡の病気のことなど知らないから、自分との戦いに吾郎を代役として送ってくることの意味を計りかね、イライラが高じて警官隊に向かっていったのだろう。
なお、「抵抗著しい場合は射殺も許可する」とか言っていたはずの警官達が、たかが鉄パイプ持って走ってくる浅倉を射殺したのは、多分近付かせるとやばいというこれまでの経験に基づく現場の判断だろう。
何しろ警察側にとって、浅倉はフェニックス・エキスプレスの乗客ほぼ全員を殺して死体を始末し、護送中の警官さえ殺して死体を隠したほどの手の早い男で、しかもがんじがらめに拘束された状態からでさえ2度も脱出した器用な男でもあるのだから。
警官だって命は惜しいだろう、そりゃ。
ところで今回、本来ライダーでない者でもデッキがあれば変身できるということが分かった。
他人のデッキでの変身はSPで真司がやっているが、本編ではこれが初めてで、ライダーのいい加減さというものがさらに際立った気がする。
そーか、誰でもなれるのか。
ところで、吾郎は浅倉探知機でも持っているのだろうか?
前回のテレビ朝日の公式HPによると、警察から北岡のところに浅倉の潜伏先が分かり明朝突入するという連絡が入ったことになっているが、画面上はそういう描写はなかった。
国選弁護人でしかない北岡に突入の連絡をよこすというのは変だから、その意味でカットされたのだと思うが、そのせいでちょっと唐突になってしまった。
で、ドゥームズデイと同じく初めて発動したエターナルカオスだが、炸裂するシーンはなかった。
疾風断と相殺したのか、まともに決まってもナイトを倒せなかったのか、いずれにしても折角使ったのだから、どんな技なのかきちんと見せてほしかった。
ゴルトフェニックスがオーディンの後ろに回ってオーディンが浮いて、それからどうなるの?
さて、そろそろ話を最初の問題に戻そう。
タイムベントを使っていたかどうかはともかく、士郎が優衣復活に失敗するたびに時間を戻していたのは間違いない。
優衣自身、時間を戻される度に忘れているようだが、士郎が自分を復活させようとしていることは知っている。
ただ今回、優衣は戦いたがらないライダー:真司と近しくなりすぎたために、自分が全ての元凶であることを早期に知ってしまった。
多分、ライダーの人選は毎回違う(同じでは二の轍を踏むから)のだろうが、今回偶然からライダーになった真司という“全く戦わないわけでもないが戦いを拒否する”イレギュラーな存在が計画を大きく狂わせたのだ。
また、オルタナティブ・ゼロ:香川英行の存在も大きいだろう。
彼もまた今回初めてライダーバトルに絡んだ人間のはずだ。
もし彼が以前にも秘密を知って関わったことがあるなら、今回は邪魔されないように香川がデッキを作る前にさっさと始末していただろうから。
そうしてみると、前々回北岡が言った「奴がライダーだったのは、俺達にとって良かったのか悪かったのか」という言葉は、いみじくも正鵠を射たものだったと言える。
ともかく、自分が元凶であることに長い間悩み続けた優衣は、「自分は既に死んだ人間であり、そのために他人を犠牲にするのは嫌だ」という自分の結論を出してしまった。
そうなると、ミラーワールドという異世界を作り上げた片割れである優衣は、自身の力で新たな異世界“優衣と士郎が誰にも邪魔されずに絵を描いていられる世界”を生みだして、そこに20歳の誕生日が終わる前の自分と士郎を閉じ込めてしまったのではないだろうか。
それ自体、彼女らにとっても幸せなことなのだ。
士郎が初めて笑顔を見せているのも、幸せだからだろう。
子供のころは右利きで今は左利きだというのは、ちょっと不満だが。
これは、優衣が自分の死を認識し、さらに士郎も肉体を失ったからこそ実現した世界だと思う。
なお、本来「20回目の誕生日が来たら消えちゃう」というのは、誕生日が終わったらという意味ではないだろうし、法律的には、1月19日午前0時の段階で優衣は20歳になってしまうのだが、そこは7歳の優衣の言葉だから細かく言うのはよそう。
ともかく士郎は、過去数回の失敗の際に“19日が終わるまでは大丈夫”ということを知っていたはずだ。
さて、ライダーバトルを繰り返すのをやめたのはいいとして、では、ラストのあの世界はどういうものなのだろうか。
令子が取材に行った坂浦商事という悪徳金融会社の裁判は、7話『新種誕生?』で北岡が「無罪にした」と言っている裁判であり、今回北岡が持っている新聞記事の写真がそのとき真司に見せたものと同一(記事の内容はほぼ同じようだがレイアウトは若干違う上、日付は2003年1月19日付け)であること、真司が取材に行く“金色の蟹”が当時真司が取材に行った“金色のザリガニ”と酷似したネタであることなどから、時間的には7話相当の時期(3月ころ)であることが分かる。
しかも『ザリガニ』が『蟹』に変わっていること、めぐみが既にOREジャーナルに入社していること(下手すると真司より早い採用かも)などから、微妙に違う世界であることも分かる。
恐らく士郎が罪滅ぼし(という意識だったかはともかく)に時間を戻した世界から始まる未来で、違う経過を経た2003年1月19日ではなかろうか。
そして、ラストの花鶏のテーブルの上に大きくなった優衣の写真がないのだから、この世界では優衣が12年前の事故で死んだことになっているのだろう。
ということはつまり、江島研究室ではミラーワールドの研究は行われていないし、恵里も倒れていない世界のはずだ。
だから、蓮は昼間だからぶらついているだけ、東條は大学院生という感じで、本編とさほど変わらない状況だろう。
また、浅倉が斉藤雄一の右手を潰したのは冬だったようだが、のうのうと町を歩いていたということはその事件はなかったことになっているのかもしれない。
となると、北岡の病気もないことになってるかも。
『タイムレンジャー』よろしく、それぞれに都合のいい世界になってるのだとしたら、本当に士郎の罪滅ぼしかも。
登場しなかったほかのライダーズほかの面々は、
須藤…加賀友之の死体がいつ見付かるか戦々恐々としながら刑事として活動中
芝浦…明林大学で怪しげなネットゲームを作っている
佐野…いずれ父が死ぬことも知らずに駐車場整理
香川…ミラーワールドでない何かの研究中
江島…自分の研究中
仲村…江島の下で何かの研究中
恵里…同 上
雄一…ピアニストとして活動中
といったところだろう。
ちなみに、須藤については、本来時期的に死体が見付かっているはずだが、彼にとって都合のいいようにちょっと改変されていれば(蓮が死体を掘り出さないし)、まだ見付かってないということにしてみた。
こいつだけどうみても助からないなぁ…。
…あれ?
時間を巻き戻したということは、折角助かった恵里は、無駄…まいっか。どうせ無事な世界に戻るんだし。
でも、もしかして『ドラえもん』や『ドラゴンボール』みたいに変わった歴史もそのまま存続するのだとしたら、蓮を失って1人生き残る恵里というものすごく悲しい世界があったりするわけね。
で、その世界では、大久保が仮面ライダーの戦いについて発表して嘘つき呼ばわりされているんだろ〜な〜。
もしも蓮が病院の階段を昇っているときの世界が壊れていくというイメージシーンが、本当にその世界の終焉を意味するのだとしたら、それこそ恵里が助かったことの意味って…。
詳しくは総括評論で改めて書くとして、結局、この『龍騎』という作品の中で行われていたことは、シスコン兄貴が“妹とずっと一緒にいたい”という自分の欲望に従って、周りの迷惑を全く考えずに行動していたってだけなのが悲しい。
正しく個人の欲望のぶつかり合いを描く作品だったのだ。
以上が原因不明の失踪事件の真相であり、仮面ライダーと名乗る人間達の戦いの真実である。
この戦いに正義はない。
そこにあるのは、純粋な願いだけである。
その是非を問える者は…
犠牲になった一般市民と、期待を裏切られた視聴者だけである。
さて、今回の見所は“とっくにいなくなった甥と姪の写真を店先に並べている沙奈子”だろう。
自分の子ならいざ知らず…って、やっぱ縁起でもないな。
PS 今年はやったね。終了後のCM。
そして戦いは終わった。
一年間の応援 ありがとうございます。
真司くんと蓮を忘れないでね。