仮面ライダーディケイドあばれ旅 3

後藤夕貴

更新日:2009年3月8日

 第4・5話は、「仮面ライダーキバ」編。
 平成ライダーシリーズ一作目世界の次は、いきなり(ディケイドを除く)最新作世界になってしまった。
 中にはシリーズ順に世界を巡るものと思っていた人も居たようだが、実際はそうではなくまったく別な順番のようだ。
 一説によると、世界の順番はOPのある部分で出るライダーの順番らしいとのことだが、これが本当なのかどうか判断するには、もうしばらく様子見が必要のようだ。
 6話からは「仮面ライダー龍騎」の世界で、その次は「仮面ライダー剣」の世界。
 本当に予測が付かない並びだ。

●キバの世界

 これに触れる前に、一つだけお断りしておかなければならないことがある。
 実は、筆者は「仮面ライダーキバ」をほとんど観ておらず、序盤と終盤だけしか視聴出来ていない。
 これは、「仮面ライダーキバ」放送中にDVDレコーダーのドライブが故障し、代替パーツを入手するまでにかなりの時間がかかったためなのだが(古い型なのでメーカー修理に出すより自前修理の方が確実性が高かった)、この影響でまだ取り溜めした分のエピソードも全部見終えていない。
 以上の理由から、にわか知識でキバの設定比較を行なうわけにはいかないので、今回はキバ世界の比較については省略させていただき、DCDキバ編として描かれたディケイドの作品表としてまとめさせていただきたい。
 一応キバの諸設定についてはすべて把握はしているのだが、それだけで語るのは危険だとも判断している。
 もし、前回までのような比較・考察を期待されている人がいたとしたら、ここで陳謝させていただきたい。

 もっとも、キバにまったく触れないというのもアレなので、筆者が気になったポイントだけ触れてみることにしよう。

●ワタルと渡の謎

 ディケイド第1話では、「仮面ライダーキバ」の主人公・紅渡が登場し、士に世界の危機を伝え(直接的ではないにせよ)彼を変身まで導いた。
 所謂狂言回し的な存在として出てきたわけだが、彼の登場には多くの疑問を挟む余地があった。
 ちなみに、彼は“昨年度に「紅渡」を演じた瀬戸康史氏が別役で登場”したのではなく、明らかに「紅渡」として登場している点を留意したい。
 これは第1話OPのクレジット名義、そして登場時キバのシルエットをまとって現れた点などから判断できるものだ。
 もっとも、「仮面ライダーディケイド」の世界設定を基準に判断する限り、そんな彼も「2008年度にオリジナルキバとして活躍した紅渡本人」かどうかまでは、まだ断定出来ない。
 何故なら、パラレルワールドが許容されているディケイドの世界なら、オリジナルと酷似した別人というのも成立しかねないためだ。
 恐らくは、「仮面ライダーキバ」撮影スケジュールの兼ね合いから瀬戸氏をカメオ出演させただけなのだろうと思われ、製作側には大した意図はないと判断するのが正解なのだろう。
 ただいずれにせよ、「仮面ライダーディケイド」の世界設定がまだ明確化していない状況下において、こういった演出は混乱を招きかねない危険を孕んでいる。
 例えば、「DCDライダー世界」と「オリジナルライダーの世界」は、両方ともディケイド世界内に個別に存在している、という意見がネット上で散見されているが、これも大元は渡出演によるものだ。
 オリジナル渡が出て来た以上、これはきっとオリジナルキバの世界が(ディケイドの世界の中に)あるに違いないという意味だ。
 今の時点で、この見解を肯定または否定する有力な材料が出ていない以上、なんともいえないものがあるが、これまでの平成ライダーシリーズでの「意味ありげな謎の提示(またはそう解釈されがちな演出)」を考慮すると、期待しないでいた方が賢明のように筆者は思う。
 何故なら、オリジナル渡が第1話で行った狂言回しは、その気になれば他のシリーズの別キャラであっても充分代用が出来たからだ。
 キャストの都合を無視すれば、あれがたとえ五代雄介であっても、沢木哲也であっても、城戸真司であっても、乾巧であっても、剣崎一真であっても、安達明日夢であっても、天道総司であっても、野上良太郎であっても、或いはサブキャラであっても支障はなかっただろう(中には場面が想像し難いキャラも挙げてしまったがそれはともかく)。

 いずれにせよ、第1話の渡とは別に、DCDキバ世界ではまったく設定を異とする“ワタル”が登場した。
 この間、僅か3話。
 事前情報を知らずに観ていたファンは、どんな印象を持ったのだろうか。

 ワタルは、紅渡と周辺設定が異なるどころか、むしろ共通点を挙げた方が早いくらいに異質な存在となっている。
 五代雄介と小野寺ユウスケの差もかなりのものだったが、今回はそれ以上に開きがある。
 白倉プロデューサーの談によると、前年度放送の「仮面ライダーキバ」世界を早々に出すことで、ディケイドの世界観の特異性を強調する目的があったようだ(意訳含む)。
 そう考えると、思い切った改変? も理解出来そうだ。
 そして同時に、今後続く他のライダー世界がどうなるかという期待(or不安)も膨らんでいくわけだが…

●士とユウスケの戦い

 DCDキバ変身前を子供にするという意外な試みは、当初は疑問を覚えさせたが劇中では比較的上手く活用されていたようだ。
 DCDキバ編では、士がゲストライダーとの対戦中に(まさかの継続出演となった)ユウスケがワタルに接するというスタイルで、実にバランスよくキャラが動いていた。
 特に、ユウスケのワタルへの接し方は(平成ライダーとしては)独特で、自身に再考を促すような語りかけを行なったり、わざわざ目線を下げて語りかけるなどヒーローらしさを強調したものだった。
 クウガ編では、士との対立意識や八代の前での気張りが目立っていたせいか、ユウスケの優しい一面というのはあまりはっきり描かれず、むしろトゲトゲした印象が強かったが、子供のワタルを絡ませることによって優しさも引き立ち、「意外に良い奴じゃん」というイメージも生まれてきた。
 こういうキャラの絡ませ方は素直に上手いと感嘆させられると同時に、平成ライダーシリーズでは珍しい大変ストレートな描写なのだと、改めて感じさせられる。
 というより、そういったストレートな動かし方が出来るキャラが少なかっただけなのだろうか…

 DCDキバ編において、戦闘者としてのユウスケが正直まったく引き立っていなかったのは残念だが、「ファンガイアと対峙するクウガ」という、今まで想像だに出来なかった不思議な図式が成立したところに、ディケイドの「妙」が感じられる。
 オリジナルクウガもDCDクウガも、対戦相手といえばグロンギという定番イメージがあるが、それを(対戦相手が変わるという些細なものとはいえ)打破したというのは、本作において大きな意味がある。
 こういった「ありえない構図が成立する」というのが、ディケイドにおける“破壊”の意味することなのかもしれない。
 そう考えると、DCDクウガも士達に同行した意味が見えてくる。
 単にディケイドが変身したライダーが、シリーズ的に異なる敵と戦うだけでは、こういった意外性は生じないだろう。
 実は、ユウスケが士達に同行するという情報は放送開始前から既に知れ渡っていた情報だったのだが、当時は大変疑問視されていた。
 しかし、DCDキバ編におけるワタルとの関わらせ方、ファンガイアとの絡ませ方を見る限り、そんなに無意味なことではなかったのかもしれない。
 問題は今後の世界での立ち回らせ方で、既に“DCD龍騎編”で不安要素も見え始めてはいるが、素直に期待していきたいところだ。

 一方、士は今回見せ場が多かった割に、結構損な役回りだったようだ。
 誤解とはいえ本来無害だったファンガイア(ルーク)を殺害してしまい、更にはビートルファンガイアの意向に“寝返った”元共存派のビショップと戦うハメになったり、加えてワタルの父・ビートルファンガイアの事情をすべて知りつつも倒さざるをえなかった。
 士の「結局、俺はただの破壊者か…」という言葉は、そんな風に何かを倒す・消滅させることでしか変化を与えられない自分に対する苛立ちから漏れた言葉のように思えてならない。
 士がDCDキバ編にて本当に主張したかったことは、対ビートルファンガイア編での妙に熱いセリフだろう。
 正直、セリフ回しにまだ若干の慣れを要する井上正大氏だが、ラストバトル直前でビートルファンガイアに叩き付けたセリフは大変熱がこもっており、思わず聞き入るほどバッチリ決まっていた。
 彼が、今後続く世界巡りでどのような葛藤を抱いていくのかは興味深い点だが、今回のDCDキバ世界における「その世界のルールを知らなかったがために」というポイントが示されたことは、大変に意味があるだろう。
 これは、今まで(理由不明で)万能と思われていた士/ディケイドにも、盲点がしっかり存在していることの証明となる。
 一見なんでも知っているように見えて、実は士自身も世界の違いに翻弄される存在に過ぎないというのは、ある意味で面白い味付けだ。
 だが見方を変えれば、これは「士というキャラ描写のムラ」とも取れてしまう。
 DCDクウガ世界では、いきなりグロンギ語まで習得していた士が、DCDキバ世界では人間とファイガイアの関わり方すら知らなかった。
 これが大きなツッコミ所となるか、逆に現状隠されている別な理由を匂わせる伏線となるか……なんとなく不安な気はするが、とりあえずここにも注目していくべきだろう。

 DCDキバ世界では、士とユウスケの動き方のパターンが見えてきた感が強い。
 このように、それぞれの立ち位置で個別に動き、必要に応じて共闘を繰り広げていけるとしたら、ある意味ではかなり理想的な「ダブルライダー展開」が生まれそうな気がする。

 ただ問題は、ディケイドとDCDクウガだけでなく、そこにその世界のDCDライダーが関わってくること、更に加えて「ゲストライダー」が乱入してくることだ。

●ゲストライダー

 ここでいうゲストライダーは、本来なら「鳴滝が召還するライバル系ライダー」を指すものだが、この項目に限り、その世界のメインDCDライダーも含めよう。
 なぜかというと、この両者に共通する疑問点が、DCDキバ編により見えてきたからだ。

 第1話を見る限りだと、ディケイドはかつてすべての(主役クラス)ライダーの能力を持っていたが、何かの理由でそれが失われているようだ。
 各世界を巡る目的の中には、その失われた力を取り戻すというものもあるようで、事実ここまででクウガとキバの力を取り戻している。
 どういう理屈で、どういうタイミングでカードに力が戻るのかよくわからない所もあるが、それはひとまず置いておこう。
 この「取り戻したライダーの力」だが、今後はどういう所で用いられていくのだろうか?

 DCDクウガ世界では、ユウスケが士達に同行を申し出た。
 だがDCDキバ世界では、ワタルは同行せずなぜかキバーラが乱入した。
 DCDクウガがいれば、今後も「ファイナルフォームライド」「同・アタックライド」によるゴウラム攻撃が可能だろうが、ではDCDキバの「キバアロー」はどうなのか?
 普通に考えたら、たった一度っきり…しかも、それぞれのライダー世界限定の技(武器)ということになってしまわないだろうか?
 またDCDクウガゴウラムにしても、他のライダーを使役した「ファイナルフォームライド」を使用していくようであれば、露出の機会はほとんどなくなる可能性が高い。
 そうなってくると、ディケイドの集めている他ライダーの能力は、そもそも何の意味があるのだろうか? という疑問に発展しかねない。

 ご存知の方も多いと思われるが、ファイナルフォームライド(以下FFR)は今年度のメイン玩具シリーズとして製品化される。
 前回も色替え文字でネタバレ記述しているが、全ての平成ライダーが何かしらの変形をしていくことになり、それを模したフィギュアシリーズが展開していくわけだ。
 しかし、その肝心な画面露出はたった一度きりだとすると、販促的な意味で「大丈夫なのか?!」と不安がよぎる。
 FFRが、状況に応じて自在に選択使用できる兵器であれば、“わざわざ変形させた意味”も出てくるだろうし、視聴者も徐々に有用性を理解していけるだろう。
 だが、たった一度きりの露出だった場合、奇異性は実感出来ても有用性まで実感出来るかどうかは大変微妙だ。
 FFRシリーズが、はじめから所謂アメトイ的な奇抜変形玩具路線を狙って展開していく目的ならば、いちいち本編中の露出を考慮する必要はないだろうが、DCDクウガやDCDキバを見る限り、FFRは各ライダー世界のファイナルバトルを締める(または締めへ導く)重要な役回りとされている。
 こう考えると、ビックリドッキリ変形の存在意義が、不明瞭にも感じられてしまう。

 ――が。
 別な考え方をすれば、ここで「ディエンド」の存在が必要になってくるのかもしれない。
 ディエンドというのは、この後登場する二号ライダー的位置付けのキャラで、ディケイドのように他ライダーへの変身は出来ないが、代わりに歴代ライダーのコピーを生み出す力を持っている。
 彼に呼び出されたライダーには意志がないようで、ネタバレ情報を見る限りだと“ライダーの能力を持つ傀儡”に過ぎないようだ。
 もし、これら傀儡を用いてFFRの材料?! にしていくのであれば、ディケイドのFFR能力にも意味が出てくるかもしれない。
 例えば、カブト世界内でディエンドにキバを呼び出してもらい、キバアローをワーム達に見舞うなど……まあ、ディエンドがディケイドにそういった協力をしてくれるかどうか、そこまではわからないわけだが。
 どちらにしろ、一応(現時点では)有効活用される見込みも無いわけではない、ということだろうか。

 次に、DCDクウガ編における地獄兄弟、DCDキバ編のカイザについて見てみよう。
 5話の時点まででは、彼らゲストライダーの存在意義はストーリー的には極めて薄く、どちらかというとサービス演出的な色合いが強い。
 彼らのみ、声の担当がオリジナル演者だというのもそういうことだろうか。
 一説によると、彼らのみオリジナルの世界から呼ばれているとのことだが(これは確証がないのでなんともいえない)、実際は「ディケイドの活動範囲では登場させ辛いライダーを露出させるための対策」といったところだろう。
 なにせ今年はお祭りみたいなものなのだから、過去ライダーを出せるだけ出して視聴者の興味を惹こうとするのは正解だ。
 今後も、各ライダー世界でどんなライバルライダーが登場していくのか、純粋に興味を持ち続けられるわけだし。

 ――が、そんな彼らが鳴滝の存在理由を益々希薄化させている点も否めない。

 地獄兄弟召還の際は、呼び出したライダーが必ずしも鳴滝と意志を共にしているわけではなく、何か別な目的の下に活動しているらしい様子が見て取れた。
 またカイザ召還時も、あれだけ長く戦闘を続けたにも関わらず決着をつけることなく姿を消すという、なぜ呼ばれたのかわからない動きを見せた。
 実はこれらにきちんと意味があるのか、それとも単に「ディケイド作品内でライバルライダーを倒させるわけにはいかない」という、製作側の事情が存在するのか、現時点ではなんとも判断が出来ない。
 ともあれ、ディケイドに襲い掛かりはするものの適当に切り上げてしまう彼らを見ていると、召還主の鳴滝が一体ナニを企んでいるのか、益々不明瞭になっていく。

 前回も記したが、意味ありげな謎が最後まで放置されるというのは、平成ライダーおなじみのパターンだ。
 しかも、作品初期に出てきた根源的な謎であればあるほど、そうなる傾向が強い。
 ディケイド最終回間際に、「結局鳴滝って何がしたかったんだろう?」といった話題でコラムを書くことにならないよう、筆者は全力で祈りたい。

 ついでっほい書き方で恐縮だが、DCDキバ世界のオリジナルキャラ「キバーラ」についても触れてみよう。
 立ち回り的には、ユウスケを士達に同行させるきっかけを作った功労者だが、内容的にはよくわからない存在だ。
 「ルパン三世」における峰不二子的スタンスのキャラにするつもりなのか、それとも今回からいきなり味方側に就くのか、士やユウスケらの反応を見る限りではまったく予測がつかない。
 どうやら鳴滝とも通じているようなので、果たして彼女が士と鳴滝を繋ぎ「因縁」を強調する役割を果たしてくれるのか、或いは単なる引っ掻き回し役に甘んじるのか、注目して行きたい所だ。

 ――で、あのサイズからして、兄(という設定の)キバット三世同様変身アイテムになる……ってことはない……よね、と。
 つか変身アイテムになるんだったら、鳴滝は最低二回は変身していることになる?!

 どうでもいいけど、やばいよね、あの恍惚の表情は。

●ファンガイアと共存する世界

 DCDキバ編について、もう一つ気になった点があるので触れてみよう。

 DCDキバの世界は、既にファンガイアと人間が共存するという理想的な形態が成立して久しいらしく、当初は士すらも戦う必然性が見出せず戸惑うほどだった。
 キングの座が十年以上空位だったことと、次期キング候補のワタルがまだ少年だという点を考慮すると、いったい誰がそんなルールを確立させたのか非常に興味深いところだが、とりあえず“多少のアンバランスさは残るものの”一応完成形の世界であった様子は理解できる。
 鳴滝の言う通り、ここにディケイドという外部因子が加わったことでバランスが狂いかけたのかもしれないが、それを別にしても、よくよく考えると何か微妙におかしい。

 DCDキバ世界では、人間のライフエナジーを税金として納めさせることで、オリジナルキバ世界におけるライフエナジー強奪(人間殺害)が抑えられている。
 しかし、中にはそんな状況に不満を抱えているファンガイアもおり、時折人間が襲われることがある。
 恐らくは、配給されるライフエナジーでは「食い足りない」という事なのだろうから、我慢して社会になじんでいるファンガイアが居る以上、彼ら離反者が処罰されるのはいたしかたない。
 だが、そんな物騒な状況にも関わらず、ファンガイアとの交流会が催されたり、幼稚園児ですら「ファンガイアと仲良くするべき」という倫理観を植えつけられている。

 ――この世界におけるファンガイアとは、何様なのだろう?

 どうやらオリジナルキバと違い、DCDキバ世界のキングとは、ファンガイアだけでなく人間社会をも含めた支配者に相当すると考えた方が正しいらしい。
 しかも、次期キング候補のワタルからキバの鎧を強奪した途端、あらたなキングとしてビートルファンガイアが認められてしまうという簡潔極まりない理念があり、また彼が共存ルール撤回を唱えてそれが即施行されるところを見ると、その支配力は一部地区内や日本のみではなく、へたしたら世界規模に及んでいる可能性も高い。
 ということは、それだけの支配力を行使できる権利を獲得するための経緯……つまり、ファンガイアが人間より絶対優位に立つきっかけとなった何かが起こっている筈だ。
 また、それだけとんでもない世界にも関わらず、キングが十年も空位であることが許されるというのも奇妙なものだ。
 つまりは、それであってもファンガイアありきのルールが制定出来るほど、彼らの存在は(あの世界では)高位ということになるだろう。
 
 こう考えてみると、これは相当独特な世界観だ。
 現代とさほど変わらない世界に、グロンギという異分子が紛れ込んだだけ(と解釈可能な)DCDクウガ世界と違い、DCDキバ世界は根底から何かが大きく変わっている。
 だとしたら、もう少し突っ込んだ説明が劇中で成されていなければ、本来はおかしい。
 「ファンガイアという怪物がいる」「人間と共存している」「たまに違反者が出る」というかいつまみの説明だけでは、DCDキバ世界の概要は今ひとつ把握し辛く感じられる場合もあるだろう。
 というか、オリジナルキバの世界観を理解していて初めてアレンジ要素を楽しめるという、視聴者の知識に依存した造りと言わざるを得ない。
 つまりこれは、第一回の時に懸念していた事そのまんまだ。
 前回、DCDクウガ編では杞憂に終わったと記した問題点だが、どうやらまだ油断は出来なさそうだ。

 もっとも。
 DCDキバ編は、それでもかなり上手く設定要素をシェイプアップしており、上記の世界観もある程度ノリで流せるレベルとも考えられる。
 事実、世界観の説明不足について大きな不満を覚えた人は、そんなにいなかっただろうと思えるし。
 まして、必ずしもオリジナルキバを知らない人を基準に物語を構築する必要もないのだから。

 本当の問題は、こういった「世界観の大事な説明省略」が、今後も続いてしまう可能性だ。
 事実、6話以降のDCD龍騎編では、裁判の判決がライダーバトルで決まるという、これまたとんでもないアレンジが施されていた。
 これも、オリジナル龍騎のミラーワールド概念やライダーバトルの理屈を把握していないと、アレンジの具合が不明瞭で違和感ばかりが前面に立ってしまう構成となってしまっている。
 否、オリジナルに精通しているファンの中にも困惑している人がいるほどなのだ。
 ライダーや怪人が戦っている、というポイント以外は現代とさほど変わらないという世界観なら、ライダーや怪人の周辺設定だけを示していけば意味は通じやすいので、アレンジも浸透しやすいだろうが、世界そのものの理念が大きく変化している場合は、それだけでは済まされない。
 DCDキバ世界も、ファンガイアがライフエナジー強奪をせずに共存していられる理由説明が、5話ラスト間際の士のセリフのみという大きな難点があったが、これはまだあるだけマシだったかもしれない。
 詳しくは次回に触れてみたいと思うが、今後に続いていくだろう「どこかおかしな世界」の描き方について、筆者はまだ不安が拭えずにいる。

【個人的感想 キバ編】

 まず、普通の人間にも見える上に普通にビルの一部として君臨してしまっているキャッスルドランに一吹き。
 更にディケイドVSキバ戦における、バッシャーの「呼ばれたぁ!」で更に一吹き。
 意外にも、子供が変身するのに大人体型のDCDキバには違和感を覚えなかった。
 変身者と変身後の肩を位置を合わせて合成しているためだが、上手く違和感解消をしている(実際には、変身直後のDCDキバは足が地面にめり込んでいる筈)。
 それともこれは、筆者が「五星戦隊ダイレンジャー」のキバレンジャーで慣れていたからだろうか?
 もっとも、紅渡がオリジナルキバに変身するのも、体格的な意味で違和感はあったが。
 うろ覚えだが、何かの資料で「キバに変身すると“装着者が鎧を纏った”ようになるのではなく、“あの姿になる”」といった感じの記述を読んだ気がするんだけど、気のせいだったかな…?

 ともあれ、ワタルを演じた深澤嵐氏は、若干12歳ながら大変な熱演で観ていて微笑ましかった。
 今はまだ声が熟成してない感が強いが、いずれ大人の声がしっかり出せるようになった時の演技が純粋に楽しみだったりする。
 確か氏は、「(555のような装備変更シチュは別として)複数のライダーを演じた役者」の七人目という事になるのかな。

 DCDキバ編自体は、比較とか抜きにしてやや食い足りない感がつきまとった気がするけど、内容的には無駄なくすっきりまとめられているようで好印象。
 というか、オリジナルキバでこれでもかと込められていた独自要素がほとんどオミットされた結果、ここまでスタイリッシュ? にまとまったのかと考えると、やや複雑な心境に。
 どちらにしろ、オリジナルキバで不評だった部分がなくなると、それなりに引き締まることが証明された以上、キバ自体の“材料は悪くなかったんだな”と改めて思わされる。
 こういうノリで一年続いたら、「仮面ライダーキバ」はどういう評価になっていただろうと考えると、少し興味深い。
 オリジナルキバでは不人気の代表格だったキャッスルドランを、「異形の巨大建造物」として晒すことで独特の威圧感を表現したのはさすが。
 ただ、だからといって(オリジナルで同じことをしていたとしても)玩具販促に繋がったかどうかは、やっぱり微妙なんだろうなと考えたり。

 予想外のドガバキフォーム登場、しかも中身別人、加えて(オリジナルと比べて)バカ強いというシチュは個人的に好き。
 ガルル達ファンガイアと、音矢&渡の繋がりや絆が今ひとつ実感出来てなかったので、むしろこのように「力関係の逆転で容易に関係が狂う」可能性を秘めていた方がらしい気がする。
 もっとも、次狼達と音矢の別れのシーンで不覚にも涙したこともあるので、そう割り切られていたとしたらしたで、また微妙な気分だっただろうなと……この辺はうまく結論が出せてなかったり。
 考え方を変えれば、「王の傍につく“いざという時の手駒”」という存在として割り切られたガルル達というifの姿と観るのも良いのかもしれない。
 ここまで書いていて、ふと彼ら三人の人間体が登場しなかった事に疑問を覚えたり。
 これも聞きかじりなんで確証はないのだけど、当初の予定だとガルル達三人には人間体の予定はなかったとか……もし本当だとしたら、その初期設定を踏襲したのかな?
 そして、ビートルファンガイア共々、爆散してしまった三体の運命は……
 まあやっぱり、吸収された時点で実質死んでしまったと考えるべきなんだろうなあ。

 ビートルファンガイア……ワタルの父の思惑は、士が言っていた通り、本当にワタルの決意を促すためだったのだろうか?
 この辺があえてぼかされていた点は、個人的に評価したい。
 もっとも、そのためにあれだけ大勢の犠牲者が出ている以上、どうしても疑問は拭えないが。
 それとも、自ら悪行を働き、次期キングとなるべきワタルに自身を打倒してもらいたいという願いがあったのだろうか?
 そう考えるなら、実は(鳴滝が言った事とは違い)士が来たことにより、むしろアンバランスさが解消され、世界がより安定化する希望が見えたことになる。

 FFRは、どうやら毎回「ちょっとくすぐったい」らしい。
 くすぐったいという事は、士自身誰かからFFRを食らった経験があるのかなとか、ふと無駄な考えを浮かべてみたり。
 キョトンとするDCDキバを振り向かせて「くぱぁ♪」の流れは、素直に爆笑。
 ああいうさりげない動きによるギャグは、いい味出てる。
 ただ、(事前に知っていたとはいえ)キバアローへのごっつい変形となぜかノリノリのキバットには呆然。
 やっぱり、実際に画面で見ると色々な意味で感じるものが違うのだなあ。
 何の疑問もなく変形し、云われるがままのDCDキバにちょっと萌え。
 でも、キバアローがトドメではなく、オリジナルキバ最終回ラストシーンを彷彿とさせるダブルライダーキックで仕留めたのは好印象。
 上昇していく二人のキックの軌跡を別アングルでなめていく構図には、ひたすら感動。
 こういう、細かな所でしっかり拘っているのは実に良いなあ。

 密かに期待していた「マシンキバー&ブロン」は、やっぱり未登場、実に残念。
 つい最近のシリーズなんだから、出してやってもいいじゃんと思ったけど、よくよく考えるとキバがまだ子供だから色々まずいのかな?
 新しい世界でも不遇さだけはしっかり継承しているバイク類については、もはや何も言葉が出ない。
 って、観終わってから思い出した程度だから、無理に出す必要はなかったよなあとも思ってたり。

 個人的に少々引っかかったのが、オリジナルの村上幸平氏演じるカイザの声が、なんとなく本人に聞こえなかった点。
 「ウルトラマンメビウス」におけるウルトラマン80の声(これも長谷川初範氏本人)を聴いた時の違和感にも似たものがあったなあ…
 草加の演じ方を忘れちゃったのかな? なんて不安に思ったけど、かろうじて「〜で、いいのかな?」という独特なセリフ回しが出たことで一応安心。

 さて、次回「DCD龍騎編」は……正直、かーなーりー微妙。
 いや、オリジナルとの比較云々以前に、色々と頭の痛い問題が……

 こちらについては、再度観直してからあらためてまとめたいと思う。

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