仮面ライダーディケイドあばれ旅 1

後藤夕貴

更新日:2009年1月31日

 2009年1月25日、平成仮面ライダーシリーズ「仮面ライダーディケイド」放送開始。
 世界観の垣根を乗り越え、2000年度放送「仮面ライダークウガ」から、2008年度「仮面ライダーキバ」までの主要ライダーが勢揃いするということで話題を集めた本作は、第1話放送終了後、各所で非常に大きな反響を巻き起こした。

 というわけで、今年は本作について思ったことをコラムにしたためてみたい所存。
 おお、カブト以来だから実に2年ぶりだ。
 今回は、(極力)客観的に評価した部分を記した後に、筆者個人の純粋な感想をまとめてみた。
 第2話放送直前なので新鮮味に乏しい話題もあるかと思われるが、ご容赦いただければ幸い。

●「オリジナルとは違う世界」をどこまで許容できるか?

 「仮面ライダーディケイド」の劇中では、「仮面ライダークウガ」から「同・キバ」までの9作品がそれぞれパラレルワールド的な別世界として存在している。
 これらは、本来は交わることなく並行するものらしいが、何かの理由でこれが一つに融合しようとしており、その結果「世界が消滅する(だろう)」とされている。
 これは、第1話にて紅渡(キバに登場した人物と、役者含め同一。ただしOPテロップ以外で名前は出てこない)により語られた情報であり、今後の本作の根底となる基本設定だ。
 ご丁寧にも、9つの地球が重なっていくイメージビジュアルまで映され、実に判りやすく説明されている。

 だが、判りやすくと云ってもそれが視聴者全員に理解を促すものだったか、となると、いささか疑問を挟む余地がある。

 「仮面ライダーディケイド」劇中に登場するライダー(以下、区別のため“DCD○○”“オリジナル○○○”と区別して表記)は、2000年から2008年まで放送されてきた9大番組のそれとは一応別物として扱われているらしく、第1話の時点でDCDクウガには既にいくつもの相違点が見られる。  これらは第1話の時点ですぐ判る程度のもので、今後も更に多くの相違点が出てくる可能性は高い。
 また、次回予告では黒い目のアルティメットフォームまで登場しており(クウガ本編ではイメージビジュアルでしか登場していない)、明らかに「オリジナルクウガを再現する意図ではない」ことが窺える。

 ディケイド第1話を面白いと感じたファンは、これらのポイントを踏まえ「オリジナルとは違う世界のクウガ」と、それが組み込まれているディケイドという作品に理解を示せたようだが、やはりというか、これらが受け容れられないファンも大勢居たようだ。

 彼らの意見を見たところ、「五代ではないクウガ」「男性でない一条」「ルールを無視しているグロンギ」というポイントがどうしても容認出来ない様で、これは非オリジナルのDCDクウガだと示されたからといって、ハイそうですかと素直に納得出来るような物ではないらしい。
 かつて熱狂したライダーが引っ張り出され、「これはアレとは別物なんです」という言い訳の下に激しく歪められる……といったところだろうか。
 そう考えれば、気持ちもわからなくはない。
 一年に渡りグロンギとの激闘を繰り返し、元来闘いを好まない性格にも関わらず、自身が激しく傷つくことも厭わずに人類守護のため尽力した「ただ一人の英雄」――
 そのキャラクター像と、それを盛り立てる舞台描写・演出に心酔したクウガファンが、大きな違和感を抱き難色を示す気持ちは大変よく理解出来る。
 本放送時から視聴されていた人ならお分かりかと思うが、「仮面ライダークウガ」という番組は当時大変熱狂的なファンを生み出し、後のシリーズ展開のきっかけを作った金字塔的作品だった。
 その熱狂振りはいささか過剰気味にも見えたが、どちらにしろ多くの人の心に何かしらの影響を与えたのは事実だろう。
 そういった人達が、事前情報を全く知らずにディケイド第1話を観たなら、確かに怒り心頭に発するだろう。
 極端な言い方をすれば、「俺達のクウガを汚された!」と感じる人もいるかもしれない。
 こうなると、先に挙げた「これは別物なんです」という説明は、充分な効果を発揮出来ているとは云い難い。
 
 そして同様に、今後アギト〜キバにおいても同様の事が起こるだろうと予想される。
 それぞれの作品に熱狂的なファンがいる以上、大小の差はあれどこういったバッシングが続く事は想像に難くない。
 そう考えると、ディケイドは相当無謀な企画だったのでは、とさえ思えてくる。

 だがその前に――この流れ、妙にデジャヴを感じさせられたりはしないか?

●2000年当時にあったこと

 少し古い話になるが、「仮面ライダークウガ」放送開始当時、同作がかなりの非難を浴びたことをご存知or覚えている方はおられるだろうか?

 当サイトは平成ライダースタートとほぼ同時期から運営しているが、あの当時のクウガバッシングは今でも良く覚えている。
 かくいう筆者も、あまりのギャップに当初は相当文句を言ったものだ(すぐ慣れたけど)。
 放送開始当時、仮面ライダーというとまだ1号〜ZX、またはBLACK〜RXといったヒーロー然としたイメージが強く、勧善懲悪物の代表格としても扱われていた。
 そのため、そういったものをことごとく覆して斬新なイメージを構築した「仮面ライダークウガ」は、所謂“昭和ライダーファン”の反感を多く買った。
 もっとも、番組自体は丁寧な演出とストーリー、物語の整合性の高さで視聴者を惹き付けることに成功し、最初は反発していた人にも「これはこれでありかも」と思わせるような説得力と魅力を内包していた。
 また、一見まったくの別物に見えるものの、実は設定ベース等は旧世代ライダーのフォーマットをアレンジした物であると気付いた人もおり、そこから評価を改めたファンも出てきた。
 これらの要素が組み合わされた結果、「仮面ライダークウガ」は大人気を博して後のシリーズ展開の祖となり、いまだに多くのファンの心を捉えて離さない。
 結果はともかく、平成ライダーの元祖も激しく叩かれた時期はあったということだ。

 この頃のオリジナルクウガバッシングを振り返ると、だいたいが「正義の味方ではない」とか「ライダーらしいケレン味がない」「かっこわるい」「戦闘員や(明確な)悪の組織がない」といった、つまりは“こういう点が昭和ライダーと違うからダメだ”というものが多かった。
 要するに、この頃はまだ現在のような新生ライダーシリーズのフォーマットは受け容れられ難い状況だったのだ。
 今となっては半ば笑い話にも感じられるこれらの話だが、オリジナルクウガだけに限らず、その後のシリーズも大なり小なり「○○はライダーらしくないから嫌い」といった意見が散見される。
 長年ライダーファンをやっている人は「理想のライダー像」というものを構築しており、無意識にそれと比較しつつ新ライダーに触れているのではないだろうか。
 オリジナルクウガを叩いていた昭和ライダーファンは、後にクウガ以降のファンから「平成ライダーに理解を示せない、頭の固い世代」といった風に解釈されていく事になっていくが……

●昔の作品に拘ってはいけない?

 話をディケイドに戻そう。
 先に述べた通り、ディケイドに登場する平成ライダーは、オリジナル作品のそれとは大きく異なる設定を持つ、いわば「外見以外はほとんど別物」と言っても過言ではない存在になっている。
 それは、言い方を変えれば「ディケイドという番組を構築する素材の一つ」であり、独立した番組のソレとイコールではないということになる。
 だとしたら、ディケイド内でどのように扱われようが、本来はまったく構わない筈だ。
 たとえグロンギが戦闘員よろしく大量に現れても、DCDクウガがディケイドに倒されようと、それは2000年度に放送された「仮面ライダークウガ」という番組のストーリーの延長ではなく、あくまで「仮面ライダーディケイド」という新作品の1エピソードに過ぎない訳だから。
 つまりそれは、「昔のクウガは云々」といった文句は、すべてナンセンスとなってしまう事を意味する。
 あたかも、平成ライダーに対し、昭和ライダーの価値観を押し付けるかのように。
 かつて「新しく示されたものを許容出来ない」がために叩かれた旧作ファンと同じようなことを、今は平成ライダーファンがやっている……

 これでは、何か矛盾してないだろうか?

 「これはクウガじゃない、クウガはこんなものじゃない筈だ」というのは、五代雄介転ずるオリジナルクウガと比較した時の話であって、小野寺ユウスケが変身するDCDクウガを評するものではない。
 変身後の見た目は確かに同じだし、周辺描写にオリジナルを踏襲した要素が部分的に含まれている事は事実だが、これがディケイドで“新しく示された「ライダー番組」としての条件”なのだから、視聴するからには、ファンはまずこれを受け容れる所から始めなければならないだろう。
 どっちにしろ、番組が始まってしまった以上、「こうじゃない」と唱えるファンの意向が汲み取られ、万人が望むようなスタイルに切り替わることなど、まずありえない。
 それは、これまでのシリーズを観続けて来たファンなら、容易に理解できる筈だ。

 ――と、いささか乱暴な表現をしてはみたものの。
 このように、完全に割り切りながら全30話を見続けるのは、人によっては厳しいものがあることは、筆者もさすがに理解している。
 本放送当時大好きだったライダーが、毎回オープニングでディケイドにボコられるのが我慢出来ないというファンもいるだろうし、何より「ここまで来てまだライダーバトルを続けるのか!」と憤る(または嘆く)人もいると思う。
 というか、あのOPを初めて見た時は、比較的好意的に捉えていた筆者ですら「いいのかな〜?」と思わされたほどだ。

 それはともかくとして。
 現時点でDCDクウガに対して唱えられている不満・疑問点は、まだ「仮面ライダーディケイド」という番組に対する問題指摘には至っていない。
 「今回のライダーは、このノリで行く」と示され、それに同意できない向きが反発しているに過ぎない。
 しかし、かつてオリジナルクウガにも同じようなことはあったのだ。
 だとしたら、ディケイドに対しても同じような「馴染み」の時期が訪れる可能性は否定できないだろう。
 オリジナルクウガが後に昭和ファンにも受け容れられた様に、ひょっとしたらディケイドも、独自の魅力で過去の平成ライダーファンを惹き付けることが出来るかもしれない。
 今はその可能性を信じて、先のエピソードを見守っていくべきではないか。
 今の時点では、筆者はそう考えている。

 これは個人的な見解だが、ディケイドの企画には「製作スタッフが(現在の)仮面ライダーに求めているスタイルがどのようなものか」が透けて見えているような気がする。
 それは若干クセのあるもので、それが視聴者によっては認識のズレとして感じられ、拒絶感を発生させているのではないだろうか。
 例えば今回、平成ライダー集合と聞いて真っ先に共闘を連想した人と、大規模なライダーバトル発生を連想した人がそれぞれ存在した。
 現時点での情報から推測すると、どちらもそれなりに組み込まれているようではあるが、少なくとも前者は第1話冒頭のライダー大戦シーンでショックを受けたかもしれないし、事実そういった意見も散見された。
 問題なく受け容れられた人達には理解出来ない感覚かもしれないが、少なくともライダー死屍累々状態のアバンを見る限り、スタッフは「仮面ライダーBLACk RX」時のような単純客演にする気はさらさらなかったと判断してほぼ間違いないだろう。
 ディケイドにおけるライダー客演?のアレンジ手法は独特すぎて、大変好き嫌いが分かれやすいものだ。
 ひょっとしたら、現在好意的に見ている人も、ラストまでモチベーションを維持できなくなる可能性があるかもしれない。
 まあいずれにせよ、これらは注目点にこそなれ、まだはっきり論ずることができない状態だ。
 少なくとも、もう少し他のライダー世界がどうなるか観ていかない限り、全貌把握は難しいだろう。

 現状のディケイドに対して不安を唱えるとしたら、そこではなく、むしろもっと別な部分だ。

●「視聴者の知識に依存」することの危険性

 また少し脱線するが、ここで2006年度作品「ウルトラマンメビウス」を例に挙げてみたい。

 ご存知の通り、「ウルトラマンメビウス」はM78星雲系ウルトラシリーズ(所謂昭和ウルトラ)の世界観をストレートに引き継ぎ、初代〜80までの舞台と同一という設定になっている。
 そのため、過去に登場した怪獣やウルトラマン、またエピソードの一部がふんだんに盛り込まれ、中にはマニアック過ぎる要素も組み込まれており、昭和ウルトラを知るファンの多くを魅了し大成功に終わった。

 だが、昭和ウルトラを良く知るファンの中から、いくつかの不安点・問題点が指摘されていた点も見逃せない。
 その中でも、「視聴者のウルトラマン関連知識に依存したような造りになっている」という問題指摘には、筆者も深く頷かされた。

 これはどういう意味か?
 例えば、昭和ウルトラに登場した有名怪獣や星人が登場したとする。
 それが、過去作エピソードに関連した活躍をしたり、またそれを活かした演出が行なわれれば、旧作ファンは確かに喜ぶだろう。
 また、旧作を知らなくても、ゲームや書籍で怪獣のパーソナルデータをある程度把握していれば、「今まで文字・絵情報でしか知らなかった怪獣のリアル出演を堪能できる」という感激も得られた。
 かつてゾフィーやタロウを窮地に陥れたバードンが登場すれば、普通の闘いではまともに太刀打ち出来ない事がわかり、(初期の回だったこともあり)メビウスはのっけからとんでもない苦戦を強いられた事がわかる。
 またヤプール登場編も、「ウルトラマンA」や「ウルトラマンT」でのしつこいほどの登場・暗躍を知っていれば、いかにとんでもない難敵が現れたか、即座に理解出来る。

 だが仮に、そういった知識がまったくない人が見た場合、どうだったか?
 メビウスに登場したバードンは、強さをアピールするための比較対照(ケムジラやゾフィー等)的存在も出ず、またメビウス自身もタロウほどの窮地に陥らなかったため、今ひとつ難敵ぶりが見えて来なかった。
 ヤプールにしても、「A」当時の演出再現こそ多く見られたものの、“しつこさ”や“執念深さ”が充分に描かれたとは云い切れず、極端な言い方をすれば新登場の異次元生物としても成立してしまいかねないような扱われ方だった。

 「彼ら(またはその同属)」が、過去どんな恐ろしい事をしでかしたか。
 防衛軍やウルトラマンが、どれだけ苦戦させられたか。

 「ウルトラマンメビウス」は、これを作品の中で充分に描く事を怠った。
 これが、大きな疑問点だったのだ。

 「事前に知っておくと数倍楽しめる情報」というものはあるだろうが、「あらかじめ知っておかなければならない情報」というものが求められる新番組というのは、どうだろうか?
 「ウルトラマンシリーズ40周年記念番組」と銘打ったからといって、メビウスを観る人すべてが昭和ウルトラの知識を備えていなければならないわけではない。
 同じように、「仮面ライダーディケイド」を観るにあたって、過去の平成ライダーをすべて熟知しておかなければならないという事はなく、またそういった知識があって初めて楽しみがわかる、という造りにして良いということにもならないだろう。

 「仮面ライダーディケイド」第1話を見る限り、最初はディケイド…門矢士の人物像と周辺状況、そして世界に発生した奇怪な事件の描写を中心に描くスタイルとなっていたようだ。
 そのため、終盤のDCDクウガを巡る描写は、ほんの触り程度しかなかった。
 断定的なことはまだ言えないが、もし今後、DCDクウガを描いていくにあたって「オリジナルクウガで登場した設定」の説明(復習?)もなく、そのままライダーバトルに突入→次のライダー世界へ、という流れになってしまったら、これはかなり難儀な状況になるのではないだろうか。
 ヘタをしたら、オリジナルクウガと比べて云々などと言う以前の問題が発生するかもしれない。
 「仮面ライダークウガ」自体、既に8〜9年前の作品だ。
 当時幼稚園だった子供が、中学生になっているくらいの時間が経過しているのだ。
 まして過去9作もあれば、シリーズ途中からライダーに触れた人も多いだろう。
 そうなると、ディケイド本編内における過去ライダーの「復習」は、かなり入念に行なわなければならないのではないか?
 無論、それ自体アレンジされている可能性は高いわけだが、「昔放送した番組だし、DVDも全話出ているんだから、わざわざディケイド内で再説明する必要はないでしょ」とはならない。
 たった30話しかないからといって、それを免罪符にすることも出来ない。 

 ディケイドが、どういう存在と闘い、その能力を得ていくのか。
 その「存在」も含めてちゃんと描いていく事が、ディケイドに求められている本当の「キモ」なのではないかと、筆者は思っている。

 もっとも、ネット上で広まっているネタバレ情報を見る限りだと、今の時点ではそれぞれの過去ライダーのバックボーン描写を行なおうとしている節が見て取れ、一応の安心感は得られそうだ。
 またDCDクウガにしても、第1話終盤だけ見ただけでも、「警察とライダーの連携」「ライダーバイクで駆けつける主人公」「変身ポーズとプロセス」「警察がライダーの正体を知っている」という、クウガ独自の設定要素を上手く簡潔に説明している。

 この調子で、(ディケイド内における)各ライダーの設定が描かれていけば、まさに世界を渡るディケイドという図式が成立し、良い感じにまとまるのではないかなと、期待している。
 けど、第2話ではいきなり地獄兄弟登場!
 彼らに(今度こそ)光がちゃんと当てられるのか、筆者はそこが少しだけ心配だったりする。

【個人的感想(1話)】

 冒頭のライダー大戦のド派手さに圧倒され、思わず何度も見返してどこにどのライダーがどうやって出ているのかを確認。
 前のめりにすっ転ぶアギトの中の人のことを本気で心配してしまったり(マシントルネイダーって大型車両だもんなあ…)。
 とにかく、夢オチとはいえディケイドのとんでもなさ、物語の中核として申し分ない存在感は、十二分にアピール出来ていたと思う。
 そこで惹き込まれるだけで収まらず、歴代ライダーへの変身と戦闘、また久々に「変身ベルト」に強い魅力を感じた。
 よくよく考えれば、ただカードを差し込んで音声が出るだけなんだけど、ただそれだけのものなのに、あれだけの短時間で魅力を覚えさせる造りに、素直に感心。
 実に計算された販促だなあと思ったけど、今後もこの魅力を維持し続けていけるのかな、などとつまらない事を考えてみたり。

 今回注目の過去ライダーフルボッコや、DCDクウガ世界については、個人的に全面容認派。
 DCDクウガに違和感がまったくなかったと言えばさすがに嘘になるが、むしろオリジナルを完全再現された方が不満だったかもしれない。
 むしろ別物と明確に示されたからこそ、こういうのもアリだなと感じている。
 というか、別物と割り切ったんならもっと豪快に改変して欲しいとすら思うほど。

 DCDクウガとその世界が、ただ単にオリジナルの代用なのか、それとも「オリジナルと異なっている点」がきっちり劇中で触れられるのか、そこに注目して待ちたい気分。

 今後も、他のライダー設定がどこまで変化していくのか、それを楽しみに見続けて行きたい。

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