絵柄が古い!

後藤夕貴

更新日:2007年12月23日

 実は最近、筆者・後藤夕貴は当サイト外で修行している。
 とあるジャンルに一時的に籍を置き?、時間の空く限り作品を制作して投稿、そこの住人に評価をいただいて次作に活かすという感じだ。
 ひとえに作品と言っても色々で、絵描きでもあり文章書きでもある筆者は両方のカテゴリで製作・発表をしていたのだが、ここに至って大きな壁に激突してしまった。

 絵柄が、古い!

 昭和の漫画のようですらある!

 ――最近、こんな評価をいただいてものすごくヘコまされている。

 何度イラストを描き、その度に改善しているつもりでも、見る人が見ると古い絵柄で全然新鮮味が感じられないと言われてしまう。
 こちらも出来る限り「古い絵柄と思われる原因」を探ろうとするが、未だに手応えが得られない。
 さすがに自分の絵柄が最新のものだ、などと自惚れていたつもりは全くないが、弱点が把握できない以上改善点も見出せないわけで、既にンヶ月もループにハマっている。

 そこで、ネットで検索してみて他の絵描きさんの思いなどをさらりと拝見させていただいた。
 すると、どうやら筆者と同じような悩みを抱えている人達は多いようだ。
 中には「新しい絵柄」というものを追求する行為そのものに疑問を抱かれる人や、「古い絵柄」も個性の一つであり、必ずしも変える必要などないのではないかと主張する人も居た。
 さらには、比較的年が若い絵描きさんなのに、影響を受けた作品の絵柄が古かったため、本人もその枠にハマってしまったという悲劇を背負った人も居る。
 一言に悩むと言っても色々だが、どうやらその多くは「自分の絵柄をどこまで変えるべきなのか」「新しい絵柄をどこまで取り入れるべきか」という重い課題がのしかかっているためのようだ。

 絵を描かない人にはピンと来ないかもしれないが、既に絵柄を確立している人にとって、それを打ち崩して新しい要素に塗り替える事は至難の業なのだ。
 それまで何年も描き続けて練習し身に付けたものを、自ら全否定するようなものだから。
 新しく取り入れる絵柄が、その人の技量の枠内に収まる範疇であれば容易なのだが、まったく異質なものを取り込んで身につけるというのは簡単ではない。
 心境を例えるなら、幹部または役員クラスまで上り詰めた就職先を自らの意思で辞め、別業種の会社に平社員として就職し直すようなもの。
 特に、長いアシスタント経験を経た人などは、付いていた漫画家の絵柄を吸収してしまっているケースも多く、それをまた別方向に乗り換える必然性に駆られるわけだから並大抵の大変さじゃない。
 もちろん、中にはこれを平然とやってのける人も居るから怖いんだが、とにかく、自分の作品の評価を何より大切にする人にとって、「絵柄が古い」という点はなんとしても見直しを図りたいポイントな訳だ。

 ところで、なぜ絵柄が古いのだろう?
 ここからは多少筆者の主観が混じるが、筆者は「漫画を描こうとした動機になった作品」と「絵の練習時に参考にした作品」によって、定められてしまうのではないかと考えている。
 今はどうか知らないが、昔は創作同人誌などを描いていると「貴方、○○の影響を受けてるでしょう?」といった評価をされる機会が実に多かった。
 これは筆者個人だけの話ではないが、当然筆者も何度も言われている。

 これが、結構デカい。

 例えば筆者の場合、漫画を描きたいと思ったきっかけは手塚治虫の作品の“内容に”感銘を受けたからだったが、実際に絵を描く参考にしたのは最初は「うる星やつら」だった。
 その後、「風魔の小次郎」「コマンダーゼロ」「サイレントメビウス」「BASTARD!!(ごく初期のみ)」と、80年代初期から90年代初期頃の人気作品ばかりを下敷きにして来て、それ以降は(筆者がほとんど漫画を読まなくなったという理由もあり)特に参考にはしていない。
 その後は、アニメの画集やイラストレーターの画集、またエロゲの気に入った画面等を参考にして絵を描いて行った。

 元々少年マンガ系の豪快なアクション物やバトル物、メカ物ばかり好んで描いていたせいもあり、この辺りの枠から逸脱できなかったのだが、今から思い返すとこれがまずかったように感じる。
 やれスピード線だ効果線だトーンワークだベタフラだ背景トレスだ、と漫画技術的なものを中心にとらえ続けてきたため、すっかり「今ではほとんど使われない」感覚が染み付いたようだ。
 また、作画にしても出来る限り緻密に、デフォルメできる所はデフォルメし、簡素と精密を両立させて画面に説得力を持たせるべきだという意識があるため、どうしてもある程度以上凝った絵に拘ってしまう。

 以前はそれで良かったのだが、最近ではこの辺、どうも全否定されているっぽい。

 で、新しい絵柄というものは何か?

 すぐに頭に浮かんでくるものは「萌え絵」だが、これは要するに「省略と強調の美学」の集大成だ。
 身体に対して大きな頭部、少ない線で描かれた髪、骨格無視の大きな眼と、その割に大きく開いた眉間、異常に小さい鼻と大きめな口、ほとんどない服のしわ、凹凸がなく筋肉や骨格の存在を感じさせない人形のような身体。
 こう書くと、まるでSD化したキャラクターみたいにも思えるが、反面、90年代頃までに流行ったマンガ的表現のいくつかは淘汰され、また多少時代逆行要素も含まれているから面白い。

 例えば輪郭。
 さすがに全てがそうだというわけではないが、現在「萌え絵」で良く見られるキャラクターの輪郭は、70〜80年代頃「ホームベース型」と言われていたタイプで、妙に尖った顎や弾力を感じさせない頬などを特徴にしている。
 そして、体つき。
 ここしばらくのロリ絵ブーム(所謂ツルペタ系)の発展のせいか、90年代頃に研究され尽くした「触ると柔らかそうな質感の身体」はほとんど意味を成さなくなり、むしろ硬そうな身体が目に付くようになった。
 しかもこれは、骨筋ばっているという意味ではなく、例えるならフィギュア的な硬さという意味だ。
 体脂肪率がどれくらいなのか心配になってくるぐらいやせぎすなヒロインなどが、ごく普通に受け入れられていたりする。
 それでも中には肉感的なボディをしっかり描いていたり、さほど古さを感じさせない絵でナイスバディを描ける人も居るが、こと「萌え絵」ジャンルに焦点を定めると、そういった特徴が目立つのもまた事実だ。

 面白いのが、眼の形。
 ハイライトの小型化、瞳孔の巨大化、瞳部分の深刻なレンズ化(笑)、顔面上の占有比率。
 また、瞼の描き方もかなり変わっている。
 以前はストレートな二重瞼が基準だったが、今では一重や奥二重が主流。
 一重瞼だと眼が大きくならないという自然の法則は完全度外視のようで、ここにもギャップが(笑)。
 筆者の記憶だと、これらは以前はあまり好まれなかった「没個性的絵柄」の象徴だった筈だ。
 こうやってまとめていくと、あらためて時代の流れの速さと自分の年齢を感じてしまう。
 ううっ…。

 再び持論になるが、一部の「萌え絵要素を取り入れつつも独自路線を開拓しきった」例外的タイプを除くと、これらの絵柄は「描きやすさ」に特化したものだという事がよくわかる。
 これまで絵を描いた事のない人でも真似しやすい「ポイント」の集まりで、そこを取っ掛かりにして昇華させやすくなっている。
 最初は顔、次に身体と描き慣れて行き、それから全体構図や人物以外の物品を加えた物を描けるようになっていく。
 そういうプロセスを踏みやすいのが、「萌え絵」の特徴なのではないだろうか。

 ところが、これらは同時に「深み」を出すのが難しいという欠点も持っている。
 量産性に富んでいるという事は、逆に言えば個性発揮に結びつける事が難しいということ。
 よく言われる「最近の絵柄はキャラクターの区別がつけ辛い」というのは、そういう点にかかっているのではないだろうか?

 もしそうなのだとしたら、これを取り入れたくないとする「古い絵柄の人達」の心境も理解できる。
 というより、筆者自身がモロそのタイプだ。

 これまで必死になってキャラクターの個性を表出させるための努力をしてきたのに、ここに至って没個性化のトリガーを引かなければならないのか? といった躊躇いが脳裏をよぎる。
 単純に「萌え絵」が好きではないという人も居るだろうが、この辺りに巨大な壁が存在しているように感じられてならない。
 壁を乗り越える事が出来るか、あえて乗り越えずその場に留まるか、そこが絵柄改変の重要な踏み切り点なのは間違いない。

 だが、器用な人というのは、壁を乗り越えずとも「穴を開けて向こう側から必要な分だけ取り出す」事が出来たり、また越え切らず壁の上に乗ったままの状態を維持しようとしたり、或いは壁を越えても完全に向こう側に着地しなかったりする。
 こういう人達が、それぞれの時代の「新しい要素」だけを器用に取り入れて成功する「本当に巧い人達」なんだと思う。
 仮に壁を乗り越えて新しい絵柄を手に入れたとしても、数年後にはそれ自体がまた「古い絵柄」になってしまい、新しい壁が出現する事は明白。
 だとしたら、正しい壁との付き合い方を把握した人の方が有利な筈だ。
 今、古い絵柄だと気にしている人達が取るべき態度というのは、こういうものなのではないだろうか?
 趣味で絵を描く程度の存在でしかない立場で偉そうな物言いだと思われるかもしれないが、筆者はそう考えるのだ。

 何故って…現在の「萌え絵」自体、もはやそんなに新鮮味を感じられなくなってきたからだ。

 ――などと。
 テキストで分析結果を偉そうに書き並べていても、絵柄は変わることはない。
 結局は直接絵を描かないと、絵柄の改変も新しい要素の習得もままならないのだ。
 とりあえず、筆者なりに練習をしてみたいと思う。
 恥をしのんで。

 まず、筆者の絵。

オフライン版・九拾八式工房で使用したパッケージイラストです
 これはサイト内で既に掲載しているものだが、自分なりにこの絵の「古臭い(と思われていそうな)要素」を描き出してみよう。  こういったところだろうか?

 筆者は元々サラサラ系の髪の毛を描くのが好きなので、どうしても前髪などを細かく描き込んでしまうのだが、どうもこれはいけないらしい
 今は髪型を「輪郭」として描き、毛の流れやまとまった部分の形はすべて彩色やハイライトで表現するのが主流らしい。
 また、ハイライト自体特定のパターンが存在し、本当の意味での「照り返し」ではまずいようだ(この絵が理想的なハイライトであるかどうかはまた別問題だが)。
 後、意外に「ザンバラ髪」が主流だったりもする。
 アホ毛もそこそこ人気らしいが、これは結構使い方が難しいような気がする。
 リアルタイプのキャラなのにアホ毛をペンペン生えさせても、違和感出るだけだしね。

 目の形は、先にも触れた通りこの絵では古すぎだ。
 長すぎで多すぎる睫毛、緩い瞼のライン、単調な二重瞼、瞳の表現、さらに大きさ。
 眼は表情を司る重要部分なので、出来る限り手を加える必要性がある。
 
 輪郭は、個人的にかなり厳しい。
 この絵はふっくらした頬の女の子にしたかったという考えがあるため、これを変えるのには随分思い切りが要る。
 
 服装・装飾品については、もはや現実の写真やグラビア等を参考にして、自身のセンスを磨くしかないだろう。
 その他、服の皺の描き方なども変える必要があるようだ。
 実線で細かく皺を描き込むのは、もうダメ。
 こちらも、髪型同様実線は服の輪郭程度に留め、皺や陰影は彩色とハイライトで表現する。
 また、時には「ありえないくらい」身体に密着させて描く必要もありそうだ。
 特に女性の胸などは、物理法則や質感を都合よく無視して、乳房の形が浮き出るように描く場合もある。
 「どう考えても最低三枚以上は重ね着している筈なのに、こんなに胸の形が出るわけねー」なんてのは、もはや寝言なのだ。
 貧乳キャラの場合でもこれは例外ではない場合があり、わざとらしく乳首部分だけ浮き出るように描くケースもある。
 一歩間違えたらエロ画のようにも感じられるが、最近はその辺りのボーダーラインがあやふやだからなあ。

 体型。
 これが意外に大きい。
 最近はツルペタ属性のキャラに人気が集まりやすい傾向があるせいか、いわゆる「出る所は出て引っ込んでる所は引っ込んでる」というナイスバディ系体型は表現が難しくなった。
 ウエストのくびれをはっきり描いたり、真円に近いボールのような乳房は、もうアウト。
 最近は「貧乳でもごく僅かな膨らみ」「巨乳乳は少しリアリティのあるライン」が求められているように思える。
 また、胸が大きいのに極端にウエストが細いようなモロマンガ体型も好まれない。
 少なくとも巨乳キャラを正面から見た場合、多少なりともウエストの幅は太くしておかないとならない。

 その他、手の表現なんかも意外に目立つ。
 以前のように、指を一本一本丁寧に描き分けるのではなく、爪の根本のラインを省略したり、隣同士の指がくっ付いているような「要約されたライン」が多用される傾向がある。
 かと思うと、手の表情自体は高度なレベルを求められるようになった感じがする。
 なんというか、手を複雑な形にしながらもラインは簡略化という、相反する要素の導入が求められているとでもいうのか。
 実際には、この辺は描き手によって色々変わってくる部分なので一概には言いまとめられないが、チェックしておく価値はあると思われる。

 その他、モノクロ絵の場合では…

 このようなポイントが目立つ。
 「描き込みレベルを増やせば増やすほど逆効果になる危険がある」という事か。
 先にも記した通り、新しい絵柄は「省略と強調の美学」なので、省くべき部分と手を加えるべき部分の見極めを正しくやっていかなければならなくなったわけだ。
 しかも、その基準はここ十数年で大きく変化している。
 あとは、描き手自身がそれをどこまで認識するかが課題なのではないだろうか?

 その後、ある方面から「立体感を強調しようとすると、古臭く感じられるようになる」という意見を受けた。
 先に触れてきた髪の毛や肉感的な表現、ふっくら感や陰影効果の強調はまさにそれで、今では逆効果だという事らしい。

 要は、「二次元絵に特化するべし」という意味のようだ。
 平面的な線や塗りの方が、新鮮味があるらしい。

 これは受け入れ難いとする人もきっと多いだろう。
 特にエロ系の流れを組んでいて、散々苦労させられた経験のある人とか。
 勿論、立体感を完全排除という意味ではなく、それなりに巧く残す事も出来るだろうが、最近では二〜三段階のシルエット塗装(所謂アニメ陰影塗り)も否定の方向に向き始め、「まず簡素であれ」という方向に進みつつあるようだ。
 個人的には「なんだかなぁ」という気もするが、そういうのが流行ってるなら仕方がない。
 それをどこまで受け入れるかが、課題という事になってしまうのだろう。

 ちなみに、最近は初めて絵を描くのがいきなりCG、という人も多い。
 筆者の知り合いにも、そういう人は結構居る。
 紙媒体で印刷される事を前提とする原稿執筆など、経験どころか真似すらした事がないという人達なのだろう。
 事実、筆者が今年参加した某同人誌企画では、発起人の許に「PC直描き絵は使えますか」という問い合わせが集中したそうだ。
 言うまでもないが、PC上で直接描いた画像は、最初から緻密な計算を行っていない限り印刷に耐えうるレベルに仕上げ難い。
 手にとって読む「本」を作るためには、ある程度以上の精密さが求められる訳だが、それを意識していなかった、または知らなかった人達が多かったから、このような質問がごく当たり前のように寄せられたのではないだろうか。
 これは、PC環境の発展により「絵を描く」事への敷居が低くなった背景があるために起こった事だが、絵の簡略化・技術の簡素化の需要・必要性が求められ始めている影響の一つでもあるような気がする。
 それもそれで一つの文化みたいなものだから仕方ない流れなのだろうが、「元々巧い人が簡略化を進めた新しい絵柄を見出して流行させる」のと、「元々簡略絵から描き始めた人達が、それを主流と唱える」のとは、全然意味が異なる。
 この場合、前者と後者では、絵柄に対する解釈がまるで違って来るのだし。

 以前は当たり前の事だった「絵をさらに巧く緻密に描くために様々な技術を習得していく」というプロセスに否定的な見解を押し付け、現在の流行り絵の“うわべだけを”見て比較する流れも、現在は生まれ始めている。
 そういった見方による「絵柄が古い」という意見を、どこまで受け止めるべきだろうか?
 
 どうせなら、今まで散々苦労してきた物を活かしながら絵柄を改善していきたいものだ。
 わざわざ絵の質を落としてまで、今風の絵柄にする必要があるだろうか。
 そんな意見も、これからは大事になってくるのではないだろうか…と、筆者は個人的に考えている。

 だって、この流れ。
 70年代の劇画ブームが衰退して、ライトな絵柄が流行り始めてからそれが衰退していくプロセスとまるっきりそっくりなんだもの
 結局その後に、またリアル絵ブームが来たわけだしね。
 「北斗の拳」みんな好きでしょ?

 「今風」は大事だし、ある程度は取り入れなきゃならないものだけど、必要なものはしっかり習得して発展させていかなければ、それが廃れてしまった時のフィードバックがデカい筈。
 これが、最近筆者の辿り着いた考えだったりする。

 ……などと、色々えらそうな事を述べている筆者自身はどうなのか?
 生憎だが、いまだ求めるべき方向性が見出せず、ドツボにはまっている状態だったりする。
 とりあえずは、絵柄の雰囲気が少しでも変わり、見た目の印象が新鮮になるように心がけているつもりだが… さて、どんなものだろう?
 少しは違和感が薄れていると良いのだけど。
 もっとも、立体感の強調は個人的趣味だから、止めたりはしないけどね♪

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 えっ、「言ってる事が全然反映されてない! 真面目にやれ!!」でありますかっっ!!

 道は果てしないなあ…もっと練習します。

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