流れ橋

後藤夕貴

更新日:2007年2月18日

 今回は、今までにない題材を扱ってみました。


 京都府八幡市上津屋。
 ここに、一部の人には大変有名な名所・上津屋橋(こうづやばし)があります。
 八幡市と久世郡城陽市久御山町佐山を分ける木津川に架かっており、全長約356.5mと現存している木橋としては最長級のものです。
 最も、ギネスに認定されている本当の最長木橋は静岡県島田市の大井川に架かる蓬莱橋(897メートル)らしいので、ちょっと歯切れの悪い表現になっています。

 上津屋橋はただの木橋ではなく、ちょっと変わった構造になっているのが特徴です。

 
 どう変わった構造の木橋なのかというと、増水時の木津川の流れに逆らわない構造になっているのだそうです。
 増水して川の水が橋板まで届くと自然に橋板が浮かび、八分割されて流れに乗る仕組みだとか。
 それぞれの橋板は極太のワイヤーで結ばれており、水が引いた後にこれを手繰り寄せて橋板を戻すのだそうです。
 そんな構造のため、見た目もよくある橋とはかなり異なっており、とても古めかしい単純構造のように見えてしまいます。

 この上津屋橋はその構造やスタイルから「流れ橋」と呼ばれ、時代劇などのロケで多用されている場所なのです。
 でも、これが作られたのは昭和26年だと言いますから、印象に反して意外に? 新しいですね。

 で、筆者も行って参りました。
 この「流れ橋」に。

 なお、今回のコラムはいつもとは別なベクトルでマニアックになっています。
 時代劇に詳しくない方にはピンと来ない点も多いと思われますが、ご容赦ください。
 …もっとも、例に挙げているのはほとんど必殺シリーズのみだけどね。 
 
 上津屋橋は、二つの町を繋いでいる重要な交通路なので、実は結構交通量が多いです。
 と言っても、自動車は当然通行不可なので自転車やバイク、または歩行者の話ですが。
 この日も、一時間半の滞在時間の間に結構多くの往来が見られました。
 なるべく人が見えないタイミングを見計らって撮影したので、人通りゼロに見えますが全然そんな事はありません。
 自転車でもバイクでも、この橋を渡ると橋板が弾んですごい音がします。

 それにしても、橋の欄干がまったくない上にすごく高いので、落下事故が心配です。
 橋板の端には落下を防ぐ役割を果たすものもない上に、橋板の幅も3.3メートル程度しかありませんから、泥酔している人は渡らない方がいいかも?!

 とりあえずわかる事は、中村主水が腰を下ろして遥か向こうを眺めた橋は、ここではないという事が判明しました(笑)。
 京都・嵐山の中ノ島橋辺りのイメージなんだろうな、多分。
 
 流れ橋へのアクセスは。
 JR京都駅を中央口(京都タワーのある方)から出て、駅に背を向ける形で烏丸通りを真っ直ぐ進みます。
 烏丸七条という大きな交差点に出たら、ここを右折します。
 ここを曲がらずに真っ直ぐ行くと、すぐに「東本願寺」が見えてきます。
 そんなに離れてはいないので、ここでちょっと寄り道するのもテですね。

 右折した路は七条通りという名前ですが、ここをとにかく真っ直ぐ進みます。
 進行方向左側を歩いた方が良かったと記憶していますが、どっちを歩いても問題ありません。
 しばらくすると「鴨川」を跨ぐ七条大橋に差し掛かりますが、まっすぐ渡り切ります。
 橋を越えるとすぐに大きな交差点にぶつかりますが、ここの角から「京阪電気鉄道・京阪本線七条駅」に入れます。
 地下鉄みたいな駅ですが、決してそういうわけではありません。
 ここまでの所要時間は、感覚ですが徒歩でせいぜい15分前後くらい。
 駅で場所を尋ねるとかなり高確率でタクシーを奨められますが、そんなの必要ない程度の距離です。

 ここから淀屋橋方面に乗り、11つ目の「八幡市」で下車。
 さて、ここからの向かい方が問題です。

 まず先に、天気を確認する必要があります。
 なぜかというと、天候によって移動方法と所要時間、そして交通費が格段に変わるからです。
 もしその日が雨だったりしたら、恐らく所要時間と交通費は晴れの日の数百倍から数千倍以上に跳ね上がります。

 …いや、誇張じゃなくって、マジで。

 そして、もう一つ体力の確認も必要です。
 仮に晴天だったとしても、もし貴方が体力に自信がないとか、疲れるのは嫌いだとか、何かしらの理由で身体を動かせない場合は、やはり雨の日同様の負担が生じます。

 流れ橋に行くためには、八幡市駅から「バス」または「タクシー」を利用するのが一般的です。
 ただしバスは待ち時間が異様に長いです。
 行ってみるとわかるのですが、八幡市はとても素朴で平穏な…ぶっちゃけい○かなので、移動頻度の高い交通機関は不要なわけです。
 筆者が午前11時くらいに着いた時点では、一時間以上の待ち時間がありました。
 京阪宇治交通バス・上津屋バス停から徒歩5分との事なので、もしタイミングよくバスに乗れたら試す価値はあるかもしれません。

 タクシーだと、聞いた話ですがだいたい片道1000円以上は軽くかかるそうです。
 実はタクシーは利用しなかったので、この情報は大変アバウトなのですが、帰りの事も考えるととても大変なので、あまり推奨はできない移動方法です。
 まして、流れ橋からタクシーを拾える場所まで移動するのもなかなか困難なので、実はちっとも有効ではなかったりします。

 では、どうすればいいか。
 ここで、体力の有無を確認した意味が出てきます。

 そう、「歩く」か「自転車をレンタルして走る」という手段があるのですよ!

 八幡市駅では、観光客用にレンタル自転車を用意しています。
 保証金として最初に1000円払わなければなりませんが、これは返却時に戻って来るので実質的に無料で利用できます。
 そう、だからバス代やタクシー代と比較すると何百倍以上も違うわけです(笑)。

 …えっ、ゼロは何倍してもゼロだろうって? うるさいなぁ。

 とにかく、このレンタル自転車を借りる際に目的地を告げると、最適なサイクリングコースや流れ橋周辺の休憩所を紹介してくれます。
 手書きですがわかりやすいマップも配布してくれるので、路に迷うという事はほとんどありません。
 距離は、駅から約6キロ。
 自転車で片道だいたい30分くらいですが、時間制限はかなりゆとりがあるので、の〜んびり、ゆ〜っくり、ま〜ったり橋っても全然問題ありません。
 流れ橋までのサイクリングコースは自転車専用路で、一旦コースに入ってしまえば後は車を気にしないで走れます。
 ただし、コースの両脇は草が生い茂っているため、季節によってはショウリョウバッタが道路を横切ったりします。
 筆者が出向いたのは八月末日でしたが、片道だけで十数回!! は見ましたぜ。

 多少があったりはしますが、この十年間ほとんど自転車に乗った事がなかった筆者でも、余裕ぶっちぎりで移動できましたから、「虫刺されにさえ気をつければ(季節限定)」移動はさほどきつくはないと思われます。
 なお、徒歩だとだいたい一時間半くらいはかかるそうです。
 時間と体力にゆとりがあるのなら、それもまた良い選択肢かもしれません。

 二箇所ほど勾配を越え(別な道路と交差している箇所)しばらく走っていると、進行方向左手に、流れ橋が見えてきます。

 
 初めて見えてくるその光景は、思ったよりも低く、思ったよりも長いという不思議な感覚。

 この時点でもう感激なのですが、ひとまず先を急ぎましょう。
 
 サイクリングロードから土手をくだり、橋の渡り口に到着。

 おお、ついに辿り着いた流れ橋!
 京都駅からの交通費が、京阪本線のみというのも嬉しいところです。
 時代劇の有名ロケ地にして、その人が好きな作品次第で様々な感慨を与えてくれる素晴らしい場所…それが流れ橋!
 この日は大変な晴天で、実に撮影日和でした。
 ただし、当然ながら気温も高く、確か28度以上はあったように記憶しています(もっとあったかな)。

 
 周辺には太陽光線を遮る遮蔽物はほとんどありませんし、自販機もお店もありません。
 ただ本当に、大きな川と、大きな橋があるだけです。
 ですから、季節によっては飲み物や食料は持参した方がいいでしょう。
 もちろん、ごみはきちんと持ち帰りましょう。
 ごみ箱だってないんですから。

 炎天下にも関わらず筆者はここに一時間半以上も滞在し、撮影しまくっておりました。
 暑いのが好きな筆者だから出来た事かもしれません。
 普通の人や身体の弱い人は、夏場はくれぐれも注意が必要ですね。

 この日は、残念ながら橋脚の真下(中州)へは移動が出来ませんでした。
 手前に川の一部が流れており、分断されていたわけです。
 勿論、無理すれば渡る事は充分可能でしたが、この時は周囲に人も居ましたし、この後も色々な所を移動する用事があったためヘタにケガをするわけにもいかず、泣く泣く断念しました。

 木津川の中洲は、それまでの川の流れ方によって大きく変化するようで、時期によっては渡る事も可能なようです。
 「必殺シリーズ」各作品でロケに使用された際は、中州での撮影がかなり頻繁に行われていました。
 「恐怖の大仕事 水戸紀伊尾張」で、中村主水と坂東京山の出会いのシーンや、「新・必殺仕事人」第一話「主水腹が出る」でのおりくと勇次の会話シーンなどが印象的ですね。
 
 では、早速橋の上に移動してみましょう。
 ここは、筆者が小学生の頃から来たくて仕方なかった場所。
 実に約27年越しで夢が叶いました!
 もっと早く行けばよかったのに、は禁句の方向で(笑)。
 
 橋板の上から、下を見下ろしてみました。
 目測5〜6メートル?!
 間違っても落ちたくない高さです。
 しかし、「必殺仕事人」最終回「散り技仕事人危機激進斬り」のラスト付近の解散シーンでは、なんと秀(演・三田村邦彦氏)が吹き替えなしでここから飛び降り、その後中州を走り去るというシーンが存在します(ロングで飛び降り→そのままカットなしで画面手前まで走ってくる)。
 着地点では砂も飛び散っていましたから、多分クッションマット関係はなし。
 それってかなり怖いです。
 
 ところが、よく見るとこの回の橋脚、現在とは随分高さが違っているみたいです。
 なんだか半分以下くらいしかないように見えます。
 当時(約26年前)は、土手の周辺形状が今とは大きく違っていたようです。
 かと思うと、「旅がらすくれないお仙(68〜69年)」オープニングラストに映っている橋脚はこころもちそれより若干高いようなんですよね(お仙とお銀の身長から比較して推定3.5メートルほど?)。
 しょっちゅう改修されるからなんでしょうけど、なんだかとっても不思議に思えます。

 「必殺仕事人」最終回「散り技仕事人危機激進斬り」のラスト付近の解散シーンや「助け人走る」最終回「解散大始末」で龍が落下したのもここ。
 御大は、変身前も変身後も高い所がお好きだった様子です。<違
 
 見下ろしたついでに、橋脚やその周辺もついでに撮影。
 橋を挟んで左右で様子が全然違います。
 
 欄干がないため、この見下ろし撮影もかなり怖いものがありました。
 筆者は、片足をワイヤーの敷かれた部分に強くあてがい、それをつっかいにして上半身だけを乗り出して撮影していました。
 
 デジカメだったからいいようなものの、アナログカメラでフレームを覗き込みながら撮影していたら、簡単に落下しちゃったりして?!
 
 橋板の表面をよく見ると、ところどころにボルト・ナット状の金具が埋め込まれていました。
 
 橋板の中央辺りまで移動し、八幡市側からみて右手方向を見てみました。
 本当に荒涼とした光景で、まさに時代劇にうってつけの光景だとあらためて実感。
 
 この中州は、よく殺陣のシーンなどでも利用されています。
 「THE必殺」の石亀が行った「地潜り」は、ここを利用しています。
 (穴を掘ってカゴを埋め、その中に斉藤清六氏を入れて上から砂を被せたそうです)
 
 今度は左手側を。
 遠方に道路やビルが微かに見えるのですが、これくらいなら全然許容範囲。<何の?
 晴天だからとても清々しくも感じますが、これが曇りだったり雨だったりしたら、どんな光景になるのやら?
 先述の、橋板を手繰り寄せる際に使用する「ワイヤー」。
 この撮影をしていた時点では、このワイヤーの意味がわからなかったので、てっきり補強用の何かだとばかり思っていました。
 時代劇でこの橋板の辺りを撮影する際、あまり目立たないように工夫されているのかな…と思ったら、全然そんな事なくワイヤーもボルトも普通に写されてました。
 まあ、遠目に見たらあんまり近代的には感じないからいいか。
 
 一方、(今回の撮影での)対岸にあたる城陽市側に移動してみると、橋下の様子ががらりと変わります。
 
 八幡市側にあった川よりずっと大きな川が流れていました。
 これが、この時点での木津川本流みたいですね。
 
 当然、こちらから中州に渡る事はできません。
 筆者でも流されていく自信があります(笑)。
 …いえ、意外に流れが早かったもので。
 

 
 城陽市側へ渡り、橋脚付近まで降りて撮影。
 少しだけ急な土手ですが、問題なく降りられるレベル。
 この日も、小さなお子さんを連れたお父さんが遊びにいらしてました。
 八幡市側から見た光景とは、まるで違う表情!
 
 こちら側の橋脚はコンクリート製。
 昭和40年代の改修でこうなったそうなのです。
 
 橋板を下から見上げると、こんな感じ。
 これは城陽市側からです。
 先の事情から、八幡市側からこのアングルを撮影するのは無理でした。
 
 城陽市側へ渡り切り、少し坂を上ってから流れ橋を撮影。
 こちら側は、橋周辺に緑が多いので随分違って見えます。
 
 城陽市側にある立て札。
 訪問される方も気をつけましょう。
 
 で、一言に356.5メートルと云ってもどれくらいの長さになるのか、感覚では今ひとつ分かり辛いですよね。
 なので、城陽市側から八幡市側へ向けて歩いてみました。
 時間を計ってみると、片道はほぼ五分ぴったりかかりました。
 平均的な身長と体格の筆者が、出来る限り早足にならないよう意識して歩いて、これくらいです。
 もちろん、三往復くらいした結果の平均時間です。
 五分間の徒歩って、感覚的には結構な距離ですよ。
 あらためて、流れ橋のすごい長さを実感させられます。
 
 夢もチボーもない種明かし?ですが。
 「仕事人」最終回ラスト、畷左門が美鈴を連れて江戸を去っていくシーンでもこの橋が利用されましたが、その際、左門達は城陽市側側から八幡市側に向けて移動しています。
 果たして、左門と美鈴が見据えた旅路の先は、どんな光景だったのでしょうか?!

 ↓答えは、こんなの。
 
 なんか、果てしなく真っ直ぐの路が続いているかのようなイメージがありましたが、実際はサイクリングロードの敷かれた土手でした(笑)。
 その後京阪本線に乗った左門達は国鉄(当時)京都駅へ移動し、そこからローカル線で日本海側に渡り(ぇ)、真冬の海辺を歩くわけです。
 どこに落ち着いたのでしょうね、あの二人は…?!
 
 上津屋橋。
 京都府の府道の一部で、修復は京都府山城北土木事務所道路計画室が担当。
 かつては府営の渡し舟がありましたが、1951年3月に廃止されたため53年3月に仮設されました。
 ところが、同年8月15日の豪雨で早速第一回目の損壊被害が発生。
  2004年8月4日の台風11号の被害で橋板がめくれ上がり、かなり大きな損壊がありました。
 また2005年1月10日には火災事故があり、一部損傷。
 3200万円もの修繕費が導入され、同年4月21日まで通行禁止にされていたそうです。
 先の立て札は、これにちなんだものでしょうね。

 全73基の橋脚のうち、城陽市側17基がコンクリート製。
 建設されてから十数回の損壊被害に遭っていますが、実は当時は予算の都合もあって近代的な造りに出来なかったという側面もあったそうです。

 1966年、国道一号線に架かる木津川大橋が完成しましたが、流れ橋はその下流約2キロの位置にあるせいか、利用価値は現在も高く、先の通り(自動車を除く)交通量は今でも多いです。

 とにかくこういうスタイルの橋なので、重要文化財の一つだと勘違いしている人が多い様子。
 かくいう筆者も、かつてはその一人でした。

 毎年四月末の日曜日には「時代劇祭」が開催され、東映京都撮影所のスタッフが参加者に着付けやメイクをしてくれるそうです。
 参加費はだいたい三万円前後くらい。
 近くにある「やわた流れ橋交流プラザ」にて詳細確認が行える模様です。

 ちなみにこの「やわた流れ橋交流プラザ」は休憩所としての利用価値大。
 食事も出来てしかもおいしいので、オススメ(ひつまぶし定食が美味かった♪)。

 ――流れ橋。

 資料によると、1964年映画作品「大殺陣」にて、水戸街道として利用されたのを皮切りに、数多くの時代劇のロケ地として利用されてきたそうです。
 特に80年代の利用が多く、この頃よくテレビを見ていた人は、たとえ時代劇マニアでなくても何度か目に触れる機会があったと思われます。
 特撮作品でも、東映映画「とびだす冒険映画 赤影」のオープニングで利用されていました。
 単に橋を映すだけでなく、橋脚部分だけを利用して関門にしたり、台風で破損した状況を利用したりした例もあったといいますから、想像以上に広い撮影バリエーションを生み出した事になります。

 今回は中州に入れず、理想的なアングル撮影が出来なかったという遺恨が残ってしまいましたが、いずれまた訪問し、その時こそこの「流れ橋官能写真集」を完全なものにしたいと思う次第です。

 …え、「官能」ってなんでかって?

 このページの表題を確認すればわかりますよ(笑)

 おまけ

 今回の京都旅行の目的は、時代劇ロケ地巡りでした。
 必殺シリーズマニアとして、実に感無量な旅となりました。
 以下に、別な場所で撮影してきた写真を掲載しておきます。

 南町奉行所正門。(大覚寺・明智門)

 

 

 その他、大覚寺いろいろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よく出てくる謎の小屋(大覚寺・護摩堂)

 

 

 料亭脇の小川とか(大覚寺・御殿川)

 

 

 「仕事人」で半吉が斬り殺された場所(大覚寺・有栖川)

 

 

 嵐山・中ノ島橋。

 

 長崎の出島の入り口の橋の下(笑)(中ノ島橋下水路)

 

 …どういうルート辿ったのか、わかる人には一目瞭然だなあ(笑)。
 

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