気がつくと、意外なところで死語がどんどん増えている。
かつてはごく自然に通用した単語や言い回し、表現が通用しにくくなっているという事だ。
先日、仕事場の同僚が、別な同僚と話をしている時に「
テレビのチャンネルを回して」と言いつつ、手でダイヤルをひねるようなジェスチャーをした。
もちろん、無意識に。
で、話していた相手に「今時その手つきはないだろう」と突っ込まれたが、本人は無意識でやっていたらしく、変に慌てて言い訳していた。
そんな光景を見ていて、思わずこちらもつられて笑ってしまったが、よくよく考えると、この表現って今はどこまで通用するのだろう?
チャンネルを回す、という言葉の意味はなんとなく通じても、手を回すジェスチャーはどうだろうか?
言うまでもない事だが、今のテレビはほぼすべてがリモコンで、テレビ本体に直接手を触れてチャンネルを変える事などほとんどない。
せいぜい、初期設定時かリモコンの電池が切れてしまった時くらいだろう。
二十年以上前、まだテレビのチャンネルがダイヤル式だった時代を知らなければ、先の話のジェスチャーの意味はわからない。…筈だ。
でも、多分なんとなくニュアンスで、ダイヤル式テレビを知らない世代の人にも通じるような気がしてしまう。
だけど、いずれは絶対通用しない時期が来るのだろうなあ。
実は、昭和四十年代中期生まれの筆者も、そんなにダイヤル式テレビと縁が深くなかったりする。
筆者が小学生になる頃…だいたい80年代になろうとする頃、すでに家にはビデオもあったし、テレビも複数あるのが普通という感じになっていた。
その頃、テレビはすでにリモコンか、ボタン切替式になっていた。
ボタン切替式というのは、チャンネルを変えるためにテレビ本体に触れないといけない事は変わりないが、ダイヤルではなく、縦に並んだチャンネルのボタンを指で押すというタイプだ。
ボタンを押すと、その脇にあるチャンネル表示が点灯し、今何チャンネルが映っているかが表示される仕組みだ。
そしてリモコン式は、これが遠隔操作で切り替わるというもので、本体に触れてもいいし、面倒ならリモコンを使ってもいいという二択式(笑)だったわけだ。
で、現在はこのリモコン式が主流になり、本体に触れるような機器はほとんど消滅した。
このボタン式自体、とっくにレトロの仲間入りを果たしている。
しかし、これが現役だった当時、すでにダイヤル式も引退目前だった筈なのだ。
先の話で、ダイヤルを回るジェスチャーをしていた人達は、筆者と同年代だった。
だから、どちらにも「昔はダイヤル式のテレビがあった」という認識があった筈。
しかし、本当にダイヤル式テレビに慣れ親しんでいた世代は、もうちょっと上の世代の筈。
そう考えると、この「チャンネルを回す」という表現、案外しぶとく生き続けているのだなあ、などと思わされる。
全然関係ないが、さらに昔、まだリモコンテレビどころかボタン式テレビすらなかった時代、有線式リモコンを取り入れたダイヤル式テレビというものが存在したそうだ。
テレビからにょろっと伸びているリモコンを操作すると、まるで透明人間が回しているかのように、テレビのダイヤルがガチャッと切り替わったそうで、たいそう不気味な逸品だったそうだ。
「よく考えたら、これってもう死語では?」という言葉は、他にもある。
たとえば「ベル待ち」。
これは、携帯電話以前普及していた「ポケベル」に関する言葉だ。
ポケベルを持っている人に用事のある人が、電話をかけ、特定の操作で簡単なメッセージを送る。
それをポケベルで受け取った人は、メッセージに従って電話をかけ、連絡を取るというものだ。
メッセージを伝える機能のなかった物もあったようだが、とにかく携帯が本格的に普及するまで、これは便利な通信(補助)アイテムとして活用されまくった。
「マスターモスキートン'99」の主題歌「The Power of Love」の歌詞冒頭に「初めてのデートの帰りに寂しくなってベル待ってる」というものがあるが、これが放映されていた97年から98年にかけては、そろそろポケベルが携帯に押され始めてきた頃だったので、気がつくと、ポケベル全盛期からもう十年近く経つことになる。
こういう、中途半端に古い時代のものが、それより古い筈の物より古臭く感じる事は多々ある。
とりあえず、知人と待ち合わせの約束でもした時に、「じゃあ、ベル待ちしてるから何かあったらよろしく♪」とかさらっと言い出してみよう。
相手は「?」と思うか、思い切り退くか…意外に見物かもしれない。
筆者ならドン引きだなあ。
もっとも、ポケベル使った事のない人には全然通用しないギャグだろうが(笑)。
「ナウい」とか「イマい」なんて、今聞くと身震いするほどだが、「マブ」という言葉はご存知だろうか?
これ、「本気」という文字にかかる言葉だ。
今では「本気と書いてマジと読む」とアフロ軍曹でも歌われている通りなのだが、遥か昔、「本気=マブ」が常識だった時代がある。
もちろん、筆者よりも遥か上の世代の人達の話だ。
いわゆる、ヨーラン背負って駅のホームまたいで別なガッコの野郎とガン付け合ってタイマン発展させたりしてたような、古生代に該当する「不良御用達」の言葉なのだ。
用法としては「あのマブいスケがよ〜」とか「おう、俺はいつでもマブだぜ」とか…ああ、書いてて鳥肌立ってきた。
他にも「マブい」という使い方もあった。
これは「マブ」は「マブ」でも意味が違っていて、「眩しい(くらい綺麗・美人・素敵)」という意味らしい。
主に女性へのホメ言葉で使われたようだ。
これを応用して「マブいジャ〜〜ん!」なんてものにしてしまうと、もはや寒いを通り越して一気に氷点下へ突入だ。
口に出して言ってしまったら、即抹殺されても文句は言えまい。
筆者なら、誰かがこれで呼びかけてナンパに成功したなんていう人が今居たら、「華麗まんてん」でオプションダブル全乗せカレーを奢ってもいいと思っている。
たとえ嫌がっても無理矢理食わすけどな(笑)。
ところが、実は「マジ」の方も、結構古くから存在している。
筆者が確認した限りでは、80年代初期の作品にはすでに使われていた(残念ながら作品名は失念)から、すでにもう25年以上経過していることになる。
それより古いんだから、「マブ」は死語どころか超死語に該当するだろう。
完全に死に絶えた言葉……あれ、ちょっとまてよ。
最近、目にしたぞ、マブって…
あ、
マブラヴ
まぶらほ
ゲームにアニメかい!
誰だ、こんな死語に無理矢理延命措置かけようとしているのは!!(違)
え〜と……マーブルマッドネス。
違うなあ。
そういえば、他にも「ハクい」とかいう表現もあったけど、あれってどういう意味だったかな?
「ダイヤルを回す」という表現もあった。
これは電話をかける意味の表現だが、すでにダイヤル式電話がなくなって久しい現代において、本来これは通用しない筈の言葉だ。
だけど、さりげにぽろっと使われていたりする事がある。
「ダイヤルを回す」という表現は、歌の歌詞などによく使われていた。
その場に居ない誰かに電話をかける、という動作は様々な心情を間接的に表す表現として最良で、なんとなく良い雰囲気(というかイメージ)を与えるのだ。
「ダイヤルを回す指が〜」とか、そんな感じで使うと、なんかぐっと来る。
でもこれが「ボタンを押す指が」とか「携帯が〜」とかになると、いきなり情緒がなくなる。
死語の筈だけど、需要がそれなりにある特殊表現、といった感じだろうか。
え、「指の震えを抑えつつ、僕はダイヤル回したよ」という歌詞のどこに情緒があるかって?
何ですかそのフィンガー5?
ここまで書いた時、ふとルイルイさんから「チョベリグとかチョベリバってどうでしょう?」という連絡をいただいた。
チョベリバ!
うわあ、背筋にナメクジが数十体這い回るような悪寒!!
解説を書くのもおぞましい気がするが、これは「超」「ベリー」「バッド(またはグッド)」の略語で、確か90年代半ば頃に流行った(?)コギャル語だった。
筆者がこれを耳にしたのは、95〜96年頃。
当時の仕事場の女の子に、「チョベリバって知ってますか?」と尋ねられたのが最初だった。
その後、意味を教えてもらったんだけど、その瞬間から背筋にナメクジだった。
なんというか、コギャル語って死語になりやすいというか、むしろ「死語の宝庫」なんではないか、とすら思わされる。
ちょっと外れるけど、「パラパラ」なんて、今更口に出すのもはばかられるものがあるしなあ。
…あ、「ジュリアナ」なんてーのもあったか。
コギャルじゃねーけど(笑)。
最後に、死語ではないけれど、すでに死臭を放ち始めている単語について触れたい。
「イケメン」
個人的な印象で申し訳ないのだが、なんとなくこれ、いつか口にするのもはばかられるくらいの超絶死語になるような気がして仕方ないんだよな〜。
というか、筆者は最初にこの言葉を聞いた時点で、すでに「これ死語?」と思ったほどだ。
なので、今現在普通に通用している事に凄まじい違和感があったり。
こういう、実にわかりやすい単語の組み合わせって、いざ死語になると強烈な死臭が漂うものだったりするから。
イケてるメン(menまたは面)……激しくダサい!
以上、ここに挙げて来たジェスチャーや死語を、今でも平気で使ってしまってたり、或いは「これのどこが死語?」と思うものがあったりしたら、その人はかーなーりーヤバイ気がする。
「チョベリバなんてたった十年前くらいの言葉でしょ、全然死語じゃないよ。俺普通に使ってるもの」
なんて言う人は、一度自分が周りからどのように思われているかを、冷静に見直してみるべきだと思う。
いや真剣に。
もし、つい口に出してしまったり、思わず身体が動いてしまったら、それを即座に「ギャグだよ、ギャグ」と周囲に感じさせるように誤魔化すべきだ。
さもないと、単なるダサいおっさん(またはおばさん)呼ばわりされても文句は言えないぞ、と。
って、あれっ。
「ダサい」って、もうとっくに死語だよね、これって以下略
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