意外かもしれませんが、本部長は若い頃は結構な映画マニアでした。
社会人になってからは、忙しさにかまけて新作の類は殆んど観なくなりましたが、大学時代は多いときで日に3本、少なくても週に5本とまさに「暇さえあれば」映画を観まくってました。
当然、それだけの本数となると、いくら暇な学生といえども全て映画館で、とはいきませんので、自然とビデオ鑑賞に頼らざるを得なくなります。
いや、頼るというより“その日の気分によって見たい映画が選べる”ビデオ鑑賞は本部長にとって、映画館でのそれよりよっぽど快適でしたし、レンタルビデオの存在は本当に重宝しました。
現在では当然の如く存在するレンタルビデオですが、初のショップ登場は1983年とわずか二十数年前。
それ以前は映画に限らず、TVで録画したもの以外では、“見たい映像が好きなときに観られる”という、今や当然な願望さえも満足に叶える事ができなかったのです。
セルソフトは既に存在しましたが、当時の価格は映画でメジャータイトルなら15,000〜20,000円、30分モノでも9,000円かそこらはしましたから、よほどのお金持ちでない限りソフト購入は無理。
ですから、本当の意味で「観たいものが好きな時に観られる」環境ができたのは、レンタルビデオの出現からといえるでしょう。
本部長の地元、大分にレンタルビデオができたのはやはり1983年、中学1年生の時。
ちょうど、我が家に初めてのビデオデッキがやって来て1年後でした。
しかし、当時の大分は民放がわずか2局。
いくら、予約録画で不在時のオンエアをフォローできるといっても、「観たい番組」の放送数そのものが少なかったのです。
ですから、TV放送に依存せずに好きな映像作品が見れる環境の登場は、まさに願ってもない事でした。
折りしも、当時はジャッキー・チェンの映画が大ブームだった時代。
…いや、正確にはブームは下り坂に入った所だったんですが、本部長と一部の友人達は相も変わらず「ジャッキー、ジャッキー♪」な日々を送っておりました。
レンタルビデオの登場によって、大分のTV放送ではフォローしきれない旧作はもちろん、TV未放映の新作まで自宅で観れるというのは、何物にも変えがたい喜びだったわけです。
家からショップまでは約5kmほど離れてましたが、そこは自転車さえあればどこでも行ける中学生ですから、そのくらいの距離は何の障害にもなりませし。
しかしながら、映像商品のレンタルがまだ目新しく、経営のマニュアルなど存在しない時代。
そこでは、新規の市場を手探りで開拓しようとする前向きな経営姿勢…というより、前例がないのをいい事に「何でもアリ」な経営がまかり通ってました。
今回は、そんなレンタルビデオ登場初期の実態の話。
さて、当時はレンタルショップを利用する際に、どのくらいの金額がかかったのか?
まずは入会手続きが必要なのは今も昔も変わりませんが、昔は新規会員の入会金の相場が1,000〜2,000円、それも一年単位で再入会せねばならず、その都度入会金が発生するわけです。
今じゃ年会費なんて取る店の方が少ないかもしれません。
まあ、事故保険は年間でとられることありますが、それだって300〜500円程度ですから、もうスタートの時点で全ッ然かかる金額が違ったわけです。
実際、当時中学生だった本部長は初めてビデオを借りようとした時、この入会金の持ち合わせがなかったためビデオを借りる事ができず、後日、金の工面をして再び足を運ぶ羽目になりました。
もっとも、この会員制というのは初めての体験だったので、最初に入会したときは妙に大人になったような感覚を持ったものです。
メインのレンタル料も、相場は一本800〜1,000円、1,000円を超すショップも普通に存在しました。
なんせ「500円レンタル」なんてものさえ、話題になるのはまだまだ先の事です。
しかも、貸出期間は新作、旧作を問わず1泊2日のみ。
現在のように、貸出日数を“当日,1泊2日or2泊3日”と料金によって選択できるわけではなかったのです。
入荷から一定期間過ぎた作品さえ、7泊8日でのんびりレンタル、なんてわけにはいきません。
当時はまだショップ自体が少ない事もあり、ユーザーも映画館より安ければ十分お得、という感覚があったとはいえ、ビデオを返しにいく手間を考えたら、遠方から借りに来た人はちょっと割に合わなかったんじゃないかな? と思います。
この金額だと、中学生だった本部長の小遣いでは、レンタルできる本数も多くて月に2〜3本がいいとこです。
ですので、ビデオを借りに行くときは必ずジャッキー(趣味)の合う友人1〜2人と示し合わせ、1人1本ずつレンタルして、それを誰かの家でまとめて観賞する、という方法をとってました。
3本借りると、映画の長さが1本2時間として、最低6時間は視聴時間が必要となります。
本部長も友人も部活動を行っていたので、平日や土曜日(まだ休日じゃない時代ですから)にこれだけの時間は捻出できませんし、極端に遅い時間まで誰かの家にお邪魔し続ける訳にもいきません。
ですから、レンタルビデオを借りるのは日曜祝日のみ、それも返却は翌日の登下校のついでに、とはいきませんから観終わったら即、返却に向わねばなりませんでした。
観賞後の余韻に浸るどころか、最後の1本は返却の手間を思って憂鬱になりながら観てた気がします。
借りに行くときはワクドキですけど、返しに行くときは何の楽しみもないですからね。
まあ、大勢で観るというのも盛り上がる観賞方法ではありますから、悪い事ばかりではないんですけどね。
更に、アダルト系はどの店も、上記の相場よりさらに割高に設定してました。
いえ、もちろん当時未成年の本部長が借りたわけではないですが。
あの頃はアダルトコーナーに仕切りがなく、一般作を並べてる棚の背面にそのまんま陳列してましたから、見る気がなくても目に入っちゃったんですよね。
貸し出される商品についても、各ビデオメーカーと正規の契約をしているお店ばかりではありません。
なんと、商売モノであるレンタル用のテープを、全てコピーテープで賄ってるトンデモナイ店(当然、違法です)も結構存在しました。
それでも、パッケージをカラーコピーして陳列してりゃ、まだ見栄えもそれなりにしますが、テープの背ラベルにタイトルを走り書きしただけ、なんて代物を無造作に商棚に並べてる店もあったり。
当時のデッキの性能から考えても、ダビングしたテープの画質はマスターより激しく劣化してるはずなんで、かなりの粗悪品で商売してた事になります。
チェーン展開のショップだけでなく、個人経営の店でもそういうのがざらにありましたから、もしかしたら同業者同士で業務用テープの使いまわし(コピー)が行われていたのか、あるいは卸し元が普通にコピーテープをショップに卸していたのか…。
そういうお店がいかがわしさを感じさせる事なく、さも当然の如く存在したんです。
さらに、レンタルビデオにはレンタル以外のもう一つの収入源もありました。
正規、違法ショップを問わず殆んどの店が、これまた違法であるはずの「ダビング作業」を受け付ていたのです。
それも、いけしゃあしゃあと看板で「レンタル○○円、ダビング○○円」と謳って。
相場は大体、3,000〜5,000円くらいだったと記憶してます。
これがテープ代別の場合、更に1,000円かそこらの費用がかかってしまうわけですから、随分割高に思えますね。
それでも、前述の通りソフトがまだまだ高価だった事や「見たい映像がいつでも観られる」というのがまだ新鮮な感覚だった事から依頼は結構あったようです。
こういった、明らかな著作権侵害の行為がまかり通っていたのは、まだレンタルビデオが新興事業だった事もあり、取締りの前例がなかったためでしょう。
いざ取締りが行われると、こういう違法ショップは徐々に消えていき、ダビング作業を看板に謳うことも無くなりましたが、それでも本部長の地元では、85年まではコピーテープで商売しているショップがまだ存在していました。
そこ、クラスメイトの親御さんが経営してたんですけど。
やはり卸業者が警察から警告を受けたらしく、その後ほどなくして正規品に入れ替えましたけどね。
もう一つ、あの時代で忘れられないのは、劇場公開作品のビデオソフト化までのスパンの短かさ。
あの頃は、大体の作品が公開終了の翌月にはビデオ化、モノによっては劇場公開日とビデオ発売日が同時の作品もありました。
本部長が知る限りだと『チャンピオン鷹』『死霊のはらわた』『カムイの剣』は、公開日とビデオ発売日が同日でしたね。
しかし、商品化が早いと言う事は、ビデオソフトの製作に関わる会社には、映像ソースがかなり早い時期に渡っていると言う事になります。
そういう状態だと、やはり商品を製作するどこかの段階で、映像ソースの横流しが行われやすかったのでしょうか…。
一部のショップでは、まだ商品化されていないはずの映画のビデオまでも店頭に並べていました。
もちろん、パッケージなんかないコピーテープで。
そういうショップでは、上記の同時ビデオ化作品などは、もしかしたら劇場公開日より早くビデオをレンタルしていたのかもしれません。
実際、これは映画業界ではかなり深刻な問題だったらしく、1985年からは劇場公開作のビデオ発売に6ヶ月の期間(現在は4ヶ月)を設けるようになりました。
こんな、今から考えたらデタラメとも言える経営がまかり通る黎明期を経て、レンタルショップは合法かつ健全な営業活動が営まれるようになります。
そして、一般家庭のデッキの普及率の向上やソフトの増加、さらにTSUTAYAやGEOに代表される大手のチェーンショップの本格参入により“時代の波に乗り”店数も増殖、ますます身近な存在となりました。
レンタル料金も徐々に下がっていき、80年代末には旧作を対象にした「7泊8日レンタル」もあちこちのお店で行われるようになりました。
これは旧作のレンタル回転率を向上させただけでなく、1回のレンタル本数の増加にも貢献したようです。
90年代に入ると、大手チェーンショップは定期的に「100円レンタルセール」を開催、現在ではレンタル料金100円がデフォの店も存在します。
主流ソフトがDVDに移行してからは、陳列スペースにも余裕が出来たおかげで、品揃えがより豊富になりました。
もはや1,000円近いお金をかけてコピーテープを借りる事も、ショップのモニターで流れてる映像がダビング中のソフトだったりする事もありません。
旧作は7泊8日でのんびり観れるし、人気作も複数品揃えするのが当然となり「貸出中」で無駄足を踏む回数もぐっと少なくなりました。
現在は、CSの登場やネットで動画配信も行われるようになって、更に「見たいものが好きな時に観られる環境」の選択肢が広がりました。
レンタル時代から更に進んで、一々外出せずとも、自分の好きなジャンルの作品を選べる時代が来たわけで、今後のレンタル業界の先細りを心配する声も耳に入ってくるようになりました。
パソコンの知識やCSの受信環境の問題を別とすれば、今後レンタルビデオの利点は“商品を選ぶ(探す)ショッピング感覚”となるのかもしれませんが、それでも何かしらの利点がある限り、これからもレンタルビデオは“選択肢の一つ”であり続けるのでしょう。
なんせ今も昔も極端なインドア派である本部長の数少ない外出先ですから、無くなってもらっちゃ困ります。
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