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更新日:2005年3月7日 | ||
突然だが、「東松山遊園地」というところをご存知だろうか?
これは、その名の通り埼玉県東松山市の施設で、ゴーカートがメインの小さな遊園地だったようだ。 ところがこの遊園地、どういう訳かほとんど記録が残っておらず、東松山市に長年在住されている方にまで「そんな所は絶対に存在しない!」と言わしめるほど、完璧に存在が忘れられてしまっている。 間違いなく存在していたのだが、具体的にいつ頃運営されていたのか、誰も正確な事を知らない、または覚えていない遊園地。 そんなものが実在するという事に、驚かされる。 そう、まさしく“幻の遊園地”なのだ。 この「東松山遊園地」、今となってはごく一部の人達にとって有名な所になってしまっている。 その「ごく一部」というのは、いわゆる廃墟巡りが好きな方々のことだ。 個人サイトを持っているマニアの人は、よくこの場所を紹介しているようだ。 検索をかけてみると、そんな廃墟紹介や探索レポートのページが引っかかる。 それによると、現在の東松山遊園地はほとんど原型を留めておらず、無数の樹や葉、蔓などに覆われて、自然の中に埋没しているそうだ。 ゴーカートコースの一部や、石造り(コンクリート?)の壁の一部がかろうじて顔を覗かせている程度で、知らない人にとっては、そこがかつて遊園地だったなどは絶対に思わないだろう。 以前、とある個人サイトで画像を拝見させていただいたが、「限りなく“遺跡”に近い状態」になっていた。 それだけ、自然に溶け込んでしまっているという事なのだ。 地元住民にまでほとんど忘れられている(らしい)というから、まさに「現代の遺跡」と化しつつあるのかもしれない。 そんなとんでもないものが、この現代に存在しているという事だけでも、充分な脅威だと思う。 で、そんな事を色々考えていたら、いくつか思い出すものがあった。 自分が小さい頃、よく利用していた施設などは、その後どうなったのだろう? いつのまにか関心を覚えなくなったものが、少しずつ「忘れられ始めて」いるのではないか? と… 90年代前半にバブルが弾けてから、あらゆる所に不況の影響が見え始めるようになった。 かつては栄華を誇っていたものが、突然打ち寂れてしまうというのも当たり前の光景となり、筆者も、ぱっと思いつく限りでいくつか該当するものを思い出す。 自分が小さかった頃に良く訪ねていたが、ある程度大きくなってからは赴かなくなった所なども、そんな影響を受けてしまったのではないだろうか…などと、ふと思う。 そんなものの中に、「月岡動物園」という所があった。 これは、新潟県新発田市月岡という温泉街の一角に造られたもので、当時県内では唯一の本格的動物園施設だった。 敷地もかなり広く、特定のルートを徒歩で辿ると、その途中いたる所に檻があり、その中に居る様々な動物を観る事が出来た。 徒歩ルート以外にも、動物列車のような低速移動の乗り物があり、子供達はこれに乗りながら動物達の檻を覗いて行くのが、とても楽しみだった。 もっとも、レール設置の関係で乗り物ではどうしても観に行けない檻があったりもして、結局徒歩の方が便利だったのだが(笑)。 アトラクション用のステージも設置され、さらにはゲームセンターやちょっとした遊戯施設もあったりして、物凄く楽しめた。 思い返せば、結構な面積を誇っていた施設だった。 ある程度の年齢以上になったら行く気も失せてしまったが、当時の子供達にとっては正に「娯楽の殿堂」だったのだ。 最後に行ったのは、いつだっただろうか。 たしか、当時にしてすでに珍しくなっていたレトロアーケードゲームをプレイするために、中学時代に行ったっきりだったかも(おいおい)。 先日、その月岡動物園はどうなったのかと思って調べてみたら、なんと、とっくの昔に閉園していた事がわかり、呆然とさせられた。 これ以降、新潟県には動物園がまったくなくなってしまった事になる。 しかも、ここ数年の事ではなく、1988年だというのだから驚きもひとしおだ。 いくら存在を忘れていたからと言って、まさか閉園17年後にしてようやく現実を知るとは…情けないやら悲しいやら。 月岡動物園は、たまたま思い出す機会があって閉園の事実に気付けたわけだが、こんな風に、放っておいたらずっと忘れたままになりそうな「思い出の場所」や「思い入れのある場所」というのが、まだ眠っているのではないだろうか? そんな気持ちにさせられてしまった。 最初に挙げた東松山遊園地も、こんな感じでどんどん忘れられていってしまった、寂しい場所なのかもしれない…などと、行った事もないくせに勝手な事を連想してみたりした。 ちなみに、謎の多い東松山遊園地の「運営していたと思われる時代」を、ある程度見定める方法があったので、ここに記してみたい。 この遊園地の残存部分の壁には、手描きと思われる絵が何箇所かに描かれている。 それは動物だったり、よくわからないものだったりするのだが、中には版権無視で描かれたと思われる、当時の人気漫画キャラクターの絵が見て取れる。 「もーれつア太郎」と「21エモン(正確にはモンガー)」、「ニャロメ」の絵などが確認されているそうだが、これらの作品が人気だった時代を検証すれば、少なくとも「運営していた時代」の一部は特定できるかもしれない。 「もーれつア太郎」が週刊少年サンデーに連載開始したのは、1967年(昭和42年)で、最初のテレビアニメ版が放送されたのは、1969年(昭和44年)4月から1970年(昭和45年)12月下旬まで。 一方「21エモン」は、1968年(昭和43年)から69年まで週刊少年サンデーに連載されており、この当時アニメ化はしていない。 「21エモン」が初めてアニメーションになったのは、1981年(昭和56年)の劇場版で、テレビアニメになったのは、さらに遅れて91年(平成3年)になってからだ。 これらを照らし合わせると、1967年頃には間違いなく営業が行われており、68年も問題なかった事が見えてくる。 69年以降からだんだん怪しくなりはじめ、70年にはどうとも言えなくなってしまうが。 こういう子供絡みの施設の場合、漫画よりもアニメ作品の方が絵の題材に用いられやすいと考えるのが普通だろうが、実際にアニメじゃないモンガーまで描かれている以上、その限りではない。 これは、あくまで「ア太郎」と「21エモン」だけをソースに考察したものなので、決して東松山遊園地の閉園時期などを特定する目的の考察ではない。 しかし、ある程度の時代の見定めは出来るだろう。 もちろん、これらの絵がそういう時代背景を完全無視して描かれた可能性も否定できないから、最終結論が出るには至れない訳だが。 70年前後となると、今からだいたい35年以上前。 こう書くと結構時間が経過しているかのように思えるが、地元住民の中に知らない人も多いという事実を考慮すると、恐らくこの半分以下の時間で人々の記憶から消えうせてしまった可能性が高い。 もちろん、まだこの遊園地の事を覚えている人も居るだろうから、完全に忘れられた施設とは言い難いだろうが…果たして、それもいつまでの事なのだろう。 人間の生活圏の中の、たった35年程度でこの有様である。 というより、35年程度で、ここまで人々の記憶の中から消える事が出来るのか。 なんとなく、人の記憶のもたらす「忘却」という名の残酷さを感じたような気がした。 月岡動物園も、いつかこんな風にその存在を忘れられていくのかなあ…なんて思い、無性に悲しくなってしまった。 → NEXT COLUM |
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