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更新日:2004年2月22日 | |||||||||||||
今回は、最近の番組のキャラクターです。 乾巧(いぬい・たくみ)は、2003年1月から1年にわたって放送された『仮面ライダー555』の主人公です。 『555』は、ファイズギアと呼ばれるベルトのセットを偶然手にした巧が、人間の命を守るためにオルフェノクという怪人達と戦う物語です。 オルフェノクというのは、そうなる素質を持った人間が死んで復活した生物で、人間の姿から、何らかの動植物の特質を備えた怪人の姿に変化(へんげ)できます。 また、各オルフェノクごと特定の方法で人間を襲うと、襲われた人間のうちオルフェノクになる素質を持っている人間はオルフェノクとして復活し、素質のない人間は灰になって崩れてしまいます。 そして、オルフェノク自身も、死ぬと灰になって崩れるのです。 ただ、なぜそうなるのかなどについては、遂に語られることはありませんでした。 最初に1つ、断っておかなければなりません。 最終回ラストシーンでの、啓太郎の「夢を見ていた気がする」という一言から、巧の死を認めたくない一部の人の間では“『555』の物語は全て啓太郎の夢だったのではないか”という説が出ています。 鷹羽としてはこの説には反対ですので、この文章中では、夢オチというパターンはないという前提で考えていくことにします。 さて、乾巧ですが、彼ほど物語冒頭とラストで印象の変わった主人公はいないのではないでしょうか。 初登場時の彼は、無愛想で何を考えているか分からなくて、生きる覇気というものが全く感じられず、激しく感情移入を拒むキャラクターでした。 何しろ、(一応)ヒロインである園田真理に対する第一声が「その鞄をよこせ」でしたから。 これには、“盗まれた自分の鞄とそっくりだった”というオチがつくわけですが、それが説明されたのは翌週の話ですから、初登場時はほとんど悪役でした。 その後も自分勝手な言動が目立ちましたが、最終回では、自分の身を捨てて人間を救う道を選ぶという正義の味方の王道のような行動を、自然に選ぶようなキャラクターに成長しました。 今回は、その過程を辿りつつ、彼の人となりに触れてみたいと思います。 物語序盤、巧の行動は、基本的に“他人に関わりを持とうとしない”というベクトルで動いていました。 そのくせ、真理の「腕を怪我した」という嘘にあっさり引っかかって同道したり、真理がオルフェノクに襲われれば(変身できなくても)助けようとするなど、妙にお人好しな部分があり、過去を全く語らないことなども相まって、巧を言動が妙に一貫していない薄っぺらいキャラクターに見せていました。 わざとそう見せていたのかというと、必ずしもそうではないと思いますが、少なくとも、後にこれらの行動には納得できる説明がなされています。 それが34話で明かされた乾巧自身が実はオルフェノクだったという事実でした。 まぁ勘のいい人は、3話で敵オルフェノクがファイズに変身した時点で“ファイズギア=オルフェノク用装備”ということに気付いていたでしょうし、水や植物にちなんだ名前のキャラが多い中で、主人公だけ「乾」という生命を感じさせない名字であることなどから勘付いた人もいたでしょうから、衝撃の事実とは言い切れない部分もあるのですが、ある意味これはエポックな出来事でした。 これまで、変身能力を持った(仮面ライダーになった)ため、或いは変身能力を持つ(ライダーになる)ために普通の人間でなくなった主人公達は多いですが、“元々人間じゃなかったお陰でたまたま変身できた”主人公は初めてですから。 公式サイトの説明によると、巧がオルフェノクであることは当初からの予定だったそうです。 そして、そう考えれば、それまでの巧の言動の奇妙さがほとんど説明できてしまうのです。 1話の、初めて見たはずのオルフェノクを相手に落ち着き払っていた無神経ぶりも、同居までしている真理達に自分の過去の話を全くしていない不自然さも、5話での「俺が他人を裏切るのが怖いんだ」という意味不明な発言も、全ては“自分がオルフェノク=化け物”であることを自覚していたからこそのものだったわけです。 恐らく、怪人体に変化することによって精神的にも凶暴化するとか、殺戮衝動が生まれるなどの心理的変化を自覚しているのでしょう。 だからこそ、ビデオで“流星塾の同窓会を襲っている(ように見える)自分の姿”を見せられて、自分が襲ったものとあっさり信じ込んでしまったのだと思います。 また、人間でないことを自覚しているからこそ、「夢がない」などと真面目な顔で言ったりもするのでしょう。 夢を語る前に、自分が人間であると認めることが重要課題だったりするわけですね。 逆に、自分が化け物としての本性を隠したまま生きているだけに、人間として生きるオルフェノクの存在も信じられるのでしょう。 ピザ屋の店長を殺さずに逃がしたり、「もう殺さない」と誓った結花を信じたり、「俺を人間に戻せるのは真理だけだ」と言った澤田を信じたりしたのは、そういう存在があり得ると信じたいが故でしょう。 巧が信じたばかりに澤田が真理に重症を負わせた後、巧は、人間として生きたいという自分の願いを打ち消してでも、真理を救いたい一心で、オルフェノクであることを村上にアピールすることにしたのです。 こうして巧の行動の疑問点が氷解すると、俄然、彼の行動に深みが出てきます。 巧は、自分がオルフェノクであることを承知した上で、同類であるオルフェノク達を殺しているのです。 人間を守るために。 『555』作品内では、当初の巧側レギュラーである真理や啓太郎は、オルフェノクがどういう存在であるか知りませんでした。 だから、“人間の姿になれる怪物”という認識でいたはずですが、巧は、彼らが元々人間であることを知っていました。 巧が、オルフェノクに襲われることでオルフェノク化するシステムを知っていたかは疑問ですが、少なくともオリジナル、つまり、1度死んで復活した人間がオルフェノクになることは身をもって知っていたわけですから、巧の頭の中では、襲ってくる怪物は全て人間なわけです。 ということは、巧にとって、ファイズとなってオルフェノクを倒すことは“人間を殺す”ことにほかなりません。 恐らく、“襲いかかってくるから倒す”という感覚でいたのでしょうが、結花との出会いで、人間を襲うオルフェノクも改心しうることをはっきり認識してしまいます。 それは、つまり説得可能な敵もいるかもしれないということです。 だから、その後少しの間、巧はオルフェノクと戦えなくなってしまいました。 けれども敵は容赦なく襲ってきます。 17話で、真理が襲われているのを見たとき、巧は「戦うことが罪なら、俺が背負ってやる!」と決意して再びファイズとして立ち上がりましたが、これは、 更生可能な人間を殺すことが罪だとしても、殺さないことで失われる命があるなら、人殺しとなってでもその命を守る という悲壮な決意だったのです。 これらのことが特に重く描かれなかったのは、巧が口下手なのと、説明しないでなんとかしようとする性格だからです。 この性格は、幼いころにオルフェノクになったせいだと考えると辻褄が合います。 つまり、人と距離を取って生きてきたためコミュニケーションが下手で、言い訳して上手く誤魔化すとか、事細かに説明して納得してもらうとかいった技能を持っていないのです。 結花のことを諦めるよう啓太郎に言ったときも、木場がオルフェノクだと知って真理にやめとけと言ったときも、2人がオルフェノクだということを隠しつつ諦めさせようとしたから、「余計なお世話」状態になってしまったわけです。 巧としては誰に対しても親切であろうとしただけで、他意はありません。 この辺は典型的な付き合い下手といった感じですね。 また、カイザ:草加と同居を始めたころ、妙に草加に食ってかかっていたのは、母を独占する弟や妹(赤ん坊)に嫉妬する長男の図によく似ています。 要するに、メンタリティが対人関係だけ子供のままなんです。 その後、巧は村上にビデオを見せられたことで、過去に人を襲ったことがあると信じ込んでしまい、自分自身も死ぬべき存在だと感じてしまいました。 結局、澤田や真理の助力で立ち直った巧は、“人間として”ファイズに変身して戦い続ける道を選びました。 このころ、巧の内心に“人の心を持ち続けられるなら人間だ”という方向性が生まれたようです。 最終回で、木場に「俺は人間は殺さない」と言い残してトドメを刺さずに立ち去ったのは、巧が木場に改心しうる人間の心を期待していたからでしょう。 結果的に、巧達の戦いにより、人類滅亡という最悪のシナリオは一応回避されましたが、事態はほとんど好転していません。 オルフェノクの王が完全に死んだかどうかは不明ですし、今後もオリジナルのオルフェノクは自然発生し続けるでしょうし、彼らにより無理矢理覚醒させられる者も少なからず発生するでしょう。 そして、オルフェノクが覚醒する数以上に、オルフェノクに襲われて命を落とす犠牲者も出るでしょう。 対して、巧は既に崩壊を始めていますから、これ以上戦い続けるのは至難です。 鷹羽など、最終回EDの最中に巧の立てている膝が崩れるのではないかと凝視してしまったくらいです。 それでも、巧は「俺にもやっと夢ができた」と晴れやかな顔をしていました。 木場から、オルフェノクが自壊する運命だと知らされ、自分の右手が崩れはじめたのを知っている以上、巧は残された命が僅かであることを自覚しているはずです。 それでもなおかつ、人間のためでもオルフェノクのためでもなく、世界中の人が幸せであることを夢見ることができた巧は、戦いの中で、自分なりの生き甲斐を見出せた幸せな人間だったと言えるのではないかと思います。 ほとんどの謎や設定を放り出したまま終わった『555』ですが、最初から予定されていた“1体のオルフェノクの夢追い物語”としての側面だけは、綺麗にまとめ上げたと言えるでしょう。 → NEXT COLUM |
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