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更新日:2004年12月31日 | ||
BOOは自転車が好きだ。
だからというわけではないが、自分の自転車でどこまで乗って行けるのか? と考えることがある。 平たく言えば、自転車旅行とも呼べない、単なる放浪をしたいだけ。 とはいえ、口で言うほど簡単ではない。 たとえ旅行として考えても、どこかへ行って帰ってくるという行動がワンセットになる。 つまり、目的地に着くのにかけた時間とほぼ同じ分だけ、帰るのにも時間が必要だということだ。 一応、BOOの今の自転車ならバラす事ができるので、帰りには電車や車を利用することも可能だろう。 だが、仕事に追われて、休みとなれば寝てばかりの人間は、動こうとしても、できる事も行ける場所も限られている。 動けても、全力で行った翌日の状態が怖い。 第一、どこに行きたいという当てのない放浪なのだから、計画もなにもあったものではない。 しかし、もし無計画に、そして後先考えずに行ける機会があったとしたら? しかも、着けば終了で、帰りのことを考えなくてよかったとしたら? そんな都合のいいことが、果たしてあるのか? 実は以前、それに近い状況が一度だけあった。 いや、行く当てだけはあったので、正確には放浪ではなかったが。 しかも当時の自転車は、丈夫さだけが取り柄のママチャリだ。 高校の時に乗り始めたママチャリ。 そして、大学生活においても、わざわざ実家から下宿へと持ちこみ、この田舎道をひたすら走り続けているママチャリ。 最近は乗り換えてしまったが、実家に戻って社会人になってからも乗り続けた、ママチャリだ。 今回の出来事は、この由緒正しい? ママチャリに乗って、大学での生活圏から離れるためのラストランのことだった。 きっかけは、些細なことだった。 大学の卒業式が近くなったある日、BOOは焦っていた。 大学生活のかなり後半に始めた、自動車教習所での講習がまだ終わっていない。 現在はまた変わっているらしいが、当時の自動車教習は、教習過程がそれ以前の倍近く増えた(卒業までに4段階をクリアしなければならなかった)ばかり。 こんなに切羽詰っているのに、BOO自身が不器用なこともあり、他人の倍近くかけても、まだ仮免にもう少しという状態でしかなかった。 当たり前の話だが、免許を取る事自体は大学卒業とは何の関係も無い。 問題は、教習所のある場所だ。 BOOは実家を遠く離れ、下宿から大学へ通っている。 そのため、教習所も大学の生活に合わせて、下宿から近い所へ通っているのだ。 実家は神奈川にあり、下宿も教習所も栃木県の餃子で有名な某市にある。 このまま大学を卒業してこの地を去ってしまうと、教習所にかけたお金が丸々無駄になってしまうから、なんとしてもそれだけは避けたい。 だが、スケジュールをつめても教習所を卒業するには間に合わない。 幸か不幸か、BOOはこの時期においても就職が決まらなかったので、やろうと思えば実家から通うことも可能ではある。 しかし、BOOの住んでいる下宿は、実家から電車とバスを乗り継いで4時間近くかかるため、簡単な話ではない。 教習所を終える頃には、最終的な出費がいくらになるのか想像もつかない。 それでも、全てを無駄にするよりマシかもと、覚悟はほぼ固まっていた。 そんなことができるのか? という不安は拭えないが、とりあえず教習所に足を運び、乗車の予約をする。 BOOは、講習に時間がかかっているだけに、教習所の所員に顔が結構知られていたので、この頃になると話をする機会も多かった。 そして予約中、不意に大学卒業後の話題が出て、実家のある場所が、この教習所の近くではない事に驚かれる。 その時まで気が付かなかったが、BOOは実家ではなく、下宿から大学や教習所へ通っているという事を、所内で話題にしたことがなかったらしい。 話は進み、散財に関して半ば諦めムードと答えたその時、横で別の所員がポツリと一言もらす。 「仮免まで取っていれば、実家の近くにある教習所に移籍することができるんだけどね」 …………え? しばらく呆気に取られた後、改めて聞くと、仮免まで履修していれば、教習所を移ってもそのまま継続して続けることが可能だとのこと。 これだ! これしかない!! これなら余程失敗が続かない限り、仮免を取るために実家からこの教習所まで通うのは1、2回程度で済む。 実家の近くにも教習所はあるから、そこで続きを行えばいいのだ。 とすると卒業後、今しばらくの教習所通いのために、駅からの移動手段を確保しなければならないわけだが… 当時通っていた教習所は、BOOの住む下宿から大学へ向かう途中、15分ほどの所にあり、下宿自体は駅から自転車で20分弱のところにある。 つまり、駅から教習所までは、自転車で計算すれば30分ちょいくらいか。 バスを利用すると時間は短縮できるが、運行時間に合わせなければならないし、なにより運賃が高い。 かといって、自由が利いてもタクシーなどもってのほかだし、まして歩いてなんていられない。 とすると、やっぱり自転車通いがもっとも安上がりとなるが、下宿を引き払ってしまうと自転車は置き去りになってしまう。 この自転車は、当時ですでに7年余りの付き合いだったので、愛着もある。 捨てたくない…しかし、実家に戻った後、大学周辺で自転車を借りる当ては無い… 持って帰りたい、しかし、ここで乗りたい… 持って……乗って…… ならばいっそ、最後は自転車に乗って、自分で持ち帰ってしまえばいい! こうして、自転車による長距離運転の機会は訪れたのだった。 大学の卒業式からしばらく後、下宿を引き払う。 荷物が実家へ送られた日から、駅前にある一日100円の駐輪場が、自転車の置き場となった。 幾日か(どのくらい経ったのかは聞かないで欲しい)後、無事に仮免を取得し、移籍の手続きを済ませて教習所に別れを告げる。 ついに、その日はやってきたのだ。 駅に向かう途中にある、BOOがバイトしていた店に顔を出し、挨拶&一服してその場を後にする。 訪れた姿は、まるでそのまま通学するような、何を用意するでもない格好。 普段と同じ口調で「これからチャリで実家に帰る」とサラッと言うBOOを、店のみんなは不思議そうに見ていたようだ。 まあ、みんな、BOOの実家がどこにあったか知っていただけに無理もないが、そんなことは気にしない。 この時点で、腕時計の針は午後五時半を回っていた。 国道を東京に向かってひた走る。 国道には、「東京から〜Km」と書かれたポール型の標識が、一キロ毎に立っていた。 この標識は、東京や横浜といった主要な場所から延びる国道に沿って、1qおきくらいの間隔で立っているらしい。 歩道の切れ間にあるポール似の外見と、歩道の道路側いっぱいの位置に立つことから、歩行者用の道しるべに見える。 その割に、車から見えるように、進行方向に対してプレート面が向けられているので、やっぱり車のための物のようだ。 結局今でも、何のために立てられた標識なのかよく解っていないが、とにかく、これを辿って行けば確実に都心まで行くことができる事だけは間違い無い。 当時はホントかよ? と思っていたが、これより1年程前、友人の車に乗って秋葉原まで行った事があったので、それが事実だったことを確認していた。 初めは、実家への最短距離を探すことを考えていた。 しかし、所持する地図は文庫サイズの、当時においてすでに数年経っていた、ある意味で非常に危険なものだけだ。 正確性に欠ける情報では、距離は短くなるどころか、道を間違えて余計なロスを生みかねない。 それならば、東京までの距離が刻まれた標識を頼る方が、判り易いし確実だ。 それに、本当に国道の起点・日本橋まで続いているのか、この目で見てみたいと思っていた。 ついでに言えば、標識に刻まれた数字が減っていくのを見ると、走る手応えならぬ「足応え」に、目的地に近づいている実感も持てる。 結局、地図はサポートに回してしまった。 数キロ走って、いつのまにか国道が4車線から2車線の寂しい道へと変わっても、この標識のおかげで不安は無い。 しばらく後、実家の近くを走るような、妙な錯覚に陥る風景にめぐり合う。 それは、国道との交差点を曲がった先に見える、線路の下をくぐる道路。 実家の最寄駅の周辺にもいくつかあり、道路の周囲の建物の様子もよく似てる。 下宿のあった市の中心部は遠く、市と市の境に近いのか、ビルよりは民家や工場らしき敷地が見える。 実家近くの駅は、工場よりは若干住宅の方が多いが、やはり閑散とした雰囲気があった。 なるほど、似たような環境では、同じような景色になるのは当然かもしれない。 線路をくぐった先にも興味はあったが、今は交差点を横目に国道を直進。 夜道を走っているだけに、曲がって方向を見失い、帰れなくなっては元も子もない。 時間のロスだって馬鹿にならないだろう。 更に道を進む。 途中でラーメン屋を発見したので、夕食。 夜9時過ぎだったような気がした。 道は続く。 自転車での走りっぱなしで、若干冷えてきた。 防寒対策は考えていなかったので、途中にあったコンビニで、手袋代わりの軍手と、ついでにウォークマンを聞くための電池を購入。 ラーメン屋にいる間に地図で確認したところによると、そろそろ一級河川があるはずだ。 と思う間に、土手らしき影が見え、そのまま橋を渡る…が、妙な違和感あり。 歩道がない…? おかしいと思って辺りを見まわすと、少し離れたところにもう一本橋があり、自転車を漕ぐ人影も確認できた。 ヤバイ、こっちは自動車専用道路だ。 地図には確かに河に二本の橋が描いてあったが、どちらも同じか、行きと帰りに分かれていると思っていたため、道なりに走ればいいと単純に考えていたのが甘かった。 しかも運のいい? ことに、橋を渡り始めるまで車が走ってこなかったため、何の疑問も抱かなかった。 急いで渡らなければと焦る心。 しかし無情にも、「罠にかかったな!」と言わんばかりに、大型トラックの轟音が背後に響いてきた。 自転車を漕ぐ足に力を込めるが、車の足には敵う筈も無く、あっという間に追いつかれる。 車線の幅に余裕があるため、轢かれはしないものの、BOOの脇を1メートルもない幅で追い越すトラックは大迫力だった。 しかも、何台か連続しているようで、追い越されるついでにクラクションまで鳴らされ、かなりビビる。 結局、3台に追い越された辺りで橋を渡り切る。 ようやく、これで一安心といきたかったが、歩道はまだ見当たらない。 もう一本の橋から続く道は、BOOが走っていた方向には延びていないらしく、すっかり見えなくなっていた。 あれ? あれ? ときょろきょろしながら走っている所に、更に後から来た大型トラックにクラクションの追い討ちをもらう。 飛び上がるという表現よろしく、思いきり派手に路肩に乗り上げ、一旦自転車の足が止まる。 とりあえず難は去ったが、このまま走り続けるわけにも行かない。 見回すと、路肩の下に草ぼうぼうの細い道が見えたが、なぜか下りる道は無い。 無理矢理草むらを下りるしか手段が無さそうなので、とにかく下りる。 ここは何の道だかよく判らないが、上の道路に沿って続いているようなので、とりあえずこのまま進んでみる。 小道は車道のすぐ下にあるにもかかわらず、上の方と違って街灯も無く、薄暗く、しかも妙に静かだった。 ほどなく、上の道路をくぐって反対側へ抜けるトンネルを発見。 反対側へ行って辺りを見渡すと、今走っていた道と、別の方向へ伸びる道があり、その上に見える標識を見て納得。 なるほど、別の国道へ分岐しているバイパスだ。 あのまま上を走っていたら、車と勝負する所だった、危ない危ない。 いや、すでに負けっぱなしだが。 しかし、手元の地図でも標識を見ても、走ってきた道を追いかけるには、トンネルをくぐったこの場所からだと、かなりの遠回りをすることになるようだ。 回り道は、舗装された綺麗な道路だったが、それまでの道を外れて進むのはちょっと悔しい。 しかたなくトンネルを戻り、寂しい道を先へと進むことにする。 道には伸びる草がはみ出し、足場は思った以上に悪いためスピードも出せないが、上の道からはずれていないことだけは間違い無いようだ。 どのくらいの時間で、どれほど移動したのかさっぱり判らないが、それでも我慢して道を進む。 そして、ようやく車道との高さが近くなり、やっと一本の道に戻った。 そこから先は、しばらく平坦な道が続いているようなので、これまでの遅れを取り戻すべくスピードを上げる。 夜に走っているおかげで景色はあまり気にならず、というか暗くて見えず、とにかく前方に集中してひた走る。 多分、この間の移動スピードは、全行程の中で一番早かったはずだ。 途中の交差点で、実家の近所にある国道と同じ番号の道を通過した。 二つほど県が離れているのになんでやねん? とその時は思ったが、その国道が環状線であることを後日知った。 つまり、ここで曲がっていたら、距離は若干延びるものの、実家に更に近い位置まで一本で帰れたわけだ。 でもこの時は、都心まで行くことが目的の一つでもあったので、それを知った今でも失敗したとは思っていない。 いい感じで飛ばしていると、前方にミニストップが見えたので、トイレついでに二回目の休憩に入る。 時間はそろそろ深夜の1時。 この頃には、目安にしていた標識が東京まで何キロになっていたのか確認することなど、すっかり忘れていたりする。 深夜の道を走る。 ちゃんと確認しなかったので判らなかったが、すでに東京に入っているらしい。 荒川の周辺に差し掛かると、異常なまでの街灯の多さと明るさに驚く。 車もほとんど通らない深夜の橋は、まるでシャンデリアのようだ。 しかし、いくら綺麗でも、これは明らかに電気の使いすぎだろう。 思わず心の中で、省エネしろよとつぶやく。 しかも、橋を渡ると再び暗くなるので、余計にそう感じてしまった。 肝心の都心は、暗かった。 ほとんど人がいない。 深夜も2時を回っていたので、当たり前といえば当たり前か。 都心はほとんどがビジネス街だけに、仕事が終わった後の人の往来はこんなものなのかもしれない。 後で考えたら、土曜の深夜だったのだから、余計に人がいなくて当たり前だった。 人っ子一人いない国道の脇を走っていると、やがて前方から走ってくる自転車が見える…が、おや? 新聞配達の自転車のようでいて新聞は無く、白っぽい車体。 それを漕ぐ、帽子を被って紺色でまとめられた制服のあなたは…おまわりさん! 別にBOOを目指して走っているわけでは無いだろうし、BOOだってやましいことをしている気はない。 しかし、時間が時間だけに、もしかしたら… なんとなく緊張してすれ違う。 直後、その予想は当たり、お決まりの言葉が後ろから聞こえた。 「きみ、こんな時間になにやってるの?」 素直に家に帰る途中だと説明すると、たいした時間はかからずに別れることができた。 もう会いたくないが、この先のルートを考えるとちょっと心配だ。 その心配通は当たり、出会い? は再び起こる。 標識に『上野駅』の文字を見つけ、寄ったのがまずかった。 何もない駅を眺めた後、先を急ごうとしたら、今度は前方から歩いてくる人影が二人。 …またか。 さっき会った警官とは別の人達だが、案の定、同じ質問をされる。 もちろん、返す説明も同じだが、今度はさっきより中心部に近いせいか、詳しく来た場所と行き先を説明することに。 驚かれたが、自転車に書かれた住所を見て納得してもらい、今回も無事クリアー。 自転車の住所と名前は、ちゃんと書いておこう。 そしていよいよ国道の終わり、日本橋が近くなる。 …が、その前に三度目の遭遇。 道案内の看板で、日本橋以降のルートを確認していると、静かに近づいてくる車がある。 まさか! と思ったらやはりパトカーだ。 同じ説明をするが、今度は自転車とカバンの中身まで調べられる。 やっぱり、中心に近づくにつれ、段階を追ってチェックが厳しくなってきている。 調べられている間、警官が言うには、自販機荒らしが多いので、見まわりの増員をしていたのだそうな。 まあ、そうでなくても、BOOがここにいる理由を聞けば、調べたくなって当然かもしれない。 なにしろ日本橋目前の段階で、既に100km以上の道程をこなしている上に、下がジーパン、上は襟付きの長袖、手には軍手をつけているという、説明に似合わない自転車姿。 警官としては、深夜のビル街で、そんな微妙な雰囲気をかもし出していれば、声をかけないわけにはいくまい。 結局、引越しのために持っていた住民票を見せて納得してもらう。 余計な仕事をさせてスミマセン。 心の中で謝りつつ、日本橋を渡る。 国道は、確かに下宿のそばから続いていた。 地図では解っていたし、秋葉原周辺までは確認していたものの、実際にこの目で、そしてこの足で確かめてみると、また一味違った爽快感がある。 深夜も3時に近く、辺りは暗く人もいないため、しばらく一人で悦に浸る。 さて、後はまっすぐ実家に向かって帰るだけだ。 東京からの帰り道には当てがあった。 実家の最寄駅がある鉄道は、都心まで延びている。 その鉄道の脇を通る道も、やはり都心まで続いているのだ。 この道に入れば、もう迷うことも無い。 行き方も難しくは無いが、入るまでには、まだ少し距離がある。 日比谷公園の横を過ぎ、検察庁の前を過ぎ、参議院会館を後にする。 暗くてよく判らなかったが、ちょっとした観光気分を味わうことができた。 すでに時刻は朝の5時を回り、空も明るくなり始めていた。 ほどなく目的の、鉄道に沿った道へ続く交差点を発見。 やや細い2車線の道だが、明るくなってきたおかげで視界は広く、心なしか走るペースが上がる。 下り坂も多かったため、思った以上に早く沿線の半分をクリアしたようだ。 この辺りは見覚えがある。 中学生の頃、実家から自転車に乗って来た場所だ。 確か、家から2時間もかからなかった気がする。 知っている所に安心して、とりあえず水分補給のために、自販機の前で一休み。 道は判った。 しかし、さすがに疲れは隠せない。 実は、休憩した場所は、地形的に一番低い場所の辺りで、残りはほとんど上り坂。 帰りがどんな道か解って休憩したとはいえ、12時間近く自転車を漕いできただけに、さすがに残る体力に余裕があるとはいえない。 とにかく、休み過ぎると動けなさそうなので、10分程度で休憩を切り上げる。 こういう時は、気持ちが切れる前に、一気に行った方がいい。 途中には下り坂もあったが、徐々にのぼり坂が多くなり、そしてついに、最強最大のモンスターと対峙する。 上り坂の3連チャンだ。 傍らを走る私鉄の3駅ほどの距離をまたぎ、その長さの割に平地が短い嫌な奴だ。 始めは、比較的緩やかな長い坂。 次に、緩やに始まり次第に勾配がきつくなるやや長い坂。 若干の距離を置き、最後に短くて急な坂。 行くのは楽で、帰るのに苦労したことを、中学生の頃から忘れたことは無い。 この「行きはよいよい帰りは辛い」を絵に描いたような、図ったように人を苦しめる配置が憎い。 ここまでくる間には、こうした配置の坂は無く、仮にあっても道程の前半だったなら、きっと問題にならなかっただろう。 解ってはいたものの、終わり間際に改めて見ると溜息が出てしまう。 とにかく、嫌だろうと面倒臭かろうと、上りきらなければ帰れないのだ。 長い道程を走ってきた意地を張り通すため、足は地に着けまいと気合を入れて坂を登る。 最初は、まずまずのスピードでクリア。 次も、立ち漕ぎの勢いでなんとかクリアする。 ママチャリは立ち漕ぎがし易いという利点の、本領発揮だ。 しかし、この時点ですでにグロッキー。 あまり急ぐと後が持たないので、平地はややゆっくりと走り、ぜーぜーはーはーいいながらようやく最後の坂を登り切った。 正直、かなり疲れた。 もう、家までは目と鼻の先だったが、走り始めと比べて、そのペースは話にならないほど遅い。 みんな上り坂のせいだ。 坂はしばらく、ゴメンこうむりたい。 今日は日曜日なので、道行く人も少ない。 最後の走行に苦労する事無く、程なく実家に到着する。 腕時計は、朝の8時半を回ろうとしていた。 家に入ると、まだ誰も起きていない。 まあいいや、とシャワーを浴びて自分の部屋へ向かい、就寝。 こうして放浪は、苦労の割にあっさりと終わった。 気まぐれで始まったものは、終わりもそんなものなのかもしれない。 半日寝て、夜に起きたら、家族にいつからいたのかと驚かれる。 帰ってたことに気付いてなかったらしい。 お願いします母上、ご飯をください。 休憩を除いて約11時間ほど、およそ160km余りの深夜行。 誰にも自慢する気は無かったが、誰にも気づかれていなかったというしょーもないオチもついた。 帰った直後に風呂に入ってぐっすり寝たせいか、軽い筋肉痛だけで済み、意外と体に負担は無かったようだ。 BOOの愛車も、この距離を走りながら、パンク一つしなかった大したやつである。 一番の功労者は、この愛車かもしれない。 ママチャリでも、走ろうと思えば走れる。 普段着にカバン一丁という、本格さのカケラも無いシンプルなスタイルでも走れる。 行く当てと時間次第で、結構遠くまで走れるのだ。 もし、最後の坂による体力の消費が無ければ、もっと距離を延ばすことが可能だったかもしれない。 半日のママチャリ無謀運転で道のり約160km走れるのだから、乗る自転車、当日の天気、休憩の取り方、装備、体力配分など、改善したら、いったいどこまで行けるだろう。 きっと首都圏(直径で100km)なんて、問題にならないはずだ。 後は、ほんのちょっとの気まぐれさえあれば問題無し。 帰り方を確立できるなら、それは無謀運転ではなく、立派な自転車旅行となるだろう。 そのうち、またどこかに行きたいなぁ。 …と思いつつ、あの時からはや数年。 未だにどこにも行っていない。 当時の相棒だったママチャリは、ある日、知らないうちに心無い人に連れ去られてしまい、今はもういない。 悲しいことだ。 現在乗っている自転車は、先代に比べ、能力が遥かに上にもかかわらず、未だにそうした機会を与えてやれない。 会社との往復や、いいとこ数キロ程度の移動を繰り返す日々だ。 いつかどこかへ行きたい気持ちは、今もある。 さすがに、今回の引越しのような機会はそうそう訪れるものでもないから、今度は往復で考えることになるだろう。 一応、兄夫婦の家や親戚の所など、当てはいくつか考えられるが、仕事に縛られた身には、全てが単なる机上の空論でしかない。 だがしかし、いつか気まぐれが、仕事を上回るに違いない…かも? 余談:後日、車の免許は無事に取得することができた。 移籍後も、やはり人の倍かかってしまったが、気にしない気にしない。 今も、メインは自転車なのだから。 → NEXT COLUM |
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