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更新日:2004年11月25日 | |||
BOOは自転車が好きだ。 だからというわけではないが、自宅からある程度の距離なら、他人が自動車や電車に頼る場所でも平気で自転車で移動する。 BOOの住む町は都心のベッドタウンなので、大抵、目的地までの間には住宅地が続いている。 駅の周辺には繁華街もあり、自転車で進めば、必然的にこうした各所を通り過ぎていくことになる。 だが、これはこれで結構楽しいものがある。 住宅街を行く。 今回出かける所は、家から車で20分くらいの場所にあるデパート。 ちょっとした買い物だ。 途中に広がる住宅地を直進するつもりで進めば、比較的簡単に行ける所にある。 重要なのは、帰り道。 帰るだけなら、来た道を戻れば簡単だと思うかもしれない。 確かに近場なら、どこをどう通っても見当がついてしまい、あまり面白くない。 しかし、二駅ほど(BOOの走るスピードで、せいぜい30分程度)も離れれば話は変わってくる。 住宅は、並んで建っているからといって、必ずしも全体が通り易く整理されているわけではない。 まっすぐ進めば素直な道も、反対の方向に走ってみれば、一転して意外な迷路に変化する場合もある。 すぐそこに見える場所なのに、回り道をしなければ辿り着けなかったり、抜けられると思った道が行き止まりだった、というケースだって少なくない。 住宅街から抜けたはいいが、違うところへ続く道だった、というのも珍しいことではない。 今回向かったデパートは、知っている場所といっても家から遠く、時間のかかる場所にある。 そこで、適当に走ることでわざと迷い、行きと帰りで異なる顔を楽しもうというわけだ。 住宅街の広さも申し分無く、「迷う」のに好都合だ。 デパートに行って、買い物という目的を果たせば、帰り道は自由。 来た道を無視して、違う道へと自転車を走らせ、迷路スタート。 時間などお構いなしに、見当だけつけて自転車を走らせるのは、それが田舎であっても街中であっても変わらず楽しいもの。 ただ困ったことに、住宅に囲まれた場所では、見当を付ける目標となる遠くの建物などを見る事ができない。 そのため、なるべく帰り道と思われる方向に進むだけという、ある意味田舎道よりもアバウトな方法になってしまうのがタマにキズか。 遠くが見られないからといって困ることはないが、立ち並ぶ家ばかり見ているのはちょっとつまらない。 そこに住んでいる人には悪いが、ちょっとした巨大迷路を満喫させてもらうつもりでふらふらと走る。 ただし、通りすぎる家々の人から見れば、BOOは無造作に走るおかしな人でしかないので、あまりゆっくり走り回ることはしない。 それにしても住宅街は、人通りの少ない午前中は特に、その閑散とした雰囲気が心地よく、街中でもこんなに静かになるものなのかと驚かされる。 国道の様に、車通りの多い幹線道路が近くを走っていても、立ち並ぶ家が壁となり、かなりの音を遮断するのだ。 そのため、ところどころで見かける公園は休憩するのに都合よく、木陰に車を止めている人やベンチでゆっくりする人を見ると、つられてBOOも思わず一息入れたくなってしまう。 というわけで一服。 今回出かけたところは、あまり行く所ではない。 しかし町というものは、幹線道路で区切られている分解り易く、いくら迷ってみても、大きな通りに出れば、大体の位置関係を把握できてしまう。 だから、迷うといっても、ちょっと回り道を堪能する程度の事でしかない。 時間的ゆとりの無い身としては、比較的都合の良い楽しみと言えるだろう。 住宅街を離れ、帰りの足は、駅の近くの繁華街を通り抜ける。 帰り道はここを横切る方向ではなく、繁華街に沿っていった先にある。 繁華街という場所は、時間によって差はあれど、人も車も結構多い。 こうした人ごみの中で、目的もなくさまようのはむしろ危険な行為でしかないため、なるべく早めに抜けるか、迂回するかの二択となる。 繁華街も、一本、二本、わき道にそれるだけで人の通りはぐっと少なくなる。 安全かつ、楽に行くなら迂回するのも悪くないが、それだと住宅街を走るのと大差ないので、あえて抜ける方を選択する。 自転車を巧みに操る。 行きかう人の合間を縫って機敏に動く。 徐行する車の脇のわずかな隙間を素早く走り抜ける。 その姿は華麗に。 動きは美しく。 通り行く人が、怒るどころか魅了されるようなテクニックを駆使。 そして、短時間のうちに繁華街をクリアー! ……………できたらいいなと思いつつ、実際には、人の足と変わらない速さでノロノロと走る。 時に足をつきながら、スピードよりもバランスを重視しての、走りとも言えないほどの動きは意外と難しい。 でもこの細かい動作が、実は結構楽しかったりする。 ゆっくりと視界の端を流れていく店の数々。 本屋が、ゲーセンが、コンビニが過ぎていく。 物は買いたし金は無し。 お金が無い分楽しさ半減で、ここを通るのはちょっと失敗したかもと反省。 なるべく見ないようにして、先を急ぐことにする。 その時、不意にBOOの横を通り過ぎる、周囲を無視した速さで自転車を走らせる人。 誰も引っ掛けることなく過ぎ去りはしたが、危ないものだ。 しかし、ふと思う。 高校生くらいの頃の自分も同じだったかもしれないと。 BOOが自転車でちょこちょこ走るようになったのは、高校生の頃からだ。 それ以前から自転車を利用してはいたが、高校への通学手段となってから格段に使用頻度が上がり、この時点で、大概の場所には自転車で行けるのだと自覚していたと思う。 寄り道が多くなったのもこの頃。 音楽を聴きながら道を走り、坂道・狭い道・曲がり角を猛スピードで進み、大通りの交差点で信号が変わる瞬間を狙って斜め横断する等々。 今にして思えば、随分と怖いもの知らずのオンパレードを繰り返していたものだ。 転ぶことはしょっちゅうで、一度は自転車のフレームを「く」の字に曲げたこともあった。 どれも自爆技ばかりで、他人に当てたり車に当たったりする事故が起こらなかったのは、奇蹟と言えるかもしれない。 住宅街であれ、繁華街であれ、街中での楽しみには、常に他者との接触の危険が付きまとうことを頭に入れておかねばならない。 そのための、街中でのBOOの自転車の基本は「ストップアンドゴー」と「スローインスローアウト」の繰り返し。 スピードを上げるのは、交差する道のない直線を走る時のみだ。 曲がり角や横道がある時などは、よほど見晴らしが良くて周囲の状況が判っている時でない限り、油断してはいけない。 とりわけ、見えないところから聞こえる、車の音や話し声を聞き漏らさないための耳の働きが重要になるので、音楽を聴くのはご法度だ。 むしろ、周囲の音を音楽の代わりにして走ることが望ましい。 田舎道を走る時とは全く逆の、街中を行くための、五感を駆使した走り。 通学時には解らなかった、今の通勤の走りがこれだ。 自転車で移動する距離は今までの中で一番短いが、朝、一分一秒を争う世界(余裕ないなぁ)では、何が起こるか判らない。 かといって、朝から意識的に気を張りながら走っていては、仕事疲れも早くなる。 意識することなく、自然に使いこなすのが理想だ。 それを思えば、仕事のない日の住宅や繁華街の通過は、何とゆとりのある行為だろうか。 まして、長距離を走れなくなっている今の環境では、これを楽しめないでどうやって好きな自転車を楽しめばいいのかというくらいだ。 どんな場所でも、場所ごとの楽しみというものはある。 街中での自転車も、田舎道という場所が望めない環境から生み出された、その場ならではのものだ。 そんなこんなで繁華街を過ぎる。 ゆっくり進んでいるつもりでも、止まったり、人とぶつかったりしなければ、案外早く抜けられるものだ。 BOOの家も、もう目と鼻の先。 帰ってアニメのエアチェックをしなければ。 チェックミスをする心配が少なくて済むのも、街中ならではの余裕といえるだろう。 学生の時とは違う、自転車での楽しみがここにある。 → NEXT COLUM |
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