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更新日:2004年10月21日 | |||
BOOは自転車に乗るのが好きだ。 だからというわけではないが、大学生の頃、下宿から学校まで自転車で通学していた。 畑が広がる農道のような国道を進み、河を渡り、最後に坂道を登る、片道およそ30分弱の道のり。 入学したての頃は、骨が折れると思いつつ、片道30分、往復約1時間を毎日続けていたものだ。 けれど、卒業する頃には、行き30分、帰り1時間30分強になっていた。 帰りが長くなった理由は至極単純。 いわゆる「寄り道」の時間が増えただけである。 それは(全く無かったというわけではないが)買い物やゲーム、食事などのために店に寄る時間でなければ、人の家に遊び歩くことで増えた時間でもない。 純粋に自転車に乗っている時間が1時間ほど延びたのだ。 時には更に長時間かけることもあり、「寄る」というレベルを超越している場合もあった。 といっても、サイクリング車やBMXに乗って本格的にあれこれすることはない(いや、お金と時間があればやってみたいとは思うが)。 ただ学校の帰り道に、今乗っている自転車で、適当にのんべんだらりと方々へ走っていくだけの話である。 頭に入れておくのは、走るための目標と、バイトに行くために戻らなければならない時間、そして毎週のアニメのエアチェックに間に合うだけの時間の事(笑)のみ。 自分のペースで時には速く、あるいはゆっくりと自転車を走らせる。 学校帰りを利用しているだけに気持ちは軽く、足の運びも軽快だ。 音楽など耳にしながら道を行けば、外界と切り離された空間を得たような気分になれるのでなお良い。 車通学をしていた友人から「おまえ、ここ(大学)来るのに目ぇ閉じながら自転車乗っててよく平気だな?」と言われたことがある。 もちろん本当に目を瞑って乗っているわけではない。 往来のほとんど無い道をのんびり往く、コケたりしない程度の注意くらいははらって乗っているつもりが、友人の目にはそうは見えなかったらしい。 とにかく、音楽を聴きながらの自転車は、傍から見て不思議に思えるほど、気持ちいいものなのだ。 街中でのこうした行為はどうかと思うが、何も無い所ならではの楽しみだけに、やはりどこかしら気が緩んでいるのだろう。 行き道でこうなのだから、帰り道のBOOはさらなるふわふわした姿だったに違いない。 ぶらぶらすることは小さい頃から好きだったが、BOOが学生当時暮らしていた環境はそれに拍車をかけたようだ。 詳細は避けるが、BOOの通っていた大学は市街地を離れ、絵に描いたような田舎を抜けた工業地帯の一角に建っている。 通学時に越える河はその工業地帯に沿うように流れ、更に、BOOの住んでいた市街から延びる二本の幹線道路が、工業地帯の両端を挟むように走っている。 つまり、通学する幹線道路から工業地帯沿いの道を通り、もう一本の幹線道路から帰ってくるという三角形のルートができあがっていたのだ。 この三角形が距離にして20キロ弱、ゆっくりめのペースでおよそ2時間ちょっとの、サイクリングをするのに都合のいい場所だったというのは後から知ったことで、最初からこのルートがあると知って走っていたわけではない。 たまたまBOOが毎朝渡る橋を見渡した時、河の向こうにうっすらと橋が見えたから「適当に、横に走ればあそこまで行けるだろう」という、短絡的な思いつきで帰り道を変更しただけ。 だから、サイクリングではなく、自分でいうところの「寄り道」なのだ。 偶然とはいえ、よくこれほど都合のいい環境にめぐり合えたものだと、今更ながらにして思う。 卒業するまで幾度と無く、もう一方の幹線道路に通じる工場の脇、河川敷、農道を適当に走った。 のどが乾けば適当な自販機を見つけて一服し、お腹が空けば見かけたお店で食事。 道路標識に案内があった史跡には何度も訪れた。 更にそれ以外にも、寂れた史跡が点在しているという意外な事実を途中で知り、ちょくちょく寄ってみたりもした。 その一つが有名な心霊スポットだったというのは、つい最近知った事実だ。 どのように道を進んでも周囲に大したモノはなく、見えるのは遠くの山と近くの畑に林、そしてまばらな人家ばかり。 でもそれだけに、人も車もほとんど通らない静かな時間を提供してくれるため、自分だけの空間がそこにあるような気がして気持ちがよかった。 働くようになった今も、職場へ通うのに自転車は欠かせない。 しかし、職場との距離が近いことや、帰りが夜遅いのに帰ってからあれこれやることが多いため、隙間無く動いてばかりで寄り道からはとんと縁が遠くなってしまったのが悲しい。 またいつか、適当に走り回る機会が得られることを願って止まない今日この頃である。 余談だが、2年ほど前に知人の車に乗って、この通学路の近くを訪れる機会があった。 多少の道路整備こそ進んでいたものの、車の窓から見た風景は、相変わらず田舎道という印象をそこに残していたように思えた。 BOOがその道を自転車で走る機会はもう得られないだろうが、今もきっと見知らぬ誰かが魅了され、自転車でのほほんと走る喜びに目覚めているに違いない。 → NEXT COLUM |
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