なくなってみてわかるもの
後藤夕貴
更新日:2004年1月29日
 世の中、それが存在している間は価値観を感じないのに、いざなくなってみて初めて大切さを実感するものがある。
 のっけから深刻そうな話だが、重い雰囲気の話ではないので、まずはご安心を。


 最近ふと思ったこういうパターンの物の中に、「主題歌」というものがある。

 2003年4月6日から、フジテレビで始まった「アストロボーイ鉄腕アトム」
 原作上のアトムの誕生日(の前日)に放送開始という事でかなり話題になっていたアニメだ。
 近年最大級の完成度を誇る映像(セル画だって本当?)を、毎回惜しげもなく提供し、また今までのアニメ版で描かれていなかった描写(アトムのエネルギーキャパシティがめちゃくちゃ膨大であるという設定など)をきちんとこなしていたり、海外の放映事情を考慮したパート切りやマイルドな内容変更と、見所が大変多かった。
 生憎、内容の評価は低いようだが、いずれにしても、アニメ作品としての完成度は著しく高かった事は否定できないだろう。


 だが、この作品は、思わぬところでクレームがついた。
 オープニングの主題歌「true blue」

 
 女性4人のグループバンド・ZONEが歌う最初のオープニングテーマだったが、これに対して局にものすごい数の抗議が殺到したという。
 その内容は、もちろん「どうして“空を越えて〜ラララ星の彼方〜♪”の方を使わないのか?」というものだった。

 かくいう私も、(間違いなく使われないという確証はあったものの)この意見には同意だった。
 2003年にスタートする番組にしては古臭過ぎる歌詞・曲調ではあるけれど、アトムの主題歌は、ちょっと特殊な位置付けにあると言ってもいい。
 色々な世代の人達が見ていた作品のリメイクな訳だから、これは当然の反応だろう。


 「鉄人28号」もこれまで何度か映像化されたが、シリーズをまたいで同じ主題歌を使用したケースはなく、個人的な思い入れはともかく、世代を超越して「これが鉄人のテーマだ」と定められた物は存在しない。
 かの「サイボーグ009」も、『吹きすさぶ風がよく似合う…』の方が強いイメージを残すように思うが、世代によっては『赤いマフラーなびかせて…』の方がピンと来る人もいる(最新版のアレは論外として)。


 しかし「アトム」の場合は、これらとはまったく存在異議が違う。


 '80年に日本テレビで1年間放映されたバージョンは、正当に手塚プロの手を加えられて制作した、ある意味で最後のアトム映像化であった。
 こちらの主題歌は、旧作版の「少年合唱団」風ヴォーカルイメージだけは継承しつつも、まったく新しく、ベースの響きも鮮烈な大変ノリの良いアレンジバージョンに作り変えてしまった。
 またこの主題歌は、毎回アトムの活躍場面にも使用され、その斬新なアレンジも相俟って素晴らしい迫力と興奮を生み出していた。

 20年以上経った現在でも、私はこの曲がかかると血湧き肉踊る(笑)。

 いや実際、邦楽全般を考慮に入れても、カバー曲でこれだけ高い完成度を誇っているものには、私はいまだにお目にかかった事がない。

 この、いわゆる「新・鉄腕アトム」と呼ばれている版をリアルタイムで視聴していた人達にとって、主題歌はかけがえのないものになっていた筈なのだ。

 初代アニメ版で広く一般に広まり、80年度版でそのイメージが定着した…アトムの主題歌は、そういった過程を踏んで現在に至っているのだ。
 最初の主題歌のイメージが強烈で、次作のそれが受け入れられなかったりするケースはよくあるが、そういったものとも違う。
 アトムの主題歌のような例は、他のリメイク作品にもなかなかないものだと言えるだろう。


 ところが、この旧主題歌を現在のアトムで使用するには、いくつもの条件をクリアしていかなくてはならないというスタッフ側の発表があった。

 真相はともかく、色々複雑な事情があったらしく、さらにスタッフ側は「新生アトムなんだから、新しい曲を使用するべき」という考えを持っていたとも言っている。
 そんな事から、旧主題歌は“オルゴール調にアレンジされたBGM”として本編内に流されるというお茶濁しで使用され、同年10月以降は新エンディングテーマとして堂々の復活を遂げた…。


 …が。
 それに併せて変更された最新オープニング曲「Now or Never」(CHEMISTRY)は、悲惨の極致だった。

 いや、本来個人的な感想や好みを記すべきではないのかもしれないが、こればっかりは断言しても良かろう。
 突如、違和感バリバリのなんちゃってラップ風味になってしまったからだ。
 ラップで「科学の子ぉ」なんて言われても、ピンとこないんだけど(笑)。
 しかも映像も、同じ絵を何度も使い回すチープなものに成り下がってしまい、「こんな事なら変えない方が良かった」と思わせるものになってしまったのだ。


 そう。
 ここに至って、今回のお題「なくなってみてわかるもの」が出てくる。
 消えてしまった旧OPテーマ「true blue」の事だ。


 このコラムを書くにあたり、私はこのCDを購入し、あらためて聴いてみた。
 すると、かなり色々なものが見えてきた。

 つか、これいいじゃん。イイ曲だよ。
 なんで気が付かなかったんだろう?
 とっつきは悪いかも知れないけれど、大変よく考えて作られている。
 歌詞なんかを冷静に見てみると、これ、旧主題歌に負けないくらい「アトム」の事を考えた上で作られているじゃないか! …という事に気付くはずだ。

 イントロ部分は、なんとなくモノクロ時代の旧主題歌のそれを彷彿とさせるものだったり、曲が終わった後しばらくの間、サブタイトル時の歯車の効果音が響いていたりする。
 こういうのは、個人的にとても嬉しいと思う。


 他にも、見所は沢山ある。
 例えば、歌い出しの英語部分…


「What is the reason of my birth reason of my life question of man
 What he is
 What he wants」

(僕は、自分の生命、誕生の理由、そして人の姿を持っている訳を知りたい。

 そして、何を望むのか…)


 …と、いきなり意味深なモノローグだったりする。


 さらに見ていくと、


「今君に 見えない圧力(ちから)が襲い うつむいて 涙隠してた」
「どうすればいいか それさえわからずに アスファルトに咲く 雑草(はな)に勇気感じた」


 とか、

「今君に 悲しみや不安襲い 音をたて 崩れる心を
 あのパズルの様に 元に戻せたら
 不思議と少しだけ 大きな絵になるだろう」


 などという部分は、本編中ずっと「心」や「考え方」というものに対して悩み続けたアトムの姿が反映されている。…と見ていいだろう。
 

 さらにサビの

「いつも君の側にいるよ だからもう一人じゃない
 君が道に迷う時は 僕が先を歩くよ」


 これも、アトムが知り合ったキャラクター達に対する態度だろう。
 自分のあるべき姿を理解していないロボットや、ひねくれてしまった人間達に対して、アトムはこういった態度を何度か見せてきた。
 こういうのは、どちらかというとニュアンスみたいなものだと思うけどね。


「遠い空越えて 僕達(ぼくら)は飛び立つ」

 この部分は、恐らく旧主題歌の「空を超えて」の部分に引っ掛けたリスペクトだろう。

 個人的に好きなのが、

「いつかまた 君が笑顔をなくしそうになったら
 いつでもどこでも呼んでよ  永遠だよ、僕達(ぼくら)は…」


 という部分だ。
 
 私はここを聴く度に、サンコミックス版「鉄腕アトム」別巻(実質22冊目の最終巻)ラストに掲載されている、さらに50年後の世界で目覚めたアトムの物語を思い出す。

 ロボットが人間を完全支配している世の中になってしまい、ロボットは娯楽のために人間の赤子を“買い”、これを教育して、ある程度成長させたら人間同士で殺し合いを行わせ、これを見て悦楽を得るという凄まじい世界。
 世界的な雰囲気は、ほとんど「人類ほとんどオルフェノクと化した世界」のアレのようだ(笑)。
 その中で恋人と逃走する男は、博物館に眠っているアトムにエネルギーを与え、再起動させる。
 ロボットとはいえ、アトムは人間の味方をしてくれる筈だから…という理由だ。
 もちろんアトムは彼らの味方をしてくれるのだが…というお話。

 結末はかなりシュールで一抹の寂しさと絶望が残るという、手塚カラーバリバリの短編だが、このように「時代を超えて出会う事ができる」存在ともいえるアトムに相応しい歌詞といえる。
 実際、原作本編中では「生まれて18回目のクリスマスかあ」と呟くシーンがあったり、1990年代などにタイムスリップしてしまう「アトム今昔物語」があったりと、アトムに対しては時間の概念がかなり特殊に扱われている事がわかる。


 閑話休題。

 とにかく、よく考えられていた筈の新主題歌「true blue」は、確固たるイメージを築き上げた前主題歌と並び立つ事は認められなかった。
 これは、間違いない事実である。
 鉄人の曲が変わっても、009の曲が変わっても大きな波紋は出なかったのに、アトムだけは「世が動いた」のだ。

 ここからは完全な推測になるのだが、おそらくこれの最大の問題(と写った要素)は、ZONEが歌ったことだろうと思う。

 個人的な好き嫌いはともかくとして、あまりにもアニメからかけ離れたイメージのあるアーティストを用いた事による違和感が生じたのではないかと。
 事実、私もこれを初めて聴いた時「おいおい、ZONEかよ!」と思わず呟いたほどだ。
 人によっては、それだけで凄まじい反発材料になるだろう。
 (本人達は、懸命にアトムの原作を読み込んでファンになったらしいのだが…哀れだ)


 近年、アニメの主題歌が「本編のイメージとまったく結びつかない」ものばかりとなり、大変嘆かわしい事態となっている。
 もちろん全部が全部そうではないし、イメージ不似合いのものは昔からポツポツと見受けられはしたのだが、どうも「るろうに剣心」あたりから「アニメの主題歌にすると売れる」というイメージが定着してしまったらしく、メジャータイトルのアニメ化には、かなりの高確率で「イメージにそぐわない」テーマソングがくっつくようになった。

 「アストロボーイ鉄腕アトム」は、その知名度だけで高視聴率を期待できる作品だ。
 なんせ、あの三菱がスポンサーについているくらいだもの。
 それだけのビッグタイトルなのだから、オープニング枠とエンディング枠には、それなりに売りこみたい“邦楽”を差し込みたくなるのは人情だ。
 藤井フミヤがエンディングに曲を入れたのも、そういった背景がなかったとはいえないだろう。
 もっとも、フミヤ本人かなりのアトムファンなので、曲のイメージはアトムに相応しいようにとしっかり構築してくれたようだが。

 問題なのは、そういう「曲の宣伝目的」というイメージを、視聴者が持ってしまった事ではないだろうか。
 先の「るろ剣」にしても、これの主題歌となった曲はほぼすべてバリバリの邦楽で、しかもそのほとんどは、テレビで流される際に「アニメ・るろうに剣心の〜」というキャプションをつけられていた。
 かつて「アニメの主題歌である事を必死で隠そうとしていた」ものがあったなんて、信じられないようだ(笑)。

 とにかく、実際は作品内容を充分考慮して作成されたものであったとしても、些細な違和感があればすぐに「どーせまた適当な邦楽の売り込みだろう?」と捉えられるケースは、かなり増えてきているのではないかと思う。
 事実、新しいオープニンクはCHEMISTRYのものだ。
 それだけで、聴いた人はCHEMISTRYの“アニメのテーマソングからは程遠い”イメージを抱いてしまうだろう。
 そして、また「邦楽の売り込み」イメージが先行するのだ。

 それがイコール悪い事とは決して言わないが、その作品に思い入れている人にとっては大変面白くない事であるのは事実だ。
 そして、アトムの場合はこれが爆発したという事なのだ。

 仮に、前主題歌をも遥かに超越するかのようなアトムに相応しい主題歌が生まれていたとしても、それすら迎え入れられる事はなかったのだろう。


 「true blue」…できれば別な形で出会いたいと思わされた、名曲だったと私は思う。


 ちなみに、オープニングの変更に併せて、ついにエンディングテーマとして復活した旧主題歌だったが…チャチなアレンジをかまされ、カタルシスも何もあったもんじゃない情けない曲が、落ちつきなく入れ替えられるというみっともないものになってしまった。
 これだけ見ていると、なんかスタッフは「使いたいけど使えなかった」んではなく、「ただ単に古い曲だから使いたくなかっただけ」ってのが本音だったんじゃないかとすら邪推してしまいたくなる。


 曲に思い入れのある人に対するあてつけでしかないよ、あのエンディングは…


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