思わぬ物を押しつけられた
所謂、現在でいうところの「コレジャナイ」だ。
つまり、「合体するデラックスの方が欲しかったのに、どーしてスタンダートの方を買ってくるかなぁ」的な事をされてしまった、子供の哀れである。
昔からこういう事は良くあるのだが、あえてマジメに考えてみた。
キャラクター玩具は、買う側の基本知識をさらに高めないと“買ってきてあげる”事すら困難な傾向がさらに強くなってきた。
子供も、欲しい玩具を親が理解していないだろう事をわかっているので、執拗に商品の説明をする。
しかし、それでも間違って買われてくるケースは発生し、「子供を喜ばせるつもりが、とんでもないトラウマを与えてしまう」結果にもなりかねない。
一見すごくくだらないトラブルに感じられるが、実はこれ、結構深刻である。
現に、子供の頃こういう経験のある人は、そのときの事を意外と明確に覚えているものだ。
むしろ「お金がないから、買ってあげられないの。我慢しなさい」的なやりとりの方が、まだマシというから驚かされる。
本文でも、大人と子供の玩具に対する認識が違いすぎるという事を記した。
これは自論になるのだが、筆者は「子供と一緒にその作品を見て、大人も学習するべき」だと昔から考えている。
これは決して、自分がそういう方面に多少詳しい人間であるから、という訳ではない。
子供には、大人のこういった思いやりがストレートに伝わる事は少なく、たいがいにおいて「裏切られた」という感覚に近いものを覚えてしまう傾向がある。
甘やかす・甘やかさないといった事ではなく、一度約束したからには、それを守るための努力や調査は絶対必要だという事なのだ。
そのためには、子供が好きな番組を一緒に観て、そして一緒におもちゃ売場などを下見するという事が重要だ。
中にはそういう行為に嫌悪感を抱く人もいるだろうが、他にも子供のためにしなくちゃならない努力もあるわけで、その一端としてどうか割り切って欲しいのだ。
その場の適当な選択や妥協によって行われた行動の結果が「裏切り」と取られ、子供に対して「なんだい、せっかく買ってやったのに」と考えるのは愚の骨頂。
そんなつまらない事で、一時的にとはいえ不仲になる必要があるだろうか。
逆に、一度約束した事を守ってもらえた時の子供の喜びようは、みているこちらも微笑ましく感じる程だ。
そしてそれは、努力の結果に見合うだけの価値がある事だ。
十年以上前だが、当時小学校低学年だった従妹に「アイドル伝説えりこ」の商品を誕生日プレゼントに買ってくれと頼まれた事がある。
もちろん、筆者は言われるまでもなくその商品のことを熟知していた訳だが、十数分にも渡る説明をあえて聞いた。
本当に一生懸命伝えようと努力して話すので、途中で止められなかったというのもあるが。
その後、約束通りそれを持っていった時の喜びようは、もう凄いものだった。
こちらがなんか照れくさくなるくらいだったけど、同時に、子供は誰しもこういう感覚を持った上で欲しい物をねだっているんだな、と再認識させられた。
甘やかす気がなかったり、喜ばせるつもりがないんなら、はなから約束なんかするものじゃない。
また、万が一買えない可能性が出てくるようならば、そういう事情も丁寧に説明しておけばいい。
後者は、使い方によってはさらに喜びを増してやる事もできるのだし。
自分と約束した以上、そういう事情をすべて理解した上で許してくれたのだ、という事を、子供は大人が想像している以上に強く認識している。
マニアックな事は一切抜きにしても、そういう事だけは大切に考えてあげて欲しいかな、なんて、ふと思ったりしたのだ。
ちなみに先の従妹は、その後コギャルを経てして立派に成人しましたとさ。
今となっちゃ死語だけど、本当に経過しちゃったんだから仕方ない。