腐り姫 〜euthanasia〜
 あのライアーソフトが作った、シリアスストーリーのゲームという事で話題になったタイトル。 
 果たしてそのシリアス度はどれくらい?
 そしてまた、本当にギャグは無いのか?(ンナワケナイジャーン)

 さらに、この不気味なタイトルの意味するものは何か…?

1.メーカー名:ライアーソフト
2.ジャンル:ADV。ただしかなり特殊
3.ストーリー完成度:B
4.H度:B
5.オススメ度:A
6.攻略難易度:C
7.その他:何の説明も受けずにプレイすると、一回目ではかなり面食らう事必至かも。
 何度も最初からやり直すという行為、これを受け入れる事が素直に出来る人はどれくらい?!


(ストーリー)
 主人公・簸川五樹は、半年前に記憶喪失状態となってしまった青年。
 彼の本当の母・朱音はすでに亡くなっており、父・健昭と妹・樹里は心中したのだという。
 だが、いまだ思い出せない彼にとっては、それはまったく実感を伴わない報告に過ぎなかった。

 8月11日、五樹は現在の家族と共に、故郷である「とうかんもり」へとやって来ていた。
 かつて過ごしたこの地でゆっくりとした生活を送る事で、何かを取り戻せるかもしれないという医師の意見だった。
 また、周囲の人々も、彼の過去についてそれぞれ複雑な想いを秘めているようであった。
 共に住むのは、盲目の義母・芳野と、その実娘であり、義妹である潤。
 そして、ひょんな事から簸川家で預かる事になった謎の少女「蔵女」。
 潤曰く、この蔵女は“死んだ妹・樹里にうり二つ”だという…
 
 だが、その「蔵女」は人間ではなかった。
 右中指の鋭い爪で相手を刺し、その者の心の中の欲望を叶える代わりにその肉体と精神を“腐り落とさせる”妖しの存在であった。
 彼女と出会った日からの四日間…五樹は、この時間を何度も繰り返す。
 たとえその事に気が付いても…

 “腐り姫”と伝承される存在・蔵女の正体と、その目的は何か?
 そして、失われた五樹の過去には、いったいどのような事があったというのだろうか?


 色々と言いたい事はあるのだけど、全体的には非常に完成度が高いソフトだったと思う。
 世界観・雰囲気の徹底も完璧、物語への求心力も充分なものがあり、大変楽しめた。
 で、当然これまでの経過から「ライアーソフトが作ったんだから、どこかにきっと…?」といった見方も当然有るわけで(笑)。
 それらは豪快に全て後回しにして、まずはゲーム全体の批評を…


(注)
完全ネタバレなので、未プレイおよびプレイ予定の人はご注意ください!!


 「腐り姫」は、選択肢によって展開が変化し、いくつかの異なるエンディングにたどり着くタイプのADV…ではない
 途中にある選択肢によって場面が変わったり、見られるシーンの有無が決定したりはするが、基本的な物語の流れは一本だけだ。
 最後の選択肢や、途中の重要な選択部分での行動結果によって複数のエンディングにたどり着く事はあるが、全体が大きく変化するという事はないのだ。
 代わりに、かなり特異なシステムを持っている。
 それは「何度もスタートからやり直し」て物語を進めるというものだ。
 どういう事かというと、4日目で自動的に世界が終焉を迎えて(強制的に物語が終わる)しまうため、その続き…すなわち、次に主人公が同じ日々を繰り返すためには、再度スタートラインに立たねばならないという事なのだ。
 これは、それまでのセーブデータの再利用などを一切せずに「最初から始める」を選択するようなものなのだが、実際にそこから始まるスタートは“本当に最初からの始まり”ではなく、“すでに世界を一巡した後の地点”となる。
 てっとり早く言えば、話を進める過程で「最初からプレイ」する形式を取るだけで、進行は継続しっ放しという事だ。
 セーブデータの再利用は、最後の最後の選択肢以外ではほとんど意味がない。
 すなわち、そのままで進行させていった場合は、二度と“本当の最初”に戻る事は出来ないのだ。
 だいたいこれを9〜13回ほど繰り返す事で、一つのエンディングに達する。
 これが、おおまかな全体の流れになる。
 
 一度エンディングテロップを見た場合は、「既視感」というコーナーを選択し、ここで「記憶を失う」という選択をしなくてはならない。
 テキストのスキップが本格的に利用できるのも、ここから先の話。
 これまでの進行記録とセーブデータをすべて抹消する代わりに、再び本当のスタートラインに立つ事が出来、二つ目以降の別なエンディングを見るためには絶対選ばなくてはならない。
 セーブポイントが全部で100カ所もあるんだから、なんとかならないものか…とも考えた事があるが、実はコレ、そんなに不便さを感じない。
 総合進行のデータはしっかり別保存されているので、プレイ上まったく問題はないのだ。
 これをだいたい3セット繰り返す事で一通りの物語が終了し、「オマケ」が開くようになっている。
 この流れを知らないと、途中で絶対一度はとまどってしまうという特殊性に溢れたシステムと言えよう。

 …どーでもいいのだが、セーブポイントはこういうスタイルのシステムだったなら、100カ所も必要なかったのでは…?!

 で、これまでライアーソフトのタイトルをプレイした事のない筆者は、念のため「唯一他のライアーソフトをれびゅうした」梨瀬成に確認し、「ぶるまー2000」の進行システムと比較を試みた(古いタイトルで大変申し訳ないが)。
 その結果、“同じスタートラインを何度も経過する”という部分は似ているものの、かなり進化したという印象を受けた。
 「ぶるまー2000」は、タイトーのシューティングゲーム『ダライアス』シリーズのように選択肢によってどんどんルートが分岐していくというものであったが、その結果同じポイントを何度も通過しなくてはならないという問題があった。
 しかし「腐り姫」は、同じループでもそれぞれの内容はまったく違うため、常に新鮮な雰囲気があって退屈しないし、そんな事を比較している暇もない。
 また「記憶を失う」を選択後のやり直しも、一気に次の選択肢までスッ飛ぶ”というシステムのおかげで全然苦にならない。
 未読部分ではしっかり止まってくれるように調整する事も当然可能で、面白いくらいにストレスが感じられない。
 都合3セットは繰り返す本作の進行だが、推定10時間前後かかった(筆者の)1周目のプレイ時間に対し、2&3周目の総合プレイ時間は30分を割っている
 これは、それぞれが30分という事ではなく、あくまで全部の合計の話。しかも、未読部分も当然じっくり読んでいる。
 システムが怖いくらいに便利だという事が、おわかりいただけるだろうか?
 こういった事からも、エンディングや達成率つぶしのための作業的プレイが苦痛にならない。これは大変評価できる。

 さらに面白いのが「盲点」という独特のシステムの存在だ。
 これをONにしておくと、物語の合間に突然ギャグタッチのショートショートが挿入され、緊迫した空気を色々な意味で引っかき回してくれるというもの。
 ギャグキャラと化した蔵女を司会に、様々なバラエティ番組をパロった舞台で身体を張ったギャグを連発してくれる。
 これはタイトルが示す通り、一応は「シナリオ内で見落としがちなポイントのピックアップ」をするという目的があるようだが、はっきり言って最初はホントにそういう目的があるのか理解に苦しむ(笑)。
 しかし何回も見続けていると、それぞれのコントやギャグの中にも鋭い指摘や考察が混じっている事に気付かされ、なかなか目が離せなくなる。
 もちろん、そういったプレイヤーの思惑をスカすかのようにフェイクが混じったりもするが、「サ○エサン」の次回予告風パロディで紹介した事が、全部本当に本編に反映されてたりする(ご丁寧にジャンケンまでやってくれるし)。
 最初は「盲点」に引っかけて“笑点”ネタでかかってくるが、一通り眺めてみる価値はあるかもしれない。
 
 とはいえ、やはり「シリアスな展開の最中に茶々を入れてほしくないなぁ」というプレイヤーのために、これを封じる事もできるようになっている。
 このコーナー、会話の所々にトンでもないネタが内包されている事が多く、その意味を知っている人は大爆笑必死!
 映画評論家・水野晴郎氏が監督・主演した事と、「ラスト2段のどんでん返し」で有名な『シベリア超特急』がネタとして出てきた時には、心底このメーカーの恐ろしさ(?!)を味わってしまった。
 こういう所はちゃんと押さえてあるので、ライアー派の方も安心パパといった感じだ(意味不明)。
 

 さて、これだけ魅力的かつ独創的(爆)な本作ではあるが、当然ながらちょっときつい問題点も存在する。
 ライアーソフトのタイトルを購入した経験のある人ならだいたいは解ってもらえると思うが、本作も例外なく“修正ファイル”という初回特典が存在する。
 いきなりフロッピー同梱という「あ、やっぱり」的なものだが、これがないとゲームにかなりの支障が生じるらしい(筆者は迷わず導入してからプレイしたので違いはわからないが)。
 ここでよくありがちな「修正ファイルが必要だなんて云々」といった言葉を紡ぐつもりはさらさらないが、減点ポイントである事は間違いないだろう。

 どうもこの修正ファイルを導入すると、それまでのセーブデータが抹消されてしまうらしいので、一度退避させるか、導入後のプレイと割り切った方がいいらしい。
 しかも、オフィシャルサイトにはこれの上位版修正データがアップロードされており、なんとその容量は6MBを超える!(版数によっては使用しなくても良いらしいのだが…)
 これを使用すればフロッピー版を使用する必要はなくなるとの事だが、いくらなんでも6メガとは…なんて思ったらまだ甘い。
 プレイには絶対必要という訳ではないが、同じページにもう一つ「ムービー修正版」データがアップされており、その容量はなんと44MB!!
 二つ合わせて約50MB…ダイヤル回線使用ユーザーにとってはかなり厳しい事はいうまでもないのだが、それ以前にライアーソフトのオフィシャルサイト自体がかなり重く、ADSLを使用しても表示にかなりの時間を要するというトラップ(?)がある。
 いずれせよ、ダウンロードにはそれなりの覚悟が必要だという事だろうか。


 「腐り姫」は、その設定概要や舞台の雰囲気、CGなどからかなりホラー色が強い作品のように見受けられがちだが、意外にもしっとりとした風味の物語で、ホラーテイストよりも、むしろ「謎」を前面に押し出している傾向がある。
 しかも、某特撮番組みたいに“謎を出しっ放しにして後は知らん顔”という風にはなっておらず、キチンと収拾をつけようと努力している所は評価したい。
 もちろんこの“収拾のつけ方”そのものに疑問点がない訳ではないのだが、近年の同タイプの作品としては立派な姿勢だと思う。
 
 この作品で描かれていたテーマというか、“怖い”と表現できる部分は、腐り姫の力や存在そのものではなく、それによって輪郭を強調されて浮かび出る「人間の情念」や「盲執」「狂気」といったものだ。
 異質の存在・人間外の者によって、別な恐怖を見せつけられる皮肉は大変奥深いものを感じさせるのだが、これはいわば事態の裏側に潜む“望んでいた通りにはならない”事柄が発する苦みというか、やや特殊な味わい・嗜好なのではないかと考える。
 要するに「プレイヤーを選ぶ」タイプの作品だという事に繋がるのだが、近年こういうタイプのタイトルが少なくなってきた感もあるので、個人的にはどんどん行っていただきたい所だったりする。

 一見ただの“主人公の失われた記憶を辿る”展開と思わせておいて、実は彼をとりまく登場人物達ほぼすべてが、何かしらの思惑を心中に秘めて接しているという図式は、直接的ではない、しかしどこか複雑な形を作りだし、単純ではいかない面白さに昇華しているようだ。
 主人公の過去は、当初プレイヤーに与えられた情報からでは、それなりに普通の幸福を味わっていた状態から急転直下で最悪の状況へ追い込まれたかのように感じさせられる。
 しかし実際はそうではない…というフェイクが活きており、ちょうどプレイヤーがそれまでの過去のイメージに対して疑問を抱き始める頃に、他キャラの思惑が判明し始めるようになっている。

 一番最初に“赤い雪”になってしまう伊勢きりこを見てみよう。
 彼女は、とうとう最後まで主人公の過去を隠し通したままで(事実上)退場しているが、決して彼の過去を知らないという事はないようだ。
 むしろ必死になって、過去との決別を迫るよう頑なな態度をとり続けているが、彼女の本当の望みは「過去に対するこだわりを捨ててくれる」事ではなく、自分の気持ちを理解した上で、あらたな未来に目を向けて欲しいというものだった。その果てに、人間として求めていた“結びつき”があったのだ。
 まあ、きりこみたいな立場の人間だったとしたら当然の見解であり、まったく不自然な事はない考えだ。
 しかし、本編では“別な目論見を持つ”夏生と激突させたり、きりこを不必要かつ余計な発言は絶対にせず、しかも沈黙しようと決めた事は絶対に貫くという性格に設定しているため、この「当然の見解」が、まったく違う方向の考えに見えてくる様になっているのだ。
 ゲーム中、あまりに一方的な意見をたたきつけ続けるきりこに対して、不快感を覚えなかったというプレイヤーはほとんどいなかったのではないだろうか?
 主人公が過去の記憶を求めるのは、いわばプレイヤーがゲームの基本設定を知りたがる事とシンクロしているようなものだから、彼女の意見は、いわばそれを阻害したいようにも感じられる発言であり、わざと神経を逆撫でしているかのようだ。
 だが、そんな“いちいち引っかかるような発言”になっているのは、明らかに意図的な計算の上で設定されたものだろう。
 そしてそれが隠れ蓑となり、きりこが主人公の過去を隠す理由(=主人公の過去が尋常なものではないという事の示唆)に微妙なフィルターがかかるのだ。
 きりこが一番最初に深く主人公に関わってくるというのも、全体像を見せないままで一通りの物事の流れをプレイヤーに知らしめるためのものだ。
 おそらくは、この後の各ヒロインを巡るエピソードの順番も、そういった観点から決定されていたのではなかろうか。
 これらはすべて適当に順番を決めた訳ではなく、充分計算された上での演出だったとしか思えない。
 この一連の練り込みには、素直に感嘆させられてしまう。
 その他、同様に重厚なバックボーンを抱えたキャラクター達が絡んでくるが、これらが非常に良い意味で“重い”雰囲気を構築してくれている。
 
 主人公の過去探求以外の部分にも、見るべき部分が詰まっている。
 先に「狂気」と記した部分の事だが、この作品に登場するキャラクターは、大なり小なりどこかに“狂い”を生じさせてしまっている。
 その中核に、主人公の記憶喪失にまつわる関連の事柄があるわけだが、この描写が実に上手い。
 後に触れるが、まず本編の根底には、最大の歪みとも言える「近親愛」というペースがある。
 しかも、これが単純な「母が息子を好き」とか「お兄ちゃん大好き」だけに止まらず、必ず余計な要素が混じっている所が深い。これこそが「盲執」というものなのだろうか。
 本編では、誰かが誰かを好きになる事には、必ずただならぬ理由が付加されている。
 なれそめがごく一般的なパターンなのはきりこくらいであり、それ以外は「好きになった過程に特別強いものはないが、その望みを果たす事に固執する」というスタンスでほぼ統一されている。
 つまりは、キャラクター同士が関われば関わるるほど、その繋がりや心の交流が多様化し、より複雑さを増していくようなのだ。だが、記憶を失っている主人公には、それらをストレートに実感する事が困難で、記憶の断片が覚醒を始める事で、ようやくそういう一面に触れていくのだ。
 そして、「蔵女」がそういう部分を際立たせ、そしてむき出しの状態へと変えてしまう。
 どうやら彼女達(!)には、相手から精髄を抜き取って糧にするという必然性があり、その結果として「腐らせる=赤い雪に変える」らしい。
 そして、犠牲者には代償として望みが叶えられるのだ。いわば一番幸せな状態のままで死に赴くという事だろう。
 しかし、それは蔵女が与えた幻想だったり、まるっきり事実と正反対の幻覚だったりもする。
 またその差異も、物語の味わいとなっているのが不思議だ。
 
 一度死んだ人間は、次のループの時には「魂の抜け殻」として登場し、あっさりと自分の主張を「主人公にとって都合良く合わせて」変更して引き下がってしまう。
 そしてこれが、“目の前の人は、本当はもういないんだ”という悲壮感を煽り立てる工夫になっている点も見逃せない。
 これは、死んでしまったキャラクターを「死にっ放し」にしておくよりも痛烈だったりする。
 芳野などは、厳格かつ穏和な態度を見せる麗人として描かれていたのに、その退場間際では、まるで喜びに打ち震える少女のようなあどけなさを見せる。
 長い間、好きな人から愛情を与えられなかった無念を、都合2エピソードにも分けて描いていたのだから、その鬱積が晴れた場面として非常に説得力のあるものになっている。
 だが、すでにプレイヤーはこの場面を見せられた段階で、それまでの過程から彼女の結末を察してしまえる訳だ。
 そして、その後「魂の抜け殻」として接してくる彼女に対して、さらなる悲壮感を感じてしまう事になる。
 そういった流れから感じてしまう感覚は、とてつもなく悲しく、胸に深く残るものとなるのだ。 
 主人公も、そうしていなくなってしまったキャラクター達に対して同様の感傷を抱く事になる。
 これが非常に上手く描写されているため、6回目前後のルーブの辺りでは、もっともプレイヤーと主人公の感覚が近くなっているのではなかろうか。


 ゲーム中のキャラクター自体の表現を見てみると、一部「おやっ?」と思わされる部分があったりする。
 実は本作は、これまでのADVとはちょっと違ったキャラクター表示を行っており、全景を移した場面の上に、その時ピックアップされているキャラクターのバストアップが重なるようになっている。
 つまり、背景のグリルでは主人公や蔵女が座っている絵が表示されているのに、その上にさらに主人公と蔵女のバストアップが重なっていたりするのだ。
 また背景の中に表示されるキャラクターも、全身が描かれているどころかものすごく小さくポツンと出ているだけだったりして、人物だけじゃなく、舞台背景にも否応なしに注目させられるのだ。
 これは非常に面白い手法で、実験的ではあるものの、舞台とキャラクター両方を印象付けるためにはかなりの効果が期待できる。
 しかし、反面「初登場なのにパストアップなし」とか「とうとう最後まで遠景表示しかされなかった」キャラクターなども出てきており、これらがムラとなって感じられてしまうのは惜しい。リカルドや紅涙先生などは、バストアップが是非欲しかった所。
 ましてやオマケシナリオや、オフィシャルの方で活躍している「全裸刑事」こと那霧清香刑事なんかは、本編中でももっとまともに描いて欲しかったものだ。
 そこでまともに登場していてこその「全裸〜ファイト」だと思うのだが(笑)。

 さて、次に本作最大の問題描写である「近親相姦」だが、ご存知の通り三親等までの親族との姦淫表現は「ソフ倫」の検閲対象になってしまい、過去にもいくつかこれに引っかかって発禁処分になったタイトルがあった(義妹モノや義母モノについてはまぁナニアレで)。
 しかし「腐り姫」は、どうもこの規制に真っ向から立ち向かったかのような印象がある。
 まず前提として、このゲームでは紛れもない「血の繋がった妹とのSEXシーン」が何度も、しかも妙に長い時間に渡って登場する事を記しておく。
 さらに、わざわざその最中に「血の繋がった兄妹〜」というフレーズをしつこく繰り返している。
 また、それぞれが“やっぱりホントの兄妹ではありませんでした。きゃはっ☆”だったというオチもない
 かなりヤバイ雰囲気プンプンだが、実はこれらの要素は物語の中でも絶対に外せない重要な骨子になっているため、描かずに切り抜ける事は極めて困難ではなかったか、とさえ思わされる。
 こういった事をはじめとして、他にも「父親と娘(樹里)との関係」「主人公と義母の関係」など、バリエーションが豊富だ。
 では、なぜここまで際どい所を通り抜けてまで表現する必要があったのか、ここを考えてみたい。

 物語の根元的元凶となっているのは、主人公の実の妹であり、本編最大の“毒婦”とも言える樹里だ。
 そもそも彼女の存在がなければ、結果的に「腐り姫」の中で描かれたすべての出来事は存在しえなかった程なのだ。
 兄・主人公と結ばれるために、あらゆる手段を利用して“彼に近づく者を排除”しようとする。
 そして、それは時として「相手を殺す」事であってもためらわない。
 主人公になついていた犬だけでなく、義母の芳野にすら(未遂とはいえ)手をかけようとした。
 それだけでなく、実の父親をも誘惑して利用するという邪悪な面も見せ、マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人並の恐ろしさを提示した。
 だが、物語初頭では彼女の幼かった頃の思い出をいかにも「妹萌え狙い」的に描いており、その確信犯ぶりが伺える。
 その上、スタートした段階ではすでに死んでしまっている訳だから、彼女の罪を裁く事も出来なければ、目的意識を確認する事すら叶わないのだ。
 まことうまく活かされている設定の集積だ。
 こんなタイプのキャラクター、近年ではかなり珍しいのではなかろうか。
 
 そして、主人公はそんな樹里に深く魅了されている。
 記憶を失う前も、すべての事情を理解しつつも、最終的に彼女の存在を求めてしまった。
 記憶喪失状態の主人公は「過去の楽しかった思い出」を、まるですべての生活がそうであったかのように考えていた訳だが、実際にはそうではないというどんでん返しがあり、やはりその中心核には樹里がいたのだ。
 死亡時には高校生になっていたというのに、主人公の回想の中に出てくる樹里はすべて幼い頃のビジョンばかりだというのも、あからさまに狙った演出だろう(広い意味で)。
 きりことのなれそめを経験した後だというのに、それでも最終的に樹里と共に滅びる道を選択したというのも、ものすごい皮肉だ。
 すべての事実が判明した後に振り返ると、きりこを巡るすべての出来事が最終的にはすべて空回りだったという事を思い知らされるが、これは決してシナリオの粗から出てしまった事ではない。
 そういう部分も味わいとして提供しているという事なのだろう。

 後半、樹里の(現実という意味での)正体を知らしめるため、その凄まじい毒婦ぶりを表現させるため、蔵女の能力によって主人公はひたすら樹里に責め立てられ続ける
 …と、ここまでの状況をもう一度冷静に考えてみると、実は主人公は、現実的には一度も樹里とは肉体の交わりを持っていない事が解る。
 本編内で登場する「樹里とのHシーン」はすべて幻想であり、過去の記憶ではない。
 また、考え方によっては「蔵女」自身がそう錯覚させて演じているようにも見える工夫まで施されている。
 その証拠に、すべてのシーンが現在進行形か、あるいは過去の回想とははっきり言い切れない曖昧なものになっているのだ。
 途中何度か挿入される「樹里の手首が誰かに捕まれている」グラフィックと、その際に表現される姦淫シーンで、とうとう最後まで“相手の男性が誰か”明確にされないのも、これが理由だ
 父・健昭との姦淫についても、キャラクターの会話や回想の中の言葉でしか出てこない事なので、突き詰めようがない。
 なるほど、よくまあここまでやったものだ…(驚)。

 すべての事柄の中心に立つ存在・樹里の恐ろしさもさる事ながら、まるでその化身とも言わんがばかりに暗躍する「蔵女」自身も、なかなかとんでもない奴だ。
 幼い子供の外見で、言葉や口調だけが大人びていて妙に無感情、だけど妙に子供っぽい行動を取ったりもする。
 どこまでが演技か、どこまでが本音なのかがまったく不明瞭…そして、ループが繰り返される度に感情豊かになっていく。
 これらが味わわせる心理的な恐怖感は、なかなかのものだ。
 異形の者の登場による表面的な恐怖ではない、すぐ身近にいる者が突如として狂奔に走る怖さとでも言えばいいか、ちょっと趣の異なるタイプのものであるが。
 とはいえ、一方的な恐怖の対象ばかりでもない。
 与えられたジュースを瞬間で飲み干し、次々におかわりを要求したり、潤達とみているドラマ「愛のハリケーンミキサー(笑)」の時間をきちんとチェックしていたり、ルービックキューブやってたりカブト虫で遊んでたりと、なかなか微笑ましい仕草を見せてくれる。
 そんな姿も、本来の姿を助長するための演技としてだけ見る事も出来る訳だが、まあなかなかに楽しいものではあったりする。
 特に終盤では、急激に彼女に対する思い入れを強要される部分があるので、こういう所をあらかじめ意識して見ておくというのも、悪くはないのかもしれない。
 この終盤の〜という事については、後にまた触れてみたい。


 ストーリー展開は、冒頭で触れたように「同じ日を何度も繰り返す」という概念をベースとして、繰り返されるたびに変わっていく様々な事柄を、主人公の視点で眺めていく形式となっている。
 最近、この「同じ日を繰り返す」というのを色々な作品で見かけるような気がするが、本作の場合は一応あらゆる事にリセットがかかっており、唯一主人公にそれが徹底されていない。
 これは、蔵女には主人公に対して思う事があるためだが、徹底されていないというのは、途中夏生にも記憶が残留してしまうケースが発生する事からもはっきりしている。
 物語中盤までは、「どうして蔵女は、同じ日を何度も繰り返させるのか」という疑問が中枢となって展開していく。
 これは、プレイヤーの探求心をかき立てるには充分すぎるものがあり、いわばその他の細かい疑問は、これを彩っているオプション的なものにすぎない事も見えてくる。
 そう、興味をそそらせる謎は、大きいのが中心に一つあれば充分という事の証明だ。
 この部分に込められた意味の大きさが、他の同タイプ作品と比べた場合もっとも大きな違いと感じられるポイントだ。

 また、蔵女の能力“腐らせる”というものも、非常に興味深いエッセンスとして機能している。
 その言葉からかなりグロテスクな印象を与えるが、これは先の通り「引導を渡す」意味合い程度でしかない。
 肝心なのは、その結果“世界の崩壊”の象徴として描かれる「赤い雪」の方なのだ。
 きりこと共に東京へ戻るエンディングで、電車の窓から見える“赤い雪に包まれた都会”をはじめとして、赤と青の彩色に包まれた背景は、独特の恐怖感と哀愁を感じさせる。
 赤い雪というものが持つ意味…すなわち、これは本作内では“人が滅びる”というイメージの映像化であり、これに包まれるという事は、ストレートに「大変な事態が発生している」事をプレイヤーに伝える役割を発揮している。
 これで、蔵女イコール「世界を滅ぼす事も可能な力を持つ存在」であるという事が徐々にわかってくるという流れは、なかなか凄みを感じさせる。
 

 ところが、この「赤い雪の謎」から派生する解答と結末、そして物語の裏に潜んでいた真実の提示には、かなり大きな問題や疑問が感じられてしまう気がする
 ここまで非常に丁寧に描かれていたものが、解答と同時に“悪い意味での”崩壊を見せ始めると表現すればいいだろうか?
 残念ながら、オチについてはどうしても納得できないものが残ってしまうのだ…

 まず、主人公の「覚醒」。
 結局“父と妹の心中”自体がフェイクだったというオチについてはいいのだが、樹里と共にすでに死んでしまっていた主人公、そしてその後、蔵女によって命を与えられ、同じ時を繰り返させて“覚醒”させられていたという「蔵女の目的」は、万人を納得させられるほどのものだったのだろうか?
 結局、主人公は蔵女と同じような能力を持つ同等の存在であり、その気になれば永遠に生き続けられるだけでなく、あらゆる時間を行き来できる超越生命体のようなものだったというオチは、かなり難色を示さざるを得ない。
 また、蔵女のデザインを決定したというくだりも、彼の父や母の過去の経過を辿るというくだりも、結局は“回想だけで補完させる事は出来ないから、超能力で直接覗いてくる事にしました”的な発想で、斬新なのかもしれないが全然そこまでの物語の流れと溶け合っていない。
 突然ヘンな存在になってしまう主人公と、その覚醒後の物語展開は、違和感の総集編とも言えるくらいなのだ。
 
 それだけではない。
 凄まじい昔の時代から登場し、「腐り姫」なる呼称を得た存在である蔵女の実質的な正体だが、これはもう…コメントに困る。

 なぜここで、突然SF的概念が出てこなければならないのだろうか?!

 どうやら、蔵女は高度文明の異星人が作り出した人造生命体らしく、自身で死ぬ事すら出来ず創造主が死に果てた後も目的もなくさまよい、地球にたどり着いた…らしいという事はわかった。
 だから、それまでにも地球以外のいくつもの惑星を「そこの人間を全員“赤い雪”に変えて」滅ぼしてきたのだろう。
 それはまあいいのだが、どうしてここでそんな突飛な設定が登場してしまったのだろうか。
 おそらく、そこまでプレイしてきた人が一番面食らってしまう所ではないかと思われる。

 色々と考察してみたのだが、おそらくはこういう経過だったのではないだろうか。
 「腐り姫」は、多くの謎を散りばめながら物語を進行させたが、その謎一つひとつに、一通りの理由説明・解答を用意した
 これは、自身が提供した題材に対するもっとも望ましい対応であり、同時に、近年の作品では忘れられ始めた姿勢でもある。
 だから、そうしようとした事には異論を挟むつもりはない。
 だが、それを徹底させ過ぎた所に問題があったのではないか?
 つまり、本作の謎は突き詰めると
蔵女とは、そもそもどういう存在だったのか?
どこから来てどこへ行くのか?
主人公は、最終的に蔵女とどういう選択をしていくのか?
そして、選択をするためにどういう存在へと変わっていくのか?
…といった疑問へと収束していくのだ。
 ところが、これらについていちいち丁寧な説明をしようとしてしまった段階で、それまでの展開にはまったくなかった要素を引っ張りださなければならないというドツボにはまったのではないだろうか。

 例えば、蔵女の正体そのものについて100%明確な解答を求めていた人は、どれくらいいるだろうか。
 まったくいなかったと断定する事は出来ないが、それなりに行動目的というものをしっかり提示さえできれば、極論として「とうかんもりに古くから巣食う魑魅魍魎の類」止まりだったとしても、充分な説得力を感じる事は出来たのではなかっただろうか?
 日本には「妖怪」という、人間の理解を超えた存在がいる事になっている。
 もし仮に、これまで語り伝えられてきた妖怪がすべて本当に存在していたとして、その中の一部が“宇宙から飛来した生命体”ではないかと疑われたとしても、現代になってからそういった方面への追求が科学的に行われる事などないのではなかろうか。
 つまり、「妖怪」という存在に対して、我々日本人が無意識に感じ取る“神秘性”みたいなものが、この場合隠れ蓑として有効利用できたのではないかと思うのだ。
 蔵女が、樹里と同じ姿をしているという事も、力業でごまかす事が出来たのかもしれない。
 それはそれとしても、要は蔵女に求められるものは「その正体」ではなく、「一体ナニをどうしたかったのか」という事をはっきりしっかり描き切る事だったのだと考える
 事実、この辺が意外にしっかり構築されていない事もあり、主人公覚醒後の“妙にフレンドリーな態度になる”蔵女の姿に、凄まじい違和感が発生するのだ。
 この辺りについては、間違いなくシナリオライターさんも綿密な設定を構築した上で書き下ろしたのだろうから方針にまで口を挟みたくはないのだが、とにかく用意された答えと、プレイヤーが考えていた解答にあまりに大きな隔たりがあった事は否定できない。

 また、主人公にも疑問がある。
 潤のバッドエンドのように、その能力を覚醒させ、滅び行く世界で肉体崩壊を始めた潤をいつまでも責め立て続けていく、という描写には良い意味での戦慄を覚えはしたが、せいぜいそれくらいしか“正体”に意味が見いだせなかった気がする。
 よくよく見てみると、「死んだ筈の人間が、物語の中心に立っている」という部分を流してしまえば、後は「蔵女と共に永遠の時間を生きながらえる」という事にしか意味を発揮していない。
 つまり、樹里との心中についてもっと別な描写があったとすれば、ほとんど意味らしい意味を持たなかった設定だと解釈されかねない危険なものだったのだ。
 事実、覚醒前にあれだけ蔵女に怒りの炎を燃やし、自身の過去に絶望の極致を見出していた筈の主人公が、あるループを境に、突然覚醒してすべてを悟りきってしまうという展開には、強烈な違和感を覚えてしまうし、これはまともに解消される事もない。
 さらに、そこに加えて「地球が滅びて〜」というエンディングまで見せられてしまうと、“人間の感覚を超越してしまった人達のやりとりを、まっとうな人間であるプレイヤー各自が把握しきれる筈がありましぇん”状態に追い込まれてしまって、もうナニがなんだか…
 ある意味、互いに滅びるという結末の方が、実質トゥルー的な意味を持っていたのではないか、と筆者は感じてしまうのだ。

 だが、難点はそれだけではない。
 最終ループの結末で新規に表示される最後の選択肢「まだ終わりじゃない」を選択後に始まるエンディングへの展開には、本編最大クラスの疑問を感じてしまう
 つまり「今の能力を互いに捨てて、人間に転生してまた一からやりなおそう」という選択だが、どう考えても彼らが転生したのは「主人公の父親・健昭」と「その母・朱音」なのだろう。
 確かに、これを突発的な展開とさせないための伏線は用意されていた。
 所々にちょいとしか登場しない朱音の姿が妙に「蔵女」に似ている事や、健昭が、兄(夏生の父)に朱音共々虐待を受けていた際に「血縁者ではない」事を強調されたりとか、朱音自身が特殊な能力の断片を持っていた事など…これらは、このエンディングを裏付ける題材である事は疑いようがない。
 しかし、だからといってこれらがうまく融合して、プレイヤーに説得力を与えていたかとなると、はなはだ疑問だ。
 結局、蔵女の能力云々に関係なく、もっと大きな運命的なものによって、彼らは輪廻(因果)を体現させられていたという事なのだろうか。
 「やり直す」決断を主人公が行うよりも前に、二人は数え切れないほど多くの人間の命を奪ってきた筈だ。
 もしも、その罪の精算という意味を込めてこういう因果の渦に落とされたとでもいうのならば、そう納得させるだけの付加説明要素が不可欠になるだろう。

 どう考えても、この結末は「あからさまとはいえ」新しい謎を提示しただけにしか感じられない
 そこまで賢明に「謎の収拾」に努めてきた本作が、最後の最後でそのスタイルを崩壊させてしまった…のだとしたら、非常に残念だ。
 これは、残念ながら「最後に余韻を含めた、感傷を残す終わり方」とはならないと思う。
 かならずしもハッピーエンドを望むつもりはないが、だからといってすっきりしきれない結末は勘弁して欲しかったのだ。

 そういえば、冒頭の男達の場面から登場し、後にちょくちょく姿を現す「黒い魔獣」は、結局の所どういう存在意義があったのだろうか。これもイマイチ不明瞭だった。
 その正体が、かつて主人公が飼っていたクロという犬だというのはわかるし、蔵女の所行から主人公を守ろうという意向があったらしき事はわかるが、発生原因、そして彼(?)がどういう目的でどう動き、最終的にどうしたかったのかが伝わりにくかったようだ。
 ただ単純に、かつての主人公への忠誠心だけを衝動根元として動いていただけなのだろうか?
 それでも別に構わないとは思うし、そういった存在が添えられているというのも悪くはないのだが、もう少しはっきりした位置付けを与えても良かったのではないかと考えてしまった。
 基本的には好きなんだけどね、ああいうのって。


  (総評)
 ライアーソフトというブランドに対して抱かれがちな偏見をぬぐい去り、プレイするだけの価値は充分過ぎるくらいにある力作だ。
 雑音工房の手による秀逸なBGMも非常に素晴らしく世界観とマッチしており、より奥深さを強調しているのも見逃せない。
 BGMによってはいちいち古レコード風のノイズを加えたり、潤のヘッドホンから流れるドラムのリズムがBGMと一緒に聞こえてきたりと、音関係のこだわりにはとにかく頭が下がる。
 潤の部屋で主人公が聞いてしまうラジオ番組も、わざわざ最初から終わりまで放送内容を作り込んでいるのには驚かされる(そして爆笑する)。
 しかも、一つではなく複数パターン…テレビドラマの台詞まで挿入されるのだから、もうこの辺は素直に受け入れて喜ぶしかない。
 その一方で、中途半端にしか入っていないボイス、音声台詞を読み込む度にレスポンスが鈍くなる問題なども気になってしまうが…

 そのタイトルからイメージされるものの打開と発展、近年ブームの「妹萌え」的要素を逆手にとっての演出、そして「白を黒のように見せながら進む」珠玉の展開など、とにかく注目点は多すぎるくらいで、非常に密度が高い。
 終盤に浮上する問題を含めても、個人的には高いお奨め度を付けたい作品であった。


 最後に、主人公をもう一度振り返ってみよう。
 
 自己主張に乏しく、記憶を失っているからとはいえ周りに翻弄されるだけの存在として登場する主人公は、蔵女によってループを繰り返させられる事により、ようやくしっかりした自我が現れてくる。
 そしてその後、この自我は復活した記憶…自身が抱いていた「幸福な家庭」とのギャップに押しつぶされ、多くの疑問と衝撃の重みに耐えきれなくなり、赤い雪と化してしまう。
 人によっては情けない存在と思われるかもしれないが、私はかなりリアリティのある描写だったのではないかと思っている。
 例えば、それまでとても幸せだった家族が、ほんの些細な事故やトラブルによってそれまでの幸福をすべて失い、絶望のどん底にたたき落とされるというケースは現実に起こりうる。
 どんなに精神が強い人間だったとしても、その前後の落差が大きければ大きいほど、受けるダメージは果てしなく巨大化し、蓄積する。
 交通事故により他人を殺傷してしまった場合、家長が突然死を迎えた場合、家業が致命的な失敗をしてしまった場合…危険は常にどこかに潜んでいる。
 そういった逆境に立たされた存在の心の揺らぎというものは、ある程度人生経験を積んだ者にしか理解しえない部分が含まれるとはいえ、非常に面白い題材となるのも事実だ。
 それを踏まえて描ききれば、キャラクターのイメージに多少のマイナスは付くものの、物語全体の説得力を増長させる事が出来る。
 結果そこまで条件を満たせてしまえば、主人公が重圧に耐え切れなかろうが、耐えきろうが同じ事なのかもしれない。
 主人公・五樹はまさにそういう例を体現した存在であったと思われるのだ。
 
 人間の心の中には、必ず何かしらの「歪み」や「情念」が存在する。
 そして、それはわざわざ強調されなくても、誰もが自覚している事だろう。
 本作「腐り姫」は、そういった部分を際立たせる事で各キャラクターの個別化を狙った、非常に珍しい作品だ。
 単純なデザインの違いや、行動パターンの違いだけで分けているタイトルとは、ここが全く異なっている。
 おどけていたり、特定のイメージを強く強調させていたりと、表面的にはかなり「ありがち」な印象があるが、その実非常に緻密な作り込みと丁寧な描写が組み込まれ、描くべき方針がしっかりと構築されている、なかなかお目にかかれないしっかりとした作品だ。

 今まで決して見くびっていたとかいう訳ではないが、かなりライアーソフトの印象が好転してしまった。


 ときに、2枚目のディスクにはCD-DAで収録されている本編BGMが収録されているのだが、これの2トラック目には潤と樹里(の声優)によるショートドラマが入っており、いわゆる「このディスクをCDプレイヤーにかけると、スピーカーが破損して〜」という奴をやってくれる。
 本編プレイ経験者なら必聴モノのやりとりなのだが(特に樹里!)、よーーーく考えると、なんかがとってもヘン。

 …って、アレ?
 こういうのって、普通1トラック目に入れておかないと意味ないんじゃなかったっけ?

 1トラック目、思いっきりデータ入っているんですけど(笑)。

 これじゃあまるで、ショートショート内の樹里の陰謀そのまんまじゃないですかーっ☆


(後藤夕貴)

 
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