地雷警報! 未来にキスを〜Kiss the Future〜 「未来にキスを」本評論 メーカー:oterwise
ワークス 様
後藤夕貴
 レビューに移る前に私事で恐縮ですが、「未来にキスを」は当HPの方でも取り扱われたタイトルでして、既読の方ならご存知の通り、元締さんの逆鱗に触れまくった一品でございます。
 ですが、この元締さんのレビューが僕が九拾八式さんに参加するきっかけとなりました。
 元締さんの評価を踏まえた上で「敢えて地雷に挑む」わけでは無かったのですが、いつかしようと思っていた作品です。

 とは言え、その威力を甘く見過ぎていた事を先に言いたいと思います…
『Bye−bye、human』


<商品概要>

 デビュー作「sence off」で話題を呼んだアザーワイズの第2弾。
 「幼馴染の従妹といちゃつく調教モノ」であるように見せて、実は全くの別物です。
 それはこの作品を「商品」として考えた時、非常に危険な事であると思います。
 理由は後ほど。


<ストーリー>

 主人公・笹本康介は頻繁に海外に行く両親と離れ、従妹の飛鳥井霞の家に居候として生活している。
 自分を「お兄ちゃん」と呼び、なついてくる霞の存在は、手がかかるが、居心地のいいものだった。
 ある日、霞の両親が結婚記念の旅行に2週間の間家を空ける事となる。
 康介と霞、2人きりの生活は、家事の不安を除けば楽しく過ごす時間となるだろう…
 そう考えながら迎えた初めての2人だけの夜。
 霞は康介に突然「ボクのこと、奴隷にして?」と嘆願する…


<システム・演出>

1.基幹システム、プレイ概要

 主人公・笹本康介とその従妹、飛鳥井霞が2人きりで過ごす2週間をベースに攻略別ヒロインのストーリーが展開するオーソドックスなADVです。
 攻略ヒロイン4人に追加シナリオを加えて計5エピソードで成立されています。
 特に目新しいシステムはありませんが、致命的なバグ等も無く良くも悪くも安定したプレイシステムです。俗に「ビジュアルアーツ系」と呼ばれるソフトメーカーが基幹システムとして開発しているものを使用しているらしいので、成熟されたシステムと言えると思います。


2.グラフィックと音楽
 キャラクターの原画を担当されたのはみさくらなんこつ氏。
 ライトノベルのイラストレーターや18禁漫画・CG作家として有名な方です。
 パッケージや一部CGは確かに御本人が気合を入れて描いたのがひしひしと伝ってくるのですが、全体的に見て「これ別人が描いてる」と思わざるを得ないCGが大半なのはいい傾向ではないです。
 Hシーンは当然、それ以外のCGも「おっ」と思わせる良い絵が各キャラに2〜3枚ありますし、彩色技術(特に髪)の緻密さも好印象ですが、彩色する色が原色に近い事と輪郭となる線にバラつきがあるせいか出来上がったCGを並べると別々の作品のCGに見えてきます。

 音楽はボーカル曲を入れて24曲。インパクトがあるものは無いのですが、シーン別の選曲バランス、曲ごとの完成度は高く、日常シーン中の曲「キネティクス」は日常のほのぼのとした雰囲気にマッチしていました。
 盛り上げの為の曲ではない分、端折られる傾向があるのですけど、プレイ中一番聴く曲のなのですから、音楽面の中で力を入れるべきポイントの一つではあると思います。本作は十分なものでした。


3.シナリオと演出
 本作において、一番問題視すべきなのはこの一点に尽きます。
 霞の「奴隷にして」発言に始まるこの作品は明らかに「妹調教モノ」を想起させる内容とプロモーションで発売されました。
 ですが、実際の所先述した調教モノはプレイを進めるうちに影を潜め、その本筋は各ヒロインが語ることを負わされたメッセージへと移り変わっていきます。
 つまり、シナリオありきの作品であって、妹調教モノというのは建前に過ぎません。
 そして、そのシナリオも感動やカタルシスとは無縁のシナリオライターの主張が色濃く反映されたものなんです。
 その為、ヒロインはストーリーを持つキャラクターではなく、主張を語る為の手段になってしまっています。
 ストーリー性の少ない冗長な日常シーンはその一例なのかもしれません。

 ここが、本作を地雷と思うかどうかの分岐点になるでしょう。
 エロゲーをやろうと思ったら薀蓄と分かりにくい議論の展開をすることになるのですから、何も知らずに本作をプレイされた方は「何じゃそりゃあ」と思うのは確実です。では、シナリオが目的でプレイした場合はどうなるのか?
 これは、個人の嗜好によるかと思いますが、個人的には好きになれません。

 各ヒロインの主張は結論から言えば世間一般が持つ18禁ゲームユーザーのネガティブな部分を容認・暗喩するものが多くで、その理論展開とヒロインの言動は意図的にプレイヤーに不快感を与えているような気もするのです。
 自分の変化を否定し、家族という社会的アレゴリーを否定し、他人との相互理解を否定し…自己と他人を頑なに拒絶し続ける主張の先は、

「こんなおかしなことを言ったり、考えたりしてるのは、今これをプレイしているあなた達の事なんだよ」


というメッセージが見え隠れしているように思えます。

 意図したメッセージとは違うのかもしれませんが、僕にはそう感じられました。
 これでもかなり心象は良くないのですが、追加シナリオ「GENESIS」で止めをさされます。
 霞エンドをベースに語られるこの追加シナリオは、結局の所これが本作における一番の目玉であって一番理解しがたいものでした。
 重複して語られる各キャラの言葉によって、まともに結末を迎えた霞を「自分の中にあるお兄ちゃんだけを見ていればいい」とまで言わせしまうシナリオです。事前にこういうものだと分かっていても尚、釈然としないものがありました。

 尚、攻略についてはフラグ選択式を採用してますが、霞シナリオと共通を除くとシナリオベースは式子のそれを使っているので、式子シナリオをきっちり済ませば椎奈・悠歌シナリオはさくさく進められます。
 正直に言えば、そうでなかったらギブアップしてたと思います…ホントに。


4.Hシーンと操作性
 先ず操作性ですが、シーン(H・エンディング)、ミュージック、CGシアター各種設定、セーブポイント、バックログ、既読判定付メッセージスキップ等必要と思われるシステムは完備されているので問題ありません。
 バグも先述したとおり安定した基幹システムの為皆無です。
 Hシーンについては霞・10、式子・4、椎奈、悠歌・2(シーンモード)の計18回。
 プレイ内容は純愛系路線なので過激なのはありません。
 ただ、この時になると皆さんかなりHになります。あと回数の割にはCGは多くないほうです。
 ルーチンで行うシーンが結構多めにあるせいでしょう。


<キャラ紹介・雑感>

<笹本康介(ささもと・こうすけ)>

 本編の主人公。両親と離れ飛鳥井家の居候として生活している。
 霞と主従を含めた肉体関係を持つが、その主導権を持たないご主人様(笑)
 その立ち回りは相手が誰でも変わることは無い。
 各ヒロインの主張に自身の考えを無理にあわせようとする癖があるのか、最初はまともな反応をするのに結局相手の考えを肯定してしまう事となる。
 家事はそれなりに出来ることになっている。


<飛鳥井霞(あすかい・かすみ)>
 ”支配されたい・支配したい”
 本作のメインヒロイン。康介とは幼馴染で従妹であり同じ屋根の下暮らしている。
 「奴隷にして」宣言や外見、一人称が「ボク」、シチュエーションなど、某ゲームの某ヒロインと瓜二つだが、確信を持ったのは「ベットに横たわって微笑みながらこちらを見つめる」CGを両方に見つけた時。思わず「げえっ!」と叫んでしまいました。
 性格は子供そのもの…というより実年齢と精神年齢の落差を狙ったにしてもやりすぎの感があります。
 シナリオとしては、破綻無く(本作内では)纏まっていたのに「GENESIS」編でおじゃんになってしまいました。


<柚木式子(ゆずき・しきこ)>
 ”これは、本当の自分じゃない”
 メインヒロインの一人。康介、霞の同級生で、神託研究会の部員。
 理性派で、霞よりはまともな会話が出来る人物と思ったのが間違いでした。
 散文的な話し方と称される冗長な語り口とリレーション・コントロールやフォーカスといった各業界の専門用語をニュアンスだけで使う台詞の為に何を言ってるか分かりにくいんです。クリアした今でもよく分からない部分があります。
 シナリオ内では酒の勢いで康介と関係を持ち、恋愛関係になりつつある状況に
「今の自分は本当の自分ではない」
と三行半を突きつけながら肉体関係は続けようと言う始末。

 この結末に一番感じたことは式子というキャラはシナリオライターに物語や共感される性格を求められていない存在だということです。
 それは本作全体に言える事ですが、その際たるが彼女であったのだと思います。


<守里椎奈(もりさと・しいな)>
”家族は檻”
 永久機関と呼ばれるものとに興味を持ち、飛鳥井家のししおどしに執心する少女。
 式子と同じように言動は突発的で、よく分からない部分が多くある。
 母親(実は姉)の彩子と絡めて「家族」に代表される社会的アレゴリーを檻と称してそんなもので個人を束縛するのはおかしいと主張する。
 これに関連して「社会通念が人間を支配するのはおかしい」と言うのですが、その社会通念、作中で言うところの「自走するシステム」は 人が作ったものなんだと誰かに言って欲しかったです。
 極論すれば椎奈の論旨は「ルールやモラルが人を規制するのは変」ということになるかと思うのですけど、それが無かったら社会は成立しません。
 「そんなに世の中は甘くない」と言えるのなら、そんなことを最初から言う必要はないと思いました。


<神澤悠歌(かんざわ・ゆうか)>
”他人同士が理解出来るなんておかしい”
神託研究会の部長で、康介の住む町の神社の娘。神託の巫女の資質により他人との相互理解する力が常人より優れているらしい。
そのせいか他人を理解出来る事をおかしなことだと言い張り、「相手の事なんか理解したくない」と言う。
その理由は「相手が理解出来てしまったら、知らないことに対してのときめきがなくなってしまうから」。
キャラクターとしては一番好みだったのですが、言っていることは一番ぶっ飛んでるキャラでした。
人同士が理解しあうことは完全には出来ないものですけど、理解する為に努力することを大事に出来るものだと思います。
それを「理解出来るなんておかしい」と言われてはこのシナリオを理解しろと言われても、僕には無理な話です。


<総括>

 人にプレイを勧めるかと聞かれたら間違いなく「やめとけ」と答えるでしょう。
 シナリオライターの元長氏のスタイルがお好きな方にはいいのかもしれませんが、エロゲーを装ってシナリオゲーを出したとして、それで成功するには相当の技量が要求されます。
 言葉は悪いですが、一度期待を裏切った作品では失望以上に満足させる要素が無くては大抵失敗するからです。

 そして本作において成功したか否か?
 僕としては失敗であると思います。

 元長氏のスタイルが哲学的要素を絡めたものだとして、過去に氏が手がけたものより本作が高評価ならそれはいいことだと思います。
 ですが、ものを考えるということは人に自身の思想を押し付けるだけでは無いと思うのです。
 自分がそう思っていても人にそれを伝えるなら、「ならば、どうするか」を一緒に提案するのが良いかと考えます。
 特に、その思想がネガティブな結論に達するものであればあるほど、その後の提案が必要なのではないのでしょうか。
 その提案を僕には本作中に見つけることが出来ませんでした。

 とは言え、この作品を通して決めたことがあります。
 いつかこのシナリオライターが再び企画なりシナリオなりを一人で考えた作品が出た時、僕は必ずそれをレビューしたいと思います。

(ワークス様)

 みさくらなんこつ氏の同人誌やマンガは、ヒロイン(…とは言い切れないのも多いけど)のアレの場面に炸裂する、あまりにも“素晴らしいセリフ”に見所が凝縮しております。
 あの素敵すぎるセリフの数々を脳裏に思い浮かべるだけで……思い浮かべたくないです、やっぱり。ごめんなさい(笑)。
 
 あ〜、でも、ああいう部分が微塵でもこのタイトルに含まれていたなら、評価は間違いなく3〜4段階上だったのに。惜しい!!
 …わ、ワークスさん…嘘ですってばあ((((^_^;


 霞の立ちCGの表情違いの時点で、すでに顔が大きく変わってしまってますからね。
 とにかく、あまりにもヒドイ違いでした。
 …今でも、「この画は別の人間が描いたんちゃうん?」と思う所がありますよ。


 音楽が結構良いのは意外でした。
 単体での評価はかなり高いです。
 ただ、せっかくの名曲もこの内容に合わされては…(泣)


 最初の企画の段階ではどういう取り決めがあったのか、そして製作中に大きな変更はなかったのか…
 もしも、両方とも何の問題もなくスムーズに進行した結果がアレなのだとしたら、それはそれでまったく別の評価をしたいものです。
 私は、一時期「最初に霞のシナリオを作ったはいいけど、その中の取り決めなどを厳守する事にキレて、式子シナリオ以降から暴走した」…かのように勝手に想像していたものです。
 もちろん、霞シナリオが一番最初に作られたかどうかはわかろう術もないですが。

 なんとなく、ライター自身の「やっぱ、や〜めた」的な感覚が見え隠れしているような気がしてならないんですよね。<私だけでしょうけど


 パッケージをどう見ても、「妹調教」モノというジャンルとみさくら氏の絵を売りにしているようにしか感じられないんですよね。
 よく「表紙騙し」ってのがありますが、これについてはもはや「騙し」というレベルではないのではないかと…
 期待していたゲームを、いざ購入してやってみたらとんでもない地雷だったというケースは多々ありますが、これはそういうのとはちょっと違う気がします。

 チョコレートだと思って食べてみたらROMだった…みたいなものかと(笑)。

 少なくとも、事前情報や経験者からの伝聞もなしに手に取った人のほとんど全ては、一度は頭を傾げてしまう事請け合いなのでしょうね。

 つーか、絵がみさくら氏でなくても、また「妹調教(を偽装する必要性)」でなくても、なんだっていいんじゃないでしょうか?
 工事現場でマッチョな女性に取り囲まれている主人公というシチュエーションでも、何の問題もなくこういう展開に出来たんじゃないでしょうか(暴言)。


 ただ、このような「不快感を与える」目的のメッセージを本当に内包していたとしても、はたしてこういう提示の方法が正しかったか…こういう内容構成で伝え切れたのかと問われると、はなはだ疑問です。
 また、仮にもっと別なテーマ性のようなものが含まれていたとしても、残念ながらプレイヤーには伝わりきらないのではないかと。
 終盤に近付くにつれ、どんどんゲームそのものへの親近感や興味が薄れていく傾向がありますからね。
 そんな意味を汲む気すら起こらなくなっているのではないかと(笑)。



><笹本康介(ささもと・こうすけ)>

 あの世界観の中ではともかく、一般的には出来るうちに入ってないんですけどね(^^;
 なんか、表面的な知識だけで書かれている家事表現が、やたらとハナにつきました…
 それ以外については、もう散々本文で書いたので、言いたい事も尽きてしまいました。


><飛鳥井霞(あすかい・かすみ)>

>某ゲームの某ヒロインと瓜二つだが、確信を持ったのは「ベットに横たわって微笑みながらこちらを見つめる」CGを両方に見つけた時。思わず「げえっ!」と叫んでしまいました。

 あーっ、言ってはならない事を!!(爆笑)

 20世紀末、一時的とはいえ一世を風靡して、カレー作りが得意なあのお方ですね☆
 私も同じ事に気付いておりました…たははは

 一時期流行った「それなりの年齢の割には幼い性質のヒロイン」というのを皮肉ったつもりなのかもしれません。
 「高校生にもなってガキっぽい女なんかいたら、実生活の影響はこんなもんだぜ。それでもいいのかい? メーン」みたいな…
 霞に、まともな言動はおろか思考能力・学習能力すらも与えられず仕舞だったという背景には、そんなものがあったんではないかと…あれから邪推するようになったわけです。


><神澤悠歌(かんざわ・ゆうか)>

 この場合の“ときめき”って、「相手を知ろうとする願望から生まれるものなんでないかい?」というのが、レビュー執筆後に思いついた私の考えです。
 他人の事を知りたくないという意志を持っているならば、そもそも「ときめく」という事そのものに興味も生まれないと思うのですが…どうなんでしょう?
 私には、これが本作最大の矛盾だと思えてなりません。


(後藤夕貴)

 「名作」か「地雷」かの両極端に評価が分かれる「未来に〜」ですが、事前の知識が無かったとしても僕にとっては地雷になってたと思います。

 人間、怖いもの見たさというか野次馬根性というか、人が散々な評価をしたものを自身で体験したくなる時ってありませんか?
 「そこまで言うならどれほどのもんだ?」って軽い気持ちもあったんですが、シナリオで地雷というケースはかなり稀だったのでどうしてもしてみたくなったんです。


 音楽は掛け値なしに良い部類です。
 主題歌もあの歌詞をメロディー付でよく歌えるもんだと感心しましたし、歌詞で相当のネタバレがあるんですけど、それだけ聞くと結構いい歌です。

 妹調教モノのコンセプトが先か、シナリオありきが先かで本作の評価はさらに変化すると思います。どちらにせよ広報と実物の剥離という意味では失敗していますけど、それが修正か恣意かというのは大きな違いですから。まあ、これ追求しても、もはや後の祭りですが…


 本作で何が気に入らないと言ったら、ゲームとしての体裁を捨ててまで、言いたい事を言うそのスタイルなんですよね。
 そしたら、「いいゲームを」と思っている作り手は一体何?
と思わずにはいられないのです。いいゲームを期待して買うユーザーもそうですし、なりふりかまわずプレイさせたもん勝ちみたいな気分になるのは本作プレイ中どうしてもぬぐい切れませんでした。


><飛鳥井霞(あすかい・かすみ)>

 オリジナルは未プレイですけど、全く瓜二つの外見を持つ二人でした。
 名作と呼ばれるものには多くの模倣があるものなんでしょうけど、そこまで露骨にやる必要は無いでしょうに…
 衝撃の大きさは、「地獄の断頭台を喰らうジェロニモを”ゲーッ!”と叫んで凝視するジェロニモ」並でした(分からなかったらすいません…)


><柚木式子(ゆずき・しきこ)>

 何より辛いのが本作各ヒロインシナリオの出来とヒロインの声優さんの演技力が反比例していることです。
 実際、式子・悠歌役の声優さんは判別は出来ませんでしたが、かなりの演技派の方ではないでしょうか。


 このときめきの対象とは何ぞや? とちょっと考えたのですが、「未知」というのは別に人だけに限定されるわけじゃないんですよね。
 人が生まれて死ぬまでの間、知ることが出来る事なんて微々たるもんだと思うんです。まして、自分の事だって一生かけても分かりきれるかすら疑わしいんですから。
 「分かってしまうと世界は無意味」なんて台詞、学問上ならアリだとしても実際の生活じゃ言える訳ない気がするんですよねぇ。


 シナリオを書く方のものの考え方に口出しする気はありませんが、自分の主張を通すことと、お客に対してお金を払ってもらって提供するシナリオは全くの別です。
 ユーザーに絶対的な主導権があるとは思いませんが、商売である以上、両者共にやっちゃいけない一線ってのは確実に存在します。

 そのシナリオライターの考え方に協賛する方は別として、大多数の方は「ゲーム」の為にソフトを買うんですから、「哲学」がしたいのなら
本なりコラムなりで主張すればいい話なのですから。


(ワークス様)
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